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東山彰良 第153回直木賞受賞作『流』特別インタビュー!

【PROFILE】
1968年台湾生まれ。西南学院大学修士課程修了。5歳まで台北で過ごし、9歳のときに日本へ移る。2002年『タード・オン・ザ・ラン』で第1回「このミステリーがすごい!」大賞銀賞・読者賞を受賞。2003年、同作を改題した『逃亡作法 TURD ON THE RUN』で作家デビュー。2009年『路傍』で第11回大藪春彦賞を受賞。2013年に刊行した『ブラックライダー』が「このミステリーがすごい!2014」第3位、「AXNミステリー 闘うベストテン2013」第1位、第67回日本推理作家協会賞候補となる。2015年、『流』で第153回直木賞を受賞。福岡県在住。
流
一九七五年、台北。内戦で敗れ、台湾 に渡った不死身の祖父は殺された。誰に、どんな理由で? 無軌道に過ごす十七歳の葉秋生は、自らのルーツをたどる旅に出る。台湾から日本、そしてすべての答えが待つ大陸へ。激動の歴史に刻まれた一家の流浪と決断の軌跡をダイナミックに描く一大青春小説。選考委員満場一致、「二十年に一度の傑作」(選考委員の北方謙三氏)に言わしめた直木賞受賞作。<解説:ロバート・ハリス>
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◆エピソードの多くは事実に基づいている
――『流』は、国共内戦と戦後の台湾史を背景とした東山さんの一族の物語がベースになっているわけですが、事実とフィクションはどれくらいの割合で織り交ぜられているのでしょうか?
東山 この小説に出てくるエピソードの多くは、なんらかの事実に基づいています。もちろん100%フィクションの部分もありますが、大半は事実を基に脚色しました。
 僕の祖父は父方も母方も国民党として中国大陸で戦い、共産党に負けて台湾に逃れました。当時、父は5歳、母は1歳でした。その後、父と母が大学で出会って結婚し、僕と妹が生まれました。父と母が日本に留学したので僕らは母方の祖父母の家に預けられ、生活の目途がついたところで呼び寄せられました。
【第一章 偉大なる総統と祖父の死】より
 ――わずかに残った髪が、まるで海藻のようにゆらめいていた

・・・・・・奥にある洗面所の扉を押し開けた。便器、そして洗面台の先にある浴槽の表面が、廊下から侵入した明かりを受けて鈍く光った。縁まで水が張られた浴槽は、まるで黒い鏡のようだった。蛇口から水滴がしたたり落ちると、水面に金属質な水紋が危なっかしく広がり、その下にある得体の知れないなにかの輪郭をゆらめかせた。
 浴槽に目を奪われたまま、手探りで壁のスイッチを押す。
 天井から蛍光灯の光がパッと降りそそぎ、黒い鏡のなかに閉じこめられているものを映し出した。ぴちゃっという音が、まるで手榴弾のように炸裂した。揺れる水面に平衡感覚をたぶらかされ、洗面所が溶けた麦芽糖のようにぐにゃりとゆがんだ。
 わたしは目を見開き、吸い寄せられるように足を踏み出した。浴槽をのぞきこむと、水面に映る自分の青白い顔と目が合った。わたしは魚みたいに口をぽかんと開けていた。
 目の焦点がずれる。
 わたしの顔の下に、もうひとつ顔が沈んでいた。その頭にわずかに残った髪が、まるで海藻のようにゆらめいていた。鼻孔のまわりに小さな泡(あぶく)をいっぱいくっつけている。口は大きく開かれ、充血した真っ赤な目は虚ろだった。後ろ手に縛(いまし)められ、足首にも端切れが幾重にも巻かれている。
 祖父は体を「く」の字に曲げて、水の底に沈んでいた。
 頭が現実に追いつくのに、百年くらいかかった。ひっ、と声を呑んで、思わず跳びすさってしまった。かかとを敷居にひっかけ、ひっくりかえった拍子に廊下の壁で後頭部を強打した。
「幹(くそ)!」わたしは足を蹴り、なおもうしろへ退(さ)がろうともがき、あがいた。「くそったれ、なんなんだよ……なんだってんだよ!? 幹! 幹你娘(くそったれ)!」
――物語は、台湾(中華民国)の初代総統・蒋介石が逝去した1975年に幕を開けます。日本で言えば、昭和天皇が崩御した1989年に匹敵するエポックメイキングな年でした。台湾全土が悲嘆に暮れるなか、当時17歳の主人公の祖父が浴槽に沈められて殺されます。この衝撃的な出来事は事実ですか?
東山 いえ、すべてフィクションです。30年にわたる復讐劇という物語の構成上、犯人の親兄弟が殺害された方法と同じように息ができない苦しみを味わわせるという発想から、浴槽に沈めるという殺害方法になりました。
【第一章 偉大なる総統と祖父の死】より
 ――共産党も国民党もやるこたあいっしょよ

 祖父はけっして生々しい話をしてはくれなかった。祖父が亡くなったあとに父から聞かされたところでは、祖父たちは抗日戦争のころから、つまり共産党と戦うまえから、弾薬を節約するために捕まえた敵は生き埋めにしていたということだった。
「わしらに大義なんぞありゃせんかった」と、祖父は言った。「おなじ部隊に劉貴仁(リュウグイレン)というのがおったが、こいつなんかは自分の両親をいじめた共産党の一家を皆殺しにして国民党に入ってきた。みんな似たり寄ったりさ。こっちと喧嘩しとるからあっちに入る、こっちで飯を食わせてくれるからこっちに味方する。共産党も国民党もやるこたあいっしょよ。他人の村に土足で踏みこんじゃあ、金と食い物を奪っていく。で、百姓たちを召し上げて、またおなじことの繰り返しだ。戦争なんざそんなもんよ」
――捕まえた敵を生き埋めにしていたというのは事実ですか?
東山 僕の祖父は戦争のとき、弾薬を節約するために人を生き埋めにしたという話をしていました。それに合わせて物語を構成しました。
――おじいさんが戦後もモーゼル拳銃を肌身離さず持っていたというのは?
東山 事実です。10月10日の国慶節などで蒋介石がオープンカーに乗って軍事パレードをするときは政府に没収され、パレードが終わると返してくれたそうです。弾丸は錆びつかないようにワセリンの瓶の中に入れていた。そういう話を伯父に聞きました。
【プロローグ】より
 ――匪賊葉尊麟は此の地にて無辜の民五十六名を惨殺せり

 その黒曜石の碑は角が取れ、ところどころ剥(は)がれ落ち、刻まれた文字もまたかなり風化していたが、それでも肝心な部分は辛うじて読み取ることができた。

一九四三年九月二十九日、匪賊葉尊麟は此の地にて無辜の民五十六名を惨殺せり。内訳は男三十一人、女二十五人。もっとも被害甚大だったのは沙河庄で──(数行にわたって判読不能)──うち十八人が殺され、村長王克強一家は皆殺しの憂き目を見た。以後本件は沙河庄惨案と呼ばれるに至る。

 碑文を写真に収めてしまうと、とたんに手持ち無沙汰になって途方に暮れてしまった
――碑文に刻まれていた「匪賊葉尊麟」は主人公の青年の祖父ですが、この碑も実在するんですか?
東山 父は山東省に行って見ていますが、その後、取り壊されて今はありません。碑文は創作です。物語の後半に出てくる、祖父が送ったお金を大陸の兄弟分が貯めて建てた狐狸廟はまだあります。少なくとも、僕が7年前に行ったときはありました。その兄弟分から聞いた話を膨らませていきました。
――主人公が1975年に17歳の高校生という設定は、お父さんであれば若すぎるし、東山さん自身であれば歳をとりすぎていますね。
東山 1975年というのは、父はすでに大人になっていて、僕はまだ7歳ぐらいです。でも、その時代であれば2人の中間だから、父が経験したことや僕が知っている街の空気をミックスしてもおかしくないんじゃないかなと思って、そういう設定にしました。蒋介石が逝去するという、台湾の戦後史のなかできわめてインパクトの強い出来事もありましたし。
◆父の詩に語らせたかったこと
【第二章 高校を退学になる】より
 ――スニーカーのまわりに血溜まり

「おれの頭を割ったあのふざけた野郎もただじゃ済まさねえ」
「だったらどうするんだ!」
 吼えるなり、わたしは定規刀を自分の太腿にたたきつけた。ちょこっと血が出ればいいという程度ではない。藩家強の頭に刺さった鉛筆も裸足で逃げ出すくらい、ぐっと刃先を沈めてやった。手を離しても落ちなかった。お狐様のご加護があるのはわかっていたから、なにも怖くはなかった。
 雷威の血走った目が飛び出す。(中略)
「来いよ」太腿から定規刀を抜き取ると、わたしはそれを雷威に投げかえした。ベージュの学生ズボンに黒いシミが広がり、脚を伝ってスニーカーのまわりに血溜まりをこさえた。「素手でやろうぜ」
 雷威はこちらをにらみつけるばかり。いろんなことが竜巻のように、やつの胸中で吹き荒れていた。わたしは血や刃物だけでなく、多勢に無勢という状況をも恐れないことを証明してみせた。つぎは雷威がなにかを証明する番だ。が、やつはなにをどうしたらこの局面をひっくりかえせるのか、その答えを持ち合わせていなかった。
 やつの兄弟分たちが驚愕と賞賛の入り混じった声で「幹你娘(くそったれ)」とつぶやいた。それは彼らの事実上の敗北宣言にも等しかった。
【第十章 軍魂部隊での二年間】より
 ――水のなかの魚だった

「たまたま新聞かなにかで王璇(ワンシュエン)ってやつの詩を読んだんだ」そう言って、照れくさそうに一節を諳(そら)んじた。「魚説(魚が言いました):只因為我活在水中、所以你看不見我的涙(わたしは水のなかで暮らしているのだからあなたにはわたしの涙が見えません)──自分に詩が理解できるなんて思いもしなかったけど、ああ、そういうことなんだなと思ったんだ」
 わたしはうなずいた。
「高校のときにおれがあんなに荒れていた理由がわかったような気がした。おれたちは自分の痛みにばっかり敏感で、他人もおなじような痛みを抱えてるなんて思いもしなかった。おまえが太腿を定規刀で刺したとき、おれはまるで自分が刺されたみたいに身動きができなかった。びっくりしたのもあるが、それだけじゃないような気がした。なにかがおれを打った。それがなんなのかずっと気になってた。そして、この詩に出会った。たぶん、おれたちはどっちも──」
「水のなかの魚だった、か?」
「うん……ダセェな」
「まあな」わたしは言った。「でもいい詩だな」
【第十三章 風にのっても入れるけれど、牛が引っぱっても出られない場所】より
 ――彼女の涙は流れ落ちる間もなく・・・・・・

 わたしたちは魚なのだ。だから、どんなに泣いても、涙なんか見えるはずもない。彼女の涙は流れ落ちる間もなく、水に洗われてゆく。それをわたしはずっと見て見ぬふりをしてきたのだ。
 胸に熱い塊がこみ上げ、気がつけば彼女を抱き寄せて唇を重ね合わせていた。二年も付き合ってきたのに、まるでいまはじめて夏美玲という女性をこの腕に抱いているかのようだった。わたしたちの舌は言葉よりも多くのことを語り合った。
――巻頭にも収録されている「魚が言いました:わたしは水のなかで暮らしているのだから あなたにはわたしの涙が見えません」という詩は、お父さんの作品だそうですね。
東山 ええ、父が若いころに書いた詩です。台湾で詩やエッセイ、散文などを数冊出版しています。今は定年退職して何もしていませんが、現役時代は福岡の大学で中国に関する民俗学を教えていました。
――なぜ、お父さんの詩を物語の中に?
東山 作品の世界観に合っているし、母が「昔、この詩を使って喫茶店で女の子を口説いている男を見た」と言っていたんです。僕は泣いているんだよ、君には見えないけど、みたいな。それがすごく印象深かったので、父へのオマージュも込めて使いました。
◆最初の仮タイトルは『台湾少年』
――この作品は書き始めてから脱稿するまでにどれくらいかかりましたか?
東山 3ヵ月か4ヵ月ですね。事前に祖父のことをいろいろ調べていたので、資料がたくさんあって話もたくさん聞いていました。それを使いながらコツコツと書きました。
――『流』というタイトルの意味は?
東山 最初の仮タイトルは『台湾少年』で、そのあともいろいろ考えていましたが、ギリギリまで決まらなかったんです。青春小説ぽいキラキラしたものにするのか、ミステリーを強調するのか、あるいは戦争の話も含まれているからもっと重々しいものにするのか……。そのとき、編集部から出てきたアイデアが『流』でした。とても気に入っています。読み終わったあとにもう一度見ると、納得してもらえるタイトルになったんじゃないかと思います。
◆日本語でしか小説は書けない
――なぜ、中国語ではなく日本語で小説を。
東山 中国語は、しゃべれはしますが、書いたり読んだりするのは非常に骨が折れるんです。台湾で生まれたので、最初に身についた言葉は中国語だけど、使い勝手がいい言語は日本語なんですよ。中国語で小説を書くのは無理ですね。両親が台湾人でも、日本で生まれたり、僕のように小さいときから日本で育ったりしていると、中国語をしゃべれない人は少なくありません。読み書きとなると、もっとできないでしょう。
――大学は経済学部。小説を書き始めた経緯は?
東山 まさに「ある日、突然」です。生活に追い詰められ、にっちもさっちも行かなくなって小説に逃げ込んだという言い方が一番近いんじゃないかと思います。
 僕は大学を卒業後、日本の航空会社に入社して東京でサラリーマンをやっていたんですが、1年で辞めて福岡に帰り、大学院に入りました。といっても、とくに学問が好きだったわけではなく、要はサラリーマンを辞めたあと残った道は何かという消去法で、大学の教職を得ようと思って大学院を選んだだけだから、経済学を深くは愛せなかった。けれども、大学で教職を得るためには博士号を取らねばならない。そこで、中国・長春の吉林大学の大学院に進みました。妻も一緒に行くはずでしたが、結婚してすぐ妊娠したので日本に残りました。すると指導教授が、生活が大変だろうから単位を取ったら帰国して日本で働きながら博士論文を書き、年に1回見せにくればいいという措置を取ってくれたんです。ところが、博士論文は何度書いても却下されてしまい、学位を取るのが絶望的な状況になった。そのとき、さらに次男も生まれた。通訳や皿洗いなどいろいろな仕事をしていましたが、定職がない中で子供が2人になって「俺の人生、どうなっちゃうんだろう?」という感じでしたね。
◆ミュージシャンになりたいと思ったけれど
――奥さんは台湾の方ですか?
東山 いえ、日本人です。結婚した当時、妻は台湾の航空会社に勤めていました。僕がサラリーマンを辞めたあとも彼女は頑張って働いていましたが、次男の誕生を機に辞めました。それ以降は貯金を食い潰しながら生活するという先の見通しが全く立たない状態でした。
 音楽が大好きなので、ミュージシャンになりたいと思ったけれど、いかんせん、楽器ができないし、歌も歌えない(笑)。自分が何ができるか考えてみたら、400字原稿用紙で400枚ぐらい書かねばならない博士論文を何度も書いてきたので、曲がりなりにも「長い文章を書く」という持久力だけはついてきた。それで、何の準備もなく、作家になろうとも思わず、ある晩、突然、小説を書き始めたんです。
――きわめて珍しいきっかけですね。
東山 家族が寝静まってからパソコンに向かい、朝まで夢中になって書いていたんですが、パソコンがフリーズして全部消えてしまった。それでもめげることなく、少し休んで再び最初から記憶をなぞって書き始めたんです。すると、推敲しながら書くような感じだったので、消えた直前の部分までは非常にすんなり進んで、自分なりにけっこう上手く書けた。それから3〜4か月書き続け、結局、その作品(『逃亡作法 TURD ON THE RUN』)でデビューできたんです。
◆日本国籍を取らない理由
――いつでも日本国籍を取れるはずですが、今も台湾国籍。その理由は?
東山 アイデンティティ的なことを言うと、僕はどこかの国に帰属しているという意識が凄く薄いんですよ。日本に渡ってからも、毎年、夏休みや春休みは台湾に帰っていましたが、周囲の扱いは“遊びにきたお客さん”でした。日本にいても、本名が中国名なので、名前からしてみんなとは違っている。台湾にも日本にも溶け込めはするけれど、どちらでもしっくりいかないという感覚を常に持っていたんです。でも、僕は小さいうちから、それは別に悪いことじゃないんだと開き直っていました。
 ただ、僕は海外旅行が好きなんですが、台湾のパスポートだと、これまではどこに行くにもビザが必要で、手続きが面倒くさかった。でも、最近はビザなくても行ける国が増えてきているので、いま急いで日本国籍を取る必要は感じないんですよ。  といっても、日本国籍を取ることに抵抗があるわけではありません。なぜなら、中国人というのは、どこのパスポートを持っていても中国人だからです。たとえば、アメリカで生まれた中国人の子供たちを「ABC(American Born Chinese)」と呼びますが、彼らはアメリカ人であっても、台湾や中国に帰ってきたら「華人」と受け止められるんです。
◆直木賞受賞後、小説は1字も書いていない
――ふだんの仕事のスタイルを教えてください。
東山 大学の授業がある日以外は、朝7時ごろに起きて8 時ごろから書き始め、午前中ずっと書いて午後は少し休み、夕方にまたちょっと書きます。夜は書きません。書いている間はずっと音楽を流しています。その日に書こうと思っているシーンに合わせて、自分が持っているCDの中から曲を選んでいます。ブルースが多いかな。
――好きな食べ物は
東山 味覚が子供っぽいのか、ハンバーグやカレーが好物です。福岡育ちなので、博多ラーメンも明太子もモツ鍋も好きです。もちろん台湾料理も中国料理も大好きです。台湾に帰ったら、なじみの屋台に食べに行きます。ずっと魚が食べられなかったんですが、30歳を過ぎたころから少しずつ食べられるようになりました。
――好きなお酒は?
東山 何でも飲みますが、基本はビールで、次はテキーラ。日本テキーラ協会で講座を受け、試験に合格して「テキーラ・マエストロ」のバッチを持っています。
――これからの目標は?
東山 「書き続けること」です。デビュー後は1作、1作、これが最後かもしれないと思って今日まで書いてきました。この先も書き続けるためには、出版社が僕の本を出したいと思う理由が必要です。直木賞受賞で、ひとまずその理由ができました。非常にありがたい賞をいただいたと思っています。ただし、受賞後、まだ小説は1字も書いていません。受賞後第1作は、すでに書いてあった作品があるので、それが2016年に出る予定です。
(構成:中村嘉孝)

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