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三田誠広の小説教室
三田誠広 (みた まさひろ)
1948年、大阪府生まれ。早稲田大学文学部卒業。高校在学中に『Mの世界』で作家デビュー。1977年、『僕って何』で芥川賞を受賞。『いちご同盟』『地に火を放つ者』など著書多数。日本文藝家協会副理事長。武蔵野大学文学部教授。
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第九十八回 怖い物見たさの極致

【今回の作品】
中村文則『土の中の子供』 虐待されて育った青年の苦悩と希望を描く


 まずはこのタイトルの奇妙さに惹かれますね。ふつう土の中に子供はいません。いたらびっくりします。何らかのせっかんなのでしょうか。いじめなのかもしれない。暗い悪意が感じられる虐待が予感されますね。でも、たぶん、これは何かのたとえなのだろうと思って読み始めると、驚くべきことに、本当に土の中に埋められた子供の話が出てきます。暗い話です。こんな話は読みたくなかった、読まなければよかったと思うのですが、読み始めるとやめられなくなります。すごい小説です。
 主人公は二十七歳のタクシー運転手です(書いている作者も同じくらいの年齢ですね)。タクシー運転手というと、話好きの、人の好さそうなおじさんというイメージがありますが、中には暗い人もいます。暗くて友だちがいない人、一人でいるのが好きな人、コミュニケーションが苦手な人が、タクシー運転手になるというケースも、少なくないと思われます。主人公の運転手は、暴走族みたいなオートバイ集団にタバコを投げつけて、ボコボコにされます。後半では強盗に首をしめられて死にそうな思いをします。とことん不幸になるという宿命をかかえた人物のように見えます。
 女と同棲しているのですが、この女がまたとても不幸な過去をかかえていて、性格が暗く、不感症なのですね。で、その不感症の女を相手にセックスをする主人公。不幸に不幸を掛け算すると、100倍くらいになる、そんな感じの物語です。タイトルになっている土の中の子供というのは、主人公の過去の体験です。タクシー運転手の現在進行形の話のあいまに、主人公の暗い過去が少しずつ明らかになっていきます。


暗く、屈折したエンターテインメント

 不幸な生い立ち、と書けば、お涙頂戴式の苦労話のように感じられるかもしれませんが、この作品で描かれる不幸は常軌を逸しています。その不幸の羅列がこの作品の見せ場になっていますので、実際に読んで楽しんでください。不幸を楽しむというのもヘンですが、他人の不幸って楽しいものです。他人でなくて、自分の不幸でも、時としては楽しいものです。他人の不幸をわがことのように体験できるというのが、読書というものですから、この作品は、とてつもないエンターテインメントということもできます。
 中村文則さんの文章は理知的で、分析的です。状況をただ描くだけでなく、その状況について主人公が考察していく、その論理の展開が読者をひっぱっていきます。ドストエフスキーやアルベール・カミュに少し似ていますが、かの文豪たちのような大げさな問題提起ではなく、社会の片隅にいるごくささやかな人物の体験を、さりげなく書いているように感じさせるところが、いかにも現代的だと思われます。
 中村さんのデビュー作は、「新潮」の新人賞を受賞した『銃』という作品です。たまたま銃を拾った、ごくふつうの主人公が、それ以後、この銃に魂を支配される、というような話です。ショートショートなどではよくある設定なのですが、中村さんはストーリーを追いながらも、思弁哲学といったものを展開します。その語り口が魅力的で、いかにも文学だなあといった作品になっていました。
 この作品はいきなり芥川賞の候補となり、受賞には到らなかったのですが、多くの選者が激論を交わす話題作となりました。そして、三度目の候補での受賞です。その後も『教団X』とか『私の消滅』など、話題作を連発しています。どれも、暗く、屈折した作品です。恐ろしいことが書かれているのに、エンターテインメントになっているという、そういうところに中村さんの魅力があるのでしょう。


「もう一人」の自分を楽しむという行為

 中村さんって、整った好青年といった印象の顔立ちです。こんなハンサムな人が、何でこんな怖い話を書くのだろうという気がします。たぶん、二重人格で、サイコパスなのだろうと思います。でも、あなただって、自分の中に、もう一人の自分がいるように感じることはありませんか。ここで断定的に言い切ってしまいますが、文学を読むというのは、もう一人の自分を内部にかかえこんで、これを楽しむという行為なのです。
 世間一般の人は、忙しく働いていて、ほとんど何も考えずに、日々を過ごしています。生きるのにせいいっぱい、ということもできますが、頭の中がカラッポのエコノミックアニマルといってもいいでしょう。文学好きな人間は、小説を読むことによって、他人の不幸をわがことのように楽しみます。そこに描かれている思弁哲学を、自分の思想のように感じることもあります。銃を拾ったら、誰かを撃ってみたくなる。そんな気分になったりもします。これって、とてもスリリングなことではないでしょうか。小説を読む人は、誰もが少し、二重人格的な傾向をもっているのです。
 まあ、とにかく、読んでみてください。この作品の面白さがわかったら、あなたの内部にも、いくぶんアブナイ、わけのわからない衝動がひそんでいるのかもしれません。中村さんの文学は、おそらくは誰の心の奥底にもあるそういう部分を、じわじわとえぐりだして、読者をドキッとさせたり、いやーな気分にさせたりするのですが、そこが文学の醍醐味だといっていいのではないでしょうか。


→第九十九回 暗さとしなやかさの奇蹟的融合へ



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