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三田誠広の小説教室
三田誠広 (みた まさひろ)
1948年、大阪府生まれ。早稲田大学文学部卒業。高校在学中に『Mの世界』で作家デビュー。1977年、『僕って何』で芥川賞を受賞。『いちご同盟』『地に火を放つ者』など著書多数。日本文藝家協会副理事長。武蔵野大学文学部教授。
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【今回の作品】
尾辻克彦『父が消えた』 既成小説の定型を解体した小説のポップアート


 芥川賞は新人賞ですから、受賞者も候補者も無名の新人というのが前提なのですが、お笑いタレントの又吉直樹さんが受賞したように、他の分野で有名な人でも、文学の世界では新人であるということで、候補になり、受賞することがあります。尾辻克彦さんの場合は、赤瀬川原平(本名は赤瀬川克彦)というペンネームで、画家および漫画家としてすでに有名な存在でした。
 絵や漫画が評価されていたというよりも、前衛的な試みがマスコミにとりあげられて、名前が売れていたというべきでしょうか。とくに千円札の表面をそのまま印刷した裏に個展の案内を入れた作品(案内状でもあるのですが)が、通貨模造だとして起訴された事件で、「千円札事件の人」として有名人となっていたのです。
 もとからとぼけたユーモアのある人なのでしょうが、過激な確信犯というよりも、へんなことをして目立ちたいという、目立ちたがり屋のところがあったのではないかと思われます。それでも芸術作品として評価する人もあって、美術学校の講師などもつとめていたようです。


とぼけた会話と大胆な連想

 この作品は、その美術学校の教え子とともに、八王子の霊園を見にいくという、それだけの話を描いたもので、ただのエッセーにも見える作品です。「先生」が弟子をつれて旅に出る、というのは、内田百のエッセーなどに見られる、一つの定番の設定なのですが、この作品では旅のあいまに、さまざまな連想があって、作者の生い立ちや、父の人柄などが描かれます。自宅のある三鷹から八王子、それから高尾に行くまでの、短い間、長い人生がそっくり語られるという、その試みも新鮮ですし、とぼけた会話と、大胆な連想が効果的で、読みやすい作品になっています。
 この回は、高樹のぶ子、木崎さと子、田中康夫など、のちにメジャーになる書き手の作品が候補作に入っていたのですが、半ば以上の選考委員が『父が消えた』を支持しました。とくにいつも難解なことばかり言っている大江健三郎さんが、「異化」というキーワードを使って評価しているのが印象的です。そこまで褒めることはないのではないかという気もするのですが。
 確かにこの作品には、思いがけない連想に飛躍がちりばめられています。「先生」が独り言のようにしゃべり続け、弟子は合いの手を入れるだけなのですが、「先生」は一人でボケとツッコミの両方を演じながら、次々に話題を転じていきます。その語り口には、ただのユーモアやおとぼけとは違った、戦略的なものが感じられます。つねに読者の意表を衝く、という強い意志のようなものが感じられるので、大江さんもそこを評価したのでしょう。
 確かに三鷹から八王子を経て高尾に行くまでの間に、人生のすべてを語りきってしまうというのは、至難の業というべきでしょう。ごく自然に連想が連想を呼んで、どんどん話が脱線していく、といった語り口に見せて、実はこれだけのことは語りきってしまおうというエピソードがあらかじめ用意されていて、強引な連想によってすべてのピースを短篇の中に詰め込んでしまったという、そういう作品なのだろうと思います。


書き手の実人生と作品との距離

 基本的には貧乏物語です。ふつうに書けば悲惨な話になってしまいます。そこを語り口で、ユーモアエッセーのような仕立てにすることで、書き手の実人生と作品との距離をとるという、小説を書く上ではもっとも重要なスタンスを保つことができたのだと思います。ただこの手法は、もしかしたら一回きりの特別なスタンスなのかもしれません。尾辻さんの書くものは、しだいに安定したエッセーのようなものになっていき、初期のころのインパクトは失われていきました。
 その後も、赤瀬川原平の活躍は続きます。路上観察学会というものを立ち上げて、「四谷階段」(四谷にあるただ上って下りてくるだけの無意味な階段)を発見したり、「老人力」という本を出して流行語大賞にノミネートされたりするなど、つねに話題を振りまく才人ではあったのですが、小説を書くというのも尾辻さんにとっては、千円札をコピーした案内状を作るのと同じような、前衛的な試みの一つであったのかもしれませんし、あるいはちょっとした思いつきだったのかもしれません。ですから晩年は、文学とはまったく無縁の人でした。尾辻というペンネームもほとんど使われなくなりました。
 いまこの作品を読み返しても、とくに前衛的な感じはしません。読みやすいふつうのエッセーという感じがします。もしかしたらこのふつうのエッセーが、「小説」として純文学の雑誌に掲載され、芥川賞の候補となり、受賞してしまうという、そのことが事件であり、独特のパフォーマンスであったのかもしれません。その意味では、前衛芸術家赤瀬川原平の狙いは、見事に当たったというべきなのでしょうね。


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