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三田誠広の小説教室
三田誠広 (みた まさひろ)
1948年、大阪府生まれ。早稲田大学文学部卒業。高校在学中に『Mの世界』で作家デビュー。1977年、『僕って何』で芥川賞を受賞。『いちご同盟』『地に火を放つ者』など著書多数。日本文藝家協会副理事長。武蔵野大学文学部教授。
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【今回の作品】
山下澄人『しんせかい』 演劇塾での2年間の共同生活を描く


 最新の芥川賞は山下澄人さんの『しんせかい』が受賞しました。ぼくは最近、文芸雑誌を読まなくなったので、芥川賞の候補作を見ても、知らない作品ばかりということが多いのですが、今回はたまたま候補作を全部読んでいましたので、自分なりに予想を立てていました。ぼくの予想では宮内悠介さんの『カブールの園』加藤秀行さんの『キャピタル』だったのですが、残念ながら2作とも落選でした。前者はアメリカが舞台、後者はタイの話で、選考委員にとってなじみがなかったのかもしれません。山下さんの作品は北海道の富良野が舞台です。確かにリアリティーがあります。でもそれは、何とも不思議な世界です。読みやすくて、おもしろい作品なので、この作品が受賞することは当然なのですが、でも作品のインパクトという点では、ぼくが挙げた2作品の方が強烈でした。
 若い人は知らないと思いますが、いまから35年ほど前に、『北の国から』という連続ドラマがありました。離婚して二人の子どもをかかえた田中邦衛が演じるお父さんが、富良野に石積みの家を建てて子育てをするというドラマです。その子ども2人(吉岡秀隆・中嶋朋子)が大人になって結婚するくらいまで、延々と続篇が制作された人気ドラマでした。いまでも富良野に行くと、当時のロケ現場が名所として観光客を集めています。そのドラマの脚本を書いた倉本聰もこの作品で、脚本の世界では大御所的な存在になりました。その倉本聰が、富良野に演劇塾を作ったことは、当時、大きな話題になりました。1980年代半ばのことです。山下さんはその2期生だということで、この作品はその演劇塾の体験記のようなものです。


肉体労働と仲間たちとの交流

 もちろん小説ですから、フィクションとして再構成されているのでしょうが、フェリーに乗って北海道に着き、同期生のトラック運転手が運転する車で富良野に向かう冒頭のシーンには、実録のようななまなましさがあります。そこから演劇塾での生活が始まるのですが、塾生たちは自分たちが住む住居を自分で建設しなければなりません。演劇の講座などはほとんどなくて、塾生は建築や酪農の手伝いなど、ひたすら肉体労働に駆り出されます。そこにはもちろん倉本聰とおぼしき人物も登場して、独特の演技指導をしたりもするのですが、登場人物として描かれる仲間たちとの交流が、この作品の見どころとなっています。
 演劇を教える場所は、どこにでもあります。劇団の付属養成所もありますし、日大とか明治とか桐朋とか、演劇科をもつ大学があります(早稲田の演劇科は実技はやりません/ちなみにぼくも村上春樹さんも早稲田の演劇科です)。演劇志望の学生はそういうところで学ぶか、大学の演劇サークルで実技を体験するか、そんなふうにして演劇というものを体験するのでしょう。そういう場所は、東京に集中しています。既存の演劇を見るチャンスも多いし、小劇場で上演する小さな演劇集団の芝居も、東京にいればいろいろ観ることができます。
 北海道の富良野には、何もありません。そういうところに二年間くらい閉じこもって、演劇を学ぶ。しかも演劇の指導の時間よりも、労働者として働いている時間の方が多いのです。これは主宰の倉本聰さんの哲学みたいなものです。建設業や農業を身をもって体験しなくては、社会や人間を知ることができない。役者をやるにしろ、演出や脚本を担当するにしろ、頭だけで考えているような者には、本物の演劇はできない。まず体を使って労働することから始める。それが演劇の基本だということですね。


登場人物と舞台背景の描写

 ところで、これがいわゆる私小説なのかどうかわかりませんが、主人公のスミトくんは、まったく演劇の経験がありません。母親が『北の国から』を見ていたので、番組は知っていたけれども、倉本聰という脚本家の名前も知らなかった。そういう人が、何かの間違いで富良野に来てしまったのですね。でも、倉本さんが求めていたのは、そういう人材だったようです。ということで、演劇にはまったく素人のスミトくんがけっこう活躍できる局面もあって、青春小説として抜群の爽やかな展開になっていきます。
 文章は読みやすく、登場人物のキャラクターも鮮明で、何よりも舞台背景の富良野の風物がいきいきと描かれています。文句のつけようのない作品だと思います。ただちょっとギモンを感じるのは、この倉本聰さんの演劇塾の設定が、おもしろすぎるのですね。わたしたちは倉本さんがそういう塾を作ったということを知っています。ですから、嘘みたいな話だけれど、これは本当のことなのだと思って読み進みます。これが全部がフィクションだとしたら、おもしろい話だけれど、一種のファンタジーだね、という印象になったと思います。そのあたりで、この作品のおもしろさの大部分は、倉本聰さんの功績ではないかという気がしてしまいます(むしかえすようでずが候補作にはもっとインパクトの強い作品もあったので)。
 でもこの作品が爽やかな青春小説になっていることは確かですし、塾生たちのキャラクターが抜群におもしろいので、ぜひ多くの人に読んでいただきたいと思います。


→第九十回 中国の村の不思議な幻想へ



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