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三田誠広の小説教室
三田誠広 (みた まさひろ)
1948年、大阪府生まれ。早稲田大学文学部卒業。高校在学中に『Mの世界』で作家デビュー。1977年、『僕って何』で芥川賞を受賞。『いちご同盟』『地に火を放つ者』など著書多数。日本文藝家協会副理事長。武蔵野大学文学部教授。
三田誠広先生の作品一覧はこちら


【今回の作品】
川上未映子『乳と卵』 豊胸手術を望む母と思春期の娘の葛藤を描く


 川上未映子は『早稲田文学』が発掘した新人です。それもとても珍しいケースだと思われます。
 芥川賞は活字になった作品が対象なので、候補になるためには、大手出版社が出している文芸雑誌に作品が掲載される必要があるのですが、活字になってさえいればいいので、同人誌でもいいのです。大手出版社の文芸誌と新聞の文化欄が支えている世界を、文芸ジャーナリズムなどと呼ぶことがありますし、文壇と呼ばれるものもその上に成立しているのでしょうが、時として、マイナーな場所から突然、新人が登場するという、奇蹟的なことが起こります。
 リトルマガジンと呼ばれるものがありました。小さな出版社が出している季刊の文芸誌とか、会員がたくさんいる伝統的な同人誌とか、それから大学が出している文芸誌などで、大きな本屋さんに行けば販売されていて、ある程度の読者がいるリトルマガジンが、昔はたくさんありました。いま思いつくままに列挙すると、『季刊芸術』『人間として』『審美』『現代文学』『新文学』『作家』『関西文学』『季刊文科』、それから『三田文学』と『早稲田文学』ですね。
 ぼくは早稲田出身の作家ですので、長く『早稲田文学』の編集委員を務めていました。それが縁で大学に誘われて、15年間も早稲田の先生をすることになりましたが、このリトルマガジンからは見延典子『もう頬づえはつかない』、三石由起子『ダイアモンドは傷つかない』などのベストセラーが出ましたし、黒田夏子『abさんご』という芥川賞も出ました。川上未映子さんの場合は、やや特殊なケースでした。


『早稲田文学』に長篇一挙掲載

 川上さんはバンド活動をされていてレコードも出ている人で、また詩人としても一部には知られていたようですが、文芸ジャーナリズムではまだ無名でした。この才能に注目した『早稲田文学』の編集者によって、長く『早稲田文学』を支えてこられた故平岡篤頼教授のご遺族が設立された「剣玉基金」による第1回のプロデュース作品として、同誌に長篇一挙掲載されたのが、小説家としてのデビュー作『わたくし率 イン 歯ー、または世界』でした。この作品は小説らしいプロットやストーリー展開を拒否した、アンチロマンふうの作品で、まことに「剣玉基金」にふさわしい作品でした。
 ここで「剣玉基金」について少し説明しておきます。平岡篤頼教授はフランス文学が専門で、アンチロマンと呼ばれる小説のトレンドの紹介者としても知られていました。クロード・シモンやアラン・ロブ=グリエなどの翻訳も多く、さらにご自身もアンチロマンふうの作品を書いて、芥川賞の候補にもなったことがあります。平岡先生は奥さまがお医者さまだったので、生活の心配がなく、そこで大学教授としての収入の大半を『早稲田文学』に投入して、新人作家を育てて来られたのです。平岡先生のご尽力で、のちには大学から資金が出るようになったのですが、平岡先生が亡くなられたあと、奥さまから基金の提供の申し出があり、「剣玉基金」がスタートしました。「文学は剣玉である」というのが先生の口癖でした。意味は不明ですが、先生のお墓の脇には石造りの剣玉のモニュメントが設置されています。


アヴァンポップの名作

 この剣玉基金の作品が芥川賞候補となり、すぐに『文學界』から依頼が来て書いた第2作で受賞となりました。受賞作の『乳と卵』という作品は、何だかいやになまなましい「女」を感じさせる母と娘に、少し引いた感じの叔母さんが絡むという設定で、それなりにリアルな感じで話は展開するのですが、大阪弁を駆使して再現もなくだらだらと語られるおしゃべりの口調が、通常の小説とはまったく違うトーンをもっていて、ふつうではないという意味で、まさしく「アンチロマン」の名作といっていい作品です。
 アンチロマンというのはいまから半世紀も前にフランスで流行した前衛文学で、絵画に抽象画があるように、文学でもリアリズムを超えたわけのわからない作品があってもいいというコンセプトで、続々と難解な作品が書かれたのですが、いまでは誰も読まなくなりました。
 映画や音楽、演劇の世界でも、わけのわからない作品の流行があって、前衛芸術(戦場の最前線のガードの前に飛び出すというフランス語でアヴァンギャルドといいます)と呼ばれていたのですが、その少しあとで、わけがわからないけれども文章が読みやすいのですらすら読めるという文学の流行がありました。アメリカのカート・ヴォネガットが代表です。「アヴァンギャルド」と「ポピュラー」の合成語で「アヴァンポップ」と呼ばれました。初期の村上春樹『風の歌を聴け』など)はまさにアヴァンポップですね。川上未映子さんのこの作品は、わけがわからないけれど読みやすいということで、アヴァンポップの名作といっていいと思います。
 それにしても川上未映子というのは、すごい才能をもった人で、しかも美人(文学の評価とは何の関係もないようですが指摘せずに済ますわけにはいきません)です。作家としても活躍されていますし、詩集もたくさん出ています。女優として映画にも出演されています。こういうすごい人が『早稲田文学』から、しかも「剣玉基金」の支援によって世に出たということで、平岡篤頼先生も喜んでおられることだと思います。


→第八十七回 だんだん慣れてきたへ



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