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三田誠広の小説教室
三田誠広 (みた まさひろ)
1948年、大阪府生まれ。早稲田大学文学部卒業。高校在学中に『Mの世界』で作家デビュー。1977年、『僕って何』で芥川賞を受賞。『いちご同盟』『地に火を放つ者』など著書多数。日本文藝家協会副理事長。武蔵野大学文学部教授。
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【今回の作品】
吉田知子『無明長夜』 混沌とした世界における病める魂を描く


 吉田知子は不思議な作家です。日本文壇の主流ではありませんが、特異な作家として一定の評価を受けています。しかしいまの読者がこの作品を読んでも、充分に理解できるわけではありません。というか、正直のところ、ぼくもよくわかっていないのだと思います。話の仕組みが読めない、何が何だかわからない。でも、そこのところが、吉田知子さんの作品の不思議な味わいであり、魅力だといってもいいでしょう。
「十年ぶりに御本山へ行ってまいりました。おまいりして来た、とは言えません。私はお賽銭をあげたことも御本尊を拝んだこともありませんから。」
 これがオープニングです。一人称ですね。語り手は女性です。お寺に行ったのに、おまいりしたのではないという、奇妙なレトリックが、いきなり読者につきつけられます。語り手の私にとっては、お寺はとても重要なものだということが続けて語られるのですが、それは単純な信仰ではないのです。
 この女性はかつて結婚していたようです。姑という言葉が出てきます。でもよくある嫁姑の物語のような、野際陽子とか、萬田久子のような、鬼みたいな姑ではないようです。やがて夫が失踪したということがわかります。夫婦関係に何か問題があったのでしょうね。とにかく夫婦関係は破綻して、語り手の私は気持が落ち込んでいる。病院に通っているという記述もありますので、精神に変調をきたしているということでしょうか。


明確な意図で、とりとめのない話を語る

 選考委員の三島由紀夫は「分裂症の病理学的分析もたしかなら、文章もたしか……」と断定的に褒めているのですが、そんなふうに割り切ってしまうと、何か違うと感じられます。作品中に病名が出てくるわけではありません。それほどひどい症状でもないようです。しかし、何がどうなっているのか、現実的なことは何も示されず、ただ私の内面が断片的に語られるという、この語り口には、病的なものが感じられます。
 それでも、頭のおかしい人が、でたらめにしゃべっているというわけではないのです。この文章は、作者によって、正確にコントロールされています。思わせぶりに地名とか、具体的なエピソードが語られているのに、読めば読むほど、何が起こっているのかがわからなくなる、というふうに、作者は巧妙に、焦点をぼかして話を綴っているのです。
 確かに三島由紀夫が断定したように、女性のとりとめもない話の語り口が、いかにも精神病の女性にありがちな、非論理的な展開で、病理学的にもいかにもありがちな症例だと見ることができます。作者自身は冷静に、明確な意図をもって、わざととりとめもない話をヒロインに語らせているのです。
 だからこそ、この作品は、読みやすいということができます。文章が的確で、意味不明なことは何も書かれていないのです。だから最後まで、すらすらと読んでいけるのですが、最後まで読んでも、何が書かれていたのか、何一つわからないという、まるで迷宮の奥に迷い込んだような、不思議な感覚にとりつかれます。


わからないものへの敬意

 多くの選考委員が、絶賛に近い評価をしているのは、吉田知子の筆力の確かさと、わからないことをわからないままで投げ出して平然としている、どこかとぼけたようなスタンスに、恐れのようなものを覚えたからではないでしょうか。
 でも……、とぼくは考え込んでしまいます。いまの読者がこれを読んで、感動したり、評価したりするでしょうか。何じゃ、これは、と叫んで、途中で投げ出してしまうかもしれません。何だかよくわからないものに対する、尊敬とか、共感といったものが、いまの若者には欠けているような気がして、少し心配になります。
 これはぼくが大学生だったころの受賞作です。当時はベトナム戦争があり、中国では文化大革命があり、日本では大阪万博があったりして、何がなんだかわからない状態でした。日本は戦争に負けた貧乏国であり、アメリカ資本主義の犠牲になっていると思っていたのに、ものすごい勢いの高度経済成長が続いて、いつの間にか経済大国になっていたのです。
 そんな昏迷の時代に、この吉田知子の不思議な作品が現れたので、何だかよくわからないけれども、多くの人が、この作品に癒しを感じたのだと思います。
 親鸞の和讃に、「無明長夜の灯炬なり/智眼くらしとかなしむな/生死大海の船筏なり/罪障おもしとなげかざれ」というのがあります。煩悩をかかえた衆生は、無知(無明)のために長く暗い闇の中をさまようことになるのですが、阿弥陀仏の慈悲が、闇夜の灯明となり、荒海のレスキューボートとなって、わたしたちを救ってくださる……といった意味だろうと思います。
 この語り手の女性も、長く暗い闇の中をさまよっているのですね。病気はしだいに重くなって、妄想が錯綜するようになり、昏迷は深まっていくのですが、それでもこの文章の安定感が、宗教的なムードで語り手を包み込み、語り手のヒロインに寄り添っている読者にも、癒しをもたらしてくれます。
 何が何だかまったくわからないけれど、不思議に癒された感じがする。そんなふうに受け止めていただければと思います。


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