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三田誠広の小説教室
三田誠広 (みた まさひろ)
1948年、大阪府生まれ。早稲田大学文学部卒業。高校在学中に『Mの世界』で作家デビュー。1977年、『僕って何』で芥川賞を受賞。『いちご同盟』『地に火を放つ者』など著書多数。日本文藝家協会副理事長。武蔵野大学文学部教授。
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【今回の作品】
清岡卓行『アカシヤの大連』 青春の大連を郷愁とともに清冽に描く


 ぼくは大阪で生まれました。高校卒業まで大阪にいましたので、それなりの想い出があります。でも故郷というものに、それほどの愛着はありません。両親も亡くなり、実家も残っていません。たまに講演などで大阪に行くことがあっても、ああ、大阪か、と思うだけです。しかし清岡卓行にとっての大連は、特別な場所なのでしょう。いささかセンチメンタルなほどの強いこだわりによって、この作品は書かれています。こんな故郷があったらいいのにと思わずにはいられません。ぼくは大学の先生をしていますが、今年、大連出身の留学生がゼミに入ったので、この作品を読み返したくなりました。
 大連。その街の名は聞いたことがありますが、日露戦争で激戦のあった旅順の近く、というくらいの知識しかありませんでした。昔は満州と呼ばれていて、日本が圧力をかけ、植民地としたところです。満州鉄道の敷設を中心に大規模な開発が進められていました。大連にはそうした開発に関わる日本人が住む高級住宅地がありました。アカシア(アカシヤ)が街路樹として植えられた広大な住宅地がこの作品の舞台です。終戦間際に、東大の学生だった清岡が、奇妙に切実な郷愁に駆られて、交通事情が最悪になった戦時にもかかわらず、大連の実家に帰っていきます。清岡の父親は満鉄関係者でしたが、作品中で彼が帰省したときは、定年退職していて悠々自適の生活を送っていました。
 この作品はいちおう私小説といっていいのでしょうが、太宰治のような自虐的なところはありません。ただいかに生きるべきかに悩んでいる哲学かぶれの青年の心象が、エッセーのような自由な筆致で綴られます。清岡はすでに詩人として高い評価を受けていました。その清岡がなぜ小説を書くようになったのか。そのモチベーションの原点になっているのは、大連で出会った夫人を病気で亡くしたことにあるのでしょう。ですからこの作品がセンチメンタルになるのは必然なのです。


胸にしみるようなリリックな文章

 しかしこの作品に、夫人はほとんど登場しません。まずは両親の故郷で清岡自身の戸籍もそこにある高知県で徴兵検査を受けるところから話は始まります。検査は不合格でした。戦争が激しくなっていた時期ですから、ほぼ全員が合格になるはずのところ、大学(当時の一高)を休学中だった清岡は結核(抗生物質が開発される前で死の病と考えられていました)と誤解されて、レントゲン検査もせずに不合格にされます。死を覚悟していた青年が急に解放されたわけですが、何のために生きるかわからないモラトリアム状態になり、かえって自殺願望を抱くようになります。そして、死ぬ前にもう一度、故郷の風景を見たいという切実な欲求に後押しされ、危険を冒して朝鮮半島経由で大連に向かいます。
 この自殺願望をかかえた青年というのは、ある時代の文学の普遍的なテーマでしょう。ただ清岡の場合は、故郷の風景というものが、生きる希望とつながっています。しかし命がけで大連に着いてみると、そこには戦争の影もない穏やかな生活が持続しています。やがて敗戦となり、その高級住宅地に住んでいる人々はすべての資産を投げ出して命がけで日本に引き上げることになるのですが、そんな最悪の状態になるのは数年先になります。その危うい楽園のような故郷の風景が、胸にしみるようなリリックな文章で描かれています。たとえばこんな文章はどうでしょうか。
 『五月の半ばを過ぎた頃、南山麓の歩道のあちこちに沢山植えられている並木のアカシヤは、一斉に花を開いた。すると、町全体に、あの悩ましく甘美な匂い、あの、純潔のうちに疼く欲望のような、あるいは、逸楽のうちに回想される清らかな夢のような、どこかしら寂しげな匂いが、いっぱいに溢れたのであった。』
 いかにも詩人らしい、レトリックの整合性を無視した、感覚的な表現ですね。「純潔」と「欲望」、「逸楽」と「清らかな夢」という対立する概念がここでは一つに融合して、白い花が咲き乱れたアカシアの幻想性が読者の胸の中に染み込んできます。そんなふうに文章の一つ一つを味わうように読んでいけば、この作品を充分に愉しむことができるのですが、ふつうの小説に慣れた読者はストーリーを追おうとしてつまずくかもしれません。この小説には展開というものがほとんどなく、随想として語られる内容も小さな断片が時間の順序を無視して回想されるので、知らない他人の故郷への愛着に延々と付き合わされるというもどかしさを感じる人も少なくないと思われます。


アカシアの花にもまさる鮮やかな美

 でも安心してください。最後の数ページが、この作品の読みどころなのです。自殺願望をかかえたまま思い悩んでいた主人公の前に、だしぬけに、のちに夫人となる少女が出現します。そして、アカシアの花にもまさる鮮やかな美が、詩人の筆によって活写されるのです。その文章を皆さんも味わってください。
 『彼は、彼女がゆっくりと歩いて行く後姿を眺めていた。(中略)薄青の細い毛糸で編んだ靴下は、膝の下までで、それと、比較的短かい薄茶色のスカートの間で、白くふくよかな感じのひかがみがちらちらしていた。全体として、すっきりした趣味で、いくらかさびれている広場の中に、ふしぎな花がポッカリ咲いたような感じであった。
 ああ、きみに肉体があるとはふしぎだ!
 彼は自分の胸から不意に湧いてきたその言葉に、たじろいだ。』
 この文章を書いている時、作者の夫人はすでに亡くなっています。失われたものへの愛着が、遠い故郷の風景とともに、この奇蹟のような作品を生み出す原動力になっているのでしょう。
 いま急に思い出したのだけれど、ぼくがぼくの奥さん(まだ生きています)と出会ったのも、大阪の高校にいたころでした。故郷というものをもっと大切にしないといけないと、改めて思いました。


→第七十四回 死と隣り合わせのユーモアへ



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