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三田誠広の小説教室
三田誠広 (みた まさひろ)
1948年、大阪府生まれ。早稲田大学文学部卒業。高校在学中に『Mの世界』で作家デビュー。1977年、『僕って何』で芥川賞を受賞。『いちご同盟』『地に火を放つ者』など著書多数。日本文藝家協会副理事長。武蔵野大学文学部教授。
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【今回の作品】
堀田善衛『広場の孤独』 歴史の転換期に直面した知識人の苦悩


 終戦直後、というような言い方が、いまの若い人に通じるかどうかわかりませんが、ぼくのような昭和生まれの人が「終戦」と言えば、昭和20年の第二次世界大戦の終わりということだと思ってください。広島と長崎に原爆が投下され、三月の東京の空襲では一晩で十万人以上が亡くなったのですから、とてつもなく大きなダメージを日本国民は受けたのですね。ぼくは昭和23年生まれですので、直接の体験はありませんが、物心ついた時には、まだ周囲の至るところに爆撃で破壊された建物の残骸が残っていましたし、母親から戦災の話を繰り返し聞かされました。
 日本は敗戦国として6年間、米軍の統治下に置かれました。平和憲法のもとで日本は平和な国になったのですが、中国では武力革命が起こり、朝鮮半島にはソビエトロシアの侵入がありました。同じ頃、東欧では次々に社会主義国が誕生しました。社会主義国の増加は欧米諸国では大きな脅威と受け止められました。中国の革命軍やロシア軍は、米軍にとっては「敵」だったのですが、日本の知識人の中には、共産主義や社会主義を理念としている人も少なくなかったので、何を「敵」と考えるかは意見の分かれるところでした。
 そういう状況下の新聞社が、この作品の舞台です。冒頭から「敵」という言葉をめぐっての意見の対立が描かれます。文体は三人称でとくに導入部は客観的な視点で描かれているのですが、すぐに視点はある特定の人物に収束します。主人公が見ているもの、感じていることが描かれるようになるので、三人称ではあっても主観的な描写が続きます。日本の私小説に多い、三人称主観小説と見ることができます。


著者自らの経験を活かした社会小説

 堀田善衛の経歴を見ると、昭和22年に世界日報社という小さな新聞社に入社、翌年にはその会社が解散したため、翻訳の仕事などで生活を支えていたのですが、25年に短期間、読売新聞の外報部に勤務しています。この経歴は、作品の主人公と重なっていますので、まさに作者が外報部に勤務していた時のありさまをそのまま描いているように見えます。でもこの作品は、私小説ではありません。太宰治のように自分の弱さに悩んだり、自分のプライバシーをことさらにあばきたてたりするような作風ではないからです。
 この作品は作者自身の体験を踏まえながら、当時の日本が置かれた社会的状況に焦点を合わせたもので、その意味では社会小説といっていいでしょう。作者の経歴が主人公と重なって見えるのは、作品にリアリティーを与えるために、自分が実際に体験した状況を素材として用いたということなのでしょう。ですから作品のテーマは、社会状況そのものということになります。
 ものすごく単純化して言えば、主人公や、その周辺にいる知識人たちは、革命軍やロシア軍を「敵」とは考えられないのですね。しかし新聞社の仕事をしている限りは、それを「敵」として伝えなければならない。そのジレンマが作品の一つのテーマだといっていいでしょう。『広場の孤独』というタイトルも、そういうジレンマから生じた周囲の状況に対する違和感をとらえたものです。
 この作品を読むにあたって気をつけなければならないのは、当時といまとでは、社会状況に大きな隔たりがあるということです。ぼくたちは20世紀の後半に、社会主義国が行き詰まり、やがて崩壊したという事実を知っています。ですから、社会主義を理念としている当時の知識人に接すると、あなたの理念は幻想にすぎないのですよ、と言いたくなってしまいます。この種の作品を、空虚な幻想にとらわれた人物の愚かな苦悩、といったふうにとらえてしまいがちです。


人々が理念を持っていた時代

 でも、ちょっと待ってください。正直に告白しますと、ぼく自身、高校生くらいの時は、社会主義というものを正しいと信じていました。それが、ちょっとおかしい、と感じるようになったのは、大学生になってからです。その頃から、衛星放送も始まりましたし、鮮明なビデオ映像が普及するようになり、閉ざされていた社会主義国のようすが伝えられるようになりました。社会主義国には厳格な言論統制があり、個人の自由が制限されているということもわかってきました。
 もっと決定的だったのは、ロシアや中国や東欧などの社会主義国の国民の生活が、日本よりもはるかに貧しいということがわかったことです。社会主義国は統制経済によって急速に経済成長し、民衆に豊かさをもたらす。その豊かさのためには、言論の自由など、個人的なものをある程度は我慢しなければならないというのが、高校生のぼくが先輩から教えられた理念だったのです。個人の自由がなく、しかも貧しいとなれば、社会主義はもはや理念ではなくなってしまいます。
 しかしこの作品が発表された時点では、そういう問題点はまったく見えていませんでした。ですから、とくに社会主義的な傾向などまったく見られない選考委員たちも、この作品にほぼ満場一致で芥川賞を与えたのです。それに、こういうことも考えてください。いまの日本は、果たして幸福な国だといえるでしょうか。保育所の不足で働きたくても働けない女性がいます。返済義務のある奨学金を受けて大学を出たのに、返済に足るだけの賃金が得られない若者たちがいます。充分な教育を受けられずそのため社会の底辺に沈み込んでしまう人たちもいます。でも、どうしたらいいのか、ぼくはわかりません。皆さんもそうだと思います。
 人が理念をもてた時代が懐かしい。そう感じながらこの作品を読んでいただければ、この作品のすごさがわかると思います。


→第七十二回 見事な文体と問題提起へ



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