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三田誠広の小説教室
三田誠広 (みた まさひろ)
1948年、大阪府生まれ。早稲田大学文学部卒業。高校在学中に『Mの世界』で作家デビュー。1977年、『僕って何』で芥川賞を受賞。『いちご同盟』『地に火を放つ者』など著書多数。日本文藝家協会副理事長。武蔵野大学文学部教授。
三田誠広先生の作品一覧はこちら


【今回の作品】
藤沢周『ブエノスアイレス午前零時』 旅館従業員と盲目の老女の交流を描く


 小説は時間の流れを扱う芸術です。小説の始まりから終わりまで、一定の時間が流れます。登場する人物の人生はもっと長いはずですが、小説がとらえるのは長い人生の一部にすぎません。時にはわずかな一瞬の、人生の断片のようなものをとらえるだけで、一篇の小説が成立することもあります。藤沢周のこの作品は、そういう断片に宿る輝きを描いたものです。
 温泉の熱湯に卵を沈めて温泉卵を作っている旅館の従業員がいます。その卵を茹でている過程が、ゆったりとした時間の流れとともに克明に描かれます。時にはこの男の過去が記憶の中から、断片的なイメージとしてよみがえります。読者はそれらの断片をつなぎあわせることで、主人公の過去を読み解くことができるようになっています。昔は都会の広告会社に勤めていたことや、ハードボイルド小説を好んで読んでいたことや、挫折して生まれ故郷に戻ってきたことなどが、しだいに明らかになります。
 卵を茹でおわった主人公は、旅館の主人に頼まれて、主人と女将のダンス衣装をとりにクリーニング店に向かいます。すると中高年の客を乗せたバスがやってきて、そのバスの中にサングラスの若い女がいることに気づきます。この温泉旅館はスキー場から遠く、若い客はほとんど来ないのですが、時おりダンスをする中高年の団体客がやってきます。ダンスのできる大きなホールがこの旅館の自慢の施設です。客たちがダンスを始めると、主人や女将だけでなく従業員も正装して客の相手をすることになります。
 このあたりまで小説らしい展開はまったくありません。うら寂しい温泉旅館のさえない従業員の日常と、断片的な過去が記されるだけです。主人公は硫黄の臭いがしみついた現在の仕事をうんざりするほどいやな仕事だと思っています。しかもこの主人公、顔もさえないし、とくに何かの特技をもっているわけでもありません。主人公の未来には絶望しかないのですね。


ラストシーンの一瞬の輝き

 そんな主人公の前に、バスの窓の中に見えたサングラスの女が現れます。若い女と思ったのは見間違いで、実際は目の不自由な老婆です。従業員ですから、老婆の案内をして言葉も交わすのですが、老婆はわけのわからないことを言いながら、ブエノスアイレスに連絡をしないといけないと口走ります。どうやら認知症が始まっているようです。老婆には妹がいて、ダンスでもすれば少しは元気になるかと思って連れてきたようですが、目が不自由なのでとてもダンスができるような状態ではありません。
 ここまで読み進んでも、この小説には希望がありません。未来のない従業員と、もっと未来のない老婆という、絶望的な設定が読者の胸に重くのしかかるばかりです。ひどい小説だなと思いながらも、この小説にどんな見せ場がありうるのだろうかと、半分疑いながら結末に向かって読み進むうちに、ついに作品のラストシーンを迎えます。
 とくに善意を発揮したわけでもないのですが、主人公は老婆とダンスをするはめになってしまうのです。盲目で認知症の老婆はダンスをしながら忘我の境地に入っていきます。彼女にとってここはひなびた温泉旅館ではなく、熱狂的なアルゼンチンタンゴが響きわたるブエノスアイレスの真夜中の豪華なホールです。認知症がどこまでも進んでいく未来を失った老婆の、一瞬の輝き。その相手をしている主人公も、その不思議な輝きの中にいる老婆の肉体の存在感を肌で感じることで、奇妙な人生の断片の不思議な味わいをかみしめています。


人物の内面に深入りしない手法

 小説はこの大団円ともカタストロフとも見える一瞬を頂点として、その幻想的な盛り上がりの中で幕を閉じます。そこまでのさえない日常の描写に鬱屈を抱えていた読者にとっても、感動とカタルシスの瞬間がここにあります。小説というものは何とすごいものだという気がするとともに、読み終えてページを閉じると、認知症の老婆とさえない若者が田舎のホールでダンスをしたというだけの話だと気づかされます。そのもの悲しい落差に茫然とするのですが、これは作者によって巧妙に計算された小説の流れに、罠にはまるように乗せられてしまったということなのでしょう。
 その巧みな計算にあざとさを感じた選考委員もいたようですが、この作者の新人ばなれした技巧は、誰もが認めるしかなかったのでしょう。この作品には、学ぶべき技術があります。よーく考えてみると、この作品は主人公の過去の断片をフラッシュバックのようによみがえらせながらも、主人公の内面には深入りしないように努めています。この手法は、主人公もかつて好んだというハードボイルド小説の手法に似ています。ただし、この作品には、フィリップ・マーロウのようなヒーローは出てきません。田舎の温泉旅館のさえない従業員が、認知症の老婆の相手をしてダンスをするという、何とも哀しい設定があるだけなのです。
 そういえば冒頭のシーンで、主人公は宿泊客の朝食用のやわらかい温泉卵を作ったあと、自分の朝食用に固茹で(ハードボイルド)の卵を作ります。ハードボイルドに憧れてはいても、けっしてヒーローにはなれない若者の姿が、鈍くて重い後味を読者の胸の底に残す、これはハードボイルドの裏返しのような作品ではないでしょうか。


→第六十三回 私的な体験から普遍の真理へへ



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