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三田誠広の小説教室
三田誠広 (みた まさひろ)
1948年、大阪府生まれ。早稲田大学文学部卒業。高校在学中に『Mの世界』で作家デビュー。1977年、『僕って何』で芥川賞を受賞。『いちご同盟』『地に火を放つ者』など著書多数。日本文藝家協会副理事長。武蔵野大学文学部教授。
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【今回の作品】
井上靖『闘牛』 敗戦直後の世相と闘牛興行に奔走する男を描く


 井上靖は明治40年生まれ。『風林火山』『天平の甍』などの歴史小説で一世を風靡した、文豪といっていい人物です。北海道生まれですが、軍医をしていた父の転勤によって、父の郷里の伊豆で幼少時代を過ごし、浜松中学から沼津中学に転校、高校は金沢と、各地を転々とします。大学は九州帝国大学で、のちに京都帝国大学に移り、そのころから新聞社の懸賞小説に入選、学生の身分のまま映画のシナリオや、芝居の戯曲を書くようになります。大学卒業後は懸賞小説の縁で新聞社に入り、記者として活躍します。つまり創作者としても、ジャーナリストとしても、すでに実績を積んだ書き手でした。
 もし戦争というものがなく、人々が落ち着いて文学を楽しめる状況であれば、もっと早くプロの書き手として活躍していたことでしょう。この『闘牛』を書いたのは終戦から一年半ほど経過した昭和22年の初春で、11年ぶりの小説の執筆でした。ぼくは昭和23年生まれですから、ぼくが生まれる前にこの作品は書かれていたのですね。太宰治『斜陽』がベストセラーになっていた頃で、文芸雑誌なども徐々に復刊されてはいたのですが、いまのように新人賞に応募してデビューするといったシステムがなかったので、この作品は完成したものの発表の機会がなく、次に書いた『猟銃』佐藤春夫の推薦で昭和24年に文芸誌「文學界」に掲載され、これが好評で、2年以上も埋もれていた『闘牛』がようやく日の目を見ることになりました。そしてこの作品が芥川賞の受賞となったのです。
 芥川賞は新人賞です。いまは各雑誌に新人賞があって、芥川賞はワンランク上の新人賞という位置づけになっていますが、とにかくデビューしたばかりの新人を対象とした文学賞です。井上靖のここまでの経歴を見ると、学生時代に懸賞小説で入選し、その後もシナリオや戯曲を書くなど、すでに新人としてのキャリアは卒業した成熟した書き手だったと見ていいでしょう。ただ戦争のために文芸雑誌の発刊も、芥川賞そのものも中断されていた時期があり、その才能が埋もれたままになっていたのです。『闘牛』の完成度の高さは、すでに新人の域を超えています。ただ歴史小説、大衆小説の書き手として活躍した井上靖の後の作品と比べれば、この作品には純文学の香りがあります。完成度の高さからエンターテインメントとしても楽しく読めるのですが、人物の造形などに文学的な深みがあり、まさに中間小説の絶品といっていいような見事な作品になっています。


戦後の退廃的な世相と主人公の虚無感

 闘牛の話です。といってもスペインの闘牛ではありません。黒毛和牛どうしを闘わせる牛相撲などとも呼ばれるもので、いまでも各地に伝統が残っているのですが、いまのようなテレビで全国の催しが紹介される時代ではないので、四国の牛相撲を甲子園球場で見せたらお客が殺到して大儲けできるのではないかという、山師的なプロモーターと、その企画に乗った弱小夕刊新聞の幹部の、興行を実現するまでのいくぶん怪しい苦労話が、作品の主要なストーリーとして展開されます。これが織物の縦糸だとすると、横糸となるのが、夕刊新聞の編集長をつとめる中年男性のかなり屈折したキャラクターです。ジャーナリストですから、昔は文学青年だったといった印象なのですが、戦争を体験したせいか、かなりふてぶてしい奥の深い人物になっています。
 新聞の売り上げを増やすためには何でもするという、やり手の編集長ですが、心の底には虚無感のようなものがあります。これも戦争というものが影を落としているようですし、すさんだ終戦直後の社会の様相が、主人公の屈折を深めているようにも思われます。家族を山陰の方に疎開させたままにして、亡くなった親友の未亡人を愛人にしている。その女性を愛しているかというとそうでもなく、いやに冷たいのですね。この男には、人生の希望というものがありません。仕事にも、恋愛にも、集中することができません。プロモーターとともに闘牛の興行のために奔走するように見えて、どこか傍観者のように醒めている。こういう人物が、終戦直後にはたくさんいたような気がします。ぼくが大学に入った昭和40年代でも、虚無的な男というのは、むしろかっこいいキャラクターでした。誰もが大宰治に憧れて、熱中できるものが何もないというポーズをとっていると、女の子に評価されたりしたものです。


だらだらとした人間関係と牛の勝負の対比

 さて、闘牛の興行はどうなったかというと、三日間の興行の最初の二日は雨で惨敗。三日目も朝は小雨だったのですが、午後になってようやく雨が止んで、少し人が集まります。横綱級の牛の闘いはなかなかに緊迫していて、観客たちは熱狂するのですが、牛が角を突き合わせるだけでいっこうに勝負がつかないというのが、この牛相撲なのですね。その牛の闘いを見ながら、だらだらと関係を続ける愛人が、主人公をしつこく批判するというクライマックスが、この作品の文学的な山場となっているのですが、こういう男女の繰り言には、結論というものがありません。
 結論が出ないままに、中途半端な状態で小説が終わってしまいそうになるのですが、さすがにのちにエンターテインメントの大家となる井上靖の作品です。男と女の議論には結論は出ないのですが、ここで突然、牛の横綱ががんばって、闘牛の方には決着がついてしまう。この見事なエンディングは読者の意表を衝きますし、だらだらとした人間関係の前に、牛と牛との潔い男の勝負(たぶん牛はオスなのでしょう)が対置されるという構図が新鮮です。まさに中間小説の名作だといっていいでしょう。


→第六十一回 文体の強度とは何かへ



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