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三田誠広の小説教室
三田誠広 (みた まさひろ)
1948年、大阪府生まれ。早稲田大学文学部卒業。高校在学中に『Mの世界』で作家デビュー。1977年、『僕って何』で芥川賞を受賞。『いちご同盟』『地に火を放つ者』など著書多数。日本文藝家協会副理事長。武蔵野大学文学部教授。
三田誠広先生の作品一覧はこちら
三田先生が、具体的に作品をとりあげて、「小説の書き方」を語ります。



【今回の作品】
三木卓『鶸(ひわ)』 少年の視点で敗戦後の苦境を描く


 ぼくは還暦を過ぎた高齢者ですが、戦後生まれです。ですからもちろん戦争を知らないわけですが、父親から戦争の話を聞いたことがありますし、戦争体験者がたくさんいた時代には、テレビドラマなどにも戦争をテーマにしたものがたくさんあって、イメージとしては戦争についてある程度は知っています。でも、最近のテレビや映画では、戦争といっても、ロボットやミュータントの闘いであったり、宇宙人との闘いであったり、要するにリアリティーのないファンタジーであるか、ゲーム感覚のバトルシーンを売り物にするものだったりします。戦争というものは命の危険にさらされるだけでなく、その後に極度の貧困や飢餓がやってきて、地獄のような時期が長く続くものだということは、肝に銘じておいた方がいいでしょう。
 でも戦争の悲惨さというものをつきつけられると、その度に、姿勢を正して真剣に受け止めなければならない、ということが続くと、もういい加減にしてくれと言いたくなることもあります。戦争というテーマから若い人々が目をそらしたくなる気持もわかるように思えます。この作品が世に出たのは1973年、ぼくが大学を卒業した年で、社会に出て就職した年でもありました。そのころには、いずれは専業の作家になりたいと思っていましたから、芥川賞受賞作は必ず読み、選評にも目を通すようにしていましたが、この『鶸』を読んで、また戦争の話か、とうんざりした記憶があります。


中国残留邦人たちの苦境を描く

 これは戦争をテーマにした作品ですが、直接に戦闘や空襲を描いたものではありません。終戦直後の、おそらくは中国東北部と思われる都市を舞台にした、十歳くらいの少年を主人公とした作品です。日本は中国を侵略して植民地としていました。とくに東北部に満州国という独立国を無理に作って、そこに開拓民を送り込んでいました。当時の日本は農地の大半を地主が支配し、農民は小作料を払って耕作していましたので極端な貧困に悩まされていました。大陸に渡れば無限の大地の広がりがあり、誰でも自分の土地がもてるという宣伝に乗せられて、多くの農民が中国に渡ったのですが、敗戦ということになると、軍隊はさっさと逃げてしまい、中国在留の一般の人々だけが取り残されるといった事態になってしまうのです。
 少年の父は民間人ですが、軍に協力したことで戦犯として捕まるのではないかという恐怖から逃亡していたのですが、病気になって戻ってきます。一家の主を失った少年と中学生くらいの兄は、仕方なく闇市で物を売る生活をしているのですが、販売している商品を中国人に略奪されたりして、かえって貧乏になっていきます。しかも病気の父親を助けるためには医者にかかる費用が必要です。少年と兄は死にもの狂いでお金を稼ごうとするのですが、何をやってもうまくいきません。
 そういう泥沼のような貧困状態は、戦争という特殊な状況が生み出したものですから、この作品を読んでいる当時のぼくの周囲にはないものです。ほとんどファンタジーに近いような話にもかかわらず、昔は戦争があり、終戦後の貧困があり、大人も子どもも大変な苦労をしたのだと、戦争を知っている人に言われると、昔は大変だったのだなと、しゅんとなっているしかないのです。


素朴な感動こそ小説の楽しみ

 芥川賞は小説を書く技量を競う一種のコンペです。技量だけを競うのなら、公平な条件でやりたいところですが、そういうわけにいきません。小説は素材を料理してお客さまに読んでいただくものですから、技量よりも素材の魅力の方が勝ってしまう場合があります。戦争体験という素材をもっている大人たちに比べて、当時まだ大学を出たばかりのぼくには、そういう素材がありません。これではどんなにがんばっても負けてしまうと、無念な思いをしたような記憶があります。
 でもいま読み返すと、これはなかなかいい作品です。少年の心情が過不足なく描かれていますし、状況の描写も的確です。読み進むにつれて読者は主人公の少年になったような臨場感を体験するでしょう。小説は立体メガネなどかけなくても、バーチャルリアリティーを体験できる仕掛けなのです。その体験はけっして楽しいものではありません。でも読み終えたあとの、人間というものはどんな状況の中でも生きていくものなのだなという素朴な感動は、ずっしりとした読みごたえとして心の中に残りますし、その後の、自分は平和な時代に生きていてよかったなというややエゴイスティックな思いも、悪いものではありません。
 ラストシーンで、可愛がっていた小鳥を売るようにと兄に詰め寄られた主人公の少年が、思い余って小鳥を握りつぶして殺してしまう場面も、とても悲しく胸の痛むものなのですが、この胸の痛みって、文学の楽しみの一つですから、大切に味わいたいところです。『進撃の巨人』みたいな大げさな装置がなくても、小さな小さな小鳥の命だけでも、人は感動することができるのですし、その悲しみは、ガンダムにもゴジラにも負けないくらいに大きいのです。


→第五十七回 文学的な香りとは何かへ



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