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三田誠広の小説教室
三田誠広 (みた まさひろ)
1948年、大阪府生まれ。早稲田大学文学部卒業。高校在学中に『Mの世界』で作家デビュー。1977年、『僕って何』で芥川賞を受賞。『いちご同盟』『地に火を放つ者』など著書多数。日本文藝家協会副理事長。武蔵野大学文学部教授。
三田誠広先生の作品一覧はこちら
三田先生が、具体的に作品をとりあげて、「小説の書き方」を語ります。



【今回の作品】
遠藤周作『白い人』 人間の心の暗部や醜さを描く


 遠藤周作『狐狸庵閑話』というユーモア・エッセイのシリーズで人気のあった作家です。北杜夫田辺聖子など、エッセイで人気の出る作家は多いのですが、その中でも特筆すべき人気作家でした。インスタントコーヒーのコマーシャルに出ていましたし、竹中直人が人気タレントになった時の最初のギャグが、遠藤周作のモノマネでした。それくらいこの作家は、世間一般にも顔が知られていたのです。
 そんなユーモア作家の一面をもちながらも、遠藤周作はキリスト教をテーマにした、暗くて悲惨な宗教小説の名作をいくつも遺しています。表と裏のある人物というのは、こういう人のことではないでしょうか。もちろんよい意味で、ということなのですが。
 第二次世界大戦というものについて、若い人がどれだけの認識をもっているのか、ぼくにはわかりません。広島と長崎の原爆投下や、東京の大空襲など、被害者としてのイメージしかもっていない人が多いのかもしれませんが、日本は明らかに加害者でした。アジア諸国を軍事力で侵略をしたことは事実です。さらに、ドイツとイタリアというファシズムの国と同盟を結んでいたということも、拭いきれない汚点というしかありません。ことにドイツはユダヤ人を大量虐殺しました。そのドイツと同盟したということは、その時代に生まれていなかった人間(ぼくだって戦後生まれです)にとっても、胸に刻み込んでおくべき過去の歴史だと思います。


キリスト者としての問いかけ

 この作品の舞台はフランスです。侵略してきたドイツによって占領されていた時期に、そのドイツに協力していたフランス人が主人公です。この人物はただドイツに協力していたというだけではなく、人間としてもいびつなところをもっている、変質的な人物で、しかもひどく醜い外観をしています。小説の主人公としては最も不適格なキャラクターなのですが、あえてこういう人物を主人公にして小説を書いた遠藤周作には、それなりの野心があったのでしょう。
 暗い小説です。人間の醜い側面を意図的に強調したようなところがあって、やりきれない気分になる作品なのですが、その背景には、作者の人間というものに対する深い洞察と、愛といったものがあるのかなという気がします。作者はカトリックの信者です。もっとも日本人ですから、日本の神社にも行ったりしていたようですが、遠藤周作はキリスト教というものを自分の生涯のテーマにしようとして作家になったところがあるので、このひどく暗い作品にも、キリスト者としての問いかけがあるのだと思われます。
 この世界は神が創造した。それがキリスト教の前提です。全知全能の神、人間に対して無償の愛をなげかける神、そして人間の救済のためにイエス・キリストという救世主を使わした神……。その神が創造した世界に、こんなに醜い人間が存在していいのだろうか。この問いかけには、ユダヤ人を虐殺したドイツ人や、日本に原爆を落としたアメリカ人、あるいは日本国民を勝算のない悲惨な戦争に駆り立てた日本の軍部、といったさまざまなものに対する問いかけがあるのだと思います。


まったく親しみがもてない主人公

 とても観念的な作品です。観念だけで書いているといってもいいでしょう。いまこのような作品が出現したら、どのように評価されるかというのは気になるところですが、作品というものは時代の流れに沿って生み出されるものですから、終戦からあまり年月の経っていない時期の秀作として、とりあえずは時代背景を考えながら読むといいと思います。すごい作品です。何がすごいかというと……。
 とにかく主人公が、いびつなのですね。エンターテインメントの作品には、悪いやつだけど憎めないところがある、といったキャラクターがよく登場するのですが、この作品の主人公は、愛すべきところがまったくなく、とにかく早く忘れてしまいたいと思うほどの歪んだ人物なのです。しかしながら、作品を読み進むにつれて、この観念だけで書いたような小説に、息の詰まるようなリアリティーを感じてしまいます。もちろん、フランスが舞台ですから、風景にも人物にもまったく親しみがもてないのですが、これを書いている作家はまぎれもない日本人なのですし、日本の作家が、フランスを舞台にして、これほど緻密に構成された恐るべき作品を書いたということに、衝撃を感じてしまいます。
 この作品は選考委員たちに高く評価されました。日本の私小説みたいなものに慣れた委員の中からは、これは直木賞向きではないかという意見が出されたり、今回は受賞者なしにしようといった声もあったりしたようですが、候補作の中では群を抜いた作品であるという点では、多くの委員が一致していたようです。芥川賞の歴史は長く、その時代によって、多様な作品が選ばれてきたのですが、この『白い人』がその歴史の中に刻まれているということは、芥川賞の多様さ、日本文学の奥深さを示したものといえるでしょう。
 でも、正直な感想をいえば、読むのがつらい作品です。でも、文学を愛し、文学のすべてを受け容れたいと思う読者にとっては、避けては通れない作品だと思います。文学というものは、本来は楽しいものですが、時にはにがく、呑み込むのがつらいような作品もあるのです。この作品を読み終えたあとには、口直しに、『アナと雪の女王』のビデオでも見るといいと思います。


→第五十一回 社会的なテーマを描くということへ



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