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三田誠広の小説教室
三田誠広 (みた まさひろ)
1948年、大阪府生まれ。早稲田大学文学部卒業。高校在学中に『Mの世界』で作家デビュー。1977年、『僕って何』で芥川賞を受賞。『いちご同盟』『地に火を放つ者』など著書多数。日本文藝家協会副理事長。武蔵野大学文学部教授。
三田誠広先生の作品一覧はこちら
三田先生が、具体的に作品をとりあげて、「小説の書き方」を語ります。



【今回の作品】
三浦哲郎『忍ぶ川』 貧窮の中に結ばれた夫婦の愛を描く


 三浦哲郎は短篇の名手と言われています。短い文章を、抑え気味につなげて、明るさの中に暗さを仕込んでいく、技巧派の作家なのです。もう一つの特色は、私小説だけど、自虐的ではないということ。戦前の私小説は、田舎の地主の次男が東京に出てきて、酒と女に身をもちくずすといった話が多かったように思います。太宰治はその代表ですね。三浦哲郎は自虐とは無縁の作家です。崩れないし、迷いもしない。それは作者が引きずっている暗さが、自分に起因するものではないからです。作者がかかえているのは、血筋という、自分ではどうすることもできない問題です。その宿命ともいえる問題と闘いながら、前向きに生きようとする人物、これが三浦文学の主人公で、三浦哲郎自身なのです。
 その血筋の問題とは、どんなものか。六人兄弟の末っ子に生まれた主人公には、三人の姉と、二人の兄があります。この作品ではその全体が明らかにされているわけではないのですが、姉二人は自殺しています。残った姉も病をかかえている。その病というのは簡単に言うと、生まれつき色素が欠乏している遺伝病です。色素がないので色白を通り越して、異様に蒼白い感じです。服を着て、髪を染め、顔に化粧をしていれば目立たないのですが、目だけは隠せません。黒くあるべき瞳に色素がないのでつねにサングラスをかけていないといけない。まあ、そういう女性です。遺伝病だということが明らかなので、結婚には支障が出てきます。健常者の男兄弟も、遺伝子を潜在的にもっている可能性があります。一族のすべてが、この病を宿命のように背負うことになります。で、長兄は自殺し、次兄は失踪している。これが主人公の境遇です。


時間軸をどのようにずらして書くか

 そういう一族の末っ子は、早稲田の学生ですが、学生寮の近くにある「忍ぶ川」という料亭の看板娘に一目惚れします。勇気を奮って付き合ううちに、彼女も不幸な生い立ちをかかえていることがわかります。それで彼女が子どもの頃に住んでいた州崎という遊郭のあった街を訪ねるついでに、失踪した次兄と最後に会った木場という材木を扱う街に寄る。小説はここから始まります。最初に、三浦哲郎は短篇の名手だということを言いましたが、芥川賞を受賞しているくらいですから、この作品は三浦さんの初期作品です。読んでいただければわかると思いますが、小説のうまい人は、若い頃からうまい。そして、若い頃から技巧派だということもわかります。わたしはすでに、この作品がかかえている問題の全体像をお話ししました。これだけの材料があるとして、あなたなら、どこから話を始めるでしょうか。ぼくならたぶん、姉が自殺するところから話を始めるでしょうね。第一の衝撃はそこです。それでもう一人の姉が自殺して、次に長兄が自殺する。そうやって次々に人を殺していって、次兄の失踪を描く。そんなふうに生い立ちを時間軸に沿って描いていくのがふつうのやり方です。
 でも、深川から木場、州崎と、知り合って間もない男女が散歩するところから話を始めるのですね。それから話は過去に戻り、初対面の料亭にシーンになる。こんなふうに時間を逆転させるところに、作者の技巧が発揮されます。無理に結婚させられそうなやつがいたのですが、主人公はそいつを押しのけて、相手の女性の父親の臨終に、新しい婚約者として挨拶に行きます。それから入籍して、主人公の故郷の東北地方で祝言を挙げる。ここにサングラスをかけた姉が出てきます。それに関連して、この一族がかかえている血筋の問題が明らかにされていきます。小説の技巧とは、時間軸をどのようにずらして書くかということに尽きます。もっている材料を時間どおりに配列するのは簡単ですが、それでは印象的な小説になりません。作家は描くべき物語を時間ごとに細分化したカードをもっていて、それを一枚ずつめくっていくのですが、時間どおりにめくらずに、わざと時間を前後させながらめくっていきます。そして重要なカードは、切り札として、中盤くらいまでは隠しておく。この作品でも、一族の宿命が明かされるのは、物語の後半に入ってからです。


純文学には深さがある

 ミステリーの場合は切り札を最後まで隠しておくのですが、この作品では切り札を出したあとに展開があります。それが新婚初夜の場面です。このあたりは思いきり明るく美しく書かれているので、鈍感な読者はそのまま通り過ぎて、何だ、つまらないハッピーエンドの純愛小説じゃないか、と思ったりします。とんでもないことです。このような遺伝病の場合、女性だけが発病するのだとしても、男性の体内にも潜在的な遺伝子がひそんでいることがあるのです。ですから結婚したあと、娘が病をかかえて生まれてくるかもしれないのです。それを承知で、ヒロインは新婚初夜を迎えます。作者は暗さを極力抑えて、明るく書いているのですが、夫も妻も、見えない恐怖におびえているのです。
 この作品は一泊だけの新婚旅行に出て、列車の窓から主人公の実家が見えた時、妻が「あたしのうち」と言うところで終わります。妻が夫の宿命を自分も背負うという、高らかな宣言のシーンなのですが、たぶん鈍感な読者は、列車の窓から夫の実家が見えただけで喜んでいる無邪気な女としか感じないでしょう。純文学には深さがあります。その深さに鈍感な人には、文学の味わいがわからないのです。そういう人は、一生バズドラでもして遊んでいればいいのです。
 この作品は私小説の短篇です。私小説というものは、作者の実体験をもとにしていますから、すべてがつながっている大長篇のようなものです。その後、作者には、三人の娘が生まれます。これはとてもスリリングなことです。どうでしょうか。三浦哲郎の作品を全部読んでみたくなったのではありませんか。


→第四十八回 不思議な名作を味わってみようへ



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