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三田誠広の小説教室
三田誠広 (みた まさひろ)
1948年、大阪府生まれ。早稲田大学文学部卒業。高校在学中に『Mの世界』で作家デビュー。1977年、『僕って何』で芥川賞を受賞。『いちご同盟』『地に火を放つ者』など著書多数。日本文藝家協会副理事長。武蔵野大学文学部教授。
三田誠広先生の作品一覧はこちら
三田先生が、具体的に作品をとりあげて、「小説の書き方」を語ります。



【今回の作品】
郷静子『れくいえむ』 軍国少女の青春を描いた反戦小説


 この作品が芥川賞を受賞した1972年は、札幌で冬季オリンピックが開かれた年ですが、他にもいろんなことが起こったように思います。ざっと思い返しても、沖縄返還があったし、連合赤軍あさま山荘事件が起こったし、川端康成が自殺した年でもあったのですね。その前年の年末に円の切り上げがあって、ドルショックがじわじわと広がり、その翌年には第4次中東戦争による石油ショックが広がるということで、日本経済が大きな曲がり角に来ていた時期でもあったのです。ぼくの自分史では、大学の5年生で、卒業を控えながら、就職活動もせずに小説を書いていたのですが、長男が生まれるということがわかって、これは就職するしかないかと思い始めていた時期でもあった。そんな時期に、この作品が芥川賞をとったのですね。何だか、強いショックを受けた記憶があります。
 学生運動のブームは去っていました。全共闘のバリケードの中にいた友人たちも、就職活動を始めていて、小説家になるという夢を捨てきれなかったぼくは、作品を書こうともがいていたのですが、何を書いたらいいのかもわからず、スランプ状態になっていました。文壇に若手作家は現れず、文学は衰退の方向に向かうのではないかといわれていた時期です。そんな時に、この作品が現れたのです。表現はよくないのですが、何かとんでもなくピュアなものに足もとをすくわれた感じがしました。こういう真面目でストレートな作品には、とてもかなわないという気がしたのです。すごいと思ったし、くやしかった。


文学としての重み

 戦争の話です。ぼくが生まれる前の戦争ですね。第二次世界大戦とも太平洋戦争とも呼ばれる、日本が負けたあの戦争を、当時の女学生の立場から描いています。小説というよりも、体験手記といった感じの作品です。いまから振り返ると、最初から負けるとわかっていた戦争でした。原爆や東京大空襲のような惨事を知っているぼくたちから見れば、戦争というのは悲惨なものだという認識しかないのですが、戦争をやっている当時の女学生は、まだ空襲を受けたわけではないし、負けるとも思っていないので、単純に軍国主義を受け容れてしまっている。そして兵隊さんご苦労さん、自分たちも銃後のつとめを果たさなければならないと、信じきっている。そのピュアな感じが、とても怖いのです。
 その怖さを、作者は痛憤とともに語っています。戦争はよくない、ということなら、誰でも語れます。しかし戦争が現に起こっている社会では、むしろ多くの人々が好戦的になり、戦争を礼賛してしまったりするのです。とくに若者たちは、心の底から戦争を支持し、軍国主義に染まってしまう。その反省をまじえながら、過去の自分を切り刻むようにして、作者はこの作品を書いたのだろうと思います。
 ぼくはもう小説を書き始めていましたから、ある程度、文学を読み込んでいて、自分なりの方法論、技術論みたいなものももっていました。はっきり言って、技術的に見れば、この作品の完成度は高くないと思いました。文章も下手だと感じました。それでも、事実の重みと、作者が抱いている胸の痛みは本物だし、それは文学としての重みにつながっていて、とてもかなわないという気がしたのです。こういう作品が芥川賞の候補として出てきたら、とても太刀打ちできないだろうなと思いました。郷静子という作家は、この作品を残して、文壇の日の当たるところからはすぐに消えてしまいました。どうしてもこのことを世の中に訴えたいという、強いモチベーションが感じられる作品ですが、その訴えが世に出てしまえば、それでもう充分に満足して、次々に作品を書き続けるといったスタンスは、最初からもっていなかったのだろうと思います。


作者の執念が読者の胸を打つ

 芥川賞の世界には、時にこの種の強いモチベーションをもった作家が登場します。口の悪い評論家は、一発屋とか、賞狙いの当て込みであるとか、そんな批判をするのだけれども、たった一作でも、世に出すことができれば、それでいいじゃないですか。どうしてもこれを書きたいという、強いモチベーションがあれば、必ず人の胸を打つ。これは動かしがたい真実ではないでしょうか。もちろん、女学生として戦争を体験した人は、たくさんいます。その中で、郷静子さんだけが、このすごい作品を書き、芥川賞を受賞したのですから、その執念のような持続力は、まったくすごいものだと思います。とにかく皆さんにも、その執念のようなものを感じていただきたいと思いますし、また、何となく、世界に緊張感が走っているいまだからこそ、改めてこの作品の意味についても、じっくり考えてほしいと思います。
 戦争に負けたために、日本は「平和憲法」というものを設定しました。これは戦勝国のアメリカに押しつけられた憲法でもあるのですが、日本人は長く、もう絶対に戦争をしないということを心に誓って生きてきました。でもその平和憲法を、見直そうという動きが起こっています。この『れくいえむ』(鎮魂歌という意味です)を書いた郷静子さんの執念のような思いを、平成生まれの読者にも感じとっていただきたいと思います。考えてみれば、今年(2015年)は、終戦から70年目の年なのですね。


→第四十五回 私小説の不思議な輝きへ



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