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三田誠広の小説教室
三田誠広 (みた まさひろ)
1948年、大阪府生まれ。早稲田大学文学部卒業。高校在学中に『Mの世界』で作家デビュー。1977年、『僕って何』で芥川賞を受賞。『いちご同盟』『地に火を放つ者』など著書多数。日本文藝家協会副理事長。武蔵野大学文学部教授。
三田誠広先生の作品一覧はこちら
三田先生が、具体的に作品をとりあげて、「小説の書き方」を語ります。



【今回の作品】
生島治郎『追いつめる』 ハードボイルドを日本に開花させた作品


 ハードボイルドという言葉があります。小説のジャンルとして、いまでは定着している一つのスタイルなのですが、でも、固くゆでた玉子って、何なのでしょうね。ゆですぎたたまごは、白身が固く、黄身もぱさぱさしていて、おいしいとはいえないのですが、その固ゆで玉子みたいな生き方とか、固ゆで玉子みたいな文体とか、そういうものがある種の魅力をもっていることは確かです。
 1920年代、タフで非情で孤独な主人公が、単身で巨大な犯罪組織と闘う、といったややパターン化した小説がトレンドになったことがあります。ダシール・ハメット『マルタの鷹』とか、レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』などが代表作とされていて、映画化されている作品も多く、その亜流ともいえる作家や脚本家たちが、映画やテレビのシリーズを書いていますので、いまでは似たよう作品がいくらでもあります。
 特徴的なのは、主人公が孤独だということです。何か事情があって妻子と別れていたり、最初から天涯孤独だったりということで、家族もなければ、親もいないという境遇なのですが、それなりの生き方のスタイルをもっているし、あまり大げさなことは言わないのですが、心の中には正義感とか、友情とか、人に対する優しさみたいなものももっているのです。しかし彼らは寡黙だし、少し照れ屋なところがあって、表面的には非情な男を装っている。そんなテレビドラマは、いまではどこにでもころがっています。


読者があこがれる主人公の生き方

 でも、日本にその種のスタイルの作品を根付かせたのは、生島治郎の功績だといっていいのです。生島治郎は日本のハードボイルド小説の先駆者ですし、功労者といっていい作家です。最初は海外小説を紹介する雑誌の編集者でした。それから翻訳を手がけるようになり、やがて日本を舞台にしたオリジナルの作品を描き始めました。今回ご紹介する『追いつめる』も、神戸が舞台になっています。
 事情があって退職した元刑事が、妻子とも別れて、ひとりきりの寂しい生活をしています。彼には義憤があります。どうしても許すことのできない巨大な悪の組織があって、その巨大組織に、単身で闘いを挑む。孤独な男の義侠心とか、ダンディズムとか、そういう男のモラルといったものが、作品の中心にあるので、ふつうのミステリーのように、謎解きには重点が置かれていません。
 生きていく上でのモラル、いかに生きるべきかの指針、そういったものが、現実のぼくたちの生活からは、すでに失われてしまっているような気もします。展開されるストーリーはヤクザの抗争であったり、ささやかな暴力事件だったりするですが、それでも読み終えたあとに、あるいはこの種の作品を原作として映画やドラマを見終えたあとに、すがすがしさのようなものを感じるのではないかと思います。
 それで、ほんの一瞬なのですが、自分もこんな男のように生きたい、と思ったりもするのですが、ぼくは暴力はきらいですし、一人で巨大な組織を相手に闘う勇気もありません。書かれている世界はファンタジーの対極と言ってもいい、どろどろとしたリアルな世界なのですが、これもまた一種のファンタジー、男の夢、みたいなものなのかもしれません。
 ぼくは男と女というものを区別したくないと思っていますし、男というものにこだわるつもりもないのですが、でもこの種の作品に接すると、自分には真似ができないけれども、男っていいものだなと思ってしまいます。


わくわくするストーリーと、ずっしりと重いモラル

 生島治郎という作家が直木賞を授賞して、作品がヒットしたことによって、ハードボイルドという小説のジャンルが、日本にもしっかりと根を下ろしました。すでにハメットやチャンドラーの作品は映画化されて、日本にもファンはいたのですが、それは西部劇を見るのと同じようなもので、日本とは関係のない夢物語だと思われていたものが、生島治郎によって、神戸の街と、日本のヤクザに置き換えられ、考えてみれば日本にも武士道みたいなモラルがあって、義のために孤独に闘う人物像みたいなものが昔からあったことに気づかされたのです。
 生島治郎以前にも、大藪春彦など、ハードボイルド的な作品を書く作家がいなかったわけではないのですが、この作品が直木賞を授賞するということが、一つのエポックとなったことはまちがいありません。とにかくこの作品を読んでみると、わくわくするようなストーリー展開と同時に、ずっしりと重いモラルのようなものがあって、強いインパクトを感じます。描かれている世界は、50年前くらいの世界なのですが、作品そのものは少しも古びていません。
 いまは中国ものを書いている北方謙三もハードボイルドでデビューしたのですし、大沢在昌「新宿鮫」シリーズなども、ハードボイルドを日本に定着させた名作と言っていいのですが、その出発点に生島治郎がいたことは、忘れてならないことだと思います。まあ、冷静に見れば、男のダンディズムなんて、一人よがりの幻想なのかもしれませんが、でも作品を読んでいる間だけ、その夢のような世界にひたっているというのも、なかなかに楽しい体験だと思います。


→第三十六回 私小説の心地よさへ



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