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三田誠広の小説教室
三田誠広 (みた まさひろ)
1948年、大阪府生まれ。早稲田大学文学部卒業。高校在学中に『Mの世界』で作家デビュー。1977年、『僕って何』で芥川賞を受賞。『いちご同盟』『地に火を放つ者』など著書多数。日本文藝家協会副理事長。武蔵野大学文学部教授。
三田誠広先生の作品一覧はこちら
三田先生が、具体的に作品をとりあげて、「小説の書き方」を語ります。



【今回の作品】
小川洋子『妊娠カレンダー』 妊娠した姉を見つめる妹の悪意の日記


 芥川賞が150回目になったということで(ぼくがもらったのは77回目なので途方もない昔という感じがする)文芸誌『文學界』が特集を組んでいました。そこには小川洋子さんの、授賞式の夜の想い出を書いたエッセーが掲載されているのですね。まず授賞式(ホテルの宴会場)に着ていくドレスの話とか、当日、たくさんの人と話をしてたくさんの名刺をもらった話が綴られ、やがてパーティーが終わると、担当編集者とともに二次会に向かう、といった話になるのですが、このあたりまでは、まあ、ごくふつうのエッセーだという気がしますし、ぼくもエッセーだと思って読んでいたのです。
 ところが、夜の街を行けども行けども、二次会の会場にはたどりつけないのですね。高架の下をくぐり、橋を渡り、しだいに街はずれのような寂しい場所に出てしまいます。頼みの担当編集者はいつの間にかいなくなり、靴は脱げ、やがて強い風にドレスまで吹き飛ばされてしまう……。そこまで読むと、さすがにこれはリアルな話ではないと気づくのですが、でもこれは小説ではなく、エッセー欄に掲載されたもので、小川さんはエッセーの注文を受け、これはエッセーですよといった感じで書いているので、こちらは完全にトリックに引っかかってしまいました。


読者を不思議な世界に誘い込んでいく

 彼女は一筋縄ではいかない作家です。エッセー欄に書いているのに、途中からエッセーではなくなって、幻想小説になっていくのです。幻想というよりも、これは当時の作家としての心細さを、一つのたとえ話として描いたものでしょう。二次会にたどりつけないというのはフィクションなのですが、その心細さは本物です。
 実際の話としては、彼女は担当編集者とともに二次会の会場に行ったはずです。おそらくそこには、知り合いの編集者とか、文壇関係者がいたのだろうと思いますが、芥川賞をもらっても、これから作品が書き続けられるだろうかと不安な気持ちになっている受賞者にとっては、知らない人ばかりの場所に放り込まれ、孤立無援という感じがしたのではないでしょうか。
 その心細い気持ちを、どこまで行っても二次会の会場にたどりつけないという架空の物語に変換する。エッセーのように見せて、読者をいつの間にか幻想の世界に誘い込んでしまう、いかにも小川さんらしい手法が効果を発揮している文章だと思いました。
 前置きが長くなりましたが、小川洋子というのはそういう作家なのですね。とてつもないファンタジーではなく、ふつうのリアリズム小説のような感じで話が始まるのですが、いつの間にか現実にはありえない不思議な領域に読者を誘い込んでしまう。これが小川洋子のスタイルなのです。そのことを知らずに彼女の作品を読み始めると、読者は迷宮の中に引き込まれてしまうことになります。


候補作〜受賞作までを読んでみる

 さて、今回の受賞作、『妊娠カレンダー』ですが、これは姉夫婦といっしょに暮らしている妹の手記、といった感じで話が始まります。妊娠した姉が、病院に行って妊娠を確認し、そのうちつわりが始まって姉は何も食べられなくなり、やがてつわりが終わると姉は大食いになって肥満し始める……。そんな日常の細部が淡々と書かれているだけなのですが、こうした細部の描写がしだいに奇妙な方向にずれこんでいきます。いつもの小川さんの手法です。するとすべての登場人物に現実感がなくなり、人が妊娠して子どもを生むという当たり前のことが、何かしらとても奇妙な営為であると感じられるようになる。ものすごく気味の悪い読後感が残ってしまう。文学というものは、まったく、たちが悪いものなのですね。
 小川さんは4回目の候補で受賞に到ったのですが、初めのころは、選考委員がこの小川さんの手法に慣れず、よくわかっていなかったのだと思います。何か変な話だな、というくらいの印象で、落選という判断が下されていたようです。それでも回を重ねるうちに、しだいにこの奇妙な手法の味わいが選考委員の胸をえぐり始めたのだろうと思います。彼女の作品は淡々としていて、一見するとごくふつうの話のように見えながら、さりげなく猛毒みたいなものが仕掛けられているという感じがします。その毒がじわじわと選考委員をむしばんでいって、この作品でついにブレイクしたのでしょう。
 そこで今回だけは、読者にこうアドバイスしたいと思います。小川洋子の魅力は、一作だけではわかりません。他の作品と併せて読んでいただきたいと思います。代表作とされる『博士の愛した数式』を読むのもいいのですが、芥川賞の候補になりながら落選した3作(「完璧な病室」「ダイヴィングプール」「冷めない紅茶」、すべて中央公論新社刊『完璧な病室』所収)と、受賞したこの作品を続けて読んでみると、彼女の魅力が伝わると思いますし、芥川賞までの流れがよくわかるのではないかと思います。


→第二十四回 事実と真実の重みへ



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