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三田誠広の小説教室
三田誠広 (みた まさひろ)
1948年、大阪府生まれ。早稲田大学文学部卒業。高校在学中に『Mの世界』で作家デビュー。1977年、『僕って何』で芥川賞を受賞。『いちご同盟』『地に火を放つ者』など著書多数。日本文藝家協会副理事長。武蔵野大学文学部教授。
三田誠広先生の作品一覧はこちら
三田先生が、具体的に作品をとりあげて、「小説の書き方」を語ります。



【今回の作品】
青山七恵『ひとり日和』 都会に住む若者の孤独を叙情的に描いた作品


 アルバイトで生活している二十歳の女の子の一年間の日常を描いた作品です。どういうわけか遠縁の老婆の家に住み込んでいるのですね。場所は京王線の郊外の駅の近く。駅から老婆の家が見えているのですが、改札口から出ていくと少し遠回りになる。だから駅前の家とも言いがたいのですが、でもまあ、便利なところにある家ですね。駅名は書いてないのですが、家から環八(東京の外周道路)に徒歩で行く場面があるのと、駅が高架でないというところから、芦花公園駅かなと思います。
 芦花公園駅というと、世田谷文学館があって、ぼくは応募原稿の審査員をやっているので、時々、この駅を利用します。だから何だか懐かしい気がして親しみを感じました。ファンタジーやミステリーを読み慣れた人から見ると、この作品はストーリーがないと感じられることでしょう。事件は起こらないし危機が迫っているわけでもない。解くべき謎もなく、見つけなければならない宝物もない。まあ、謎といえば、人生って何だろうとか、人は何のために生きるのかといった、大問題が陰にひそんでいる気もするのですが、とくにそうした問題について悩むわけでもなく、もちろん読み終わっても謎が解けるわけではありません。
 一昔前に、アメリカにミニマリズムというトレンドがあって、若者の何気ない日常を丹念に描いた作品がブームになっていた時期があります。まだ若かったぼくが、そういう作品を読んで感じたのは、アメリカの若者って、おしゃれだな、といったことです。だって、アンナミラーズなんかでランチを食べているのですね。日本にファミレスがなかった時代でした。いまだとガストでランチ、なんていうとちょっとしょぼい感じがしますが、当時としては、その種のファミレスがおしゃれに見えたのです。


ふつうの若者の日常生活

 この『ひとり日和』という作品は、おしゃれではありませんが、ことさらにしょぼい生活を描いたものでもありません。ごくふつうの若者の日常生活を描いたものです。でもふつうでないところもあります。実家で親といっしょに暮らすわけではなく、ひとり暮らしでもない。遠縁の婆さんとの共同生活というところが、ちょっとふつうではないのですね。親から干渉されることはないけれども、完全にひとりきりで生きているわけでもない。この中途半端な状況設定がこの作品のくふうだろうと思いますし、タイトルの「日和」というのも、完全にひとりきりではない、ぬるま湯のような感じを示しているのだと思います。このお婆ちゃん(七十一歳)のキャラクターがなかなかいいのですが、ぼく自身が高齢者と呼ばれる年齢なので(まだ六十歳代ですが)、この人を老女ととらえることには抵抗があります。
 二十歳のヒロインは学生ではありません。アルバイトをしていて、作品の最後の方では正社員を目指して就職のことを考えるようになります。でも仕事を生きがいにするとか、そういうわけでもないのですね。つまり、人生の目標というものが見えてこないのですが、人生に目標なんてあるのかないのか、よくわかりませんから、この女の子のような人が、ふつうなのかなと思います。わたしが日々接している学生さんも似たようなものだと思うのですが、学校という場所があると、もっとどろんとしたぬるま湯のようなものがあって、このヒロインのような、キリッとした感じは出てこないのかもしれません。
 そうなんですね。この子は、キリッとしているのです。どこがキリッとしているか、よくはわからないのですが、この本を読み、ほぼ一年の年月を経過するこの子の日常生活につきあってみると、ちょっとふつうではないキリッとした感じが伝わってきます。そこがいいのでしょうね。そこが文学なのでしょう。だから芥川賞です。でも多くの読者は、何でこれが文学なの、こんなので芥川賞もらえるの、とキツネにつままれたような感じになると思います。とくにファンタジー好きの読者は、ぜーんぜんわかんない、といった感想をもつのではないかと思います。


現実をしっかりと見つめる

 ファンタジー好きの人は、ジェットコースターも好きだと思います。現実から目をそらして、ちょっとだけ目まいを感じる。それが読書の楽しみだと思っている人は多いでしょう。芥川賞受賞作にも、ちょっとだけファンタジーとか、ちょっとだけ目まい、という作品は少なくないのですが、それらの作品は前提として、しっかりとした現実を見つめた上で、ちょっとだけファンタジーの領域に入っていくようになっています。最初から丸ごとファンタジーというようなものは、まあ、文学からは遠い世界です。スマホでパズドラでもやっていた方がましみたいなものですね。
 現実をしっかりと見つめる。文学はそこから始まります。目をそらしてはいけないのです。最初から目まいを求めるのではなく、ありきたりでつまらない現実をしっかりと見つめる。そこから蛇を踏んでもいい(『蛇を踏む』川上弘美)のですし、犬みたいな同居人が現れても(『犬婿入り』多和田葉子)いいのです。今回のこの作品は、蛇も犬も現れません。ヒロインがちょっとだけ思いを寄せる男性が、現れては消えていきます。恋愛小説でもないのですね。淡くて、ちょっと寂しくて、あとからじわっとせつなくなるような、そんな読後感が残ります。いい作品ですね。何度もくりかえし読んでみるといいと思います。


→第二十三回 静かで穏やかな悪夢の世界へ



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