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三田誠広の小説教室
三田誠広 (みた まさひろ)
1948年、大阪府生まれ。早稲田大学文学部卒業。高校在学中に『Mの世界』で作家デビュー。1977年、『僕って何』で芥川賞を受賞。『いちご同盟』『地に火を放つ者』など著書多数。日本文藝家協会副理事長。武蔵野大学文学部教授。
三田誠広先生の作品一覧はこちら
三田先生が、具体的に作品をとりあげて、「小説の書き方」を語ります。



【今回の作品】
笙野頼子『タイムスリップ・コンビナート』 妄想と現実の連鎖を饒舌に描いた作品


 芥川賞を設立した作家の菊池寛は東京大学で芥川龍之介の友人でした。芥川は学生作家としてデビューし、当時の文壇の大御所だった夏目漱石に絶賛されて、たちまち大スターとなったのですが、菊池は友人に頼まれて盗品のマントを質入れしたのがバレて退学となり、京都大学に入り直すことになりました。人生の出発点で明暗を分けた芥川と菊池でしたが、早熟の天才だった芥川はやがて孤立していくことになります。当時は無頼派の私小説とプロレタリア文学と呼ばれた社会小説が二大潮流となっていて、幻想的な作風の芥川は孤独だったのですね。もうちょっとがんばっていれば川端康成谷崎潤一郎などが幻想小説の新たな潮流を作ることになるのですが、がんばりきれなかった芥川は自殺してしまいました。その反対に菊池寛は大衆小説の人気作家となり、その勢いで『文藝春秋』を発刊して文芸ジャーナリズムの盟主となります。そこで設立されたのが純文学の新人を育てる芥川賞です。この芥川賞と、ついでに設立された大衆小説の作家のための直木賞は、その後、現在まで続く新人作家の登竜門になっています。
 芥川賞を受賞すると作者は有名人になり、受賞作はベストセラーになります。選考委員は公平に選考しているはずなのですが、候補作を選ぶのは文芸誌『文學界』の編集者など文藝春秋の社員なので、何となく『文學界』に掲載された作品が優遇されるのではないかと、ライバルの文芸誌の編集者が、やっかんでぶつぶつ文句を言う、というようなことがあったのかなかったのか知りませんが、ライバル文芸出版社の講談社と新潮社が、第二、第三の芥川賞ともいうべき賞を設立しました。野間文芸新人賞と三島由紀夫賞です。設立当初は芥川賞と同格ということになっていたのですが、歴史と伝統に大きな差があることから、芥川賞より少し格下の新人賞というランクづけになってしまいました。先に芥川賞をとってしまうと、他の二つの賞はもらえないのですね。


ありえない展開を押し切る力

 笙野頼子『極楽』という奇妙な幻想小説で群像新人賞を受賞してデビューしたのですがその後長く低迷していました。幻想小説というものは文壇ではあんまりウケないのです。ところが破れかぶれになって書き始めた幻想的無頼派私小説とでもいうべき新たな手法の作品が高く評価されて、やがて『なにもしていない』で野間新人賞、『二百回忌』で三島賞、そして『タイムスリップ・コンビナート』で芥川賞と、新人賞を三つともとってしまったのですね。ちなみに彼女は初代三冠王です。それ以後も三冠王になったのは鹿島田真希さんだけですから、この新人賞三冠王というのはめったにない快挙なのです。野間新人賞か三島賞のどちらかをとった作家が芥川賞をとるというのはよくあるケースなのですが、三つとも貰うというのは、逆にいえば、いつまでたってもメジャーになれず新人扱いされるということなので、喜んでもいられないのです。
 笙野頼子はいまでこそマジックリアリズムとかアヴァンポップとか、外国の文芸思潮の流れに位置づけられて高く評価されていますが、新人のころになかなか評価されなかったのは、要するに読んでもわからない難解な小説だからです。とりあえずこの芥川賞受賞作を読んでみてください。ヒロインの中年女性にマグロから電話がかかってきてJRの海芝浦という駅でデートすることになる、というようなところから話は始まります。マグロ、というのはニックネームでも何かの比喩でもなく、文字どおりのあの魚類のマグロなのですね。笙野頼子の風貌、体格、人柄などを知っていれば、彼女ならマグロから電話がかかってくることもあるだろう、という気はするのですが、ふつうはマグロから電話がかかってきたりすることはありませんし、ましてやマグロとデートの約束をするなどといったことはけっしてありえないことです。そのありえないことを強引に押し切ってしまうところが笙野文学の特質なのです。


現代的なアンチロマン

 海芝浦という駅は実在しますが、めったに電車が走らない支線の終点でしかも片側は海、片側は東芝の工場で、東芝の社員証とか入館証がなければ駅から外に出ることもできないという幻想的な駅なのです。しかも東海道線の鶴見で乗り換えるのですが、海芝浦まで行く電車はめったにないので、ヒロインは違う駅に行ってしまいます。そこから長い白日夢のようなものが始まります。明治時代に『小説神髄』という本を出して「小説」という言葉を定着させた坪内逍遙は小説の定義として「世相と人情」を挙げていますが、この笙野さんの作品には世相も人情もありませんし、ストーリーもありません。あるのは悪夢のような幻想的な風景だけで、いつになったらこの悪夢が終わるのか、こうなったらマグロでもいいからとにかく終着駅の待ち人と早く会いたいという気分になってしまいます。
 そんな気分になってしまったら、もはや笙野文学の術中にはまってしまっているのですね。小説というものは多様なものです。こんなものでも小説といえるのか、というような作品が高く評価されてしまうことがあります。ストーリーのない小説というのは二十世紀の中頃にフランスで流行して、ヌーヴォーロマン(新しい物語)とかアンチロマン(反物語)と呼ばれていましが、笙野さんの作品はまさに現代的なアンチロマンですし、その圧倒的な筆力に、多くの読者は最後まで読むのをやめられなくなるか、そうでなければ一行も読めないことでしょう。一行も読めない小説ってどんなものか、怖いもの見たさみたいな気分で、とにかく読んでいただきたいと思います。


→第十六回 暗いリアリズムの魅力へ



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