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三田誠広の小説教室
三田誠広 (みた まさひろ)
1948年、大阪府生まれ。早稲田大学文学部卒業。高校在学中に『Mの世界』で作家デビュー。1977年、『僕って何』で芥川賞を受賞。『いちご同盟』『地に火を放つ者』など著書多数。日本文藝家協会副理事長。武蔵野大学文学部教授。
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第百一回 外国語で小説を書くということ

【今回の作品】
楊逸『時が滲む朝』 中国の民主化をめぐる青春と挫折を描く


 ぼくは本業は小説家ですが、自分の勉強のために大学の教員も続けています。大学院の講座も担当していて、今年の受講者7人のうち4人が中国からの留学生です。院生は2年で終了で、修士論文を書くことになります。中国の人が日本語で論文を書くということに、いつも脅威を感じています。ぼくの長男はスペインで暮らしていて、スペインの教員資格をもっています。まあ、生きるために語学を学び、現地で生活しているうちに、話すのはペラペラになるということでしょう。とはいえ、楊逸さんのように、母国語ではない言語で小説を書いて、芥川賞を受賞するというのは、すごいことだと思います。
 それ以前にも、外国籍の人が受賞するということはありました。でもそれは在日二世とか三世の人で、日本で生まれ日本で育った人です。楊逸さんは中国の生まれで、留学生として来日した時には、ほとんど日本語が話せなかったそうです。アルバイトをしながら学費を稼いで大学を卒業し、中国語の新聞社につとめたり、中国語の先生をしたり、結婚式場で働いたりしていたのですが、来日して二十年を経て、『ワンちゃん』という作品で文学界新人賞、これが芥川賞の候補となり、二度目の候補となった本作で受賞しました。在日二十年ということですから、日本語が流暢なのは当然でしょう。でも、日本人は誰だって日本語は流暢ですが、誰もが芥川賞を貰えるわけではありません。


プロ意識が文章を上達させた

 ぼくが四十年前に芥川賞を貰った『僕って何』は、自分が学生の時に体験した学生運動を舞台としていました。当時のぼくの認識では、これは書かねばならぬテーマであるし、おそらく多くの読者のニーズにも応えるものだろうと予想していました。この予想は当たっていて、ぼくはプロの作家になることができたのですが、その直後から日本の学生運動は衰退していきました。ぼくは小説のテーマを求めて、歴史小説にシフトしていくことになります。現代の日本って、若者に元気がないので、つまらない国になったなと思います。ぼくは大学の先生ですから、いまの若者たちと毎日接しているのですが、書くべきテーマが見あたらないというのが実感です。
 中国では、ぼくが学生だったころに、文化大革命という、激震ともいうべき大きな改革がありました。それから、楊逸さんが来日した直後にも、天安門事件という大きな民主化運動の闘争がありました。この作品は、そのあたりの若者たちの心情を描いた作品です。学生運動の中心にいた若者たちは、中国では生きていけなくなり、それぞれに亡命をして、たまたま日本で再会するという設定です。テーマが少し生硬な感じがしますが、平和ボケした日本の読者には、強いインパクトをもっていたのではないかと思います。
 デビュー作の『ワンちゃん』は、嫁不足の日本の田舎のおじさんを、お見合いツアーを企画して中国旅行に連れていく中国人の話で、こちらはドタバタ喜劇の要素もあって、安定した作品になっていました。ヒロインのワンちゃんも魅力的でした。この作品も芥川賞の候補となり、強く推す選考委員もいたのですが、文章がつたないという反対意見も多く、受賞には到りませんでした。
 半年後の本作の選評を見ると、文章が下手だという委員はもはや皆無です。その半年間に、驚くほど文章が上達したということでしょう。受賞は逸したとはいえ、文芸誌に作品が出れば、すでにプロの作家ですから、プロ意識みたいなもので、文章の完成度が上がったのだろうと思います。


どうしても書かねばならぬという熱意

 ただ作品としては前作の方がよかったという委員が何人かいたことも事実です。政治的なテーマ、社会的なテーマというのは、スケールの大きなテーマです。短篇でさらっと切り取るということに、少々無理があると感じた委員が少なくなかったということでしょう。それでもこの作品が受賞したのは、どうしてもこれを書かねばならぬという作者の熱意が伝わったのだと思いますし、それほどの重いテーマが、もはやいまの日本の社会からは失われているということがあるのかもしれません。
 登場人物たちは、天安門事件のまっただ中を生きています。老人のぼくの目から見ると、文化大革命を体験した彼らの親の世代のことが気にかかります。文化大革命というのは、欧米の文化や消費生活の魅力に抗しきれず、自由化の方に向かおうとする次世代の政治家たちの動きに対抗するために、かつての中国革命の英雄だった老いた独裁者の毛沢東が、田舎の中学生を組織して暴動を起こし、当時の政治家や文化人、北京大学の学生らを、強制的に辺地に追いやったという、歴史の流れを逆回転させようとした事件でした。学生たちは教育の機会を奪われ、取り返しのつかない心の傷を負うことになりました。
 天安門事件の若者たちは、そういう親の世代の傷を、われ知らず身に負っているのですね。その感じが、ぼくにとっては新鮮で、胸を打たれました。そういう意味では、この作品は名作ですし、次の時代にまで読み継がれるべき作品だと思います。作品の最後は日本が舞台になっているとはいえ、中国の問題を扱った中国人の小説だと思われますが、これを日本語で書いたことにも、大きな意味があると思います。作者が日本に長く住んで、相対的に世界を見る目をもっていることと、書き手が日本の読者に伝えようという強いモチベーションをもっていることが、作品から伝わってくるからです。いまの日本の若者たちにも、ぜひ読んでほしい作品です。


→最終回 小説は奥が深いへ



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