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三田誠広の小説教室
三田誠広 (みた まさひろ)
1948年、大阪府生まれ。早稲田大学文学部卒業。高校在学中に『Mの世界』で作家デビュー。1977年、『僕って何』で芥川賞を受賞。『いちご同盟』『地に火を放つ者』など著書多数。日本文藝家協会副理事長。武蔵野大学文学部教授。
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第百回 純文学って何だろう

【今回の作品】
沼田真佑『影裏』 震災6年目に生まれた繊細な喪失の物語


 この連載も100回目となりました。対象とする作品がほぼ尽きようとしています。今回は最新の芥川賞について語るつもりで発表を待っていました。作品や選考委員の選評が掲載されるのは、受賞作発表の翌月の『文藝春秋』ですが、『文學界』に新人賞受賞作として掲載された作品が受賞しましたので、今回はその号を見て語ることにしましょう。
 芥川賞は新人賞ではあるのですが、活字になった作品が対象ですので、候補になるためには文芸誌に作品を発表する必要があります。そのためには、各文芸誌が募集している新人賞に応募するということになります。受賞すれば作品が文芸誌に掲載されますし、担当編集者がつきますので、2作目、3作目を発表することもできます。たまに、受賞作そのものが芥川賞の候補となり、受賞するということもあります。
 石原慎太郎の『太陽の季節』は『文學界』新人賞を受賞して、そのまま芥川賞を貰った草分け的存在です。村上龍の『限りなき透明に近いブルー』は『群像』新人賞でした。いずれも時代を象徴する大ベストセラーになりました。で、今回の作品はどうかな、と思って、研究室の床に積み上げてあった文芸誌の山から、掲載誌を捜し出して読み始めたのですが、すぐに鈍い抵抗感を覚えました。文章が純文学ふうなのですね。芥川賞は純文学の賞ですから、当たり前ではあるのですが、又吉直樹さんの『火花』にしろ、村田沙耶香さんの『コンビニ人間』にしろ、わりと読みやすい文章でしたので、久々に、ガツンと手応えを感じる文章に出会って、あれれ、と思ってしまいました。


地味で暗いけど、確かにガツンとくる

 読むのを中断して、選考委員の選評を読んでみました。これは芥川賞の選評ではなく、『文學界』新人賞の選評です。選考委員5人のうち、2人が絶賛しています。残りの3人はいちおう褒めてはいるのですが、熱意が感じられません。どうやらこの3人は、まったく評価しなかったのだけれど、絶賛する2人の勢いに押されて、まあ褒めておこうという気持になったようです。絶賛している2人のうちの1人は、マイナーな純文学をめざす人です。もう1人はポップなものも書くけれども、純文学がよくわかっている人です。熱意のない3人は、いずれも芥川賞受賞作家なのですが、わりとポップなものを書く人で、純文学というものがよくわかっていないのでしょう。
 ここまで、「純文学」という言葉を、説明せずに使ってきました。純文学とは何なのか、ぼくもよくわかっていないのですが、地味で暗くて読みづらいけれども、確かにガツンとくるものがある、というようなものではないでしょうか。そのガツンとくるポイントは、人によって違います。でもこれまでは、たとえば志賀直哉のような大御所の作家や、純文学を評価することでメシを食っている偉い評論家が、「これは文学だ」と評価することによって、何となくある種の価値基準が作られてきたのだと思います。
 では、今回の受賞作はどうなのか。新聞記事によると、この作品は作者の沼田さんにとって、最初の作品だということなのですが、よくコントロールされ、ほぼ完成された文体を見ると、ここまでにかなりの試行錯誤があったのではないかと思われます。新人賞の受賞の言葉の中にヘミングウェイへの言及があるところから、アメリカ文学への傾倒が感じられますが、一人称なのに主人公の内面の説明が抑制されたこの文体は、確かに、いわゆるハードボイルドといわれるものだと感じられます。文体の完成度が高い。これが第一印象です。無駄を極力省き、少し省きすぎかなと思われるほどに省略された文章なのに、事件というほどのことは起こらず、ストーリーまで抑制されすぎているこの展開は、まさに純文学というしかありません。


文体の密度と主人公の孤高の姿勢

 はっきり言って、この作品にポップなものや、おもしろさや、刺激的な問題提起を期待すると、失望することになります。ではこの作品から何が得られるのか。ぼくは文体の密度だと思います。それから抑制された主人公の禁欲的な生き方でしょうか。社会の片隅で強い意志をもって生きているピュアな文学青年の、通俗性を徹底的に排除した、暗く引きこもった孤高の姿勢みたいなものが、確かな手応えとなって読者に伝わってきます。冒頭の数ページは、ただ二人の男が釣りをしているだけの描写です。「こんなに楽しく読めるのなら釣りと酒食の話だけで終わっても文句はない」と選者の一人の松浦理英子さんは書いていますが、この冒頭の文章を楽しく読めるのは、松浦さん、あなた一人だけです。でも最後まで読めば、作者の構想力の確かさと読者を裏切る悪意みたいなものが見えてきます。
 この作品には津波の描写が出てきます。主人公にとってただ一人の釣り仲間、飲み仲間の友人が死ぬ場面です。しかしこの描写は、あくまでも主人公の想像の中の描写です。その友人は実は死んでいないのかもしれないのです。この作品はミステリーのように友人にまつわる謎が説き明かされていく展開になっているのですが、最後になっても謎は解明されません。そして主人公の過去についても、断片的なエピソードが示されるだけで、いったいどういう男なのか、最後までわかりません。ここで終わってしまうのか、と読者は突き放され、宙づりにされた気分になるでしょうが、それでいいのです。なぜなら、これが純文学だからです。
 人間の生き方や、感じ方が、短い小説で簡単に説き明かされるものではないということを、作者は言いたいのでしょう。この作品を読んでしまうと、世の中に流通している「ふつうの小説」が、すべて嘘っぽい通俗的なものに見えてしまいます。そして、確かに純文学という狭い領域がここにあるのだと実感されるはずです。その意味では、多くの人々に読んでいただきたい作品だと思います。久々に読みごたえのある作品に出会った気がしました。


→第百一回 外国語で小説を書くということへ



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