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三田誠広の小説教室
三田誠広 (みた まさひろ)
1948年、大阪府生まれ。早稲田大学文学部卒業。高校在学中に『Mの世界』で作家デビュー。1977年、『僕って何』で芥川賞を受賞。『いちご同盟』『地に火を放つ者』など著書多数。日本文藝家協会副理事長。武蔵野大学文学部教授。
三田誠広先生の作品一覧はこちら
三田先生が、具体的に作品をとりあげて、「小説の書き方」を語ります。



【今回の作品】
綿矢りさ 『蹴りたい背中』 史上最年少19歳の芥川賞受賞作

 今回からは各論です。具体的な作品をとりあげて、文学とは何か、ということをお話していきます。
 最初に、綿矢りささんの、『蹴りたい背中』について語ることにしましょう。
 綿矢さんが芥川賞を受賞したのは2004年1月のことで、彼女は2月生まれなので、20歳になる直前でした。この19歳での受賞というのは、現在も破られていない最年少記録です。
 もしも読者が高校生なら、ぜひともこの記録に挑戦してほしいですね。
 もっとも彼女は、早稲田の学生ではあったのですが、高校在学中に『インストール』という作品で「文藝賞」(文芸誌の『文藝』が主催する新人賞)を受賞して、単行本もベストセラーになっていましたから、すでに名を知られた作家でした。
 さて、その『蹴りたい背中』なのですが、何よりもタイトルがいいですね。蹴りたい背中って、いったいどんな背中なんだろう……と、読む前からわくわくする、というほどではないにしても、どうしてこんなタイトルがついているのだろうと、読者は興味をもって作品を読み進むことになります。


「蹴りたくなる背中」という大発見

 作品のオープニング、ヒロインの女子高校生は、理科の実験の時間に、軽いパニック状態になります。ホームルームなら座席が指定されているのですが、実験室ではグループに別れて実験することになるので、席が決まっていないのですね。親しい人どうしで適当に座りなさいと指示されるのですが、ヒロインには友だちがいないのです。
 この気持ち、読者のあなたも、覚えがあるのではないでしょうか。
 このサイトでここのところを読んでいるのは、きっと、本の好きな人でしょう。本が好きな人は友だちが少ない、などと言ってしまうと、言い過ぎかもしれませんが、ヒロインの戸惑う気持ちがよくわかるという人は、少なくないと思います。
 ヒロインはとにかく、あいている席に座るのですが、その隣があいたままになっている。するとそこに、いかにも友だちの少なそうな、オタクふうの男子生徒が来て座るのです。こうしてヒロインは、そのさえない感じのオタク男子と、くされ縁みたいなものができてしまいます。
 恋人でも、友だちでもないのですが、何となく時間つぶしみたいに、そいつの自宅に行ってみたりする。
 ヒロインも、うら寂しい、さえない女子生徒なのですね。
 突然ですが、綿矢さんは、美人ですね。この『蹴りたい背中』のヒロインは、容貌については言及がないのですが、でも、美人でも友だちの少ない人はいますし、高校の中では目立つ美人でも、ファッションモデルになるほどではないということなら、むしろ平凡な美人というべきで、かえってプライドが高いぶん、さえない日常を送ることになるのかもしれません。
 ヒロインには自我があります。自分はこんなさえない生き方をすべきではないという自覚があるのですが、現実には、このオタク男子とつきあうしかないのですね。それでお気に入りのモデルの写真なんかをうっとり見ているオタク少年の後ろ姿をながめながら、しだいに、いらだちがつのってくる。
 で、そいつの背中を蹴りたくなる。
 わかるなあ、この気持ち。
 つまり、これが文学なのですね。
 おとぎ話の白雪姫なら、眠っている間に白い馬にまたがった王子さまが現れたりするのですが、それはアニメやゲームの世界です。そんな絵にかいたモチみたいなものを書いても、文学にはならないのです。
 現代のさえない女子生徒の前には、王子さまではなくて、背中を蹴りたくなるようなやつしかいない……。
 この「蹴りたくなるような背中」というのは、ニュートンがリンゴが落ちるのを見て万有引力の法則を発見したような、文学における大発見と言っていいでしょう。
 さあ、あなたの前にも、蹴りたくなるようなものはないでしょうか。
 といっても、すでに綿矢りささんが書いてしまっているわけですから、似たようなことを書いたって、芥川賞はもらえません。


「名文」でなくても持続力のある文章を

 作品をじっくり読んで、学んでいただきたいのは、綿矢さんの文章力です。話のもっていき方というべきでしょうか。
 たとえユニークな着想があったとしても、文章力と展開力がなければ、小説を書くことはできません。でも、実際に読んでいただければ、すぐにわかることなのですが、綿矢さんの文章は、文豪が書くような名文ではありません。肩に力が入っていない、すらすら読める軽い文章で、現代の女の子なら、誰でも書けそうな文章なのです。  ただし、この文章には、一定の密度があります。読みやすく、軽い文章なのですが、その軽さが持続するのですね。
 文章が下手な人というのは、肩に力が入って気取ったいい方をしたり、難解な用語を用いたりしながら、途中で疲れてきて、子どもっぽい表現が混じったりする。文章の品質が揺らいでしまうのです。綿矢さんの文章には、そういう破綻がないのです。
 軽い文章を、品質を一定させて、持続的に書くというのは、実はたいへんに困難なことなのです。
 綿矢さんは芥川賞受賞後も、持続的にいい作品を書き続けています。もともと資質のあった人なのでしょうが、彼女の文章から、学べるものはしっかりと学んでいただきたいと思います。


→第三回 人間と社会を描くということへ


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