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三田誠広の小説教室
三田誠広 (みた まさひろ)
1948年、大阪府生まれ。早稲田大学文学部卒業。高校在学中に『Mの世界』で作家デビュー。1977年、『僕って何』で芥川賞を受賞。『いちご同盟』『地に火を放つ者』など著書多数。日本文藝家協会副理事長。武蔵野大学文学部教授。
三田誠広先生の作品一覧はこちら




 ぼくは大学で小説の書き方を教えています。
 早稲田で15年、いまの武蔵野大学に移ってから今年で5年目。20年のキャリアがあるといっていいでしょう。
 小説の書き方なんて教えることができるのですかと、よく訊かれます。
 ぼくはこんなふうに答えます。
 小説というのは器みたいなものです。そこにどんな料理を盛るかは、書き手のアイデアやセンスで勝負するしかないのですが、料理が映えるような盛り方や、器そのものの良し悪しについては、教えることができます。先人たちの優れた小説を読みながらポイントを指摘していけば、文学的なセンスが身につきます。作品と時代状況の関連を分析していけば、ぼくたちが生きているこの時代に、どんなアイデアが必要かということもわかってきます。
 つまり、小説の書き方は教えられる。
 これがぼくの結論です。

 ぼくは大学の先生ですが、自分でも小説を書いています。小説を書くのが本業で、大学の先生は副業かもしれませんが、学生諸君とは仕事を離れて、友人(年齢は離れていますが)としてつきあいたいと思っています。先生をしていると、友だちがふえていく。そこが楽しみだといっていいでしょう。
 今回、このサイトにぼくのホームページのサテライトのようなものを開設していただき、学生諸君の作品を皆さんに読んでいただけるようになりました(学生諸君の作品は無料で読めます)。  読者の中には、自分でも小説を書いてみたいとお考えの方や、大学で小説の書き方を学びたいという高校生の皆さんも多いのではないかと思います。そういう読者のために、大学の教室で語っている「小説の書き方」のダイジェストのようなものを、この連載ページで少しずつお話ししたいと思います。
 若い読者が多いでしょうから、教室で学生諸君にお話しするような語り口で、いくぶん軽いタッチで語っていくつもりです。


社会を描き、人間を描く

 まず最初に、ジャンルというものについてお話ししましょう。
 小説というものは多様です。大まかにいくつかの種類(ジャンル)に分けることがあります。推理小説、時代小説、SF小説……というようなジャンルがありますし、推理小説を社会派と本格派に分けることもあります。時代小説と歴史小説を区別することもありますし、SFをサイエンス・フィクション(科学的なハード面を重視した小説)とスペース・ファンタジー(宇宙を舞台にしたロマンス)に分けることもあります。
 こうしたジャンルによる分類は、ただの目安にすぎません。
 もっと重要な分類があります。
 「純文学」と「大衆小説」。その中間に、「中間小説」を置くこともあります。純文学にも中間小説にも含まれない、大衆小説を、ジャンルに特化した小説(ジャンル小説)と考えることもできます。
 ジャンル小説には、そのジャンルごとの指標があります。推理小説ならば、謎解きの面白さが中心になります。その場合でも、社会派ならば、社会の問題が掘り下げられているかというところが読みどころになりますし、本格派ならば、あっと驚く仕掛けがないと面白くありません。  純文学や中間小説の場合は、ジャンルごとの指標とは離れたところに、読みどころがあるということになります。
 それが「文学」としての評価につながります。
 ではその「文学」って何なのか。それは一言では説明できないものです。だからこそ、連載で、少しずつ語っていくということですね。

 文学とは何か、というテーマに向かって進んでいく第1歩として、ここでは文学賞のお話をしておきましょう。
 芥川賞と直木賞というものがあるのをご存じでしょうか。
 これは出版社の文藝春秋が主催している文学の新人賞で、長い伝統をもっています。ぼくも30年以上前に、芥川賞をいただいたことで、プロの作家として認められるようになりました。
 芥川賞というのは高校野球みたいなもので、無名の新人がいきなり時の人になるという、ドラマチックな展開があります。直木賞の場合は、大衆小説の分野ですでに活躍している作家が、文学作品としても優れていると評価されて、この賞を受賞することになります。
 文学とは何かというのは、一言では言えないのですが、芥川賞の受賞作品を読んでいけば、文学とはこういうものなのかと、少しずつわかっていくことでしょう。
 直木賞の場合、たとえば宮部みゆきさんの『理由』や、東野圭吾さんの『容疑者Xの献身』が直木賞を受賞しているわけですが、こうした作品を読むと、文学とは何かということが見えてくるかもしれません。
 推理小説というジャンルは、謎解きゲームのようなものですから、トリックが面白ければそれで充分です。しかしトリックの面白さだけでは、ジャンル小説としての評価しか受けません。推理小説では大家として認められていても、直木賞の候補にすらなったことがないという作家が数多くいます。
 『理由』も『容疑者Xの献身』も、推理小説ですから殺人事件が出てきますし、謎解きのトリックもあります。ですからジャンル小説としての面白さもあるのですが、それだけではない何かがあるのです。
 まず人を殺さざるをえなかった社会状況がしっかりと描かれています。その状況に置かれて人を殺してしまった人間の苦悩が描かれています。
 社会を描き、人間を描く。それが文学だといってもいいでしょう。
 状況設定やストーリーを超えて、社会の問題や人間の哀しみが胸に迫ってくる。だからこそこれらの作品は、直木賞を受賞したのです。
 大衆小説の面白さと、文学としての深さをかねそなえた作品、それが中間小説です。
 逆にいえば、社会と人間を描いてはいるが、殺人事件は起こらないし、ストーリーもあまり面白くない。
 それが純文学だといっていいのかもしれません。


内面の声をストーリーに変換する

 ぼくの小説講座は、文学部の授業ですので、「文学」というものをテーマとしています。ですから当面の目標は、芥川賞の候補になるような作品を書くということなのですが、芥川賞は生原稿の応募で選ばれるものではなく、活字として発表されたものだけが対象です。ですからそこに到るステップとして、文芸誌と呼ばれる商業誌に作品を掲載する必要があります。
 そのためには、『文学界』(文藝春秋)、『新潮』(新潮社)、『群像』(講談社)、『すばる』(集英社)、『文藝』(河出書房新社)などの新人賞に応募する必要がありますが、いきなりそこに行くとは大変ですから、教室で短篇を書いてもらって、アドバイスを受けることになります。
 このサイトで読めるようになっている学生諸君の作品と、それに付けられているぼくのコメントを読んでいただけると参考になると思います。
 たとえば武蔵野文学賞受賞作の橋本咲子さんの作品『はじめのいーっぽ』や、今年度の卒論小説最優秀作品に選んだ赤荻愛さんの作品『トビウオは猫を飼っている』を読んでみてください。2人も、やや困難な状況に置かれた若者を描いているのですが、モノローグのようでいて、内面からわきおきってくる苦悩の声は意図的に抑制され、きっちりとストーリーに変換されています。
 わたしは寂しい、つらくてやりきれない、悲しくて胸がはりさけそうだ、と書くだけでは、ただのモノローグです。日記とか、悩み事相談の手記みたいなものです。
 心の中の苦悩をストレートに書くのではなく、大声で叫びたくなるのをがまんして、細かく具体的な状況設定と、センスのいい会話(むだなおしゃべりではないということ)や、寂しさや悲しみがしみじみと伝わってくるような風景描写に変換する。
 それが「文学」への第1歩です。

→第二回 さえない女の子のさえない現実へ


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