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中野晴行「まんがのソムリエ」特別コラム - キミはマンガ革命の瞬間を知っているか?



 1970年代から80年代半ばにかけて、マンガの世界には大変革が起きていた。それまでの『鉄人28号』『オバケのQ太郎』のような少年マンガにも『影男』『子連れ狼』のような劇画・大人マンガにもなかった、全く新しい表現や新しいジャンルが次々に生まれていたのだ。それは地殻変動のマグマにも似たパワーに満ちあふれていた。日本のマンガが世界のどこにもないほど豊かなコンテンツに育ったのは、この時代の大変革があったからだ、と言い切っても過言ではない。

 大変革のきっかけになったのは、「月刊漫画ガロ」(64年〜)と「COM」(67〜73年)という2つの雑誌だ。白土三平の『カムイ伝』を連載した「ガロ」、手塚治虫『火の鳥』を連載した「COM」は、それぞれにマンガ家をめざす若者たちの作品を募集。ユニークな新人たちを次々にデビューさせたのだった。新人たちの活躍に触発された若者たちは、やがて、それまでのマンガの枠を破り、タブーを否定したマンガへの挑戦を始めた。 「COM」休刊後の、76年には「月刊マンガ少年」が創刊されて「COM」の役目を担うようになる。また、マンガ専門誌「ぱふ」(74〜2011年)、SF専門誌「奇想天外」(74〜81年)の別冊「マンガ奇想天外」などの登場で、従来の枠を超えてマンガは広がり始める。77年の劇場版『宇宙戦艦ヤマト』の大ヒットからはじまったアニメブームや、男性読者にも広がった少女マンガブーム、さらにはロックミュージックやパンクファッションなど、さまざまなムーブメントともつながりながら、マンガは「ニューウェーブコミック」と呼ばれるカテゴリーを生み出した。

 この時代のシンボルとも言えるマンガ家が大友克洋だった。大友は、戦後まもなく手塚治虫が取り組んだマンガの映画的表現を完成させ、マンガの絵柄をがらりと変えた。アメリカのアニメの影響を受けたどんぐり眼や、アメリカンコミックのようなバタ臭い顔から、細い目低い鼻の東洋的な顔が主流になり、背景やメカをリアルに描くようになった。その影響の大きさは、手塚治虫自身が大友に「僕もああいう絵は描けます」と直接声をかけたということからも分かるのではないか。マンガの神様は大友に嫉妬したのだ。 大友を目指し、大友を超えようとして若いマンガ家たちはペンを握った。 それは燃えるような時代だった。おもしろいマンガがいくつも生まれて、マンガ家たちはライバルに負けまいと、チャレンジを繰り返した。マンガも青春時代だったのだ。 あの日のマンガの熱気をもう一度味わってみないか!