鈴木 正則
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【鈴木 正則】さんのレビュー一覧

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1~25件/501件 を表示

  •  驚きの一冊だ。2017年6月28日に紙書籍、電子書籍同時発売された『東芝 原子力敗戦』(大西康之著、文藝春秋)――企業人としての見識も矜持もなく「国策」に寄り添い翻弄されたあげく、140年の歴史を持つ5兆円企業が壊れていく過程を数多くの内部文書と証言からつぶさに検証した、一級の企業ノンフィクション作品です。
     東芝の「半導体事業売却」を巡るニュースが連日、新聞を賑わしています。半導体事業売却の成否に東芝の生き残りがかかっているというわけです。確かに「半導体事業売却」の混迷も粉飾決算を巡る泥仕合ももちろん問題ですが、いま本当に問われるべきは、なぜ東芝が原発ビジネスの泥沼にはまり込んでしまったのかだ。
     その理由をズバリ示す東芝社員のビジネスダイアリーで、本書は始まります。まずは、「プロローグ そこに悪意はあったか」の書き出しをご覧ください。

    〈きっかけは、筆者が入手した、ある東芝社員のビジネスダイアリーだった。
     表紙には、手帳の持ち主と思しき「田窪CFL」と綴られた付箋。ダイアリーには、東芝の社員である「田窪」が二〇一一年十二月から二〇一二年十一月末にかけて、アポイントを入れた人物が記されている。
     ページを繰っていて、ほどなく気づくのは、面会相手として頻出する、「今井」という名前だ。
    《12年2月10日 10:00~11:00 METI 今井様(トルコの件)》
    《12年2月23日 16:30~17:00 METI 今井次長》
    《12年8月10日 15:30~17:00 エネ庁 今井次長》
    「METI」とは経済産業省(Ministry of Economy, Trade and Industry)のことだ。当時、資源エネルギー庁で「今井次長」といえば、現・首相秘書官の今井尚哉ではないのか──。
     中には、食事をしたと見られる記述も目につく。
    《12年2月1日 dinner今井〉〈12年4月27日 8:00~9:00 今井 レ セゾン》
    《12年10月19日 dinner今井》
    「レ セゾン」とは、帝国ホテルにある朝食が有名なフランス料理店だろう。「今井」の名前は一年間で約三十回登場する。〉

     東芝の経営破綻を取材する過程で、「田窪」と「今井」の関係をよく知る人物に行き当たった著者の大西康之氏は、ダイアリーを見たその人物の証言を引いてこう続けます。

    〈「『田窪CFL』は、当時東芝電力システム社の首席主監(チーフ・フェロー)だった田窪昭寛氏のこと。電力システム社は原発事業などを手掛ける社内カンパニーで、彼はその陰の実力者です。『今井』氏は御指摘の通り、現・首相秘書官の今井尚哉氏です」
     そしてこう続けた。
    「東芝が現在の惨状に陥った背景には、二人の親密な関係があったのです」〉
     監査法人との協議がまとまらずに数か月遅れて2017年8月10日になってようやく発表された東芝の2017年3月期決算――連結純損益は9,656億円の赤字でした。東芝がほぼ1兆円もの赤字という惨状に陥った〈最大の要因は、〇六年に約六千六百億円を投じて買収した米原発メーカー、ウエスチングハウス(WH)を核とする原発事業の不振である〉と、著者は断じます。WHは2017年3月29日、米連邦破産法第11章(通称チャプター11)の適用を申請しました。これで東芝のバランスシートは、5,400億円の債務超過になったが、6,600億円もの巨費を投じて手に入れたWHが実際には火の車で、東芝経営陣はそれを隠蔽するために粉飾決算に走った。

    〈二〇一五年春に粉飾決算が発覚してから二年間。
     東芝が抱え込んでいた闇が徐々に明らかになっていった。半導体やパソコン事業でも粉飾は行われていたが、闇の正体は原発だった。二〇〇八年のリーマンショックと二〇一一年の東京電力福島第一原発事故。二つの要因によって原発を取り巻く環境は激変し、もはや事業としては成立し得なくなっていた。それでも東芝は原発事業を継続し、アクセルを踏み続けた。
     その経営判断に多大な影響を与えたのが、原子力事業部の“暴走機関車“田窪と、アベノミクス推進のために原発輸出を強行した今井だった。〉

     国策として「原発輸出」を強引に推し進める官僚と、その意を受けて言わば「死に体」の原発企業を将来戦略の切り札と思い込んで買った日本を代表する企業。東芝の転落はここから始まった。原発輸出という「国策」の闇に引きずり込まれた東芝にはもはや、解体への道しか残されていなかった。

     東芝がWHを買収する8年前の1998年6月22日。全国紙朝刊に奇妙な広告が掲載されました。

    〈RCサクセッション レコード発売中止の御知らせ
    「COVERS」8月6日発売予定/「ラブ・ミー・テンダー」6月25日発売予定
    上記の作品は素晴らしすぎて発売できません。 東芝EMI株式会社〉

     東芝傘下の東芝ENIが8月6日の広島原爆忌に予定していた忌野清志郎率いるロックバンド「RCサクセッション」の新譜(うちシングルカットを6月25日に先行発売予定)の発売を中止すると告知したのです。
     ボブ・ディラン「風に吹かれて」やジョン・レノン「イマジン」などの洋楽に新たな日本語の詞ををつけたカバー曲集。戦争や核、原子力発電などをテーマに原曲とは異なる忌野清志郎らしい作品世界を創造した。シングルカット予定だった「ラブ・ミー・テンダー」と「サマータイム・ブルース」は原発の安全性を問う詞が秀逸だ。なじみ深いメロディに乗せて口ずさんでみてください。〈素晴らしすぎて〉の深い意味が見えてくると思います。
    ・ラブ・ミー・テンダー
     何 言ってんだー ふざけんじゃねぇー
     核などいらねえ
     何 言ってんだー よせよ
     だませやしねぇ
     何 言ってんだー やめときな
     いくら理屈をこねても
     ほんの少し考えりゃ 俺にもわかるさ

     放射能はいらねえ 牛乳を飲みてえ
     何 やってんだー 税金(カネ)かえせ
     目を覚しな
     巧みな言葉で 一般庶民を
     だまそうとしても
     ほんの少しバレてる その黒い腹
    (以下略)

    ・サマータイム・ブルース
     暑い夏がそこまで来てる
     みんなが海へくり出していく
     人気のない所で泳いだら
     原子力発電所が建っていた
     さっぱりわかんねえ 何のため?
     狭い日本のサマータイム・ブルース
    (中略)
     電力は余ってる 要らねえ
     もう要らねえ
     電力は余ってる 要らねえ
     欲しくない
     原子力は要らねえ 危ねえ
     欲しくない
     要らねえ 要らねえ
     電力は余ってるってよ
     要らねえ 危ねえ

    〈素晴らしすぎて発売できません〉というコピーは、“発禁”に対する制作現場の精一杯の抵抗だったのはないか。もしそうだったとして、まだそうした抵抗が新聞の広告になって実現できた時代だったことに改めて思いを馳せてします。

     とまれ、レコードは別な会社から発売され、今もCDなどで入手できるし、何より忌野清志郎の時代を先取りする予見性、物事の本質を見抜く感性は時を超えて今という時代を照らしだし、色あせることがありません。一方、原子力発電を撃つ忌野清志郎の批評精神を〈発売中止〉によって封じ込めようとした東芝は今、原発輸出の泥沼に引きずり込まれ、壊れていく過程にあります。
     著者によれば、東芝には二度、路線を修正して引き返すチャンスがありました。〈一度目は東芝社内で「WHのインペア(減損処理)」がささやかれ始めた二〇〇九年〉であり、二度目は福島第一原発事故の時。あの時点で世界の原発投資が減少に転じることは、誰にでも容易に予想できた。原発撤退を決めたシーメンスや、はっきり原発事業に関して「退却」の意志を示したGEなどライバルたちの動きを見ても、原子力が成長産業でなくなったことは理解できたはずだという。〈それでも東芝はアクセルを踏み続けた。あるいはブレーキを踏むことを許されなかったのかもしれない。首相の懐刀、秘書官の今井尚哉が背後にいたからである〉として著者は、「国策」大合唱に乗り、その失敗を隠蔽するために粉飾に走った経営陣、そして「チャレンジ」という名の会計操作(粉飾)指示に唯々諾々と従った一般社員たちへの疑問を突きつける。結局のところ、自らの判断を避け、思考停止に陥った「サラリーマン全体主義」が惨状を招いた原因だったのではないか。東芝・原子力敗戦の淵源をそこに見いだします。自らの言葉で原子力発電を撃った忌野清志郎の詞に正面から向き合っていたら、そして原発推進の当否判断から逃げて思考を停止させることがなかったら・・・・・・。
     歴史の皮肉を感じざるを得ません。(2017/9/15)
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    投稿日:2017年09月15日
  •  累計220万部を超えた伊坂幸太郎の代表作、「殺し屋」シリーズ――『グラスホッパー』(角川文庫、2013年4月12日配信)、『マリアビートル』(角川文庫、2013年10月11日配信)に連なる第3弾『AX アックス』(角川書店、2017年8月10日配信)は、「AX」「BEE」「Crayon」「EXIT」「FINE」の5編からなる連作集。表題作タイトルのAXは、斧(おの)を指す英語で、死刑執行に用いられた首切り斧の意味も持っています。
     主人公は、およそ7年ぶりの最新作で新登場となる凄腕殺し屋「兜」。本名は三宅、物騒な仕事をしていますが、家では“超”の字のつく恐妻家。高校3年の息子を持つ、殺し屋に対してどうかと思う人もいるかもしれませんが、まちがいなく愛すべき所帯持ちなのだ。そしてこの“殺し屋でありながら恐妻家でもある”という着想こそが、『AX アックス』の面白さの起点であり、“愛すべき所帯持ち”という設定が、連作集の終盤――巻末収録の「FINE」で殺し屋「兜」の長い戦いに終止符を打つ驚きの仕掛けに帰結する。

     巻頭収録の「AX」に、兜と息子の三宅克巳(かつみ)が「蟷螂(とうろう)の斧」、つまりカマキリの斧について話をするシーンがあります。蟷螂の斧について〈弱いにもかかわらず、必死に立ち向かう姿を言う。どちらかといえば、はかない抵抗という意味だ〉と説明した上で、〈ただ、カマキリの斧を甘く見てるなよ、と俺は思うけどな〉と兜が言う。恐妻家の父親と高校生の息子の間で交わされる朝の何気ない会話に見えます。じつはそこに深い意味が込められているのですが、それに気がつくのはずっと先に行ってから。ここではこれ以上触れません。
     恐妻家の自らを「カマキリ」になぞらえる兜(カマキリの雌は交尾の最中に雄を食べてしまうという話をご存じですか。真偽は本書をご覧ください)。さて、どれくらい恐妻家なのか。シリーズ前作『マリアビートル』に登場した殺し屋コンビの檸檬(れもん)と蜜柑(みかん)を相手に〈恐妻家の殺し屋は夜食に何を食べるか〉という重厚(?)なテーマについてとうとうと語る兜。そのユーモラスな結論だけで、この作品に☆☆☆☆☆です。長い引用になりますが、じっくり読んでください。

    〈「兜、家族は、おまえの仕事を知っているのか」と訊(たず)ねてきたのは、檸檬の仕事仲間、蜜柑だ。二人は背恰好(せかっこう)が似ているものの、性格については反対で、だからこそ二人で仕事をこなすことができるのかもしれない。彼らは、妻子持ちの同業者が珍しいからか、兜にずけずけと質問をぶつけた。
    「家族はもちろん知らない」兜は即座に言った。「一家の大黒柱が、こんな物騒で恐ろしい仕事をしていると知ったら、家族は絶望するだろう。普段は、文房具メーカーの営業社員だ」(中略)
    「だけど、一家の大黒柱が命がけの仕事をして、帰ってから夜食でカップラーメンとは、何とも情けねえな」檸檬がからかってくる。
    「馬鹿を言うな」と兜は怒った。「カップラーメンなんかを食べるわけがない」
     その語調が強かったからか、檸檬は反射的に後ろに体を反らし、身構える。「怒るなよ」
    「そうじゃない」兜は声を落ち着かせ、続ける。「カップラーメンはな、意外にうるさいんだよ」
    「何だ、それは」
    「包装しているビニールを破る音、蓋(ふた)を開ける音、お湯を入れる音、深夜に食べるにはあまりにうるさい」
    「誰も気づきゃしねえだろうに」
    「うちの妻は気づく」兜は答える。「その音がうるさくて、起きたことがあるんだよ。彼女はな、真面目な会社員で朝も早い。通勤にも時間がかかるからな。だから、深夜にそんな音で起きてみろ、大変なことになる」
    「大変? 何が大変なんだ」
    「翌朝、起きて、会った時の重苦しさと言ったら、ないぞ。彼女の吐いた溜(た)め息が積もって、床が見えなくなる。比喩(ひゆ)ではなくて、本当に息が苦しいんだ。『うるさくて、まるで眠れなかった』と指摘された時の、胃の締め付けられる感じは、分からないだろうな」
    「兜、冗談言うな。おまえが緊張しているところなんて、想像できない」
    「そりゃそうだ。仕事は緊張しない。やるべきことをやるだけだ」
    「かみさんに対してはそうじゃないのか」
     当たり前だ、と兜はうなずく。
    「でも、じゃあ、どうするんだ。カップラーメンが無理なら。スナック菓子にしても音はするぞ」蜜柑がその、愁(うれ)いを含むような二重瞼(ふたえまぶた)の眼差(まなざ)しを向けた。「腹が減ったら、どうする」
    「バナナか、おにぎり」兜は真剣な面持ちで、言う。
     なるほど、と同業者の二人が感心しかけた。「鋭いな」と。が、兜はすぐに、「と考える奴はまだ、甘い」とぴしゃりと言い切る。
    「甘いのか」「バナナもおにぎりも音がしないけどな」
    「いいか、深夜とはいえ、時には、妻が起きて、待ってくれていることもあるんだ。夕食、もしくは夜食を作ってくれていることもある」
    「あるのか」
    「平均すれば、年に三回くらいはあるだろう」
    「ずいぶん多いな」蜜柑はこれは明らかに、皮肉で口にした。
    「そうなった場合、彼女の手料理を食べることになる。意外に量が多かったりする。もちろん、おにぎりもバナナも食べようとは思えない」
    「そういうこともあるだろうな」
    「いいか、コンビニエンスストアのおにぎりは消費期限が短い。翌朝にはもう駄目だ。バナナも意外に日持ちしない」
    「つまり?」
    「最終的に行き着くのは」
    「行き着くのは?」蜜柑が聞き返した。
    「ソーセージなんだ。魚肉ソーセージ。あれは、音も鳴らなければ、日持ちもする。腹にもたまる。ベストな選択だ」
     檸檬と蜜柑が一瞬黙る。
    「時々、深夜のコンビニで、いかにも俺と同じような、仕事帰りの父親が、おにぎりやらバナナを買っていこうとするけれどな、それを見るといつも、まだまだだな、と感じずにはいられないんだ」兜は続ける。「最後に行き着くのは、魚肉ソーセージだ」
     言い切る兜を、ぽかんと眺めていた檸檬はやがて、ゆっくりと手を叩(たた)きはじめる。はじめは間を空けていたのが、だんだんと早く。スタンディングオベーションを座りながらにやるかのような雰囲気で、顔は至って、真面目だった。「兜、おまえは今、非常に情けない話を、これ以上ないくらいに恰好良く語ってるぞ。感動だ」と拍手を小刻みにしていく。隣の蜜柑が、馬鹿馬鹿しい、と苦虫を潰していた。「業界内で兜と言ったら、一目置かれている。一目どころか二目も。それがこんな恐妻家だと知ったら、がっかりするやつもいるだろうな」〉

    〈一家の大黒柱が、こんな物騒で恐ろしい仕事をしていると知ったら、家族は絶望するだろう〉と言う兜が、殺し屋の仕事を辞めたいと考えはじめたのは、一人息子の克巳が生まれた頃からで、実際に仕事の元締めである医師に話をしたのは5年前。医師は驚きもしなければ、歓迎もせず、「そのためにはお金が必要です」と六法全書の記述を読むかのように言った。一戸建ての建売住宅が買えるほどの額は、さすがに兜にもすぐに払えるわけがなく、結果的に、「仕事を辞めるために、その仕事で金を稼ぐ」といった不本意な状況を続けざるをえなくなっていた。40代半ばの兜の仕事を辞めたいという思いは日増しに強まり、医師の対応も変化していきます。
     やがて医師(実際には医師が放つ殺し屋)との熾烈な戦いが始まったことを兜が意識することになる日がやってきます。息子の進路相談に妻と一緒に行くと約束していた兜に、同じ日に成田空港に到着する爆弾職人を“手術”するように医師が依頼してきます。手術は殺人を意味する暗号です。急いで仕事を片つけて駆けつければ進路相談の時刻になんとか間に合うだろうと、その仕事を引き受けた兜。少し手間取ったものの爆弾職人を始末した後、高校に着いて妻と携帯電話で話していた時、兜は美人教師からの攻撃を受けます。携帯はつながったまま。争う声、息づかいが妻に聞こえたら・・・・・・大変だ!

    〈あ、と思った時には耳に当てていた携帯電話が下に落ちた。美人教師が殴ってきたのだ。え、と兜が電話を目で追う。お、と声を出しかけたところで、左腕が捻られ、背中に引っ張られた。
     何事が起きたのか、と考える余裕もない。兜はその場で体を回転させ、腕を振り払う。すでに美人教師は、教師の態度は捨てており、足で宙に弧を描いた。(中略)
     ・・・・・・馬乗りになってくる女を振り払おうと体を揺するが、押さえ込みのコツを心得ているのか、なかなか動かない。ここに至りようやく兜は、この美人教師は一般の人間ではない、と察した。
     体を左右に揺らし、肩を動かす。相手はこちらの反撃を許さぬためにか、さらに強く押さえつけてきた。息が荒れている。
     兜は舌打ちを漏らしたくなる。ここで、自分と女の、ぜえぜえ、はあはあ、といった荒ぶる呼吸が、万が一、携帯電話を通じて、あちらに聞こえていたら、それこそ男女の淫(みだ)らな行為の最中と誤解を受けるではないか。女性と格闘していた、と説明しても理解が得られる可能性は低い。
     女がさらに何か言いかけてきたため、兜は力を込め、体勢をひっくり返す。相手がただの教師ではなく、物騒な相手だと分かれば、手加減はいらない。本気で戦うのであれば、業界内でも、兜の動きについてこられる者はほとんど、いない。
     背後に回ると、首に腕を巻きつけ、肘で喉を潰すようにした。力を思い切り、込める。〉

     美人教師の処理を元締めの医師に依頼しながらも兜の胸中に「医師は兜の息子がこの高校に通っていることを把握しているのではないか? 何故?」の疑念が芽生えていきます。
     兜vs医師の熾烈な戦いを横軸に、恐妻家の殺し屋――愛すべき所帯持ちの“愛の物語”を縦軸に、連作集は展開されます。

     ぬかるんで歩きにくい道ばかりだ、と思っていた。楽しさとは無縁の、ろくな人生ではない。家族はいない。そんな人生を送っている兜に、同じ年頃の、20代前半と覚しき女性が「キッズパーク開園」と書かれたチラシを差し出しながら言う。
    〈「でも、いいお父さんになれそうだけどね」〉
    〈自分の人生にあまりに無縁のものが差し出されたかのようで、私はその言葉に茫然(ぼうぜん)とする。少しして、今まで吐き出したことのない、温かい息を漏らした。〉

     時計の針を20年巻き戻したエンディング。兜の漏らした息に触れたかのような温かな気持ちが胸に広がっていった。(2017/9/8)
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    投稿日:2017年09月08日
  •  歴代の自民党政権は、官邸機密費について堅く口を閉ざしてきた。首相在任中に国会答弁で「機密費は公開できないから、機密費なんです」と、いかにもワンフレーズの達人らしい言い方で開き直った小泉純一郎元首相は、その典型例だ。
     小淵政権で官房長官を務めた野中広務氏がベールに包まれた機密費の一端を明らかにしたのは、2010年(平成22年)年5月のこと。政権交代によって民主党政権(鳩山由紀夫首相)が誕生して8か月、TBS「ニュースの視点」のインタビューを受けて野中元官房長官は大要以下のように証言したのだ。
    ・機密費の使途先は国会対策が多かった。
    ・総理の部屋に毎月1,000万円ほど渡す。
    ・衆議院の国対委員長と参議院の幹事長室に5,000万円ずつ。
    ・自民党の歴代総理にも、盆暮れに100万円ずつ(年間200万円)送っていた。
    ・政治評論家に盆暮れに届けていた。あいさつ程度。
    ・外遊する議員への餞別が慣例になっていた。50万円から100万円ほど。
    ・機密費の固定費は月に5,000万円。
    ・それとは別に出す分があり、大きいときには月に7,000万円出したこともある。

     野中広務氏の官房長官在任期間は1998年(平成10年)7月~翌年10月。2003年(平成15年)3月に政界を引退していたとはいえ、実力官房長官が自らが直接関わった機密費の一端を具体的に数字をあげて明かしたのです。〈総理の部屋に毎月1,000万円〉という証言は社会に波紋を呼びましたが、それをきっかけに機密費の全貌が明らかになっていったわけではありません。機密費は今も変わりなく、厚いベールに包まれたままです。安倍首相が標榜する「地球儀俯瞰外交」で税金がどれだけ、どのように使われてきたのか、官邸が進んで明らかにしたことはありません。

    「機密費」という国家のタブー。その聖域に一歩でも近づこうと挑んだ、名もなき4人の警視庁捜査二課刑事がいた。刑事たちが外務省の「報償費」という名の機密費の存在を知り、捜査を始めたのは“野中証言”の10年前、1999年(平成11年)の秋のこと。捜査二課情報係主任・中才宗義警部補が〈外務省の三悪人〉に関する疑惑情報を入手、上司であり「相棒」である情報係長の中島政司とともに、その中の一人、ノンキャリアながら外務省官房総務課機能強化対策室長兼九州・沖縄サミット準備事務局次長の要職にある松尾克俊に的を絞って追い詰めていきます。そして捜査二課第四知能犯第三係長の萩生田勝警部と主任の鈴木敏(さとし)警部補を中心に総勢86名の特別捜査班が結成され、中才と中島も加わり特別な役割を担うことになります。捜査は松尾に対する任意聴取から強制捜査へと進みますが、はたして外務省疑惑の本筋、官邸「機密費」にメスは入るのか。
    『しんがり 山一證券最後の12人』(講談社、2015年8月28日配信)で知られる清武英利が、外務書疑惑――消えた10億円を追及した4人の二課刑事を描いたノンフィクション作品『石つぶて 警視庁 二課刑事の残したもの』(講談社、2017年7月26日配信)が面白い。実は、上述の小泉元首相、野中元官房長官にまつわる話は本作より引きました。
    著者の清武英利は本書「あとがき」にこう記しています。
    〈ことわるまでもないことだが、これは創作ではない。ありのままに書いたために、重い口を開いてくれた関係者が不当な批判を受けることを恐れるが、ほんの少し前、総理官邸や外務省を舞台に起きた未曾有の公金詐取事件と、それを掘り起こした刑事たちの日々を思い起こしてもらうためには、ノン・フィクションという形しか私には思いつかなかった。だから、登場する捜査員や告発者、容疑者、官邸や外務省の官僚たちの名前は、現職刑事一人を除いてすべて実名である。〉

     警視庁捜査二課。汚職や詐欺、横領、背任、選挙違反などの知能犯事件を担当する部署で、汚職の「汚」の部首から「サンズイ」と隠語で呼ばれる贈収賄事件を専門に摘発する刑事が多く集められています。二課刑事は〈サンズイは内側から体制をじわじわと蝕んでいく。それを摘むのがお前たちの仕事だ〉と教え込まれ、中才たち情報係は汚職などの情報を拾い集め、それを裏取りしてふるいにかけた後で、摘発部隊のナンバーなどに引き渡すという、重要だが光の当たらない黒子の役回りです。
     その中才警部補が外務省疑惑の端緒を掴むのは、情報収集で長い付き合いのあった元自民党総務会長の水野清からの一本の電話がきっかけだった。警視庁二課刑事の捜査がどう始まり、どんな経過をたどってゴールにたどりついたのかが明らかにされることは珍しい。しかも事件が終わってからそう日がたっていないとあれば、なおさらです。著者は捜査開始の第一歩をこんなふうに描きます。

    〈・・・・・・「ナカサイ」と呼ばれる男につながると、水野は、
    「あのな、けしからん話があるんだ」
     電話でいきなり話を始めた。
    「外務省にとんでもない役人がいるらしい。サミットの入札で談合があるんだそうだ。信頼できる人が私のところに相談に来てんだ。その人の話を聞いてもらいたいんだよ」
    「いいですよ、聞けというなら何なりと。私でよければね」
     電話の向こう側は、警視庁本部の四階にある捜査二課であった。
    「その人が言うにはね、外務省の役人が仕事を妨害して他所の会社に取らせちゃうんだそうだよ。キャリア官僚も手出しができないやり手がいて、そいつらと業者がつるんでいるらしい。外務省に掛け合ったが埒が明かんのだよ。何とかしてくれって言うんだ。近々来れるかね」
    「センセイの事務所ですか。いつでもいいですよ」〉

     時は1999年(平成11年)10月。電話から数日たった10月中旬、中才は水野事務所を訪ね、そこで小柄な老人〈廣瀬日出雄〉を紹介された。いつものように興味津々で同席している事務所の主、水野清が二人の顔を交互に見て言った。

    〈「この人は誠実な人ですよ。途中で放り投げることはしませんから、廣瀬さん、安心してお話ししてください」(中略)
    「うちの日成グループに、近代商事という会社があります。もともとは知人から頼まれて引き受けた会社で、実務はそこの番頭たちに任せていたので、私は相談役という形を取っています。
     その近代商事では、外務省に事務機器を納入したり、印刷物を引き受けたりしてきました。仕事は競争入札ですし、以前と違ってそれほど大きな儲けもないので、他の業者ともうまくやってきました。ところが昨年、近代商事から番頭格の人間が独立して新しい会社を興したあたりから、秩序が乱れるようになりました」
    「社員たちがお宅の会社から飛び出したんですね。ただ仕事は競争入札で取り合うんでしょう?」
     と中才は言った。
    「入札を仕切る役人たちがいるんですよ。その役人にうちにいた番頭たちも取り入って、受注しているらしいです」
    「おたくの仕事も奪われたわけですね」
    「…………」(中略)
     ある話に差し掛かったとき、聞き流しているように見えた中才が突然、聞き直した。話の途中で質問をするのは珍しいことだった。それは、納入業者が問題の役人にビール券やタクシーチケット(クーポン券)などを贈っているという証言に差し掛かったときだった。「それですが……どの業者もやっているんですか? おたくの会社も?」
    「これまではね。儀礼的な挨拶ですが、そうせざるを得ないんですよ」
     中才が金券の提供に強い興味を抱いたことは、廣瀬にもわかったようだった。受け取っている役人は誰ですか、と中才が勢い込んで尋ねたからである。
     廣瀬は一人の役人の名前を挙げた。〉

    〈廣瀬さん、また話を聞かせていただけますね。できれば現場の担当者もご紹介いただけると助かります〉廣瀬にそう告げて水野事務所を出た中才は、警視庁に戻ると、そのまま捜査二課長室の隣にある資料室――20畳ほどの小さな図書館に潜り込んだ。

    〈中才は資料室に誰もいないのをもう一度確認すると、外務省職員録や大蔵省印刷局編の職員録で外務省の項を開き、廣瀬が口にした官僚の名前を探した。ビール券やタクシーチケットをもらっているという役人の名前である。
     確かに、その男はいた。
    「外務省欧亜局西欧一課課長補佐 浅川明男」
     中才は備え付けのコピー機でその項を複写し、椅子に腰かけた。それからゆっくりと古い職員録を繰って浅川の経歴をさかのぼっていった。
     いいネタだ、と彼は思っていた。中才は廣瀬の言葉を反芻していた。彼は二つの疑惑を証言したのである。〉

     中才がひとりで進める情報収集は資料による裏付け、確認を経て次第に捜査の色彩を強めていきます。ほどなくして浅川明男の後任、松尾克俊・九州・沖縄サミット準備事務局次長の名前が浮かび上がり、「サンズイ」を目指す二課刑事たちの捜査が本格化していくのですが、最終的には松尾克俊による〈未曾有の公金詐取事件〉で決着したことは、先述の著者「あとがき」にあるとおりです。

     著者は、「ある警察官からのメール」を本作冒頭に置いています。
    〈僕が新任だった頃、ある係長が二・二六事件の将校を称え、「警察官もまた国家のために奉公することこそ、男子の本懐とすべし」という趣旨のことを言いました。
     その人はとても実直で僕の好きなタイプの人でしたが、僕はそのとき、この「急訴事案」に駆けつけ、反乱軍の兵士に射殺された警察官の話をし、警察官の本質はそこにあると反論しました。
     時代の状況がいかなるものであれ、治安を守るそのことこそ警察官の役割である、そしてそれに対する見返りなど微塵も期待しない、歴史上に無名の士としても残らない、「石礫(いしつぶて)」としてあったに過ぎない。僕は奉職しているかぎり密かにその覚悟だけはいつも持っていようと、思っています。〉

     そしてメールを送ってきた「ある警官」が著者の古い友人であることを明かした上で、書名を「石つぶて」とした理由を、「あとがき」でこう記します。
    〈友人は、本書に登場する中才宗義氏ら四人の元刑事と同じ世代に属している。この本をほぼ書き上げたとき、公金詐取事件を巡って、一群の刑事が霞が関に投じた一石や刑事たちの存在自体もまた、「石つぶて」と呼ぶにふさわしいと考えた。〉

     国民の目が届かない裏舞台で、政治家やその意向を忖度する役人たちが何をしているのか――盤石のはずだった体制に小さな亀裂が入り、なんだかとんでもないことが進行していたということがわかってきた。それが森友学園の問題であり、加計学園の問題です。本作の4人の刑事がみずから「石つぶて」となって霞ヶ関に投じた一石によって、役人が地位を利用して億単位の機密費(税金)を「領収書がいらないカネ」と言って湯水のように使っていたことが明らかになりました。犯罪として立件されたわけですが、その温床となった政官界の構造が完全に改められたわけではありません。それは森友、加計疑惑を見れば明らかです。前理事長夫妻の詐欺事件だけで終わらせていいわけがありません。
     出世を望まず、悪戦を生きる全国の無名の刑事たちは、そんな日本社会をどう見ているのか。彼らへの思いを込めて清武英利が書きあげた『石つぶて』は、日本社会の闇を照らしだしています。(2017/9/1)
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    投稿日:2017年09月01日
  •  1960年5月19日深夜、衆議院日米安全保障条約等特別委員会で新条約案が強行採決され、翌20日に衆院本会議を通過しました。安倍晋三首相の祖父、岸信介首相(当時)率いる内閣と自民党は右翼団体、博徒、暴力団を公設秘書として国会内に入れ、座り込んだ社会党議員をごぼう抜きにして採決を強行したのです。敗戦から15年、サンフランシスコ平和条約(独立)から9年。戦争、占領時代の影が残っている時代だったとしても、時の首相が「政財界の黒幕」と呼ばれた児玉誉士夫、1976年(昭和51年)にロッキード事件が発覚、ロッキード社の秘密代理人を務めていたことが露呈したが、それまで隠然たる力を誇っていたフィクサーを頼って右翼・暴力団員を国会内に引き入れたというのですから驚きです。岸内閣への抗議として自民党からも石橋湛山、河野一郎、三木武夫、松村謙三といった有力者が翌日の本会議を欠席、あるいは棄権しましたが、強行採決に抗議する国民の声はさらに広がり、30万人を超す市民が連日「安保反対」「岸内閣退陣」を求めて国会を取り囲んだ。

     国論が二分される緊迫した状況が続くなかで、その記事は発表された。6月4日付け図書新聞一面。「民主か独裁か」と題する論稿です。強行採決の5月19日から約2週間たっていましたが、原稿末尾には〈5月31日夕〉と記され、このままでは6月19日に新条約が自然成立してしまうというスケジュールを意識してギリギリのタイミングで発せられた国民への緊急メッセージでした。
     筆者の竹内好(たけうち・よしみ)は、1910年(明治43年)長野県生まれの中国文学者。1931年(昭和6年)東京帝大文学部支那学科に入学。在学中に後に作家となる武田泰淳らと「中国文学研究会」を結成し、「中国文学月報」を創刊。1943年(昭和18年)召集により陸軍二等兵として中国大陸へ出兵。1945年(昭和20年)終戦を中国大陸で迎え、復員。60年安保の時、東京都立大学教授を務めていたが、岸内閣の強行採決に抗議して辞職した。この時発表したのが「民主か独裁か」の記事です。

    〈当面の状況判断〉というサブ見出しの下、筆者自身が〈いかなる個人および集団によって利用されるのもいとわない。この稿に関しては私は著作権を放棄する〉とした「民主か独裁か」は、競合紙「日本読書新聞」を初め、学生新聞などにも続々と掲載されました。そして原稿発表から11日後の6月15日――市民33万人が国会周辺を埋め尽くし、国会への突入を図る全学連と警察が衝突。東大生・樺美智子さんが死んだ。6月19日に新条約は参議院における審議・議決を経ることなく自然成立しますが、6月23日には岸首相がついに退陣を表明。そして7月15日に岸内閣総辞職、池田勇人が首相に就任し、新しい時代が始まりました。
     戦後日本が大きな岐路に立つなかで発表され、岸内閣の政治手法に疑問を感じた多くの国民、市民の強い支持を得た竹内好の「民主か独裁か」。時代を変えた論稿として記憶されることになった、この伝説の記事が復刻され、2017年8月4日、電子書籍『民主か独裁か』の配信が始まりました(イーブックイニシアティブジャパン、無料)。

     岸内閣による強行採決とその直後の政治状況に対する竹内好の判断にぶれはまったくありません。渾身の、そして真っ直ぐな訴えはこうです。
    〈三 民主か独裁か、これが唯一最大の争点である。民主でないものは独裁であり、独裁でないものは民主である。中間はありえない。この唯一の争点に向っての態度決定が必要である。そこに安保問題をからませてはならない。安保に賛成するものと反対するものとが論争することは無益である。論争は、独裁を倒してからやればよい。今は、独裁を倒すために全国民が力を結集すべきである。
    四 安保から独裁制がうまれた。時間の順序はそうである。しかし論理は逆である。この論理は五月十九日が決定した。〉

     5月19日「安保新条約強行採決」を境にすべてが転換したとする認識から出発して、〈民主か独裁か、これが唯一最大の争点である。民主でないものは独裁であり、独裁でないものは民主である。中間はありえない〉と断じ、そうであれば〈安保に賛成するものと反対するものとが論争することは無益である。論争は、独裁を倒してからやればよい〉と説いたのです。
     このあと、〈5月19日の意味転換〉をとらえることに失敗した既成政治勢力――社会党、共産党、総評それぞれに言及した竹内好は、それら既成の政治勢力に頼ることなく、〈民主か独裁か〉を唯一、最大の争点として国民、市民が結集する道筋を示していきます。

     ラジカル(根源的)にして現実的。岸信介の政治を徹底批判して〈民主か独裁か〉を迫った竹内好の言葉が、ほぼ半世紀後の2017年の現在にそのまま通じるように感じるのは、ひとり私だけでしょうか。奇しくも時代は、岸信介の孫、安倍晋三首相の治下にあります。
     2012年12月に2度目の首相の座に返り咲いて以来、“安倍一強”と言われ、強行採決あり審議回避ありの思い通りの政治を行ってきた安倍晋三首相。森友学園、加計学園問題によりそれまで高位安定してきた支持率が30%前後の危機ゾーンまで急落したあげく、7月の都議選で惨敗を喫し、「国民の声に謙虚に耳を傾ける」と表明はしましたが、森友問題をめぐる国会審議で「資料を破棄した」と言い続けた財務官僚を国税庁長官に取り立てた上、慣例となっている長官としての記者会見は開かないというのですから、実際の政治姿勢は変わってはいないと見えます。一事が万事、やりたい放題の“独裁政治”はどこも変わっていないという批判が高まるのも当然でしょう。
     そして――こうした安倍政治を追及する立場の野党がまた、どうにも腰が据わっていないというか、はっきりしないのが2017年現在の政治状況です。例えば野党勢力の中心となる民進党の原発政策はその象徴でしょう。「原発再稼働」を既定路線とする安倍内閣に対して、「原発ゼロ」を前面にだして対立軸を「脱原発か原発依存か」と明確にすべきにもかかわらず、最大の支持母体である連合、その傘下の電力総連に気兼ねして「原発ゼロ」の政策目標をすっきりと打ち立てることが出来ずに右往左往しているのです。2016年10月の新潟県知事選で「原発再稼働を認めない」米山候補支持で一本化できずに「自主投票」に逃げたお粗末さを、竹内好が見たらなんと言うでしょうか。

    「民主か独裁か」の記事は、1980年(昭和55年)に刊行が始まった『竹内好全集』(筑摩書房、全17巻)の『第九巻 不服従の遺産 一九六〇年代』に収められました。第九巻タイトルの「不服従の遺産」は〈父の思いがこもった表題だった〉と故・竹内好氏長女の竹内裕子氏からお聞きしました。しかし全集はすでに絶版で、古書は高価です。竹内裕子氏が若い読者に手に取ってもらえたらと電子書籍制作を快く受け入れてくれた結果、配信が実現しました。全集巻末の飯倉照平氏による解題も竹内裕子氏の協力で本書にも収録されています。

     法政大学の山口二郎教授は、東京新聞の「本音のコラム」に、
    「この一週間の国会審議を見て、日本の議会政治の崩壊は最終段階に入ったと痛感した。一九六〇年安保の時、中国文学者、竹内好は民主か独裁かという戦いだと喝破した。岸信介の孫が議会政治を壊そうとしている今、私は文明か野蛮かの戦いだと訴えたい」
     と書きました(2017年6月11日付朝刊)。
     竹内好が〈民主か独裁か〉と迫り、30万人を超える人々が国会を包囲するなかで、岸信介首相は「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつも通りである。私には『声なき声』が聞こえる」と語った後、退陣に追い込まれました。それから半世紀――先の都議選投票日前日、岸元首相の孫、安倍首相は「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と声を張り上げ、批判の嵐の中で支持率が急落、内閣改造で事態の打開を図ろうしています。
     それにしても、「声なき声」の岸信介元首相と「こんな人たち」の安倍晋三首相が重なり合って見えてきます。繰り返しますが、この二人の首相――祖父と孫――を泉下の竹内好はどんな風に見ているのか、聞いてみたい。(2017/8/25)
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    投稿日:2017年08月25日
  •  主人公は、中根望来(なかね・みく)。中学・高校を桜の園(さくらのその)女学院で過ごし、そのままエスカレーターで桜の園女子大に進学。少女時代に親しんだ物語の世界、それを作り出す側――編集者として文学に関わりたくて、高校生の頃から出版社への就職を希望していた望来。だから憧れの放談社(ほうだんしゃ)に入社できたときは、夢が叶った喜びで胸が一杯になった。講談社文庫のための書き下ろし作品『ツボ押しの達人』(講談社、2017年8月11日配信)の舞台が〈業界最大手の放談社〉。この遊び心が、室積光作品の魅力のひとつだ。
     新入社員研修を終えた望来が配属されたのは「週刊ミライ」編集部。全く予想外の事態で、お嬢さん育ちの望来はいきなりのハードスケジュールに目を回すことになります。朝早くから取材で表を歩き回り、夜遅くまで原稿を書く。週のうち最低一日は徹夜になる。まず必要なのはセンスより体力――想像していた人生とはあまりにかけ離れた毎日が始まった。
     週刊ミライに配属されて一年間で一気に老けた。気のせいではない。肩こりがひどく、便秘になって肌はくすんできている。就寝前のひと時、鏡の中の自分をじっくり見て――(二十四の女の顔じゃないね)自嘲的というより呆れている感じだ。

     そんな望来を呼びつけた編集長の水田達貴(みずた・たつき)が〈達人の取材してこい〉と言い渡して、物語が動き出します。

    〈「達人……ですか?」
     問い返した望来の胸元に分厚いファイルが突きつけられた。
    「まずは都内で取材だ。出張はそれからだな」
     出張? 寝不足が続いていま一つ頭が回転しない。質問は止(や)めておいてとりあえず自分のデスクに戻った。
     戸惑うばかりだ。まず部会もプラン会議もすっ飛ばして、編集長から直接仕事の指示というのが異例だ。
    (私、何かやらかしたっけ?)
     自問してみるがペナルティを受ける覚えはない。第一、それならそのことに対する説教とセットになってしかるべきだ。〉

     渡されたファイルにあった「達人」は、山本俊之(やまもと・としゆき)。先輩記者笠山孝介(かさやま・こうすけ)の説明によれば、無差別大量殺人を計画していた神の真理教団をたった一人で壊滅させた老人だ。望来はその頃小学校低学年。最初名前を見たときにはピンとこなかったが、変身ヒーロー物のストーリーを彷彿とさせる事件は、過去の世相を回想するテレビ番組があれば、必ず取り上げられる話題で、〈それならわかります〉と一応納得しかけた望来ですが、笠山がふと漏らした一言にカチンときた。

    〈「この取材は疎開だな」
    「疎開?」
    「ああ、戦場から一旦退避。山本俊之って人は確かどこかの山奥で暮らしているはずだ。そこに出張して、ほとぼりが冷めるまで帰って来るな、ってことじゃないかな」〉

     週刊ミライは振り込め詐欺とヤミ金融のバックに暴力団の市川組がいると睨んで取材班を組んで長期取材を続けており、望来もこの市川組取材班の助っ人として、ヤミ金融の事務所に融資の申し込みに行くなど、たびたびオトリ役を務めた。若い女性なら疑われないという理由での動員だったが、それがバレた――〈週刊誌の記者と思われていればまだしもだ。警察か探偵の関係者と疑われているなら命の危ない話〉だから、〈疎開、戦場から一旦退避〉これが先輩記者の絵解きだった。納得のいかない望来はファイルを手に再び編集長のデスクへ――。

    〈「これ、疎開なんですか?」
    「何だ? 藪から棒に」
     水田は他の原稿に目を落としたままで応える。質問の答えになっていない。ファイルを編集長席に置いて望来は声を張った。
    「もし、市川組の取材の件で、私の身を案じてのことなら、この仕事は他の方にお願いします」
     ここで水田は顔を上げた。その目を真っ直ぐ見て、望来は続けた。
    「取材先が反社会的集団であれば、命の危険もあるかもしれません。だからと言って、私だけ逃げ出せとおっしゃるなら承服できません」
     腹が立っていた。自分で望んで飛び込んだ週刊誌の世界ではない。だが、今はへこたれずに頑張っている自負と矜持がある。ここで女だからという理由で特別扱いされたなら、頑張ってきた甲斐がない。
    「中根はやっぱりお嬢様だな」
     水田は椅子の背もたれに体を預けて言った。いつもよりいささか柔らかい口調だ。
    「どういうことでしょう?」
     望来は今、そのお嬢様扱いが我慢ならなくて抗議しているのだ。
    「編集長の俺が行けと言ってるんだ。敵前逃亡でも何でもない。素直に従え。グズグズ口答えするのはお嬢様の所業だ」
     これには言い返す言葉が見つからず、望来は黙るしかなかった。
    「確かに、かつて我が社の記者で暴漢に襲われて重傷を負った者がいた。犯人は結局捕まらず、真相は闇の中だ。そんな事例があるからといって、取材でもう一歩突っ込むのを止めれば、それは敗北だ。ジャーナリズムのな。暴力にペンが屈してはならない。だがな、これはお嬢様が一人で挑む戦いではない。チームで戦うんだ。戦い続けるために中根は俺の指示通り動け」
     ふだんからつっけんどんな物言いで、仕事の鬼としか見えない水田編集長は、温情を見せるときにも愛想がない。それがこの人の筋の通し方なのだ。
     望来は無言で感動していた。そのまま一礼して席に戻ると、
    「何だ? 威勢良かったわりにはあっさり撤退したな」
     笠山に小声でからかわれた。〉

     振り込め詐欺、ヤミ金融事件でも、有名人の覚醒剤事件でも必ずと言っていいほど名前の挙がる暴力団市川組。そしてこの反社会的組織との黒い関係が取り沙汰される大物政治家。社会悪に長期取材で挑む放談社の週刊ミライ編集部。“お嬢様”と言われてはいても、中根望来は暴力に屈することを拒否する正義の集団の一員だ。

     改めて“達人”に関するファイルを開く望来。
    〈「山本俊之。一九一九年九月六日生まれ」
    (というと今は八十七歳? 違う、九十七歳だ)
     確かに記憶の中のニュース映像でもこの人は老人の姿だ。あのとき望来自身が子どもだったことを思えば、この高齢も不思議ではない。
    「東京出身。東京府立六中→六高→東京帝国大学法学部」
    (へえ、秀才だ。戦前の帝国大出なんて超エリート)
    「戦後は検察官として働き、昭和三十三年退職。岡山県に移住。現在に至る」〉

     簡単なプロフィールのほかは、達人80歳の時の新聞記事のコピーの束――神の真理教団を壊滅させた勧善懲悪のヒーロー扱いした記事に目を通し、達人の動画をネット検索した。何度再生しても意味のわからない動画に困惑する望来。

    〈どう考えても映っている人物の動きが合理的に説明できないのだ。
    (なぜ倒れる?)
     モニターの中では、達人にかかっていく複数の人間が束になって倒されている。その理由がわからない。
     達人と呼ばれているのは、見た目は特別体力があるとは思えない小柄な老人だ。その老人が舞うように動くと、屈強な大男が見事に飛ばされていく。技を持っていると説明されても、動画の中で展開しているのは超常現象としてしか理解されないものだ。
    (これは楽しみかも)
     望来は今回の仕事に個人的興味を持ち始めていた。〉

     身に迫る危険から逃れることも兼ねて岡山の賢人岳にやってきた中根望来を、山本俊之たちは温かく迎え入れます。とくに、達人の孫娘、加藤寛奈(かんな)夫人とは、偶然、同じ桜の園女学院の先輩後輩だったこともあって、すぐにうち解けた。大自然の中で裸になった心地よさからか、一緒に入った露天風呂で寛奈夫人が重大な秘密を口にした。民権(みんけん)党幹事長だった野玉逸郎(のだま・いつろう)の突然の引退劇に話が及んだ時だった。野玉逸郎は、地盤を譲った息子の真太郎(しんたろう)が議員になった後も真太郎が所属する「みんな幸せ党」を陰で牛耳っている“政界のドン”で、週刊ミライが取材を進めている市川組との関係が取り沙汰されている。週刊誌記者望来も興味津々だ。

    〈──なんで息子に跡目を譲ってドンなんてやってるんでしょう? 体調不良で辞めたわりには元気ですよね。
    「それはあの有名な事件があったからでしょう……野玉逸郎園遊会おもらし事件」
     そうだった。どういうものか新聞テレビでははっきりと報道されなかったが、野玉逸郎は春の園遊会で失禁事件を起こして議員辞職に至ったのだ。
    「まあ、あれは私が犯人のテロだけど」
     寛奈夫人が重大な秘密を口にした。
     ──え? するとあれは例の最強の技で?
    「そう。まあお祖父ちゃんと駕吾原さん(引用者注:達人の同居人。元野玉逸郎秘書)の無念をあれで晴らしたというかな。だって駕吾原さんはすべての罪を背負って刑務所に入ってたんだよ」〉

     望来の質問にある「例の最強の技」とは? 6歳の時に古武術「昇突き流柔術」を習い始めた達人山本俊之が体得した技のうち、最強と呼ばれるは、究極のツボ押し「尊厳崩し」。〈その技をかけられたものは、本人の意思に関係なく「おもらし」をしてしまう。それも小さい方と大きい方の両方……。〉やられた方は命を落とさなくとも人間としての尊厳を失う。どんな権威もガラガラと崩れ去るのだ。ラスボス神の真理教祖、鼎丸瑠璃(かなえまる・るり)もこの技によって信者たちから見捨てられた。政治家も教祖も「おもらし」一発ですべて吹っ飛んで終わりだ。
     せっかく、達人を取材するのだから、護身術にこの痛快な技を身につけることは出来ないものか。中学に入ってすぐに細くきれいな足で走るのが速そうな雰囲気なのに、実際は遅かったところから「ドンカモ(鈍足のカモシカ)」のあだ名を頂戴した望来ですが、少しは強くなって帰りたいと心の奥底で思っていた。

     翌日曜日の午後。午前中に達人のインタビュー取材をした望来は、寛奈とマルコ(クロアチア系ドイツ人の若手陶芸家、マルコ・コバチェビッチ)の稽古を見に行くという達人に見学を申し出た。
     そして昇月流柔術――ツボ押しを初体験。マルコに肩を軽くたたかれただけなのに、腰が抜けて、芝生の上に横座りになってしまった。そして寛奈夫人がマルコに同じ技をかけるのを間近に見て、ようやく自分が何をされたのかを理解した望来に寛奈夫人が〈挑戦してみましょうか〉と声をかけた。

    〈「言葉で説明すると、力を抜いて。腕を脱力させて相手の肩を真上から叩く」
     なるほど、言葉としては理解した。望来は右腕から力を抜いて、マルコとすれ違う瞬間、掌をその肩に叩きつけた。
    「ウワー」
     歓声を上げたのは二人の少年(引用者注:陶芸家・加藤雄三氏と寛奈夫人の息子たち)だった。おとなたちは固まっている。
     望来が振り返ると、マルコがものの見事にひっくり返っていた。(中略)
    「あの脱力の要領が一回でわかる人はなかなかいないよね?」
     寛奈夫人が達人に確かめた。
    「うん。なかなかおらんのう。これまでは寛奈ぐらいのものか」
     達人はしばし考えていたが、「もう一度。もう一度やってみんさい。今度は二人続けて」
     そう望来に促すと、雄三氏とマルコに二メートルほど間隔を置いて立つように命じた。「ではもう一度脱力して打つ」
     寛奈夫人の声がかかると同時に、望来は歩き始めた。雄三氏、マルコと続けて打つ。
     二人とも倒れた。〉

     運動音痴を自認していた「ドンカモ」の望来に何が起きたのか。達人が天才寛奈以来と認めた望来の才能はどこまで開花していくのか。
     望来が東京を離れた後、反社会的組織市川組との対峙が続く「週刊ミライ」編集部は、一層切迫した事態に追い込まれていきます。
     そして――編集長刺傷の報を受けて東京に戻る望来。必殺シリーズを彷彿させる痛快活劇展開はここでは書きません。本書の一気読みで堪能してください。
     達人の達人たる所以を描いた一節を紹介して、この稿を閉じます。

    〈「寂しさは幸せな心境じゃ。中根さんのご両親はご健在か?」
    「はい、おかげさまで」
    「じゃが、いつかお別れの日は来る」
    「そうですね」
    「そのときは悲しいぞ」
    「はい、そうだと思います」
    「じゃが、悲しみはいずれ癒える日もくる。次に寂しさがやってくる。この寂しさは癒えることはない。一生続く。寂しさは自分がその人を想い続けている証なんじゃ。な、幸せじゃろう?」
    「そう考えるとそうですね」
     達人は祠を見た。望来もつられて見た。たくさんの木札。たくさんの寂しさ。
     若い望来には想像もつかない寂しさ。それがこの達人の人生の中にある。
     そう思う望来の心の中を見透かしたように達人は言った。
    「さよならだけが人生じゃ」〉

     木札には訃報の届いた人々の名前が書かれてある。ひとつの木札に、ひとつの人生。
     薄っぺらで情けない人物が放つ負のオーラから解放されて救われるのは望来だけではありません。室積光の文に接した私たちも、描かれる人間の深みにいつしか引き込まれ癒やされていくのです。誰がどう見ても「嘘」とわかることを恥じることなく国会や記者会見で言ってのける政治家が君臨する時代のツボを的確に押すパロディの批判力に拍手です。
    「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく」井上ひさしさんが残した言葉を思い出します。
     達人山本俊之デビューの第1作『達人 山を下る』、第2作 『達人の弟子 海を渡る』(ともに中公文庫、2013年7月5日配信)も読みたくなった。(2017/8/18)
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    投稿日:2017年08月18日
  •  3月16日。3.11から5日。
    ・福島第一原子力発電所3号機から白い湯気のような煙(のちに3号機は地震の60時間後、2号機は101時間後にメルトダウンしていたと発表)。
    ・米国が福島第一原発から80キロ圏内在住の在日米国人に退避勧告。

    〈放射能が降っています。静かな夜です。 2011年3月16日21:30〉
    〈放射能が降っています。静かな静かな夜です。 2011年3月16日21:35〉
    〈あなたにとって故郷とは、どのようなものですか。私は故郷を捨てません。故郷は私の全てです。 2011年3月16日21:44〉

     20歳になったばかりの頃、作家の井上光晴さんに出会って、詩を書き始めた福島の青年がいた。「いいか、書くんだぞ。書いて、書いて、自分を創造していくんだぞ」――井上さんの言葉をきょとんとした思いで聞いていた20歳の青年は、2011年3月11日、東日本大震災と福島第一原子力発電所のメルトダウン事故の被災者となった。
     3月16日の夜、井上光晴さんの言葉に触発されて詩作を続けていた被災者はツイッターへの投稿を始めます。まったく先の見えない状況下、福島から発信するツイートの数々を詩人は「詩の礫(つぶて)」と名づけた。3.11後の空気をそのまま記録した、それは2か月後の5月26日まで続き、2011年6月、一冊の詩集に編まれた。
    『詩の礫(つぶて)』(徳間書店、2017年7月14日配信)。言葉の力を信じた詩人、和合亮一さんが被災地で書き続けた言葉の礫は2016年にフランス語版が刊行され、総合文化誌「NUNC(ニュンク)」が主催する文学賞「ニュンク・レビュー・ポエトリー賞」を受賞。「福島の原発災害という悲劇的な状況の中で湧き上がる詩的言語の奥深さと清さ。そして、外に向けて発信し、状況を伝え、そして現実/歴史を証言する緊急性がツイッターという手段と相まっている」という受賞理由は、福島で生き、福島から発信しつづける和合さんの創作活動と覚悟に対するなによりの言葉だと思う。
     ヒロシマ1945.8.6 AM8:15 ナガサキ1945.8.9 AM11:02 チュエルノブイリ(旧ソ連、現ウクライナ)1986.4.26 PM01:23 フクシマ2017.3.11 PM02:46――核の歴史に刻印された、4つの特別な一日。そのうちの3つが日本で起きたことであることを、私たちは記憶するべきだ、けっして忘れてはならない特別な日だ。
     この核の歴史に付け加えられるべき、新しい一日は――2017.7.7。核兵器禁止条約が122か国の賛成を得て国連で採択された、記録されるべき特別な日です。核兵器の使用や開発、実験、生産、製造、保有などを禁止するだけでなく、核抑止力の根幹ともされる「使用するとの威嚇」も禁止するという画期的な内容で、条約の前文には「核兵器の使用による被害者〈ヒバクシャ〉ならびに核兵器の実験によって影響を受けた人々に引き起こされる受け入れがたい苦痛と危害に留意」と、日本語のヒバクシャがそのままローマ字で〈hibakusha〉と綴られました。世界は”hibakusha”――「被爆者」、そして「被曝者」――を核を語る共通の言葉として受け入れたのです。しかし――安倍首相の政府は、核兵器を違法とする初めての条約へ参加しませんでした。広島市長(8月6日)、長崎市長(8月9日)がともに参加を求める発言を行いましたが、安倍政権が応じる様子はまったくありません。

     核兵器禁止の動きには不参加で水を差し、福島原発周辺地域への帰還を推し進め、一方で自主避難者に対しては自己責任論で迫り、さらに避難経路も計画も確保しないままに原発再稼働に走り、世界が風力や太陽光など再生可能エネルギーへのシフトを強める中で原子力発電所の新設さえ将来のエンルギ-計画のなかにしっかりと織り込むことを忘れない。3.11から6年――安倍政権とHIBAKUSHAとの間の深い溝が私たちの眼前で露わになっています。だからこそ、『詩の礫』の次の言葉を読んでいただきたい。

    〈南相馬市の夏が好きだった。真夏に交わした約束は、いつまでも終わらないと思っていた。原町の野馬の誇らしさを知っていますか? 2011年3月18日14:14〉
    〈南相馬市の野原が好きだった。走っても走ってもたどりつかない、世界の深遠。満月とススキが、原町の秋だった。 2011年3月18日14:15〉
    〈南相馬市の冬が好きだった。少しも降らない冬の、安らかな冷たさが好ましかった。原町の人々の無線塔の自慢話が好きだった。 2011年3月18日14:17〉
    〈あなたはどこに居ますか。あなたの心は風に吹かれていますか。あなたの心は壊れていませんか。あなたの心は行き場を失ってはいませんか。 2011年3月18日14:18〉

     20分ほどして、詩人はこう発信する。
    〈2時46分に止まってしまった私の時計に、時間を与えようと思う。明けない夜は無い。2011年3月18日14:45〉
     そしてさらに翌日――。
    〈あなたには、懐かしい街がありますか。暮らしていた街がありますか。その街はあなたに、どんな表情を、投げかけてくれますか。 2011年3月19日4:15〉
    〈あなたにとって、懐かしい街がありますか。私には懐かしい街があります。 2011年3月19日4:15〉
    〈その街は、無くなってしまいました。 2011年3月19日4:16〉

     放射能が降る静かな、静かな夜。ひとり、自己を見つめて紡ぐ和合さんの言葉。詩人が綴る想いは、静かに響き胸の底に重く沈んで、確かなものとしていつまでもそこにある。「制御」という言葉について、詩人はこんなふうにつぶやきます。
     3.11から11日。福島県5市町村の水道水から1キロあたり100ベクレル超えの放射性ヨウ素が検出された3月22日の夜――。

    〈制御とは何か。余震。 2011年3月22日22:08〉
    〈あなたは「制御」しているか、原子力を。余震。 2011年3月22日22:13〉
    〈人類は原子力の素顔を見たことがあるか。余震。 2011年3月22日22:16〉

     2013年9月7日。アルゼンチン・ブエノスアイレスで開かれた国際オリンピック委員会(IOC)総会に臨んだ安倍首相のプレゼンテーションは、『詩の礫』と対極にあるものでした。今も官邸ホームページに堂々と掲げられています。
    「フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません」
     スピーチ冒頭で、” The situation is under control”という強い表現で汚染水は完全にコントロールされていると強調した安倍首相の言葉。フクシマがそんな状況にはないことは、多くの日本人が知っています。政治的な思惑を秘めて発する政治家の言葉の軽さを示す典型例と言ったら、言い過ぎでしょうか。
     8月6日広島でも、8月9日長崎でも、多弁ではあるが胸には響かない、真のないスピーチが繰り返されました。そんな時だからこそ、揺れ続ける福島で和合亮一さんが発信してきた3.11後の記録に立ち返ってみたい。
    『詩の礫』のほか、続編にあたる『詩の礫 起承転転』(徳間書店、2017年7月14日配信)も注目です。そしてもう2冊――核の歴史に刻印されたヒロシマとナガサキの特別な日を撮った写真集、『ヒロシマ 1945.8.6――原爆を撮った男たち (1)』(日本写真家ユニオン、2008年7月18日配信)、『ナガサキ 1945.8.9――原爆を撮った男たち (2)』(日本写真家ユニオン、2008年7月18日配信)は、イーブックジャパンでしか読めない特別な本です。今も私たちに突き刺さってくる72年前の被爆実相が、ここにある。(2017/8/11)
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    投稿日:2017年08月11日
  •  38年前の1979年に一冊の翻訳書が出版され、70万部を超える大ベストセラーになりました。エズラ・ヴォーゲル著『ジャパン・アズ・ナンバーワン――アメリカへの教訓』(ティビーエス・ブリタニカ発行、広中和歌子、大木彰子訳)です。当時、東アジア研究の第一人者であったハーバード大学・ヴォーゲル教授による日本の経済・社会制度に対する高い評価をストレートに表現した原題”Japan as Number One: lessons for America”は、日本人の心に心地よく響き、流行語にさえなりました。
     “得意の絶頂”から半世紀近い年月を経て、混迷の中にある日本経済。今働き手として社会の中軸にいる40代以下の人たちは「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代に幼かったか、まだ生まれていませんでした。ですから敗戦から戦後復興を経て奇跡の高度経済成長を遂げ、ヨーロッパ先進国を追い抜き、アメリカに次ぐ世界第二の経済大国になった時代の空気を直接吸ってはいませんが、日本は先進国として世界経済の中で確固たる位置を占めていると思っているはずです。実際、世界ランキングを見ていくと、日本はすごい国、なのです。
    ・GDP(国内総生産):世界第3位
    ・製造業生産額:世界第3位
    ・輸出額:世界第4位
    ・研究開発費:世界第3位
    ・ノーベル賞受賞者数:世界第6位
     中国に抜かれたとはいえGDPは世界第3位の座をキープしています。ノーベル賞受賞者数を国別に見ると世界第6位ですが、これも2000年以降で見れば世界第3位です。先進国で順位がここまで上がるというのは、珍しいことだそうです。ほかにもさまざまな世界ランキングで日本が上位に位置しているのですが、その日本の位置はあくまでも1億を上回る人口を背景とする表面的なものであり、日本人はそうした見せかけのランキングに基づく「妄想」に気がつくべきべきだと警告する書が注目を集めています。
     デービッド・アトキンソン『新・所得倍増論』(東洋経済新報社、2016年12月9日配信)です。著者のアトキンソンは、1965年生まれのイギリス人。オックスフォード大学で「日本学」専攻、1992年にゴールドマン・サックス入社。同社取締役、パートナー(共同出資者)となりますが、マネーゲームを達観するに至り、2007年に退社。在社中の1999年に裏千家に入門、2006年には茶名「宗真」を拝受。ゴールドマン・サックス時代に日本人スタッフと15年間共に働いた経験を持ち、初来日から31年――人生の半分以上を日本で過ごしてきたという著者は、日本の現状を〈私は、悔しい〉と、こう書くのです。

    〈日本は1990年、世界第10位の生産性を誇っていましたが、今では先進国最下位です。労働者ベースで見てもスペインやイタリアより低く、全人口ベースでは世界第27位です。1990年には韓国の2・4倍も高かった生産性が、今は1・04倍まで低下しています。このまま何も手を打たなければ、あと2~3年で韓国に抜かれて、アジア第4位の生活水準にまで低下するでしょう。〉

     こんなにも勤勉な日本人がイタリアやスペインのラテン系に生産性で劣っている? まさか、と思う人も多いと思います。著者自身、〈2016年8月にこの分析をしたときは、自分が間違えたのではないかと思って3回くらいやり直しました〉と正直に打ち明けるほど衝撃的な結果ですが、これが現在の日本の現実なのです。なぜ、こんなことになってしまったのか。原因は二つあると著者が続けます。

    〈ひとつは、日本は世界ランキングに酔いしれて、実態が見えていない傾向があるということです。厳しい言い方をすれば「妄想」に浮かされているのです。
     日本は、一見するとすばらしい実績を上げているように見えます。たとえば世界第3位のGDP総額、世界第3位の製造業生産額、世界第4位の輸出額、世界第6位のノーベル賞受賞数──枚挙にいとまがありません。
     しかし、これらすべては日本の人口が多いことと深く関係しています。本来持っている日本人の潜在能力に比べると、まったく不十分な水準なのです。潜在能力を発揮できているかどうかは、絶対数のランキングではなく、「1人あたり」で見るべきです。それで見ると、1人あたりGDPは世界第27位、1人あたり輸出額は世界第44位、1人あたりノーベル賞受賞数は世界第39位。潜在能力に比べて明らかに低すぎる水準です。やはり、やるべきことをやっていないといった問題以前に、世界ランキングに酔いしれて、何をやるべきかをわかっていないのではないかと思います。
     2つ目は、人口減少問題です。言うまでもなく「GDP=人口×生産性」ですので、日本人の数が減る中で経済成長するためには、生産性を上げるしかありません。本来なら、人口増加が止まった1990年には、「生産性向上型資本主義」を目指すべきでした。〉

     1990年代のバブル崩壊を境に、それまで順調に成長していた日本経済が低迷します。右肩上がりで膨らんできたGDPも、1995年に500兆円を超えて以降、今にいたるまで横ばいで推移しています。これがいわゆる「失われた20年」と呼ばれる成長の停滞です。「停滞」といいましたが、他国――アメリカやヨーロッパ先進国はこの間も成長を続けていますから、停滞している日本経済は相対的には縮小しているということです。どれほど縮んだのか。
    ・日本のGDPはアメリカの24.4%(2014年。ピークだった1995年は69.6%!)
    ・ピーク時にはドイツ経済の2.2倍あった日本経済が2014年には1.2まで縮小。
    ・ピーク時にフランス経済の3.5倍あったが、2014年には1.6倍まで縮小
    ・ピーク時にイギリスのGDPの4.3倍だった日本のGDPが、2014年になると1.54倍まで縮小。1960年の日本経済は、イギリス経済の1.67倍ということを考えると、それ以前の水準だと言えます。
     ちなみに先進国ではありませんが、中国との比較では――1993年のピーク時に中国経済の10倍近い規模を誇っていた日本経済は、1996年5倍、1999年4倍、2005年2倍と縮小を続け、2009年にはとうとう逆転され、2014年には44%と半分以下の規模に後退してしまいました。世界第2位から第3位に転落した日本経済ですが、2015年のIMFのデータでは、インドに抜かれて第4位にまで落ちたことが明らかとなっています。

    〈世界を見渡してみると、生産性が急上昇している途上国の経済成長がますます高まっています。中国のように、人口が多い上に極端に低かった生産性を徐々に向上させている国も出てきました。一方で、人口がそれほど増えていない先進国も、経済成長は止まっていません。つまり、経済が20年も伸びない日本は、どちらのカテゴリーにも入らない「異常」な国だと言わざるをえません。
     世界全体が成長を継続している中で、日本だけがGDPが増加していないという異常事態によって、日本が世界経済の中で占める比率が著しく低下し、その優位性が大きく揺らいでいます。他国との伸び率の差が毎年わずか数%であっても、20年間継続すれば大きな開きが生まれるのは、考えてみれば当然でしょう。〉

     人口というボーナスのおかげで高度成長を達成した日本はいまや、人口減少社会に転じました。それによる経済の縮小を打開し、成長軌道に復帰するにはどうすればいいのか。道はある――と断言する著者によれば、日本の停滞を象徴しているのが銀行の生産性の悪さです。〈なぜ銀行の窓口はいまだに3時に閉まるのか〉の見出しを掲げて、著者はこう指摘しています。

    〈今の日本の生産性の悪さを象徴するのが、銀行窓口が午後3時に閉まるという現実です。銀行窓口の営業時間には、生産性を上げようという意識のかけらも見られません。
     ご存じのとおり、日本の銀行窓口は午後3時に閉まります。これは、銀行がまだそろばんと手書きの帳簿を使っていた時代の慣習の名残です。3時に窓口を閉めて、お札、小切手、小銭を手作業で確認して、帳簿に書いて計算、数字を合わせると、だいたい5時くらいになります。アナログ時代に、行員たちが5時に終業するための決まりなのです。調べてみたところ、明治時代にできたルールであることがわかりました。
     しかし、今はどうでしょう。ATMもあるので窓口の取引は減り、お札や小銭を数える機械もあります。帳簿は手書きではなくシステムが開発され、計算は機械がやってくれます。3時に窓口を閉める理由はないのです。
     それより驚くのは、ATMを使った振込も3時までで締め切って、その後の振込は翌日扱いになるということです。システムを使った振込ですので、支店の営業時間に合わせる意味がわかりません。あまりに気になったので全国銀行協会に尋ねてみたのですが、やはり理由はないそうです。ただ単に昔の名残が、検証されないまま続いているのです。
     これは、皆が結婚し、男性は仕事、女性は専業主婦という時代だからこそ許容されていた仕組みです。これなら、奥さんがいつでも銀行に行けるので、問題はありませんでした。
     しかし、今はそんな時代ではありません。男性も女性も外で働くことが多くなりましたので、結局、昼休みに銀行窓口の長蛇の列に並ばざるをえないのです。このような光景を見るにつけ、多くの人の生産性が犠牲になっていると感じます。
     くだらない例だと思われるでしょうか。しかし、こういった例はたくさんあります。「塵も積もれば山となる」のことわざのとおり、日本の生産性を下げる要因は、社会全体に蔓延しているのです。〉

     銀行の窓口を3時に閉めるという慣習は、実は日本オリジナルではなく、ヨーロッパの金融機関で生まれたものだそうです。それがそのまま日本にもち込まれたのですが、皮肉なことに「本家」のヨーロッパではすでに、通常のサービス業の企業と同様に遅くまで窓口を開けるようになっています。IT導入によって働き方を変え、生産性向上を実現したのです。ヨーロッパでは過去の習慣を変えているのに、なぜ日本だけはいまだにこのルールを守っているのか。
     旧態依然たる銀行窓口の光景――「女性の職場」は「3時閉鎖」以上に深刻な問題といえるかもしれません。〈銀行の窓口業務を行っているのがほとんど女性行員だという事実〉は、日本の生産性が低いことの象徴的要因なのです。これまで日本企業において女性の潜在能力は明らかに過小評価され、労働力として有効活用されてきませんでした。

    〈日本人女性の収入は、男性の約半分です。他の先進国の女性の収入が男性の約8割ですから、驚くほど少ないと言えます。
     これは単純に女性の給料を上げれば解決できる問題ではありません。ニューヨーク連銀の分析では、この収入格差は同一の仕事に関してのものではありません。まったく同じ仕事をしているのに、女性がパートだから給料が安く、男性が正社員だから高いという話ではないのです。日本では、女性は非正規が多いとか、パートが多いというように、雇用形態にフォーカスをあてた議論が多いのですが、女性にパートや非正規が多いのはあくまで結果であって、問題の根幹は、企業側が女性の潜在能力を有効活用していないということにあるのです。〉

     これまで過小評価してきた、労働者の半分たる女性たちのフル活用。潜在能力に見合う正当な仕事を与えることで、人口減少社会で経済を成長軌道に乗せる道筋が見えてくるはずだというのです。生産性ランキング上位を占める国は、ほぼ例外なく女性の給料が高いという特徴があるそうです。ただ単に高いのではなく、それなりの仕事を与えて、それなりに生産性を高めて、その分が給料アップに結びついているということです。
     かけ声ばかりの「アベノミクス」、「女性活躍社会」では、日本復活の道筋はみえてきません。「1人あたり」の実質的姿に着目した日本経済の分析。そこから導き出された「年収2倍」への道――「平成の所得倍増論」。山本七平賞受賞の前作『新・観光立国論―イギリス人アナリストが提言する21世紀の「所得倍増計画』(東洋経済新報社、2015年6月10日配信)と併せてご一読ください。(2017/8/4)
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    投稿日:2017年08月04日
  •  背筋が凍るような恐怖感を覚えた。
     経産省在職中の2011年4月――東日本大震災、福島第一原子力発電所事故の翌月――に「東京電力破綻処理策」を提起、経産省から退職勧告を受け、9月に職を辞した古賀茂明氏の新著『日本中枢の狂謀』(講談社、2017年5月30日配信)は、安倍晋三首相とその政権を担う中枢の人たちが国民(市民)の命と安全と引き換えにいったい何をしようとしているのか、どんな国に作り替えようとしているのかを的確に、わかりやすく俯瞰した本だ。
     問題は「メディア支配」「戦争する国」から「日本経済沈没」まで多岐にわたりますが、ここでは国民各層の間に根強い原発再稼働反対の声をよそに原発を復活させてきた狂気の謀(はかりごと)――「狂謀」を見ていきたい。

     2016年8月に再稼働した四国電力伊方原発3号機について、松山地裁は7月21日、運転差止めの仮処分を求めた住民の申し立てを却下しました。3月の広島地裁決定に続いて原発の運転を容認する司法判断の流れに大筋で沿った形で、原発の新規制基準に不合理な点はないという判断です。しかし、はたして原発新規制基準は「不合理な点はない」と言いきれるものなのでしょうか。決定を下した久保井恵子裁判長も避難計画の不備については「適切な見直しがない場合に違法となり得る」と留保せざるを得なかったのはなぜでしょうか。
     古賀茂明氏は、安倍首相が「世界一厳しい」と誇る新規制基準の正体をこう斬って捨てる。少し長くなりますが、〈第六章 甦った原発マフィア〉から一部を引用します。

    〈安倍総理は、二言めには「原子力規制委員会が世界一厳しい規制基準に適合すると認めた原発は再稼動させる」と発言する。「世界一」だということへの批判が強まると、「世界最高水準の」といい換えたりするが、いずれにしても、これこそ「世界一の大嘘」だといってよい話だ。
     もちろん、二〇一一年の福島原発事故前の基準に比べれば、かなり厳しくなったとはいえる。が、それでも、世界の常識からはかなり遅れたところがあるし、基準自体は厳しくなっても、その導入が先送りにされたりする。規制の執行力も極めて弱い。
     いま私が最も信頼している原発専門家である佐藤暁(さとうさとし)氏によれば、アメリカでは、原発から半径〇・四マイル(約六四〇メートル)が立入制限区域、半径三マイル(約四・八キロ)が低人口地帯とされ、近くに人口二万五〇〇〇人以上の町があれば、そのはずれから四マイル(約六・四キロ)以上離さなければならない。五マイル以内に活断層があってもいけない。実際、建設中の原発の周辺に活断層が新たに発見され、その原発建設が中止された例もある。
     ところが日本では、活断層が原発敷地内にまで入り込んでいたり、本来は低人口とすべき地域に大きな病院が建っていたりする。とても、アメリカ並みの基準にすることはできない。
     アメリカでは、少しでも危ないなら建てないほうがいいという、ごく常識的なルールになっているのに、日本では原発の存在を何とか認めるために、ゆるゆるの規制にしているということが分かる。しかも、最近では、重要施設の下に活断層があっても安全対策を施せば原発建設を認めるべきだという議論まで出始めている。
     もし、立地に関するアメリカの基準を当てはめれば、日本のほとんどの原発は廃炉にするしかなくなる。〉

     3.11の時、私たちは「免震重要棟」がいかに重要な施設であるかを知りました。しかし、規制委はその施設の建設を5年間猶予し、さらには〈免震でなくても、同様の効果を発揮できる(意味が分からない)建物なら耐震でもよいということにしてしまった〉と古賀氏はいうのです。この一事をもってしても〈メチャクチャ〉なのですが、それどころか規制委は避難計画を規制基準からはずしてしまった。

    〈IAEA(引用者注:国際原子力機関)が打ち出している「深層防護(Defence-in-Depth)」という考え方がある。これは、原発の安全性を確保するために、五段階の安全対策をとることを各国に求めるものだ。
     その第一層は、異常の発生を防止する。第二層は、異常が発生してもその拡大を防止する。第三層は、異常が拡大してもその影響を緩和し、過酷事故に至らせない。第四層は、異常が緩和できず過酷事故に至っても、対応できるようにする。第五層は、異常に対応できなくても、人を守る、というものだ。
     こんなものがあることは、日本人のほとんどは、福島原発事故の前までは知らなかった。が、福島事故後は頻繁に、この考え方が紹介されるようになった。そこで日本も遅ればせながら、これに基づいて規制基準を作ることになった……はずであった。ところが実際には、規制基準の第五層が抜け落ちてしまった。
     第一から三層までは、主として原発施設の設計など、安全を確保する対策が中心になる。基本的には、ここまでで過酷事故(炉心の燃料に重大な損傷を与えるような事故。要するに大量の放射能の飛散を招く事態だと考えればよい)を未然に防ぐということだ。
     第四層は、過酷事故が起きてしまったときでも、それを何とか収束するための準備。施設的な対応も入るが、過酷事故発生後の人的な対応や関係機関との連携など、ソフト面の対応も重要な部分となってくる。
     そして第五層は、放射能の大量飛散が避けられない状態になったとき、とにかく人的被害を最小限に食い止めるための対策。基本は「逃げる」ための準備だと考えればよい。
     危ないから原発を動かさないのではなく、危なくても原発を動かすためには何をすればよいか、それを示したのが「深層防護」の考え方だ。しかし、これを守ったからといって、人的被害がゼロになる保証などない。ただ、原発事業者から見れば、IAEAという国際機関がいったことを守っていれば、事故が起きて大変な被害を出したとしても、「国際ルールをしっかり守っていました」という言い訳ができる。その意味で免罪符であり、また命綱でもあるのだ。
     したがって、仮に原発を動かすのであれば、最低限これをしっかり守ることが大前提になる。
     もちろん深層防護といっても、具体的な内容は、各国が決める。日本では、原子力規制委が、この深層防護の考え方を守って、五段階の規制を決める必要がある。
     ところが驚くべきことに、規制委は、最後の砦となる第五層の中核となるはずの「避難計画」の策定を規制基準の対象からはずしてしまった。この段階で、日本は国際的な常識から外れた規制を始めてしまったのである。
     もちろん、他の独立した第三者機関が避難計画を審査して、その内容の正当性を担保するのであればよいのだが、実際には各自治体が勝手にこれを決めて運用するだけで、その内容に規制委はまったく関知しないばかりか、誰もその内容を実質的に審査しない、という仕組みになってしまった。世界が五層の防護なのに、日本だけは四層の防護という欠陥をかかえたまま、原発再稼動を堂々と認めているのである。〉

     愛媛県の佐田岬半島に立地する伊方原発の場合――海沿いの細い一本道しかない場所であるため、さすがに陸路が途絶えることを想定して、船で避難させる計画もあります。しかし、港が壊れる想定はされていないし、事故のときに大きな台風が来ていたり、強風で船が着かないという事態も、「ない」という前提で計画が作られているという。どうみても計画のための計画でしかなく、過酷事故が起きた時に人的被害を最小にするための本気の行動計画とは思えません。関西電力の高浜原発で行われた避難訓練では、避難できる道路が一本しかないために、避難者を乗せた救急車が高浜原発のほうにどんどん近づいていき、最後にはその横を通って逃げるということになった、こう本書にあります。まともな避難計画もないままに原発の再稼働を認める知事や市長、そしてその最終責任を請け負う総理。原発のために住民(国民)の命を売り渡す行為――著者は厳しく断罪しています。

     安倍首相が〈世界一厳しい〉と胸を張る日本の原発規制の、これが実態なのです。2011年3月の事故直後から経産省内部で周到に準備され、一貫した意志で政権中枢によって着々と進められてきた原子力発電復活の道のりは、まさに〈嘘とまやかしの塊〉であったことを、本書は明らかにしました。

     内閣支持率の急落をうけて自ら出席を打ち出した加計学園問題の閉会中審査――「丁寧に説明する」の言葉が泣く安倍首相の答弁でした。少し脱線しますが、いま話題の書『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(神田桂一&菊池良、宝島社)に想を得て、安倍首相と菅官房長官の文体模写というか、口まねを書いた文芸評論家・斎藤美奈子氏の「本音のコラム もしも首相が・・・」(東京新聞7月12日付)が面白い。国会や記者会見の場で自身の言い分だけを言いつのり、突きつけられる疑問を封殺する様子が目に浮かんで抱腹絶倒――こんな具合です。
    〈「いわゆるカップ焼きそばの、作り方につきましてはですね、これはもう、まさにこれは、そういう局面になれば、お湯を注ぐわけであります。それをですね、それを何かわたくしが、まるでかやくを入れていないというようなですね、イメージ操作をなさる。いいですか、みなさん、こんな焼きそばに負けるわけにはいかないんですよ」
     そして官房長官は・・・。
     記者「もしも総理がカップ焼きそばを作ったらという点について伺いたいのですが」。菅「仮定の質問にはお答えできません」。記者「総理は焼きそばに負けないといっています」。菅「まったく問題ありません」。記者「ですが、焼きそばは食べ物です」。菅「その指摘は当たりません」。〉

     斎藤美奈子氏は、この文章を〈誰かコントにしてくれません?〉と締めくくっているのですが、安倍首相と側近コンビの「空虚なコトバ」を射貫く批評精神に脱帽です。
     話を戻します。原発復活に限らず、メディア支配を通じて巧妙かつ周到に進められてきた安倍政権中枢の〈狂謀〉。著者の古賀茂明氏は、狂謀――日本を戦争をする国に変えるための謀(はかりごと)と真正面から向き合いました。
     報道ステーション(テレビ朝日系)出演中に、イスラム国の捕虜となっていたジャーナリストの後藤健二氏をめぐる問題で、「日本人は安倍総理とは違う」というメッセージを世界に発信するために〈I am not ABE〉と書いたプラカードを掲げようと視聴者に呼びかけた古賀氏に対し菅官房長官のクレームが間接的に伝えられ、後に番組コメンター降板に発展していった。古賀氏が安倍政権によるメディア支配、メディア劣化に対して強い危機感を抱くようになったのは当然であろう。自らが当事者となった「報道ステーション降板劇」の知られざる内幕、そして安倍官邸と読売新聞の関係――加計学園問題で勇気ある告発をした前川喜平前文科省次官が「援助交際バー」に行っていたという“スクープ”が読売新聞に出て、それを待っていたかのように菅官房長官が前川氏を人格的に貶める発言をくりひろげる。この“チームプレー”に読売新聞は官邸の御用新聞に成り下がったかといった批判が巻き起こりましたが、なんのことはありません。本書によれば、安倍官邸と読売新聞ははるか以前より親密な関係にあったのです。読売新聞社の猛反対で「訪問販売拒否ステッカー」導入が見送りとなり、推進しようとした経産省の参事官は左遷人事で、2015年8月末に霞ヶ関を去っていった。

    〈消費者のために大新聞と命懸けで闘い、菅官房長官のお友だちの読売新聞に睨まれ、最後は幹部にはしごを外された参事官……この左遷劇、現在の安倍政権と大手新聞社の癒着振りがよく分かる事件だった。〉

     表だって動いたのは読売ですが、しかしそれ以外の新聞社はこの問題を知りながら、読者に伝える記事を書いていないという。御用新聞と批判される読売だけの問題ではありません。アメとムチを駆使する安倍官邸のメディア支配は多くの新聞・テレビにも及び、それが狂気の謀(はかりごと)を後押ししているのです。

     背筋が凍るような恐怖感。「こんな権力者」に私たちの命を、そして子どもたちの人生を預けるわけにはいかない――古賀茂明氏『日本中枢の狂謀』の、崖っぷちに立つ日本人への必死の問いかけにどう応えるか。(2017/7/28)
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    投稿日:2017年07月28日
  •  とりあえずこの文章を読んでいただきたい。
    〈「では、彼が犯罪者だと知るまでは、彼のことをどう思っていましたか?」
     麗芬は首を振るのをやめた。おれの背後──はるか彼方(かなた)に視線を向けた。
    「辛(つら)いんです」絞りだすような声。「やっと笑えるようになりました。でも、まだ辛いんです。わたしはあの人を愛していました。夫を殺した人を愛していました」
     それだけが聞きたかった。
    「彼から、夫が死ねばいいと思っていたと聞かされたとき、わたしも思いました。夫が死んでよかったと。わたし、わたし──あの人もわたし自身も許すことができません」
     わななく膝(ひざ)を手で押さえ、おれは立ち上がった。
    「辛い話をさせて申し訳ありませんでした」
     上着の内ポケットから用意しておいた包みを取り出した。女の握り拳(こぶし)ほどの大きさのそれを麗芬の前に置いた。
    「これは謝礼です。たいしたものじゃありませんが、よければ後で開けてください」
    「もういいんですか?」
     涙に潤んだ目がおれを見あげた。抱きしめたい──拳を握った。唇を噛んだ。おれが望んだもの。おれが望んだ女。手を伸ばせば、それが手に入る。
     この女もぶち殺せ──声が聞こえた。声はやむことがない。
     息を吐いた。口を開いた。(中略)
     おれは踵(きびす)を返した。喫茶店を出た。窓ガラスの向こうで、麗芬が包みを開けるのが見えた。ビロード張りの指輪ケース。中には、おれが麗芬に贈った指輪が入っている。
     通りかかったタクシーをとめた。乗りこんだ。麗芬が口を開けている。指輪を見つめている。立ち上がり、顔を左右に振る。おれを探している。
     視線があった。麗芬の口が動いた。唇を読んだ──加倉さん。
     麗芬は駆けだした。目には涙──その奥に混乱。憎しみはない。麗芬が喫茶店のドアに手をかけたとき、タクシーが動きだした。
     ルームミラーに映る麗芬を見守った。タクシーが角を曲がるまで、麗芬はタクシーを追いかけつづけた。
     フィルムを現像に出した。できあがった写真を安ホテルの壁に貼りつけた。
     息を殺して泣いた。〉

    「彼」、「あの人」、そして「おれ」というのは、ノーヒットノーランの記録を持つ元プロ野球投手、加倉昭彦。台湾で八百長に手を染め転落した。多くの黒道(ヘイタオ、台湾やくざ)を殺した。自分を慕う弟分の投手、俊郎(としろう)の妻を奪い、俊郎も殺した。そして手術で顔を変え、声を変えて、その麗芬に別れを告げた。馳星周の『夜光虫』(角川書店、2014年7月4日配信)――第120回(1999年)直木賞候補となったノワール(暗黒)小説の最終場面の一節だ。
     初出は1998年。
    〈夜の台北にうずくまっている。光の渦の中に身を委ねている。
     呪われたやつら──この街の、この国のどこかでのうのうと生きている。
     ぶち殺せ──声が聞こえる。一人残らずぶち殺せ。
     おれはその声に耳を傾けている。〉
     衝撃作『夜光虫』がこの4行で幕を閉じて19年――ダークヒーロー加倉昭彦が帰ってきた。『暗手(あんしゅ)』(角川書店、2017年4月26日配信)――物語の舞台はイタリア、名前を捨て台湾から逃れてきた加倉昭彦は、高中雅人、ヴィト・ルーなどの偽名を使い、ヨーロッパの黒社会で「暗手(アンショウ)」と呼ばれている。
     物語は、待ちに待った馳星周らしさ全開の文体で始まります。

    〈欲望に身を任せた。
     嘘をつき、それを糊塗するためにさらに嘘をついた。
     糊塗しきれなくなると、殺した。
     嘘をついてまで手に入れたかった女に愛想を尽かされた。家族に捨てられた。
     さらに殺した。
     顔を変えた。名前を変えた。
     そして殺した。
     殺した。殺した。殺した。
     殺しすぎて台湾にいられなくなった。
     そしておれは今、イタリアにいる。〉

     イタリア黒社会の何でも屋。殺し以外の仕事ならなんでも請け負う。殺しには飽いた。反吐が出るほど飽き飽きした。暗闇から伸びてくる手――「暗手」がいつしかヨーロッパの黒社会における呼び名になった。
     かつては犯罪者の巣窟と呼ばれていたミラノのナヴィリオ地区。今じゃ、運河沿いの道を無数の人間が行き来するお洒落なエリアに変貌した。
     人混みの中にジミー・チャンの顔が浮かび上がる。中華系のマレーシア人。サッカー賭博組織の末端に連なるチンピラで、ヨーロッパ中を忙しなく渡り歩いている。
    〈「久しぶりだな、暗手(アンショウ)」
     ジミー・チャンが言った。(中略)
    「おまえ、日本語ぺらぺらだったよな」
    「英語もイタリア語もぺらぺらだ」
     おれは答えた。ジミー・チャンが顔をしかめた。
    「レオ・オーモリを知ってるか」
    「名前だけなら」
     おれはうなずいた。〉

     大森怜央。5年ほど前に、日本からベルギーのサッカークラブに移籍してきたゴールキーパーだ。そこでの活躍が認められ、今はミラノから北東に車で1時間半ほど走った田舎町、ロッコのクラブにいる。

    〈「ある筋がオーモリを手に入れたがってるんだ。引き受けてくれないか、暗手」
     それには答えず、グラスに残っていたジュースを飲み干した。(中略)
    「うまく行けば、二十万ユーロがおまえの懐(ふところ)に入る」
     ジミー・チャンが下卑(げび)た目でおれを見る。おれは人混みからジミー・チャンに視線を移した。
    「おまえはいくら取るつもりだ」
     ジミー・チャンの睫(まつげ)が震える。おれはジミー・チャンを殺すところを想像する。そうするだけで、おれの目は氷のように冷たくなるらしい。度胸のないチンピラはそれで震え上がる。
    「お、おまえに三十万、おれに十万。それでどうだ」
    「おまえはなにもしない。それなのに十万だと」
    「話を持ってきたじゃないか」
     ジミー・チャンの口から唾(つば)が飛ぶ。おれは嗤(わら)ってやる。そもそも、四十万などという半端な金額がおかしいのだ。この件でジミー・チャンに提示された金額は五十万ユーロに違いない。
    「おまえに四十万。おれに十万」
     ジミー・チャンが折れた。おれはグラスをテーブルに置いた。
    「わかった。引き受けよう」〉

     ジミー・チャンの背後にいるのは、王天(ワンテイエン)。サッカー賭博の帝王。中国大陸から東南アジア、オセアニア、ヨーロッパまで手広く稼いでいる。そして、人民解放軍特殊部隊出身の殺し屋、馬兵(マービン)と手下たちをボディガードとして雇っている。

     ヨーロッパのサッカーシーズンは秋に始まり、夏が来る前に終わります。シーズンを通して八百長は行われるが、シーズン終盤――優勝が絡む試合、チャンピオンズリーグ出場権が絡む試合、降格や昇格が絡む試合になると掛け金が跳ね上がる。

     無類のサッカー好きで知られる馳星周。〈暗手〉の目を通して、ヨーロッパサッカー界の裏事情をこんな風に描き出して見せます。

    〈どれほどメジャーなリーグでも、どれほどメジャーな大会でも、八百長を仕組もうとする連中は跡を絶たない。つまり、八百長も跡を絶たない。
     スーパースターは八百長には関わらない。スーパースターを目指す連中も関わらない。だが、そんな連中は一握りに過ぎない。大抵のサッカー選手はスーパースターになるどころかビッグクラブから声がかかることもなく、弱小、もしくは中堅クラブでキャリアを終える。稼げる金もたかが知れている。
     あるいは、南米やアフリカからやって来る選手たち。やつらは金儲(もう)けのためにヨーロッパにやって来る。クラブが払ってくれる給料以上の金がもらえるのなら、モラルは簡単に道端に投げ捨てる。
     そうやって、ヨーロッパ中に八百長の触手は伸びていく。
     中国人が金を稼ぐようになって、その傾向は顕著になった。
     やつらほど博打(ばくち)好きな民族はいない。だれもかれもが博打にとち狂っている。〉

     時は秋。イタリアサッカー、セリエAのシーズンは始まったばかり。〈春が来る頃には大森怜央を落とさなければならない〉身長192センチ、体重88キロ。日本人離れした体格を持ち、ミラノでプレイすること、そしてチャンピオンズリーグ出場を熱く願う日本人GK――獲物を狙って暗手が動き出す。
     水曜日の午後、ロッコのバル。練習を終えた大森は家の近くのこのバルでエスプレッソを啜りながら時を過ごすのが日課になっています。カウンターにひとり座る〈地味だが金のかかったスーツ。丁寧に撫でつけた髪の毛。銀縁の眼鏡〉の日本から来たビジネスマン。レオ応援団副会長を自認するイタリア男が大森に引き合わせます。〈高中雅人(たかなか・まさと)〉の名刺を差し出した日本人を大森は〈貿易商〉と理解して意気投合。大森行きつけのリストランテに席を移して、夕食を共にした。銘柄を指定して赤ワインをふるまった。帰り際に、店の男が大森に囁いた。〈一本千ユーロのワインだぞ。いいパトロンになってくれるかも。大事にしろよ〉大森怜央を自在に操るための第一幕――〈釣り針を垂らす必要もない。大森は自分から餌に食いついて〉きた。
     第二幕――暗手が用意した道具は、ひとりの女。シニョリーナ・バレッリ――旧知のミラノの高級売春クラブのマダムを通じて調達した日本人娼婦。服飾デザインで一旗揚げようとミラノに来たが、いつまでたっても日の目を見ず、日々の暮らしに窮して娼婦となった。名前は、ミカ――。

    〈「もっと稼げる仕事がある。やることは娼婦と変わりないが、相手をするのはひとりだけだ」
    「だれかをはめるのね」
     ミカは水を啜った。頭の回転は速い。
    「娼婦と悟られないこと。相手に惚(ほ)れさせること。さっきみたいな態度じゃ話にならない」
    「いくら?」
     ミカはソファに腰をおろし、脚を組んだ。
    「手はじめに一万ユーロ。うまくいけばさらに四万ユーロ」
    「はめる相手は?」
    「大森怜央」
    「だれ、それ?」
     おれは笑った。
    「サッカー選手だ」
    「サッカー選手は嫌い。昔、わたしの友達が遊ばれて捨てられたわ」
    「やるのか?」
    「なにをどうすればいいのか、教えて」
    「OK」
     おれは言った。〉

     かつて八百長に手を染め堕ちていった男が、サッカー選手として光の中に出ていくことを渇望する男を八百長に引きずり込む罠とは? 名を捨て、顔を捨て、声を捨ててヨーロッパの黒社会の底に棲む暗手。過去をすべて抹消したはずの男のミラノの自室には、あの女――麗芬の写真がある。ベッドの端に腰掛けて写真を眺め、その名前〈リーフェン〉を口にする暗手。大森の姉、綾の顔が重なり、身体が震える。震えが止まらなくなる・・・・・・。

     一気に加速する馳星周の世界。帰ってきたダークヒーロー加倉昭彦の後日譚――19年の時を隔てて揃った2冊のクライム・ノベル。『夜光虫』と『暗手』――併せて読めば、作家デビュー20年、馳星周の新たな到達点が見えてくる。(2017/7/21)
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    投稿日:2017年07月21日
  •  2017年5月26日に紙書籍と同時発売された『疑薬』(講談社)。「疑薬」は本作品を書き下ろしたミステリー作家・鏑木蓮による造語です。ブックカバーや本扉に「giyaku」とあり、読みは「ぎやく」というわけですが、辞書、事典には載っていない言葉だ。
     国語辞書や百科事典に載っているのは同音の言葉「偽薬・擬薬」で、これは文字通り〈にせ薬〉。英語ではプラセボと呼ばれ、新薬開発過程では新薬と形・色・味などが同じでありながら、薬理作用はまったくない乳糖やでんぷんで作ったニセの薬が新薬の効果を確かめるために欠かせないものとなっています。
     こちらの「偽薬」は本作にも出てきますが、「偽薬」ではなく、「疑薬」という造語をタイトルにすることによって、鏑木蓮は何を描こうとしたのか。

     2006年に『東京ダモイ』(講談社文庫、2015年10月9日配信)で江戸川乱歩賞を受賞して作家デビュー。大ヒットとなった『白砂』(双葉文庫、2014年4月18日配信)で社会派ミステリーの旗手の位置を確立した鏑木蓮が書き下ろしで挑んだ製薬業界、医療界の闇。著者は題辞(エピグラフ)として、次の言葉を置いています。

    〈──将棋では即時に失格となる禁じ手、「二歩(にふ)」というものがある。初歩的なミスではあるがプロ棋士も犯すことがある。しかしその過ちに相手が気づかず、自らも沈黙を通して勝負に勝てば、勝敗は覆(くつがえ)らない。この沈黙に、私はたえられるだろうか──。〉

     プロ棋士も犯すことがあるという初歩的なミスであっても、その過ちに相手が気づかず、自らが沈黙を保てば勝利は我がものとなる・・・・・・このエピグラフに込められた意味とは? 何を暗示しているのか?

     日本でも有数の中小零細企業密集地帯である東大阪市にある居酒屋「二歩」を営む三人家族――生稲誠一(いくいな・せいいち)、怜子(れいこ)の夫婦と娘の怜花(れいか)が一方の主役です。10年前の師走、母の怜子が風邪をこじらせて入院。治験中の新薬を使い一旦は快方に向かったものの、急に全身のかゆみを訴えるようになった。医師の説明は「失明するかもしれない」という思いもよらぬものだった。音楽で身を立てようと青森から上京、関西まで流れてきたギター弾きの夫、守屋伸三(もりや・しんぞう)は医師の説明を聞くと、そのまま病院を出て戻ってくることはなかった。視力をほとんど失った母と小学生だった娘を「うちに来ないか」と誘ってくれたのが、義父の誠一だった。
     以来、視力を失いながらも二歩で出す焼き物と煮物以外のすべての料理をこなす一方、ビートルズなどの洋楽を奏でる母の三味線は店の目玉となり、ファンもついた。21歳になる怜花には、父親のパッケージ工場を継いだばかりの恋人がいる。その吉井玄(よしい・げん)が夜遅く店に来て、二歩の周辺をなにわ新報社の名刺を持つ男が聞き込みに歩いているという。怜花は翌日、北浜のなにわ新報社に名刺の男――矢島公一(やじま・こういち)を訪ねた。矢島記者は「お母さんの失明の原因を調べている」といって新聞記事のコピーを差し出した。2か月ほど前の昨年12月21日付、高齢者施設で発生したインフルエンザ集団感染と老人二人の死を伝える記事だった。

    〈大阪の高齢者施設でインフル集団感染、八〇代男女二人死亡
     大阪市は二〇日、天王寺区鶴橋の有料老人ホーム「なごみ苑」で、入所者と職員計三八人がインフルエンザに感染、うち患者二人が死亡したと発表した。
     府保健予防課によると、男性が一八日に心不全で、女性が一九日に肺炎で死亡した。二人はインフルエンザに感染し、一〇、一一日に発症。同施設の顧問を務める三品病院、三品元彦院長によると、二人は持病を抱えており、感染が死亡と直接関係があるかどうかは不明としている。
     二人とも予防接種を受けていたことが確認されている。同施設では六~九日に、職員二〇人、入所者一八人がインフルエンザに感染。迅速検査では全員がB型陽性だった。〉

     記事にある三品元彦院長こそ、10年前に風邪をこじらせて入院、後に視力を失うことになった怜花の母の担当医師だったのだ。

    〈・・・・・・三品医師の名を目にしたとたん、母の病状を告げられたときと同じ、冷たさと痛みを手足に感じた。
     一一歳だった怜花には、話の内容もそうだが三品の細い目と鼻の下にあったちょび髭(ひげ)も嫌な思い出だ。
     矢島がこれを手渡したのは、記事に三品医師の名が出てくるからにちがいない。だとすれば、母の失明の原因は三品医師にあったとでも言いたいのだろうか。
     あの日、三品医師が何を言ったのか思い出そうとしてみた。不思議なことに何も出てこない。たぶん母の命だけは助けてほしいという気持ちが強かったからだろう。全面的に三品医師に頼るしかなかった。それに、そのあとすぐに父がいなくなったこともあって記憶がバラバラになっていてちゃんとつながらない。母が退院してから嫌なことはみんな努めて忘れようとしていたことも手伝っているのかもしれない。
     そうだ、確か日記があった。そこには病院でのことを詳しく書いた覚えがある。〉

     さて冒頭に製薬・医学界の闇に挑むミステリーと書きましたが、もう一方の主役はヒイラギ薬品工業の社長代行、川渕良治(かわぶち・りょうじ)です。ヒイラギ薬品の前身は江戸時代に大阪で創業した薬種問屋。創業家の楠木悟(くすのき・さとる)社長がまだ10代だった頃に陣頭指揮した総合ビタミン剤「Vミン」の輸入販売で売上げを驚異的に伸ばして国内シェア第5位の製薬メーカーへと異例の発展を遂げた。川渕良治の母、照美は良治が高校生の時、楠木悟と離婚していた。そのため姓こそ違っているが、悟は良治の実父です。良治の大学進学の資金も出してくれ薬学の道に進む道筋もつけてくれた。前妻の子供を入社させたのはゆくゆくは継がせようと考えていたからでしょうが、良治が入社後、後妻の紗子(さやこ)に男児――良治にとっては楠木家を継ぐ異母弟――ができた。

    〈一一年前──。
     川渕良治は司会者から呼ばれ、壇上へと向かう。登壇すると、会場のあちらこちらからカメラのシャッター音が聞こえた。〉

     大阪研究所主任研究員の良治が中心になって開発した抗インフルエンザウイルス薬、シキミリンβが新薬承認を得た功績によって35歳の良治が悟社長から表彰されるシーン――物語はここから始まります。
     新薬開発の成功率はわずか2万分の1といわれています。10年もの間、それこそ心血を注いできた新薬の承認を実現した良治に社員全員の目が注がれていた。しかし華やかな表彰式の陰で、思いもかけない事態が起きていた。
     副作用が限りなくゼロに近いことが最大の利点であるシキミリンβを治験投与された怜花の母が全身のかゆみを訴え、後に視力を失ったのです。10年がかりで市場に送り出したばかり、これからようやく投資資金の回収に入ろうという矢先の思わぬ事態に、楠木悟社長はある決断を下します。急成長する製薬メーカーにとっては“禁じ手”というべき、この決断を知るのは、悟社長と主任研究員だった良治の二人だけです。

     それから10年――2年前に社長の楠木悟が脳梗塞で倒れ、社長代行となっていた川渕良治に大阪の三品病院の院長から連絡が入った。シキミリンβ投与後失明した生稲怜子の担当医であり、昨年末に高齢者施設で発生した二人の老人の死亡を伝える新聞記事に施設の顧問として名前が載っていた三品院長だ。
    〈シキミリンβのことで個人的に相談したい〉
     10年の時を隔てて突然届いた不気味な連絡。三品院長はいったい、何を狙っているのか? 闇に葬ったはずの失明事故を念頭に因縁をつけられていると感じとった川渕良治は三品院長の身辺調査を決意。学生時代からの友人で、薬品卸会社「薬研ホールディングス」の営業担当部長をしている海渡秀也を小石川後楽園に呼び出した。奥まった、人気のない築山にある古びたベンチに腰を下ろした二人の会話――。

    〈「そもそもどんな人物か知りたい。もみ消すのにそれなりのリスクを払ってるのに、何のためにいまごろ蒸し返してきたのかが知りたいんだ。いまつまらんことで躓(つまず)きたくない、分かるだろう」
    「まあな。会社の舵取り、厳しそうだからな」
    「多角化より、やっぱり創薬だとおれは思ってる。時代に逆行しているようだが、それで乗り切れる力がうちの研究員にはある。研究畑にいたおれだからこそ、彼らの力量を知ってるし、信じてやれる。〉

     怜花の母が光を失ったのは新薬の副作用だったのか? 医療ミスだったのか?
     怜花だけでなく、病院、高齢者施設周辺を執拗に嗅ぎ回る雑誌記者。
     11歳の時の日記を手がかりに真相に迫る怜花。
     異母弟を押し立てて経営権を奪おうと画策する抵抗勢力に追い込まれた社長代行の川渕良治。
     意を決した良治が大阪に怜花を訪ねます。立場は異なるものの、ともに真相を知ろうという強い意志を持つ二人が出会って、事態が大きく動き始めます。

    〈薬はもともと毒〉
     著者は繰り返し書いています。その毒を薬に変えるのが創薬だとすれば、製薬メーカーと医療の世界の正義と悪もまたシンプルに区分けできるものではないのかもしれません。「正義」が転じて「悪」となり、さらに転じて「正義」となる、その弁証法にも似る難しさ、転移していく狭間に何があるのかを見据えた社会派ミステリーの新たな傑作の誕生を率直に喜びたい。(2017/7/14)
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    投稿日:2017年07月14日
  •  ある予感に満ちたタイトル。『あなたは、誰かの大切な人』(講談社、2017年5月17日配信)――原田マハが紡ぐ六つの物語はどれも、その予感を裏切ることなく、読むものの胸に心地よい風を送り込みます。胸に熱いものがこみ上げ、時には目頭が熱くなる。そして、いま確かに人生を生きていることの喜びが胸のうちに静かに広がっていくのだ。
     原田マハは講談社文庫特設サイトに〈文庫版刊行に寄せて〉と題して、
    「あなたがもしも、いま、なんということのない日々を生きているとしたら、それはきっと、あなたが誰かの大切な人であることの証しだ。それが言いたくて、私は、この物語たちを書いた」
     この作品への思いをこう綴っています。
    「この物語たち」の一篇、巻頭収録の「最後の伝言 Save the Last Dance for Me」は、母を送る告別式の朝から出棺までのわずかな時間の経過のなかに母と父、そしてふたりの娘の人生とそれぞれの秘めた思いを綴った物語だ。副題の〈Save the Last Dance for Me〉は、アメリカのコーラスグループ、ドリフターズが1960年にリリースした楽曲で、日本では岩谷時子の訳詞を越路吹雪が歌って大ヒットした。この懐かしい歌、その曲名がなぜ副題となっているのか。

    〈いつその日がやってきても、と心構えはできているつもりだった。
     が、いざその日がやってくると、ただもうあわただしいばかり。こんなふうに人は人を送るんだな、などと、ようやくふっと気を抜けたのは、斎場(さいじょう)のトイレの個室の中だった。
     すがすがしい秋晴れの空のもと、母の告別式の日を迎えた。三日三晩、ほとんど眠る間もなく、目の下のクマを濃いめのファンデーションでどうにか隠した。妹の眞美(まみ)もおんなじような顔だったので、リキッドファンデを重ねづけして、クマを隠してやった。「お姉ちゃん、やさしいとこあるね」と、眞美もそのときようやく気を抜いたようだった。〉

    「最後の伝言」は、告別式の朝を迎えた姉妹の描写から始まります。姉妹の母、平林トシ子、享年73。18歳のときに郷里の茨城から上京して、上野の美容室で下働きを始める。28歳のとき、東京郊外の小さな町で美容室を開業。70歳で持病の糖尿病を悪化させて店を畳むまで、美容師一筋、元祖ワーキングマザーとして、物語の語り手である姉の栄美(えみ)と妹の眞美を育て上げた。
     問題は、母よりひとつ年下の夫、平林三郎、通称サブちゃんにありました。母が危篤となってからも病室を訪れることのなかった父は、喪主の立場でありながら前夜の通夜に出ず、告別式の日になってもどこへやら姿をくらませたままだった。なんの才能もなければ、働く意欲も気力もない。典型的な「髪結いの亭主」的父親なのですが、サブちゃんはかつて姉妹にとって、憧れの人だった。母にとっては、いつまでも夢の男だった。

    〈父は、その昔、そんじょそこらの俳優も太刀打ちできないんじゃないかと思われるほど、正真正銘の美男子だった。そのくせ、C調で、情けなくて、放っておけない。どんな女性のハートも一瞬でさらってしまう。
     そんな男の連れあいになることができて、母がどんなに得意だったか。おトッコと呼ばれようがだめんずといわれようが、どこ吹く風。だって、母にはこの人がどうしても必要だったのだから。この父がいたからこそ、母は、強く、凜々(りり)しく、たくましく生き抜くことができたのだ。
     私もそう。眞美だってそうだ。私たちふたりの娘は、このとんでもない父を、内心、自慢に思っていたのだ。父と一緒に出かければ、女たちの見る目が違う。父兄参観にやってくれば、お母さんたちの目つきが変わる。この人私のお父さんなのよ! と、言いふらしたい気持ちになったことだってある。〉

     ご近所のおばさんたちから「イケメンの走り」ともてはやされ、その顔見たさに母の美容院に通ったという「夢の男」。女遊びで母を悲しませたのは一度や二度ではありません。離婚届に判をついて渡そうとしたこともあったという、正真正銘のろくでなし。告別式の日だというのに姿が見えない。葬儀社の担当者は栄美に喪主変更を促すが、栄美は結論を先送りにし、時間だけが過ぎていく・・・・・・。
     そういえば、亡くなる1週間前――〈「ねえ栄美、お願いがあるんだけど」〉透析を受けながら、母が天井(てんじょう)を見つめたままで言った。

    〈「あたしにもしものことがあったら……うちの一階の仏間(ぶつま)の天袋(てんぶくろ)の、いちばん奥にあるみかん箱の中に、ワシントン靴(くつ)店の靴箱が入ってて、その中にとらやの最中(もなか)の箱があって、その中に山本海苔(のり)の缶が入ってるから、それを開けて……」
    「ちょっ、ちょっちょっちょっ、ちょっと待って」私はあわてて、バッグからメモとペンを取り出した。
    「え、なんて? もう一回、言ってくれる? 居間の押し入れのリンゴ箱の?」
    「ばぁか」と母は、くっくっとのどを鳴らして笑った。「全然違うでしょ。仏間の天袋のみかん箱の……って、わざわざメモ取るのやめてくれない? そんなの、あとで誰かがみつけたら、なんだこりゃ、って思うわよ」
    「わかった」と私は、メモとペンをサイドテーブルの上に載せて、ベッドのほうへ身を乗り出した。
    「何? そこに何が入ってるの?」
    「手紙」と母が、短く答えた。
    「隣町の葬儀屋さん、『永訣堂』の係長、横山さん宛に」
     どきっとした。(中略)
    「で、その人に、なんの手紙?」
    「秘密よ」ふふっと笑って、母が返す。
    「あたしに何かあったら、横山さんに全部仕切ってもらうように、もう頼んであるから。あんたはその手紙を、忘れずに天袋から引っ張り出して、お葬式のまえの日に彼女に渡してくれればいいの。それだけよ」〉

    〈私や眞美には、その……手紙とか、ないの?〉と訊かれた母は少し首を横に振りながら、〈あんたたちは、立派に育ってくれた。それでじゅうぶん〉独り言のように、囁いた。
    〈「じゃあ、お父さんには? 手紙はないの? ……なんにも言うことないの?」
     母は、ふうっと細いため息をつくと、
    「ないに決まってるでしょ。あんなろくでなしに」
     震える声が、細いのどの奥からかすかに聞こえてきた。私は、母の閉じたまぶたがこれっきり開かないんじゃないかと不安になった。それでいっそう、涙がこみ上げた。〉

     それからちょうど1週間後。母は、栄美と眞美に見守られ、眠るように天国へと旅だった。
     栄美が喪主となって始まった告別式。開始前、葬儀社の横山係長は母から託された手紙について〈故人さまから、ご主人さまへ、最後の伝言〉と言葉少なに語り、喪主の不在に「困ったな」とつぶやいていた。
     そして――参列者が母に最後の別れを告げ棺(ひつぎ)に蓋をしようとした、その瞬間(とき)――「トッコおおお!」父の雄叫びが会場にこだました。直後に、

    〈あなたの好きな人と踊ってらしていいわ
     やさしい微笑みもその方におあげなさい
     けれども私がここにいることだけ どうぞ忘れないで〉

     越路吹雪の歌声が斎場内に響き渡り、母から父への最後の伝言が何だったのかがわかります。

    〈きっと私のため残しておいてね 最後の踊りだけは
     胸に抱かれて踊る ラストダンス
     忘れないで〉
     “Save the Last Dance for Me”につけた岩谷時子の詞で物語は終わります。越路吹雪を知る世代なら(もし彼女の歌を聴いたことがなければ、YouTubeで試してみてください)、低く静かに語りかけるように歌う声とともに〈胸に抱かれて踊る ラストダンス 忘れないで〉のフレーズが心にしみ入ってくる、いいエンディングだ。

     この「最後の伝言 Save the Last Dance for Me」を初め、『あなたは、誰かの大切な人』には、
    「月夜のアボカド A Gift from Ester's Kitchen」
    「無用の人 Birthday Surprise」
    「緑陰のマナ Manna in the Green Shadow」
    「波打ち際のふたり A Day on the Spring Beach」
    「皿の上の孤独 Barragan's Solitude」
     6篇の物語が集められています。
    〈あなたは、きっと、誰かの大切な人。どうか、それを忘れないで〉
     原田マハの思いがこめられた短篇集。心が洗われるような六つのストーリー。どうぞ「大切な人」へ思いを馳せてください。(2017/7/7)
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    投稿日:2017年07月07日
  •  とりあえず、この文章を読んでいただきたい。血統書つきの2匹の豆柴――ハナ子とコスモのお見合いの顛末についての文です。

    〈二日目の夜半、ハナ子の甲高い鳴き声が響き渡った。急ぎ駆けつけて合体中の二匹のあられもない姿を発見したTさん、おおいに嘆いた。「うちの箱入り娘のハナ子が、あんなはしたないよがり声を出すなんて! 英語でビッチ(めす犬)を『淫(みだ)らなあばずれ』という悪態に使うわけが初めてわかりましたわ」
     一回の交尾から生まれたのは、三匹のサン・オブ・ア・ビッチ(あばずれの息子=くそったれ)。お見合いの立会い人として、そのうちの一匹をわが家で貰い受けることになった。小次郎(こじろう)と名付けた子犬は、生後三ヵ月のとき、目黒(めぐろ)の豪邸から専用戸建住宅(犬小屋)を持参金代わりに持ち、練馬(ねりま)のしもた屋にやって来た。(中略)
     たった一夜の過ちから生まれた小次郎、血統書つきの両親のやんごとない血筋のせいか、年頃になっても一切発情する気配を見せない。高校生のころ飼っていた雑種犬のボッケリーニとは大違いだ。イタリア人の名前を付けたのが災いしたのか、ボッケ(略称)は、発情期に入ると、毎夜近隣に響きわたるかん高い声で遠吠えをしていた。放っておくといつまでも吠え続ける。仕方なく私が眠い目をこすりながら必殺性欲処理人を務めていた。それを思うと、発情しないだけでなく、外で会うメス犬にもまったく関心を示さない小次郎は実にありがたい。
     こうして筋金入りの堅物ぶりを確認して三年目、小次郎に晴れて田丸の姓を与えたと思ったら、入れ替わりにわが家の嫡男(ちゃくなん)が発情期に突入してしまった。
     小次郎とは違い、こちらは正真正銘の雑種。見事に「野生の証明」をしてくれた。本物の「あばずれ」の子は飼い犬ではなく、わが息子だったのだ。〉

     雌犬を指す英語の”bitch”(ビッチ)といえば、わがままな女、みだらな女、さらにはあばずれ、ばいたという具合に女性を蔑むときに使われます。そこから”son of a bitch”(サン・オブ・ア・ビッチ=あばずれの息子)は、げす、ろくでなし、むかつく奴、ならず者、悪党といった男に対する最大級の侮蔑の言葉となっています。そんな俗語を巧みに操り、「野生の照明」をしてくれたわが家の嫡男を本物の「あばずれの息子」と書く。つまりは、「あばずれ」はその母である自分自身ということになるわけで、超正直。ユーモアたっぷり、軽妙な筆致で読ませます。
     高校生時代に飼っていたボッケが発情期に入ると彼の遠吠えの声が毎夜近隣中に響き渡る。それを放っておくわけにもいかず仕方なく必殺性欲処理人を務めた――下ネタをこうまであっけらかんと書くこの文章の作者は、イタリア語会議通訳の田丸公美子さん。ロシア語翻訳者、通訳、作家として多くの著作を残した、親友米原万里さん(故人)から譲られた「シモネッタ(下ネタの女王)」の自称で広く知られるエッセイストでもある。この文章の初出は、2010年から2013年にかけて「小説現代」に連載された「シモネッタの家族情話」。「オール読物」掲載の一編を加えて『シモネッタのどこまでいっても男と女』のタイトルで単行本となって世に出たのが、2014年4月。そして2017年4月に文庫化され、5月12日に電子書籍の配信が始まった。

    『目からハム』(朝日新聞出版、2012年11月24日配信)、『シモネッタのデカメロン イタリア的恋愛のススメ』『パーネ・アモーレ イタリア語通訳奮闘記』(ともに文藝春秋、2013年3月22日配信)、『シモネッタの男と女 イタリア式恋愛力』(文藝春秋、2013年4月12日配信)、『シモネッタの本能三昧 イタリア紀行』(講談社、2014年2月28日配信)――本書には先行した上掲の本とは大きく異なる部分があります。言語や異文化を語り、なが靴の形をした半島に暮らす人々の人間模様を綴ってきたシモネッタが今回書き綴ったのは、自らの半生――ヨーモアが衣まとって人生を歩いてきたような〈自伝まがい〉の本なのだ。著者があとがきにこう記しています。
    〈フォーマルな席に半裸で座っているかのような居心地の悪さばかりが増してくる。〉
    〈自らの生きざまを反省する我が人生の始末書だ。若さゆえの愚行の数々に、読み返すたびに赤面している。〉

     週刊誌、とくに女性週刊誌の世界では、「他人の不幸は蜜の味」という発想が根強い。田丸さんの〈自伝まがい〉が不幸=蜜の味というわけではけっしてありませんが、ユーモラスに語られる“愚行の数々”はやっぱり面白い、抱腹絶倒だ。そもそも田丸さんはなぜ、〈自伝まがい〉を書くに至ったのか。そのいきさつから、本書は始まります。

    〈わが友、米原万里(よねはらまり)の魅力は、群を抜いた明晰(めいせき)な頭脳と歯に衣(きぬ)着せぬ毒舌にあった。彼女は男性には特に厳しく、「あの人頭悪い」と一刀両断に切り捨て、返す刀で私を糾弾(きゅうだん)していた。「あなたは男に甘すぎるのよ!」
     そんな彼女が、ある日私に尋ねてきた。
    「ねえ、シモネッタはなんであんな人と結婚したの?」
     彼女が、「あの人」ではなく「あんな人」と言った意図を即座に理解した私は、やや投げやりに答えた。
    「暑かったからよ」
     ロシアには、なんであんな旦那と一緒になったのかと聞かれた妻が、「寒かったからよ」と答える小咄(こばなし)がある。私の答えはそれをもじったものだったのだが、笑いのつぼを逃さない万里らしく、大笑いしてくれ、それ以上追及はしてこなかった。〉

     ただその理由――「暑かったからよ」が小咄ではなくほぼ事実であるのが、我ながら情けない、こう続けた田丸さんは東京外国語大学を卒業、イタリア語通訳として働き始めた1974年に遡って、「暑さ」と「あんな人との結婚」の関係を明かします。異常な酷暑に見舞われた東京で、風呂もないアパート暮らしの女性に起きた、日本の一般家庭にクーラーが普及する前の出来事。〈私にとって長編悲劇の幕開け〉となった出来事のこれ以上のいきさつはぜひ本書にお進みいただきたい。

     主人公シモネッタの〈長編悲劇〉、笑いのつぼが随所に仕込まれています。例えば、発情期に入ってすぐ23歳で早々と結婚するという息子と嫁、そして姑の結婚前夜のエピソード。
    〈嫁は、一歳上の才色兼備な女性で、どうみても息子より頭が良い。愚息は、そんな彼女からコクられたという果報者なのだが、実はとんでもない危険分子でもある。幼い頃から滅法、美人に弱いのだ。
     相思相愛の女の子がいた三歳のある日、保育園の連絡ノートに次のような記述があった。「今日もゆかりちゃんと仲睦まじく遊んでいるので尋ねました。『ユウタ君は大きくなったらゆかりちゃんと結婚するの?』。彼は即座に答えました。『ううん、この子とは遊ぶだけ。だって結婚すると、他の子とは遊べなくなるでしょ』。先生たち爆笑でした」
     結婚前、皆で食事をしているとき、あの名言が私の脳裏に蘇(よみが)ってきた。改めて披露したあと、寂しさ半分、ため息をついて彼に言った。「お前、わずか三歳であんな分別があったのに、なんでこんなに早く結婚するの?」
     このときも息子より先に、嫁から見事な牽制球が飛んで来た。
    「さすがユウタくんね! 『結婚したら他の女の子と遊んじゃいけない』って、三歳のときからわかってたのね。えらいわ!」
     息子よ、お前がかなう相手ではない。おとなしく尻に敷かれているほうが身のためだ。女は常に男より役者が上なのだ。〉

     シモネッタ自身の「男と女」のエピソードも紹介しておきます。高校時代に飼っていた雄犬の発情期には彼の性欲処理人を仕方なく務めたことについて「イタリア人の名前をつけたのが災いしたのか」とあることは前述の通りです。愛すべきイタリア男の習性を物語る意味深長な言葉なのですが、その思いはこんなところからきているのかもしれません。通訳業を始めて間もない頃の一夜の経験です。

    〈夜八時過ぎ、部屋に戻るためにエレベーターを降りたときだった。人気のない廊下の陰からフランコが出てきて、いきなり私を抱きしめてキスをしてきた。口がふさがれているせいもあるが、あまりのショックで声も出ない。フランコは、早く私の部屋へ行きたいとはやる気持ちを抑え、きちんとシャワーを浴びたのだろう。着替えた体からはほのかなオードトワレの香りも漂ってくる。
     彼の手が私の胸をまさぐったとき、突然我に返った私に強い怒りが湧いてきた。ふくらみを力任せにつかむ手に一切の優しさがなく痛みしか感じない。彼が力で押す自分本位なセックスをすることは、それだけで十分理解できた。私は思い切り彼を突き飛ばすと「やめてください。私にはそんなつもりはありません」と言い、バッグから指輪の包みを取り出し彼に押し付けた。「お返しします」。今度は彼が当惑した。「そんなつもりで贈ったんじゃない」。私も必死で言い返す。「私にはフィアンセもいますし、まだ処女です。既婚のあなたとそんな関係になることはできません」。そのころのイタリアは、離婚法がやっと成立したばかり、離婚のハードルはかなり高い。結婚と処女というご印籠(いんろう)を掲げられると、頭脳明晰(めいせき)な彼も返す言葉もなく、無言で立ちつくしている。
     相手が窮地に陥ると、そこをついて完膚なきまでに打ちのめすということができないのが日本人だ。それに、はっきり「あなたが好きではない」と言えず、処女であることを理由にしたのも一生の不覚だった。だがその理由が奏功したのか、彼は態度を紳士的なものに変え、私に懇願した。「小倉から三日後に帰ってくる。帰国便を遅らせるから、あともう一度君と逢いたい。それだけだ。何もしないって約束するよ。だから君も、もう一度逢うって約束して!」。〉

     経験豊かな38歳のイタリア人と22歳のおぼこの関係は、このあとフランコの妻、娘たちも一緒に過ごすイタリアへの旅、田丸さんの結婚・出産を経て、月に1度の手紙――情熱的なラブレターが届く関係が16年も続くことになります。主導権は最後まで田丸さんが握った――〈一切のハンディが認められない恋のゲームでは、常に愛しているほうが負ける〉のだという。

     最後に付け加えておきたいことが一つあります。本書を〈人生の始末書〉と位置づける田丸さんは、母の多津子(たずこ)さんの被爆体験に正面から向き合っているのです。21歳の誕生日を迎えた1945年8月6日の朝、広島――爆心地から900メートル、秒速440メートルの爆風は木造の歯科医院兼住宅を瞬時に倒壊させた。多津子さんは瓦礫の下から救い出されたが、その朝、爆心から数メートルの戸外で建物疎開作業を行っていた妹の久子さんは行方不明となった。妹の姿を求めて被爆直後の街を巡り歩く多津子さんと母親が見た光景を誇張なく伝える作者の文章――3章 波瀾万丈な父母の人生「八月六日の誕生日プレゼント」は、安倍一強政権が唐突に憲法改正を言い立て、それに向かってやみくもに走り出した今は特に、読むに値する。(2017/6/30)
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    投稿日:2017年06月30日
  •  マインドコントロール下にあった家族が殺し合った北九州監禁殺害事件を覚えていますか。事件の発覚は、2002年3月。凄惨な虐待の末7人の命が失われた――6人が殺害され、1人は傷害致死とされた事件――2011年12月最高裁で松永太被告に死刑、内縁の妻緒方純子被告に無期懲役の判決が下され、確定しています。
     2017年現在、松永被告に対する死刑は執行されていませんが、妻とその家族を監禁状態に置いて虐待を繰り返し、家族同士の殺し合いに追い込み死体処理まで行わせたという、犯罪史上稀に見る凶悪・猟奇殺人事件です。この事件をモデルに、あるいはこの事件に想を得て多くの作品が生み出されてきました。
     電子書籍が配信されている作品だけでも、新堂冬樹の小説『殺し合う家族』(徳間書店、2013年3月22日配信)、真鍋昌平の人気マンガ『闇金ウシジマくん』の「洗脳くん編」(小学館、第26巻・第27巻・第28巻、2013年8月5日~2014年2月24日配信)、真梨幸子の小説『インタビュー・イン・セル 殺人鬼フジコの真実』(徳間書店、2015年10月2日配信)、福岡地裁小倉支部で行われた裁判の大半を傍聴した豊田正義のノンフィクション作品『消された一家―北九州・連続監禁殺人事件―』(新潮社、2014年6月20日配信)がありますが、4月に文庫化されつい最近配信が始まった誉田哲也の渾身作『ケモノの城』(双葉社、2017年6月2日配信)が文庫本ベストセラーランキングの上位に名を連ね、いま話題となっています。

    『ストロベリーナイト』(光文社、2013年3月29日配信)に始まる姫川玲子シリーズで警察機構内部を緻密な描写で描き、もうひとつの人気作「武士道」シリーズ(第一作『武士道シックスティーン』文藝春秋、2013年3月22日配信)で剣道女子の青春を爽やかに、そして熱く描いてみせた誉田哲也が『ケモノの城』で挑んだのは、人間はどこまで人間でなくなることが可能なのかという極北のテーマです。そして北九州小倉で起きた遺体なき大量殺人事件をモデルに、想像力でその“現実”のはるか先まで行く作品世界を築く。であれば、タイトルは『ケモノの城』以外にない――。

    〈人が人を殺す気持ちなんて、それまでは真剣に考えたこともなかった。〉
     誉田哲也の衝撃作は、主人公の辰吾(しんご)のモノローグ(独白)風の述懐で始まります。
    〈むろん男だから、取っ組み合いの喧嘩(けんか)の一つや二つはしたことがある。でも、顔が変形するほどの殴り合いはしたことがなかったし、ましてや刃物や鉄パイプといった凶器は手にしたこともなかった。喧嘩に負ければ、あんちくしょう、くらいは思った。ぶっ殺してやる。その程度の悪態はついたかもしれない。でも決して本気ではなかった。学校で、職場で、血だらけの相手を目の前にして呆然(ぼうぜん〉とする自分。そのイメージは、容易(たやす)く刑務所に収監される自分のそれへと繋(つな)がった。そして溜め息をつき、一人苦笑いするのだ。
     馬鹿馬鹿しい。ほんのいっときの怒りのために、人生を丸ごと棒に振るなんて、あり得ない──。
     そうやってたいていの人間は、殺意なんて現実味のないものはクシャクシャに丸めて、窓から放り投げてしまうのだと思う。ニュースや新聞で知る殺人事件とは、ある特殊な状況が作り出した不幸な偶然であり、日本の全人口からすればその割合はごくごく小さく、非常に限られた、極めて稀(まれ)なケースなのだと思ってきた。実際、それも間違いではないのだろうし、自分はそういったものに関わることなく一生を終えるのだろうと、漠然と考えてきた。〉
     と続けられたあと、次の1行で締めくくられます。
    〈たぶん。あの男と、出会うまでは。〉

     辰吾は東京西部にある町田の自動車修理工場で働く29歳の板金工。少し前から5歳年下、24歳になる聖子(せいこ)と同棲を始めました。2人のアパートがある町田市木曽東は町田駅周辺の繁華街に出るのにバスで20分ほどかかる辺鄙(へんぴ)な住宅街ですが、町田街道沿いにある辰吾が勤める自動車修理工場には自転車で通えるし、聖子が働くファミレスにも近い。架空地名ではなく、実在する地名です。

    「ちょっといく?」同僚の仕事帰りの一杯の誘いを聖子が待っているからと断った辰吾がアパートに戻ったとき、辰吾と聖子だけのはずのダイニングテーブルに男がいる。ずんぐりとした体型。茶色いニット帽をかぶり、茶色いジャンパーを着ている。口の周りを覆った無精ヒゲ。男が黙々と食っているのは、どうやらチャーハンのようだ。握りがオレンジ色のスプーンも、聖子と二人で選んで買ってきた、辰吾がいつも使っているもの……料理好きの聖子とのことを考え考え帰ってきた辰吾には思いもよらない男の出現。しかも小汚い、ホームレスみたいなオッサンだ。どうして部屋に上げるんだ。なんでメシなんか食わしてんだ。これっていわゆる、間男か? そこに帰ってきちゃった俺って、一体──。
    〈涙が出そうだった。怒り、悲しみ、嫉妬、欲望、劣情、殺意、失意、絶望。あらゆるネガティブな感情が腹の底から湧き上がり、口から噴出しそうだった。
     聖子がフライパンをコンロに置き、火を止める。
    「なんか、急にごめんね」
     あたし、この人と暮らすから、とか、そういうことか。
    「うちのお父ちゃん。東京に出てきたっていうから、だったらうちにくればって、連れてきたの」
    「……は?」
     それが、男と辰吾の、出会いだった。〉

     聖子が「実の父」と説明する男が突然現れたこの夜、辰吾と聖子の世界にもはや元には戻れない変化が始まるのですが、辰吾はそのことをまだ知りません。
     一方、7月8日15時12分、若い女性から身柄保護を求める110番通報があって、虐待事件が発覚。警視庁町田警察署の捜査が始まります。
     後に香田麻耶、17歳と判明する通報者の体には長い期間にわたって虐待が繰り返されてきたと思われる跡が歴然と残っていた。
    〈顔や腕に痣が複数あり、よく見ると、サンダルから出ている足の指には爪が一枚もなかった。そればかりか、右足の中指と薬指、左足の親指と中指は火傷を負っており、治療が不完全だったのか半ば癒着してもいた。〉
    〈全身に様々な傷があり、足だけでなく他にも火傷を複数ヶ所負っている。しかも、まだ新しい傷とすでに完治している古い傷とが混在していることから、かなりの長期間、虐待あるいは拷問に近い行為を受けていたものと推察される。栄養状態もかなり悪く、とりあえず点滴を打つということだった。またTシャツとジャージ以外に着衣はなく、ブラジャーやショーツといった下着類は身に着けていなかった・・・・・・〉

     香田麻耶への聴取から、暴行を加えたのは「ヨシオというオジサン」と「アツコさん」、町田市木曽西五丁目のマンション、サンコート町田403号が暴行の現場であることが判明。捜査員がマンションのチャイムを鳴らすと、女の声で応答があり、やがて玄関に女が顔を出した。
    〈このときすでに、麻耶の聴取を担当した女性捜査員は気づいていたという。彼女もまた、暴行を受けていたのだろうと。麻耶と同様の痣が顔面にあり、動作が緩慢で受け答えも鈍い。上衣は男物と思しきワイシャツ、下衣はジーパンだったが、いずれも薄汚れており、髪もしばらくブラシを通していないのだろう、ぼさぼさでみすぼらしかった。最も印象的だったのは、扉に掛けていた手。赤くボロボロに爛(ただ)れ、まるで腐敗しかけた死体のようだったという。
     しかし、それよりも異様だったのは臭いだ。生ゴミが腐ったような臭いと、それを無理やり誤魔化そうとするような刺激臭。その両方をいっぺんに嗅ぎ、捜査員たちは瞬時に鼻呼吸をやめたという。〉

     403号室の内部は異様だった――すべての部屋の出入り口、開口部には南京錠が仕掛けられており、自由に行き来できなくしてあった。窓という窓は暗幕のようなもので覆われ、塞がれていた。そして、浴室は床から壁から浴槽から、一面ルミノール反応で真っ青になった。これだけの血液が付着したのだから、相当量の出血があったことは間違いない。麻耶がいかなる暴行を受けようと、これだけの出血をしたならばすでに命はあるまい。ということは、浴室の壁や床を汚した血は、麻耶以外の誰かのものと考えることができる。しかもその誰かは、すでにこの世のものではない可能性が高い。

     マル被(被疑者)のアツコもマル害(被害者)の香田麻耶も多くを語らなかったが、まず麻耶が児童養護施設に向かう車の中で、急に〈お父さんは、あの二人に殺されました〉と語り始め、次いでアツコも〈香田さんは、私たちが、殺しました──。〉と供述。
     少女に対する虐待、傷害から殺人事件へ――町田署に特別捜査本部が設置され、マル被の取調官を引き継ぐ警視庁捜査第一課殺人犯捜査第二係の統括主任である木和田栄一(きわだ・えいいち)は、それまでの調書と捜査報告書を2時間かけて読み込んで、首を傾げてしまった。なんなんだ、この事件は──。
    〈木和田が気になったのは、浴室の広範囲にわたるルミノール反応だ。
    「浴室のこれからすると、靖之(引用者注:麻耶の父、マンションの借り主)の遺体は、ここで解体された可能性が高いですね」〉

     麻耶、アツコの体に残る火傷の跡が、罰として与えられた通電によるものだったことが徐々に明らかとなっていきます。性器に直接通電することもあったという。
     サンコート町田403号で何があったのか。梅木ヨシオとはなにもので、どこへ消えたのか。辰吾は、聖子の実父とされる男がアパートから近いサンコート町田403号を密かに見張っているところを、さらに夜になってマンションに入っていくところをも目撃します。いったい、なんのために? 辰吾の内部に渦巻く疑念。そして、聞き込みを続ける捜査員が「横内辰吾」の名前を掴んできた・・・・・・。
     一枚一枚ベールを剥がすように、凄惨な遺体なき大量殺人事件の全貌が明かされていくクライマックス。想像を超えた物語の結末――。
     聖子の実父、中本三郎(なかもと・さぶろう)が辰吾に語った言葉が、ずしりと胸に残ります。
    〈愛の大きい小さい、多い少ないは当然あるでしょう。でも完全にゼロというのは、通常は考えられない。考えられないですが、でも現実にはあるんです。いるんです、そういう人間が……それがどういう状態か、お分かりになりますか〉
    〈人間社会というジャングルで、人間を獲物にして、自分だけが生き残ればいいと考えている。そういう奴は確実にいるんです。……奴らは、人間の皮をかぶったケモノです。だが悲しいかな、人間社会がそれを認識していない〉(2017/6/23)
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    投稿日:2017年06月23日
  •  5月17日に紙書籍(文庫版、2017年5月21日初刷)と同時発売された池井戸潤の新作『アキラとあきら』(徳間文庫)。向井理、斎藤工主演でドラマ化(WOWOW7月9日スタート)の話題性もあって文芸ジャンルで好調な売れ行きを示しています。
    「新作」としましたが、初出は「問題小説」2006年12月号~2009年4月号の連載。執筆時期で言えば、大ヒットドラマ「半沢直樹」の原作小説『オレたちバブル入行組』『オレたち花のバブル組』(ともに文春文庫、2013年8月2日配信)、直木賞受賞作『下町ロケット』(小学館文庫、2015年8月14日配信)よりも前で、その3作品よりも後になって――雑誌連載終了8年目に発刊されたオリジナル文庫。「幻の長篇」として池井戸ファンが長い間待ち望んできた作品です。
     主人公は、同じ「あきら」の名を持つ二人――伊豆河津の零細町工場経営者の息子として育つ山崎瑛(あきら)と、日本の海運業の一翼を担う東海郵船のオーナー一族の御曹司、階堂彬(かいどう・あきら)です。工場が倒産したため母と妹の三人で同じ静岡の磐田にある母の実家に夜逃げ同然で転がり込んだ山崎瑛は、幼少時に母など周辺から「アキちゃん」と呼ばれ、また磐田の小学校の同級生で、物語の後半で再会する生涯の友人、三原比呂志とは「アキラ」「ガシャポン」と呼び合う仲ですが、階堂彬が「あきちゃん」とか「あきら」と呼ばれることはありません。階堂家の人々――父の一磨(かずま)、母、二人の叔父たち――の会話では「彬」となっていて、こんなところからも二人の境遇の違いが浮かび上がってくるようです。

     さて、山崎瑛と階堂彬の二人は小学生時代に――河津駅前でかすかにすれ違います。慌ただしい引っ越しで愛犬チビを連れて行くことができなかった瑛少年は一人で磐田から戻ってみたもののチビには会えず、途方に暮れて駅まで戻った時のことです。「ぼく、ひとりかい? どこまで行くの?」若い駅員に訊ねられた瑛が咄嗟に駅舎を飛び出した。

    〈耳を劈(つんざ)かんばかりのブレーキ音がしたのはそのときだ。振り向いた瑛の視界を、ヘッドライトの白い光芒(こうぼう)が染め上げる。
     気づいたとき、瑛は道路の真ん中で尻餅(しりもち)をついていた。
     ちょうど顔の前にクルマのフェンダーが迫っており、ピカピカに磨き上げられたボンネットの中でエンジンの回る音が低く響いている。
    「大丈夫かい、君」
     そのときドアが開き、慌てた様子で運転手が飛び出してきた。
     黒っぽい上下の服を着、帽子をかぶった男だ。男は、まだ道路に座り込んだままの瑛を白い手袋をした手で起き上がらせてくれ、服についた埃を払ってくれる。
    「怪我しなかったかい」
     あまりのことに瑛は答えられず、ただ小さく頷くことしかできなかった。(中略)
     道の真ん中に立っていた瑛は、そっと脇にどいて、見たこともないクルマを改めて眺めた。黒塗りの、見るからに高級そうなクルマだ。さっきは気づかなかったが、ボンネットの先端に、天使のような小さな像がついている。たぶん外車だ。クルマの後部座席の窓が開いて、小さな顔がこちらをのぞいたのはそのときだ。
     瑛と同じぐらいの歳(とし)の少年が、後ろのシートからじっとこちらを見ている。
     髪をおかっぱにしたその少年は、とても興味深そうな目で瑛をじっと見ていた。瑛の友達にはいない印象の子だった。見下すような目をしている。見るからに都会の金持ちの少年だった。その少年は、何か声をかけてくるかと思ったが、結局、一言も発しないまま、クルマは動き出した。〉

     伊豆の別荘で親しい取引先を招いて開かれる恒例のパーティに向かう途中のクルマ。その後部座席に乗っていたのは、私立小学校5年生の階堂彬と3年生の弟、龍馬(りょうま)です。瑛との一瞬の遭遇――彬少年はこんなふうに見ていました。

    〈「とても淋(さび)しそうな顔してたな。迷子みたいだった」(中略)
     同じ歳ぐらいの子供だった。ずっと見入ってしまったのは、その子の目に、彬がいままで見たこともないような感情の塊(かたまり)が浮かんでいたからだ。
     単に悲しいというのではなく、単に困っているというのでもない。
     もっと突き詰めた、真剣な──そうだ、あえていえばきっと、「絶望」に近い、そんな目ではないか。
    「迷子にはならないよ。きっと地元の子だろうし」
     彬はいった。時間は午後六時をとうに回っている。他所から来た子供があんな顔をして、ひとりでいるはずはない。〉

     後年、ともに東京大学経済学部を卒業した瑛と彬は就職先に産業中央銀行を選びます。東海郵船社長の長男でありながら、あえて定められた道には進まずバンカーの道を選択した彬。一方の瑛は、磐田の小学校、中学校を経て地元では一番の公立高校に進みますが、決して平坦な道ではありません。父親の再就職先の電機部品メーカーが経営危機に直面して一度は大学進学を諦めますが、同じ経験をしてきた若い銀行員の後押しもあって東大に進み、バンカーとなります。銀行員に必死の思いで融資を頼み込む父と母の姿。しかしそれをすげなく拒絶されて倒産、しばらく父と離れ離れに暮らした日々。そして自らは家業の倒産のためにせっかく入った東京の一流大学を途中退学して高卒資格で地元の信用金庫に入り、「瑛を大学に進ませたい」との思いから徹夜で作成した融資稟議書で支店長を説得してくれた若い行員。けっして忘れることのできない経験を積み重ねてきた瑛にとって、「バンカー」という選択には秘めた思いがあったのです。

     二人が入行した産業中央銀行――池井戸ファンならお分かりかと思います。「倍返しだ!」のフレーズで大ヒットしたテレビドラマ「半沢直樹」(原作小説は先述の『オレたちバブル入行組』『オレたち花のバブル組』です)の舞台、つまり半沢直樹が所属する産業中央銀行は、『アキラとあきら』に先に登場していたことになります。
     同じ音の名前を持ち、全く異なる境遇に育ちながら、同じ銀行に就職した二人。3週間に及んだ新人研修の仕上げ――最後の5日間をかけて行われる融資戦略研修「融資一刀両断」。階堂彬と山崎瑛の直接対決は、物語前半のハイライトの一つと言える圧巻のエピソードです。新入行員300人が3人一組になって融資判断を競う予選を勝ち抜いて決勝に残った彬と瑛のチーム。決勝では彬のチームが会社役、瑛のチームが銀行役となった。会社役の彬チームは100ページ近くもある分厚い資料――本物の会社データを使って融資申込書を作成、銀行役の瑛チームはその融資申込に対して諾否の判断を下す。与えられる時間はそれぞれ8時間。
     損益計算書――売上げ、経費、利益状況・・・・・・子細に見ていった彬は思わず唸(うな)った。

    〈「この会社、放っておくと来月ショートするぞ」
     彬はいった。「マジ? いくらだよ」
     栗原も必死になって資料をひっくり返している。
    「ざっと見て、三千万から四千万円ぐらい。預金と入金予定だけじゃあ、支払い予定額が賄いきれない」
    「げっ」(中略)
    「オレたちが経営者なら、どうする?」
     彬はふと口にした。ふたりがはっとした顔でこちらを見た。そのふたりではなく、会議室の虚空を彬は眺め、そして繰り返した。
    「もし、オレたちがこの会社を経営していたとしたら、どうすると思う?」
     ある考えが彬の胸に浮かんだのはそのときだった。「何かいいアイデアでもあるのか」
     きいた栗原の顔を、彬は見つめ返した。
    「うまくいくかどうかはわからないが──オレにひとつ、考えがある」〉

     階堂彬の頭に閃(ひらめ)いたアイデアとは何か。そして、階堂の企みに対して融資をするかどうかを判断する銀行役の山崎瑛はどう出るのか。階堂のプレゼンテーションも山崎の分析もここではつまびらかにはしません。
    〈スリリングだった。これ以上、何も言葉が浮かばない〉と審査委員長席の羽根田融資部長。
    〈羽根田は真顔のまま続けた。「銀行は社会の縮図だ。ここにはありとあらゆる人間たちが関わってくる。ここに来る全ての人間たちには、彼らなりの人生があり、のっぴきならない事情がある。それを忘れるな、諸君。儲かるとなればなりふり構わず貸すのが金貸しなら、相手を見て生きた金を貸すのがバンカーだ。金貸しとバンカーとの間には、埋め尽くせないほどの距離がある。同じ金を貸していても、バンカーの貸す金は輝いていなければならない。金に色がついていないと世間ではいうが、色をつけなくなったバンカーは金貸しと同じだ。相手のことを考え、社会のために金を貸して欲しい。金は人のために貸せ。金のために金を貸したとき、バンカーはタダの金貸しになる。だが今日のところは私の説教などどうでもいい。いまは素直に、我らが誇れるバンカーが誕生したことを称(たた)えたいと思う。」〉

     池井戸潤作品に通底する「銀行」の二つの顔――金を人のために貸すバンカーか、金のために金を貸す金貸しかが熱く語られ、その言葉を胸に新人バンカーとして歩き出す二人の「あきら」の物語。

    〈幼いころの君は、どんな音を聴いていた?
     幼いころの君は、どんな匂いを嗅いでいた?
     瑛の場合それは、油圧プレス機がたてる規則正しい音だった。
     瑛の場合それは、工場から漂ってくるぷんと鼻をつくような油の匂いだった。〉

     物語は、海からの風が懐かしい気分を運んでくるかのような文章で静かに始まります。少年時代に一度すれちがったことのある山崎瑛と階堂彬。バブルに浮かれ私利私欲が横溢する社会のなかで苦悩する日々も経験します。真っ直ぐで熱い気持ちを持つ若きバンカーだからこそ、その悩みは深くなります。
     山崎瑛は、アメリカでの心臓移植を待つ娘を持つ社長家族を救いたい一心で、債権回収に動く上司の指示に従わず、不渡りを出す前夜に預金の移し替えを社長に“指示”します。銀行員人生を投げ打って娘を、そして社長家族を救いたいと願ったのです。
     一族を離れて自分自身の人生を生きるという強い思いからバンカーの道を選んだ階堂彬はしかし、父の死後窮地に陥った東海郵船グループ再建のため東海郵船社長に転じます。運命に抗(あらが)うように生きてきた階堂彬が踏み出したかつてない試練の道。メインバンク産業中有銀行の担当者として階堂彬に向き合うのは、山崎瑛です。
     社長就任当日、経理部長の難波を伴って打合せに出向いた階堂彬を担当の水島カンナと共に山崎瑛が待っていました。
     面談後東海商会に向かうクルマのなかで、〈まだ、ウチにも運があるのかもな〉階堂は難波に語りかけます。〈あいつが稟議を書いてそれが承認されなかったら、他の誰がやっても通らない。もしあの山崎がウチを見放すことがあったらそのとき──東海郵船は終わりだ〉
     少年時代にすれ違い、新人時代の直接対決がいまや伝説となっている二人の「あきら」は起死回生の道をどう切り開くのか―――。

     部長室に入った山崎瑛は「なぜそこまでこだわる?」と問われて、父が会社を潰した少年時代のことから語り始め、〈青臭いと思われるかも知れませんが、私は、救える者であれば全力で救いたい。そう思っています。会社にカネを貸すのではなく、人に貸す。これはそのための稟議です〉こう訴えた。 山崎瑛の“人生をかけた稟議書”を押し黙ったまま読み終えた担当部長の不動公二(ふどう・こうじ)――情状酌量が一切通じないところからロボバンカーと揶揄(やゆ)されてきた男が告げた、ひと言とは?

     5年後――階堂彬からの誘いを受けて春の下田に向かう山崎瑛は、途中右折してミカン畑が連なる一本道に分け入った。妻と2歳になったばかりの長男、生まれたばかりの長女が一緒です。
     段々に続くミカン畑の急峻な斜面と、その向こうで無数の光を反射させている春の海。廃墟と化した工場も、住んでいた家の形跡も消え失せ、すべては自然に戻ってしまったかのようだったが、まぎれもなくそこは瑛の原風景だった。
     小説を読む愉しみがもう一つの人生を生きてみることにあるのだとしたら、『アキラとあきら』は、少年時代の一瞬の出会いから20年あまりの山崎瑛と階堂彬の生き様を通して極上の人生を私たちにもたらしてくれます。急に目頭が熱くなり立ち止まって落ち着くのを待ったことが幾度あったことか。読み終えたとき、二人の苦悩、哀しみはおろか、怒りさえも心地よく響いてくる。

     池井戸潤描くエンディングがいい。
    〈幼いころの君は、どんな音を聴いていた?
     幼いころの君は、どんな匂いを嗅いでいた?
     その答えのすべてが──ここにある。〉

     ひとり静かに、極上の人生の物語の余韻に浸ってみてはどうでしょうか。(2017/6/16)

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    投稿日:2017年06月16日
  • 『明仁天皇と平和主義』(斉藤利彦著、朝日新聞出版刊、2015年7月15日配信)に、天皇と皇后のある行動――“公務”の一端が紹介されています。2011年3月11日、東日本大震災と福島原発事故の直後、計画停電が実施された時のことです。

    〈一四日には、前述の「平成二三年東北地方太平洋沖地震に関する天皇皇后両陛下のお気持ちなど」が表明される。
     そこでは、震災の被害にともない各地で計画停電が実施されたが、その対象外となった千代田区の皇居においても、自発的に「停電の時間帯に合わせて……電力使用を停止する」ことが述べられている。
     この皇居の「自主停電」について、報道は次のように伝えている。
    <15日は午後3時半~5時半、16日は午後零時半~2時半、17日は午前9時半~11時半と午後5時~7時……。この間、ブレーカーを落とし、照明も、暖房も消える。1回2時間。暗い部屋で寒さをこらえ、夜の場合はろうそくの灯で夕食をとられている>(読売新聞二〇一一年四月三日付)
     自主停電は「計画停電」の解除後も、皇居では五月まで続けられた。〉

     川崎市北部にある私の自宅エリアも計画停電の対象外でした。その幸運に安堵しつつも、いったいいつまで続くのか不安な日々をおくったことは今も鮮明な記憶として脳裡に刻まれています。その間――「計画停電」が解除された後も――皇居の天皇と皇后は「自主停電」を続けていた。象徴天皇として何をなすべきか。明仁天皇と美智子皇后の姿勢は明瞭に思えます。震災から3日たった14日に発表された「お気持ち」にはこうありました。再び、同書から引用します。

    〈次いで、「現下の大災害に関連する諸々の対応に忙殺されている警備当局に更なる負担をかける結果にならないように配慮」し、「適切なタイミングを選んで、被災した人々を慰め、また救援活動に従事している人々を労うなど、いわば人々の心の支えになれ」るような行動を行うことが表明された。
     この、「人々の心の支えになれる」ようにという姿勢は、国民との共苦の意志として天皇と皇后の行動を一貫して貫くものである。〉

     例年この時期に行われていた園遊会などの各種催しの中止が発表され、そして震災発生から5日経過した時点から、救援活動に携わる専門家による説明を受け始めます。
     3月17日 日本赤十字社社長、副社長
     3月18日 海上保安庁長官
     3月23日 日本看護協会会長
     3月24日 日本看護協会副会長
     3月28日 東京大学付属病院院長
     3月30日 外務事務次官
     4月1日 防衛大臣、統合幕僚長
     4月4日 文部科学省研究振興局長、京都大学名誉教授、名古屋大学医学部保健学科教授、学習院大学理学部化学科教授
     4月12日 東京工業大学原子炉工学研究所所長
     この後も専門家による「ご説明」や「ご聴取」が続くのですが、そこに著者は〈傍観者としてではなく、自分自身が状況を深く客観的に理解し、その上で「被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かち合っていく」ことを志向する意志〉を読み取ります。

     そうして3月30日、4月8日、4月11日と立て続けに首都圏に避難している被災者への慰問・交流を行った天皇と皇后は、4月14日、千葉県旭市を皮切りに被災現地への訪問を開始します。
     茨城県北茨城市(4月22日)、宮城県東松山市・南三陸町・仙台市宮城野区(4月27日)、岩手県花巻市・釜石市・宮古市(5月6日)、福島県須賀川市・玉川村・福島市・相馬市(5月11日)。当初5月2日に予定されていた岩手県訪問を、強風のため自衛隊ヘリが飛べず6日に延期するなどの紆余曲折はありましたが、3月30日の東京の避難所訪問を含めて、7週連続で行われた天皇と皇后の被災者慰問――。
     著者の以下の指摘には、多くの人が肯(うなず)けるのではないか。

    〈理念は言葉でも語ることができる。しかし、それを本当に示すものは行動である。未曾有の大災害に直面し、明確なマニュアルのない中で、天皇が課題としたことは何であったのか。
     まずは、被災者や現地を訪問する日程の中に、意志があらわれている。それは、すべて日帰りで被災地を訪れる強行軍の日程であった。
     宿泊をすれば日程に余裕はあるものの、宿舎にまた警備が必要になり現地の人びとに負担をかけるという配慮があった。また、一週間をおかずに現地を訪問しており、七〇代後半(七七歳、七六歳)の高齢の二人が通常組む旅程でないことは明らかである。(中略)
     天皇は、被災の現地ではマイクロバスや時にはレンタカーを使用して移動するという、強行軍を貫いた。
     福島への訪問が一番後になったのは、福島原発の状況を判断する必要があったからである。それでも、原発に近接する相馬市、そして相馬港と原釜を訪問している。
     四月二七日は、甚大な津波の被害を受けた南三陸町で、約二〇〇人が避難する歌津中学校を訪れ、仙台市では約二七〇人が避難する宮城野体育館を見舞った。
     五月六日の釜石市では、九八人が避難生活を送る石中学校を訪れ、宮古市の避難所では一一六人が避難する宮古市民総合体育館を慰問した。
     津波で大きな被害を受けた地区では、黙礼して犠牲者に哀悼の意をささげ、避難所ではできるだけ多くの被災者の話を聞き、床に膝をつき、時に正座し、被災者の話に耳を傾けた。
     また、家族が行方不明のままの被災者や、福島第一原発事故で避難した人々に対して慰問を行った。
     ところで、この場合に限らず、こうした人びとや子どもたちに声をかけ、差し出す手を握り、寝ている老人の枕元まで膝をつきながら行くという二人の行為に、「何もあそこまで」と言う宮内庁幹部もいるという。
     文芸評論家の江藤淳は、阪神・淡路大震災の現場で見舞う両陛下に、こう苦言を呈した。〈何もひざまずく必要はない。被災者と同じ目線である必要もない。現行憲法上も特別な地位に立っておられる方々であってみれば、立ったままで構わない。馬上であろうと車上であろうと良い。〉
     しかし、天皇と皇后が自らの意志で行った、こうした行為こそが、二人の真情を率直にあらわしているのではないだろうか。誰も、人間の真摯で率直な行為を止めることはできないのである。〉

     明仁天皇、そして美智子皇后にとって、“公務”とは、このような行為、行動を含むものなのだ。47歳の誕生日を前にした記者会見で「ご自分に厳しすぎるのではないか」と問われて〈ただ自分に忠実でありたいという気持ちは持っていますけどね。それ以外厳しくしているとは全然思っていません〉と述べた皇太子時代から一貫するその姿勢は自然体で、無理がない。
     戦後70年の2015年(平成27)初め、天皇は年頭所感で4月のペリリュー島訪問を念頭に〈この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています〉と述べました。ペリリュー島では、1944年9月から2か月間、日本軍とアメリカ軍との間で激戦が繰り広げられ、日本兵の戦死者は1万人を超え、生還者はわずか34人。アメリカ側の戦死者も1,700人を超えた。日本から約3,000キロ離れた南太平洋パラオ諸島のペリリュー島へ。天皇と皇后が長年にわたって強く求めてきた鎮魂の旅――慰霊碑の前で深く静かに頭を下げ拝礼する天皇と皇后の姿が目に焼きついています。
     明仁天皇の、強い平和への思いはどこからきたのでしょうか。著者は、幼少期の時代状況について語った即位10年の記者会見(1999年)に注目して以下のように書いています。

    〈一九三七(昭和一二)年には「日中戦争」(「盧溝橋事件」)が引き起こされ、さらには四一年からの「大東亜戦争」へとなだれ込んでいく。
     こうした幼少期の時代状況について、後に明仁天皇は一九九九(平成一一)年の「天皇陛下ご即位十年に際し」ての記者会見で、次のように述べている。
    <私の幼い日の記憶は、三歳の時、昭和一二年に始まります。この年に盧溝橋事件が起こり、戦争は昭和二〇年の八月まで続きました。したがって私は戦争の無い時を知らないで育ちました>
     このように、明仁天皇の幼少期は、まさに「戦争の無い時を知らない」という時代の状況の下で始まったのである。〉

     明仁天皇が誕生した1933年(昭和8年)――日本は満州への軍事拡大をめぐり国際連盟を脱退し、世界からの孤立を鮮明にしていきます。この年に改訂された国定教科書は「日本は神国である」とうたい、日本を世界に冠たる特別な国家であるとし、天皇の神格化をいっそう推し進めたと著者は指摘します。プロレタリア文学不朽の名作『蟹工船』(岩波文庫版『蟹工船 一九二八・三・一五』、新潮文庫版『蟹工船・党生活者』)で知られる小林多喜二が治安維持法違反で検挙され、警視庁築地署で虐殺されたのもこの年であり、同じく治安維持法違反で受刑中だったマルクス主義経済学者、京都帝国大学教授の河上肇博士が明仁皇太子誕生を記念する恩赦によって5年の禁固刑を4分の1(1年3か月)減じられたのは、誕生の翌年1934年の紀元節(2月11日)のことです。ちなみに「紀元節」とは、日本書紀が神武天皇即位の日と伝える2月11日に基づいて明治政府によって制定された祝日で、戦後の1948年(昭和23)に廃止されましたが、安倍晋三首相の大叔父にあたる佐藤栄作政権の下で1966年(昭和41)に「建国記念の日」として復活しました。
     この時は紀元節復活への抵抗は根強く、提案と廃案を繰り返してようやく成立したのですが、今は安倍一強体制の下「共謀罪」の成立が時間の問題となっています。明仁天皇誕生の昭和前期の日本は、国内的には治安維持法を使って国民を監視、自由な言論を徹底的に弾圧。一方対外的には1937年(昭和12)の盧溝橋事件から「日中戦争」へ、そして1941年(昭和16)「大東亜戦争」へとなだれ込んでいきました。まるで現在の北朝鮮ではないか。そう思えてくるような国家の状況だったわけですが、明仁天皇の〈戦争の無い時を知らない〉との発言は、ただ「戦争状態かどうか」の意味にとどまるものではない――著者はそう指摘して、明仁天皇の「平和主義」をこう要約します。

    〈最も重要な鍵となるのは、「平和の問題というものは、非常に関心のあるところです」と自ら述べているように、天皇が自己の体験の中から見いだしていった平和という価値の問題である。
     ここで、本書が用いる「平和」という概念は、単に戦争のない状態をさしているだけではない。国民が営む生活全体の平穏と安定の状態をさすものであることを確認しよう。例えば、命の尊厳、人権と民主主義の尊重、自然と環境の保全、国際親善、あるいは甚大な自然災害の下でも人びとが共に支え合い、復興の課題を見いだしていこうとする状態をもさしている。さらには、暴力による支配や権力の抑圧から解放され、国民が自由で安定した生活ができる状態をもさすものである。〉

     5月21日、毎日新聞一面トップに〈陛下 公務否定に衝撃〉〈有識者会議での「祈るだけでよい」〉〈「一代限り」に不満〉の見出しが躍り、退位特例法案を閣議決定したばかりの首相官邸、国会周辺に衝撃が走りました。昨年8月に天皇が退位の意向をこめたおことばを公表したのを受けて急遽退位に関する有識者会議が設置された。そこで保守系の専門家が、「天皇家は続くことと祈ることに意味がある。それ以上を天皇の役割と考えるのはいかがなものか」として、被災地訪問などの公務を縮小して負担を軽減し、宮中祭祀(さいし)だけを続ければ退位する必要はない」との主張を展開したことに、陛下が強い不満を感じている、宮内庁幹部は「陛下の生き方を全否定する内容」だとして、陛下の考えを首相官邸に伝えた――これがスクープ記事の主な内容です。
     退位特例法案は衆議院を通過しましたが、退位を一代限りのこととしつつ、官房長官が「将来の先例となりうる」と表明するという小手先の対応は、はたして天皇の希望することに正面から向き合ったものと言えるのでしょうか。
    「戦争のない時を知らない」で幼少期を過ごした明仁天皇は、「平和」の価値――国民が自由で安定した生活ができる状態――を根底に据えて行動してきました。それこそが、自らが果たすべき公務なのだということを天皇は知りぬいているのです。

    〈天皇は、戦争の記憶が絶対に忘れられてはならないという信念を、身をもってあらわしてきたといえる。その生涯を通じた哀悼の行動こそが、自らがいやおうなしに引き受けようとしたものを示している。そして、日本国憲法の下での象徴天皇の課題とは何かを、深く本質的につかみ得た姿がそこにはある。〉

     戦後日本社会は、いまかつてない岐路に立っています。日本国憲法の下で「平和」――自由で安定した生活――がありました。それを今後どうしていくのか。象徴天皇制の意味を見つめ直した本書『明仁天皇と平和主義』は、日本社会の将来を構想する際に重要な手がかりとなる一冊です。
     矢部宏治&須田慎太郎の写文集『戦争をしない国 明仁天皇メッセージ』(小学館、2016年1月15日配信)、2017年6月2日配信の小林よしのりの新刊『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論平成29年~増補改訂版~』(小学館、上・下)も併せてお読みください。(2017/6/9)
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    投稿日:2017年06月09日
  •  読売新聞がおかしい。
     憲法記念日の5月3日――安倍首相は日本会議の集会向けに「2020年までに憲法を改正、9条1項(戦争放棄)、2項(戦力不保持)はそのまま残したうえで自衛隊の存在を明記」と提案するビデオメッセージを寄せ、その真意を国会で問われて(8日)、「そうとう詳しく読売新聞(首相インタビュー)に書いてあるので、熟読いただいて」と答弁。“一強安倍首相”にとって国会は何なのか丸見え、その意味では面白いともいえる問題答弁だったのですが、当の読売新聞が翌9日の社説に「各党は、生産的な改正論議をしてもらいたい」とまるっきりの上から目線で書いたのには、のけぞりました。

     歯に衣着せない評論で人気の斎藤美奈子さんがさっそく5月10日、東京新聞「本音のコラム」(毎週水曜日担当)で読売新聞を“さすが腰巾着”と評していました。「腰巾着」――「新明解国語辞典」(三省堂)には、もともと腰に下げる巾着をさした言葉で、そこから「頼りになる人のそばをいつも離れない者の意や、胡麻(ゴマ)をすったり べったり依存したりする者」の意味をもつようになったとありますが、読売新聞の“腰巾着”ぶりをうかがわせる記事はこれだけではありませんでした。

     5月22日朝刊社会面に「前川前次官出会い系バー通い」の見出しが踊りました。「文科省在職中、平日夜」のサブ見出し、9段抜き、「どうして今頃?」の疑問符がつく、内容以上に目立つ記事でした。「総理のご意向」「官邸の最高レベルがいっている」などの記述があった加計(かけ)学園の獣医学部新設を巡る内部文書の存在が朝日新聞の報道によって明らかとなった時、菅官房長官は即座にこの内部文書を「怪文書」と斬り捨てました。それに対して前川前次官が「文科省内にあったのは事実、まちがいない」ときっぱり証言したのは5月25日。読売の異例のスキャンダル記事にはこの衝撃証言に先立って前次官を貶(おとし)め、証言の信用性、影響力を前もって低下させることを意図した官邸サイドのリークがあったのではないかという見方が拡がっています。本来、緊張感を持って時の政権と対峙すべき新聞が政権中枢に寄り添うように記事を書く。しかもそれが日本最大の新聞なのだ。もしそれが本当だったとしたら、ジャーナリズムの死というほかありません。



     最高権力者の行動と政治・行政の公正性を巡る疑惑が噴出する中で、報道機関のあり方が厳しく問われています。そんな時代状況を捉えた長篇小説が話題になっています。WOWOW連続ドラマ原作、堂場瞬一著『社長室の冬』(集英社、2017年1月13日配信)です。

     読売新聞社会部記者の経験を持つ著者は、アメリカの新興IT企業と日本の老舗新聞社との間の買収交渉を通して、メディアの劣化、新聞と政治家との関係、そして報道機関の存在意義を突き詰めていきます。

     物語の舞台は、130年の歴史を持つ日本新報。今なお部数300万部を維持する老舗の大手新聞ですが、経営悪化を打開する最終手段としてアメリカの新興ネットメディア、AMCに身売りを持ちかけて交渉を進めていた社長が心筋梗塞で急死。前社長の指名で後任社長の座に就いた新里明(にいざと・あきら)、社会部記者あがりの社長室員・南康祐(みなみ・こうすけ)、交渉窓口であるAMCの日本法人AMCジャパン社長の青井聡太が主な登場人物。この3人に、親の代までは日本新報の社主だった、個人筆頭株主・長澤英昭(ながさわ・えいしょう、日新美術館館長)、そして政権を握る民自党政調会長・三池高志(みいけ・たかし)が絡んで物語は展開します。ちなみに、かつて日本新報外報部記者だった青井に異動を通告したのが新里外報部長で、それがきっかけとなって青井は日本新報を退社。その二人が巡り巡って買収交渉で火花を散らしているというわけです。また南は社会部記者時代に老獪な政治家である三池にしてやられて誤報を打つという苦い経験をしています。



     AMCジャパンに転じた青井が三池に対する執念を日本新報社長室の南を相手に語るシーンがあります。報道にたずさわる者への著者のまなざしがうかがえる、力のこもった一節です。「第三部 混沌の中で」より一部を引用します。



    〈「三池のスキャンダルが欲しい。そのネタを、君からもらえるんじゃないかと思ったんだが、どうだろう」

     南は無言で首を横に振った。無理……できることだったら、自分でとっくにやっている。

    「そうか、仕方ないな」青井が伝票を掴み上げた。南が手を出す暇もなかった。「まあ、君の助けがなくても、私は絶対に三池の尻尾を掴む。だいたい、君の助けがなくても、私は絶対に三池の尻尾を掴む。だいたい、三池のような人間が好き勝手できる世の中は、間違っている。こんなことがまかり通ったら、民主主義は崩壊するだろう。この社会を守るためにも、ふざけた政治家は必ず血祭りに上げる。一罰百戒で、他の政治家もビビらせてやるよ。本来、マスコミの役目はそういうことじゃないのか? 恰好つけるわけじゃないが、マスコミが民主主義の番人というのは、本当だ。少なくとも私はそう信じている」〉



    〈三池のような人間が好き勝手できる世の中は、間違っている〉〈この社会を守るためにも、ふざけた政治家は必ず血祭りに上げる〉思わず、「三池」の2文字を別の2文字に読み替え妙に納得してしまったのですが、それにしても主人公の青井に〈マスコミが民主主義の番人というのは、本当だ。少なくとも私はそう信じている〉と語らせている堂場瞬一の眼には「加計学園問題」を巡る古巣読売新聞の報道はどんなふうに映っているのでしょうか。

     かつて読売には大阪社会部長、黒田清さん(故人)がいました。毎年夏に「黒田軍団」と呼ばれた社会部記者たちによる手作りの「戦争展」を続け、反権力を貫いた伝説の記者でした。現在の読売新聞にその伝統は残念ながら受け継がれてはいないようです。



     少し脱線しました。話を作品に戻します。ネットニュースへの全面移行を買収の条件とするAMCに対し、紙の新聞の発行にこだわる日本新報のぎりぎりの交渉が続く中、民自党の三池の暗躍が始まります。報道機関を保守政治家がどう見ているのか――じつに興味深いくだりがあります。



    〈三池はにわかに心配になった。今や新聞は、日本の言論界──そもそもそんなものがあるかどうか分からないが──の中心から滑り落ちているとはいえ、倒産という事態にでもなれば、影響は小さくない。少なくとも戦後、日本で全国紙が倒産したケースはないのだ。三池にとって新聞は敵のようなものだが、なくなれば状況は変わってくるだろう。政治家側が、ますますマスコミをコントロールしやすくなる──それこそ三池の望む世界なのに、何故か不安だった。

     新報には、救いの手を差し伸べるべきかもしれない。ここで恩を売っておけば、今後のコントロールはさらに容易になるだろう。衰えたりとはいえ、新報は未だに三百万部の部数を誇る大新聞だ。そういうメディアを自分の思う通りに動かせれば、何がしかのメリットはあるだろう。

     三池は頭の中で、素早くシナリオを練り上げた。〉



     マスコミをコントロールしようという思惑からAMCによる日本新報買収をつぶしにかかる政治家と、その動きを封じるために政治家の尻尾を掴もうとするネットメディアのせめぎ合いから予想外の結末が待つクライマックスへ。青井は三池を血祭りにあげることができるのか? 老獪な三池はどう出るのか?

     ネット時代の新聞というメディアの劣化を捉え、その先に待つ新聞企業の未来を暗示する堂場瞬一メディア三部作。完結編『社長室の冬』に連なる一作目『警察(サツ)回りの夏』(集英社、2014年12月5日配信)――主人公の南康祐は日本新報甲府支局で6回目の夏を迎え、幼い姉妹殺害事件を追う――と、二作目『蛮政の秋』(集英社、2016年3月4日配信)――甲府支局から本社にあがった南康祐は社会部遊軍。IT企業が民自党議員に配った献金リストがメールで送られてきた。その中に三池高志の名があった――の2冊もあわせてお読みください。(2017/6/2)

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    投稿日:2017年06月02日
  •  東京北区赤羽の古い住宅地で64歳のひとり暮らしの男性が殺害され、その家に家事代行として働きに来ていた30歳の女性が有力な容疑者として浮かび上がる――。

     警察小説を書いてきた佐々木譲が「現実の事件を見ていけば、けっして犯人の逮捕で事件が終わるわけではないと気づいていた。逮捕のその後のドラマを書いてみたかった」(新潮社サイトより)と初めて挑んだ法廷ミステリー『沈黙法廷』(新潮社)――2016年11月に紙書籍が刊行されて半年たった2017年5月5日、ようやく電子書籍の配信が始まりました。
     紙書籍と電子書籍の同時刊行が増えていますが、出版社によって、また書籍によって数か月から半年、1年とタイムラグをとって電子化するケースも少なくありません。昨秋刊行と同時に読んだ本書は、いま私たちが生きている時代をストレートに反映したミステリーです。フィクションですが、現代がそのまま息づいている物語なのです。それを思うと、佐々木譲愛読者としては、半年という時間が何とももったいないと感じてきました。
     佐々木譲はこの新作で、格差社会と呼ばれる時代の翳(かげ)に光をあて、現代社会の歪みを犯罪を通して鮮烈に抉りだして見せました。

     ひとりで暮らす65歳以上の高齢者を「独居高齢者」と呼ぶそうですが、その数はいまや600万人を超えたという。住宅リフォームのセールスマンによって死体が発見された被害者、馬場幸太郎は64歳という設定ですが、「独居高齢者」の一人と考えていいでしょう。玄関が施錠されていなかったことを理由にセールスマンは居間、寝室まで上がり込んでいますが、いったいどんな暮らしぶりだったのか。
     荒物屋を営んでいた父親から引き継いだ瓦屋根の古い一戸建て。商売は継がず会社勤めをしてリタイア。二度結婚したがうまくゆかずに離婚して、ひとり暮らしをしていた。アパートやマンションなど不動産をいくつか持ち、暮らしには困らない。小金持ちの幸太郎は時折、赤羽の無店舗型性風俗業「赤羽ベルサイユ」から若いデリヘル嬢を呼び、通常の料金に加えて1万円のチップを渡していたことも後に分かってきます。
     一方、家事代行業(ハウスキーパー)の女性も家に入れます。「下層老人」とは対極にあるような暮らしぶりで、年寄り相手に高額商品を売りつける業者間でやりとりされるリストにも名前が載っているらしい。その独居老人が殺害され、死体発見から2日目赤羽署に捜査本部が設置された。
     フリーのハウスキーパーとして被害者の家に出入りしており、死亡推定時間に家を訪ねていることから山本美紀という30歳になる女性が有力な容疑者として浮上。地味な顔だちと雰囲気で、女を売り物にして「ハウスキーパー」をしているようには見えないタイプだったが、警視庁は強盗殺人容疑で逮捕に踏み切った。埼玉県警大宮署が別のひとり暮らし老人殺害容疑で逮捕したものの、結局有力な物証が揃わなかったためさいたま地検が処分保留として釈放した、その夜だった。捜査本部に入った警視庁捜査一課の鳥飼達也(とりがい・たつや)が牽引した強引な逮捕だった。埼玉県警も警視庁も物証もないまま、状況証拠だけで逮捕に踏み切り、容疑者として拘留して自供を迫る訊問を重ねます。

     早朝に任意同行を求められた山本美紀が大宮署捜査員による訊問に答える印象的なシーンがあります。この後、逮捕状が請求され、山本美紀は身柄を拘束されることになります。

    〈「きょうは、お仕事は?」
    「は?」
    「お仕事の予定が入っているんじゃないかと思って」
    「仕事が入っているようなら、きょうここには来ませんでした」
    「毎日お仕事があるわけじゃあないんですね」
    「会社に属しているわけじゃありませんので。一日に二件入っているときもあれば、全然ない日もあります」
    「失礼ながら、生活のほうは、それでも十分にやっていけるのですか?」
    「かつかつですが。だから多少遠いお客さんのもとにも出向きます」
    「ご家族はないとのことでしたね?」
    「ひとり暮らしです」
    「副業などはされていますか?」
     また山本美紀の目が鋭くなった。
    「さっきと同じことを訊かれているのでしょうか?」
    「副業のことを訊いたのは、初めてのつもりですが」
    「何もしていません」
    「家事代行業だけであると」
    「はい」
    「そのお仕事で、年間どのくらいの収入があるんです? おおまかでいいんです。確定申告はしていますよね?」
    「大津さんのことと、どういう関係があるんでしょう?」
    「失礼は承知です。大津さんの家に出向いての仕事で、どのくらい収入になっていたかを知りたいものですから」
    「ハウスキーパーとして、一回に一万円から一万五千円くらいです。それが行った回数分」「トータルの年収は?」
    「貧乏であることは、犯罪ですか?」
     この反駁は予想外だった。北島は首を振った。
    「そういう意味じゃありません。でも、教えていただけると、捜査がしやすくなります」
     意味が伝わったかどうかはわからないが、山本美紀は答えた。
    「二百五十万円から三百万円のあいだぐらいです」〉

    「貧乏であることは、犯罪ですか?」山本美紀の必死の問いかけが胸を打ちます。頼れる身寄りもない不幸なヒロイン。ホテルのベッドメーキング、ビルの清掃、農家の手伝。何でもやってきた。格差社会の底辺を誠実に生きてきた彼女の運命は、二度の逮捕によって一変します。
     逮捕・起訴をきっかけに、テレビのワイドショーや週刊誌などが山本美紀の過去を暴き立て、“資産家老人を狙う悪女”というおよそ彼女の実像とはかけ離れたイメージを作り上げていく。山本美紀は裁判員裁判が始まる前にメディアによって裁かれている……こんな情景もまた現代の縮図と言えるのかもしれません。

     物語の舞台は、中盤から裁判員裁判の場へ――〈わたしは、馬場幸太郎さんを殺していません。おカネを奪ってもいません〉検察官による起訴状の内容を被告人が否認して裁判員裁判が始まります。
     もし有罪判決なら、死刑か無期懲役という重罪となる強盗殺人。山本美紀の無罪を100%信じる弁護士と検察がしのぎを削る緊迫の法廷は、初めて裁判を傍聴する28歳の男性(弘志)の視点で描かれます。それが誰であるのかはここでは触れません。ようやく就くことのできた正社員の仕事を辞めて仙台から上京。ネットカフェに寝泊まりしながら傍聴に通う彼の眼前で、それまで無罪を主張して簡潔に答えていた山本美紀被告が突然、口を閉ざします。公判6日目、被告人質問が昼の休憩を挟んで再開された時でした。

    〈 検察側による被告人質問が再開された。
     奥野が言った。
    「次に、川崎の松下和洋さんとの関係を伺います。さきほどあなたは弁護人からの質問に対して、松下和洋さんとのつきあいは平成二十四年十二月から二十五年の五月ころまでと話していました。二十五年三月を最初に、数回、性交渉があったと。それで間違いありませんか?」
     山本美紀の答えが遅れた。裁判官たちも傍聴人も、法廷の全員が山本美紀を注視した。
     山本美紀が答えた。
    「答えたくありません」
     法廷内の空気が一瞬ざわついた。
     黙秘権の行使、ということだろうか? 被告人の黙秘権行使は、初めてだが。
     弘志は弁護人の矢田部の顔を見た。彼もその答えは意外だったようだ。視線を証言台の山本美紀に向けている。
     奥野も、怪訝そうだった。ここで山本美紀が黙秘権を行使するとは想定していなかったかのように見える。質問も、新しいものではない。弁護人の質問に彼女が答えたことの確認なのだ。
     奥野はしかし、その黙秘を咎めることなく、次の質問を口にした。
    「あなたは松下和洋さんを、誰かに紹介されたのでしょうか?」
     山本美紀の答えはいまと同じ調子だった。
    「答えたくありません」〉

     検察官は質問を続けますが、山本美紀は「答えたくありません」身を固くしたまま繰り返した。突然の黙秘――彼女に何があったのか?
     弁護人の再質問、裁判官と裁判員による被告人質問、論告求刑と最終弁論、最終陳述を経て判決へ――佐々木譲初の法廷ミステリーのクライマックスに圧倒されました。そして読了後、捜査段階で〈貧乏であることは、犯罪ですか〉と問いかけた山本美紀の最終陳述――秘めてきたまっすぐな思いを読み返しました。

     ミステリーは時代を映す鏡です。『沈黙法廷』は、警察という巨大な力によって個人の人生がいとも簡単に狂わされていくという現代社会の断面――組織の功名心を背景に複数の可能性を排除した見込み捜査によって、誠実に生きてきた女性がある日突然、「犯罪者」に仕立てられていく怖さを鮮明に描き出しました。
     東京新聞は2017年5月24日付朝刊一面トップで【「対テロ」名目 心も捜査】の大見出しを掲げて、「共謀罪」法案の衆議院通過を伝えました。「内心の自由」を取り締まるというこの法案の本質を的確に表現した出色の見出しだったと思う。この問題法案が十分な議論もないままに成立必至となった今、佐々木譲『沈黙法廷』の問いかけの意味は重い。(2017/5/26)
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    投稿日:2017年05月26日
  •  英語実用書としては異例とも言える19万部を突破して話題の本があります。2016年10月に紙書籍と電子書籍ほぼ同時に刊行された『英語は3語で伝わります』(ダイヤモンド社、2016年11月11日配信)です。
    〈会話もメールも英語は3語で伝わります〉というわかりやすいタイトルが日常的に英語で苦労しているビジネスパーソンの琴線にビビッときたのでしょうか。なにしろ技術翻訳、テクニカル・ライティングの第一人者として知られる著者、中山裕木子さんが〈英語は3語で伝わる〉〈学校で習った「イデオム」はいらない〉などなど、英語学習の年数だけはけっこう長いけれど、ちゃんと伝わる英語がどうにも身につかない日本人がとらわれてきた「英語についての常識」をどんどんひっくり返していくのです!

     まず、以下の3つの英文をご覧ください。
    [1]The news made me surprised.
      そのニュースは、私にとって驚きだった。
    [2]It is not difficult for me to understand your situation.
      私にとって、あなたの状況を理解することは難しくない。
    [3]There is a need to buy this book.
      この本を買う必要がある。

     これらは著者がチャプター1〈「日本人の英語」が伝わらない理由〉で紹介している「日本人が好む英語」の3つの欠点を示す典型例なのですが、どこに問題があるのかわかりますか?
     [1]は、いわゆる5文型と呼ばれる文型のうちの、複雑な第5文型[S(主語)+V(動詞)+O(目的語)+C(補語)]
     [2]は、It is〜for ... to do(…がするのは〜である)の形、つまり「仮主語」itを使った表現。
     [3]は、There is構文を使っています。「〜がある」という日本語が頭に浮かぶと、be動詞をたっぷり教えられてきた日本人の場合、即座にThere is〜を使うことが多いらしい。
     著者は〈これらの文は文法的に正しく、そして一見「英語らしく」見えます。しかし、これらの文には次の3つの欠点があります〉としたうえで、その3つの欠点を具体的に挙げていきます。

     まず欠点1は、結論(動作)がすぐに伝わらないことです。
    The news made me ...
    It is not difficult for me to ...
    There is a need to ...
    〈それぞれの文の前半を見てみましょう。前半だけでは、この文が何を伝えたいのかがわかりません。
    「結論」、つまり文が伝えたい「動作」が出てくるのが、文の前半ではなく、文の後半、あるいは文の最後となっています。
     例えば、<It is not difficult for me to>まで話したときのことを考えてください。会話の相手が「一体何の話? ポイントは何?」という顔で、首を長くして結論を待っている、そんな気まずい経験をした人もいるのではないでしょうか。〉

     恥ずかしい話ですが、私自身もったいぶった調子で”It is not difficult for me to…”と話し始めたことが過去に幾度もありました。相手の反応を気にする余裕などまったくないにもかかわらず、難しい言い回しを好むという「日本人の英語の罠」に完全にかかってしまっていたのですね。

     欠点2は、組み立てる側の負担が大きく、それだけ間違える可能性も高くなるということです。その端的な例として、著者は複雑な第5文型(SVOC)の
    The news made me ...
     について以下のように説明しています。
    〈ここまで組み立てるだけでも、ノンネイティブにとっての負担は相当なものです。「made me」を組み立てる過程で、「SVOC構文を使おう」などと構文に配慮し、頭の中で一生懸命、英文を組み立てています。文を完成させる頃には、頭も疲れてしまい、次のような誤った文を組み立ててしまうかもしれません。〉
     ありがちな間違いの例として著者が挙げるのは、複雑な構文の最後のC(補語)に〈surprising〉を入れて「できた、完成!」とほっとしてしまうケース。しかし、正しくは〈surprised〉で、〈surprising〉は文法的に間違いなのです。
    〈SVOCのような難しい構文を使うと、文の組み立てに意識が向きすぎて、このように文法的に誤ってしまう可能性が高まります。
     特に口頭の場合、その場で判断して口に出す必要がありますので、細かいところを誤ってしまう可能性がより高まります。〉
     残る2つの文〈It is not difficult for me to ...〉〈There is a need to...〉も日本人の間で人気の高い構文ですが、組み立てる負担が大きい文で、「伝えるための英語」を重視するなら、避けるのが賢明というわけです。
    .
     単語数が多いためにコミュニケーションが遅くなる――これが3つめの欠点です。
    〈コミュニケーションにおいて、スピードは非常に重要です。組み立てる単語数が多いと、コミュニケーションの速度が落ちてしまいます。速度が落ちてしまうと、それを受ける相手の負担も大きくなります。
     その結果、コミュニケーションが円滑に進まないという可能性が高まります。〉

    ・結論(動作)がすぐに伝わらない
    ・組み立てる側の負担が大きく、誤ってしまう可能性が高い
    ・単語数が多いためにコミュニケーションが遅くなる
     これら3つの欠点により、一見、英語らしく見える表現は、「伝わりにくい表現」となってしまうことがわかってきました。

     ではどうすればいいのか? どうすればちゃんと伝わる英語になるのか?
     著者が提案するのが「3語の英語」――主語(S)+動詞(V)+目的語(O)を基本として組み立てる英語です。「誰か[何か]が何かをする」というきわめてシンプルな文で、例えば、”I like English”がこれにあたります。I=主語、like=動詞、English=目的語。5つの文型(SV、SVC、SVO、SVOO、SVOC)のうち、最も力強く、最も簡単なSVOを使って表現するテクニックこそが、伝わる英語の基本というわけです。

     さて冒頭の[1]~[3]の英語を3語(SVO)で組み立てるとどうなるでしょうか。
    [1] The news made me surprised.
    3語→The news surprised me.
    [2] It is not difficult for me to understand your situation.
    3語→I can understand your situation.
    [3] There is a need to buy this book.
    3語→I need to buy this book.→I need this book.

    〈これらは「かっこいい英語」ではないかもしれません。しかし伝わる英語です。そして組み立てやすく、誤りが起こりにくい英語といえます。〉
     かっこいい英語はいらない。最小限の単語数で、平易な構文を使って組み立てることで、誤りが減り、そして伝わりやすくなる――実践の場で英語と格闘してきた著者が説くポイントは単純で明解です。
    「3語の英語」の大事なポイントになるのが動詞です。著者はhave、use、include、find、like、enjoy、surprise、interest、dislikeなどの基本動詞を使用場面別に分類、詳述していますが、これがわかりやすく役に立ちます(チャプター3)。
     そして何よりうれしいのは、チャプター5〈「3語で伝える」ために、ここはバッサリ捨てましょう!〉で、学校で学んできたものをこの際思い切って捨ててしまおうという「逆転の提案」というか、実践的オススメ。各チャプターで展開してきたことのまとめですが、ざっと列記すると、こんな具合です。
    ・There is/are構文を捨てる
    ・仮主語と仮目的語のitを捨てる
    ・SVOO・SVOC構文を捨てる
    ・受け身形を捨てる
    ・イディオム(句動詞)を捨てる
    ・not文を捨てる
    ・難解な英単語を捨てる
    ・難しい時制を捨てる
     なかでも著者が〈イディオムなんて捨ててしまいなさい〉と言い切っているのは感動的だ。
     make use of 「〜を使う、利用する」、get rid of「〜を取り除く」、give rise to「〜を生じさせる」……学生時代、試験のたびにイディオムで苦しんだ経験を持つ人は多いはずです。そんなイディオムを英語の実践の場で使おうと悩むのは愚の骨頂、どうせノンネイティブには伝わらないことが多いと考えるのが正解なのだという割り切りが気持ちいい。
     この3つのイディオムの場合、use(〜を使う)、delete(〜を削除する)、cause (〜を引き起こす)を使えば、動詞1語で表せるのですから、何の問題もないのです。もう面倒なイディオムに悩む必要はありません。
     伝わる英語を今すぐに必要とするビジネスパーソンを勇気づける一冊だ。(2017/5/19)
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    投稿日:2017年05月19日
  •  昭和天皇の誕生日だった4月29日――今は「昭和の日」と呼ばれる祝日の早朝、東京の地下鉄(メトロ)が運転を見合わせた。
     北朝鮮がミサイルを発射したという報道を受けての措置で、約10分後に運転は再開されましたが、ちょうど乗り合わせたメトロ利用者からは「“北朝鮮からミサイルが発射されて東京メトロ全線で運転を見合わせてます”ってちょっとにわかに信じられない放送でした」といった驚きの声があがりました。それも当然でしょう。「ミサイル発射による運転見合わせ」は初めてのことで、その背景には、警戒態勢強化を強く打ちだしている首相官邸が「弾道ミサイル落下時の行動について」と題する”対処マニュアル”(と言えるかどうかはなはだ疑問ですが)を公開して対北朝鮮警戒態勢強化を前面に出していることがあります。「国民保護ポータルサイト」という名称になっていますが、しかしその内容は「?????」と書く以外にありません。
     弾道ミサイル落下時(情報が流れたら)――
    [屋外にいる場合]できる限り頑丈な建物や地下街などに避難する。
    [建物がない場合]物陰に身を隠すか、地面に伏せて頭部を守る。
    [屋内にいる場合]窓から離れるか、窓のない部屋に移動する。
     これはまったく“対策”にはなっていません。発射後10分程度で到達するミサイルに対してただ物陰に身を隠せ、地面に伏せて頭部を守れという指針にわが身を託すことができる国民がいるのでしょうか。

     米軍のB29爆撃機が落とす焼夷弾に対し急ごしらえの防空壕とバケツリレーによる消火活動で対抗しようとした日本は死者数十万人、国土は焼け野原と化しました。72年前のことです。つい72年前のことなのですが、戦後生まれが人口の8割を超えた今となっては、「72年も前の出来事」と言うべきなのでしょうか。実際に役にたつとは思えない、その意味で真剣味を欠いた“弾道ミサイル対策”が堂々と政府のホームページに掲げられました。その指針に沿って東京では地下鉄が一時運転を止めました。一方、稼働中の原発は運転を中止することはありませんでした。ちぐはぐな対応への疑問はともかく、今はっきり言えることは、「戦争の記憶」が世代を超えて共有されることなく、薄れてきているということでしょう。

     戦争を知る最後の世代、1930年(昭和5年)生まれの野坂昭如の作家デビュー作『エロ事師たち』(新潮文庫、2017年2月3日配信)にこんな一節があります。後に直木賞(1967年度下期)を受賞する2作品『アメリカひじき』『火垂るの墓』(この2作品を表題作とする6篇収録の短編集として文春文庫版新潮文庫版が配信されています)につながっていく野坂昭如の戦争観、人間観、死生観が鮮烈に描かれていて興味深い作品です。少し長くなりますが、引用します。

    〈母は十七年前、神戸空襲で死んだ。みじめな死にざまであった。父は戦地へ駆り出され、母一人子一人細々と洋服のつくろいで過ごすうち、過労のためかそれまでも病身だった母の腰が抜けた。スブやん中島飛行機へ勤め、勤労特配などあってかつかつ喰うには困らなかったが、さてB二九が白い飛行機雲空になびかせはじめては、母の始末に窮した。疎開(そかい)するとてたよる血縁はなく、家は湊川(みなとがわ)神社のすぐ横でいわば神戸の中心、そうでなくても、アメリカは楠公(なんこう)さん焼くそうやとデマがとびかい、どうころんでも助かる道はない。そして二十年三月十七日、パンパンと今から思えばクリスマスのクラッカーのように軽薄な音が焼夷弾(しょういだん)の皮切りで、「おちましたでえ」というより火の粉煙が先きに立ち、「お母ちゃんどないしょ」「ええから逃げなはれ」上半身起してスブやんをみつめる姿に、かなわぬと知りつつ後からかかえて二歩三歩、とてもその軽さに泣くゆとりはない。「お母ちゃんに布団かけて、はよかけて」スブやんいまはこれまでと布団ひきずり出し、一枚かけては防火用水のバケツぶちまけ、また一枚おおっては水道の水を汲(く)み、せめてこれでなんとか持ちこたえてえなと、これは切端(せっぱ)つまって親子二人考え出した非常時の処置であった。
     そのまま母の無事を祈るいとまなく、楠公さんのきわの電車道にとび出せば、すでに町内は逃げたのか人影もみえず、ただ湊川神社の木立ちめらめらと焔(ほのお)をあげ、今までいた家並みそろって黒煙を吐き出している。しかもひっきりなしに、あの荒磯(あらいそ)を波のひくようなザアザアという爆弾の落下音が轟(とどろ)き、思わず伏せてバケツを頭にかぶったスブやんの、ほんの二米(メートル)先きを、まるで筍(たけのこ)の生えそろったように焼夷弾びっしりと植わって、いっせいに火を吹いた。
     翌日、まだうっかりすると燃えつきそうに熱い焼跡を、警防団が母を掘り出したが、幾枚かけたか覚えのない布団の、下二枚は焦(こ)げ目もなく、そして最後にお母ちゃんがあらわれた。全身うすい焦茶色となり、髪の毛だけが妙に水々しく、苦悶(くもん)の色はみえなかった。
    「黒焦げになって、猿みたいにちぢこまった仏さんもようけいてはるのや。こないに五体満足なだけましやで」
     警防団員の一人が肩にまわり、一人が脚を持とうとすると、まるで金魚すくいの紙が破れるみたいに、お母ちゃんの体はフワッと肉がくずれ骨がみえた。ウッと口を押さえとびすさった警防団、ややしばし後に「しゃアないわ、スコップですくお」と、そのスコップの動きにつれて、指の一本一本の肉までがきれいにはがれ、くだけ、最後はこれもまるでオブラートの如くたわいない寝巻きとごちゃまぜにむしろの担架につみ上げられたのだった。スブやんはただ立ちすくみ、今もかしわの蒸し焼きだけは見る気もしない。〉

     1945年の神戸大空襲で養父を亡くし、逃げのびた疎開先の福井で妹を栄養失調で亡くし、戦火の下で人がどう生き、どう死んでいったのかを身をもって知ることになった野坂昭如が描く「戦争」の実相に嘘はなく、政府や軍、つまりお上が市井の人々を守ることはないことを知る焼け跡闇市派の作家デビュー作は、いま北朝鮮のミサイルの悪夢を煽る一方で「地面に伏せて頭部を保護せよ」という政権の正体をも見事に照らし出しているのではないか。
     その意味で、幼少時体験から湧き出てきたかのような野坂昭如の小説スタイルはけっして古くなってはいません。むしろ電子書籍配信の機に読み直してみて、その新鮮さに驚きました。
     愛すべき主人公、スブやんの「母の死」を通して「戦争」の残酷な現実を描いたシーンを見てきましたが、本書『エロ事師たち』はいわゆる「戦争文学」ではありません。夥しい死を目の当たりにしながらも戦争を生きのび、「戦争体験」を胸のうちにしまい込んだ生身の人間として大阪周辺でしたたかに生きる男たちの物語です。
     35歳のスブやん、写真専門の伴的、運び屋ゴキ、エロ本書きのカキヤ、後に加わる美青年カボー。お互い「エロ事師」と称するスブやん一党は、写真、本、媚薬にはじまり、やがて性具からブルーフィルムに手を拡げ、さらには“処女紹介”、コールガールの斡旋、痴漢術の指導、ついには乱交パーティ開催にまで行きつきます。堂ビルの裏に月五千円の電話番つきデスクを借り受け、ここを連絡事務所にエロネタなら何でも引き受け――〈常に強い刺激を求める色餓鬼亡者相手の東奔西走〉する日々。当然、非合法、法の網の目を潜り抜ける生業(なりわい)だ。

     たとえば“処女の紹介”は、広告代理店重役のたっての希望が始まりだった。結婚して15年たった今になって妻が処女ではなかったと頑固に思い込み、「ていらず」求める42歳。
    〈この年なって、わいがはじめての男やいう女知らんちゅうことは、こら悲しいで。よう考えんのやけどなあ、ぼくなんか飛行機で東京なんかいくやろ、ひょっとして落ちるわなあ、わい死にきらんで。わいはついに処女知らんかったんか思たら、こら切ないで」ぼくとわいを使いわけながら、重役はスブやんにこうかきくどいた。「いっそ癌やとわかったらな、ほならわい、恥も外聞もないわ、女学生強姦したるわ、わかってえな」と、金はなんぼでも出す、どうぞ処女を一人頼む〉

     泣かんばかりにかきくどかれても処女のあてなどまったくなかったスブやんですが、同業者から芦屋(あしや)に「処女屋」のおばはんがいると聞き、手土産もって訪ねます。

    〈大きな指輪の、その五十がらみのおばはん、まず客の好みを根掘り葉掘りききただして後、「ホナ安子よろしわ、二十三やけどもう十五、六ぺんやってるベテランやさかい、よろこんでもらえま」
     処女のベテランときいてスブやん、なんやわかったようなわからんような気イしたが、事の次第を詳しくきくと、つまり処女の演技専門のコールガールが、阪神だけで十三人いてる。いっちゃん上は二十八、下は二十一で、客によりうまいこと芝居をしてみせる。もちろん明礬(みょうばん)使(つこ)うての、江戸伝来の方法もつかうし、静脈から血イとって出血を装(よそお)うこともする。そやがもっとも肝心なんは、客がもっとる処女のイメージに自分をあわせることで、これができたら子持ちかて、ばんとした処女や。
    「紹介者の駆けひきもいるねん。注文受けてから三月待たすこっちゃ、そいで、いざ引き合す段取りになったらいっぺんすっぽかして、やはりどうも最後の決心がつきかねるようでしていうて、なおいっそう餓鬼の期待を高める、ワクワクさせるんですわ」
     戦前、大森で連込み宿を経営していたという肥えたおばはん、ようしゃべり、そしてよう寿司を喰うて、「ま、いつでもいうとくれやす、前日の医者の処女膜証明書つきでまわしまっさ」おばはんに手数料一万五千円、女に一万五千円、後はスブやんの腕次第、なんぼにでも売りつけていい。〉

     スブやんの話を聞いた広告代理店重役「それで何時やったらええねん」と手帳とり出し、身も心も勇みきっています。まずは露見の恐れなしとみて、スブやん8万円と吹っかけますが、「ええわ、ホテル代ともで10万ちゅうとこか」と、いとも気易い。
     それもそのはず、後日、安子に引き合わせる直前、処女鑑定書を渡すスブやんに「あ、これ8つ入っている」と封筒を差しだし、「すまんが、領収書10万にして」と重役。

    〈けったくそわるい、こんなもんまで社用にしよると思たが、まあ社用やろうと汚職やろうと金は金や。
     後は勝手にさらせとスブやん、簡単に両者ひき合せて喫茶店にとってかえし、おばはんに約束の金を渡す。「大丈夫やろな?」
    「まかしとき、誰かて処女やないと見破るために抱けへん、処女であって欲しい願うとるのやろ、めったにばれまへん」〉

     大阪弁による会話と独特のリズムの語りともいうべき地の文によって構成される野坂昭如の世界。残念ながら電子版には収録されていませんが、澁澤龍彦は文庫版解説で、
    〈オナニズムを最高のエロティシズムとする氏の性の世界は、純粋に観念の世界なのだ。男と女がベッドで正常の営みをして、正常の興奮やら満足やらを味わうといったような、世間一般の小説や映画のなかに数限りなく出てくる性愛のパターンが、野坂氏の小説のなかには、ほとんど一つも出てこないということに注意していただきたい。端的に言えば、野坂氏の興味はいつもエロティシズムの否定面、あるいは欠如体としてのエロティシズムにのみ向けられているのである。オナニズムについて、インポテンツについて、タナトフィリア(死の愛好〉について、あれほど執拗に語る作家が、氏以外にどこにいるだろうか。大げさに言えば、野坂氏はこの点で、古今東西の世界文学史上においても、まことに希有なる存在というべきなのである〉
     と、性の探求者への最大級の賛辞を綴っています。

    〈いっちゃんはじめの男と女は、全部乱交やったんとちゃうか〉〈ありきたりのセックスの形を全部かなぐり捨てて、ほんまに地位も美醜もあらへん、えり好みするゆとりない、雄やから雌を、雌やから雄を抱き抱かれ〉〈(男と女を)気ちがいにさせるには、いや、まともにさせるには、これしかない、絶対にない〉――エロネタ探求を使命とするスブやんが行きついた命懸けの乱交の先には、何が待つか?

     小説『エロ事師たち』が刊行されたのは1966年(昭和41年)。1970年(昭和45年)に文庫化。以来版を重ね、電子化の底本となったのは、2015年(平成27年)12月発行の第39刷。
     澁澤龍彦によれば、アメリカで出版された際の英訳タイトルは『ザ・ポーノグラファーズ』だそうです。
     性の極致に生を見つめる野坂昭如の傑作ポルノグラフィー。
     軍記物や義太夫などの伝統に連なる、日本の古典的な語り物文芸として味わってみるのも面白い。(2017/5/12)
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    投稿日:2017年05月12日
  •  時事通信社記者として経済分野の現場で鍛えられた「真実」を見抜く直感力のなせる技だろうか。
    『震える牛』(小学館、2013年6月14日配信)で食肉偽装問題を、次いで『ガラパゴス』(小学館、上・下、2016年3月25日配信)では非正規・派遣労働の実態を抉りだした相場英雄が、日本の企業社会を根底から揺るがせている〈不適正会計〉事件をモデルに大手電機企業の粉飾決算を描ききった衝撃作。最後まで読者をぐいぐい引っぱていく力わざがこの社会派作家の魅力だ。
     たとえば、主人公の古賀遼が“政界のプリンス”に初めて会うシーン――。

    〈……桜川(引用者注:老舗光学メーカー・ゼウス光学財務本部運用部長)がニヤリと笑った。
    「元外務大臣の芦原恒太郎先生のご子息で恒三さんです」
     東田(引用者注:大手電機企業・三田電機産業海外事業本部長などを歴任、後に社長)と肩を並べ、芦原が古賀に近づいてきた。政界のプリンスと呼ばれ、与党の民政党の前幹事長だった父親の恒太郎にそっくりだ。顔の色つやが良い。年齢は四〇程度か。
    「三田やゼウス有志の勉強会に出てもらっているご縁がありましてね。こういう機会だから恒三さんを古賀さんに紹介しようと思っていたんですよ」
     東田が笑みを浮かべ、言った。
    「芦原恒三です。よろしく」
     芦原が強い力で古賀の手を握った。
    「古賀と申します。今後お見知り置きを」
    「いずれは、お父上の後を継がれるサラブレッドです」
     東田が言うと、芦原が甲高い声で笑った。屈託のない声だ。中野や大牟田の荒井……古賀は今まで様々な人々と関わってきた。それぞれの声には、各自が歩んできた人生の重み、あるいは苦しみのようなものが反映されていた。一方、この芦原という男の声にはどこにもひずみや暗い過去をうかがわせるような気配がない。(中略)
     ……古賀は芦原に名刺を渡した。手慣れているのだろう。芦原は受け取ると気さくに古賀の手を握った。
     体格の良い芦原だが、その手は存外に柔らかかった。大牟田では絶対にお目にかかれない人種だ。故郷の炭鉱町では、男たちの手は例外なく節くれ立ち、指先まで黒ずんでいた。芦原の柔らかく白い手に触れた瞬間、古賀はすべてを悟った。この国は、こうした白く柔らかい手を持つ人間が支配している。〉

     時は1990年(平成2)10月上旬――1978年(昭和53)3月に福岡県大牟田市内の商業高校を卒業して上京、最大手の村田証券系列の国民証券の場立ちとなった古賀良樹。高卒ながら吉祥寺支店の営業マンに取り立てられたのをきっかけに着実に実績をあげ力をつけていきます。そして大牟田を出て12年目の秋に古賀は30歳で金融コンサルタントとして独立。この時、三田電機の東田から紹介されたのが“政界のプリンス”芦原恒三で、以後古賀と芦原は月に一度は会うようになっていく。

     炭鉱の事故で幼くして父を失い、水商売の母と貧しい炭鉱町で育ち、株の世界に進んだ高校の先輩から聞いた “金が膨らむ”という言葉を脳裏に刻み込んで上京した青年、古賀遼こと古賀良樹の物語が1977(昭和52)年10月福岡県大牟田市で始まるのに対し、もうひとつの物語は2015(平成27)年9月東京都千代田区で始まります。
     主人公は警視庁捜査二課の管理官・小堀秀明、マネーゲームの果てに粉飾決算を構造化して恥じない企業摘発に執念を燃やす若手キャリア。小堀警視が次なる獲物として狙い定めるのは、三田電機産業。2015年9月15日の大手各紙一面には三田電機産業の〈不適切会計〉の大見出しが踊っている。
    〈三田電機産業は、創業から一〇〇年以上の老舗電機企業だ。洗濯機などの白物家電、パソコンや半導体製造を担う弱電部門から、生活インフラに関わる送電設備や原子力発電所など重電部門まで揃える総合電機メーカーであり、株式を東京証券取引所に公開している。〉
     東芝問題が2017年前半の産業界を根底から揺さぶっていますが、本書の〈三田電機産業〉はまさに東芝を彷彿させる老舗企業という設定です。その老舗が7年で1,500億円もの売上げを過剰計上していたことが発覚した。粉飾が明らかであるにもかかわらず〈不適切会計〉という穏便な表現に抑えられているのはなぜか。その背景に背任行為が隠れているのではないかと強い疑念を抱いた小堀の捜査が始まります。

     書名となる〈不発弾〉は、自殺した大牟田合同信用金庫理事長が残したメモに綴られていた言葉として出てくるのが最初です。大牟田現地に出張した小堀警視が所轄警察署に保管されていたファイルから再発掘しました。

    〈「自殺の動機は?」
    「仕事上のストレスが溜まっていた……家族や信金に聞いてもストレスではという一言のみでした」
    「遺書は」
    「特には。本職も随分自殺に立ち会いましたが、大概は家族への詫びや、会社や組織への恨み言が綴ってあるメモが残っておりますが……」
     そう言うと、署長が口を閉ざした。小堀が視線を向けると、腕を組んでなにかを思い出そうとしているようだった。
    「どうされました?」
    「遺書というほどのものではありませんが、たしか、書きなぐったようなメモがあったと思います」
     小堀は再度ファイルをめくった。
     現場写真や検視官の所見、地元医師の死亡診断書のあとに、鑑識係が撮った写真が添付されていた。
    「これですね」
     小堀が写真を指すと、署長が大きく頷いた。
    「仏が残したのはこれだけです」
     小堀は写真を凝視した。踏み台を蹴る直前にでも書いたのだろうか。信金の名入りメモ用紙にペンで殴り書きされたものだ。筆圧が一定していないので読みづらい。小堀はさらに目を凝らした。
    「〈不発弾を背負って死ぬ〉……そう書いてあるのでしょうか?」
    「そうです」
    「不発弾とは? なにか心当たりはありますか?」
     小堀が訊くと、署長は強く首を振った。
    「信金にも問い合わせましたが、全く心当たりがないと言われました」
    「なにか仕事上のトラブルでも?」
    「自殺という明確な見立てがありました。事件性が認められなかった以上は我々としてはさらに事情を聴くことはありませんでした」
     署長が言葉を濁した。〉

     ちなみに死んだ信金理事長の荒井は、古賀の母とはなじみ客以上の関係がある因縁の男です。古賀遼の姿が小堀警視の視野に入ってきた・・・・・・。

     38年の時を隔てて始まる二つの物語。それぞれが時系列に沿いながら重層的に進行していくスタイルと〈芦原の柔らかく白い手に触れた瞬間、古賀はすべてを悟った。この国は、こうした白く柔らかい手を持つ人間が支配している〉と書ききる社会派作家の熱量が一体となって展開にスピード感を与えています。
     鍵となる〈不発弾〉の謎に迫る小堀秀明と古賀遼――追う者と追われる者、二つの物語が合流していくクライマックス――思いもよらぬ結末が待っています。(2017/5/5)
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    投稿日:2017年05月05日
  •  福岡市の繁華街で白昼、貴金属関連会社の社員が銀行から下ろしたたばかりの現金3億8,400万円を大型スーツケースごと強奪された直後、福岡空港でトランクに入れた現金7億円を海外に持ち出そうとした韓国籍の男性4人が関税法違反の容疑で逮捕された。
     4月22日付朝日新聞によれば、ソウルにある自動車販売会社の男性社長(42)が名乗り出て、“東京の日本人男性から伊フェラーリの高級車「ラ・フェラーリ」2台を受注し、その代金として約7億3,500万円を福岡空港で受け取り、社員4人に香港まで運ばせようとした。過去にも何回か同様に現金を運ばせたことがある。法律に触れるとは思わなかった。(現金強奪事件について訊かれて)偶然同じ日にそういうことが起きてびっくりした。この強奪事件がなかったら、関税法違反で逮捕されるほどでもなかったのでは”と語ったという。偶然の出来事だとしても、同じ町、同じ日のほぼ同時刻に3億8,400万円が強奪され、7億円が香港に持ち出されようとしていた。そして翌日、東京銀座の路上でやはり白昼、4,000万円が奪われる事件が発生。わずか2日の間に億単位、一千万単位の現金が事件となったわけですが、私が見聞きした限りでは事件を伝えるメディアはなぜか登場する人物、会社の名前を書かないし、言いません。不明なのか被害者への配慮なのかわかりませんが、私たちの日常では普通出てこない巨額現ナマをめぐる不可解な事件です。じつは表に出てはならなかったはずのお金だったのではないか、そんな風に妄想を逞しくした時、1冊の長編小説が頭に浮かびました。
     ちょうど1年前に文庫版を底本に電子化された橘玲著『タックスヘイヴン Tax Haven』(幻冬舎文庫、2016年4月12日配信)です。こんな一節があります。スーツケースに入れた現金を闇に紛れて日本船から韓国船に海上で受け渡す緊迫シーンです。

    〈対馬の北端から韓国の釜山までは五〇キロほどしかない。高速フェリーなら一時間一〇分の距離で、時速一〇ノットの釣り船でも三時間弱で着く。
     午前二時過ぎ、船は韓国との国境近くで停まった。暗闇から、サーチライトを照らしながら別の船が近づいてくる。ひとまわり大きな漁船で、韓国旗を掲げている。
     こちらからもサーチライトで合図すると、韓国船がゆっくりと横づけしてきた。
     床に寝転んで荒い息を吐いている堀山を置いて、古波蔵は船室を出た。
     韓国船では、船員たちがブリッジを下ろす準備をしている。漁師が操舵室から下りてきて、ブリッジを引き込んで素早くデッキに固定した。屈強な体躯(たいく)の若い船員が二人、韓国船から乗り移ってきた。
    「スーツケースを運ばせるから、先に向こうの船に行ってくれ」古波蔵は、青白い顔で船室から出てきた堀山に声をかけた。
     堀山は一瞬、躊躇(ちゅうちょ)し、「それはあきまへんで」といった。「ワシはいつでもあんたといっしょや」
     古波蔵は肩をすくめると、手早く救命胴衣をつけ、コートの内ポケットから封筒を取り出して漁師に差し出した。漁師はなにもいわずに封筒を受け取り、乱暴に尻のポケットに突っ込んだ。
     韓国人の船員がスーツケースを抱えてデッキに戻ってきた。古波蔵はブリッジに足をかけ、バランスをとりながら一気に渡った。そのあとを、手すりにしがみつき、四つんばいになって堀山がついてくる。
     転げ落ちるようにして韓国船のデッキに下りると、堀山はぜいぜいと息をつきながら古波蔵のうしろに立った。向こうの船には、韓国人の船員二人とスーツケースが残されている。
     古波蔵は、脇腹のあたりに硬いものが当たるのを感じた。
    「このまま船が別々になれば、カネはおしまいや」堀山はいった。「そのときはあんたを殺して、ワシはこの冷たい海に飛び込むことに決めとりまんねん」
     堀山の言葉を無視して、古波蔵は大きく手を振った。韓国人の船員がスーツケースの取っ手とキャスターを持って、ブリッジを駆け上がってくる。
     二人は堀山の足元にスーツケースを置くと、手際よくブリッジを片づけて、操舵室に向けて手を振った。エンジンがかかり、船がゆっくりと動き出す。〉

     文中の堀山(健二)は関西を中心にファッションヘルスやピンサロを手広く経営。二重帳簿で売上げを隠蔽してきたが、大阪国税局査察部による摘発が時間の問題となるにおよんで、在日韓国人の大物フィクサー崔民秀(チェ・ミンス)の配下で、裏社会に通じた情報屋・柳正成(リュ・ジョンソン)を通じて古波蔵佑(こばくら・たすく)に接触をはかった。手元に残った現金5億円を国税の摘発前に海外に移すことが目的だ。
     古波蔵佑は関西の国立大学を卒業して米系の外資系銀行に就職。横浜支店でプライベートバイキングといわれる富裕層向けの営業を担当。しかし法令違反が問題化して日本から撤退が決まった時、ヘッドハンティングを受けてスイスにあるユダヤ財閥系のプライベートバンクへ。自分の担当する顧客の口座の大半も一緒に移した。日本との間を往復する生活を続けたが、リーマンショックで日本への出張が禁止されるやそこを退職、どこの組織にも属さないプライベートバンカーとして独立した。フリーとなった古波蔵に最初に接触してきたのが、情報屋の柳だった。裏社会にも通じ、高度な金融商品や海外送金の仕組みに精通した一匹狼。国際金融ミステリーにはこれ以上ないキャラクターの主人公だ。

     古波蔵が使う日本から韓国に現金を密輸するルートは、日本の政財界と裏社会を結びつける「最後のフィクサー」と呼ばれた崔民秀が10年ほど前につくったものだ。

    〈いまもむかしも、現金こそがもっとも匿名性の高い決済手段だ。マネーロンダリングへの監視が厳しくなればなるほどその価値は上がり、堀山のように、どれだけコストがかかっても手持ちの現金を海外に運びたいというカモが増えてくる。柳が古波蔵に接触してきたのは四年ほど前で、それ以来古波蔵はこのルートを使っていた。プライベートジェットやクルーザーを使った大掛かりな現金移送は税務当局が監視しており、こちらの方がずっと安全なのだ。〉

     韓国に密輸された現金5億円は釜山の信用金庫に持ち込まれ、現金の山から手数料・謝礼として支店長に7束、700万円、船の運賃として2束、200万円がひかれた。残った4億9,100万円はユーロに変換されて堀山が持つリヒテンシュタインの銀行の法人口座に2営業日で入金される。堀山の名前は一切表に出ることなく秘密は完全に守られるのですが、その仕組みの詳細についてはここでは触れません。本書をご覧ください。

     さて送金額の1割が古波蔵の報酬です。今回の場合5,000万円で、古波蔵はそのうち6割を崔と柳に渡す取り決めだ。つまり5日間の小旅行で2,000万円の無税の報酬を得ての帰路、福岡空港搭乗口に向かおうとする時、古波蔵のスマートフォンが振動した。「通知不可能」との表示があった。搭乗の列から外れて受信ボタンをタップした古波蔵の耳に切羽詰まった男の声が飛び込んできた。

    〈「コバ?」いきなりあだ名を呼ばれた。「コバなんだろ」
    「誰だ?」古波蔵は混乱した。
    「あの、俺」相手は切羽詰まった口調でいった。「サトル、牧島慧だよ」〉

     牧島慧は静岡県内の高校時代に仲のよかった友人で、東京の私立大学理工学部を出て大手電気メーカーに就職。5年前に退職して技術書やビジネス書の翻訳の仕事をしてなんとかくいつないでいる。
     高校時代のもうひとりの友人、紫帆とともにシンガポールに来ているが、ある書類にサインするよう求められて、どうしていいか判断に迷って、ふと思い浮かんだ古波蔵に連絡をしたという。
     紫帆の夫、北川康志(きたがわ・やすし)はシンガポールを拠点とするプライベートバンカーですが、ホテルのベランダから墜落死。事件性がないか警察の捜査が始まっているが、連絡を受けて遺体の確認などのためにシンガポールを訪れた紫帆の前にスイス系銀行のシンガポール法人でエグゼクティヴダイレクター(執行役員)を努めるエドワード・ウィリアムズと名乗る男が現れ、夫の北川には彼の銀行に対する1,000万ドル(10億円)の負債があると告げた。しかし、銀行に対する求償権を放棄し、この件については今後一切口外しないことを約束すれば、10億円もの負債も北川所有のコンドミニアムにつけた抵当権も放棄する、だからこの場で契約書にサインせよ――そう迫られて古波蔵に電話したというわけです。
     ひととおり事情を聞いた古波蔵の返事は簡潔なものでした。

    〈「バカか、お前は」と古波蔵はいった。牧島はエドワードのところに戻ると、古波蔵にいわれたとおりのことを伝えた。
    「法律家のチェックを受けないどのような書類にもサインできません。その代わり、私たちがなんらかの不利益を被らないかぎり、この件については沈黙を約束します。コンドミニアムの抵当権を行使するかどうかは、あなた方が判断することです」
     エドワードはしばらく牧島を眺めていたが、「それもひとつの見識かもしれませんね」と書類をしまい、席を立って紫帆と牧島に握手した。〉

     しかし、これで一件落着というわけにはいかなかった。彼らは既にトラブルに巻き込まれていた。シンガポールから帰国した牧島が古波蔵を誘い、5年ぶりに会った二人の会話――。

    〈古波蔵は・・・・・・「自分たちがどんなトラブルに巻き込まれたかわかってるのか?」と訊いた。
     牧島は驚いて首を振った。
     古波蔵はレザージャケットのポケットから四つに折りたたんだ紙を取り出すと、それを広げて牧島の前に置いた。フィナンシャルタイムズ・アジア版のコピーだった。〈スイスSG銀行、一〇〇〇万ドル行方不明か?〉という見出しで、シンガポールの金融当局がプライベートバンクの不透明な資金処理の調査に入ったことが報じられていた。日付は三日前になっているから、牧島たちがエドワードに会ってから事件はメディアの知るところとなったのだ。
    「消えたのがどういうカネだったかもわかっている」古波蔵はもう一枚のプリントアウトを牧島に見せた。それは東証二部に上場する「民平」という飲食店チェーンが、株主へのIR情報としてホームページに掲載したものだった。予定していた自社株の取得ができなくなったことの釈明で、「スイスSG銀行シンガポール法人から自社株の買取り資金として八億円の融資を受けることが決まっていたものの、期日になっても約束の融資が実行されなかった」と書かれていた。
    「PB(プライベートバンク)は、担保がなければ融資などしない」古波蔵が説明した。「民平に融資されるはずの八億円は、オーナーがスイスSG銀行に持っている口座の資金が担保になっていたはずだ」〉

     担保となるはずの預金が消えた。そのため融資が実行されずに自社株取得もできなくなった。すべての発端となった「消えた預金」に墜落死した紫帆の夫が関わっており、残された紫帆、シンガポールに同行した牧島、そして古波蔵――事情をよく知らないまま、気がついてみれば「やばい立場」に立たされていた同級生3人・・・・・ここから物語が動き始めます。

     裏社会に詳しいノンフィクション作家の溝口敦さんは、福岡現金3億8千万円強奪事件について、「おそらく金インゴット(地金)の密輸がらみの犯罪だろう」という興味深い見方を示しました(4月25日付「日刊ゲンダイ」)。実際、福岡では昨年7月、警察官を装った男数人が、金を貴金属店に持ち込もうとしていた男たちを取り囲み、「密輸品なのは分かってるんだぞ」と、金塊入り(6億円相当)のケースを搾取した事件が発生しているのです。「福岡、沖縄辺りは税関がぬるいのか、金密輸の集積地になろうとしている」と溝口さん。巨額現金が表舞台に出た一連の事件は、地表の裂け目から地下世界が一瞬露わになった想定外の出来事だったのかもしれません。

     日本人プライベートバンカーの転落死。直後にコンドミニアムから姿を消した現地妻と5歳の男の子。ODA。大物保守政治家の影、北朝鮮の暗躍。東京地検特捜部検事。二人の同級生と古波蔵佑・・・・・・思わぬ形で露出した「現金社会」の広がりに触発されて再読した『タックスヘイヴン』は、一度目とはまったく違うリアリティに溢れていた。橘玲渾身の国際情報小説――いま、見逃せない1冊だ。(2017/4/28)
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    投稿日:2017年04月28日
  •  桜の季節は、“税の重さ”を感じる季節でもある。確定申告にともなう所得税や消費税・地方消費税の納期限はそれぞれ3月15日と3月31日。約1ヵ月支払時期を延ばすことができる振替納税も4月20日、4月25日には指定の口座から引き落とされることになっています。
     朝日新聞連載(2015年8月23日~2016年8月29日、タイトルは「にっぽんの負担」)を基にまとめられた『ルポ 税金地獄』(文春新書、2017年3月17日配信)――取材にあたった経済記者たちはその思いを込めてこんなふうに書き始めています。少し長くなりますが、プロローグから引用します。

    〈お手元に給料明細があったら見てほしい。あなたの給料の額面と税金などを引かれた後、手取り収入がどのくらい残っているか。家族の状況などにもよるが、年収七百万円のサラリーマンだと実際の手取りは七割程度で、一千五百万円だと六割程度しか残らない(図1参照)。所得税、住民税、年金、医療、介護などと、項目は分かれているが、われわれはこんなに負担させられているのかと、あらためて驚くはずだ。
     しかも、これは天引きされている税金や保険料だけの話だ。買い物をするたびに八%の消費税を取られ、中にはビールなどの酒、たばこ、自動車やガソリンなど、商品の値段に含まれていて二重に払う税金もある。持ち家があれば固定資産税も払う。こんなに負担をしているのに、国と地方の借金は一千兆円を超えた。(中略)
    「にっぽんの負担」という連載を二〇一五年八月から一年間にわたって続けたが、そこで見えてきたのは、富裕層や大企業には税金を逃れるための様々な抜け道があるのに、サラリーマンや非正規労働者には逃げ道が少なく、増え続ける負担に押しつぶされかねない状況にあることだった。〉

     オビには〈税金を払わない富裕層VS.搾取されるサラリーマン〉の大活字、それと並んで〈税=不平等 これが日本の現実だ!〉の惹句。善良なるサラリーマンは税金を言われるままに払ってきた。しかし、サラリーマンたちからいいように税金をとりたてる一方、富裕層には税金を逃れるための様々な抜け道がちゃんと用意されており、さらにアベノミクス企業減税の恩恵を受けるのは超大企業ばかり……これが日本の実情だという。
     ニッポンの税の歪みはいったいどうなっているのか! このままでいいのか。このままでいいわけがない。溜め息まじりの怒りの声が行間から漏れ聞こえてくるような一冊。2015年12月に刊行され、年が明けて配信が始まった『ルポ 老人地獄』(文春新書、2016年1月15日配信)に続く、朝日新聞経済部記者たちによるルポ第2弾だ。

     富裕層の税金逃れに使われているのが、ここ数年人気の「ふるさと納税」だ。本書によれば、2015年度に全国の自治体が受け取った寄付額は、前年度の4倍を超える1,653億円に達した。なぜ、寄付が急増したのか。人気の直接的な理由は自治体の趣向を凝らした「返礼品」です。
     本書では「ふるさと納税」をわかりやすく説明するために年間1億円の給料をもらう人の例をあげています。1億の収入の人がある町に400万円のふるさと納税をすると、寄付をした年の所得税が確定申告で戻るだけではなく、翌年度の市民税、県民税も減額されて、所得税とあわせて計399万8,000円が戻ってきます。結局、400万円を寄付した人が実施的に負担するのはわずか2,000円というわけです。しかも寄付の全額に近い税金の戻りがあったうえに、2,000円を大きく上回る自治体の「返礼品」が送られてくるのですから、富裕層にとっては魅力的な税回避策であることはまちがいありません。そして「返礼品」として地方の名産品ばかりではなく、ついには金券が登場。かくして税収確保を狙う地方都市が“日本のタックスヘイブン”になっている構図ができあがったというわけです。記者が現地取材した千葉県大多喜町では、ほんとうにすごいことになっています。

    〈房総半島の中央にある人口約一万人の千葉県大多喜町。徳川家康の忠臣、本多忠勝が城主となった大多喜城が観光のシンボルだが、最近はふるさと納税でもらえる金券の「ふるさと感謝券」が富裕層の間で注目を集めた。町は一四年十二月に返礼品として金券を贈り始め、一五年度の寄付額は前年度の四十倍近い十八億五千五百万円と急増した。うち九六%が金券を求める寄付だった。
     一六年四月末の大型連休中に町を訪ねた。町の中心部にあるスーパー「いなげや」に行くと、夫婦が買い物カートを連ねて、四つのかごに山盛りの買い物をしていた。レジで取り出したのは分厚い「ふるさと感謝券」の束だった。
     取材するうちに、感謝券で自動車を買う人までいることがわかった。二百万~七百万円の新車を数台、全額感謝券で売ったという町内の自動車販売業者は、実態をこう話した。
    「新車や高級タイヤが売れました。大量の感謝券を持っている方は、タケノコや椎茸で五百万円分使うわけにはいきません。期限内に消費しないと紙くずになります。枚数が多くて数えるのが大変でした」
     感謝券は寄付額の七割相当が贈られる。七百万円の感謝券を使う人がいたということは、一千万円の寄付をしたか、インターネットのオークションなどを通じて、額面よりも割安に買い集めたということだ。販売業者はこれで売り上げが急に増えて、さぞかし喜んでいるのかと思ったが、意外な言葉を聞いた。
    「高額納税者の合法的な節税対策になってしまっています。本来、ふるさと感謝券の目的は地元の町おこしですが、自動車というのは特産品でも何でもありません。一時的で麻薬的な活性化にはなるかもしれませんが、買っていくのは県外の人ばかりです。そこに頼っていては商売は成り立ちません。本当は、これでいいのかと思いながら、登録店になっています」〉

    「ふるさと納税」では〈寄付額-2,000円〉の税金が戻ってきます。そのうえ実質2,000円の負担で寄付額の7割相当の感謝券(金券)が手に入るというのです。人気化しないわけがありません。大多喜町取材中に記者は、川崎ナンバーの高級外車で家族経営の電器店に乗り付けた夫婦が最新の冷蔵庫など25万円分を選んで金券で購入するのを目撃します。その男性は〈これまでに町を四回訪ねて、大きな買い物はここでした〉と記者に語ったとあります。
    「ふるさとへの寄付(納税)」の名を借りた税回避策は、さらなる利得を求める高級品ネット通販まで生み出した。「ふるさと納税」ブームに沸く人口1万人の町の生々しい姿は、ニッポンの何を映しているのでしょうか。

     菅義偉官房長官が第1次安倍政権で総務相だった2007年に打ち出した「ふるさと納税」。税金対策になるということでブームとなったわけですが、誰でもがその恩恵に浴せるわけではありません。年収や家族構成などに応じた控除上限額があるため節税効果をたっぷり享受できるのは高所得層だけ――と本書は指摘しています。

    〈例えば、宮崎県都城市は百万円の寄付で焼酎「黒霧島」の一升瓶が三百六十五本もらえる。しかし、百万円を寄付するには、サラリーマンだと年収三千万円ぐらいの人でないと不可能だ。戻る額には限度があるので、貧しい人にはふるさと納税のメリットはほとんどない。〉

     ふるさと納税収支黒字額トップの都城市の黒字額は42億円余り。それだけ人気も高いというわけですが、魅力ある返礼品を揃えた地方の自治体が人気化すればするほど、一方で都会では弊害が生じています。例えばふるさと納税の収支で2015年度の赤字がなんと16億円となった東京都世田谷区。待機児童数が全国で最も多い自治体なのですが、区によると16億円あれば120人規模の保育所を二つ新設して、1年間運営してもおつりがくるという。世田谷区のほか、約28億円もの赤字となった横浜市、約18億円の名古屋市と大都市が赤字自治体の上位に並びます。
     税金対策に熱心な富裕層が頼るのは「ふるさと納税」だけではありません。「タワーマンション」もあれば、海外移住、正真正銘のタックスヘイブンの活用もあります。本書では適法の手段を用いて税を逃れている実践者たちの言い分もきちんと聞いて紹介しています。税の仕組みを考えるうえでも興味深い主張も数多く含まれています。

     富裕層vsサラリーマンの不平等を中心に紹介してきましたが、もうひとつの不平等として忘れてはならないのは企業に対する減税措置の問題です。日本では各企業に対して多岐にわたる減税措置がとられています。しかしどんな企業がどういう減税項目でいくらまけてもらったかの実名はいっさい公表されていません。
     減税は国に入る税金が減ることになるので、実態は税金から特定の企業にお金を出す補助金と変わりがない。だが金額や支出先が明らかにされる補助金とは違い、減税ではそうした情報が公開されることはありません。財務省の750ページに及ぶ調査報告書には個別企業の名前は一切なく、減税項目ごとに利用している上位10社がアルファベットと6桁の数字によるコードで示されているだけ。記者たち取材班は、企業の公表資料と照合するなどの方法で、複雑な企業減税の一端をつかみます。それによれば、トヨタは報告書に公表されている減税項目の九つで上位10社に入っているという。なかでも金額も大きくとくに注目すべきは、第2次安倍政権になって一気に再拡充された研究開発減税です。2014年度の特例減税約1.2兆円の半分以上にあたる6,746億円がこの研究開発減税によって占められていたことをつきとめた記者たちは、こう続けます。

    〈トヨタはこの項目だけでも一千八十三億円と、ダントツの減税を受けていた。同減税の二、三位は同じ自動車大手の日産自動車とホンダで、四位はリニア新幹線で開発費が増えているJR東海、五位は連結ベースで年三千億ほどの研究費を計上するキヤノンだった。上位五社で二千億円近い減税を受けていた。〉

     上位5社分を除いてなお研究開発減税は4,000億円を優に上回る巨額です――いったいどの企業の懐を潤しているのか。そしてそれを動かしているのは誰なのか。
     不平等社会ニッポンの税金地獄の実態――給与明細、あるいは確定申告書(控え)を脇に置いて、じっくりとお読みください。(2017/4/21)
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    投稿日:2017年04月21日
  •  年代も趣も異なる二人のアーティストによる、流れるような美しい旋律とポップなサウンド。前者は前奏とエンディングに流れて心地よい余韻を残し、後者は物語の大事なアクセントとなって労使の息詰まるような交渉劇に人間味を加えます。
     4月11日発表の「本屋大賞2017」で第3位に入った『罪の声』(講談社、2016年8月26日配信)著者の塩田武士の最新リリース作品『ともにがんばりましょう』(講談社文庫、2017年3月15日紙書籍と同時配信)。寺内隆信(てらうち・たかのぶ)委員長から口説かれて労働組合の執行委員教宣部長を務めることになってしまった入社6年目の社会部記者・武井涼(たけい・りょう)の眼を通して、大阪の地方紙「上方(かみがた)新聞」の秋年末闘争――緊迫の労使交渉劇を克明に描いた仕事小説です。
     著者はプロローグの前に短い文章をおき、物語を始めます。一部を引用します。

    〈瞼に光を感じた。
     時を置かずして広がってゆく白く霞んだ世界に、姿形はない。ぼやけてはいるものの、確かにまばゆいその輝きに包まれ、男は一日の始まりを悟った。自らの心音を聞き、呼吸していることに気付く。(中略)
     ただ、生きること。
     それが男にできる精いっぱいの恩返しだった。
     毎日、毎日、先の見えない道に立って息子の無事を祈る。ずっとそばにいることが、実はどれほどつらいことか。漫然と過ごす日常からは決して見えない「生き続ける」という現実が、この白い病室にはある。
     寝ている男の頭上で音楽が流れた。
     ピアノが憂いの旋律を奏でる。朝だからといってイキのいい曲をかけないところが、いかにも母らしいと男は思う。
     ヘンリー・マンシーニは、母が好きな作曲家だ。映画『ひまわり』のメインテーマは、病室の朝には不釣り合いかもしれない。だが、物心がついたころにはこの曲を口ずさんでいた彼にとって、その選曲は違和感のないものだった。(中略)
     感情を表現できることの尊さを彼はこの五年間で十分に学んでいた。
     夏がきた。月日が流れるのは早い。
     季節が移ろえば、またあの人たちがたずねてくる。〉

     白い病室で「生き続ける」男。その男には〈静かなピアノの余韻と重なり合い、風鈴の音が優しく香るように聞こえた〉と綴られるヘンリー・マンシーニの「ひまわり」――1970年公開の名画(マルチェロ・マストロヤンニ、ソフィア・ローレン主演)のテーマソングは、物語の終盤に再び、そして初めて白い病室を訪れた人たちの心に静かに響きます。

     もうひとつの音楽――第3章「会社回答」に「横山剣」の名が突然出てきます。横浜生まれのロッカー、横山剣。大きな声では言えませんが、私じつは彼の「クレージケンバンド」がけっこう好きな「カクレ横山剣」派で、横山剣を「ヨコハマ・ローカル」と信じこんでいて、そのためこのロッカーの登場を“突然”と感じてしまったのです。
     新聞記者でありながら、極度のあがり症の武井涼記者と労組専従の書記・新見遥(にいみ・はるか)の間に“化学変化”の兆しが初めて見えたシーン。第1次回答が出た夜、一人残って組合ニュースを作成していた武井の孤独な作業をねぎらう遥。二人の“触媒”となったのが“横山剣”――秋年末闘争は始まったばかり、まだ前哨戦だ。

    〈……明日は秋年末交渉に向けて、各支部長の決意表明を載せる『俺の話を聞け』って企画です」
    「それってクレイジーケンバンドの?」
    「知ってます? 『タイガー&ドラゴン』のサビから取ったんです」
    「私、iPodにクレイジーケンバンドのベストアルバムが入ってるんです!」
    「僕もです!」
    「イーネッ!」
     バンドのリーダー横山剣のまねをする遥を見て、武井は案外明るい人だと思った。〉

     28歳の武井涼がサビのフレーズを「組合ニュース」に使い、同じ年齢(とし)の遥が感度よく反応した横山剣「タイガー&ドラゴン」。ご存じない人もいると思いますので、地元密着の詞を紹介しておきます。

    トンネル抜ければ 海が見えるから
    そのまま ドン突きの三笠公園で
    あの頃みたいに ダサいスカジャン着て
    お前待ってるから 急いで来いよ

    俺の話を聞け! 5分だけでもいい
    貸した金の事など どうでもいいから

    お前の愛した 横須賀の海の優しさに抱かれて
    泣けばいいだろう ハッ!

    俺の俺の俺の話を聞け! 2分だけもいい
    お前だけに 本当の事を話すから

    背中で睨み合う 虎と龍じゃないが
    俺の中で俺と俺とが闘う
    ドス黒く淀んだ 横須賀の海に浮かぶ
    月みたいな電気海月よ ハッ!

     さて、上方新聞労働組合は秋年末交渉で、80万円の大台を守る805,437円の一時金と経営側が打ち出している深夜労働手当引き下げの阻止を最重点課題とし、その二つにハラスメント対策の拡充を加えた要求書を提出。
     それに対し経営側は、第一回団体交渉で〈一時金の回答額は七〇万二一三五円。昨年の秋年末から比べれば、八千円ちょっとのマイナスだが、今年の夏闘、つまり前期比だと五百円のプラス〉という、回答がマイナス、場合によっては70万円の大台を割ることも覚悟していた武井ら執行部を困惑させる、減益の中でのプラス回答を出してきた。しかし一方で深夜労働手当については、〈心身ともに負担が大きいC、D時間帯を手厚くします。逆にA時間帯は深夜労働手当の対象時間とは言い難く、制度の趣旨に合わないとの判断〉に至ったとして、深夜労働が常態化している新聞社とはいえ、時代が大きく変わった以上深夜労働手当を見直し削減をしていかなければ、会社の存続も危ういのだという姿勢を明確にし、労組側の譲歩を強く求めるのだ。
     団交一日目、二日目、三日目・・・・・・このままでいけば会社が潰れる、時代にあわなくなっていると主張する会社側と深夜手当は基本給の一部であり譲れない、大幅削減の根拠を示せという労組側の主張が平行線をたどり、膠着した。組合は職場集約を経て一時金と深夜手当改定を拒否することに決定。秋年末交渉から秋年末闘争へ突入します。

     午後8時50分。闘争本部メンバーが団交部屋に揃い、10分後に拒否を経営側に伝えます。9時ちょうどに専務の朝比奈蓮労担、総務局長・権田勝、編集局次長・塚田剣志郎ら経営側が部屋に入ってきます。緊迫の団交――。

    〈「長い間、お待たせしました。諾否検討の結果をお伝えします。一時金、拒否」
     この瞬間、朝比奈の顔が大きく歪んだ。権田、塚本は示し合わせたように、顔を天井に向け目を閉じている。
    「深夜労働手当、拒否。ハラスメント、諾。以下、理由を申し上げます」
    「ちょっと待って」
     緊張した寺内の声を遮ったのは朝比奈だった。
    「聞き間違いかもしれないからもう一度聞くけど、一時金と深夜労働手当は何だって?」「拒否です」
     朝比奈は椅子の背もたれにふんぞり返ったまま黙ってしまった。離れていても怒りのオーラが伝わってくる。武井はパソコンのキーの上で手を止めたまま動けなくなった。
    「それぞれ、結果に至った経緯を述べます」
     寺内の声は落ち着きを取り戻していた。この状況で平静を保つことなど武井には考えられなかったが、組合を束ねる者として彼はふさわしい態度をとった。
    「もういいよ」
     朝比奈が首を振りながら言った。〉

     このまま交渉は決裂してしまうのか――物語はここから思いもよらないクライマックスに向かって一気に加速していきます。
     駆け足で見てきましたが、著者の塩田武士は、神戸新聞記者時代に労働組合の執行部で活動した経験があるそうです。『罪の声』の広告に惹句を寄せた弁護士・角田龍平氏の文庫版解説(残念ながら電子版には未収録)によれば、主人公の武井涼は新聞記者時代の著者の化身(けしん)だという。その眼を通した「労働組合小説」だからこその、リアリティだろう。そして新聞の現在を問う妥協のないまなざし。ネットの時代に新聞の存在意義はどこにあるのか。嘘のニュースの波に溺れないためには、どうすればいいのか、なにをすればいいのか。
     地方紙労使の本気の交渉劇に潜ませた著者の問いかけには、メディアに関わるものとしての確固たる矜持(きょうじ)がうかがえるのです。
     著者の2作品『罪の声』『ともにがんばりましょう』だけでなく、揺れる新聞社のこれからを描いた秀作が昨年から今年にかけて相次いでリリースされ、いずれも高い評価を得るなど注目の書となっています。
     本城雅人『ミッドナイト・ジャーナル』(講談社、2016年2月24日配信、吉川英治文学新人賞受賞)。
     同『紙の城』(講談社、2016年12月23日配信)。
     堂場瞬一『社長室の冬』(集英社、2017年1月13日配信)。
     3人とも新聞記者の経験を持つ気鋭の作家です。この機会に読み比べてみてはいかがでしょうか。(2017/4/14)
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    投稿日:2017年04月14日
  • 〈2018年度から使用される道徳教科書。「パン屋」が「和菓子屋」に変更された? 国や郷土を愛する態度が足りないから? あほか、と思った人が多いはず。〉
     東京新聞2017年3月29日付朝刊「本音のコラム」をこう書き始めた文芸評論家の斎藤美奈子さん。和菓子は遣唐使が持ち帰った中国の菓子にルーツを持つことなどを指摘したうえで、次のように続けます。
    〈問題は文科省の検定基準だろう。道徳教育について、文科省は四つの視点に基づく二十二項目を掲げている。ここには「感謝」「礼儀」「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」などとともに「規則の尊重」「勤労、公共の精神」「家族愛、家庭生活の充実」などが含まれる。人権についての規定はなし。個人の権利は教えない。差別問題にもふれない。全体に従順で主張しない子を求めている印象だ。
     教科書だけでなく、これを基準に子どもたちの道徳観に点数をつけるのだ。〉

    「道徳教育」の名の下に子どもたちに何を求めているのか、どういう子どもが望ましいか――文科省が考えていることが透けて見えてきませんか。そしてこれは、「憲法、教育基本法に反しない限り」と条件をつけてはいるものの「教育勅語」を教材として使用することを否定しないという答弁書を閣議決定(3月31日)した安倍政権の姿勢に先取り的かつ忠実に寄り添うものと言っていいでしょう。幼稚園児に教育勅語を唱和させていた森友学園も、その幼稚園で行われていた“愛国教育”を「優れた道徳教育を基として、日本人としての誇りを持つ、芯の通った子どもを育てます」と手放しで誉め称え、計画されていた小学校の名誉校長を引き受けていた安倍昭恵総理夫人も、一度は国会で「私の考え方に非常に共鳴している方」と籠池泰典氏を肯定した安倍晋三総理――いまでは掌を返すように「非常にしつこい人」と突き放しているのですが――も、みんな根っこは同じなのです。森友学園が安倍流の道徳教育に先行した“モデル”だったと見れば、その異様性がくっきりと浮かびあがってきます。
     となれば、問題は「安倍晋三」とは何者なのかだろう。改憲への強い意欲を語り、「美しい国」と呼ぶ「古き良き日本」への憧憬を色濃く滲ませる、東京で生まれ育った世襲政治家。そのタカ派ぶりは、いったいどこから来ているのか。

     ここに一冊の本がある。青木理(あおき・おさむ)著『安倍三代』(朝日新聞出版、2017年3月7日配信)――共同通信出身の著者が、2015年8月から2016年5月にかけて「AERA」に断続的に連載した原稿を土台に、大幅な追加取材と加筆・修正作業をほどこしたうえで完成したルポルタージュ作品です。
     タイトルに「安倍三代」とあるように、現総理晋三の父、安倍晋太郎(あべ・しんたろう)も、晋太郎の父、つまり晋三の父方の祖父、安倍寛(あべ・かん)も政治家であり、晋三は三世の世襲政治家であることはよく知られているとおりです。学生時代の友人によれば、晋三は自己紹介の時、「安倍晋太郎の息子」ではなく、母方の祖父の名を挙げて「岸信介の孫です」と言っていたという。父方の祖父の名を口にすることはほとんどありません。
     先の大戦下、無謀な戦争に突き進んだ軍部に抗った寛、その息子であり、首相まであと一歩というところで病に倒れた晋太郎は、筋金入りの反骨政治家だった父を終生誇りにしていたという。安倍家の語られざる男系のルーツである安倍寛は、政治思想的にも、政治手法の面でも、政治的な立ち居振る舞いの面でも、現政権とはおそらく真逆の地平に立っていた。
     安倍家に連なる3人の政治家の人間像を子細に追跡することによって、現政権のありようを浮かびあがらせることができるのではないか。そう考えて、著者と取材協力者として共同作業を行った記者たちは安倍三代の選挙区である山口県を歩き、安倍寛、晋太郎のゆかりの人々を訪ね回り、晋三支援者の本音に耳を傾けた。晋三が小学校・中学・高校・大学の16年間通った成蹊学園の同窓生、教員関係者を訪ね、学園生活の思い出から政治思想に至るまでを語り合った。その中で寛と晋太郎については、彼らの政治家としての熱き思いやエネルギーを感じ取れる証言やエピソードが聞けたのに対し、晋三については成蹊時代、神戸製鋼所時代を通じて、取材を進めれば進めるほど“何もない”ことがわかってきて、脱力したという。引用します。

    〈しかし、晋三は違った。成育過程や青年期を知る人々にいくら取材を積み重ねても、特筆すべきエピソードらしいエピソードが出てこない。悲しいまでに凡庸で、なんの変哲もない。善でもなければ、強烈な悪でもない。取材をしていて魅力も感じなければ、ワクワクもしない。取材するほどに募るのは逆に落胆ばかり。正直言って、「ノンフィクションの華」とされる人物評伝にふさわしい取材対象、題材ではまったくなかった。(中略)
     さて、晋三は1979(昭和54)年春、留学先(引用者注:「留学」について疑惑報道が出て、経歴から削除)の米西海岸から帰国すると、神戸製鋼所に入社した。はっきり言えば、明らかな“コネ入社”だった。それが言い過ぎだというなら、“政略入社”であったと言い換えてもいい。神戸製鋼所で晋三の直属の上司となり、のちに同社の副社長にも就いた矢野信治(73〉に話を聞くと、当時を忌憚なく振り返ってくれた。
    「彼(晋三)は要領が良くて、腰も軽かったから職場にも馴染んだし、結構一生懸命にやる子だったから、みんなに好かれていましたよ。ただ、率直に言って“政略入社”ですからね。当時の製鉄会社は、神戸製鋼に限らず、政治関係の“政略入社”が多かったんですよ」
     一度も受験を経験しないまま計16年を成蹊学園で過ごした晋三は、大半の者にとっては人生の重大岐路となる就職時にも荒波にさらされず、敷かれたレールの上に淡々と乗って社会人になった。そうして置かれた場所で見せたのも、残念ながら「凡庸だがみんなに好かれる“いい子”」の姿のみだった。〉

     神戸製鋼所の矢部元副社長が大笑いしながら語ったエピソード――若き安倍晋三の姿を紹介しておきます。

    〈「こっちはもう、毎晩酒を飲むようなタイプだから、胃の調子がいっつも悪いわけですよ。で、医者からは『酒を飲むんだったら、夕方に牛乳を飲みなさい。胃の粘膜をカバーするから』と言われましてね。その牛乳を晋三くんに買いに行かせていたんです(笑)」
     矢野が課長を務めていた鋼板輸出課は当時、神戸製鋼所東京本社ビルの6階にあった。牛乳を売っているスタンドがあるのは同じビルの2階。晋三はイヤな顔ひとつせず命令に従い、夕方になると矢野の牛乳を買うために6階から2階のスタンドまで走った。そのうちに矢野が小銭を手にチャラチャラと音をさせるだけでサッと駆けより、いそいそと牛乳を買ってきてくれるようにまでなった。矢野の思い出話を続ける。
    「それがあとで上にバレて、僕はコテンパンに怒られましたけどね(笑)」
    ──突飛な質問ですが、もし晋三さんが普通の新入社員として神戸製鋼所に入っていたら、どこまで出世したと思いますか。
    「専務とか役員クラスにまでいけるかどうかはともかく、部長クラス以上にはなったんじゃないですか。最大の要素は真面目で、敵をつくらない。これは(サラリーマン社会で)大きいですよね。僕なんかは、叩かれたら叩き返すっていうような感じでしたが、(晋三は)新世代ですから。人づきあいの勘が良くて、要領が良くて真面目で、敵をつくらない。だからみんなに好かれていましたよ。そう、まるで子犬みたいだったなぁ……」〉

     凡庸だが真面目で要領がよく、みなにかわいがられていた子犬──そんな印象を上司に残した三世(確たる政治信念を持つことなく育ったおぼっちゃん)が為政者として政治の頂点に君臨し、戦後営々と積み重ねてきた“この国のかたち”を変えようとしている。著者は、そこがなによりも不気味だという。
     いったい、安倍晋三に何が起きたのか。矢野氏など何人かが、筋金入りのライト(右派)になっていったのは政界入り後のこと、つまり子犬が狼の子と群れているうち、まるで狼のようになってしまったという見方を語っています。しかし、それだけで説明がつくのか。

     著者のインタビューに応じた昭恵夫人の
    〈主人は、政治家にならなければ、映画監督になりたかったという人なんです。映像の中の主人公をイメージして、自分だったらこうするっていうのを、いつも考えているんです。だから私は、主人は安倍晋三という日本国の総理大臣を、ある意味では演じているところがあるのかなと思っています〉
     という発言がむしろ「安倍晋三のなぜ」を解くカギになるのではないか。

     父晋太郎の異父弟、西村正雄(日本興業銀行元頭取)は死の間際に甥の晋三に手紙を書き、「悲惨な戦争に至った史実を学べ」と訴えた。第1次安倍政権成立前夜のことです。そして安倍晋三が愛する母校、成蹊大学の宇野重昭元学長は涙を浮かべつつ心底からの諫言を放った――「周囲に感化された後づけの皮相な思想らしきものに憑かれ、国を誤った方向に向かわせないでほしい」 4月6日、宇野元学長の死去が報じられました。本書著者のインタビューに応じた元学長の発言は、教え子への“遺言”となった。
     宇野元学長の応接間の机の上に数日前の新聞の切り抜きが大切そうに置かれていました。人気作家・桐野夏生の近著『バラカ』(集英社、2016年2月26日配信)の出版広告だった。聞けば宇野ゼミ生だった桐野夏生とはいまも師弟として連絡を取り合っているという。『バラカ』は東日本大震災と福島第一原発の凄惨な事故に想を得たディストピア小説で、安倍晋三より3年先輩にあたる桐野夏生について語る時、宇野元学長が初めて自慢げに微笑んだとあるのが、印象的です。

     ただ一人の弟として晋太郎の最後の日々をみとった叔父・西村正雄が雑誌論文を残して、総理の座につこうとする甥に晋太郎に代わって伝えたかったこと、母校の最高の碩学が切々と語った教え子への言葉。二人は至極まっとうな、言ってみれば健全な保守リベラルの立場に立つ存在です。私たちは、この二人の諫言を通して、安倍晋三が葬り去ったものの大きさを知ることになります。(2017/4/7)
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    投稿日:2017年04月07日
  •  柚木裕子(ゆずき・ゆうこ)の最新刊『合理的にあり得ない』(講談社、2017年2月24日配信)を読み進めていくうちに、「必殺シリーズ」に酔った日々を想い出しました。
     人気テレビドラマ「必殺シリーズ」。金銭をもらって弱者の晴らせぬ恨みを晴らす裏稼業――藤田まこと、緒形拳、山崎努ら個性派扮する必殺の仕事人が法の網にかからない悪を闇で始末するその手際に息を呑み、カタルシスに浸りました。権力、財力を持ち、奸計によって弱者の人生を翻弄してきた悪が闇の中で葬られていくシーン。少なからず興奮し、心の裡に溜まった鬱積が解放されていった。法で裁けない理不尽が解明され、弱者の恨みが晴らされていく時、ある種の快感が胸に拡がっていったことをいまも鮮明に憶えています。

     巻末の略歴によれば、1968年、岩手県生まれの柚木裕子は、2008年、『臨床真理』(宝島社、未電子化)で第7回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞して作家デビュー。2013年に『検事の本懐』(宝島社、未電子化)で第15回大藪春彦賞、そして2016年に『孤狼の血』(角川書店、2015年8月29日配信)で第69回日本推理作家協会賞(長篇及び連作短篇集部門)を受賞。いまが“旬”の気鋭のミステリー作家です。
     その柚木裕子が2012年から2016年にかけて、講談社発行の文芸誌「メフィスト」を舞台に書きためた5編の連作短編を集めた本書。赤一色の表紙(紙書籍のカバー)いっぱいに描かれた黒いシルエット――右手にビジネスバッグを下げ、左手を腰にあて、タイトスカートですっくと立つスリムな女――が表象する美貌の元弁護士が主人公です。名前は、上水流涼子(かみづる・りょうこ)。
    〈六法全書に囚われず自由に動けるこの仕事の方が、私には合っています〉
     と語る上水流涼子が経営する上水流エージェンシーは、「殺し」と「傷害」以外なら、何でも引き受け、解決することを生業(なりわい)としています。“チーム”を組むのは、貴山伸彦(たかやま・のぶひこ)。東大出、IQ140の頭脳を持つ助手です。

     巻頭収録の「確率的にあり得ない」(初出:「メフィスト」2012VOL.3)は、こんなふうに始まります。

    〈まだ十一月だというのに、外は北風が吹いていた。残暑が厳しかった今年は、秋が短く冬の到来が早い。都内にある高層ホテルのロビーラウンジからは、大通りの交差点が見渡せた。道行く人たちはみな肩を竦(すく)め、寒さから身を守ろうとしている。
     ロビーのなかは、空調がきいて快適な温度に保たれていた。だが、ラウンジの椅子(いす)に座る新井大輔(あらい・だいすけ)の背中には、じっとりと汗が滲(にじ)んでいた。
     大輔の隣には社長の本藤仁志(ほんどう・ひとし)がいた。本藤は数字を書き込んだ小切手をテーブルに置くと、白い歯を見せて笑った。
    「いやあ、これでうちの会社も安泰だ。これからもよろしくお願いします。先生」
     テーブルを挟んで、新井たちと向かい合ってソファに座っている高円寺裕也(こうえんじ・ゆうや)は、口元に笑みを浮かべて肯(うなず)いた。
    「こちらこそ」
     ──本当に、大丈夫なんだろうか。
     秘書の大輔は、テーブルの上に置かれた五千万円の小切手を前に、言いようのない不安に駆られていた。〉

     今年45歳になる本藤仁志は、藤請(とうしん)建設の代表取締役を務める二代目経営者。中堅ゼネコンを一代で築き上げた父親が脳梗塞で他界し、専務だった本藤が跡を継いで2年がたっています。
     大輔は今年、若手と中堅の境目となる、30代の大台に乗った。藤請建設に入社して8年、秘書課に勤めて4年。朝は6時半に出社し、夜は接待が終わるまで身近に控え、どんなに遅くなろうと担当する役員を自宅にまで送り届ける。土日もやれゴルフだ釣りだと、プライベートの休みは年間に数えるほどしかなかった。おかげでいまでも独身だ。そんな滅私奉公ぶりが評価されたのか、昨年4月に社長の本藤付に二階級特進で昇格した。

     さて問題は、数字を書き入れた社長の本藤が〈白い歯を見せて笑〉い、一方で秘書の大輔が〈言いようのない不安に駆られ〉た5,000万円の小切手です。なぜ、5,000万円もの大金が本藤から高円寺裕也に提供されるのか? 本藤が〈「これでうちの会社も安泰だ」〉と満足げなのは、どうしてなのか。

     本藤と大輔が初めて高円寺裕也と会ったのは、半年ほど前、4月にさかのぼります。場所は、銀座にある会員制クラブのレガーナ。経済団体の会合の後で二人で立ち寄った晩、ママから〈私には、未来が見えます〉と臆面もなく言い切る経営コンサルタントを紹介されたのだ。高円寺に言われた通りにパチンコを打ったら、1時間半で10万円の大当たりとなって、それだけでママは高円寺の〈特別な力〉に心酔してしまった。
     学生時代にパチンコに凝ったことがある大輔は頭の中ですばやく計算した――

    〈一時間半で十万円の勝ちとなると、おそらくハイリスク・ハイリターンのマックス・タイプだろう。だとすると初当たりの確率は約四百分の一だ。五百円で回せるのはせいぜい十回。単純に考えれば四十分の一。それが二回続くということは、千六百分の一──パーセンテージに直せば約〇・〇六%ということになる。確率的にはほぼあり得ない。〉

    〈未来が見える〉という高円寺裕也の特別な力は本当なのか。本藤と高円寺の会話シーン――。

    〈「私はね、生まれてこのかた、超常現象や霊魂(れいこん」といった類(たぐい)を、一度も信用したことはないんですよ。あなたがおっしゃった、予知能力ですか──それも含めてね」
     高円寺は気を悪くした様子もなく、穏やかに答えた。
    「信じる信じないは、本藤さんの自由です。しかし、私には本当に、未来が見えるのです」
     本藤の顔色が変わった。顔から笑みが消え、高円寺に鋭い目を向ける。
    「先のことがわかるなら、人間苦労はしない。そんなうまい話が、ある、わけがない」
     語気を強めて言う。
     高円寺はテーブルに肘(ひじ)をつくと、顔の前で手を組んだ。
    「お疑いなら、証明してみせましょうか」
     酒の席とはいえ、ずいぶん挑発的だな、と大輔は思った。
     本藤は高円寺から目を離さずに、大きく首肯(しゅこう)した。
    「ええ、ぜひ」
     売り言葉に買い言葉だった。本藤は次の日曜日、埼玉にある自宅に来るよう、高円寺に提案した。〉

    〈あいつに赤っ恥をかかせてやろう〉と、前もっての小細工を封じるために高円寺をわざわざ自宅に招いた本藤。父から譲り受けた蔵を改造した自慢のシアタールームで始まった高円寺の〈未来を見る力〉を証明する実験――スカパー!で生放送されている競艇のレースの着順を前もって書き記したメモをもともと蔵にあった木箱に入れ、レースが終わったら箱を開けて照合するというシンプルな実験ですが、高円寺の予想は1着から6着までことごとく的中していた。そして次のレースも、さらに次のレースも・・・・・・。

    〈・・・・・・一レースだけなら偶然とも言える。確率は6×5×4×3×2×1で七百二十分の一だ。しかしそれが六レース連続で的中するとなると、確率は七百二十の六乗で天文学的数字になる。確率的にはあり得ない。
     トリックを使おうにも、高円寺は手ぶらで来ている。あの木箱はもともと蔵座敷にあったものだ。
     本藤が大きく息を吐いて言った。
    「あなたの力は本物です」
    高円寺はにっこりと微笑んだ。
    「わかっていただけましたか」
     本藤は膝を正し、熱い眼差しで高円寺を見つめた。深々と頭を下げる。
    「こんなすごい奇跡を目の当たりにして、私はいま感動しています。あなたの力を疑っていたことを、どうか許して下さい」
     高円寺は首を振った。
    「人は自分の想像を超える事象に出逢うと、なかなかそれを信じることができません。あなたが私の力を疑ったのは、当然のことです」〉

     高円寺の〈未来を見通す力〉を目の当たりにした本藤は、なんとか止めようとした大輔を叱りつけ、
    〈「お願いです。私には先生のお力が必要なんです。お金はお支払いします。どうか、先生のお力を私にお貸しください」〉
     両手を絨毯の上に突き、額が絨毯につくほど、頭を下げて懇願した。
     高円寺の予知能力を信じ込んだ本藤は、経営戦略上の判断から人事の相談まですべてを高円寺に頼るようになり、ついには役員会で、強引にコンサルタント会社として二年間の契約料5,000万円という破格の条件で正式契約するという案を押し通したのだった。物語冒頭の5,000万円の小切手はこの契約料というわけです。

    〈高円寺が小切手に、手を伸ばす。高円寺の冷めた目が、このときだけは一瞬、熱を帯びたように見えた。
     高円寺が上着の内ポケットに小切手を入れたとき、女性の声がした。
    「すみません。ちょっとよろしいですか」
     何事かと思い振り向くと、テーブルの横に女性が立っていた。大輔より少し年上だろうか。三十代前半に見える。
     ベージュのパンツスーツに身を包み、小ぶりのボストンバッグを手にしている。長いまつ毛が切れ長の目に陰を落とし、形のいい唇(くちびる)は微(かす)かに笑みを湛(たた)えている。日本人形のように整った顔立ちだった。腰まであるストレートの黒髪が、東洋的な神秘さを醸(かも)し出している。
     女性はゆっくりとした動作で、上着の内ポケットから名刺入れを取り出した。
    「わたくし、こういう者です」
     差し出された名刺には、「株式会社神華(しんか)コーポレーション 秘書課 国分美紗(こくぶ・みさ)」とある。〉

     大輔はどうしても高円寺を信じきれなかった。理屈ではなく本能が、高円寺を拒絶していた。そんな大輔の内心の葛藤をよそに、3人の会話に突然割り込んできた東洋的な美女。社長の楊が、高円寺の特殊な力に強い興味を抱き、ぜひ話をしたいと希望しているという。

    〈「あちらにいるのが、楊です」
     美紗は大輔たちの斜め後ろを、目で指し示した。視線の先には、五十代と思(おぼ)しき男性が座っていた。〉

    〈必殺シリーズ〉で言えば、依頼を受けた元締めが悪行の調べを終え、仕事人たちが始末に向かうところでしょうか。
     美貌の元弁護士とIQ140の頭脳を持つ助手は、〈未来を見通す力〉を騙る経営コンサルタントに対し、どんな知略をめぐらすのか? 息が詰まるような緊迫の攻防が見ものです。
     最後に――表題作「合理的にあり得ない」(初出:「メフィスト」2014VOL.2)は、財産を騙し取られて自殺した亡き父の恨みを晴らしてほしいという娘の依頼をうけた上水流エージェンシーの復讐劇、「心情的にあり得ない」(初出:「メフィスト」2015VOL.1)では、上水流涼子から法曹資格を剥奪する策謀、そして助手・貴山伸彦との驚くべき出会いの秘密が明かされています。将棋ソフト、野球賭博・・・・・・時事的話題も巧みに取り込んでそれぞれに趣向が凝らされた連作短編集、「あり得ない」依頼に挑む柚木ワールドを堪能してください。(2017/3/31)
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    投稿日:2017年03月31日