鈴木 正則
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【鈴木 正則】さんのレビュー一覧

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1~25件/522件 を表示

  •  猪瀬直樹さんがノンフィクション作家としての地位を確立したのは、大宅壮一ノンフィクション賞受賞(1987年)の本書『ミカドの肖像』によってです。
     秀作『天皇の影法師』(中公文庫、2013年7月5日配信)を発表、若手ライターとして一部で注目を集めていた猪瀬さんが「世界史の中で天皇制を考える」という大テーマに挑戦した週刊ポストの長期連載『ミカドの肖像』が単行本になったのが、1986年(昭和61年)の12月。奥付日付は12月20日。当時、週刊ポスト編集部に在籍していて担当編集者だった私にとっては、とにかく12月中に出版しないとその年の大宅賞の対象に入らなくなってしまうという追い込まれた状況でのぎりぎりの編集作業でした。
     翌87年4月、第18回大宅賞受賞の知らせを受けて猪瀬さんの仕事場に駆けつけ、近くのレストランで痛飲した夜のことはいまでもよく覚えていますが、その本が四半世紀を経て電子書籍としてリリースされたのが2012年3月です。週刊誌連載、紙書籍ともに使われ読者の楽しみのひとつとなった石丸千里さんのイラストを収録した固定型でしたが、その後2014年10月にリフロー版(イラストは収録されていません)が配信されました(ともに小学館)。

     とまれ、猪瀬直樹さんの天皇制を問い直す旅は、皇居を見下ろす丸の内の一角に建設が計画された、ある高層ビルをめぐる物語から始まります。
     東京丸の内の一角に東京海上火災保険(現在の東京海上日動火災保険)による東京海上ビルが完成したのは1974年(昭和49年)3月ですが、建築確認申請が東京都に提出されたのは、それよりもずっと早い時期、1966年(昭和41年)10月でした。確認申請から竣工に至るまでに8年もの年月を費やしたわけですが、異常事は時間の経過だけではありませんでした。

    〈当初計画は高さ百二十八メートル、地上三十階建て(地下五階)だった。約三十メートルも高さが削られたこと、さらに、計画から完成までに費やされた不必要な時間の長さのなかに、東京海上ビル建設担当者と設計者の苦悶が堆積されている。
     彼らの忘れられた冒険をいま掘り起こそうというのである。冒険とあえて表現したのは、禁忌(タブー)に挑んだがためだった。計画が難航したのも、ビルの高さが当初の計画より低く押さえられたのも、すべて“空虚な中心”から発する奇怪な電波によって引き起こされた結果であった。そこで、電波の発生源を探し求めて歩くことになるのだが、追い詰めるとその都度、発生源は雲散霧消してしまうという不思議な現象にぶち当たった。
     僕は、それを天皇をめぐる不可視の禁忌と呼ぶことにする。
     当時の東京海上社長山本源左衛門は、ビル建設計画推進の責任者も兼ねていた。その証言は、不可視の禁忌という奇怪な現象を、あますところなく表現してはいまいか。〉

     高さ197.6メートルの新丸ビル、179.2メートルの丸ビルが林立する現在の丸の内からは想像できないかもしれませんが、当時の丸ビル、新丸ビルはどちらもピタリ百尺(約30メートル)でした。その一角に皇居を見下ろすことになる100メートルを超えるビルを建設しようというわけです。不可視の禁忌を巡る著者の冒険──山本社長インタビューの一部を引用します。

    〈いろいろといきさつがあったようですが・・・・・・。
    「ヘリコプターを飛ばしたんですよ。ヘリコプターってのは、そんなに低く飛べませんからね、三百メートルくらいの高さになります。そこから見えるかどうかとね。いろいろな角度から実験してみたんです」
     どちらを?
    「あそこですよ。あ、そ、こ。三百メートルもの高さだって見えやしませんよ。見えたって、御文庫の玄関と車寄せのところがせいぜいですよ。覗こうたって覗けるもんじゃありません。そういう実験をしたんだから、大丈夫という自信があった」
     見えないのなら、あちらの方面が反対する根拠はありませんね。
    「そう、そうなんですよ。それで、当時の宮内庁長官の宇佐美(毅(たけし)、昭和28年~53年まで長官)さんのところに出掛けた。そして、こういうビルをつくるけれど、いっさい見えないから安心してください、と報告しました。するとそういう話は宮内庁では問題にしてません、と言ったんです」
     じゃあ、誰が問題にするんでしょうかねえ。
    「右翼、ということも考えられますから、つてをたどって児玉誉士夫(こだまよしお)さんのところに挨拶に行ったほうがいいんじゃないかと、まあ、そういうことになりまして。児玉さんはこう言ったですよ。“そんなバカなことをね、この時代に言うのが右翼だと短絡するのが困るんだ。天皇さまが、あそこのお庭を歩いているのが見えたりするのも、皇后さまが三越でショッピングできるようになったりするのも、あっていいんだ。そうして国民に親しむのがこれからの皇室のありかたなんですよ”」〉

     自信をもって宮内庁長官に説明をしにいきますが、「そんなことは問題にしない」というばかりで事態は進捗しない。伝手をたよって右翼の児玉誉士夫にも挨拶にいくが、やはりここでも「問題」はない。どこにも「問題」はないのだが、それでも新たな問題が次から次へと発生して、結局8年がかり、高さを30メートル削って、ようやく竣工の日を迎えることができたというわけです。
     東京海上ビル問題への小さな疑問から昭和ニッポンの禁忌(タブー)の存在に行きついた猪瀬さんは、「ミカド」という記号を軸に近代日本の足跡をたどり直したノンフィクションの不朽の名作を世に送り出しました。
     本書に続くシリーズ第2弾『土地の神話』(小学館、2013年4月12日配信)、第3弾(完結編)『欲望のメディア』(小学館、2013年5月3日配信)も併せてお読みください。
    (2018/2/16)
    • 参考になった 3
    投稿日:2018年02月16日
  • 「会津に処女なし」という言葉があるという。
     いまから150年前、明治維新の時代──会津戦争の現場で、会津の女性がことごとく長州奇兵隊を中心とする土佐を含む薩長軍のならず者に強姦されたということをいっている。私は、この史実を原田伊織著『明治維新という過ち』(講談社文庫、2017年10月13日配信)で知りました。
     会津歴史研究会の井上昌威氏の検証結果を参考に、原田氏は会津戦争の実態を次のように記します。

    〈山縣有朋が連れ込んできた奇兵隊や人足たちのならず者集団は、山縣が新発田(しばた)へ去っていたこともあって全く統制がとれておらず、余計にやりたい放題を繰り返す無秩序集団となっていた。女と金品を求めて村々を荒らし回ったのである。彼らは、徒党を組んで「山狩り」と称して村人や藩士の家族が避難している山々を巡り、強盗、婦女暴行を繰り返した。集団で女性を強姦、つまり輪姦して、時にはなぶり殺す。家族のみている前で娘を輪姦するということも平然と行い、家族が抵抗すると撃ち殺す。中には、八歳、十歳の女の子が凌辱されたという例が存在するという。
     高齢の女性も犠牲となり、事が済むと裸にして池に投げ捨てられたこともあった。要するに、奇兵隊の連中にとっては女性なら誰でも、何歳でもよかったのである。
     坂下(ばんげ)、新鶴、高田、塩川周辺では、戦後、犯された約百人に及ぶ娘・子供の殆どが妊娠していた。医者は可能な限り堕胎をしたが、それによって死亡した娘もいたという。月が満ちて生まれてきた赤子は、奇兵隊の誰の子かも分からない。村人たちは赤子を寺の脇に穴を掘って埋め、小さな塚を作って小石を載せて目印にしたのである。
     村人は、これを「小梅塚」とか「子塚」と呼んだ。乳が張ってきた娘は、自分の「小梅塚」に乳を絞り与えて涙を流していたという。〉

     著者は、〈「人道に対する犯罪」といわずして何というか〉と厳しく断罪しています。まったく同感です。
     この蛮行は、たかだか150年前、「明治維新」を成し遂げたとされる「官軍」──長州第一軍の主力となった奇兵隊によって引き起こされたことなのです。
     女性に対する性犯罪だけではありません。薩長軍の兵は戦死した会津藩士の衣服を剥ぎ取り、男根を切り取ってそれを死体の口に咥えさせて興じたと同書にあります。総力戦の末に敗れた会津の鶴ヶ城開城は、明治元年(1868年)9月。「明治」が始まっていました。

     そもそも「明治維新」とは何か。ペリー率いる黒船来航によって、徳川幕府260年の太平から目覚めた日本が、長州・薩摩の下級武士を中心とする勤皇の志士と幕府・佐幕派の苛烈な抗争、第十五代将軍・徳川慶喜による「大政奉還」、「王政復古」の大号令、明治改元、そして新政府軍と旧幕府軍の内戦を経て明治天皇による親政が確立されたというのが、大方の日本人のなかに定着している明治維新についての常識であろう。1853年(嘉永6年)の黒船あたりから箱館戦争終結(1869年=明治2年)までの時期を指すといわれていますが、西南戦争──西郷隆盛の反乱(1877年=明治10年)までとみる考え方もあります。いずれにしても、明治新政府の成立以降、鎖国によって遅れていた日本の近代化、強く豊かな国への歩みが始まったというのが一般的な理解となっているといっていいでしょう。

     1月4日の年頭所感で安倍晋三首相は、
    「百五十年前、明治日本の新たな国創りは、植民地支配の波がアジアに押し寄せる、その大きな危機感と共に、スタートしました。
    国難とも呼ぶべき危機を克服するため、近代化を一気に推し進める。その原動力となったのは、一人ひとりの日本人です。これまでの身分制を廃し、すべての日本人を従来の制度や慣習から解き放つ。あらゆる日本人の力を結集することで、日本は独立を守り抜きました。」
     と述べ、「明治維新150年」を礼賛しました。
     しかし、「明治維新」が私たち日本人にもたらしたものは何だったのか。「明治維新」に始まる日本の近代化の実相とはどんなものだったのか。
    『明治維新という過ち』で原田伊織氏は、日本人の間で常識化した「明治維新の歴史」に根源的な疑問を突きつける。それは、あくまでも勝者の、つまり薩長の論理で書かれた「歴史」であり、明治以降今日に至るまでそれが公教育の場で一貫して教えられてきた。同書にこうあります。

    〈この百五十年近く、誰もが明治維新こそが日本を近代に導き、明治維新がなければ日本は植民地化されたはずだと信じ込まされてきた。公教育がそのように教え込んできたのである。つまり、明治維新こそは歴史上、無条件に「正義」であり続けたのだ。果たして、そうなのか。明治維新の実相を知った上で、そのように確信したのか。
     日本人は、幕末動乱のドラマが好きである。ところが、幕末動乱期ほどいい加減な“お話”が「歴史」としてまかり通っている時代はなく、虚実入り乱れて薩長土肥(薩摩・長州・土佐・肥前)の下級武士は永年ヒーローであった。中でも、中心は薩摩と長州であった。(中略)
     しかし、「御一新」、つまり「大政奉還」「廃藩置県」の後は、長州・薩摩の世になったということを忘れてはならない。つまり、明治以降とは、長州・薩摩の世であり、このことは根っこのところで大正、昭和を経て平成の今も引き継がれているということなのだ。即ち、私たちが子供の頃から教えられ、学んできた幕末維新に関わる歴史とは、「長州・薩摩の書いた歴史」であるということだ。どのような幕末資料を読むにしても、まずこのことが大前提となるのである。〉
    「長州・薩摩の書いた歴史」であることを前提に幕末・明治史を見直そうと企図する著者は、さらにこう続けます。

    〈大切なことは、そういう歴史がこの百五十年近く綿々と教えられてきたという事実であり、そういう「長州・薩摩の書いた歴史」を先ずは知るということであろう。それを知った上で、「長州・薩摩が書かなかった」ことの実相を整理した方が、歴史というものの正体、恐ろしさを知ることができるというものである。〉

     冒頭に記したような「官軍」による蛮行は、「長州・薩摩が書かなかった」ことのひとつです。これまでこうした負の部分に目が向けられることはありませんでした。原田氏は「長州・薩摩が書かなかった」ことを検証し、御一新の史実とどういう、あるいはどれほどのギャップをもっているかを整理していきます。それは、〈世にいう明治維新を一度「総括」しようという試み〉であり、その集大成である本書を読み進めていくと、目からうろこの史実が次から次へと出てきてとまらない。ここでは一例だけ挙げておきます。
     突然の黒船来航によって、日本が開国に動き出したというのは私たちが慣れ親しんだストーリーです。しかし、嘉永6年(1853年)のペリー来航の半世紀以上前の寛政9年(1797年)以降、長崎出島へアメリカの交易船が来航した回数は少なくとも13回確認されているのです。つまり幕府には経験を積み世界を知る人材が育っており、ペリーの来航によって日本人が初めてアメリカ人と接触したかのような歴史教育は歴史事実とは異なっているというのが著者の指摘です。とすれば明治維新を機に日本の近代化が始まったという「維新史」は、そもそものスタートから、重要な史実、言い換えれば“不都合な真実”を隠していたことになるのです。

     とまれ、「長州・薩摩の書いた歴史」──明治維新は私たちに何をもたらしたのか。著者は、維新の英傑を輩出したとして崇められている吉田松陰を巡る史実を検証した上で端的にこう記します。

    〈・・・松陰を師であると崇め出したのは、御一新が成立してしばらく経ってからのことである。師として拾い上げたのは、長州閥の元凶にして日本軍閥の祖、山縣有朋である。(中略)
     ・・・松陰の外交思想というものは余り語られないが、実に稚拙なものであった。北海道を開拓し、カムチャッカからオホーツク一帯を占拠し、琉球を日本領とし、朝鮮を属国とし、満州、台湾、フィリピンを領有するべきだというのである。これを実行するのが、彼のいう「大和魂」なのである。一体、松陰はどういう国学を、どういう兵学を勉強したのか。
     恐ろしいことは、長州・薩摩の世になったその後の日本が、長州閥の支配する帝国陸軍を中核勢力として、松陰の主張した通り朝鮮半島から満州を侵略し、カムチャッカから南方に至る広大なエリアに軍事進出して国家を滅ぼしたという、紛れもない事実を私たち日本人が体験したことである。〉

     長州(山口県)出身の安倍首相が年頭所感において、植民地主義の波が押し寄せるなかで独立を守り通したと、明治日本の国創りを礼賛したことは先述しました。しかし、明治以降の日本は独立を守ったとはいっても、吉田松陰の教えのままに朝鮮半島、満州、中国、アジアから南方の島々まで軍事進出したあげく、対米戦争に敗れ国を滅ぼすに至ったのです。

     明治の国創りの負の側面に安倍首相がふれることはありません。長州人の末裔としてその先達の偉業を語るのみです。
     明治維新150年を言い出したのは、戦後70年の2015年8月、山口県に里帰りした時だったと、毎日新聞編集委員の伊藤智永記者の記事にありました(2018年1月6日付朝刊「時の在りか」)。記事によれば、〈50年は長州軍閥を代表する寺内正毅、100年は叔父の佐藤栄作が首相だったと紹介し、「私は県出身8人目の首相。頑張って平成30年までいけば、明治維新150年も山口県の安倍晋三が首相ということになる」と語った。〉という。
     平成30年(2018年)となり、安倍首相の下で明治の精神が称揚されています。しかし、どうせ目を向けるなら、大正の精神のほうがよくはないか。今年は米騒動から100年。富山の女性から始まった米価高騰に抗議する民衆の運動が全国に拡大し、寺内正毅内閣を総辞職に追い込んだ。長州軍閥内閣を倒した民衆の運動が大正デモクラシーにつながっていった。明治維新50年の時の首相として安倍首相が誇らしげに挙げたのが、この寺内正毅なのですから、モリ・カケ・スパ批判にさらされる安倍首相にとってはなんとも皮肉な巡り合わせではないか。

     安倍一強の下、憲法改正が日程に乗せられ、経済も首相は強弁するが、いっこうによくなったという実感はない。破綻寸前のアベノミクスの頼みの綱ともいうべき株価もNY市場のあおりを受けて暴落した。
     平成もあと一年。日本が大きな岐路に立つ今こそ、ぜひ手に取って欲しい歴史書だ。(2018/2/9)
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    投稿日:2018年02月09日
  •  酒に合うか合わぬか──犬森祥子がランチの店を選ぶ基準です。
     バツイチ、アラサーのひとり暮らし。職業「見守り屋」。お年寄り、子ども、場合によってはペットまで、夜通し、寝ずに見守り、話し相手や聞き役になるのが仕事で、営業時間は夜から朝まで。愛する娘は別れた夫、祖父母のもとに引き取られ、月に一度会えることになってはいるが、確かではない。
     待つ人のいない部屋に帰る前に立ち寄る街で居心地のいい店を探りあて、おいしい料理とうまい酒に癒やされる──夜勤明けのランチ酒がもたらす至福の瞬間。食・酒に対するヒロインのひたすらな思いが行間に漂う異色のグルメ小説の誕生だ。
     タワーマンションが建ち並ぶ町にあるセレブなレストランは出てきません。社用接待や会社経費で行く高級店も出てきません。夜通し働いて解放された昼間にひとりで飲む酒に似合う街──は、武蔵小山(肉丼)であり、十条(肉骨茶=バクテー)、新丸子(サイコロステーキ)だ。中目黒(ラムチーズバーガー)、不動前(うな重)、中野坂上(オムライス)、大阪からは阿倍野(刺身定食)が、千葉の房総半島(海鮮丼)も登場。どこも気取ったレストランとは対極にある、うれしいランチが綴られている。ホントに旨そうで、名前こそ出てはいませんが、実在するという店を探して行きたくなる。たとえばこんな具合だ。「第一章」ならぬ、〈第一酒 武蔵小山 肉丼〉から引用します。

    〈「いらっしゃい」
     正午前、開店そうそうの店は、祥子が一番乗りだった。
     カウンターにはマスター、その奥さんらしい中年女性と若い女性の三人。カウンター席に案内される。一番端の、よい場所に陣取った。
     壁のメニューを見る。
     肉系メニューが充実している店だが、鯖(さば)焼きなどの定食もちゃんとある。
    「あの、この肉丼のお肉は」
    「牛肉です。うちの看板メニューです」
     中年女性が明るく答えてくれた。
    「じゃあ、それ。ご飯少な目にしてください」
     とりあえず食べ物だけ頼んで、様子を見ることにした。
     カウンター席が多いが、小さなテーブル席も二つある。
     どことなく、バーやスナック風の造り。以前はそういう店だったのかもしれない。
     カウンターの上に、プラスチックの小型のメニューを見つける。伊佐美(いさみ)、しきね、黒伊佐錦(くろいさにしき)……芋焼酎(いもじょうちゅう)の名前がずらりと並んでいた。
     よっしっ。祥子は思わず、カウンターの下で小さくガッツポーズをした。
     牛肉の丼ならビールも合うだろうが、そして、ビールも大好きだが、ここはがっつり肉に芋焼酎を合わせたい。
     伊佐美、しきねなどもいい。でも、せっかくなので冒険して、初めての味を試そうか。
    「すみません。この蕃薯考(ばんしょこう)というの、ロックでいただけますか」
     蕃薯考の下には「江戸時代の文献を元に再現」と説明書きがあった。なんと、心惹(ひ)かれるコピーか。
    「あ、ええ」
     ちょっと意外そうな顔をしながら、でも、すぐにうなずいて、用意してくれた。〉

     夜の仕事をしている犬森祥子にとって、ランチは一日の最後の食事となる。朝食はほとんど食べず、仕事前に少しつまんで、仕事後にランチをがっつりとる、一日二食が基本だ。ならば酒を飲んで、リラックスしてから家に帰り、眠りにつきたい。
     そんな時に「えー、お酒飲まれるんですかあ」なんて、聞き返されたくない。大人なんだから、平日の昼間に酒を飲むこともある。そいうことがわかっている店かどうか、もランチ酒の店を選ぶ大事なポイントだ。

    〈「あら、ちょっと入れすぎちゃった」
     つぶやくママと目が合って、自然、微笑(ほほえ)み合う。
     ことん、とカウンターの上にガラスのグラスが置かれた。小ぶりのグラスに「入れすぎちゃった」たっぷりの焼酎。透明感のある、角のとれた氷が使われていて、窓から射す光にきらきら輝いている。
     ああ。
     口に含んで、祥子は思わずため息をついた。
     芋の香りが強い、骨太の焼酎である。どのあたりに江戸を感じさせるのかはわからなかったが、素朴と言えば素朴と言えるかもしれない。〉

     製造元のホームページによれば、度数25度。薩摩(鹿児島)のとっておきの芋焼酎が目の前にあるような気分になってきます。そして、オーダーした肉丼です。

    〈「今、丼(どんぶり)、できますからね」
     先に、味噌(みそ)汁と小皿が運ばれてきた。皿には、ぽっちりの香の物、のりの佃煮(つくだに)、小さな冷や奴(やっこ)が盛られている。
    ──これは、つまみにありがたい。
     薄味の佃煮をなめながら飲んでいるところに、肉丼がやってきた。
    ──はわわわわ。
     声を出さないように、必死で抑えた。
     花開いている。薄切りの牛肉が丼の上に隙間(すきま)なく敷き詰められて、薔薇(ばら)のように花開いている。その上に、がりりと黒コショウがたっぷり。
     美しい。こんな美しい丼は初めて見た。
    「ご飯、少な目にしておきましたからね」
     これなら、白米と一緒に食べるだけでなく、酒のつまみにも十分なりそうだ。そのぐらい、肉が多い。
     牛肉といっても、ピンク色のローストビーフ丼的なものではない。薔薇色のタタキだった。
     まずは真ん中の黒コショウのたっぷりかかった一切れを口に入れ、芋焼酎を飲む。
    「ああ」
     今度はたまらず、声をもらしてしまった。
    ──褒めてやりたい。ここに決めた十数分前の自分を、力いっぱい抱きしめたい。〉

     しっかりと噛みごたえのあるタタキは、肉のうまさをダイレクトに感じさせる。そして、それがまた、焼酎によく合う。ビールでもいいけど、軽い酒だと受け止められなかったかもしれないなあ──と感じつつ祥子が再び丼に向かいます。おいしいものをさらにおいしく食べる方法、そしてそれがもたらすささやかな幸福感がこまやかに描かれていきます。

    〈祥子は次に、端の肉を注意深くよけた。肉の下にはキャベツの千切りが薄く敷いてある。それとご飯を箸でつまんで肉でくるんだ。
    ──肉の味が薄い分、たれに味がついているんだ。
     その甘めのたれも肉とご飯に合っていい。
     もう一口、肉でご飯をくるんで口に入れると、今度は焼酎を飲む。
    ──これもまたよし。〉

     店のママの声のかけ方が絶妙で、つい「今度は伊佐美をやはりロックで」と注文した祥子。サラリーマンが次々にやってきては肉丼を食べていくランチタイムにランチ酒を味わいながらもずっと気になっていたのは、昨夜から朝まで一緒だった横井華絵(よこい・はなえ)ちゃんのこと。

    〈しょうちゃんでよかった。
     昨夜、急に連絡が来て、新宿(しんじゅく)の託児所に迎えに行くと、三歳の横井華絵ちゃんは眠そうにそう言った。
     二十四時間営業の託児所の保育士たちも、もう祥子とは顔見知りで「よかったねえ。華ちゃん、祥ちゃん迎えに来てくれたよ」と抱いている彼女に声をかけた。
    「少し熱っっぽくて、夕飯を戻しちゃったの。子供用の風邪シロップだけ飲ませてあります」
     抱きとめた華絵ちゃんは熱くて軽くて、そして、責任は重かった。〉

     華絵ちゃんの母親は託児所の近くのキャバクラに勤めている。シングルマザーだが、その事情を聞いたことはない。ただ、熱があったり、ぐずったり、どうしても託児所に預けられなくて、他の誰にも頼めない時だけ、祥子の同級生の亀山太一(かめやま・たいいち)が経営する「中野(なかの)お助け本舗」に連絡が来る。
     亀山の指示を受けた祥子は、新宿から華絵を抱いてタクシーに乗り、少し離れたところにある高層マンションまで連れて帰るのだ。場所は目黒区と品川区の境目あたり。何度か横井家に行ったことがあって、そこにはほとんど食べ物が置かれていないことを知っている祥子は、途中、コンビニの前でタクシーを止めてもらい、華絵を抱いて入った。スポーツ飲料とみかんゼリー、バニラアイス、レトルトのおかゆを買った。

    〈高層マンションの上層階の部屋に行き、預かっている鍵を使ってドアを開けた。子供部屋の小さなベッドに運んで横にさせると、寝かしつけるまでもなく華絵は眠ってしまった。祥子はその部屋の片隅に、壁を背にして座った。
     椅子はない。読書用の持ち運びできる電灯を持ってきていた。どんな場所でも待っている間、本を読めるように。〉

     本もいい、スマホもいい。しかし、絶対に寝るな。一晩中、起きていろ。社長の亀山から繰り返し、繰り返し言われていることだ。それが、祥子の仕事──深夜の見守り屋だ。

    〈「しょうちゃん?」
     暗闇から、小さな声が聞こえてきた。
    「華ちゃん?」
    「しょうちゃん、いる?」
    「ここにいるよ」
     すぐに華絵のベッドの横にひざまずいた。彼女はつぶらな瞳をこちらに向けている。
    「よかった」
    「なんか食べる? 飲む?」
     華絵は首を横に振ったが、祥子は彼女の身体を少し抱き起して、スポーツ飲料を飲ませてやった。
    「これでよくなるよ。ちゃんと飲んだら汗をかいて、朝になっておしっこしたら、熱が下がる」
     華絵ちゃんは少し笑った。
    「しょうちゃんはいいね」
    「どうして」
     肩まで毛布を掛けてやりながら聞いた。
    「いつも起きてるから。はなちゃんのママは寝ているよ。はなちゃんとたくじちょから帰ってからずっと」
    「ママはお仕事で疲れているからね」
     安心したように、すぐに寝入ってしまった華絵の顔を見ながら、亀山がにやりと笑った顔が見えた気がして、祥子は首を振る。〉

    「少しでも環境のいいところに住まわせたくて」と、仕事場に近い新宿区内ではなく、今の高層マンションに引っ越したという華絵ちゃんの母親。ちぐはぐだけど、必死の愛情をいつも感じた。だから、時にぶっきらぼうな態度を取られても、祥子は華絵の母親が好きだった。いつもより少し早めに帰ってきた母親と交代して、華絵ちゃんが起きるのを待たずに家を出たのだ。

     深夜、都会の片隅で繰り広げられる人間ドラマ。バツイチ、アラサー。愛する娘と離れてひとり暮らしの見守り屋が、行く先々でワケありの人と出会い、心を通わせていく。そして、夜勤明けにひとり浸るランチ酒の至福。かけがえのない時が刻まれていく短編集──連作短編として話が少し前後することもありますが、気に入った街、気になるランチメニューから読んでいくのも面白いかもしれません。(2018/2/2)
    • 参考になった 2
    投稿日:2018年02月02日
  •  太陽の光を燦々とうける山手の家々。華やかな元町の商店街。港の見える丘公園。日ノ出町駅界隈の路地裏。「労働者の街」と呼ばれ周囲から断絶されたドヤ街。野毛の動物園。ランドマークタワー。コスモワールドの大観覧車。ヨットの帆のような可愛らしい形状のホテル。そして、桜の花びらが雪のように舞う山手の丘の春の匂い。
     横浜に生まれ、横浜の名門高校野球部で甲子園を目指し、後に小説を書くようになった若い作家が横浜の景色のなかに描き込んだ少女の“穢れなき日々”――早見和真『イノセント・デイズ』が発する熱量に圧倒された。忘れられない作品になった。2008年『ひゃくはち』(集英社文庫、2014年8月22日配信)で作家デビュー。2014年発表の本作で2015年、第68回日本推理作家協会賞(長編及び連作短編集部門)を受賞。1977年生まれ、40歳の実力派だ。

     3月30日午前1時頃、JR横浜線中山駅近くの木造アパートで火の手が上がり、焼け跡から三人の焼死体が発見された。2階の角部屋から無残な姿で運び出されたのは井上美香さん(26歳)と、彩音ちゃん、蓮音ちゃんの一歳の双子の姉妹。美香さんのお腹には8か月になる胎児もいた。一家の主・敬介さん(27歳)は勤め先の介護付き老人ホームに夜勤で出ていて難を逃れたが、2年前に別れた元恋人・田中幸乃(24歳)が逮捕され、放火殺人の罪に問われた裁判員裁判で死刑判決を受けた。そして確定死刑囚として東京拘置所で6年間を生きてきた彼女に訪れた“特別な朝” ──。
     物語冒頭、書き出しが秀逸だ。

    〈その朝、季節が動いたことを実感した。
     東京拘置所、南舎房の単独室。巡視廊(じゅんしろう)越しの磨(す)りガラスに穏やかな青が透けて見える。ルーバーからかすかに差し込む陽はすっかり和らぎ、セミの鳴き声もいつからか地を這(は)う虫のものに変わっていた。
     田中幸乃は畳の上に正座し、小さく息を吐き出した。
     テーブルの上にスケッチブックを広げ、外の景色を想像する。しかし、なぜかいつものように集中できず、うまく思い浮かべることができない。(中略)
     書棚の下段に封筒が一つ倒れていた。担当の弁護士を通じ、支援者からもらった手紙はこれまで三百通を下らない。すべてに目を通してきたが、心が揺れることはなかったし、ましてや決意は揺らがなかった。
     ただ、その中に一人だけ、心に変化をもたらす者がいた。まるで定規で線を引いたかのような几帳面(きちょうめん)な文字に、無機質な茶封筒。「絶対に」という言葉が頻出する彼からの手紙は、必ず幸乃の心を揺さぶった。
     倒れていたのは、春先に送られて来た彼からの手紙だ。横浜・山手(やまて)は桜が満開だということを伝える文面に抗(あらが)いようのない懐(なつ)かしさを感じ、同時にひどく動揺したことを覚えている。
     そのときに最初で最後の返信を綴(つづ)った。うららかな春の陽が磨りガラス越しに差し込んでいた日のことを思い出しながら、幸乃は唇を噛(か)みしめた。
     廊下から折り重なるような足音が聞こえてきたのは、そのときだ。〈9時7分〉というデジタル時計の表示が目に入る。足音の中に聞き覚えのないものが混ざっていると悟ったとき、全身の筋肉が硬直した。
     足音は部屋の前で止(や)んだ。
    「1204番、出房しなさい」
     女性刑務官は毅然(きぜん)と言いながらも、目を赤く潤(うる)ませている。話をする機会のあった唯一(ゆいいつ)の刑務官だ。そう年齢の変わらない彼女に申し訳ないという思いが真っ先に湧(わ)いて、幸乃は逃げるように視線を逸(そ)らした。卓上のカレンダーを視界に捉(とら)えた。
     九月十五日、木曜日──。その日付に運命など感じない。長かった、あまりにも長すぎた生涯にようやく幕を下ろせるのだ。六年間、ずっと待ち望んでいた日だ。
     読んでいた便せんを封筒に戻そうとした。中から桃色の紙片が舞い落ちた。拾い上げ、目の高さに掲げてみる。紙切れと思ったものは、蝋(ろう)でうすくコーティングされた桜の花びらだった。
     春の香りが鼻先をくすぐった。錯覚という意識はなかった。それは拘置所に入ってからの六年間、どれだけ思いを巡らせてもついに感じることのできなかった外の匂いだ。
     再び向き合った磨りガラスの向こうに、今度は鮮やかな景色を思い描けた。季節も、場所もずっと遠い。わずか十メートルほど先の隔てられた外の世界に、菜の花に囲まれた満開の桜の大木が揺れている。
     いつの間にか乱れていた呼吸を、幸乃は懸命に整えようとした。
     お願いだから静かに逝(い)かせて──。〉

     死刑宣告から6年間、ずっと待ち望んでいた朝──田中幸乃は〈お願いだから静かに逝かせて〉と見えない誰かに懇願する。
     彼女はなぜ、死を願うのか。そもそも、なぜ、死刑囚となったのか──。

     続く〈プロローグ 「主文、被告人を──」〉は、裁判傍聴マニアで就活中の女子学生の視点で綴られます。
     私生児として出生した過去や、その母が17歳のホステスであったこと。養父から受けていた虐待に、中学時代に足を踏み入れた不良グループ、強盗致傷事件を起こして児童自立支援施設に入所していたという事実。そして出所後に更生し、真っ当な道を歩み始めたかに見えたものの、最愛の人との別れを機に再びモンスターと化していった経緯が書きたてられ、事件を伝えるマスメディアは「身勝手な理由で母子三人を焼き殺した整形シンデレラ」とセンセーショナルな断罪一色だった。しかし女子学生は判決を聞き終えた幸乃が見せた表情、行動に報道や世の中の反応との違和感を感じ取ります。

    〈「主文、被告人を──」
     それまでよりも一段高い声が法廷内に轟(とどろ)いた。
    「死刑に処する!」
    一寸の間もなく、今度は二十名近い記者が一斉に立ち上がった。椅子の音が鳴り響く。彼らの出ていった扉の向こうで「死刑、死刑、死刑!」「バカヤロー、違うよ」「整形シンデレラ、死刑だって!」という叫び声が飛び交っている。
     裁判長が存在を知らしめるように咳払(せきばら)いした。
    「願わくは、被告人が心の平穏を得んことを……」
     最後にそう締めくくろうとしたとき、法廷内の空気がかすかに緩んだ。何人かの傍聴人はすぐに席を立とうとしたが、私は身動きが取れなかった。いつものような高揚感を抱けず、普段の自分が何をおもしろがっていたのかも思い出せない。
     このとき胸にあったのは違和感だった。これまで見てきた法廷とは決定的に何かが違った。でも、その正体がつかめない。
     一瞬の静寂を縫うようにして、弱々しい声が耳を打った。
    「も、も、申し訳ありませんでした」
     声に気づいた数人がゆっくりと振り返る。
    「う、生まれてきて、す、す、すみませんでした」
     そう続けた幸乃から、裁判長は視線を逸らした。目頭を拭(ぬぐ)う裁判員が何人かいた。検事の一人は肩を揉(も)みほぐし、弁護人たちは力なくうなずき合った。裁判は幕を閉じようとしていた。
     さらなる異変があったのは、そのときだ。再び手に捕縄をかけられた幸乃が、引き寄せられるように傍聴席を振り向いた。
     私はあわてて幸乃が見つめる相手を探した。大きなマスクをした若い男がうつむいている。その横にはテレビで目撃証言を語っていた老婆と金髪の少年が、後方では被害者の写真を持った遺族らしき女性が大きく目を見開いている。
     幸乃が誰を見たのかはわからない。ただすべての事象を疑うような瞳の奥に、ふっと人間味が宿ったのは間違いない。それを証明するように、幸乃は直後に笑みを浮かべた。(中略)
     ・・・・・・幸乃は静かに法廷を去っていく。その背中に、私は懸命に問いかけた。ねぇ、あなたはどうしてそこにいるの──? その理由が裁判で解き明かされたとは思えなかった。〉

     大学卒業後、刑務官になる〈私〉の胸にあった違和感の正体──それは幸乃が自分の人生をいっさい弁解していないこと、何ひとつ抗おうとしていないことだった。
     自ら死を求めるかのような少女。田中幸乃のこれまでの人生に、そしてこれから始まる日々に思いを馳せずにはいられません。物語序盤でいきなり心をわしづかみにされ、ページをめくるスピードが高まっていく。

     プロローグの後、裁判官が読み上げる判決理由の骨子をそのまま章立てとする構成で物語が進んでいきます。
     第一章「覚悟のない十七歳の母のもと──」
     第二章「養父からの激しい暴力にさらされて──」
     第三章「中学時代には強盗致傷事件を──」
     第四章「罪なき過去の交際相手を──」
     第五章「その計画性と深い殺意を考えれば──」
     第六章「反省の様子はほとんど見られず──」
     第七章「証拠の信頼性は極めて高く──」
     エピローグ「死刑に処する──」

     そして、流布されていた「稀代の悪女」説に違和感を感じ、疑問を抱く人が少なからずいることが丁寧に綴られ、別の視点から見えてくる事件の輪郭が形づくられていく。たとえば日ノ出町の路地裏にある丹下産婦人科医院の院長・丹下建生は死刑判決のニュースに接した時、20年以上前の記憶が呼び覚まされ、彼の前で〈私がこの子を絶対に守る。だから先生、診ていただけますね〉と言った17歳の少女ヒカルの覚悟に思いを馳せる。幸乃を生んだのはけっして、〈覚悟のない十七歳の母〉ではなかった。

     章が進むにつれ、〈彼女はなぜ、死刑囚となったのか〉との思いはさらに強くなっていきます。これは冤罪なのではないか。死刑執行まで残された時間は少ないかもしれないが、きっと回避されるにちがいない、救いたい。そんな思いがどんどん強くなってきた終盤。思いもよらないクライマックスが待っています。
     推理作家協会賞選考委員の間で「あまりにも救いがない」という評もあったそうですが、田中幸乃に寄り添う作者の一途さが胸を打つ。著者はあるインタビューで、大学時代に好きな金城一紀の直木賞受賞作『GO』(角川文庫、2013年4月12日配信)やノーベル文学賞受賞作家ガルシア・マルケスの『百年の孤独』を手描きで書き写したと語っていますが、早見和真のこの集中力は野球部時代に鍛えられたものなのでしょうか。作品に漲る熱量が読むものを圧倒する。いま最も注目される作家のひとりが到達した新境地をじっくり味わっていただきたい。(2018/1/26)
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    投稿日:2018年01月26日
  •  どこからどう見ても茶番劇である。
     安倍晋三首相の「腹心の友」が掴み取った獣医学部新設。昨2017年7月の衆議院閉会中審査で、「腹心の友」加計孝太郎理事長との関係を問われた安倍首相は「今治市の獣医学部が加計学園だと知ったのは2017年1月20日」と答弁しました。
     首相肝いりの国家戦略特区での認可がヤマ場を迎えた2016年1年間だけでも安倍首相と加計孝太郎理事長は7回も食事もしくはゴルフを共にしていたという厳然たる事実(詳細は後述)があります。それにもかかわらず二人の間で獣医学部新設問題が話題に上ったことは一度もなかったと安倍首相は言い張ったのです!
     1年の間に7回も会食やゴルフを繰り返しながら加計理事長が13年以上にわたって取り組んできた宿願の獣医学部新設が話題にすらならなかったというのは、どう考えても不自然だ。誰が聞いても嘘とわかること──作り話ではなかったか。
     国会で追及された安倍首相は食事代、ゴルフ代を自分が持つこともあれば、加計理事長が払うこともあったと認めてしまった。もしその場で獣医学部の件を話し合っていたとしたら「供応」になってしまいます。安倍首相には国家戦略特区に関する決定権限があるのだ。そのため獣医学部の問題が話題になっていたとは口が裂けても認めるわけにはいかず、苦し紛れの弁明でごまかそうとしたのです。もはや国会の場で演じられた茶番劇と言うほかない。

     日本の最高権力者と腹心の友を深い闇が包み込んでいる。その闇に分け入り、徹底取材によって加計疑惑の核心に迫る森功の新著『悪だくみ』(文藝春秋、2017年12月15日配信)が、面白い。悪巧みの中心にいるのは言うまでもなく、安倍首相と加計理事長の二人です。リラックスしてソファーにもたれ、ワイングラスを手に持ち、ポーズを決めている二人が写るブックカバーのカラー写真からは「悪巧み」が匂い立ってくるようです。この写真、もともとは安倍昭恵夫人がフェイスブックになぜか、「男たちの悪巧み」と題してアップしていた2015年クリスマスイブパーティのときのもの。
     昨年7月末に逮捕された森友学園の籠池夫妻は、保釈が許されずに勾留されたまま2018年を迎えました。その森友とセットで「モリ・カケ疑惑」と呼ばれる加計学園問題は、表面化したのが森友の後だったことからマスメディアは「第二の森友」と騒ぎ立てたが、実は加計の方が安倍首相との関係は長く、深い。むしろ、森友を「第二の加計」と呼ぶべきなのだと、著者の森功は指摘する。第一章「第二の加計学園」から引用します。

    〈昭恵の(瑞穂の國記念小學院)名誉校長就任には、前段がある。昭恵を名誉校長として迎え入れようという発想は、籠池独自の発案ではない。日頃から各種団体の講演やゲストに招かれ、どこへでも出向く昭恵は、森友以外にも学校法人の名誉職を引き受けてきた。その一つが、兵庫県神戸市に開園した加計学園グループ「御影インターナショナルこども園」である。
    「小学校を開設されるなら、すごくよい教育をしている学校があるから、見学に行ってみてはどうですか」
     瑞穂の國記念小學院の名誉校長を引き受けるにあたり、昭恵は森友学園理事長の籠池をそう誘った。自らが名誉園長としてさまざまな行事に参加してきた加計学園の御影インターナショナルこども園を手本にするよう、籠池に示唆したといえる。
     そしてこの年の十月十四日、籠池は夫人の諄子(じゅんこ)や長女の町浪(ちなみ)を引き連れ、御影こども園を視察に訪れた。
    「お金儲けばかり考えている雰囲気やった」
     驚いたことに、視察後、籠池の妻諄子が、そう昭恵にメールを送っていたことまでのちに明らかになる。馴れ馴れしく鼻っ柱の強い詢子らしい逸話でもある。(中略)
     加計学園の獣医学部開設が問題になったとき、マスメディアは「第二の森友」と騒ぎ立てた。繰り返すまでもなくその理由は、森友学園の瑞穂の國記念小學院と同じく、昭恵が加計学園の御影こども園の名誉園長になっていたからにほかならない。しかし順序から言えば、それは逆である。森友学園の籠池は、加計学園を真似て、昭恵を新設小学校の名誉校長に据えようとしたに過ぎない。
     またそれだけではない。籠池夫妻が御影こども園の視察をした翌一六年二月十三日のことだ。
    「英数学館小学校も見に行かれたらいいですよ」
     安倍昭恵は籠池に電話し、広島県福山市の「広島加計学園英数学館小学校」を見学するよう薦めた。実際、籠池ファミリーは電話から二日後の十五日、広島まで出向いて小学校を視察している。
     加計学園の存在は、巷でいわれてきたような「第二の森友」というより、むしろ森友を「第二の加計」と呼ぶほうがふさわしい。安倍政権を追いつめた二つの疑惑には、あまりに共通点が多い。〉

     共通点も多いが、決定的な違いがある。安倍昭恵夫人の薦めなどがあって加計学園の後を追いかけた森友の籠池夫妻は塀の中に勾留され、真似をされた加計理事長は4月獣医学部開校のカウントダウンに入った。安倍首相と一面識もなかった籠池泰典元理事長とヤマ場の年に7回も酒食などを共にする加計孝太郎理事長の運命の分かれ道──二人の“接触”の記録を本書に沿ってなぞってみよう。第二次安倍政権が発足した明くる2013年以降、二人の名前が出てくる全国紙の首相動静を拾い上げたものです。
    [2013年]
    (1)11月18日午後6時33分、東京赤坂の日本料理店「佐藤」にて加計孝太郎学校法人加計学園理事長らと食事。
    [2014年]
    (1)6月17日午後6時30分、東京・芝公園のフランス料理店「クレッセント」にて三井住友銀行の高橋精一郎副頭取、学校法人加計学園の加計孝太郎理事長らと食事。
    (2)12月18日午後7時4分、東京・銀座の中国料理店「飛雁閣」にて高橋精一郎三井住友銀行副頭取、加計学園の加計孝太郎理事長と食事。
    (3)12月21日午後6時55分、東京・赤坂の日本料理店「燻」にて昭恵夫人、加計孝太郎学校法人加計学園理事長らと食事。
    [2015年]
    (1)8月15日午後5時40分、山梨県鳴沢村の別荘にて高橋精一郎三井住友銀行副頭取、加計孝太郎学校法人加計学園理事長、本田悦朗内閣官房参与らと食事。
    (2)8月16日午前7時、山梨県富士河口湖町のゴルフ場「富士桜カントリー倶楽部」にて高橋精一郎三井住友銀行副頭取、加計孝太郎学校法人加計学園理事長、本田悦朗内閣官房参与とゴルフ。
    (3)9月21日午前7時57分、山梨県鳴沢村の「鳴沢ゴルフ倶楽部」にて加計学園の加計孝太郎理事長、友人、秘書官とゴルフ。
    [2016年]
    (1)3月18日午後6時36分、東京・赤坂の日本料理店「佐藤」にて高橋精一郎三井住友銀行副頭取、加計孝太郎学校法人加計学園理事長と食事。
    (2)7月21日午後6時25分、山梨県富士河口湖町の焼き肉店「鉄庵」にて渋谷耕一リッキービジネスソリューション社長、加計孝太郎学校法人加計学園理事長と食事。
    (3)7月22日午前7時19分、山梨県山中湖村の「富士ゴルフコース」にて渋谷耕一リッキービジネスソリューション社長、加計孝太郎学校法人加計学園理事長らとゴルフ。
    (4)8月10日午後6時21分、山梨県富士河口湖町の居酒屋「漁」にて加計孝太郎学校法人加計学園理事長、秘書官らと食事。
    (5)8月11日午前6時42分、山梨県山中湖村のゴルフ場「富士ゴルフコース」にて高橋精一郎三井住友銀行副頭取、加計孝太郎学校法人加計学園理事長らとゴルフ。
    (6)10月2日午後6時、東京・宇田川町の焼き肉店「ゆうじ」にて高橋精一郎三井住友銀行副頭取、増岡聡一郎鉄鋼ビルディング専務、加計孝太郎学校法人加計学園理事長らと食事。同席昭恵夫人。
    (7)12月24日午後6時2分、東京・丸の内の鉄鋼ビルディング南館内のエグゼクティブラウンジにて高橋精一郎三井住友銀行副頭取、加計孝太郎学校法人加計学園理事長、昭恵夫人らと食事。(いずれも肩書は当時のもの)

     著者の森功は〈全国紙の首相動静で確認できただけでも、二人は今治市の国家戦略特区構想が大詰めを迎えた一六年一年間に七回も膝を交え、語り合っている〉とまとめているのですが、2014年3回、2015年3回だったのが、認可問題がヤマ場を迎えた2016年になると7回に倍増しているのです。申請の話はしていないと言い張る安倍首相の言葉を信じろというのは無理があると思うのが普通だろう。

     疑惑が発覚して以降、一切の説明を拒んで沈黙を続けてきた加計理事長は2017年11月10日、文科省の答申を受けて「本日、13年以上にわたって構想実現に取り組み、愛媛県、今治市とともに構造改革特区で15回、国家戦略特区で1回の計16回に及ぶ申請の結果、ようやく岡山理科大学獣医学部に係る答申が文部科学省より発表されました。(中略)獣医学部設置を発想してから、紆余(うよ)曲折を経て、今回の答申にようやくたどり着きました」とコメントしました。
     確かに長い道のりでした。加計学園にとって獣医学部は計16回の申請を重ねた今治以前の前史があったと本書は明かしています。2001(平成13)年秋に加計学園の東京進出の橋頭堡となる千葉科学大学構想(千葉県銚子市)が動き始めますが、構想には当初獣医水産学部が含まれていました。結果的には薬学部、危機管理学部の2学部でスタートするのですが、獣医学部新設はこの時から加計理事長が抱き続けてきた野望でした。そして加計孝太郎による学校法人経営の歩みに寄り添うかのように、安倍晋三の足跡が、くっきりと刻まれている──筆者はそう指摘しています。

     なぜ、獣医学部なのか。〈第五章 政治とビジネス「商魂」〉より引用します。

    〈岡山理大のオープンキャンパスで配られていた獣医学部のチラシを見ると、そこには初年度の入学金や授業料が掲載されていた。獣医学科の入学金が二十二万円、年間授業料が百五十万円、そこに実験実習費の二十八万円と施設整備費の五十万円が加わり、合計二百五十万円となっている。定員百六十名(引用者注:最終申請では定員を140名に縮小)としているので、初年度に限っても四億円が大学の収入となる。二年目からは入学金がかからないが、授業料などで一人当たり二百四十三万六千円となっている。仮に六年生まで学生が埋まれば、年間十九億四千八百八十万円、トータルでざっと二十三億円が大学に転がり込む計算になる。
     また、獣医学科のほか定員六十人の獣医保健看護学科も併設されるので、こちらの初年度の授業料などが百五十三万円。同じように計算すると、加計学園には初年度九千百八十万円、四年生まで埋まると年間三億五千六百四十万円の収入となる。二つの学科を合わせると、年間収入は実に二十七億円に上るのである。〉

    “正規の学費”だけで年間27億円が見込まれるというわけですが、実は入ってくるのはそれだけではないという。筆者は、日本獣医師会顧問の北村直人(元自民党代議士)の解説によって大学ビジネスの実情に迫ります。

    〈「受験生はまず既存の十六大学を目指すでしょう。そこで引っかからなかったら、加計へ行く。仮に定員が計画どおりの百六十人だとすれば、法律上半分の八十人を推薦枠で入学させることができます。その場合、入学希望者に寄付金を持ちかけるのではないでしょうか。獣医学部に行かせるような家庭は裕福でしょうから、一人三千万円くらいの寄付を集めるのも、それほど難しくはない。寄付する側は、そのほとんどが税控除の対象になるので、節税効果もあります。で、三千万円を八十人から集めると、それだけで二十四億円。補欠合格という形で、あとから寄付金を募る手もありますので、かなりの金額が加計さんのポケットに入ることになるでしょうね」
     おまけにそこへ国からの私学助成も加わる。加計学園でなくとも、私学にとって獣医学部が垂涎の的になるはずだ。〉

     4月の開校を待つ今治市の獣医学部キャンパス。192億円という巨大な資金が投じられ、その半分が血税で賄われています。
    〈加計学園問題の本質は、忖度政治ではない。教育の自由化や特区という新たな行政システムを利用した権力の私物化、安倍をとりまく人間たちの政治とカネにまつわる疑惑である。〉
     著者の森功は『悪だくみ』をこう締めくくっています。
     加計学園からパーティ券代という名の裏献金を受け取っていた元文科大臣の下村博文代議士とその妻、落選中は千葉科学大学客員教授を務め、後に首相補佐官として国家戦略特区の獣医学部新設を強力に押し進めた萩生田光一代議士、そして安倍昭恵夫人。安倍首相と加計孝太郎理事長を取り巻く人間たちがはたした役割とはなんだったのか。

     1月22日に通常国会が始まります。しかし政府与党からは森友のモも、加計のカも出てきません。野党が真っ先に奮闘すべきは、「アベ友」への利益誘導を図る権力の私物化の徹底解明である。「モリ・カケ疑惑」を忘れさせようとする、いかなる策略も許してはならない──強い思いに貫かれた調査報道の好著をいまこそお読みいただきたい。(2018/1/19)
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    投稿日:2018年01月19日
  • 〈雪なんか降らなくても完璧な、三十二年間で最高のクリスマスだった。〉

     クリスマスの夜に読み始めた有川浩『キャロリング』のラスト一文を読み終えたのは、2017年最後の夜でした。
     ともに32歳の二人の主人公――大和俊介(やまと・しゅんすけ)と折原柊子(おりはら・とうこ)に訪れた「奇跡のクリスマス」で物語が終わります。読む前から結末がわかってしまう「ネタバレ」、読む楽しみが減ると文句を言われそうですが、あえてラスト一文からこの原稿を書き始めました。この一文に「有川浩らしさ」が凝縮されていて、それを知りわかったうえで読んでこそ、この物語の味わいは一層深まると思うからです。文芸評論から出発して時事・政治・社会まで多彩な才を発揮している評論家の斎藤美奈子氏は『名作うしろ読み』(中公文庫)で「お尻がわかったくらいで興味が半減する本など、最初からたいした価値はないのである」と喝破しています。

    〈こちらを向いた銃口にはまるで現実感がなかった。〉
     と始まる物語の書き出しは、ラスト一文とはまるで違い、ハードボイルドの世界です。何が始まるのか──思わず息を呑むプロローグ。こう続きます。

    〈自分の人生に銃を向けられるようなことが発生するわけがない。──これまで積み重ねてきた彼の常識がその状況を夢の中の景色のように補整した。
     思わず手を動かして向けられた銃を脇へ押しのけようとしたのは、あまりに非常識な状況を、とっさに飲み込むことができなかったのかもしれない。よせよと悪い冗談でもたしなめるように、手は無造作に、無意識に動こうとした。
     銃口と一緒にこちらを睨(にら)む荒(すさ)んだ目が針のように細くなった。
     言葉はなかった。
     銃を向ける男は一度狙(ねら)いをよそに外して、黙って引き金を引いた。消音器がついているのか音は籠(こ)もった。だが、説得力のある破裂音が現実感を一気に追い着かせた。
    「不用意なことをするなよ」
     男は平坦な声で咎(とが)めた。引き金を引いたことによる何の動揺も興奮もなかった。男にとって、それは日常ありふれた動作の一つに過ぎないのだ。〉

     銃口を向けられているのは大和俊介。銃口は、いつ火を噴くのか。引き金はそれを引くことが何ら非日常でない者の指にかかっています。それでも、男の恫喝にハイ分かりましたと従いたくなかった大和──。

    〈「その子はうちで預かった子だ。俺はその子を守る義務がある」
     は! と男が声を上げて笑った。高く弾(はじ)けた笑い声には、響きと裏腹な感情が獰猛(どうもう)に渦巻いている。
    「キレイな御託をありがとう──よ!」
     暴力は突然爆発した。男は彼に向かって一歩踏み込み、銃把(じゅうは)で彼の横っ面を強(したた)かに殴りつけた。よろめいたところに真上からまた殴打が重ねられる。たまらず地べたに潰(つぶ)れた。
    「さぞやいいお育ちなんだろうな! たとえ銃を突きつけられても、曲がったことはできませんってか!? 脅しに屈するくらいなら死を選びますってか!?」
     言葉に一つ息を入れるごとに男が靴先を蹴り込む。蹴り込まれるたびに息が止まる。
    「やめてよ死んじゃうよ!」
     少年が涙声で叫ぶ。
    「逆らわないでよ大和(やまと)! 謝って!」
     ……うっせぇ、と口の中で吐き捨てる。ガキのくせに大人を、
    「呼び捨てすんなって言っただろ! しばくぞ!」
    「しばかれてンのはお前だよッ……!」
     靴先が鳩尾(みぞおち)に入った。体が勝手にくの字に折れ曲がる。
     彼の頭の真横に男が膝を突いた、と思うや男は彼の髪を掴(つか)んで上体を引き起こした。
    「こんな状況でキレイな意地を張れるくらい恵まれた育ち方してきたんだろ? そこのガキも」
     男がぐるりと頭を巡らせて少年を見る。少年が眼差しに射られたように竦(すく)んだ。(中略)
     男の荒んだ目は、言葉を重ねながらますます荒んだ。この目には覚えがある。──遠い昔、鏡を見ると毎日この目が見返してきた。
     ああ、そうか。──この男は俺だ。
     あの目のままで大きくなった俺だ。
     かわいそうにな、と口からこぼれ落ちていた。
     聞き咎めた男の顔色が変わる。
    「今、何て言った」〉

     涙声で叫ぶ少年は、東京月島の集合ビルに事務所を構える小規模子供服メーカー「エンジェル・メーカー」が3年前に始めた「スクール」事業──学童保育に通う田所航平(たどころ・こうへい)、小学校6年生。
     航平の眼前で荒んだ目の男の爆発する暴力に晒されている大和俊介は「エンジェル・メーカー」の営業担当社員です。
     わずか5名の会社ですが、廉価でセミオーダー服のシリーズを取り揃えるなど、小規模ならではの小回りで厳しい業界を生き抜いてきました。しかし、主要取引先である大型量販店の閉店で経営に打撃を受けて、その回復が叶わないまま年越しを待たずに倒産することになった。12月の朝礼で社長の西山英代(にしやま・ひでよ)が、〈今月の締め日を以て廃業〉することを明かしてぺこりと頭を下げた。毎月の締め日は25日。クリスマス倒産というわけですが、倒産で大和は職を失い、航平の学童保育も終わります。

    〈「かわいそうにな、と言った」
     どうやら引っ込みがつかなくなったうえにうっかり口を滑らせて死ぬルートだ。
    「お前には不幸の比べっこしても仕方ないでしょって言ってくれる人がいなかったんだな」
    「……分かった」
     男の表情が削(そ)げ落ちた。
    「お前は今死ね」
     大和俊介(しゅんすけ)、享年三十二──墓碑銘どうする?
     男は思いつくまで待つつもりはないようだった。〉

     事の発端は、航平です。航平の両親は別居中。日本橋に本社を置くステラ化粧品でバリバリ働くキャリアママは年明けにはハワイへの転勤が決まっています。同じ会社でうだつが上がらなかった父親は横浜の実家に戻り、会社も辞めます。
     学童保育の時、航平がノートを広げて黙々と何か書いている──自身を主人公に描く家族の物語だ。

    〈町の中の小さなおうちに、三人家族が住んでいました。
     働き者のお母さんと、のんびりやのお父さんと、一人息子のわたるです。
    三人家族は笑ったりけんかしたりしながら、毎日仲良くくらしていました。
     そんなある日の夜、お父さんとお母さんがひどいけんかになりました。
     でも、朝になったらきっと仲直りしているだろうと思って、わたるは先に眠ってしまいました。今までも家族でちょっとしたけんかになるのはよくあることだったからです。
     ですが、わたるが朝起きると、お父さんがいなくなっていました。
     夕べのけんかの後、お父さんは家を出て行ってしまったのです。
     ……〉

     青天の霹靂(へきれき)だった。両親には離婚などせずにやり直して欲しい。お父さんに会いに行こうと決心する航平。その航平に懇願されて父親のいる横浜の整骨院に連れて行くことになったのが、同僚で大和の元恋人の折原柊子です。
     母親の承諾を得ないまま、会社には英会話教室の付き添いと偽った。月島で地下鉄に乗り、JRを乗り継いで桜木町へ。紅葉坂を歩いて整骨院に着いた二人は思いがけない場面に遭遇します。

    〈「ふざけんな!」
     身の竦(すく)むような胴間声が鼓膜を打った。
     柊子がびっくりするほどすばやく前に出て、航平を抱え込むように背中に庇(かば)った。
    「死んだじいさんの借金なんだよ! 孫のお前が返すのが筋ってもんだろうが!」
     受付で怒鳴っているのは、品のないスーツを着崩した輪郭の四角い男だ。一見して堅気でないと分かる風貌(ふうぼう)だった。
    「おいおい」
     止めに入ったのは、着崩してはいないがやはり普通のサラリーマンが選ばない色柄のスーツを着た男である。鋭角なデザインの眼鏡フレームが、情の薄そうな顔立ちを際立たせていた。
    「そんな下品な声を張り上げるもんじゃない。お客がびっくりしてるじゃないか」〉

     女性院長の祖父に金を貸したという二人組が取り立てに来て、受付前で暴れているところに飛び込んでしまったのです。年明けのハワイへの引っ越し前に両親に仲直りして欲しい航平の横浜行きに柊子だけでなく大和も加わりますが、暴力的な借金取りを装う二人組と出会ったことから、彼らはまったく思いもしなかった事件に巻き込まれていきます。

     後20日。後14日。後7日・・・・・・
     会社のホワイトボードに手書きされたエンジェル・メーカー終焉の日までのカウントダウンが進んでいく。
    〈俺たちは恵まれてないんだから恵まれてる奴からちょっとくらい横取りしてもいいはずだ〉
     荒んだ目は、言葉を重ねながらますます荒んでいく。
     それに対し〈不幸の比べっこをしても仕方ない〉と知って自分だけが割を食っていると荒んだ目を過去のものとした大和が航平、航平の父とともに絶体絶命の危機に直面させられている。そして別室に捕らわれている柊子も。

    〈赤木さんがわたしのために手を汚したら苦しい〉
     の一文が胸に刺さります。
     大事な人を思うまっすぐな気持、そしてそれを伝える言葉が氷のように固く閉ざされた心を溶かしていく奇跡──有川浩が描く感動の物語をじっくり味わってください。
    (2018/1/12)
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    投稿日:2018年01月12日
  • 〈「裁判傍聴業」を自認していた作家・佐木隆三さんはもういません。第2弾はいつか。待っています。〉
     第1弾の『母さんごめん、もう無理だ きょうも傍聴席にいます』(幻冬舎、2016年3月9日配信)を紹介するレビューの最終行に期待を込めて書き留めて(2016年5月13日公開)1年半。待望の第2弾『きょうも傍聴席にいます』(幻冬舎新書)が2017年11月末にリリースされました。朝日新聞デジタルの連載「きょうも傍聴席にいます」2016年2月~2017年7月掲載分28作が収録された。執筆は「朝日新聞社会部」とありますが、大半は入社10年未満の若手記者です。。
     三橋麻子・社会部次長は、
    〈いわゆる「駆け出し」だ。私は全作の記事の監修をしたが、若手だからこそより新鮮で自由な感覚で表現し、それがまたこの連載の魅力になっている〉
     “駆け出し記者”だからこその魅力を本書「あとがき」で強調しています。

     巻頭収録の「絶対君主が支配する虐待の家」は、〈今回掲載した傍聴記のうち、特に多くのアクセスを集めたものの一つ〉だと、三橋次長の「あとがき」にあります。
     光黒祥吾記者の傍聴記は、以下のリード文で始まります。

    〈「絶対君主」。自らそう名乗る祖母と、付き従う母。二人の10年以上続く壮絶な虐待に、女子高生は殺害を決意した。計画を打ち明けられた姉がとった行動は──。〉

     2016年2月23日、札幌地裁806号法廷。
     母と祖母を殺した三女(18)を、睡眠導入剤や手袋を用意して手助けしたという殺人幇助の罪で起訴された長女(24)が証言台に立った――。

     事件現場は、札幌市中心部から東に約25キロ、北海道南幌町の閑静な住宅街。
     姉妹は祖母と母との4人暮らしだった。両親は10年ほど前に離婚。次女は父と暮らしていた。祖母と母は幼いころから三女を虐待し続けてきた。長女は祖母に従順という理由で、虐待を受けることはほとんどなかった。そんななかで、孫(娘)が祖母(母)を殺すという凄惨な事件は起きた。
     2014年10月1日午前0時半。当時高校2年生だった三女は自宅で就寝中の母(47)と祖母(71)を台所にあった包丁で刺して殺害した。二人の遺体には多数の刺し傷があった。三女は殺害後、家を荒らし、強盗による犯行に見せかけていた。

     裁判員の前で弁護人の被告人質問に答えた長女の証言――。
    〈弁護人「(三女は)祖母と母が嫌いだったのですか」
     長女「はい。祖母に暴力を振るわれ、母はそれをただ見ているだけでした」
     弁護人「どんなことをすると祖母は暴力を振るうのですか」
     長女「家の中を歩いていたら、突然たたかれていました」
     弁護人「祖母は三女を嫌いだったのですか」
     長女「『子どもは一人でいい』と言われていました。『犬猫みたいで嫌だ』とも」
     弁護人「暴力を振るわれて、(三女が)泣いたりすると祖母はどうしましたか」
     長女「うるさいと言って、声が出ないようにガムテープを口に巻きました。涙でテープがぐちゃぐちゃになってとれそうになると、口から頭にも巻き付けていました。鼻が少し出るか出ないかくらいの状態でした」〉

     三女は小学校に上がる前の2004年2月、児童相談所に一時保護されたことがあります。祖母に足を引っかけられ、頭に重傷を負い、児童相談所が「虐待の疑いがある」と判断したのですが、しかし、解決に至らなかったばかりか、三女に対する虐待がエスカレートする。

    〈弁護人「方法が変わったのですか」
     長女「床下の収納部分に閉じ込められたり、冬でも裸で外に出されたりして水をかけられていました」

     2月24日、裁判官からも虐待の内容を問われた。

    裁判官「今まで見た妹の虐待で一番ひどいのは」
     長女「食事が一番印象に残っています」
     裁判官「どのような」
     長女「小麦粉を焼いて、マヨネーズをかけて、生ゴミを載せられていました。はき出しても、無理やり口に入れられて、食べさせられていました」
     裁判官「生ゴミというのは、台所の三角コーナーにあるようなものですか」
     長女「台所の排水のところにあるものです。柿やリンゴの皮やへた、お茶の葉が多かったです」〉

     そして、交際する男性と札幌で暮らしたいと考えるようになった長女が、「家を出る」ことを三女に伝え、ひとり祖母と母の元に残される三女にとってはそれが直接的な動機となった。
     検察官によって読み上げられた供述調書に、三女の胸中がうかがえます。どうすれば一緒に住めるか思いつかず、長い沈黙が続いた後で長女がこぼした愚痴――「「おばあちゃん、いなくなればいいのに」。
    〈二人は、祖母と母がこの世からいなくなるという妄想に会話を弾ませた。車のタイヤをいじれば事故死に見せかけられる。強盗に入られて、二人だけやられればいいのに。殺し屋を雇ってみようか──。
     長女はストレスを発散するように冗談半分で話していた。だが、三女は違った。「これまでも殺すことを考えたことはあったが、一人で全部やるのは無理だと思っていた。でも、姉も同じ気持ちだと知った」(中略)
     長女は「いざとなったら殺害することなんてできない。高校生ができるわけない」と思っていたが、三女は心を決めていた。「姉は『本気なの?』と聞いてきたが、計画は完全にできていた。殺すとき、殺した後のことを何度も想像した」〉

     三女は逮捕され、今は医療少年院にいる。懲役3年執行猶予5年の判決が確定した長女は、交際相手との間に子どもができ、〈妹が戻ってきたら、今まで感じられなかった家族というものを感じられるよう一緒に生活したい〉と、その日を待っているという。

     この「絶対君主が支配する虐待の家」のほか、記者たちが傍聴を続けた裁判は様々な人生を映しだし、人びとの胸に秘めた思いに光をあてていきます。
     両親が3歳の我が子をウサギ用のケージに閉じ込めて死なせた事件「ラビットケージに消えた悲鳴」
     認知症の母を介護していた父と娘の心中(未遂)事件「親子3人が入水した絶望の川」
     突然のがん宣告から9か月、妻に先立たれた男と二人の娘が選んだ悲劇の結末「妻失い、娘と出した結論は……」
     法廷で罪に問われたのは母親ではない当時18歳の少女「渋谷の闇で息絶えた赤ちゃん」

     ・・・・・・どの裁判も、そしてそこで裁かれる「被告人」の誰も、特殊なものではありません。皆、私たちが暮らしている社会と地続きなのだ。
     第二次安倍政権誕生5年の節目に実体なき「アベノミクスの成果」とやらが喧伝される一方で、親による虐待殺人が頻発するなかで迎えた2018年――国民の多くが疲れきっている。(2018/1/5)
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    投稿日:2018年01月05日
  •  私たちの社会についての、驚くべき数字がある。
     日本では今、少なくとも、1日に1万件以上の“ワリキリ”(フリーの売春活動)が成立し、月に1度以上の頻度でワリキリを行う女性が、少なくとも10万人前後は存在していると考えられる、というのだ。
     100人超のワリキリを行う女性たちの証言を集めて記録した『彼女たちの売春(ワリキリ)』著者の荻上(おぎうえ)チキが、出会い系サイトでやりとりされているメールの件数から確認した数値です。「少なくとも」とことわっていることに示されているように、一時期はワリキリを行っていたものの、「卒業」した女性の数は、その何倍にものぼるだろうし、出会い系サイトを使わず出会い喫茶(デカフェ)を利用している女性を含めれば、その数はさらに膨らむだろう。
     それでも、〈風俗、裏風俗、たちんぼ、援デリ、裏デリ、愛人契約など、形態や濃淡がさまざまな売春〉があり、ワリキリは売春市場全体の、ある一角を占めるものでしかありません。ニュースサイト「シノドス」編集長であり、気鋭の評論家として注目される著者はなぜ、売春市場の一角であるワリキリにこだわり、出会い喫茶、出会い系サイトの利用者へのインタビューを重ねたのか。「特殊な職業」を選んだ(選ばざるを得なかった)彼女たち。百人百様の、それぞれの事情から浮かび上がってきたのは、けっして個人には還元できない現代日本社会の「貧困」問題である。
     著者はタイトルの『彼女たちの売春』の「売春」に「ワリキリ」とルビをつけ、副題を「社会からの斥力、出会い系の引力」としました。彼女たちを社会からはじき出す圧力が働く一方で、行き場をなくした彼女たちを引き込んでいく出会い系メディアの存在が、ワリキリの背景にあるという問題意識を示しているように思えます。

     あず、25歳。高卒。風俗経験なし。離婚準備中――著者が地方都市の出会い喫茶で出会った女性だ。彼女がワリキリを始めたきっかけは、出会い喫茶店員の一言だった。プロローグから引用します。

    〈彼女は子どもの頃から、親からの理不尽な罵倒と暴力を浴びせ続けられて育った。高校を卒業してすぐに家出をし、放浪中に出会ったひとりの男と結婚をしたが、夫となったその男もまた、激しい暴力を振るうようになった。そんな生活にも耐えられなくなった彼女は、再び家を飛び出すことになる。わずかなお金をもとに漫画喫茶(マンキツ)で暮らし、街をさまようなかで見つけたのが、出会い喫茶(デカフェ)だった。
     出会い喫茶の店員から、彼女は「ワリキリ」という言葉を教わる。お金だけで割り切った、大人の関係。カジュアルな言い回しを装ってはいるが、ようは売春行為(ウリ)のことだ。
     セックスをすれば、まとまった額のお金になる。お金に困った女の子で、ワリキリに手を出す子は多い。君なら、そこそこ稼げるようになるはずだ――。そう聞かされた彼女は、その日からワリキリを始めることにした。
     緊張と不安感を押し殺し、喫茶で相手方となる男性をつかまえ、ただ淡々とセックスをし、お金をもらう。彼女にとってそれは、とても簡単で、とても不快な「作業」だった。初めてのワリキリを終えた彼女は、大きくため息をつき、手にしたお金をそそくさと財布の中にねじ込んだ。そして漫画喫茶に帰るのではなく、その足でまた、出会い喫茶へと戻っていった。すぐにでも次の客をつかまえるために。〉

     住むところさえない貧困の中で出会った「君なら、そこそこ稼げるようになるはずだ」の一言。“ワリキリ”への一線を越えた彼女はそれから4か月間、漫画喫茶と出会い喫茶を往復する日々を続けたという。

    〈彼女の売春価格は、セックス一回1万円。この価格は、地域相場と比べても、格段に安い部類に入る。彼女は決して見た目が一般の女性よりも劣るというわけでもなく、どちらかといえばコケティッシュなほうだと思う。だが、彼女はそもそも、「相場」を知る機会がなかった。彼女が利用していた出会い喫茶が、極端に利用者が少ない店舗だったため、女性同士が交流する機会がなかった・・・〉

     著者は、あずの話は現代では実にありふれた話のひとつだ、と続けています。冒頭で触れた“1日1万件以上のワリキリ”の推計からわかるように、日本には今、「ワリキリ」と呼ばれる、フリーの売春活動を行っている女性が山ほどいる。あずはそのなかのひとりで、けっして特別な人生を歩み特殊な職業に辿り着いたわけではありません。

     彼女たちがワリキリを選んだ理由とは? 多くの肉声が記録されていますが、ここでは二人だけ紹介します。

    ・まい 22歳
    〈非風俗の男性向けエステ店の面接に行ったところ、「君にはこっちのほうが向いているのでは」と、系列店の出会い喫茶を勧められた。しばらくは茶飯だけで稼いでいたが、次第に本番も行うようになった。〉
    ・チカ 32歳
    〈この年だし、病気だし、働く場所なんてないし。でも東京に来て、私でもこれなら人にご奉仕できますよっていうのが、これ(ワリキリ)で。(中略)自信をなくしている男の人とかもいるから、奉仕活動みたいな感じ。自分に向いている仕事、みたいな。ただ、自分が服脱いだりしなきゃ、最高なんですけど〉

     まい、チカの二人はもともと昼職で働いていたが、精神を患って以降、昼職で働くことが困難になったという共通項があるという。長時間の労働は困難だが、お金は必要だ。高収入を得られて、短い時間ですむという、「ワリがいい、キリがいい」の両方が揃った条件の仕事は、ほかにはそうそうない。そこに出会い系メディアの引力が発生するわけですが、これを社会問題として捉えることを回避して、個人の問題として切り捨てようとする考え方が根強く残っています。かつての貧しかった時代ならともかく、豊かな先進国である今の日本で「売春をしている者」は、「道徳」や「気持」に問題のある例外的な存在だとの主張だ。
     実際、どうなのか? この疑問から出発した著者の荻上チキは、風俗店には所属せずにフリーランスで働く女性たちの肉声を集めました。出会い喫茶や出会い系サイトで実際にアポを取り、100人を超えるワリキリ女性にインタビューし、アンケートを行った。その取材・調査活動は、東京や大阪といった大都市だけでなく、北海道から沖縄まで全国規模に拡がった。
     そうして集められたワリキリ女性個々の事情を徹底的に掘り下げ、検証したミクロ情報(肉声)と、地域ごとの価格差や売春形態の差異、学歴構成などを統計分析したマクロデータによって、本書は単なるワリキリ女性のルポではなく、私たちの社会についての優れたフィールド調査の報告となりました。巻末に収録された「ワリキリ白書」は、著者の独自調査と戦後に行われた売春調査から主要なものをピックアップして比較した資料性の高いものとなっています。なお、このフィールド調査は、もともと雑誌『週刊SPA!』(扶桑社)の連載として始まりました。連載の共著者である経済学者の飯田泰之(明治大学准教授)が、経済学的・統計的アプローチでまとめた『夜の経済学』(扶桑社、2014年1月10日配信)も注目です。著者は〈この二つの本は双子の関係にある〉としています。

     異色のフィールド調査に多くの時間を費やしてきた著者の、次の言葉でこの稿を閉じようと思う。
    〈ワリキリという売春形態は、現代の日本社会がいかなる状態にあるのかをあぶり出す。売春の内実は多様であり、ひとくくりにできるものではないけれど、ある傾向が見いだせることもまた事実だ。つまり、いくつかのリスク要因が、彼女たちの行動に大きな影響を与えている、ということだ。
     この社会はとても脆弱なもので、いかにも頼りない。だからこそ彼女たちは、生き延びるための手段として、ワリキリを選択した。彼女たちの人生には、とても複雑な物語がある。ただ、物語は一人ひとり異なるけれど、その展開などは似通っている部分も非常に多い。
     彼女たちがなぜワリキリを続けるのか。その理由に耳を傾けることは、すなわちこの社会がどのような状態にあるのかを明らかにする作業でもある。彼女たちの営みは、あなたが生活しているこの世界のすべてと地続きにある。〉
    (2017/12/29)
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    投稿日:2017年12月29日
  •  No Man’s Land――相対峙する軍隊の間のどちらの支配下にもならない中間地帯、緩衝地帯(小学館『ランダムハウス英和大辞典』より)。
     誉田哲也はなぜ、累計400万部突破の「姫川玲子シリーズ」の最新作(9作目)のタイトルに、戦争によって生じた空白地帯を意味する「ノーマンズランド」という言葉をもってきたのだろうか。
     波が打ち寄せる海岸に一人立つ女性の後ろ姿のイラストに白抜きのタイトル文字。最初にブックカバーを見た時、「なぜ、ノーマンズランド?」の疑問が湧き、その疑問は次第に大きな興味に変わっていった。
     ノーマンズランド――ボスニア戦争を描いてカンヌ国際映画祭(脚本賞)、アカデミー外国語映画賞などに輝いたフランスの反戦映画(2001年公開)がよく知られていますが、誉田哲也はこのタイトルで何を描こうとしたのか。ちなみに電子書籍本文を全文検索しても、「ノーマンズランド」は出てきません。本文中では使われていない言葉です。

    「警視庁捜査一課の死に神」の異名を持つ姫川玲子を主人公とする警察小説シリーズ最新長編。物語はこう始まります。

    〈初海(はつみ)が一体、何をしたというのだ──。
     俺はそればかり、何年も問い続けている。
     俺が、最初に彼女のことを知ったのはいつだったか。正確なことは覚えていない。でも、中学二年か三年のときにはもう、知っていたように思う。〉

     同じ中学のバレー部の女子たちが「南中の庄野さんは、ほんと凄い」と言っているのを聞いていた俺――江川利嗣(えがわ・としつぐ)は、バレーボールの強豪校として知られる埼玉県立朝霞東高校でその庄野初海と一緒になる。二人は徒歩通学組で家も近かったことからぎこちない会話を交わすようになり、早朝に待ち合わせて陸上自衛隊朝霞基地の周りを一周するのが日課になった。
     ともに期待の選手としてインターハイ出場を目指していた高校2年の冬休み。初海が練習中に足首の靱帯断裂の大怪我を負い、選手を続けることを諦めて男子バレー部のマネージャに。3年になって江川利嗣はスポーツ推薦で大学に入れそうだったが、初海は同じ大学を目指して猛勉強に取り組む日々――日課の早朝ジョギングは続いていたし、二人には高校生らしい“青春”があった。

     初海の入院中、江川は一日おきに見舞いに行った。病室での会話――。
    〈「いや、だから……好きだから」
     初海は真顔で、黙って聞いている。
     俺が、続けるしかなかった。
    「その……誘ってきたのは、初海、だったかも、しんないけど……好き、だったから……初海のこと、好きだったから、一緒に、走れて……嬉(うれ)しかったっていうか……まあ、そういう気持ち……です」
     すると、今度は口を尖(とが)らせ、初海はちょっと斜め上を見上げた。俺の方ではなく、反対の窓の方だ。
    「それなら、まあ、いいけど……私も、江川くんのこと、好きだったし……もう、バレーは、選手としては、無理だから……少なくとも、三年の引退までに、今までみたいな、今までと同じスパイクを打てるようには、戻せないと思うし……」
     初海の目に涙が浮かんでくる。でも同じように、たぶん俺の目にも、浮かんできていた。〉

     部活引退後の二人――。
    〈「私も一応、長谷田(はせだ)受けるよ。そしたら、一緒に通えるし」
    「ああ。そしたらさ、また初海も、バレー始めりゃいいじゃん」
     そんなこともサラッといえるくらい、あの怪我からは時間が経(た)っていた。初海の足も回復していた。
    「えー、もう無理だよ。全然、体が追いついていかない」
    「そんなことないって。初海ならできるって」
    「えー……私それより、大学入ったら、なんか楽器やってみたい。フルートとか、オーボエとか」
     初海が楽器をやるなんて、考えてみたこともなかった。でも、悪くない気はした。
    「フルートはともかく、なんでオーボエなんだよ。っつか、オーボエってどんなんだっけ」「こういうの。縦笛の、なんかもっと複雑なやつ」
    「ほんとはよく知らないんだろ」
    「知ってるよ。っていうか、普通みんな知ってるから」
     あの頃の俺たちは、バレーボールというそれまでの共通言語を抜きにした、新しい関係を模索していたのだと思う。新宿に映画を観にいったり、渋谷に美味(おい)しいものを食べにいったり、原宿に服を買いにいったりした。同じ年頃のカップルと比べたら、少し幼稚だったかもしれないが、でもそれで充分、俺たちは楽しかった。幸せだった。時間はいくらでもある。ゆっくりと今を楽しみたい。そんな気分だった。〉

     大学生活への夢を語り合い、若者として“青春の日々”を普通に生きていた二人――。
    〈それなのに──。
     ある日突然、初海は俺の前から、姿を消した。〉

     江川利嗣は大学2年の夏で大学を辞め、陸上自衛隊に入隊する。
    〈初海は……北朝鮮の工作員に、拉致された可能性がある〉
     埼玉県警の警察官である初海の父からもたらされた情報が頭から離れることはなかった。

    〈俺は大学に通い始めたものの、勉強にもバレーボールの部活にも、まるで身が入らなかった。先輩や同級生と話していても、頭の中はいつも初海のことで一杯だった。
     今こうしている間も、初海はあの、貧しい北の荒野で泣いているに違いない。何をされ、何をさせられ、どんな思いをしているのかなど、想像したくもなかった。ただ、泣いていると思った。
     ずっとずっと、初海は海の向こうで泣いていた。
     いつもいつも、初海は俺の中で泣いていた。
     泣きながら、俺に訴えてきた。
     江川くん、助けて。早く、助けにきて、江川くん──。
     こんなことをしている場合ではないと思った。大学もバレーボールも、もうどうでもよかった。初海を助ける、拉致被害者を救出する、そのことばかりを考え続けた。〉

     自衛隊唯一の空挺部隊であり、当時、最も特殊部隊に近い性質を持つといわれた第一空挺団を目指した。そのために極限状況下で90日間続くレンジャー課程の訓練に耐え抜いた。

    〈初海をこの手で救出する。日本に連れ帰る。必ず連れ戻す。(中略)
     今も初海は俺を待っている。俺が助けにいくのを、泣きながら待ち続けている。こんなところで諦めて堪るか。倒れて堪るか。死んで堪るか。俺は、たとえ一人でも初海を助けにいく。背負ってでも、そのまま海を泳いで渡ってでも、初海をこの日本に連れて帰る。〉

    「初海を日本に連れ帰る。必ず連れ戻す」特別な思いを胸に秘めた江川利嗣の闘い。それと並行するように、警視庁葛飾署に設置された「青戸三丁目マンション内女性殺人事件」特別捜査本部に入った姫川玲子班の捜査が動き始めます。
     被害者は、長井祐子、21歳。協立大学文学部、英米文学科4年で、1DKの自宅マンションのベッドに、仰向けの状態で死亡していた。顔面、胸部、腹部に複数、殴打されたような生活反応のある打撲痕があるものの、骨折等はなかった。死因は、頸部に扼痕があることから、扼頸による脳循環不全及び窒息と考えられる。つまり、殴られた挙句に首を絞められて殺された、ということだ。
     採取された現場指紋に「当たり」が出ます。大村敏彦、32歳。21歳のときに、傷害で前科一犯、3年の執行猶予となった男。写真はどう見ても元ヤン丸出しの顔で、大村の住まいは被害者のマンションとは500メートルと離れていない。
     幸先いいスタートだったが、すぐに意外な壁に突き当たります。大村がまったく別の殺人事件の容疑で逮捕され、警視庁本所署に留置されていることが判明。被害者が「サクマケンジ」という50がらみの男性だということ以外、情報はなにもありません。姫川はコンビを組む湯田康平(元姫川班、亀有署)と本所署に出向く。しかし、応対に出た刑事課長はけんもほろろの対応で、単なる縄張り争いではなく、裏になにかあると直感する姫川。何を隠しているのだ?

     姫川と湯田が本所署を訪ねた後、警視庁捜査一課殺人犯捜査第八係の勝俣健作に電話が入り、こんなやりとりがあった。勝俣警部補は、公安上がりの衆院議員、鴨志田勝自民党広報本部長につながる曰く付きの刑事だ。
    〈『死神がこっちにきましたよ。大村に会わせろって』
     死神? 姫川玲子が、本所署にいったのか。
    「なんだそりゃ」
    『勝俣さんが入れ知恵したんでしょう』
    「知らねえよ。なんの話だ」
    『姫川は今、葛飾の特捜で女子大生殺しを調べてます。そっちでも大村の名前が出たようです。今、下手な横槍(よこやり)入れられたくないんですよ。しっかり処理しといてください』
     フザケんなよ、こら。
    「おい、人にものを頼む態度か、それが」
    『よろしくお願いしますよ、勝俣先輩』〉

     そんなことを知る由もない姫川玲子は、大村敏彦が被疑者となっている「佐久間健司殺害事件」の情報を求めて、東京地検公判部の武見諒太検事に接触を図ります。警察と検察の間のルールを逸脱した単独行動だ。姫川らしい動き方ですが、受ける検事も普通ではありません。ちなみに武見検事は、玲子と初めて会う場所として西麻布のバーを指定するなど、並の検事とは異なる言動が際立つイケメン。シリーズ初登場の新キャラクターです。

    〈「姫川さんは、大村について知りたいんだよね。俺は、申し訳ないけど、彼について多くを知らない。でも、ちょっとクサい事件だなと、思ってはいたんだ。刑事部に……もちろんウチのね、地検刑事部に、少し丁寧に見るようにはいっておいた。ただ、結局のところ……下手な証拠と調書を喰わされて、恥を掻くのは俺自身だからね。ある程度、自分で納得できるところまで調べてみようと思ってたんだ。俺、刑事部が長かったからさ。捜査は、決して嫌いじゃないんだ」
     武見が、ぐっと身を寄せてくる。
    「……あなたにその気があるなら、俺は、組んでもいいと思ってるんだ。どうする」
     検事が、別件を捜査している刑事と、組む?〉

     翌朝7時。武見からメールが送りつけられてきた。検視のときに撮影された、佐久間健司の遺体の顔写真が添付されていた。正面と横顔、というか、仰向けに寝かされているのを真上から撮影したものと、左側から撮影したものの二種類だった。
     姫川玲子はそれらの遺体写真から似顔絵を起こし、聞き込みに回ると同時に、繁華街で指名手配犯の顔がないか、毎日、何時間も何時間も見続けている「見当たり捜査班」の協力を仰ぐ。数百の手配犯の顔の特徴を頭にたたき込んだ職人集団だ。
     さらに武見検事から全身の遺体写真を手に入れます。20枚以上のそれを、特捜に持ち込んで密かにプリントアウトするのはさすがに難しい。要町の自宅に帰り、携帯をパソコンに接続。プリンターから1枚、1枚排出されてくる写真を床に並べていく。
     首、左右の肩、上腕、前腕、拳、胸部、脇腹、下腹部、股間、男性器、大腿部、膝、脛、足。引っ繰り返して、背部を収めた写真もある。最初に入手した頭部の写真――短髪、白髪交じり。額、眉、鼻、頬骨、耳、もみ上げ、口の周りには無精ヒゲ。

    〈待って、まさか、そんな──。
     恥ずかしながら、玲子に男性経験というものは、まったくゼロではないものの、極めてそれに近いといっていい。なので、男の体をよく知っているとは、とてもではないがいえない。
     ただし、死んだ男の体ならよく知っている。全裸で、身動き一つしない、全体に変色した男の体なら、冗談でなく腐るほど見てきた。
     その経験からいうと、これらの遺体写真には大変な違和感がある。〉

     姫川玲子は、今年の3月で東京都監察医務院を定年退職した國奥定之助(くにおく・さだのすけ)を訪ねます。お気に入りの玲子を「姫」と呼ぶ國奥に「違和感」を確かめる。はたして名監察医の判断は?

     姫川の前で「事件」はまったく異なる姿を見せ始めます。
     国家の思惑が絡み、事件の隠蔽に動く与党政治家。その指示を受けて動く刑事。
     それでも、真相に迫ることをやめない姫川玲子。
    「彼女を必ず日本に連れ帰る」と思い続け、日本海に向かった自衛官は?

     ノーマンズランドを覆う、言いようのない寂寥感が読むものの胸中に広がってくるようだ。
     永田町の深い闇に光を当てる社会派ミステリーの新たな傑作の誕生です。(2017/12/22)
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    投稿日:2017年12月22日
  •  わが家の朝は、炊きたてのご飯と熱い味噌汁で始まります。
     食卓にパンが並ぶことはない。パンが嫌いなわけではありません。それでも朝ご飯はやっぱり米です。
     朝は米に限る・・・・・・そんな暮らしを30年以上続けていて、“米派”を自認している身としては、書店店頭で『シンマイ!』の書名、刈り取った稲を両手で頭上に掲げた若い男のイラストがなんだか楽しそうな文庫本カバーを見つけたら、どんな本か手に取って確かめてみないわけにはいきません。時は10月中旬――新米の季節だ。
     著者の浜口倫太郎は、2010年デビュー、38歳の新進作家、脚本家。電子書籍も本書(2017年11月10日配信)のほか、『神様ドライブ』(2017年2月24日配信)、『廃校先生』(2017年10月13日配信)の2冊、計3冊が講談社から配信されていまが、作品を手にしたのは『シンマイ!』が初めて。

     書店店頭でページをなんとなくめくっていて、えっ、と目が止まった。中ほどに近い十数行だ。

    〈翔太は感激の声を上げた。
    「うめえ! むちゃくちゃうめえじゃねえか。じじい」
    「うるせえ、味がわからねえだろ」
     喜一が不機嫌そうに返し、ゆっくりと箸を持ち上げた。米をつかみ、口に運ぶ。まぶたを閉じ、じっくりと咀嚼(そしゃく)する。米と対話しているような佇まいだ。
     深く、密度の濃い会話が終わる。
     喜一は目を開け、満足げな息を吐いた。
    「……今年はよくできた」
     里美は無言で箸を動かしている。感想は述べなくとも、その表情が物語っている。あまりの旨さに言葉を失っているのだ。
     食べ終えた正和がテーブルに箸を置いた。
    「……うまかった。さすが父さんの米だ」
     翔太はぎょっとした。正和が涙ぐんでいる。
    「マジかよ。いいおっさんが米食ったぐらいで泣くなよ」
    「泣いてるわけないだろ。ちょっと目にしみたんだよ」
    「たまねぎじゃねえんだぞ」
     どこの世界に米食って泣く奴がいるんだ。〉

     新潟で米作り一筋に生きてきた喜一が収穫したばかりの新米と交わす深く、密度の濃い会話。米のあまりの旨さに言葉を失う里美。そして喜一の長男の正和は「うまかった」と一言言って涙ぐむ。「たまねぎじゃねえんだぞ」思わぬ“父の涙”にぎょっとする翔太は、喜一の孫。

    『シンマイ!』は、米作りの名人、喜一の下で有機農法による米作りを目指す元女子サッカー選手の里美と喜一の孫の翔太の成長小説。米作りの道はいうまでもなく平坦ではありません。無口な喜一が若い二人に語ることは稀で、見よう見まねの二人は挫折を繰り返しながら、一歩一歩、米作りの道を進んでいく。厳粛な空気が翔太の一言で笑いモードに一気に変わる文章のテンポのよさが、この小説の魅力のひとつです。

     里美は将来有望なサッカー選手だったが、膝の怪我で現役引退。コーチをしていたが、横浜で開催された新潟長浦の米のキャンペーンで有機米おにぎりを食べて感動。そんな米を作りたいと横浜から新潟に来た。
     一方の翔太は、高校をドロップアウトして以降、建築現場の作業員として働いていた。現場監督と相性もよく正社員に昇格したが、親会社の人事刷新で状況が一変。慕っていた現場監督がクビになってしまい、新任の現場監督とはそりが合わない。後輩の些細(ささい)なミスを執拗(しつよう)に責め立てる新任監督に中学の柔道部で鍛えた背負い投げを見舞った。22歳でクビになって転職活動を始めたが、中卒の翔太は不採用通知の山を築くばかりです。
     そんな時、夜遅くにアパートで待っていた父の正和が、「新潟の喜一じいちゃんから米作りを学んできてほしい」ともちかけてきた。父は農家の出身だが、東京の医大を卒業して千住で医院を開業して長い。最近中古で買ったミニバンのローンをすべて肩代わりしてくれるという父の願ってもない申し出を受け入れて新潟にやって来たのが、翔太です。米作りに特別な思いはなかった。

     ドコモ以外のケータイは圏外、あたり一面田んぼが続く田舎。喜一の一日は、早朝5時に始まります。夜型の生活をしてきた翔太ですが、二度寝したい衝動をこらえながら青いつなぎに着替え、喜一と一緒に軽トラックに乗り込んだ。

    〈車中では会話ひとつない。少しずつ白んでくる景色を、翔太は夢うつつの状態で眺めていた。
     あぜ道のまん中で車が止まった。喜一が降りたので、翔太もそれに続いた。足裏に土の感触がする。都会では味わえないやわらかさだ。
     朝日が田んぼを照らしている。田植え前の田んぼは見栄えがいいものではない。ただの土だ。
     喜一は黙って田んぼを眺めている。身じろぎひとつしない。腕をじっくりと組み、真剣なまなざしを注いでいた。全神経を見るという行為に費やしている。そんな佇まいだ。
    「じじい、何してんだ」
    「静かにしてろ」と喜一が一喝する。「黙って見ろ」
    「なんでだよ。何もねえじゃねえか」
     喜一はまだ同じ体勢をとっている。石像のように動かない。付き合ってられるか、と翔太はしゃがみ込んだ。
     あくびを十回ほどしたところで喜一の石化が解かれた。おもむろに歩き始める。
    「おい、やっとかよ」
     立ち上がろうとしたが、足が痺れている。強引に力を入れて、前に進んだ。
     けれど喜一はとなりの田んぼに移動しただけだ。そこでまた田んぼを眺めている。それを何回も何回も繰り返した。
     結局見るだけで作業は一切しなかった。〉

     このじじい、本当に教える気があんのかよ……ミニバンのローンの肩代わりをしてもらうためだけに新潟に来た翔太の胸のうちに疑問と怒りが投入される。それらが化学変化を起こし、爆発しそうだ。祖父の喜一と翔太。水と油のように見える二人ははたしてやっていけるのか。

     もうひとり、里美と翔太の出会いのシーンは、ちょっと可笑しい、笑いのモードだ。

    〈右手のビニールハウスから誰かが出てきた。
     女だった。
     赤色の作業服に麦わら帽子、右胸には『KIKUCHI FARM』というロゴが入っていた。
     色黒で目が大きい。インドやネパール、もしくは東南アジア系の顔立ちだ。背が低く童顔だが、子供ではない。自分と同い年ぐらいだ。懐かしい。建築現場でもアジア系の仲間はたくさんいた。
     翔太は手を合わせ、丁寧に挨拶をした。「ナマステ」
     女は無反応だ。翔太は訂正するように右手を上げた。
    「わりいわりい。マガンダン ハーポン」
     フィリピンのタガログ語だ。現場での経験がこんなところで生きるとは。異国で母国語を聞けることほど嬉しいことはないはずだ。
     女がふくれっ面で返した。
    「……わたし日本人なんだけど」
    「なんだよ。日本人かよ。まぎらわしいな」
     女は露骨に顔をしかめたが、翔太は無視して尋ねた。
    「ちょっと訊きたいことあんだけどよ。土田喜一の家知らねえか?」
    「喜一さん?」と女は眉を上げ、じろじろと翔太を眺めた。
    「喜一さんになんの用なの? まさか押し売りする気じゃないでしょうね」
    「ちげえよ。なんで俺がそんなことするんだ」
     この野郎やり返しやがったな、と翔太は不快になった。女が追撃してくる。
    「そんなことしそうに見えるからよ」
    「うるせえよ。それならおまえはどこからどう見てもインドからの留学生だろうが」
     にらみ合いになったが、女はすぐに馬鹿らしくなったようだ。鼻から息を吐くと、「あっちよ。あそこの右から二軒目の家」となげやりに遠方を指さした。そしてさっさと立ち去ってしまった。〉

     喜一を“接点”に翔太と里美という米作りを目指すコンビが生まれます。祖父(喜一)の米作りにかける一徹な思いは、医師になった息子(正和)を経て、孫(翔太)に引き継がれていきます。
     翔太と里美だけではありません。東京から応援に来てくれる仲間たちがいる。役場の地域振興課に勤める若林まさるは、新潟で翔太が里美の次に出会い、一瞬で気に入った気配りの男です。まさるが開いた翔太の歓迎会で紹介された兼業農家でそば打ち名人の桐谷光太郎。“米ってのは農業で一番楽なジャンル”とうそぶいていたが、実は喜一の米作りに心密かに憧れていた光太郎も喜一に弟子入り。“応援団”の重要なメンバーになった。

     そんな仲間たちに支えられて、翔太と里美が喜一の“神米”に一歩でも近づこうと努力を重ねてようやく迎えた収穫の季節――。
     まさると光太郎が、かつてない大型の台風が直撃するという情報をもたらした。

    〈「うん。このあたりはあまり台風が来ないんだけどね。今回は直撃するみたいで、みんな大あわてだ。稲が全滅するかもしれないって」
     翔太は驚愕した。「全滅って、どういうことだよ?」
    「稲の天敵は病気、雑草──そして台風だよ」とまさるが指を三本立てる。「台風で稲が倒れでもしたら品質は格段に落ちるし、川が氾濫して水害になる可能性もある。稲が水に浸っちゃ売りものにならない。近所のおじいさんが言ってたけど、四十年前もこんな台風がきて堤防が決壊して、稲がむちゃくちゃになったんだ」
     翔太と里美は血相を変える。全滅すれば、喜一に米を届けられない。
     光太郎が提案した。
    「台風は三日後にここに来る。明日かあさってにはもう刈り入れた方がいい。周りの農家もそうするそうだ。俺も仕事休んで手伝うからよ」〉

     翔太が出した結論は――5日後に収穫。
    〈五日後がベストのタイミングなんだ。それ以上は早すぎても遅すぎてもダメだ〉
     翔太の覚悟の背後にはどんな思いがあったのか。

     台風直撃の夜――翔太と里美、まさる、光太郎、そして東京から駆けつけた仲間たちが田んぼに向かいます。稲穂が激しく揺れている。今にも倒れそうだ。彼らはそこで何をするのか。

     三浦しをんは『神去なあなあ日常』(徳間書店、2014年1月24日配信)、『神去なあなあ夜話』(徳間書店、2016年6月3日配信)で、林業に夢中になっていく都会育ちの元フリーターを描きました。『シンマイ!』で浜口倫太郎が描くのは有機米作りに取り組む二人の若者――中卒の元建築現場作業員と元女子サッカー選手。
     今第一次産業に新たな人生の可能性を発見する若い世代が増えているそうです。文字通り、大地に足をつけて歩む確かな人生が、そこにはあるのかもしれません。

     そして――“喜一の神米”に挑戦する翔太と里美の物語終盤。とつぜん目頭が熱くなり、小田急線の座席でちょっとあわてました。(2017/12/15)
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    投稿日:2017年12月15日
  •  アベ友企業と忖度(そんたく)官僚という妖怪が日本列島を跋扈している。
     さしずめ森友学園疑惑で鉄面皮な国会答弁で安倍晋三首相と昭恵夫人を守り通した財務省の佐川宣寿(さがわ・のぶひさ)前理財局長は、その代表格だろう。佐川氏は理財局長から国税庁長官に出世し、一方の森友学園篭池泰典前理事長と諒子夫人は7月末の逮捕以来、大阪拘置所に勾留されたままだ。かつては政治信条が近く、昭恵夫人を開設予定の小学校の名誉校長に迎えていたが、一転して安倍首相から「詐欺を働く人物」と切り捨てられ、裁判官、検察官、弁護人による公判前整理手続きが始まっているにもかかわらず保釈が却下される状況が続いています。
     その佐川氏が理財局長として行った国会答弁は、11月22日に公表された会計検査院の検査結果によって根底から覆されたわけですが、元経産省官僚として佐川氏を知る立場にあった古賀茂明氏は最新著『国家の共謀』(角川新書、2017年11月10日配信)で、佐川氏の国会における振る舞いについて実に興味深い指摘をしています。少し長くなりますが、「第五章 関心事は人事ばかりの官僚たち」より引用します。

    〈この問題ですっかり有名になったのが財務省の佐川前理財局長だ。「近隣国有地の売却価格の約一割」という、近畿(きんき)財務局の国有地“激安売却”に対し、厳しく追及する野党議員に対する答弁は“秀逸”だった。「売買契約締結をもって事案終了している。当日、その日かどうかは別にしても、速やかに事案終了で廃棄をしているということだと思うので、記録は残っていない」などと巧みにはぐらかし、尻尾(しっぽ)を掴(つか)ませなかった。
     私が経産省で予算のとりまとめをしていたころ、予算獲得をめぐって財務省主計局の官僚と交渉したが、ときには彼らとつるんで東京・向島(むこうじま)あたりに遊びにいくこともあった。佐川氏は一九八二年入省で私の二年後輩になる。
     もともと彼は主計局にいたが、私とは直接のかかわりがなく仕事の場で相対したことはないが、こうしたどんちゃん騒ぎの席にいた記憶がある。人となりは何となくわかっているつもりだ。国会で答弁する姿を見ると、「訳のわからないことをよくも平気で言えるな」と思うかもしれないが、彼は非常に頭がいい人間だ。
     国会での振る舞いはすべて確信犯。わかっていてやっている。自分が言っていることが、いかにおかしいかということを全部わかってやっているのだ。「でも、こう答えるしかない」と。
     もともと財務官僚には、財務省こそが国を背負い、国を動かす屋台骨だと思い込んでいる人が多い。自分たちはその大きな組織の歯車の一つだという意識があり、その歯車であることに対する誇りがある。そして、その誇りの裏には、組織に尽くせば、最後まで絶対に守ってくれるという確信がある。〉

     “親方日の丸”とはよく言ったものです。組織――この場合は安倍政権であり、その中核である財務省です。これを守れば、その自分も最後まで守られると確信して、追及をはぐらかし、論点を巧みにずらしてしまう確信犯。公務員は失業がない前提に成り立っているので、雇用保険(失業)料を払っていないそうです。したがって失職しても、基本手当(失業手当)を受給できない。それでもいきなり路頭に迷うことはないようです。官庁によって扱いに温度差はあるようですが、「最後まで守る」のが財務省で、だから財務省からの内部告発はほとんど聞いたことがない――古賀氏はそう指摘しています。

     8億円の値引きは根拠不十分――総選挙が安倍自民の“圧勝”で終わるのを待っていたかのようなタイミングで会計検査院報告が発表され、森友学園疑惑がさらに深まった。特例的な値引きに安倍昭恵夫人の関与があったのか、なかったのか。ここが問題の核心だ。しかし――昭恵夫人の国会招致を拒絶する自民党の壁に阻まれて真相解明はいっこうに進みません。
     元安倍昭恵夫人秘書で、現在はイタリア大使館一等書記官としてローマに在住している谷査恵子氏という経産省のノンキャリア官僚がいます。森友学園が小学校を建設する予定だった国有地の定期借地契約に関し、財務省国有財産審理室長に照会した「口利きファックス」で話題となった人物です。
     室長からの回答を得た谷氏は篭池氏に宛てたファックスに「現状ではご希望に沿うことはできないが、引き続き見守ってまいりたいと思う。夫人にもすでにご報告させていただいている」と書いていたことは繰り返し報道され、国会でも取り上げられました。谷氏は疑惑について説明をすることなく、国税庁長官に出世した財務省の佐川氏同様、一等書記官としてイタリア大使館に赴任しました。ノンキャリア官僚がヨーロッパ有力国の一等書記官になるというのは異例だという。
     安倍首相は「もし私や妻が森友学園の問題に関わっているようなことがあれば、首相も国会議員も辞職する」と国会で語りました。総理になるほどの人がそこまで言うのだから、森友関与はないのだろう――と思う人もいるかもしれませんが、谷氏の「口利きファックス」が出てきた以上それでは済みません。この「口利きファックス」、霞ヶ関の官僚の目にはどう映っているのか。一時期、経産省で谷氏と上司部下の関係にあった著者の指摘は明快だ。

    〈谷氏は経産省の課長補佐で東大卒だが、いわゆるノンキャリア。私は短期間だが、彼女の上司だったことがある。当時、「なぜキャリアを目指さなかったのか」と思わず聞いたくらい仕事ができる人だ。
     ただ、いくら仕事ができると言っても、彼女はノンキャリで、しかも課長補佐級である。財務省の人間から見ると、経産省よりも財務省の方がワンランク上。しかも彼女は課長補佐級で、国有財産審理室長は管理職である。つまり、二段階以上の格の違いがある。感覚的にはスリーランクくらい違うと感じる官僚も多いだろう。ファックスや電話で何か聞いたとしても、普通なら、「何で、オレに直接聞くんだ。失礼な奴だ。もっと下の役職のヤツに問い合わせろよ」という話になり、無視されてしまうのが落ちだ。
     だから、官僚経験者がこのファックスの文書を見れば、これは谷氏のバックに相当、偉い人がいるなとすぐにわかる。そうした後ろ盾がないのに、このファックスにあるように財務省の管理職とやり取りすることは想像もできないし、送った谷氏はよほどの愚か者ということになる。官僚一〇〇人に聞いたら一〇〇人が絶対にそう思うはずだ。この案件に安倍昭恵夫人が関わっていなかったら、こうしたやり取りはできるはずもない。
     そんなことは霞が関じゅうの官僚はわかっている。「昭恵夫人の意向が働いていない」ということはあり得ないのだ。
     財務省の異常安値による国有地売却の問題は、検察が本気になれば、絶対に解明される。それほど難しい問題ではないと思う。〉

     安倍晋三首相がなりふり構わずに国会を解散して疑惑追及を封印し、総選挙後は野党の質問時間を削りに削って追及を避けようと計るのも頷けます。しかし、安倍政権、忖度官僚、そしてアベ友企業の共謀、跋扈を放っておいたら、私たちを待っているのは「衰退した街」と「窮乏した生活」だ。
     本書「まえがき」より引用します。

    〈二〇三〇年の東京・銀座(ぎんざ)。
     日曜日のある日、たくさんのアジア人のグループが高級ブランド店の紙袋を両手にいくつも抱えて、通りを闊歩(かっぽ)している──。
     今の景色とどこが違うのかと思うかもしれない。それが大いに違うのだ。彼らは爆買い目的の訪日ツアー客ではない。都心の一等地にそびえ建つタワーマンションのれっきとした居住者なのである。
     今や高級タワーマンション居住者のほとんどが中国人や東南アジア系の人々になっていた。「街が清潔で安全」「空気や水がきれい」などの理由で、東京に移住してきたのだ。日本に“爆進出”してきた中国企業などに勤める人たちも少なくない。
     高級寿司(すし)店では、短パン・サンダル履きの若者が、二万円のランチを食べると携帯をかざして支払いを済ませる。店内で聞こえる言葉は中国語と英語。そこに日本人の姿はない。いつからか、このあたりでは、日本人サラリーマンに手の届く店は消えてしまった。物価は驚くほど上がったが、日本企業はまともに給料を上げられない。その間、人手不足で倒産する企業も続出した。
     一方、近くの外資系IT企業のオフィスに出入りするTシャツ姿の若者の年収は少なくとも三〇〇〇万円。彼らの表情は明るく自信に溢(あふ)れている。そこに飛び交う言葉もやはり中国語や英語で、日本語は聞こえてこない。
    その傍らでは、道路わきに停車した弁当屋の小型バンの前に日本人サラリーマンが列を作っている。今と変わらぬ光景だが、弁当の値段だけは上がった。一〇〇〇円の弁当を入れたビニール袋を手に黙って立ち去る彼らの表情に笑顔はない。〉

     古賀茂明氏がもっとも楽観的なケースとして描く「2030年の東京・銀座」です。ことさら悲観的に描いた悪夢ではありません。
     安倍政権、忖度官僚、アベ友企業。この悪のトライアングルを許している限りは、確実にやって来る日本の未来です。(2017/12/8)
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    投稿日:2017年12月08日
  • 「寄らば大樹の陰」か、「人間到るところに青山あり」か。
     突然の辞令一本で変転する会社員の人生。意に沿わない人事――降格や左遷に直面した時、実力のあるサラリーマンほど二つの岐路に直面して、どちらの道を選択すべきか深く悩む。前者は「同じ頼るなら、力のあるしっかりした人(勢力)を頼るべき」という考え方で、リスク回避と引き換えにどんな不遇にも耐える覚悟が必要だ。それに対して後者は「世の中のどこで死んでも、骨を埋める場所くらいはある。故郷だけが墳墓の地、青山(せいざん)ではないのだから、大望を達するためにどんどん郷里を出て活動するべきだ」という積極志向。約束された“安定”をあえて捨て去る勁(つよ)い心がなければ、未知の環境に飛び込んでは行けません。
     経済小説の第一人者、高杉良の『辞令』は、常務から唐突に言い渡された想定外の異動に揺れる中間管理職を主人公に「組織と人間」に迫る。同期中の出世頭だった男が左遷された裏には何があったのか。
     突然の「左遷」通告シーンで物語が始まります。

    〈「人事なんてわたしの柄(がら)じゃないですよ。営業ならよろこんでやらせてもらいますけど……」
     泡立(あわだ)つ気持ちを抑えながら、広岡修平(ひろおかしゅうへい)は懸命に言葉を押し出した。
     ひろいひたいと、ひかりを湛(たた)えた切れ長の眼(め)のわりに鼻が小づくりの分だけ、やわらいでいるとはいえ充分個性的な顔立ちである。身長百七十五センチに対し体重が七十キロだからバランスはとれている。ゴルフ焼けも加わって肌(はだ)は浅黒くしまっていた。
     広岡は無理に笑顔をつくった。
    「いつでしたか常務に、営業をやらせてくださいとお願いしましたが、きょう改めてお願いします。人事本部はどうかご容赦ください」
     林弘(はやしひろし)がじろっとした眼をくれて、突き放すように言った。
    「きみの都合だけでは決められんよ。会社の都合ってものもある。否(いや)も応もないんだ。社長が決裁してるんだからな。十日付で発令する」
     広岡は息を呑(の)んだ。〉

     広岡修平は、エコー・エレクトロニクス工業株式会社の宣伝部副部長で、国内営業本部の部長代理から昇格を伴う異動で現職に就いて3年、46歳になっていた。部長の前島稔(まえじま・みのる)に次ぐ宣伝部のナンバー2だ。
     エコー・エレクトロニクス工業は、ビデオ機器事業部門、テレビ事業部門、音響機器事業部門などを中心に世界的に事業を展開する多国籍企業として知られ、優れた研究開発力によって“世界のエコー”のキャッチフレーズが定着して久しい。
     常務の林は、広岡の事実上の仲人で、広岡自身、林の息のかかった社員であることを認めざるを得ないと思っていた。いわば遠慮なしにものが言える間柄のはずなのにこの日の林は、なにかしらよそよそしく、取り付く島もなかった。24年に及ぶサラリーマン生活で、これほどのショックを受けたことはなかった。
     林常務と広岡の会話は、こう続きます。

    〈「とりあえず本部付として勉強してもらう」
    「つまりラインにも入れてもらえないわけですね」
     林は返事をしなかった。煙草をすぱすぱやっているのは、なにか言おうとしているふうにもとれる。
     十秒、十五秒と待ったが、広岡はたまりかねて次の質問を発した。
    「左遷(させん)含みということになるんでしょうか」
    「そんなことはないだろう」
     ひっかかる言いかたである。
     日ごろ態度を明確に出すのが身上の林だけに、広岡は釈然としなかった。
     はっきり言って、左遷されるような覚えなどなかったのである。左遷含みか、と訊(き)いたのは、気を引いてみたまでだ。
    「あんまりナーバスにならないで、人事で一から出直すつもりで頑張(がんば)ってみろよ」
     林はどこか投げやりな口調で言って、ソファから腰を浮かしかけたが、また坐(すわ)り直した。
    「ところで亜希子(あきこ)さんは元気かね」
     唐突な質問に苦笑をにじませながら、広岡は小さくうなずいた。
    「奥さんを大事にしろよ。あんな可愛(かわい)い奥さんを泣かせるようなことをしたらゆるさんぞ」
     冗談なのか、本気なのか、わからなかった。〉

     仕事一途でおよそ世事に疎(うと)い林常務が口にしたふだん言いつけない言葉。気を回さない方がどうかしているが、広岡に思い当たることはなにもなかった。
     そもそも部長の前島から事前に匂わす程度の話すら伝わってこなかったことが、広岡には不可解だった。
     エコーでは管理職の異動については、当該部門の責任者から当人に伝達される慣習がある。本社内の異動は1週間前、エコー系列の子会社を含む国内転勤を伴う場合は3週間前、海外転勤は3か月から6か月前に知らされることになっている。

    〈しかし、それは建て前に過ぎない。本社内の異動なら少なくとも二週間ないし三週間前に、上司から内示されている。
     広岡自身、経験的にもそうしてきたし、そうされてきた。(中略)
     きょうは、昭和六十三年(一九八八年)二月三日だから、十日の発令ということは、ちょうど一週間前ではないか。
     エレベーターで十五階から十階に戻るまでに、広岡は、躰中(からだ)の血液がたぎってくるのを覚えた。〉

     さらに広岡にとってショックだったのは、年次の若い宣伝部の二人が、広岡の異動を部長から知らされていたことだ。つまり部長の前島は広岡には素知らぬ顔をしておきながら、宣伝部の中核メンバーには耳打ちしていたのだ。
     その前島と広岡がやりあうシーン――。

    〈広岡は、四時過ぎにたまりかねて、部長席の前に立った。
    「さっき林常務から内示がありました」
    「そうだってねぇ」
     前島は、応接室のほうを手で示しながら、にこやかに返してきた。
     シルバーグレーのメタルフレームの眼鏡と長い揉(も)み上(あ)げが、にやけ面(づら)に一層アクセントをつけている。眼鏡の奥の細い眼をいつも和ませているし、誰に対してもやたら愛想がよかった。
    「人事本部だと聞いたけど、羨(うらや)ましいねぇ」
     前島はぬけぬけと言った。
    「本部付でラインにも入れてもらえないそうです。つまり左遷です。それでも羨ましいとおっしゃいますか」
    「それは考え過ぎだよ。人事本部のような枢要(すうよう)な部門へ左遷で行かされるわけがないだろう。きみ勘違いしてるよ。わたしが代って行きたいくらいだ。きみは上に行ける人だし、将来ボードに入ることだって可能なんじゃないの。宣伝部なんかに長くおったらそうはいかないものな。人事本部で、人事、労政にタッチできるなんて幸せじゃないの」
    「どうしてそんな見えすいたことを言うんですか。だいたいわたしは、人事などは不向きだと思ってます。もっと言えばいちばんやりたくない仕事です」
    「しかし、宣伝の仕事もやりたくないんじゃなかったのかね」
     前島の細い眼が鈍い光を放った。
    「そんなことはありませんが、もう三年になりますから、営業に戻りたいとは考えました」
    「きみを人事本部に出すのは、林常務の親心だよ。やりたくない仕事を経験しておくことも悪くないんじゃないのかね」
    「部長と三年もコンビを組んできながら、事前に匂いも嗅(か)がせていただけなかったことは残念至極(しごく)です」
    「そう言われても困るんだよねぇ。だって、わたしが聞いたのもけさだぜ」
     前島は、大仰に抑揚をつけて言った。
     おととい、岡本と村山に話したのはどこのどいつだ、と言えたら、どんなに気持ちがすっきりするだろうかと思いながらも、それでは村山の立場がなくなるので、ここはぐっとこらえるしかない──。
    「わたしは部長から嫌(きら)われるようなことをなにかやらかしましたかねぇ。自分では気がついてないんですが、教えていただけませんか」
    「わたしのほうこそ、きみに嫌われていたんじゃないのかね」
     前島は、つくり笑いを浮かべて、意味ありげに広岡を見つめた。
    「そんなもって回った言いかたをされても頭の悪いわたしにはなんのことだかわかりません」
    「とにかく健闘を祈るよ。人事本部で頑張ってもらいたいな」
     前島はうすら笑いを浮かべながら、ソファから立ちあがった。〉

     臨場感あふれる会話劇が高杉良の企業小説の面白さの原点です。林常務と広岡、前島部長と広岡のなまなましいやりとりに、胸に秘めた記憶を重ね合わせる人も多いのではないか。サラリーマンなら一度や二度は味わったことのある“人事”を巡る苦い思い――。

     とまれ――100人に及ぶ事務系同期入社組で部長クラス(参事職)の資格をもつのはわずか5人。その一人で、昇進レースで確実にトップグループにいた広岡修平は、なぜ人事本部預かりに「左遷」されたのか。
     懇意にしてきた広告代理店・広宣社担当者の小倉弘(おぐら・ひろし)から驚くべき情報が寄せられた。広岡はオーナー会長の小林明の逆鱗に触れたために左遷されたらしいというのだ。広告代理店の社長が小林会長から「あんまりエコーの社員を甘えさせては困る。ヨーロッパに女連れの大名旅行はやり過ぎだ」と言われたが、広岡がそのエコー社員だった。宣伝部に来て間もない頃、ヨーロッパツアーに欠員が出てしまったので、夫婦で参加してくれないかと小倉に誘われ、相談した前島部長の勧めもあって参加した。その話がなぜか、“女連れの大名旅行”となって、会長の耳に入った。
     小倉も大阪に飛ばされたが、どうしてオーナー会長の知るところとなったのか? しかも“愛人連れ”に歪曲されて。広宣社から情報が漏れることは絶対にない――と断言する小倉を信じるとすれば、事情を知る人間は前島部長しかいない・・・・・・。

     広岡の後任副部長は、小林会長の次男、小林秀彦だった。社員間でジュニアと呼ばれている32歳。じつは会長夫人が宣伝部長にと画策したあげく、部長含みの副部長で落着した。会長の逆鱗に触れた広岡はいわばそのために弾(はじ)き出されたというわけだったが、自らの後任部長に広岡がなることを阻止するために動いた前島部長はジュニアにすり寄り、広岡は再生を期して人事本部で動き始め、物語は佳境へ――。

     人事を巡って交錯する思惑と保身、足の引っ張り合い、功名争い、そして経営トップと人事担当常務の緊迫の対決・・・・・・特定のモデル企業はありませんが、トップから管理職までの企業人の息遣い、リアリティは数多くの企業組織と人間を見つめてきた高杉良だから書けたと言っても過言ではありません。「人事」を切り口に「組織と人間」を描いた人事小説――ここには、サラリーマン人生の縮図がある。(2017/12/1)
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    投稿日:2017年12月01日
  • 〈柳井社長が好きな言葉に「少数精鋭」というのがある。できるだけ少ない労働者で、店舗の運営を効率よく回し利益を上げていくことを意味している。嫌いな言葉は、「人海戦術」。多くの人件費が発生しながらも、仕事がはかどらない状態を指す。〉

     ユニクロの店舗でアルバイト・スタッフとして働いたジャーナリストによる潜入ルポルタージュ『ユニクロ潜入一年』(横田増生著、文藝春秋、2017年10月27日紙書籍刊行と同時配信)の一節です。
     文中の〈柳井社長〉は、いうまでもありませんが、持株会社ファーストリテイリング/株式会社ユニクロの代表取締役・柳井正氏――〈一介の町の洋服屋から日本の衣料品産業の六%以上のシェアを握るトップ企業に上り詰め、さらには海外への進出を果たし、ZARAやH&M、GAPなどと伍するような国際的なアパレル企業として成長しつづけてきた〉ユニクロのワンマン経営者その人をさしています。著者は、業績が計画未達に終わったことの責任を「人海戦術」に転嫁しているとして、こう続けています。

    〈二〇一五年八月期に二回の値上げのため業績が計画通りにいかなかったとき、柳井社長は「日経新聞」の「働き方改革に終わりなし」と題したインタビューで、その理由を人海戦術にあったと責任転嫁している。
    「まだ人海戦術の状況から抜け出せていないためだ。もっと少ない人数と短い時間で効率を上げないといけない。/仕事をしているフリ、商品整理をしているフリ、接客しているフリをする従業員がいる。自分が何のために売り場にいるのか、必要な仕事は何かをわかっていないとそうなる」〉

     いったいユニクロの内部はどうなっているのか。何が起きているのか。
     前著『ユニクロ帝国の光と影』(文春文庫、電子書籍未配信)で、国内・海外でサービス残業が横行するなどユニクロ(および下請け工場)の劣悪な労働実態を明らかにして問題を投げかけた著者の横田増生氏は、柳井社長の〈悪口を言っているのは僕と会ったことがない人がほとんど。会社見学をしてもらって、あるいは社員やアルバイトとしてうちの会社で働いてもらって、どういう企業なのかをぜひ体験してもらいたいですね〉という発言(「プレジデント」2015年3月2日号)に触発されてユニクロ店舗への潜入取材を思い立ちます。前著をめぐる名誉毀損訴訟でユニクロ側の訴えが最高裁で退けられて確定した後もなお取材を全面的に拒否されていた著者が長期アルバイト・スタッフとしてユニクロ内部に入り込むのは容易ではありません。
     どうしたらいいのか。著者は合法的に名前を変えました。

    〈いったん妻と離婚したあとで、妻と再婚し、妻の姓を名乗ったのである。妻の名字は日本に最もありふれた名前の一つであるため、この書籍で私の本名は〈田中〉としておこう。
     日本では馴染みが薄いが、取材対象が隠したがる事実を暴く手段としての潜入取材という手法が用いられることは、他国では珍しくない。潜入取材の本場であるイギリスでは、BBCの記者が警察やアップルの関連企業に勤務して、その模様を放送したこともある。また、上海のテレビ局が二〇一四年、日本マクドナルドの中国のサプライヤー(下請け工場)に潜入し、床に落ちたり、期限切れとなったりした鶏肉を加工している映像をニュースとして流し、その後の同社の業績に甚大なダメージを与えたことを覚えている人も少なくないだろう。〉

     ジャーナリスト・横田増生氏が改名して〈田中増生〉としてユニクロ〈イオンモール幕張新都心店〉のウェブサイトから面接を申し込んだのは、2015年10月1日の正午のこと。30分後、「応募ありがとうございました」という自動配信のメールが携帯電話に届き、さらに4時30分を過ぎた頃に見知らぬ番号から着信があった。

    〈三十代と思しき男性の声がこう言った。
    「田中増生さんですか。こちらはユニクロ、イオンモール幕張新都心店の者です。今回は、当店へのアルバイトのご応募ありがとうございます。まずはお電話で、いくつかお聞きしたいことがあります」
     と前置きしたうえで、次の二点を尋ねてきた。
     一つは、土曜日・日曜日といった週末に働くことはできるのか。もう一つは、力仕事が多い職場だが大丈夫か──という質問。
     いずれも「問題ありません」と答える。〉

     面接の日時が一週間後の午前10時30分に決まり、当日店長室で待っていた30歳の店長、29歳の副店長による面接に臨んだ。〈アルバイトの時給が千円〉〈交通費が支払われない〉〈年中無休で店舗運営をしているので、繁忙期やクリスマス、大晦日から正月にかけてはできるだけ出勤してほしい〉〈働くときの服装はユニクロの商品を着てもらいます〉といった副店長の説明を受け、正体がばれやしないかと緊張した面接が終わろうとした時、最後にひとつと割り込んできた店長が「店員の多くは田中さんよりずいぶんと若いのですが、年下の人たちから教えてもらう立場になっても大丈夫ですか。」と確かめる。50歳という年齢に関する質問は想定内であり、即座に「問題ありません」と回答して30分の面接が終わった。
     結果は10日以内に連絡するという話だったが、その日の夕刻、副店長から電話が入った。

    〈急な話で恐縮ですが、明日、店舗に来ていただくことはできますか」
     翌日、入社の手続きがあるのかと思って話を聞いていると、
    「十時に店が開くので、そのタイミングで来ていただいて、その後、午後五時ごろまで働けますか。休憩一時間をはさんで、六時間勤務となるのですが」
     と副店長は言う。
     採用と同時に、翌日の出勤要請に、思わずガッツポーズが出そうになる。〉

    〈人海戦術〉は嫌いだという柳井社長の下で、アルバイト応募者が30分の面接で採用決定されるや即出勤要請・・・・・・潜入取材への第一関門というべき「面接」で早くも現場の逼迫感がきれいに浮かび上がった。
     とまれ2015年10月9日、著者のユニクロ潜入取材が始まりました。最初の店〈イオンモール幕張新都心店〉では2016年5月までの約8か月、続いて2016年6月から8月までを〈ららぽーと豊洲店〉で、そして2016年10月から12月にかけては三つ目の店舗となる〈ビックロ新宿東口店〉で潜入取材が続けられました。
     それぞれの店舗ごとに微妙に時給が異なることなど内部(なか)に入り込んで初めて見えてくる実情、休憩室で語られていること、スタッフの悲鳴、「部長会議ニュース」に載る柳井社長「上から目線」の檄・・・・・・内部情報の漏洩を厳しく規制しているユニクロの実態が克明に描き出されていきます。そのディテールは本書をご覧いただくとして、私が特に気になったことを二つ紹介しておきます。
     一つ目は、「ユニクロ販売六大用語」にまつわる話です。
    〈同年代の女性社員に軽作業を頼まれたので、「承知しました」と私が答えた。すると、彼女は、私の顔を覗き込むようにして、「ここで長く働くの?」と訊かれ、そのつもりだと答えると、「それなら、ここでは、かしこまりました、と答えるようになっているから」と教えてもらう。
    「かしこまりました」はその後、毎日唱和するユニクロの販売六大用語の一つである。
    「いらっしゃいませ」
    「かしこまりました」
    「少々お待ちくださいませ」
    「申し訳ございません。大変お待たせいたしました」
    「ありがとうございます」
    「どうぞまたお越しくださいませ」
     これを朝礼の後と休憩が終わって店舗に出るとき、同僚と唱和する。一年以上働く間、何度、唱和したことだろう。〉

     これが日本のアパレル企業のトップランナー? まるで新興宗教「ユニクロ教」ではないか。
     二つ目は、「閉店後のユニクロ」。ユニクロでは客がいる間は店内を走ることは厳禁とされています。潜入取材3店舗目のビックロでの体験です。

    〈ビックロは、閉店時間の午後十時を回ると、それまでとは別の顔をみせはじめる。 何人もの派遣社員が入ってきて、閉店後の店舗の立て直しを手伝う。ユニクロの社員やアルバイトも午後十時から午前零時直前まで、“最終商整”(閉店前の最終の商品整理)といって売り場の立て直しに駆けずり回る。退勤時間は十一時三十分だが、作業が終わらないと、社員から「延びれる?」という声がかかる。顧客が店舗にいる間、店舗を走ることは厳禁とされているが、閉店後は走って業務をこなすことが求められる。〉

     潜入取材によってユニクロ内部の“異様な光景”が浮かび上がった。(2017/11/24)
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    投稿日:2017年11月24日
  •  黒川博行『破門』(角川書店、2016年11月25日配信)の第151回直木賞受賞(2014年上半期)に際して、選考委員の伊集院静は「浪速(ナニワ)の読物キングにようやく春が来た」と、6度目のノミネートでついに直木賞を射止めるまで大阪で一途に書き続けてきた小説家を称賛した。
     その黒川博行の作家デビュー作『二度のお別れ』。10月25日、角川書店より新装版の文庫発刊と同時に電子書籍が配信されました。1984年(昭和59年)9月の単行本発刊から30年以上の月日が経過してなお新装版が出版されるロングセラー作品であり、実は電子書籍も創元推理文庫版(東京創元社、2012年11月24日配信)と文春文庫版(文藝春秋、2013年3月22日配信)の2冊が先行配信されています。
     黒川博行にとって『二度のお別れ』は第1回サントリーミステリー大賞佳作に選ばれて翌年出版された処女作というにとどまらず、格別な思いのある作品のようです。創元推理文庫版あとがきとして作品執筆、応募、発表に至る顛末を率直に綴る文が収録されています。そのなかで、発表後の思わぬ余波に触れた箇所が特に興味深い。

    〈本作の刊行に前後して、あの“グリコ・森永事件”が起こった。『二度のお別れ』は脅迫文の調子や身代金の受けとり方法に似た部分が多く、それが話題になって新聞やテレビにとりあげられた。わたしはそれがうっとうしくてしかたなかった。小説そのものではなく、脅迫文と受けとり方法だけをあれこれ詮索されるのである。そうしてとうとう、合同捜査本部から兵庫県警の警部補と茨木署の刑事が事情を訊きに来た。「この本を書くにあたって、アイデアとか筋書きを誰かに話した憶えはないか」と、しつこく訊く。あげくの果てに刑事は「おたくが犯人やったら簡単やのに」とまでいった。なかなかに得難い経験ではあったが、わたしはいつか茨木署に石を投げてやろうと心に決めた。ほんものの刑事は黒マメコンビのように明るくもなく、性根もよくはない。〉

     昭和末期の社会を震撼させたグリコ・森永事件の発端となる江崎グリコ社長誘拐事件が起きたのは1984年3月。その頃、「週刊ポスト」編集部所属だった私の周囲でもさまざまな情報が飛び交い、黒川博行氏がらみの情報もあったことを覚えています。ライバル誌である「週刊現代」が黒川氏を取材して特集を組みました。その記事に対しては黒川氏が名誉毀損で提訴し、原告の黒川氏の勝訴で終わりましたが、それにしても実際に刑事が事情を訊きに来ていたとは。

     さて刊行時期がちょうど事件と重なっていたこともあって、脅迫文の調子が似ている、身代金受け取りの手口が酷似しているなどのディテールが大きな話題となった小説。その肝心な内容は――著者によれば、〈プロットは単純明快、誘拐物〉。
     3月の決算期を超えた4月1日の三協銀行新大阪支店。銀行内は前日までの戦場のような忙しさが嘘のように静まりかえり、全てが平常に戻っていた。11時34分、強盗が侵入した。

    〈犯人は自動扉が開いて行内に足を踏み入れるや、拳銃を天井に向けて二発たて続けに発射した。パーン、パーン、と何か気の抜けたような軽い音であったが、天井の石膏(せっこう)ボードに穴があき、そのかけらや粉が降るのを見て、行内は騒然となった。
     犯人は入口附近に立ち、スッポリとかぶったマスクのために丸くなった頭を小刻みに動かして行内を睨(ね)めまわす。
    「ゼニや、ゼニ出せ。あるだけの金かき集めてカウンターの上に置け。早ようせい。他の奴らはその場に伏せんかい」
     喚(わめ)きながら正面のカウンターまで走って、出納(すいとう)係に拳銃を突きつけた。もちろんこの時、北淀川署とのホットラインは作動していたし、防犯カメラもまわっていた。出納係は十九歳の女性で、あまりに突然の出来事にすぐには動けない。銃を突きつけられるまま、呆然(ぼうぜん)と両の手を上げていた。
    「何しとんねん。誰が手を上げ言うた。ゼニを出すんや、ゼニを。早よう出さんとほんまにぶち殺すぞ」
     と、一歩踏み込んだ。その時、犯人のうしろ、三メートルほど離れた地点から男がとびかかった。ほんの一、二秒揉(も)みあったあと、バーンと今度は少し鈍い音がして、とびかかった男はその場にくずおれた。押さえた腹からは、血がしたたり落ちて床を赤く染める。その光景を見て行内は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
    「やかましい、静かにせんかい。ゴチャゴチャ言う奴は、こいつのようになるんやぞ。分ったらじっと伏せとけ」〉

     目の前で人が撃たれ、その銃を再び突きつけられた出納係は恐怖の頂点に達したか、がむしゃらに金を積みあげる。もう誰も歯向いはしない。ただ犯人の言うがままだった。

    〈「もうええ、そんな小ゼニはどうでもええ、ええからおまえ、こっちへ出て来い。早よう出て来んかい」
     喚きながら、出納係の腕を掴もうとカウンター越しに手を伸ばした。十九歳の娘にとってこれが本当の限界だった。悲鳴をあげて後ずさりする。
    「このガキ、何さらすねん」
     犯人はカウンターを越えようとした。その時だった、倒れていた男が血で真赤に染まった腹を押さえながらウーンと呻(うめ)いて立ち上ろうとしたのは。まだ生きている。
    「くそっ、おまえでええわい」
     犯人は男のえり首をうしろから掴んで引き起こした。男は玄関までひきずられるようにヨロヨロついていく。もう抵抗する気力も体力もないようだ。
    「ええか、じっとしとれよ。そのままや。動いたらぶち殺すぞ」
     犯人は扉の手前で振り向くと最後の脅し文句を残し、男を連れて出て行った。あとに残ったのは少なからぬ血と、男の割れた眼鏡だけ。行員や気丈な客があとを追って外にとび出した時は、白い車が五十メートル先の通りを左に折れるのが見えただけであった。〉

     被害金額は394万6,000円。
     犯人は中肉中背、顔には防寒用の、眼と口の部分だけ露出している毛糸のマスク。色は黒、三つ開いた穴のまわりには白いフチどりがある。薄茶色の作業服上下、上着のボタンはあらかじめ外してあった。その下は黒っぽい腹巻、そのまた下はラクダ色の丸首シャツ。靴はありふれた形の安全靴。手には黒の革手袋、首に赤いタオルを巻いていた。
     強盗を捕えようとうしろからとびかかった男の名は、垣沼一郎。35歳、近くの鉄工所の経営者。融資依頼に来たが、銀行の担当者が席を外していたため、ロビーのソファーに坐って待っていたもので、彼にすれば思いもよらぬ災難に巻き込まれたことになる。
    〈オレワイマオコツテマスオマエノテイシユガイランコトシタカラゼニヨウケトラレヘンカツタ〉
     翌4月2日。連れ去られた“一本気な鉄工所経営者”の妻宛に脅迫状が届く。不揃いの大きなカタカナが、隙間なく詰まった脅迫状には、切断された小指が同封されていた。銃を持って押し入りながら、400万円に満たない金を奪って逃走――計画性の感じられない銀行強盗事件は、誘拐事件に転化し、1億円の身代金が妻に突きつけられた。

     事件を担当するのは大阪府警捜査一課の黒田憲造(くろだ・けんぞう)と亀田淳也(かめだ・じゅんや)の二人の刑事。黒田は30代、亀田はそろそろ30に届くという年だが、童顔、色黒で、背が低く、ころころしたその体型から、みんなは彼を「マメダ」と呼ぶ。「豆狸」と「カメダ」をひっかけたもので、転じて「マメちゃん」が愛称となった。陽気で、機関銃のように息つく暇なく喋りまくる。性格と体格を見事に一致させた人物で、先輩刑事として一目置く黒田と組んで、黒マメコンビ。
     深夜、捜査車両で被害者宅へ向かう黒マメコンビの会話シーン――。

    〈車のラジオが十一時を報(しら)せた。さすがにこの時刻になると、大阪市内も道路は空(す)いている。酔客を乗せたタクシーが制限速度を無視してとばしている。彼らにとっていちばんの稼ぎ時であるだけに無理もない。我々の車を追い越して行く赤い尾灯がやけに目立つ。
     喫茶店で包んでもらったサンドイッチをほおばりながら、マメちゃんが言う。
    「呑(の)んで、歌(うと)うて、ホステスの尻(しり)さわって、騒ぐだけ騒いで、あとはタクシーのうしろにふんぞり返っとったら、家まで連れて帰ってくれる。普通のサラリーマンが羨(うらや)ましいですなあ。ぼくら、ろくに眠りもせんと朝の早(は)ようから働いて……こんな味気ないもん食うて、その上、まだこれから働かんといかん……因果な商売に首つっこんでしもたもんや。時々ほんまに嫌になることありまっせ。黒さんそんな気になることありませんか」
    「ある、ある、いつでもそうや。わし、いままで何回転職考えたか分らへん。うちの嫁はんは、うだうだと文句ばっかり言いよるし、子供ともめったに遊んでやられへんし……もうほんまに何でこんなことせないかんのやろといつも思う。せやけど、わしももう若(わこ)うないから、そうそう大きな変化を求めることできへんし、結局、しんどい、しんどい言いながら、一生この調子やないかいなと考えてる」(中略)
    「そやけど、ぼくもあと四、五年して黒さんの年代になったら、考えが変わるかも知れません。時間的に不規則な仕事やし、昨日や今日みたいに帰られへんことも多いし……なんか情のうなりますなあ」
    「その、情ないというのがひっかかるなあ。いまのわしが情ないように聞こえる」
    「またすねる……ただ、この稼業が情のうなってきただけです」
    「新婚早々から、そんなつまらんこと考えんでもええ。とりあえず明日(あした)のことだけ考えよ」
    「そうしましょ。なんや知らんけど、黒さんとやったらすぐ話が横道にそれる」
    「そら、こっちのせりふや」〉

     まるで上方漫才のような黒マメコンビです。そういえば、文春文庫版のあとがきにこんなくだりがあります。
    〈大阪人が二人集まれば漫才になる――よくひきあいに出される言葉です。自分があほになって場を盛り上げる、そんなサービス精神の旺盛な人物をこの作品では描こうと考えました。刑事も人間、基本的にはサラリーマンであることに変わりなく、自分をかえりみて、少しばかり怠慢指向型のキャラクターを設定したわけです。大阪人の思考形態、ある種下品なユーモア、バイタリティー、楽しんでいただけたなら幸いです。〉

     くたびれた背広とまがったネクタイ、片減りした靴こそ似つかわしい刑事の世界に、しかも大阪府警捜査一課強盗班キャップの神谷(かみや)警部に革のアタッシェケース! 本人がイタリアの何とかいうブランドものだと、しきりに吹聴して日頃持ち歩いている自慢の品。金色のダイヤル錠をおもむろに操作すると、蓋がパカっと開き――中には数枚の地図と100円ボールペンだけが収まっていた。殻(がら)と中身のあまりの落差に、思わず笑ってしまった。いま風に言えば「わろてんか(笑ろてんか)」精神溢れる読物だ。

     もちろん誘拐物の警察ミステリーです。笑わせる技もあればユーモアもたっぷりで楽しませてくれますが、弱いものの立場に立って世の中を見据える姿勢がいい。銀行の表の顔、裏の顔を描いて多くの読者の共感を得ているのが池井戸潤ですが、黒川博行も本作で銀行の本質を〈死人にムチ打っといて、生き馬からは眼を抜く〉と手厳しい。“銀行嫌い”を広言するマメちゃんの口を通して時に厳しく、時にユーモラスに語られる著者の銀行観も読みどころなのですが、終盤に待つドンデン返しのトリックに関わってきますので、ここでは触れません。
     大阪の二人の刑事――黒マメコンビが型破りの着想と執念の独自捜査で鉄工所経営者誘拐事件の知能犯に迫る。最終章――午後10時に黒田憲造刑事の自宅電話が鳴った。逆転の結末が「浪速の読物キング」の出発点となった。(2017/11/17)
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    投稿日:2017年11月17日
  •  1947(昭和22)年生まれの弁護士が60歳を機に弁護士生活に終止符を打ち作家を目指した。東京大学法学部卒、戦後史の節目節目で社会に大きなインパクトを与えてきた団塊の世代の一員。2010(平成22)年、『鬼畜の家』(講談社文庫、2014年5月9日配信)で第3回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞を受賞。翌2011年、同作品が原書房より刊行され、これが小説家デビュー作品となった。選考委員のミステリー作家・島田荘司から「この作には、勤めの義務を果たし、能力の成熟とともに余暇生活に入った書き手に、こちらが期待するすべてがある」と高く評された深木章子(みき・あきこ)です。
     2017(平成29)年8月25日、彼女のデビュー5作目となる『敗者の告白』(角川書店)――文庫版刊行と同時に電書配信が始まりました。リーガル(法曹)ミステリーの傑作です。
     リーガルミステリーの傑作と書きましたが、被告人の犯罪の立証をめぐって検察官と弁護士が火花を散らす裁判シーンは全く出てきません。裁判シーンはありませんが、法というものの本質――誤解をおそれずに言うなら、法曹の現場でその限界を知り尽くしてきた著者が法への疑問を作品の根底に据えて書き上げた問題作と言っても過言ではありません。しかも、それが堅苦しい法理論として語られるのではなく、「手記」と「供述」を駆使した異色の構成、そして逆転に次ぐ逆転というミステリーの醍醐味を兼ね備えた展開によって読者は作品世界に一気に引きずり込まれていく・・・・・・。

    〈別荘二階ベランダから転落 東京の母子二人死亡〉の見出しが付いた地元新聞の2006年3月28日朝刊の記事で物語が始まります。

    〈二十七日午後六時十分ごろ、山梨県北杜(ほくと)市××町の本村弘樹(もとむらひろき)さん方の二階ベランダから、本村さんの妻と子供が転落したと通報があり、駆けつけた山梨県警H署の警察官が、約十三メートル下の地面に倒れている本村さんの妻瑞香(みずか)さん(三十五歳)と長男の朋樹(ともき)君(八歳)を発見した。二人は死亡が確認され、転落した際に全身を強く打って即死したものとみられている。
     本村さんは東京都国立(くにたち)市に居住する会社経営者で、春休みを××町の別荘で過ごすため、前日の二十六日から家族三人で現地を訪れていた。本村さんの話では、事件発生時は階下のリビングで休んでいたところ、突然、ドンという大きな音がして、気がつくと妻と息子の姿が見えなかったという。
     現場は、別荘用分譲地として開発された約十メートルの高低差のあるがけ地で、問題のベランダは、コンクリートの擁壁に張り出す形状になっており、高さ一メートル二十センチほどの鉄製のフェンスが設置されている。警察では、二人がなぜフェンスを乗り越えて転落したのか、慎重に調べを進めることにしている。〉

     IT関連の会社を経営する本村弘樹は、その日のうちに任意同行の形でH警察署に連行され、その日は一旦別荘に戻されますが、翌朝9時に迎えが来て、H署で取り調べを受け、夕方になって妻子を殺害した容疑で逮捕されます。独りでリビングにいたらすごい音がしたので、驚いて2階のベランダに駆けつけると二人が転落していたと主張する本村弘樹の顔や顎に残されていた生傷が警察官の目に留まらないはずはありません。任意同行の時から警察官のまなざしは容疑者を見るそれであったのですが、二日目の取り調べ中に決定的な情報――死んだ妻瑞香が遺していた「手記」の存在が明らかとなり、ただちに逮捕状が執行されたのです。
    「手記」は1年前に「お隣のセレブ奥様 快適生活をちょっと拝見」という特集記事で取材に来たことのある月刊誌『快適生活』の編集者宛てにメールで送られたもので、
    ・一か月前の2月1日、2歳7か月の娘由香が自宅バスタブで誤って死ぬ事故があった。夫の弘樹は由香を溺愛していた。その由香を不慮の事故で失くしたことに対する夫のやり場のない怒りが、あのとき家にいた私と朋樹に向けられた。
    ・長男の朋樹の本当の父親は、別荘の隣人、溝口雄二であり、そのことを夫が知っていた。
    ・夫の会社の経営が思わしくなく、私が相続した松濤の家を売って資金面で協力して欲しいと要求する夫とそれに快く応じようとしなかったため二人の間に感情の軋轢が生じていた。
     以上のことを縷々綴ったうえで、偶然寝室のドア越しに聞いてしまった夫の通話内容を明かします。妻がその存在を知らない携帯電話を使って、夫は何を語ったのか。

    〈ドア越しに聞こえる弘樹の声は、低く抑えてはいるものの、深い決意を秘めて落ち着いていました。
    「だいじょうぶ、絶対に失敗はしないさ。明日のうちに下見をすませて、明後日にはドライブに連れ出すから……。もちろん、二人いっぺんにやる。君はただ待っていればいい」
     自分の心臓の鼓動が、ドアを通して彼の耳に届くのではないかと思うほどでした。(中略)
     このときすでに、私には確信がありました。弘樹は、私の知らないどこかの女ときっかり九時に電話する約束をしていたのです。私が絶対に通話履歴を調べることのない秘密の携帯で……。そして、彼がその女に約束していたことは、まぎれもなく私と朋樹の殺害でした。〉

     夫による妻子殺害計画――。「手記」はこう続きます。

    〈好きな女のためなら、男はなんでもできるのかもしれません。いえ、それとも……。胸の奥でどす黒い疑念が湧き上がります。弘樹は女に溺(おぼ)れるような男ではないのです。
     彼が私と朋樹を殺す理由があるとしたら、それは女のためなどではなく、私たち親子がいなくなれば、槇岡の家の財産を自分の自由にできるからではないでしょうか。〉

     なぜ夫のもとを逃げ出さないのか。そしてなぜ手記を遺したのか。

    〈すぐさま朋樹を連れて逃げ出すべきだ。もう一人の自分が絶えずささやきかけています。それでも私に迷いがあるのは、この一連のできごとはすべて弘樹の策略で、私がまんまとそれに乗せられること、それこそが彼の狙いなのだという疑念を捨てきれないからです。
     本村の姓も、国立の家も、なにもかも捨てて私たちが逃げ出すこと。自分はなにも手を汚さずに、私と朋樹の存在を自分の人生から放逐すること。そのためなら、わざと怪しげなふるまいをして私を不安に陥れることくらい、彼にはなんの抵抗もないはずです。
     溝口さんなら……。朋樹の父親である溝口さんなら、きっとなんとかしてくれるに違いありません。あの人は情の深い人間です。でも、いまの溝口さんには佐木子さんがいます。やはり私は彼に助けを求めることはできません。なにも知らない佐木子さんに、なぜ弘樹が朋樹と私を憎むのか、その理由を知らせることだけは絶対に避けなくてはならないのですから。
     ひと晩中考えた末に私が出した結論が、この手記を書くことでした。私はこれを女性と自立社の藤井友利子さん、あなたに送付することに決めたのです。優秀なジャーナリストであるあなたなら、このおかしな手記を受け取っても、かならずや適切な対処をして下さるに違いありません。
     どうか私を嗤(わら)ってください。見栄っ張りの、バカな女だと蔑(さげす)まれてもけっこうです。これこそが、あの「セレブ奥様」の「快適生活」の真実の姿なのですから。
     いまは半信半疑でも、私の話が事実であったことが判明したとき、あなたが私の無念を晴らして下さることを、私は信じています。〉

     夫による妻子殺害計画を告発する被害者本村瑞香の「手記」はこう締めくくられていました。夫の本村弘樹に任意で事情を聞いていた警察は、編集者からの連絡でこの手記の存在を知らされて色めき立ち本村弘樹逮捕に踏み切るのですが、弘樹の容疑を裏付ける、もう一つの「死者の告発」がありました。
     幼稚園児だった3年ほど前から、祖母とのメール交換を続けてきた被害者本村朋樹が転落死の前夜、祖母宛にメールしていたのです。タイトルは「おばあちゃんにいうこと」。祖母の供述によれば〈私にはとても信じられないといいますか、信じたくないというのが正直な気持ち〉という衝撃的な事実が綴られていましたが、その内容はミステリー作品であることを考慮してこれ以上触れないでおきましょう。

     ここで全体の構成をざっと見ておきましょう。先述しましたが、裁判シーンはでてきません。
    〈序章 ことの始まり〉は、母子の転落死を伝える地元新聞の記事です。
    〈第一章 死者の告発〉
     会社員藤井友利子の司法警察員に対する供述調書
     被害者本村瑞香の手記
     無職本村育子の司法警察員に対する供述調書
     被害者本村朋樹のメール

     章見出しにある通り、第一章は二人の死者が書き遺した「告発」とメールを受け取った二人の司法警察員に対する供述調書で構成されています。

    〈第二章 生者の弁明〉
     被告人本村弘樹の陳述書

     ここまでで二人の死者の告発と生者の弁明が揃いますが、その内容が真っ向から食い違い、事件が思いもよらない顔を見せ始めます。
    〈第三章 証言者たち〉は、死者と生者の主張の食い違いを検証し、事件の謎に挑む被告人本村弘樹の弁護人、睦木怜(むつぎ・れい)による調査の記録です。
     会社員溝口雄二の弁護人に対する供述
     主婦溝口佐木子の弁護人に対する供述
     税理士吉田達彦の弁護人に対する供述
     事務職員小笠原翔太の弁護人に対する供述
     歯科医師乾公明の弁護人に対する供述

     溝口雄二と溝口佐木子の夫婦は、被告人本村弘樹の別荘の隣人であり、事件前夜、本村の別荘で一緒の時を過ごしています。溝口雄二が本村朋樹の本当の父親であることは既に書きました。税理士吉田達彦は、本村瑞香の実家の顧問税理士、小笠原翔太はそこの事務職員で、瑞香の相続処理を担当していた。吉田、小笠原に歯科医師乾公明を加えた3人は瑞香と関係していた。

     そして〈第四章 事件の本質〉は、判決から3か月後、本村弘樹に宛てた弁護士睦木怜の書簡で始まります。
     弁護士睦木怜の書簡
     Xにまつわるひとつの推論
     元被告人本村弘樹の書簡
     Xの独白

     睦木弁護士の書簡は、こう書き出されます。
    〈同じ時間に同じ場所でひとつの事柄を経験した二人の人間が、正反対の事実を述べて第三者に判定を求める。よく考えれば、裁判とはおかしなものです。
     被害者と加害者。真実は、当の本人たちがいちばんよく知っているにもかかわらず、彼らはなにも知らない裁判官に結論を委ねるのです。どちらかが嘘を吐いている──。真実を述べているのは、はたしてどちらなのか? なにも知らないがゆえに、裁判官は真摯に迷い、そして悩むことでしょう。
     本当は、どちらも真実を述べてはいないのかもしれません。それでも、刑事裁判に引き分けはありません。軍配はかならずどちらかに上がるのです。
     のっけから妙なことを申し上げました。(後略)〉

     被告人に下された判決で幕が閉じられるミステリーが多いのですが、本作品は、長い弁護士生活を経験して作家に転じた著者が「夫による妻子殺害事件」を通して描こうとした「法」をめぐる重いテーマが「判決後」に鮮やかに浮かび上がってきます。死者と生者の主張の食い違いや二人を取り巻く人たちの供述のそこかしこに重要な布石を埋め込んだ構成力は見事です。幾度、読み終えた章に立ち返って作者が仕掛けた“布石”を探して確かめたことか。

     続く〈終章 決着〉は、ある人物の自殺を報じる新聞記事。思いもよらない結末に息を呑みました。

    「法」とは、「裁判」とは何かを縦軸に、横軸には本村弘樹と溝口雄二、本村瑞香と溝口佐木子――四人の男女(二組の夫婦)の対照的な人生。これらを巧みに編みあわせたリーガルミステリー。タイトルの「敗者」という言葉が胸に突き刺さる。(2017/11/10)
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    投稿日:2017年11月10日
  •  なぜ、司法はこれを裁けないのか?
     当事者の男女二人だけの密室――一流ホテルの部屋で行われた性行為をめぐって、女性が「レイプ事件」として被害届と告訴状を出した。相談を受けた所轄の高輪署の担当捜査員は当初、〈疑わしいだけで証拠が無ければ、罪には問えない〉とこの種の事件の難しさを繰り返していたが、2か月間の捜査の末に逮捕状請求にこぎつけ、裁判所もそれを許可した。
     そして――ワシントンから帰国する男の予定を掴んだ捜査員が、逮捕状を手に成田空港へ。そこで男の到着を待っていたところに緊急連絡が入り、男性の逮捕が取り止めとなった。その4日前の6月4日――担当捜査員は被害者の女性に電話で〈八日の月曜日にアメリカから帰国します。入国してきたところを空港で逮捕する事になりました〉と伝えてきていた。逮捕に向けて準備万端整っていたはずだった。
     いったい、何があったのか。不可解な逮捕取り止めの状況について、被害者の伊藤詩織さんが紙・電子同時に緊急出版した問題の書『Black Box(ブラックボックス)』(文藝春秋、2017年10月18日配信)にこうあります。

    〈・・・逮捕予定の当日に、A氏(引用者注:高輪署の担当捜査員)から連絡が来た。もちろん逮捕の連絡だろうと思い、電話に出ると、A氏はとても暗い声で私の名前を呼んだ。
    「伊藤さん、実は、逮捕できませんでした。逮捕の準備はできておりました。私も行く気でした、しかし、その寸前で待ったがかかりました。私の力不足で、本当にごめんなさい。また私はこの担当から外されることになりました。後任が決まるまでは私の上司の〇〇に連絡して下さい」(中略)
    「検察が逮捕状の請求を認め、裁判所が許可したんですよね? 一度決めた事を何故そんな簡単に覆せるのですか?」
     すると、驚くべき答えが返ってきた。
    「ストップを掛けたのは警視庁のトップです」
     そんなはずが無い。なぜ、事件の司令塔である検察の決めた動きを、捜査機関の警察が止めることができるのだろうか?
    「そんなことってあるんですか? 警察が止めるなんて?」
     するとA氏は、
    「稀にあるケースですね。本当に稀です」
     とにかく質問をくり返す私に対し、
    「この件に関しては新しい担当者がまた説明するので。それから私の電話番号は変わるかもしれませんが、帰国された際は、きちんとお会いしてお話ししたいと思っています」
     携帯電話の番号が変わる? A氏はどうなるのだろうか?
    「Aさんは大丈夫なんですか?」
    「クビになるような事はしていないので、大丈夫だと思います」〉

    〈納得いかない〉と繰り返す著者に対して、〈私もです〉と同意したA氏は〈自分の目で山口氏を確認しようと、目の前を通過するところを見届けた〉とまで言ったという。
     不可解な事態は警視庁だけではありません。東京地検の担当M検事もまた、逮捕にストップがかかった当日に担当から外れていた。

     逮捕にストップがかかった2015年6月8日から2か月ほど遡った4月3日、「事件」は起きました。
    「準強姦罪」で告発された男性は、当時、TBSワシントン支局長だったジャーナリスト・山口敬之氏。ニューヨークの大学でジャーナリズムを学んで帰国していた著者は、ニューヨーク時代アルバイト先のピアノバーで知り合った山口氏にメールを送った(2015年3月25日)。

    〈以前山口さんが、ワシントン支局であればいつでもインターンにおいでよといってくださったのですが、まだ有効ですか?笑
    現在絶賛就活中なのですが、もしも現在空いているポジションなどがあったら教えていただきたいです。〉

     山口氏からはその日のうちに以下の返信が届いた。

    〈「インターンなら即採用だよ。
    プロデューサー(有給)でも、詩織ちゃんが本気なら真剣に検討します。ぜひ連絡下さい!〉

     4月3日。詩織さんは一時帰国した山口氏と恵比寿で待ち合わせ、山口氏行きつけの寿司屋などで食事をし、酒を飲んだ。飲食途中から記憶を失った詩織さんが覚醒したのは、ホテルのベッドの上だった。

    〈目を覚ましたのは、激しい痛みを感じたためだった。薄いカーテンが引かれた部屋のベッドの上で、何か重いものにのしかかられていた。
     頭はぼうっとしていたが、二日酔いのような重苦しい感覚はまったくなかった。下腹部に感じた裂けるような痛みと、目の前に飛び込んできた光景で、何をされているのかわかった。気づいた時のことは、思い出したくもない。目覚めたばかりの、記憶もなく現状認識もできない一瞬でさえ、ありえない、あってはならない相手だった。〉

     あってはならない相手の、あってはならない行為のこれ以上の詳細はここでは触れません。
    〈What a fuck are you doing!(何するつもりなの!)〉罵倒の言葉を投げつけてホテルを出た詩織さん。彼女はボロボロになりながらも、自らの身に起こった「あってはならない行為」に対する闘いを始めます。
     レイプ犯罪にあったとき、どうすればいいのかわからないまま、妊娠の可能性が気になって産婦人科には行った。モーニングアフターピルをもらいたかったからだ。しかし、そこでレイプ事件に必要な検査――血液検査やDNA採取――は受けられなかった。著者は、自らの経験に基づいて医療機関にレイプキットを備えておくことの重要性を訴えています。スウェーデンの先進的取り組みを現地取材した報告は、日本の現状を考えると示唆に富むものとなっています。

     さて、「事件」に戻ります。証拠採取はできませんでしたが、「デートレイプドラッグ」使用を確認できなかったことを別とすれば、著者の「事件」の場合そのこと自体は捜査の決定的な壁にはなりませんでした。強姦事件(および準強姦事件=主に意識の無い人に対するレイプ犯罪)の大きな争点は
    (1)行為があったか
    (2)合意があったか
     の2点です。この事件の場合、訴えられた山口氏も行為があったことは否定していません(妊娠の可能性を気にする著者に対して、山口氏は〈(妊娠の可能性はないとメールしたのは)精子の活動が著しく低調だという病気〉だからと返信している)。したがって問題は両者の間に性行為について合意があったのかどうかに絞られます。

    〈「行為」があった証拠が完全に揃っていたとしても、警察で「一緒に部屋に入っただけで合意だ」と言われ、起訴されないことすらある。
     私の事件の場合、私が引きずられるようにしてホテルに入ったのは、ビデオを見てもらえればわかると思うが、その後、部屋の中である程度の時間が経っている。
     その間、合意したのか、しないのか?
     密室の中で起こったことは第三者にはわからない、と繰り返し指摘された。検事はこれを「ブラックボックス」と呼んでいた。
     しかし、意識の無い状態で部屋に引きずり込まれた人が、その後、どう「合意」するのだろうか? こんなことを克明に証明しなければならないなら、それは法律の方がおかしいと思う。〉

     一旦、逮捕状が出されながら、執行寸前のところでストップがかかったことは先述の通りです。「事件」は警視庁捜査一課に引き継がれますが、結局証拠不十分で不起訴処分が確定します。逮捕状の執行が取り止めとなった2015年6月8日から約1年後、2016年7月22日のことです。その直前、東京地検の担当検事が著者にこう語ったという。

    〈担当のK検事と二度目に面会したのは、二〇一六年七月半ばのことだった。検事との話に、目新しい展開はなかった。検事は最後にこう言った。
    「この事件は、山口氏が本当に悪いと思います。こんなことをやって、しかも既婚で、社会的にそれなりの組織にいながら、それを逆手にとってあなたの夢につけこんだのですから。それだけでも十分に被害に値するし、絶対に許せない男だと思う。
     あなたとメールのやりとりもあって、すでに弁護士もつけて構えている。検察側としては、有罪にできるよう考えたけれど、証拠関係は難しいというのが率直なところです。ある意味とんでもない男です。こういうことに手馴れている。他にもやっているのではないかと思います」
     そして彼は、日本には準強姦罪という罪状はあるが、実際にはなかなか被疑者を裁けない、と、現行法の持つ矛盾を、長い時間かけて語った。〉

     残された最後の手段――著者は検察審査会への申し立てを行い、同時に顔と名前を明かして司法記者クラブで記者会見を開いた。2017年5月29日のことです。
     逮捕状の執行が突然止められた事実。その判断を下したのが当時、警視庁刑事部長だった中村格氏であったこと。中村氏は菅義偉官房長官の秘書官として辣腕を振るい、安倍官邸から重用されてきた。そして、訴えられている山口氏もまた、政権中枢に食い込んで『総理』(幻冬舎、2017年4月11日配信)を出版するほど安倍晋三首相周辺と親密な関係にあるらしい・・・・・・著者の「事件」は、森友・加計学園疑惑をめぐって官僚の過剰なまでの忖度などが問われていた安倍官邸で起きた同根の問題ではないかと波紋を広げました。中村刑事部長の指示によって逮捕が取り止めとなったのは、そうした政治的な力学が働いたのではないか、というわけです。
     疑惑が深まるなかで、2017年9月22日に検察審査会が出した結論は「不起訴相当」でした。幾重ものブラックボックスが性犯罪被害者の切実な訴えに立ちはだかっているのです。

    〈今までは出来る女みたいだったのに、今は困った子どもみたいで可愛いね〉

     下着を返して欲しいと言ったら「お土産に頂戴」と言われ、力が抜けて膝に力が入らず、座り込んでしまった際に、山口氏に言われた言葉だそうです。
     なぜ、司法はこれを裁けないのか。(2017/11/3)
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    投稿日:2017年11月03日
  •  書店の文庫平積み台に並べられた本に巻かれたオビの「NHK朝ドラ『わろてんか』ヒロインで話題」の惹句が目にとまった。山崎豊子著『花のれん』(新潮文庫、2014年6月20日配信)です。毎日新聞在職中の1958(昭和33)年に中央公論社から刊行され、第39回直木賞を受賞(1958年上期)。大阪船場の老舗昆布屋に生まれた山崎豊子が、吉本興業の女主人、吉本せいをモデルに大阪商人の「ど根性」を描いた初期代表作で、1961(昭和36)年に新潮文庫に入り、以来2005(平成17)年の50刷改版を経て、2017(平成29)年10月に70刷に達した超ロングセラー作品です。繰り返し舞台、映画、ドラマ化された昭和の名作だ。
     その魅力として特筆されるべきは、なんといっても大阪弁の妙味ある会話だ。
     ヒロインは、河島多加。21歳で船場の呉服店に嫁いだが、夫の河島吉三郎は家業に関心がなく、節季(2、4、6、8、10、12の月末の支払日)になると、金繰りの苦しさから支払いを求める取引先への言い訳を多加に押しつけて店を逃げ出し夜になるのを待って戻る頼りなさ。芸事にうつつを抜かすばかりの夫に、ならばいっそ道楽を本業に――呉服店を閉め寄席をやったらどうや、と多加が勧めて、二人は天満(てんま)に〈風呂屋にでもしたろかいうような寄席〉を見つけ売り値450円を430円に値切って買い取り、寄席商売に参入します。多加が25歳、吉三郎が34歳の夏、明治44年の7月の初めでした。
     それから3年たった大正3年の正月、松島の芦辺館(あしべかん)を手に入れてこれからという矢先に、性来の飽き性が首をもたげて来た吉三郎の女遊びが始まった。そして馴染みの芸者の妹、21歳の素人娘に小料理屋を持たせたあげく、その妾宅(しょうたく)で急死。同衾(どうきん)中の発作から来た心臓麻痺、まだ38歳だった。
     思いがけず大きな額の借財が29歳の若く美しい寡婦となった多加に残された。白い喪服で二夫に目見(まみ)えぬという覚悟を示した後、多加はひとり息子の世話を女中のお梅にまかせ、寄席商売一筋、借金返しに邁進します。
     大正7年の正月。多加の前に大きなチャンスがめぐってきます。
    ――大阪を代表する一流亭、法善寺の金沢亭が売りに出ているという。
     宗右衛門町の川筋に面した『菱富』の奥座敷。床の間をうしろにして坐る70歳近い金沢亭席主と向き合った多加。大阪弁による虚々実々の商談が面白い。少し長くなりますが、紹介しましょう。

    〈「ところで、お多加はん、今度はちょっと高うおまっせえ」
     と、切り出した。
    「いきなり、女なぶりは、きつうおます、なんし、後家の細腕一本でっさかい、気張って、まけておくれやす」
     軽く振りきり、多加は張りのある一重瞼(ひとえまぶた)を細めながら、油断なく金沢亭の気色(けしき)を見て取った。
    「後家はん云うたかて、あんたはたいした後家や、女や思うて甘うみてるうちに、ちゃんとした一本立ちの席主になって、こうしてわいにも買いに出てはる」
     ここで言葉を切ったかと思うと、袷(あわせ)の胸もとをはだけて、胸まで巻いたゴム編の毛糸の腹巻から、懐中用の豆算盤(まめそろばん)を取り出した。
    「わいも寄席(こや)を手離すからには、もう齢(とし)だすし、あとは貸家業でもして楽隠居する気やさかい、まとまった銭を握らして貰(もら)いまっさ」
    「まあ、そない、気忙(きぜわ)しゅう切り出しはって、フ、フ……」
     多加は、低く笑った。
    「いや、この勘定次第で、酒の味まで違うて来まっさかいな」
     白髪になった眉(まゆ)の下から、勘定高い眼を向けた。
    「あ、その方は、手前が、うかがわせて戴(いただ)く役でおます」
     ガマ口が、這(は)い出すように前へにじり出た。
    「席主のお多加はんが来はったら、もう番頭は引っ込んでんか、なんや、つぶれたガマ口みたいな大きな口パクパクさして」
     はたきつけるように云い、机の上の算盤をぱちりと、弾(はじ)いた。
    「南の一流亭の、のれん料も入れて、これで、どうだす」
     手垢(てあか)で黒光りになった珠が、二万三千円と弾き出された。
    「二万と三千、そら、えげつないでっせえ、一つこれでどうだす?」
     多加は、ついと白い指を伸ばして、眼の前の算盤珠を、パチパチと器用に下げた。──二万七百円──
    「あかん、お多加はん、そんな手荒い珠のいらい方あるかいな、ほんなら、これでどうや、五分引きや」
     ──二万一千八百五十円──
    「阿呆(あほ)らしい、こんな取引は二割方の値幅を見込んではりまっしゃろ、そいで、せめて一割は泣いて(値引き)おくれやす」
    「最初から、きれいに五分引きにしてるのや、たった一千百五十円の差やおまへんか、そんな汚ない女勘定(おんなかんじょう)云わんときなはれ」
     金沢亭は、せせら嘲(わら)うようなあざとい笑い方をした。七十の老耄(おいぼ)れに似合わぬ凄(すご)みのある侮(あなど)りである。多加は、ふっと、怯(ひる)みかけたが、
    「たった一千百五十円やおまへん、木戸銭十銭、定員四百人の寄席(こや)で一千百五十円水揚げしよう思ったら、一カ月満員にせんなりまへん、商人(あきんど)いうもんは、どない大きな肚(はら)持ってても、算盤珠弾く時だけは、細こうに弾くもんだす、二万七百円は、わての筒(つつ)一杯(いっぱい)の出銭(でがね)だす」
    「ふうん、さよか」
     金沢亭は軽く受け流しながら、多加の強靱(きょうじん)な商い腰に、やや虚を衝(つ)かれたようだったが、煙管(きせる)を取り出し、一服喫(す)いはじめた。喫い終ると、癇症(かんしょう)らしく煙管を何度も吹き通してから、今度は有無を云わさぬ強引さで、
    「ほんなら、お互いに歩み寄って、端数(はすう)を落して、これで手を打ちまひょ、二万一千円──」
    「えらい、せっかくですけど、わては家を出る時は、二つ(二万円)の心づもりで来てるぐらいでっさかい、はじめ弾いた二万七百円以上は、算盤が逆さになっても応じられまへん」
    「あんたも、なかなかしぶとい女(おなご)はんや、色気が無(の)うても、顔にちゃんと金気(かねけ)が出てる、さあ、この辺が、もう、取引のきりだっせえ」
     多加は突きつけられた算盤を前にして、前屈(まえかが)みになったまま、押し黙った。胸の中では、二万一千円ならまあ買いもんや、そやけど、寄席(こや)の手入れにも銭のかかる時やから、値切れるだけ値切りたいと胸算用した。だが、金沢亭の顔には、老(おい)の一徹に近い癇気(かんき)が来ている。貸家業をして家賃で食べたいという肚を読んだからには、この辺で手を打つべきやろか──。ちらっと、ガマ口の方を見た。ガマ口は眼で合図した。多加は軽く頷(うなず)き、金沢亭へ向き直り、
    「ほんなら、二万一千円で手を打ちまひょ、その代り銀行で借りる金でっさかい、三回割り払いということにしておくなはれ」
    「それもあかん云うたら、親子ほど齢(とし)の違う女の尻(けつ)の穴までしゃぶりよったいうことになるやろ」
     と云い、金沢亭は、穴のあくほど多加の顔を見、
    「お多加はん、あんたはえらい女(おなご)の大阪商人や、値切られへん思うたら、せめて銀行利子だけでも浮かしたろいう根性やな、よっしゃ色つけて三回割り払いにしまひょ」
     金沢亭は、ポーンと多加の左肩を敲(たた)いた。大阪商人が、よっしゃと云って、ポーンと肩を敲けば、もう証文なしで商談が成り立っているのである。多加は、敷いていた座布団(ざぶとん)から辷(すべ)り降りた。
    「おおきに、金沢亭を譲って貰(もろ)うた上に、女(おなご)の大阪商人やとまでいうて戴いたら、わてなりののれんを、この寄席(こや)に掲げさして貰います」〉

     標準語ではどぎつくいやらしさが際立ってしまうような場面も、大阪弁独特のやわらかさが女の大阪商人のビジネス――男社会に挑む商いの真剣勝負を〈驚くほどの複雑豊富なニュアンス〉(文芸評論家・山本健吉「文庫版解説」)で楽しませてくれる山崎豊子の巧みさ。本作で直木賞をとり、毎日新聞社を退職。作家生活に入り、『白い巨塔』(新潮社、2014年6月20日配信)、『華麗なる一族』(新潮社、2014年6月20日配信)、『不毛地帯』(新潮社、2014年6月20日配信)、『二つの祖国』(新潮社、2014年6月20日配信)、『大地の子』(文藝春秋、2013年3月22日配信)、『沈まぬ太陽』(新潮社、2014年6月20日配信)、『運命の人』(文藝春秋、2013年3月22日配信)などのベストセラーを連発。2013年逝去した後も、作品は時代性を失うことなく読まれ続けていますが、大阪弁、なかでも商人言葉の面白さこそが山崎文学の原点なのだと改めて思います。

     本作『花のれん』は、大阪を笑いの王国にした女(おなご)の一代記で、桂春団治、アチャコ、エノケンらの実在芸人も登場し、彼らの素顔や興味深い舞台裏も描かれています。春団治と多加が激しくぶつかった〈ラジオ騒動〉の顛末がいろんな意味で面白い。時は昭和の初め頃。多加は大阪、京都に16軒の寄席(こや)を持つ大席主になっています。

    〈「師匠、夜分、居坐り強盗みたいに参上致しましたのは、今日、師匠が出はったラジオ出演のことだす、あれは、ちゃんと一本、約束が入ってるやおまへんか、これでは約束を反古(ほご)にして、花菱亭の首絞めはったのと同じや、師匠が、そんな気でいてはるなら、花菱亭(うち)も、その気で勘定さして貰(もら)いまっさ」
     と云うなり、皮の手提げ袋の止め金をはずし、中から白い紙片を出したかと思うと、紫色の長い舌で唾(つば)をつけ、眼の前の長火鉢の上へペタリと貼(は)り付けた。幅八分、縦一寸五分位の長方形の白い和紙に、花菱亭と墨で記した上から、印肉の判を捺(お)している封印紙であった。
    「ガマ口はん、一体、これなんやねん」
    「へへ……、高利貸しやおまへんけど、貸金と損害賠償の抵当(かた)に、家財道具を差押えさして貰う次第でおますわ」
    「そんなえげつない! 御寮人さん、何とか──」
     春団治は、一言も口をきかないでいる多加の方へ振り向いた。多加は無表情な顔で、春団治の眼をじろっと一瞥しただけで、答えなかった。〉

     不貞(ふて)くさったように長火鉢に肘(ひじ)をついて、独酌でコップ酒を飲んでいる春団治を横目に、ガマ口は、長持、箪笥(たんす)、机、さらに花瓶から脇息(きょうそく)、乱籠(みだれかご)、衣裳箱(いしょうばこ)の中の着物に至るまで封印紙をペタ、ペタ、貼り付け、差押え物件を一々、丹念に帳面に書き込んだ。

    〈「御寮人さん、これで家財道具一切、差押えだす、あとは三度のご飯を食べる鍋(なべ)、釜(かま)と茶碗(ちゃわん)だけということですわ、宜(よろ)しおますか」
     ガマ口が帳面を多加に示すようにして、尋ねた。
    「ご苦労さん」
     と頷(うなず)きながら、多加はいきなり、つかつかと長火鉢の傍(そば)まで近付いた。多加の白い手が大きく伸びたかと思うと、寝そべりかけている春団治の口の上へ、ピタリと封印紙を貼りつけた。春団治は跳(は)ね起きざまに自分の口に手を当てた。
    「殺生な! 口まで差押えせんかて借金は返したるで」
     封印紙が下唇だけはずれて、春団治の上唇の上でヒラヒラした。
    「師匠、わては借金の一寸の証文が三寸になるより、ラジオが一番こわい、家財道具より師匠の口を、差押えさして貰いまっさ」
    「そんなえげつない、落語(はなし)の質入れは聞いたことあるけど、口の差押えは生れて聞き始めや、せちべん(しぶい)なことしなはんな」
    「商いにせちべんな算盤(そろばん)はじくのは、あたり前やおまへんか、師匠が人気者の桂春団治の間は、わての大事な商品やさかい、商品並につき合して貰いまっさ、その代り師匠が落ちぶれはったら、人並に優しうしたげまっさ」
     そう云いながら多加は、春団治の上唇で取れそうになっている封印紙を、もう一度貼り直すように指先で押えた。
    「さよか、落ちぶれるまでわては商品というわけでっか……、さすが、あんたは、女のくせに大阪一の馬鹿(ばか)でっかい通天閣を買うたお人だけおますわ」
     封印紙の下の不自由な口でこう云い、春団治は眼尻(めじり)に奇妙な薄笑いをうかべた。〉

     春団治の奇妙な薄笑い――3か月はこともなく過ぎますが、再び春団治はラジオに無断で出た。席主の懇親会で城崎温泉に来ていた多加は、電報で連絡を受け帰阪しますが、さてどうしたものか、さすがに妙案も浮かばず困り果てていたところに、〈ラジオで、札止め〉の知らせ。車に乗って法善寺に走った。

    〈寄席(こや)の中は、これ以上入れ込みがきかないほど詰っていた。七月の初めというのに、満員の客は蒸し暑くなった人気(ひとけ)を、出番書(でばんがき)でパタパタ扇(あお〉いで風を送っている。木戸番に聞いてみると、昨日の三倍の入りであった。まだ高座には春団治がかかっていなかったが、ラジオの春団治の噂(うわさ)が桟敷(さじき)にも廊下にも溢(あふ)れていた。
     ──これはわての負けやった──、多加はこう小さな声で独り言を云い、押し合う客に揉(も)まれてゆるんだ帯〆(おびじめ)を、そっと締め直した。〉

     独特の発想でのし上がってきた多加。落語家の口に封印紙を貼って差し押さえまでして止めようとしたラジオ出演を〈わての負けやった〉とあっさり認めて生まれ変わっていく才覚とたくましさ。今に生きる教訓は数えきれませんが、ラジオ騒動の顛末から思い浮かんだことが、ひとつあります。
     10月24日配信の「週刊朝日」(2017年11月3日号)電子版の表紙――異様です。表紙中央の大きな人物写真がグレーにマスキングされ、それが誰なのかわからなくなっているのです。もっともシルエット画像の左側に小さく「櫻井翔」の名前が残っていますから、想像はつきます。さらにインタビュー記事も収録されているのですが、ここでも櫻井翔の写真は表紙と同じように“消され” ています。もちろん週刊朝日だけの現象ではありません。理由ははっきりしています。櫻井翔が所属するジャニーズ事務所が電子書籍やネットメディアに対しては所属タレントの写真収録を許可しない方針を貫いているためにマスキング表紙が氾濫しているというわけです。ジャニーズ事務所を退所した香取慎吾らの写真が解禁されて電子書籍やネットでも普通に収録されるようになってファンが大喜びしたのはついひと月ほど前のことです。
    〈ラジオ解禁〉のエピソードから現代の〈マスキング写真〉に連想が拡がった次第です。ちょっと脱線しましたが、大阪弁で読ませる初期山崎文学――本書の他、デビュー作『暖簾』(新潮社、2014年6月20日配信)、『ぼんち』(新潮社、2014年6月20日配信)、『しぶちん』(新潮社、2014年6月20日配信)も併せてお読みください。(2017/10/27)
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    投稿日:2017年10月27日
  •  1945年3月、太平洋戦争末期の沖縄本島。米軍の容赦ない空爆、艦砲射撃が開始され、そして4月1日上陸してからは火炎放射器が兵士ばかりか住民を追い回し、焼いた。家族をすべて失い、一人生き残った少女――占領下の沖縄からボリビアに渡り、激動の時代を逞しく生き抜いた知花煉(ちばな・れん)の一代記『ヒストリア』(角川書店、2017年8月25日配信)。1970年沖縄・那覇に生まれ、石垣島で育った気鋭作家、池上永一が20年前から温めてきた〈オキナワ〉の物語だ。
     ヒロイン知花煉の述懐を綴る、こんな一節がある。

    〈生きるか死ぬかの瀬戸際に追い詰められるまで、同時に家族、友人、知人が皆殺しにされるまで、戦争がどういうものなのか、ピンときていなかった。両親は誰かに憎まれて殺されたわけじゃない。友達も何ひとつ悪いことをしていなかった。それなのにある日、爆弾が落ちてきて、骨も歯も残らないほど粉砕された。極悪人の処刑でもここまでしないだろうというほどに。恐ろしいのは、アメリカ軍は私たち住民をまったく憎んでいなかったということだ。人は憎悪がなくても悪魔になれる。それが戦争というものだった。〉(「第十三章 私の魂の還る場所」より)

     米軍上陸前夜の空襲が始まり、〈最初の一発が女の叫び声のような音をたてて大地に炸裂し〉その衝撃で知花煉は〈自分の意志とは裏腹に大地を転が〉り、〈天と地が泥濘んでいるような曖昧な空間を木の葉のように舞〉い、マブイ(魂)を喪失した。普通なら肉体も失って〈死〉を迎えるはずですが、しかし肉体は存続し、知花煉が二人になった。マブイは地球の反対側のボリビアに飛ばされた。不発弾に守られるようにして横たわっていて覚醒し、〈長い死に際〉を生きることになった知花煉は沖縄戦の過酷な現実のなかに放り込まれ、100日間逃げまどう。「第一章 私の長い死に際」より引用します。

    〈私は敵を見た瞬間に殺されてしまう立場だった。敵と遭遇しないことこそ生き延びる唯一の道だった。この敵とはアメリカ兵はもちろん、日本兵も含まれる。銃を持った兵隊は全員が敵だった。〉
    〈もはや人の道に悖(もと)る連中だった。お国のためだと言って米を略奪する。水場を独占する。逃げ場の壕を奪う。泣いても喚(わめ)いても無駄だった。私が芋を両手で抱えている時のことだ。三日ぶりの食糧でやっと手に入れたものなのに、兵隊は恐ろしい顔をして、
    「いざとなったらこれで死ね」
     と手榴弾と交換させられた。私の命は手榴弾と同じだといわんばかりの口調だった。戦況は内側に日本軍というもうひとつの敵を内包し複雑になっていた。アメリカ兵は嫌いだが、日本兵は恐ろしかった。
    「せめて空腹を紛らわすお水だけでもください……」
    「貴様、なんだその目は!」
     私は眼鏡の日本兵が振りかざした銃床で殴られ泥のなかに突っ伏した。〉

     玉砕が迫る中で、この眼鏡の日本兵は奇形の芋虫にしか見えない陰茎を目の前に突きつけ、煉を自らのおぞましい性欲のはけ口にさえした。沖縄住民、とくに老人や子どもは、戦場の生態系のなかで最底辺に属していた。

     1945年6月23日。沖縄戦は終結した。夥しい屍体と、それと同じくらいの瀕死の生存者と、圧倒的な絶望。そんな占領下沖縄の戦後を知花煉は逞しく生きる。嘉手納飛行場近くのコザ市(現・沖縄市)の一角でアメリカ製品の横流しを請け負う商売を営み、後に初代琉球列島高等弁務官となるジェームズ・E・ムーア陸軍中将の知遇を得るが、ちょっとした手違いから米陸軍CIC(Counter Intelligence Corps 対敵諜報部隊)に追われる身に。そして、肉体を持つ知花煉も偽造パスポートを手に入れ白い移民船『チサダネ』号に潜り込みボリビアに渡ります。アフリカ最南端の喜望峰(きぼうほう)を回って大西洋に入り、ブラジルのサントスまで50日間の船旅です。
    〈煉、待ってるよ〉
     沖縄を離れる間際、知花煉の頭に響いた声。地球の裏側のマブイ(魂)が誘っているのだろうか。
     沖縄から遠く離れた南米ボリビアの地。二人になった知花煉――肉体を持つ「私」とマブイの「わたし」の物語が並行していく。入植地に入った知花煉は、大洪水や疾病による挫折を味わいながらも未開の地を切り開き、コロニア・オキナワを築きあげる。
     そしてもうひとりの知花煉がゲバラと出会い恋に落ちていき、物語は一気に戦後の裏面史を織り込んだスケールの大きな展開へと動き始めます。

    〈すっきりとした面持ちの青年が、まるで旧友との再会を懐かしむような顔で近づいてくるではないか。私は反射的に身を強張らせたが、青年の笑みは確信に満ちていく。
    「間違いないポデローサ号だ。懐かしい。おお神よ、一体なぜポデローサ号がボリビアにあるんだ!?」
     上流階級の服装をした青年のスペイン語のイントネーションから、アルゼンチン人だと思われる。〉

     知花煉の愛車、ミヤラビ号はその青年が手放したものを再生したバイクだった。意気投合してラパスまで一緒に行くことになった二人。ラパスまでの道のりは日を跨ぐ。この夜、二人はコチャバンバというボリビア第三の都市で休むことにした。亜熱帯のサンタクルスとは異なり、コチャバンバは高山性の気候に変わる。

    〈「レンのベッドはここ」
     エルネストは私の腕を引っ張り、全身で受け止めた。子供っぽい振る舞いだが、お見事でもある。
    「私は行きずりの関係は嫌よ」
    「ぼくだって嫌だよ」
     私たちは同時に唇を重ねた。すぐに私たちは全身に火がついたように昂(たかぶ)った。コチャバンバの夜の寒さなんてもう問題ではなくなった。私たちの肌は汗でぴったりとくっついてしまった。私は初めてなりふり構わない夜を過ごした。(中略)
     私はエルネストに恋をした。彼のまたの名をチェ・ゲバラという。〉(「第四章 風の中の初恋」より)

     世界は米国とソ連の冷戦の時代。ボリビアでは武装蜂起して政権を奪取した民族革命運動党(MNR)によるボリビア革命(1952年~1964年)が始まっていました。
     知花煉はボリビアで3人の“仲間”を得ます。
    ・カルロス・イノウエ………沖縄の血を引くボリビアの日系三世。機械の修理を得意とする。
    ・セザール・イノウエ………カルロスの兄。カルメンの熱烈なファン。
    ・カルメン……………………女子プロレスラー。ボリビアの国民的英雄。バット・プレスが必殺技。
     ひとつの肉体を巡ってぶつかり合い乗っ取りをはかる二人の知花煉の戦い。米陸軍が使っていた大型輸送機を手に入れ空賊として南米中を飛び回る煉と3人の仲間の大胆かつ危機一髪の連続シーン。沖縄の基地から盗み出されたメースB(中距離巡航ミサイル)の核弾頭を米ソ核危機(1962年)さなかのキューバに持ち込みカストロに渡そうと画策する〈わたし〉。キューバには恋人のゲバラがいる。そしてカストロの手に渡る前に核弾頭を〈欲望と本能の赴くままに動く野獣〉から奪い返そうとキューバに向かう〈私〉の息詰まる攻防。そして結婚と清香(さやか)の誕生。最愛の娘の誘拐と奪還。夫の死。

     およそ400字詰め原稿用紙2400枚、紙書籍629ページの長編エンターテイメント。それにしても、なぜ、ボリビアなのか。著者はあるインタビューでこう語っています。

    「発端は僕が二十七歳の時、帰省中に、NHK沖縄放送局制作の情報番組をたまたま見たんです。
     子どもたちが三線を弾いていて、どこか離島の学校かな、と見るともなしに見ていたら、インタビューに応えて喋る子どもたちの言葉が、古い沖縄の、祖父やその上の世代が喋っていたきれいな首里方言で、『えっ?』と思って、集中しようと意識を向けると「以上ボリビアからでした」と終わってしまった。
    『いまのがボリビアかあ』と頭に刷り込まれて、僕らの世代が聞くことはできるけれど、喋ることはできない言葉を喋る子どもたち。ウチナーグチの舌下音も声調も完璧で、これはどういうことなんだろう、もっと知りたいなと思ったんですよ。ボリビア移民について詳しく知っていそうな研究者に聞きに行くと、いい反応をしてもらえない。はっきりとは言わないんだけど『やめとけ』『彼らのことはそっとしておいてやれ』というニュアンスです。
     そうなるとさらに知りたくなるじゃないですか。自分なりに調べていくと、戦後の沖縄で、多くのボリビア移民が海を渡っていた。まるでパラダイスに行くかのように移民を勧める、移民局の資料も残っていました。
     沖縄では、ブラジルとかハワイに移民した親戚がいるのは割と普通のことです。けれど、戦後の、基地をつくるために農地の強制収容とセットで行われたボリビア移民のことは、忘れた、もしくはなかったことのようにされていた。当時の沖縄の論調というのは、自分たちは真っ白な被害者なんですよ。生きるうえで加害に与した部分もあるのに、そういう歴史は隠蔽してしまっている。そういう複雑な感情が、ボリビア移民に対してはあるんだと思う」(KADOKAWA発の文芸情報サイト「カドブン」より)

     そうした背景の中で、ボリビア移民だけが日本的なアイデンティティ-を死守しているという。
    「ブラジルもペルーもアルゼンチンもチリも、すべて同化の道を選んで日本語をすてているんだけど、ボリビアは違っていた。コロニア・オキナワでは、第一言語を日本語にして、スペイン語は中学を卒業してから学び始めるんです」(同)

    「沖縄の返還なくして戦後は終わらない」沖縄返還(1972年)時の首相で、安倍晋三首相の大叔父、佐藤栄作氏が残した言葉です。
     沖縄が日本に復帰するというニュースを聞いたヒロインの知花煉は、娘の清香(さやか)とともに沖縄に行くことを決意する。

    〈その夜、私はまた戦争の夢を見た。
    ──煉、早く沖縄に来て。私、苦しいよ。
     私は覚悟を決めて目を覚ました。この悪夢を断ち切らない限り、私の戦争は決して終わらない。そのために沖縄に戻るのだ。〉

     ボリビアでボリビア人として生きていくために、コロニアル・オキナワでボリビア人として死ぬために、やっておかなければならないことがある。固い決意を胸に飛行機を乗り継いで沖縄の地に降り立った知花煉。
     沖縄本島中部。煉の村があった場所には[CAMP HANSEN]のプレートが掲げられていた。村は立ち入りできない基地の中だ。頭の中に響く彼女の声――。
    〈──煉、私はここよ! ここにいるわ!〉

     胸の奥底から絞り出したようなヒロイン知花煉の内なる声、
    〈現在も、私の戦争は終わっていない。〉
     この一行で物語は終わります。

     今もそこにある〈戦争〉――ウチナーンチュ(沖縄人)に寄り添う作家の揺るぎない思いがこの巨編〈終わりなき戦争の物語〉を貫き、読み応えのある作品にしています。(2017/10/20)
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    投稿日:2017年10月20日
  •  2017年ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ(代表作『日の名残り』『わたしを離さないで』ほか8作品が早川書房より配信中)が受賞インタビューで「母と一緒に観た小津映画に影響を受けた」と語ったことから、小津安二郎の映画が話題になっていますが、先頃(2017年9月29日)配信が始まった内田百けん(「けん」は「間」と似ていますが、門構えに「日」ではなく「月」を置きます)の『ノラや』を久しぶりに読み直していて、紡がれる言葉、行間からわきたつ家族の温(ぬく)もりにしみじみ感じ入りました。晩年の内田百けんと奥さん、そして2匹の猫が一つ屋根の下で暮らすあれこれを日々綴った連作集は、小津が白黒映画で描いた昭和の家族に重なりあいます。

     私の手元にある中公文庫版『ノラや』の奥付には、
     1980年3月10日 初版発行
     1997年1月18日 改版発行
     2016年10月15日 改版19刷発行
     とあります。改版発行から19刷。20年もの間絶えることなく版を重ねてきた凄い本だということがわかります。初出が昭和31年(1956年)から昭和45年(1970年)にかけてで、翌昭和46年(1971年)に百けん先生は82歳で没します。それから半世紀近い年月を経てなお色褪せることなく、読み継がれている昭和の出版遺産。それが電子書籍になって、いつでも、どこでも読めるようになりました。

     作品の舞台は、戦後間もない昭和23年(1948年)、百けん先生が新居(三畳間が3つ並んだ「三畳御殿」)を構えた東京都千代田区六番町。JR市ヶ谷駅や作品中にしばしば登場する雙葉学園、区立番町小学校、法政大学に近く、また神楽坂、九段の靖国神社、皇居の半蔵門なども歩ける範囲にある一帯です。
     漱石門下の小説家・随筆家の内田百けんと奥さんの二人暮らしに、一匹の野良猫が加わります。日本海軍がハワイ真珠湾を奇襲、対米戦争に突入した翌年に結成された日本文学報国会への入会を拒否した一言居士の大先生(後年、芸術院会員に推薦された時、〈イヤダカラ、イヤダ〉と言って断っています)、野良猫との縁について独特のユーモアをまじえてこんなふうに綴ります。「彼ハ猫デアル」より引用します。

    〈うちの庭に野良猫がゐて段段おなかが大きくなると思つたら、どこかで子供を生んだらしい。何匹ゐたか知らないが、その中の一匹がいつも親猫にくつ附いて歩き、お勝手の物置の屋根で親子向き合つた侭居睡りをしてゐたり、欠伸(あくび)をしたり、何となく私共の目に馴染みが出来た。
     まだ乳離(ちばな)れしたかしないか位の子供が、夜は母親とどこに寝てゐるのか知らないけれど、昼間になると出て来て、毎日同じ所で、何だか面白くて堪らない様に遊び廻る。親猫にじやれついてうるさがられ、親猫はくるりと後ろ向きになつて居睡りを始めてゐるのに、まだ止めない。その内に、相手になつて貰へないから、つまらなくなつたのだらうと思ふ。物干しの棒を伝つてお勝手の庭へ降りて来て、家内が水を汲んでゐる柄杓(ひしゃく)の柄にからみついた。手許がうるさくて仕様がないから家内が柄杓を振つて追つ払はうとしたら、子猫の方では自分に構つてくれるものと勘違ひしたらしく、柄杓の運動に合はして、はずみをつけてぴよいぴよいとすつ跳んだ向うの、葉蘭の陰の金魚のゐる水甕(みずがめ)の中へ、自分の勢ひで飛び込んでしまつた。
     うるさいから追つ払つたけれど、水甕におつこちては可哀想である。すぐに縁(ふち)から這ひ上がつて来たさうだが、猫は濡れるのはきらひだから、お見舞に御飯でもやれと私が云つた。
     彼が水甕に飛び込んだのが縁の始まりと云ふ事になる。彼と云ふのは雄だからである。静岡土産のわさび漬の浅い桶に御飯と魚を混ぜたのを家内が物置の前に置いてやつた。よろこんで食べたらしいけれど、いつの間にか食べてどこかへ行つてしまつたと云ふ風で、何分野良猫の子だから、物を食べる時は四辺に気を配るらしい。その次にまた桶に入れてやつた時、それに気がついても抜き足差し足で近づくと云ふ様子だから、もつとはたから見えない様に、葉蘭の陰に置いてやれと云つた位である。〉

     家に馴染んできた猫はあくまでも〈彼〉であり、いつの間にか〈猫にご飯をやる〉ことが百けん先生と奥さんの癖になっていきます。けっして〈餌をやる〉とは書きません。〈お膳で食べ残した魚の頭や骨は、猫にやればいいと思ふ様になった〉のはごく自然の成り行きで、雨が降る日以降、ご飯を入れたわさび漬けの桶の置き場所もお勝手の上がり口へ変わり、猫は家に一歩近づいた。すっかり乳離れしたようで、親猫の姿を見なくなった頃合いに、先生と奥さんは〈この子猫を飼ってやろうかと云ふ相談〉をして、〈野良猫だからノラと云ふ名前〉を付けます。

    〈飼ふと云ふ事になれば、食べ物と寝床を与へなければならない。物置小屋の板壁の板を少しずらして、小さなノラが出入り出来る位の穴をつくり、その内側にわさび漬の桶と蜜柑箱を置く事にした。蜜柑箱の中には雑巾にする襤褸のきれが分厚に敷いてあつて暖かさうである。
     暫らくの間、彼はその装置に安住し、どこへ行つたのだらうと思ふと小屋の中の蜜柑箱でいい心持に寝てゐる様になつた。腹がへればお勝手口へ来て、にやあにやあ騒いでせがむ。まだ子供だから、そのにやあにやあ云ふ声も心細い程細い。〉(「彼ハ猫デアル」より)

     何日か経つうちに、ノラが風を引きます。まるっきり元気がなくなって、ご飯も魚も食べないノラ。先生夫妻の看病ぶりがけなげというか、ほほえましい。〈コンビーフをバタでこね廻したのに玉子を掛けてやつて見ると、少し食べた〉といって少し安心し、〈水の代りに牛乳を供し〉、さらに〈蜜柑箱の中にはヰスキーの罎に温湯を入れたのを湯たんぽの代りに入れて〉あげるという具合。

    〈手当ての効ありて、二三日でなほつた様だが、その間家内が可哀想がつて頻りに抱いたので、野良猫の癖に余程私共に親近感を抱く様になつたらしい。又寒い雨が降り続いたりしたので、いつの間にか小屋の中のわさび漬の桶はお勝手の上り口の土間に移され、夜も小屋へは帰らず、風呂場に這入つて風呂桶の蓋の上に寝る様になつた。いつの間に彼はその場所を発見したのか知らないが、私は毎日風呂に這入るので、中には大概いつも温かい湯が這入つてゐるから、蓋は何とも云へないいい気持の暖かさになつてゐる。朝鮮のオンドルは話に聞いてゐるだけで実際には知らないが、猫はさう云ふつもりで風呂桶の蓋の上に寝てゐるに違ひない。(中略)
     何しろ風呂桶の蓋がよくて仕様がないらしい。晩になつて私が風呂に這入らうとすると彼がその上を占領してゐるから摘まみ出す。さうしておいて裸になつて行くと、又這入つて来る。仕方がないから又摘まみ出す。もう掛け湯をして、そこいらが濡れてゐるのに又這入つて来る。這入つて来ても、もう蓋はない。すると彼は風呂桶の縁へ上がつて、狭い所で落ちない様に中心を取つてゐる。猫と混浴するのは困る。〉(「彼ハ猫デアル」より)


     仰向けでムササビ(原文では漢字)の様な恰好になつて、腋の下を出して寝ているノラを見て、いたずら心を刺激された先生、〈くすぐつてやつたが平気らしい。人間の様にくすぐつたがらない〉とも綴っています。

     夫婦二人きりの無人の家にすっかり馴染んで、家族の一員となったノラ。しかしある日、その姿が見えなくなります。

    〈三月二十八日木曜日
     半晴半曇夕ストーヴをつける。夕方から雨となり夜は大雨。
     ノラが昨日の午過ぎから帰らない。一晩戻らなかつた事はあるが、翌朝は帰つて来た。今日は午後になつても帰らない。ノラの事が非常に気に掛かり、もう帰らぬのではないかと思つて、可哀想で一日ぢゆう涙止まらず。やりかけた仕事の事も気に掛かるが、丸で手につかない。その方へ気を向ける事が出来ない。それよりもこんなに泣いては身体にさはると思ふ。午前四時まで待つた。帰つて来たら、「ノラや、帰つたのか、お前どこへ行つてたのだい」と云ひたいが、夜に入つて雨がひどくなり、夜更けと共に庭石やお勝手口の踏み石から繁吹(しぶ)きを上げる豪雨になつて、猫の歩く道は流れる様に濡れてしまつた。〉(「ノラや」より)

     翌3月29日、百けん先生、こう続けます。
    〈快晴夕ストーヴをたく。
     朝になつてもお天気になつても、ノラは帰つて来ない。ノラの事で頭が一ぱいで、今日の順序をどうしていいか解らない。夕方暗くなり掛かつても帰つて来ない。何事も、座辺の片づけも手につかない。夜半三時まで、書斎の雨戸も開けた侭にして、窓の障子に射す猫の影を待つてゐたけれどノラは帰らなかつた。寝るまで耳を澄ましてノラの声を待つたがそれも空し。〉(「ノラや」より)

     人を頼んで近所を探してもらい、奥さんがノラが仲よくしていた猫を飼っている家を訪ね、さらに警察に相談し、朝日新聞に〈猫ヲ探ス、猫が無事に戻れば薄謝三千円を呈し度し〉の広告を出した。それよりも効果があろうと折り込み広告を印刷して新聞販売店に配ってもらいもした。情報が寄せられれば、確認に出向く。しかしノラは見つからず、戻って来ない。〈ノラやと思つただけで後は涙が止まらなくなり、紙をぬらして机の下の屑篭を一ぱいにしてしまふ〉そんな毎日が始まりました。日々の営みも激変します。

    〈ノラが帰らなくなつてからもう十日余り経つ。それ迄は毎晩這入つてゐた風呂にまだ一度も這入らない。風呂蓋の上にノラが寝てゐた座布団と掛け布団用の風呂敷がその侭ある。その上に額を押しつけ、ゐないノラを呼んで、ノラやノラやノラやと云つて止められない。もうよさうと思つても又さう云ひたくなり、額を座布団につけて又ノラやノラやと云ふ。止めなければいけないと思つても、ゐないノラが可愛くて止められない。〉(「ノラや」より)

    〈ノラが帰らなくなつた三月二十七日からもう半年になるが、その間一度も鮨を取つてゐない。今でもまだ註文する気になれない。私は仕事を続けてゐる時、晩のお膳にはその日の仕事が終つてからでなければ坐らない事にしてゐるので、その順序は毎晩遅くなる。だから仕事に掛かる前に一寸した小じよはんをしておく為にお鮨の握りを取り寄せる事がよくある。一日置き、どうかすると毎日続いた事もしよつちゆうで、御贔屓の鮨屋があるのだが、三月二十七日以来ノラに触れるのがこはくて持つて来させる事が出来ない。〉(「ノラに降る村しぐれ」より)

     ノラは、奥さんの手から貰う鮨の屋根の玉子焼に目がなかった。奥さんの膝に両手を乗せて、玉子焼を貰う恰好を思い出してしまう、だからもう鮨はとらない、というわけです。

     4月15日月曜日――夕方近く洗面所の前の屏の上にノラに似た猫がいた。痩せて貧弱だが、ノラももうその位は痩せたかと気になるので奥さんが追って行くと、後姿の尻尾が短かかつたのでノラではないことがはっきりした。
     5月25日土曜日――書斎の窓の障子の外で音がする。ノラがいつも帰ってきた時の気配だ。急いで開けた――。
    〈例のノラに似た猫がゐて、人の顔を見てノラのする通りにニヤアニヤア云ふ。堪らなくなつて暫らく泣き続けた。本当にノラだつたら、どんなにうれしいだらう。この一瞬から万事が立ち直るのに、と思つた。〉(「ノラやノラや」より)

     ノラの弟かもしれない、よく似た尻尾の短い猫。奥さんがご飯を与え始め、家族の一員となる、2匹目の登場です。尻尾が短いところから、「クルツ」という名を考える。6月8日のことです。
    〈ノラに似た尻尾の短かい猫はこの頃いつも物置にゐる。こんなにゐつくなら、名前をつけてやらうかと思ひ出した。一両日前からそんな気になつてゐた。尻尾が短かいから「クルツ」と云ふ事にする。三音で呼びにくかつたら、「クル」でも「クルツちやん」の「クルちやん」でもいいだらう。しかしまだ一人で考へてゐるだけである。
     クルツがノラに似てゐる点は毛並や動作だけでなく、表情がそつくりなので正視する事が出来ない。家内はいつも何かやつてゐる様だが、私は成る可く見ない様に目をそらす。〉(「ノラやノラや」より)

    「クル」と声をかけてかわいがりたいけれど、2か月ほど前に雨の中を出かけたまま戻らないノラを思い出してしまうので懸命に目をそらす百けん先生の姿が目に浮かぶようです。
     8月8日木曜日 立秋 ノラがいなくなって135日――夫婦は相談して、ノラが戻ってきた時のために用意しておいた頚輪をクルにはめてやることにします。そうすれば、金具に所番地や電話番号が彫りつけてあるから、迷っても手がかりになるだろうというわけです。もちろん、ノラのためにはもう一つもっと皮の柔らかいのを造って帰りを待つ二人です。
     ノラを待ち続ける百けん先生と奥さんの二人暮らしにクルが加わった穏やかな日常は、この後5年3か月続きます。そして8月9日から11日間、毎朝8時頃に九段のドクトルが来診、夫婦揃って懸命に尽くした最後の日々。

    〈クルを撫でてゐる家内が、吃逆をすると云つたので、すぐに跳ね起き附き添つてやる。臨終也。余り苦しみはなく、家内と二人でクルに顔をくつつけ、女中が背中を撫でてやる内に息が止まつた。午後四時五分。三人の号泣の中でクルは死んだ。ああ、どうしよう、どうしよう、この子を死なせて。取り乱しさうになるのを、やつと我慢した。しかしクルや、八月九日以来十一日間、夜の目を寝ずにお前を手離すまいとしたが、クルやお前は死んだのか。〉(「クルやお前か」より)

     クル臨終の稿、こう続きます。
    〈縡切(ことき)れたクルを暫らく抱いてやる。無論まだ温かく、可愛い顔をしてゐる。しかしすつかり痩せて、ふだんの半分よりまだ軽い。可哀想な事をした。こんなに痩せる迄、どうにもしてやれなかつた。顔をくつつけて、「クルや、クルや」と呼んだ。クルの小さな額(ひたい)や三角の耳に、クルの毛が濡れる程涙が落ちた。〉

     生あるものへの温かいまなざし。その不在に涙するまっすぐな気持。時代に追われるように駆け足で生きる私たちが喪(うし)ってきた、人生の確かな営みが、ここにはあります。一夜一話読むもよし、秋の夜長、14編を一気に読むもよし。(2017/10/13)
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    投稿日:2017年10月13日
  •  まさかの、半沢直樹登場、だ。
     9月初旬、書店店頭の文庫平積み台に積み上げられた2冊の池井戸潤作品――『花咲舞が黙ってない』(中公文庫、2017年9月5日配信、紙書籍・電子書籍同時発売)と半沢直樹シリーズ最新作『銀翼のイカロス』(文春文庫。単行本を底本とする電子書籍がダイヤモンド社より2014年8月1日配信、2017年9月15日に価格を下げて再配信)で、中央公論新社と文藝春秋が出版社の枠を越えて共同プロモーションを華々しく展開しているので、目にとめた方もいるかと思います。
     冒頭、〈まさかの、半沢直樹登場〉としたのは、プロモーションに半沢直樹が登場しているからでは、もちろんありません。シリーズ最新刊の文庫版発刊にその名前が出てくるのは当たり前、驚くようなことではありません。
     今回取り上げる『花咲舞が黙ってない』――『不祥事』(講談社文庫、2014年3月14日配信)などを原作とするヒットドラマ「花咲舞が黙ってない」のタイトルをそのまま使った読売新聞連載小説を文庫化した花咲舞シリーズ最新作に、半沢直樹が登場するという「えっ」と息を呑むサプライズが用意されていたのです。
     東京第一銀行臨店指導グループの花咲舞と、彼女を狂咲(くるいざき)と揶揄しながらも実は銀行の「不都合な真実」に臆することなく向き合おうとする花咲舞を誰よりも認めて支える上司・相馬健調査役のコンビを主人公とする花咲舞シリーズに、ライバル行の産業中央銀行・半沢直樹が初めて姿を現す場面――。
     東京を遠く離れた別府温泉の老舗旅館で産業中央銀行頭取と東京第一銀行頭取が密会し、それに随行していたのが半沢直樹。「倍返し」のフレーズで広く知られるヒーロー銀行員ですが、この段階では、産業中央銀行企画部企画グループ調査役の肩書きを持つ若手行員です。対する東京第一銀行の随行役は昇仙峡玲子(しょうせんきょう・れいこ)──企画部特命担当調査役の切れ者。「第三話 湯けむりの攻防」より引用します。

    〈極秘の会合は、その日の午後三時から、旅館の一室で行われた。
     三十畳ほどの、おそらくは宿泊客の夕食用として使われる豪華な部屋で、横に配膳用の小さな続き間がある。
     いま昇仙峡玲子は、その狭い畳敷きの部屋で、ちょっとしたストレスを感じていた。大広間で行われている交渉はすでに二時間を過ぎていたが、いまだ終わる気配はない。
     もっとも、交渉にあたっている本人同士は、大学の先輩後輩の関係で既知の仲だ。真剣な議論が声高に交わされたかと思えば、手のひらを返したように笑いも弾(はじ)けるといった具合。話の仔細(しさい)については把握しかねるが、良好な雰囲気であることは想像に難(かた)くない。
     では、玲子の感じているストレスのもとは何かといえば、いま同じく部屋に控えているもうひとりの男にあった。
     この交渉が始まる直前のこと、玲子は上司の紀本(引用者注:紀本平八企画部長)に急な用事を命じられ、ここに来るのが少々遅れた。
     その紀本が入室する前、慌(あわ)ただしい中で男と名刺交換したのだが、他事を考えていてその名前が頭に入らなかった。
     果たして、男の名前はなんであったか。それが思い出せないのだ。
     むろん、名刺入れから名刺を取り出して見れば、簡単にわかることである。だが、さすがにこの狭い部屋にいて、当の本人の前で名刺を出して確認するというのも格好が悪い。
     名は忘れたが、その男は産業中央銀行の企画部の若手行員であった。肩書きはわかる。企画部企画グループ調査役だ。年齢は玲子よりも幾つか下に違いない。
     そして、この重要な席に随行してきているだけあって、男は優秀であった。
     時折、襖の向こうから声がかかり、細かな決算上の数字などを問われたとき、男のこたえはいかにも的確で、素早いものであった。余計なことは一切、口にしない。かれこれ二時間も相対して座しているというのに、男のほうからこちらに話しかけてくることは一切ない。
     もっとも、いつ声がかかるかわからない状況で襖の向こうに耳を澄ませていなければならないから、話しかける余裕があるわけではなかった。それは玲子もまた同様である。〉

     極秘の会合が終わり、旅館の玄関先で車に乗り込む際に頭取が傍らに控えていた男に〈どこかホテルの近くでうまい店はないかな、半沢〉と声をかけた時、昇仙峡怜子はフルネーム〈半沢直樹〉を思い出す・・・・・・。
     そして――ライバル銀行のトップと随行行員が老舗旅館から立ち去る姿を、臨店指導で別府に来ていた相馬健と花咲舞の二人が偶然目撃します。

    〈「ありゃりゃ」
     相馬が素っ頓狂(すっとんきょう)な声を上げたかと思うと、ぱたりと足を止めた。
    「どうしたんです、相馬さん」
    「あれを見ろ」
     ふいに警戒したように向けた視線を追った舞も、あっ、と声を上げた。
     臨店の仕事を終え、さて、社長の八坂にどう話したものかと思案しながら白鷺亭に戻ってきたところである。
     だがいま、見れば玄関先に黒塗りのクルマがつけられ、その助手席に顔見知りの女が乗り込もうとしているところではないか。
     昇仙峡玲子だ。
    「なんで、あいつが」
     動き出したクルマに目を凝(こ)らした相馬は、クルマの後部座席の人物を見た途端、さらに目を見開いた。
    「牧野頭取?」
     そうつぶやいたのは、相馬ではなく舞のほうである。目を見開いたままの顔を相馬に向けるや、どういうことかと無言で問う。
    「見間違いじゃないですよね」
     問うた舞にうなずいた相馬の視線は、いままた車寄せに入ってきた新たな黒塗りのクルマに向けられた。
     そこに三人の男がいて次々と乗り込んでいく。
    「これはいったい……」
     相馬と舞の前を通り過ぎ、敷地の外へ去っていくクルマを見送りながら、相馬は思わず唸(うな)って腕組みをした。
    「相馬さん、いまの人たち、知ってるんですか」
    「知ってるも何も、オレの見間違いじゃなきゃ、ありゃ産業中央銀行の景山頭取だ」
    「産業中央銀行の頭取?」
     舞は繰り返し、「ということは、ウチの頭取と産業中央銀行の頭取が一緒だったということになりますよ。なんでですかね」、と首を傾(かし)げる。
    「これは何かあるな」
     思考を巡(めぐ)らせ、相馬はクルマが出ていったほうを睨(にら)み付けた。
    「そもそもだ、頭取が当地に来ているっていうのに、前浜さんはそんなこと何もいってなかったよな。普通、頭取が地方に出張(でば)ってきたら、現地の支店があれこれと世話を焼くのに」
    「前浜支店長は知らされてなかった、ってことですかね」と舞。
    「だろうな」
     ふたりして沈黙。そこに何らかの意味があるのだろうが、それが何なのかがわからない。〉

     時は世紀末、メガバンク誕生前夜。この日、ライバル行同士の合併に向けて歯車が大きく動き始めました。半月後、頭取の〈産業中央銀行と合併する〉との緊急メーセージが行内テレビで発表され、衝撃が走ります。
     銀行の生き残りをかけたメガバンクへの道――熾烈な合併交渉が進む中で、東京第一銀行は、融資事故、多額の不良債権を抱えた大口顧客企業の破綻、粉飾決算の隠蔽工作・・・・・・スキャンダラスな問題が続発。臨店指導をきっかけに銀行の闇――「不都合な真実」を知った花咲舞と相馬健が動き出す。「第六話 エリア51」の〈我が国を代表する総合電機メーカーの雄、東東デンキの巨額粉飾〉を巡る話は、新聞連載中に大問題化した東芝の不適切会計問題を彷彿とさせ興味深い。同時進行する社会的問題をフィクションの中に躊躇なく取り入れるジャーナリスティックな感性と技巧は、池井戸エンターテインメントの真骨頂だ。
     とまれ極秘の会合を偶然目撃していた花咲舞と相馬健は、否応もなく銀行の生き残りをかけた合併交渉の裏で繰り広げられる熾烈な銀行内権力抗争の渦に巻き込まれていきます。直接相まみえることはありませんが、花咲舞の正義が半沢直樹の果敢な行動に結びついていく。緊迫感に満ちた意外なエンディングが待ち受けています。(2017/10/6)

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    投稿日:2017年10月06日
  •  第121回直木賞(1999年上期)を『柔らかな頬』(文春文庫)で受賞した桐野夏生は、東野圭吾、宮部みゆきなど“電子未解禁”の人気作家のひとりに数えられてきました。配信されていたのは、『優しいおとな』(中央公論新社、2013年9月20日配信)と『バラカ』(集英社、2016年2月26日に紙書籍と同時配信)のわずか2冊だけでした。
     しかし――2017年9月15日、デビュー作『顔に降りかかる雨』(1993年単行本刊行)に始まる「村野ミロシリーズ」4作品が一挙に配信され、状況は一変しました。
    『顔に降りかかる雨』は、別名(野原野枝実)で少女小説を書いていた桐野夏生がミステリー界に鮮烈なデビューを飾った作品であり、第39回江戸川乱歩賞受賞作となった、桐野夏生の原点ともいうべき作品です。その文庫新装版刊行を期して、シリーズ第2弾『天使に見捨てられた夜』(1994年単行本刊行)、第3弾『ローズガーデン』(2000年単行本刊行)、第4弾『ダーク』(2002年単行本刊行)と続いたシリーズ全作品を電子化して意欲的な展開を開始した講談社の試みに拍手を送りたい。桐野夏生がついに電書へのルビコン川を渡ったわけで、こうなれば同じ講談社文庫の『OUT(上・下)』(日本推理作家協会賞)、直木賞『柔らかな頬』(文春文庫)、泉鏡花文学賞『グロテスク』(文春文庫)、柴田錬三郎賞『残虐記』(新潮文庫)、谷崎潤一郎賞『東京島』(新潮文庫)、島清恋愛文学賞&読売文学賞『ナニカアル』(新潮文庫)など文学賞受賞の傑作から『猿の見る夢』(講談社)、『夜の谷を行く』(文藝春秋)、『デンジャラス』(中央公論新社)といった近刊・意欲作まで、桐野作品が電子書籍でいつでもどこでも読めるようになるにちがいない・・・・・・そんな確かな予感が生まれた。

     さて、解禁されたデビュー作『顔に降りかかる雨』である。
     物語は、こう始まります。

    〈いやな夢を見ていた。
     私はマイクロバスの後部座席に一人座り、どこかに向かっているところだった。どうやら、行く当てのない旅の途中らしい。(中略)
     外はよく晴れて暑そうだが、私は冷え切っている。マイクロバスの天井にあるダクトから、かび臭い冷たい風が吹き出ていて、私の全身に鳥肌をたてているからだ。
     そのうち、どうも見たことがある景色だ、と私は気づく。
     ジャカルタだ。ここはジャカルタの郊外だった。(中略)
     ふと横を見ると、いつの間にかマイクロバスは交差点のようなところで停まり、私の窓の外に人影が立っているのだった。目をしっかりと閉じた男が白いシャツを着た男に付き添われ、私の窓に向けて空き缶を差し出している。目の見えない物乞いらしい。その男とは窓越しに五十センチと離れていない。
     思わず、私は男の堅く閉じられた瞼(まぶた)を見つめた。すると、閉じた目から涙がにじんで頬(ほお)に流れていくのが見えた。涙が、と思った瞬間、私はその男がインドネシア人ではなく、私の夫、博夫(ひろお)なのだと知った。
     私はたちまち深い悲しみと後悔と憎しみの入り交じった複雑な感情に打ちのめされる。博夫はここ、ジャカルタで死んだ。死んでしまったのに、彼はまだ私を苦しめる。博夫はぶるぶる震える手で空き缶を差し出したまま、涙を流し続けていた。
     が、死者の何と懐(なつ)かしいことか。思わず、バスの窓を開(あ)け、博夫に手を差し伸べようとすると、背後から焦(じ)れたようなクラクションの音が聞こえてきた。もう出ますよ、というようなことを運転手は私に言い、クラクションも一定の間隔でせかすように鳴り続けた。
    「待ってください!」

     叫んだ途端に目が覚める。夢だったんだ。わかっていたが動悸(どうき)が止(や)まなかった。まだクラクションが鳴り続けているからだ。
     クラクション?
     その時初めて、クラクションではなく、電話のコールだということに気づいた。反射的にベッド横の、サイドテーブルがわりの椅子の上に置いた腕時計を見る。午前三時少し前だった。心臓の鼓動がおさまるに従って、汗がどっと噴き出してくる。その間、電話は鳴り続けていた。
     夢の中の、博夫の陽(ひ)に灼(や)けた頬に流れた涙を思い出すと、電話に出る気はさらにしなかった。彼の死の知らせ以来、私は真夜中の電話には出ないと決めているからだ。じっと待っていると、二十回以上は鳴ったコールが、グルルッと中途半端に鳴りかけて、ようやく止んだ。
     留守番電話にセットしておかなければならない。私はベッドから両足をゆっくりと板の間におろした。裸足(はだし)の足裏に、べたっと床板が張りつくような異様な湿気が感じられた。外は強い雨が降っている。例年になく長く、そして雨のよく降る梅雨(つゆ)だ。〉

     舞台は梅雨(つゆ)の新宿。主人公の村野ミロは32歳。夫がジャカルタで自殺。その死に苛まれながら、新宿のマンションで死んだように生きるミロが、梅雨の雨が降りしきる真夜中に鳴り続ける電話の音で〈悪夢〉から目覚める冒頭シーン。〈裸足の足裏〉に感じた〈べたっと床板が張りつくような異様な湿気〉 電話の呼び出し音が鳴り続ける、真夜中の部屋。外は強い雨の音。目覚めたミロ・・・・・・不吉な予感を女のやわらかい皮膚の感覚によって描写する〈桐野夏生の世界〉。繊細でありながら圧倒的な展開力。桐野ワールドに一気に引き込まれていた。

     村野ミロの不吉な予感は、翌日昼近くに電話が鳴って現実となります。友人のノンフィクションライター・宇佐川耀子(うさがわ・ようこ)が近年、深く付き合っている男、成瀬(なるせ)が、〈耀子が部屋にいないのですが、そちらに伺(うかが)ってませんか?〉〈どこかに行くとか言ってませんでしたか?〉切迫したものを感じさせる声で執拗に尋ねる。成瀬の質問に答えることは、耀子を売るような気がして不快になってきたミロが〈そういうことでしたら、気がつきませんでした〉きっぱりと断ると、成瀬は敏感に察したらしく謝り、マンションの名前を聞いて電話を切った。

     成瀬の電話の調子が緊迫していたことが気にかかって仕方がない。いったい、耀子に何が起きたのか? 最後に話したのは、3、4日前の午後にいつもの軽い調子でかかってきた電話だった。耽美小説を書いたり、ヴァイオリンを弾いたりで話題の川添桂(かわぞえ・かつら)のパフォーマンスに付き合って欲しい、ちょっと気になることがあると言って、チラシをファックスしてきた。来週火曜日の夜、場所は六本木・・・・・・ファックスのチラシを見ている時、インターフォンが鳴り、ドアを開けると、背の高いがっしりした男が目をじっと見つめながら、軽く礼をした。成瀬本人だった。

    〈成瀬の目つきは、やはり並の人間より数倍鋭く、それに聡(さと)かった。私に挨拶(あいさつ)すると、耀子の靴がないか素早くチェックし、それからすぐに、狭い2DKの私の部屋を油断ない目で隈(くま)なく見渡した。耀子の物はひとつとて見逃さない、という意志が感じとられた。
    「耀子は来てません」
    「そうでしょうね」
     成瀬は私のほうをまったく見ずに、ほほ笑んでつぶやいたが、その様子は私を怖(こわ)がらせる。私の言うことなど全然信じていないのは明らかだった。
    「上がっても?」
     成瀬はワークブーツの紐を解き始める。
    「どうぞ。どうせ、いやだって言っても上がるつもりなんでしょう」
     私は腕を組んで壁に寄りかかり、強引な成瀬を呆れて眺めた。こんな、突然やってきた男に威圧されるのは不快だった。
    「ええ」〉

     一緒に来た君島と名乗る、パンチパーマの若い男の派手な服装――腕にはダイヤ入りのゴールドのロレックス、もし服が本物のヴェルサーチェだとしたら上から下までで400万円といったところだろう。もちろん、まっとうな仕事をしている人の格好ではない、としたうえで、この男について〈「なるほど、このネエちゃんかよ」 若い男は成瀬に軽く頭を下げると、私の顔を見て脅すようにぐちゃっと言った。かすかに北関東訛りがある。〉と続ける桐野夏生。極道の若者の様子をさりげなく描きながら、村野ミロという女の観察眼の鋭さを印象づける文章のうまさが魅力なのだ。

     勝手に上がり込んだ成瀬が奥からミロを呼んだ。耀子を探して、バスルームやトイレ、ベッドの下まで無断で覗いたらしい。

    〈怒りに紅潮した私の顔を見て、成瀬が初めて、少し笑った。
    「すみませんね」
    「ともかく」私はどすんと椅子に腰をおろした。「どういうことなのか、説明していただけませんか」
    「説明ってほどでもないんですよ。出来事は単純だし、まだ何にもわからないのです」
     成瀬は不機嫌に言い、自分自身にうんざりしたように軽く肩をすくめた。目はベランダの隅にほったらかしてある枯れたポトスの鉢を見ている。
    「要するに、耀子が大金を持っていなくなったんです」
    「嘘でしょう」私は大きく眉をつりあげて叫んだ。「絶対に変です! 耀子がそんなことするわけがないわよ」
     成瀬は私に視線を戻すと、疲れたように笑った。
    「僕もそう信じてました。でも、本当です。彼女に預けた一億円ごと、どっかに行ってしまった」
     一億円と聞いて、私はコトの重大さに打ちのめされた気がした。成瀬や、君島とかいう男が飛んでくる理由がわかる。それでも、何かが間違っているのだという確信があった。それは耀子が、私の友人たちの中で一番賢く聡明だという事実だった。大金を持って逃げるような馬鹿な真似(まね)は、絶対にしないはずだ。〉

     1億円は、メルセデスやBMWなど中古外車の販売店を経営している成瀬が親会社――君島はそっちの会社の人間だ――会長から借りた金で、耀子のパスポートもスーツケースも身のまわりの物も、一切合財(いっさいがっさい)なくなっているという。耀子と示し合わせて金を奪ったのではないかと疑う成瀬は有無を言わせずミロを会長のところに連れて行きます。
     ミロのマンションにいる君島から1階エントランスの郵便受けに「村善調査探偵」のプレートがあることを知らされていた会長の上杉が最初、面白がるようにミロに語りかける。

    〈「村善さんの娘さんならはっきり言いましょう。たぶん、見当もついてるでしょうからね。はっきり言いましょう。私のとこは、満崎組(みつざきぐみ)に上納金を納めてます。私の名も村善さんに聞いてみればおわかりでしょうが、もちろん決して無名じゃない」
     つまり、企業の形は取っているけれど、ほとんど極道だと言ってるのだ。
    「だから、あんたはこうなった以上、逃げることはできない」
    「あの、こうなった以上ってどういうことでしょうか」
     いらついたように、上杉が本性をむき出して大声を出した。
    「あのね、つまりねえ。あんたの友達で、成瀬の女、宇佐川だか宇野だか知らんけどね。そいつが持ち逃げした金は、もともとはここの金なんだよ!」〉

     ミロの父は業界に名を知られた探偵だった。半年前に新宿2丁目のマンションをミロに引き渡して北海道に帰ったが、ミロには探偵業を引き継ぐつもりはなかった。マーケティングを担当していた広告代理店も辞めて、1年くらいは貯金を食いつぶしながら暮らすつもりでいた。

     しかし――〈ともかく、二人で探せ。女と金を早く見つけて来い〉上杉が唾を飲み込み、きっぱりと言った。

    〈「いいか、期限をつけるぞ。あと一週間だ。土曜に手に入れた金なんだから、今度の土曜までに女と金が見つかったら許してやる。だが、それ以上かかったら落としまえをつけろ。わかったな、成瀬。おまえ、女とつるんで俺をだまそうってんじゃねえだろうな」
     上杉は、怖い顔で成瀬を睨みつけ、それから次に私を睨んだ。同等に、二人のことを信用していない目だった。〉

     女性探偵・村野ミロ誕生の瞬間です。親友・耀子が1億円とともに消えたことで、〈死んでいたミロ〉が覚醒し、女性探偵として成長していく。〈村野ミロシリーズ〉が4作品まで書き継がれたことは、前述したとおりです。
     そういえば発端となる「親友・耀子の事件」に絡む二人、成瀬と上杉の出会いは東京拘置所で、上杉は恐喝、成瀬は東大全共闘、学生運動で入っていたという設定です。1960年代末、東大全共闘は「連帯を求めて孤立をおそれず」という言葉を掲げました。〈村野ミロ〉はそんな〈孤立〉の匂いがする――。(2017/9/29)
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    投稿日:2017年09月29日
  •  日本ははたして「法治国家」と言えるのでしょうか?
     日本ははたして「独立国」と呼べるのでしょうか?

     矢部宏治著『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』(講談社現代新書、2017年8月17日配信)は、戦後日本には米軍部と官僚トップ層との間で交わされた密約が数多く存在し、それら「ウラの掟」が社会全体の構造を大きく歪めていることを事実をもって明らかにした快著だ。
     著者が「知ってはいけない」というタイトルをつけたのは、〈ほとんどの読者にとって、そうした事実を知らないほうが、あと一〇年ほどは心穏やかに暮らしていけるはずだ〉と思ったからで、しかし、近い将来日本に必ず訪れることになる大きな社会変動を考えれば、〈知っておかなければならない戦後日本の正体〉なのだという反語的意味合いを込めたタイトルなのです。
     2010年に沖縄・普天間基地の県外移設を唱えた鳩山由紀夫首相(当時)があっという間に政権の座を追われたことに疑問を抱いて沖縄問題の調査を始めた著者は、サンフランシスコ講和条約の発効、独立によって1952年4月に終わったはずの「占領体制」が65年の時を超えて2017年の現在までそのまま継続されていることを突きとめました。
     それによって、私たちが暮らす社会はどれだけ歪んだ状況にあるのでしょうか。耳を疑うような事実を明かした証言を紹介する一節があります。米軍・普天間基地のある沖縄県宜野湾市長だった伊波(いば)洋一氏(現参議院議員)の講演を聞いた著者は、一瞬、意味がよくわからなかったとして、次のように書きます。

    〈(2011年3月の福島原発事故の後)不思議だ、不思議だと思いながら、なにをどうすればいいか、まったくわからない日々が続きました。
     そんなある日、耳を疑うような事実を知ったのです。
     それは米軍・普天間基地のある沖縄県宜野湾市の市長だった伊波洋一さん(現参議院議員)が、講演で語っていた次のような話でした。
    「米軍機は、米軍住宅の上では絶対に低空飛行をしない。それはアメリカの国内法がそうした危険な飛行を禁止していて、その規定が海外においても適用されているからだ」〉

     この発言、本では太字で強調され、著者はさらに「米軍住宅」に傍点を付けて読者の注意を喚起しています。米軍機が住宅の上を低空飛行するのは当たり前、それが沖縄の日常であることを知る著者には、伊波氏の発言は「????」でした。

    〈私は沖縄で米軍基地の取材をしている最中、米軍機が市街地でギョッとするほどの低空飛行をする場面に何度も遭遇していたからです。軍用ヘリコプターが巻き起こす風で、民家の庭先の木が折れるほど揺れるのを見たこともありますし、マンションの六階に住んでいて、
    「操縦しているパイロットといつも目が合うのさー」
     と言っていた人にも会いました。
     実際、丘の上から普天間基地を見ていると、滑走路から飛び立った米軍機やヘリが、陸上、海上を問わず、島の上空をどこでもブンブン飛びまわっているところが見える。
    「それが、米軍住宅の上だけは飛ばないって、いったいどういうことなんだ?」〉

     操縦しているパイロットと目が合うほどの近さで戦闘機やヘリコプター、問題のオスプレイが飛ぶ沖縄の日常。低空飛行が当たり前の世界にあって、「米軍住宅」の上空は絶対に飛ばないというのです。いったい、どういうことなのか?

    〈伊波氏の話によれば、そうした米軍の訓練による被害から守られているのは、人間だけではないというのです。アメリカでは、たとえばコウモリなどの野生生物や、砂漠のなかにある歴史上の遺跡まで、それらに悪影響があると判断されたときには、もう訓練はできない。計画そのものが中止になる。
     なぜなら、米軍が訓練をする前には、訓練計画をきちんと公表し、環境への影響評価(レヴュー)を行うことが法律で義務づけられているため、アメリカ国内では、人間への悪影響に関して米軍の訓練が議論されることはもうないというのです。
     いや、いや、ちょっと待ってくれ。頭がおかしくなりそうだ──。
     どうして自国のコウモリや遺跡にやってはいけないことを日本人にはやっていいのか。
     それは人種差別なのか?
     それとも、よその国なら、何をやってもいいということなのか?
     いや、そんなはずはない。
     なぜなら、たとえば沖縄本島北部の高江では、ノグチゲラという希少な鳥の繁殖期には、ヘリパッドの建設工事が数ヵ月にわたって中止されているからだ。「日本人」の人権にはまったく配慮しない米軍が、「日本の鳥」の生存権にはちゃんと配慮している。
     これはいったいどういうことなのか……。〉

     アメリカ国内の米軍基地における飛行訓練の航跡図を丹念に見ていった著者は、「ああ、そういうことか」と納得する瞬間があったという。米兵たちが米軍住宅の上を飛ばないのは、ただアメリカの法律を守っているだけのことで、日本人から非難されることはなにもない。動植物や遺跡の上を飛ばないのも同じこと。問題は、ではなぜ日本人の人権だけは守られないのか、ということだ。しかも、これはアメリカの基地が集中する沖縄に限ったことではありません。本土も同様に、米軍機が住宅密集地であろうと都市部であろうと自由に低空飛行が繰り返されているのが現実で、その行為は違法とはならない――というのです。

     1952年、占領終結と同時に、新たに制定された日本の国内法(航空法特例法)にある条文が盛り込まれました。そこにはまさに、身もフタもない真実が書かれている――として、著者はこう述べています。

    〈航空法特例法
     第3項「前項の航空機〔=米軍機と国連軍機〕(略)については、航空法第6章の規定は(略)適用しない」
     ここで重要なのは、右の条文で「適用しない」とされている「航空法第6章」とは、航空機の安全な運行について定めた法律だということです。つまり、
    「離着陸する場所」
    「飛行禁止区域」
    「最低高度」
    「制限速度」
    「飛行計画の通報と承認」
     など、航空機が安全に運行するための43ヵ条(第57~99条)もの条文が、すべて米軍機には適用されないことになっているのです。
     要するに、もともと米軍機は日本の上空において、どれだけ危険な飛行をしてもいい、それは合法だということなのです。〉

     まっとうな独立国であればあり得ない航空法適用除外の特例が、どうして米軍に対しては認められているのか。戦後日本社会のウラの掟の起点を極めようとする著者の探索はスリリングで、知的興奮に満ちています。
     事実だけを追求した著者が最後に行き着いたのは、1950年6月25日の朝鮮戦争開戦時にちょうど東京を訪問中だった米国務省顧問ダレスによる〈6・30メモ〉と〈日米合同委員会〉の存在でした。

     前者は、マッカーサーの方針を180度転換させた「占領終結後も日本全土を米軍の潜在的基地(ポテンシャル・ベース)とするために国連憲章43条(すべての国連加盟国が、国連安保理とそれぞれ独自の「特別協定」を結んで、国連軍に兵力や基地を提供し、戦争協力を行う義務を持つことを定めている。しかし「正規の国連軍」は結局は実現していません)と106条(国連軍が実際にできるまでのあいだ、安保理の常任理事国である5大国は、必要な軍事行動を国連に代わって行っていいという「暫定条項」)を使った法的トリック」を記した報告書で、著者はこれを、「この国のかたち」がこの時決まったという意味で、戦後日本にとってもっとも重要な瞬間だったとしています。「国連軍の代わりの米軍」が日本全土に駐留するという絵を描いたダレス〈6・30メモ〉は、サンフランシスコ講和条約とともに結ばれた旧安保条約で具体化されます。第1条には〈平和条約および安保条約の効力が発生すると同時に、米軍を日本国内およびその周辺に配備する権利を、日本は認め、アメリカは受け入れる」(前半部 英文からの著者訳)〉と書かれています。その後、密約を重ねて現在に至る日米安保の基本コンセプトの誕生です。

     後者――日米合同委員会はその存在を知る人は少ない。この組織のトップに位置する本会議は月2回、隔週木曜日午前11時から、日本側が議長の時は外務省の施設内で、米側が議長の時は米軍基地内の会議室で開かれています。参加者は日本側が代表の外務省北米局長以下、各省のエリート官僚6人、7人の米側は一人だけ大使館から参加する公使を除いてすべて軍人。占領時代にオールマイティだった圧倒的な特権を、日本が独立したあとも、「見かけ」だけを改善するかたちで以前と変わらず持ち続けたい──そうしたアメリカの軍部の要望を実現するために、「戦後日本」に残されたリモコン装置で、そこで決まったことは別に国会に報告する義務も、外部に公表する義務もなく、事実上ノーチェックで実行できると言われています。
     その詳細は本書、および著者が企画編集した『「日米合同委員会」の研究』(吉田敏浩著、創元社、2017年9月8日配信)をご覧ください。ここでは、ブッシュ政権の国務長官だったコンドリーザ・ライスがアメリカ太平洋軍司令官と戦後日本についてどう見ていたのかを紹介しておきます。〈第九章 アメリカは「国」ではなく、「国連」である〉より引用します。

    〈「太平洋軍司令官は昔から植民地総督のような存在で(略)最もましなときでも外交政策と軍事政策の境界線を曖昧にしてしまい、最悪の場合は両方の政策をぶち壊しにしてしまう傾向があった。誰が軍司令官になろうが、それは変わらなかった。これは太平洋軍司令官という役職にずっとつきまとっている問題だろう」(『ライス回顧録』集英社)
     つまり「戦後日本」という国は、じつはアメリカ政府ではなく、アメリカの軍部(とくにかつて日本を占領した米極東軍を編入した米太平洋軍)によって植民地支配されている。
     そしてアメリカ外交のトップである国務長官でさえ、日本がなぜそんな状態になっているのか、その歴史的経緯や法的構造が、さっぱりわかっていないということです。〉

     密約によって占領下の戦争協力体制をそのまま継続している「半分主権国家(ハーフ・サヴァラン・ステート)」の日本。突然、解散総選挙を打ち出した安倍晋三首相が目論む改憲――おそらく第9条に自衛隊の存在を明記する3項を加憲――は、密約によって聖域化されてきた〈米軍による日本の軍事利用体制〉の完成を意味する。座して「米軍司令官の指揮下に入った自衛隊」を容認するか、歪んだ戦後日本の構造を正して、本当の意味での「平和国家」に生まれ変わるか――いまこそ、事実に基づく根本的な議論を尽くすべき時だという著者の指摘は重い。(2017/9/22)
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    投稿日:2017年09月22日
  •  驚きの一冊だ。2017年6月28日に紙書籍、電子書籍同時発売された『東芝 原子力敗戦』(大西康之著、文藝春秋)――企業人としての見識も矜持もなく「国策」に寄り添い翻弄されたあげく、140年の歴史を持つ5兆円企業が壊れていく過程を数多くの内部文書と証言からつぶさに検証した、一級の企業ノンフィクション作品です。
     東芝の「半導体事業売却」を巡るニュースが連日、新聞を賑わしています。半導体事業売却の成否に東芝の生き残りがかかっているというわけです。確かに「半導体事業売却」の混迷も粉飾決算を巡る泥仕合ももちろん問題ですが、いま本当に問われるべきは、なぜ東芝が原発ビジネスの泥沼にはまり込んでしまったのかだ。
     その理由をズバリ示す東芝社員のビジネスダイアリーで、本書は始まります。まずは、「プロローグ そこに悪意はあったか」の書き出しをご覧ください。

    〈きっかけは、筆者が入手した、ある東芝社員のビジネスダイアリーだった。
     表紙には、手帳の持ち主と思しき「田窪CFL」と綴られた付箋。ダイアリーには、東芝の社員である「田窪」が二〇一一年十二月から二〇一二年十一月末にかけて、アポイントを入れた人物が記されている。
     ページを繰っていて、ほどなく気づくのは、面会相手として頻出する、「今井」という名前だ。
    《12年2月10日 10:00~11:00 METI 今井様(トルコの件)》
    《12年2月23日 16:30~17:00 METI 今井次長》
    《12年8月10日 15:30~17:00 エネ庁 今井次長》
    「METI」とは経済産業省(Ministry of Economy, Trade and Industry)のことだ。当時、資源エネルギー庁で「今井次長」といえば、現・首相秘書官の今井尚哉ではないのか──。
     中には、食事をしたと見られる記述も目につく。
    《12年2月1日 dinner今井〉〈12年4月27日 8:00~9:00 今井 レ セゾン》
    《12年10月19日 dinner今井》
    「レ セゾン」とは、帝国ホテルにある朝食が有名なフランス料理店だろう。「今井」の名前は一年間で約三十回登場する。〉

     東芝の経営破綻を取材する過程で、「田窪」と「今井」の関係をよく知る人物に行き当たった著者の大西康之氏は、ダイアリーを見たその人物の証言を引いてこう続けます。

    〈「『田窪CFL』は、当時東芝電力システム社の首席主監(チーフ・フェロー)だった田窪昭寛氏のこと。電力システム社は原発事業などを手掛ける社内カンパニーで、彼はその陰の実力者です。『今井』氏は御指摘の通り、現・首相秘書官の今井尚哉氏です」
     そしてこう続けた。
    「東芝が現在の惨状に陥った背景には、二人の親密な関係があったのです」〉
     監査法人との協議がまとまらずに数か月遅れて2017年8月10日になってようやく発表された東芝の2017年3月期決算――連結純損益は9,656億円の赤字でした。東芝がほぼ1兆円もの赤字という惨状に陥った〈最大の要因は、〇六年に約六千六百億円を投じて買収した米原発メーカー、ウエスチングハウス(WH)を核とする原発事業の不振である〉と、著者は断じます。WHは2017年3月29日、米連邦破産法第11章(通称チャプター11)の適用を申請しました。これで東芝のバランスシートは、5,400億円の債務超過になったが、6,600億円もの巨費を投じて手に入れたWHが実際には火の車で、東芝経営陣はそれを隠蔽するために粉飾決算に走った。

    〈二〇一五年春に粉飾決算が発覚してから二年間。
     東芝が抱え込んでいた闇が徐々に明らかになっていった。半導体やパソコン事業でも粉飾は行われていたが、闇の正体は原発だった。二〇〇八年のリーマンショックと二〇一一年の東京電力福島第一原発事故。二つの要因によって原発を取り巻く環境は激変し、もはや事業としては成立し得なくなっていた。それでも東芝は原発事業を継続し、アクセルを踏み続けた。
     その経営判断に多大な影響を与えたのが、原子力事業部の“暴走機関車“田窪と、アベノミクス推進のために原発輸出を強行した今井だった。〉

     国策として「原発輸出」を強引に推し進める官僚と、その意を受けて言わば「死に体」の原発企業を将来戦略の切り札と思い込んで買った日本を代表する企業。東芝の転落はここから始まった。原発輸出という「国策」の闇に引きずり込まれた東芝にはもはや、解体への道しか残されていなかった。

     東芝がWHを買収する8年前の1998年6月22日。全国紙朝刊に奇妙な広告が掲載されました。

    〈RCサクセッション レコード発売中止の御知らせ
    「COVERS」8月6日発売予定/「ラブ・ミー・テンダー」6月25日発売予定
    上記の作品は素晴らしすぎて発売できません。 東芝EMI株式会社〉

     東芝傘下の東芝ENIが8月6日の広島原爆忌に予定していた忌野清志郎率いるロックバンド「RCサクセッション」の新譜(うちシングルカットを6月25日に先行発売予定)の発売を中止すると告知したのです。
     ボブ・ディラン「風に吹かれて」やジョン・レノン「イマジン」などの洋楽に新たな日本語の詞ををつけたカバー曲集。戦争や核、原子力発電などをテーマに原曲とは異なる忌野清志郎らしい作品世界を創造した。シングルカット予定だった「ラブ・ミー・テンダー」と「サマータイム・ブルース」は原発の安全性を問う詞が秀逸だ。なじみ深いメロディに乗せて口ずさんでみてください。〈素晴らしすぎて〉の深い意味が見えてくると思います。
    ・ラブ・ミー・テンダー
     何 言ってんだー ふざけんじゃねぇー
     核などいらねえ
     何 言ってんだー よせよ
     だませやしねぇ
     何 言ってんだー やめときな
     いくら理屈をこねても
     ほんの少し考えりゃ 俺にもわかるさ

     放射能はいらねえ 牛乳を飲みてえ
     何 やってんだー 税金(カネ)かえせ
     目を覚しな
     巧みな言葉で 一般庶民を
     だまそうとしても
     ほんの少しバレてる その黒い腹
    (以下略)

    ・サマータイム・ブルース
     暑い夏がそこまで来てる
     みんなが海へくり出していく
     人気のない所で泳いだら
     原子力発電所が建っていた
     さっぱりわかんねえ 何のため?
     狭い日本のサマータイム・ブルース
    (中略)
     電力は余ってる 要らねえ
     もう要らねえ
     電力は余ってる 要らねえ
     欲しくない
     原子力は要らねえ 危ねえ
     欲しくない
     要らねえ 要らねえ
     電力は余ってるってよ
     要らねえ 危ねえ

    〈素晴らしすぎて発売できません〉というコピーは、“発禁”に対する制作現場の精一杯の抵抗だったのはないか。もしそうだったとして、まだそうした抵抗が新聞の広告になって実現できた時代だったことに改めて思いを馳せてします。

     とまれ、レコードは別な会社から発売され、今もCDなどで入手できるし、何より忌野清志郎の時代を先取りする予見性、物事の本質を見抜く感性は時を超えて今という時代を照らしだし、色あせることがありません。一方、原子力発電を撃つ忌野清志郎の批評精神を〈発売中止〉によって封じ込めようとした東芝は今、原発輸出の泥沼に引きずり込まれ、壊れていく過程にあります。
     著者によれば、東芝には二度、路線を修正して引き返すチャンスがありました。〈一度目は東芝社内で「WHのインペア(減損処理)」がささやかれ始めた二〇〇九年〉であり、二度目は福島第一原発事故の時。あの時点で世界の原発投資が減少に転じることは、誰にでも容易に予想できた。原発撤退を決めたシーメンスや、はっきり原発事業に関して「退却」の意志を示したGEなどライバルたちの動きを見ても、原子力が成長産業でなくなったことは理解できたはずだという。〈それでも東芝はアクセルを踏み続けた。あるいはブレーキを踏むことを許されなかったのかもしれない。首相の懐刀、秘書官の今井尚哉が背後にいたからである〉として著者は、「国策」大合唱に乗り、その失敗を隠蔽するために粉飾に走った経営陣、そして「チャレンジ」という名の会計操作(粉飾)指示に唯々諾々と従った一般社員たちへの疑問を突きつける。結局のところ、自らの判断を避け、思考停止に陥った「サラリーマン全体主義」が惨状を招いた原因だったのではないか。東芝・原子力敗戦の淵源をそこに見いだします。自らの言葉で原子力発電を撃った忌野清志郎の詞に正面から向き合っていたら、そして原発推進の当否判断から逃げて思考を停止させることがなかったら・・・・・・。
     歴史の皮肉を感じざるを得ません。(2017/9/15)
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    投稿日:2017年09月15日
  •  累計220万部を超えた伊坂幸太郎の代表作、「殺し屋」シリーズ――『グラスホッパー』(角川文庫、2013年4月12日配信)、『マリアビートル』(角川文庫、2013年10月11日配信)に連なる第3弾『AX アックス』(角川書店、2017年8月10日配信)は、「AX」「BEE」「Crayon」「EXIT」「FINE」の5編からなる連作集。表題作タイトルのAXは、斧(おの)を指す英語で、死刑執行に用いられた首切り斧の意味も持っています。
     主人公は、およそ7年ぶりの最新作で新登場となる凄腕殺し屋「兜」。本名は三宅、物騒な仕事をしていますが、家では“超”の字のつく恐妻家。高校3年の息子を持つ、殺し屋に対してどうかと思う人もいるかもしれませんが、まちがいなく愛すべき所帯持ちなのだ。そしてこの“殺し屋でありながら恐妻家でもある”という着想こそが、『AX アックス』の面白さの起点であり、“愛すべき所帯持ち”という設定が、連作集の終盤――巻末収録の「FINE」で殺し屋「兜」の長い戦いに終止符を打つ驚きの仕掛けに帰結する。

     巻頭収録の「AX」に、兜と息子の三宅克巳(かつみ)が「蟷螂(とうろう)の斧」、つまりカマキリの斧について話をするシーンがあります。蟷螂の斧について〈弱いにもかかわらず、必死に立ち向かう姿を言う。どちらかといえば、はかない抵抗という意味だ〉と説明した上で、〈ただ、カマキリの斧を甘く見てるなよ、と俺は思うけどな〉と兜が言う。恐妻家の父親と高校生の息子の間で交わされる朝の何気ない会話に見えます。じつはそこに深い意味が込められているのですが、それに気がつくのはずっと先に行ってから。ここではこれ以上触れません。
     恐妻家の自らを「カマキリ」になぞらえる兜(カマキリの雌は交尾の最中に雄を食べてしまうという話をご存じですか。真偽は本書をご覧ください)。さて、どれくらい恐妻家なのか。シリーズ前作『マリアビートル』に登場した殺し屋コンビの檸檬(れもん)と蜜柑(みかん)を相手に〈恐妻家の殺し屋は夜食に何を食べるか〉という重厚(?)なテーマについてとうとうと語る兜。そのユーモラスな結論だけで、この作品に☆☆☆☆☆です。長い引用になりますが、じっくり読んでください。

    〈「兜、家族は、おまえの仕事を知っているのか」と訊(たず)ねてきたのは、檸檬の仕事仲間、蜜柑だ。二人は背恰好(せかっこう)が似ているものの、性格については反対で、だからこそ二人で仕事をこなすことができるのかもしれない。彼らは、妻子持ちの同業者が珍しいからか、兜にずけずけと質問をぶつけた。
    「家族はもちろん知らない」兜は即座に言った。「一家の大黒柱が、こんな物騒で恐ろしい仕事をしていると知ったら、家族は絶望するだろう。普段は、文房具メーカーの営業社員だ」(中略)
    「だけど、一家の大黒柱が命がけの仕事をして、帰ってから夜食でカップラーメンとは、何とも情けねえな」檸檬がからかってくる。
    「馬鹿を言うな」と兜は怒った。「カップラーメンなんかを食べるわけがない」
     その語調が強かったからか、檸檬は反射的に後ろに体を反らし、身構える。「怒るなよ」
    「そうじゃない」兜は声を落ち着かせ、続ける。「カップラーメンはな、意外にうるさいんだよ」
    「何だ、それは」
    「包装しているビニールを破る音、蓋(ふた)を開ける音、お湯を入れる音、深夜に食べるにはあまりにうるさい」
    「誰も気づきゃしねえだろうに」
    「うちの妻は気づく」兜は答える。「その音がうるさくて、起きたことがあるんだよ。彼女はな、真面目な会社員で朝も早い。通勤にも時間がかかるからな。だから、深夜にそんな音で起きてみろ、大変なことになる」
    「大変? 何が大変なんだ」
    「翌朝、起きて、会った時の重苦しさと言ったら、ないぞ。彼女の吐いた溜(た)め息が積もって、床が見えなくなる。比喩(ひゆ)ではなくて、本当に息が苦しいんだ。『うるさくて、まるで眠れなかった』と指摘された時の、胃の締め付けられる感じは、分からないだろうな」
    「兜、冗談言うな。おまえが緊張しているところなんて、想像できない」
    「そりゃそうだ。仕事は緊張しない。やるべきことをやるだけだ」
    「かみさんに対してはそうじゃないのか」
     当たり前だ、と兜はうなずく。
    「でも、じゃあ、どうするんだ。カップラーメンが無理なら。スナック菓子にしても音はするぞ」蜜柑がその、愁(うれ)いを含むような二重瞼(ふたえまぶた)の眼差(まなざ)しを向けた。「腹が減ったら、どうする」
    「バナナか、おにぎり」兜は真剣な面持ちで、言う。
     なるほど、と同業者の二人が感心しかけた。「鋭いな」と。が、兜はすぐに、「と考える奴はまだ、甘い」とぴしゃりと言い切る。
    「甘いのか」「バナナもおにぎりも音がしないけどな」
    「いいか、深夜とはいえ、時には、妻が起きて、待ってくれていることもあるんだ。夕食、もしくは夜食を作ってくれていることもある」
    「あるのか」
    「平均すれば、年に三回くらいはあるだろう」
    「ずいぶん多いな」蜜柑はこれは明らかに、皮肉で口にした。
    「そうなった場合、彼女の手料理を食べることになる。意外に量が多かったりする。もちろん、おにぎりもバナナも食べようとは思えない」
    「そういうこともあるだろうな」
    「いいか、コンビニエンスストアのおにぎりは消費期限が短い。翌朝にはもう駄目だ。バナナも意外に日持ちしない」
    「つまり?」
    「最終的に行き着くのは」
    「行き着くのは?」蜜柑が聞き返した。
    「ソーセージなんだ。魚肉ソーセージ。あれは、音も鳴らなければ、日持ちもする。腹にもたまる。ベストな選択だ」
     檸檬と蜜柑が一瞬黙る。
    「時々、深夜のコンビニで、いかにも俺と同じような、仕事帰りの父親が、おにぎりやらバナナを買っていこうとするけれどな、それを見るといつも、まだまだだな、と感じずにはいられないんだ」兜は続ける。「最後に行き着くのは、魚肉ソーセージだ」
     言い切る兜を、ぽかんと眺めていた檸檬はやがて、ゆっくりと手を叩(たた)きはじめる。はじめは間を空けていたのが、だんだんと早く。スタンディングオベーションを座りながらにやるかのような雰囲気で、顔は至って、真面目だった。「兜、おまえは今、非常に情けない話を、これ以上ないくらいに恰好良く語ってるぞ。感動だ」と拍手を小刻みにしていく。隣の蜜柑が、馬鹿馬鹿しい、と苦虫を潰していた。「業界内で兜と言ったら、一目置かれている。一目どころか二目も。それがこんな恐妻家だと知ったら、がっかりするやつもいるだろうな」〉

    〈一家の大黒柱が、こんな物騒で恐ろしい仕事をしていると知ったら、家族は絶望するだろう〉と言う兜が、殺し屋の仕事を辞めたいと考えはじめたのは、一人息子の克巳が生まれた頃からで、実際に仕事の元締めである医師に話をしたのは5年前。医師は驚きもしなければ、歓迎もせず、「そのためにはお金が必要です」と六法全書の記述を読むかのように言った。一戸建ての建売住宅が買えるほどの額は、さすがに兜にもすぐに払えるわけがなく、結果的に、「仕事を辞めるために、その仕事で金を稼ぐ」といった不本意な状況を続けざるをえなくなっていた。40代半ばの兜の仕事を辞めたいという思いは日増しに強まり、医師の対応も変化していきます。
     やがて医師(実際には医師が放つ殺し屋)との熾烈な戦いが始まったことを兜が意識することになる日がやってきます。息子の進路相談に妻と一緒に行くと約束していた兜に、同じ日に成田空港に到着する爆弾職人を“手術”するように医師が依頼してきます。手術は殺人を意味する暗号です。急いで仕事を片つけて駆けつければ進路相談の時刻になんとか間に合うだろうと、その仕事を引き受けた兜。少し手間取ったものの爆弾職人を始末した後、高校に着いて妻と携帯電話で話していた時、兜は美人教師からの攻撃を受けます。携帯はつながったまま。争う声、息づかいが妻に聞こえたら・・・・・・大変だ!

    〈あ、と思った時には耳に当てていた携帯電話が下に落ちた。美人教師が殴ってきたのだ。え、と兜が電話を目で追う。お、と声を出しかけたところで、左腕が捻られ、背中に引っ張られた。
     何事が起きたのか、と考える余裕もない。兜はその場で体を回転させ、腕を振り払う。すでに美人教師は、教師の態度は捨てており、足で宙に弧を描いた。(中略)
     ・・・・・・馬乗りになってくる女を振り払おうと体を揺するが、押さえ込みのコツを心得ているのか、なかなか動かない。ここに至りようやく兜は、この美人教師は一般の人間ではない、と察した。
     体を左右に揺らし、肩を動かす。相手はこちらの反撃を許さぬためにか、さらに強く押さえつけてきた。息が荒れている。
     兜は舌打ちを漏らしたくなる。ここで、自分と女の、ぜえぜえ、はあはあ、といった荒ぶる呼吸が、万が一、携帯電話を通じて、あちらに聞こえていたら、それこそ男女の淫(みだ)らな行為の最中と誤解を受けるではないか。女性と格闘していた、と説明しても理解が得られる可能性は低い。
     女がさらに何か言いかけてきたため、兜は力を込め、体勢をひっくり返す。相手がただの教師ではなく、物騒な相手だと分かれば、手加減はいらない。本気で戦うのであれば、業界内でも、兜の動きについてこられる者はほとんど、いない。
     背後に回ると、首に腕を巻きつけ、肘で喉を潰すようにした。力を思い切り、込める。〉

     美人教師の処理を元締めの医師に依頼しながらも兜の胸中に「医師は兜の息子がこの高校に通っていることを把握しているのではないか? 何故?」の疑念が芽生えていきます。
     兜vs医師の熾烈な戦いを横軸に、恐妻家の殺し屋――愛すべき所帯持ちの“愛の物語”を縦軸に、連作集は展開されます。

     ぬかるんで歩きにくい道ばかりだ、と思っていた。楽しさとは無縁の、ろくな人生ではない。家族はいない。そんな人生を送っている兜に、同じ年頃の、20代前半と覚しき女性が「キッズパーク開園」と書かれたチラシを差し出しながら言う。
    〈「でも、いいお父さんになれそうだけどね」〉
    〈自分の人生にあまりに無縁のものが差し出されたかのようで、私はその言葉に茫然(ぼうぜん)とする。少しして、今まで吐き出したことのない、温かい息を漏らした。〉

     時計の針を20年巻き戻したエンディング。兜の漏らした息に触れたかのような温かな気持ちが胸に広がっていった。(2017/9/8)
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    投稿日:2017年09月08日
  •  歴代の自民党政権は、官邸機密費について堅く口を閉ざしてきた。首相在任中に国会答弁で「機密費は公開できないから、機密費なんです」と、いかにもワンフレーズの達人らしい言い方で開き直った小泉純一郎元首相は、その典型例だ。
     小淵政権で官房長官を務めた野中広務氏がベールに包まれた機密費の一端を明らかにしたのは、2010年(平成22年)年5月のこと。政権交代によって民主党政権(鳩山由紀夫首相)が誕生して8か月、TBS「ニュースの視点」のインタビューを受けて野中元官房長官は大要以下のように証言したのだ。
    ・機密費の使途先は国会対策が多かった。
    ・総理の部屋に毎月1,000万円ほど渡す。
    ・衆議院の国対委員長と参議院の幹事長室に5,000万円ずつ。
    ・自民党の歴代総理にも、盆暮れに100万円ずつ(年間200万円)送っていた。
    ・政治評論家に盆暮れに届けていた。あいさつ程度。
    ・外遊する議員への餞別が慣例になっていた。50万円から100万円ほど。
    ・機密費の固定費は月に5,000万円。
    ・それとは別に出す分があり、大きいときには月に7,000万円出したこともある。

     野中広務氏の官房長官在任期間は1998年(平成10年)7月~翌年10月。2003年(平成15年)3月に政界を引退していたとはいえ、実力官房長官が自らが直接関わった機密費の一端を具体的に数字をあげて明かしたのです。〈総理の部屋に毎月1,000万円〉という証言は社会に波紋を呼びましたが、それをきっかけに機密費の全貌が明らかになっていったわけではありません。機密費は今も変わりなく、厚いベールに包まれたままです。安倍首相が標榜する「地球儀俯瞰外交」で税金がどれだけ、どのように使われてきたのか、官邸が進んで明らかにしたことはありません。

    「機密費」という国家のタブー。その聖域に一歩でも近づこうと挑んだ、名もなき4人の警視庁捜査二課刑事がいた。刑事たちが外務省の「報償費」という名の機密費の存在を知り、捜査を始めたのは“野中証言”の10年前、1999年(平成11年)の秋のこと。捜査二課情報係主任・中才宗義警部補が〈外務省の三悪人〉に関する疑惑情報を入手、上司であり「相棒」である情報係長の中島政司とともに、その中の一人、ノンキャリアながら外務省官房総務課機能強化対策室長兼九州・沖縄サミット準備事務局次長の要職にある松尾克俊に的を絞って追い詰めていきます。そして捜査二課第四知能犯第三係長の萩生田勝警部と主任の鈴木敏(さとし)警部補を中心に総勢86名の特別捜査班が結成され、中才と中島も加わり特別な役割を担うことになります。捜査は松尾に対する任意聴取から強制捜査へと進みますが、はたして外務省疑惑の本筋、官邸「機密費」にメスは入るのか。
    『しんがり 山一證券最後の12人』(講談社、2015年8月28日配信)で知られる清武英利が、外務書疑惑――消えた10億円を追及した4人の二課刑事を描いたノンフィクション作品『石つぶて 警視庁 二課刑事の残したもの』(講談社、2017年7月26日配信)が面白い。実は、上述の小泉元首相、野中元官房長官にまつわる話は本作より引きました。
    著者の清武英利は本書「あとがき」にこう記しています。
    〈ことわるまでもないことだが、これは創作ではない。ありのままに書いたために、重い口を開いてくれた関係者が不当な批判を受けることを恐れるが、ほんの少し前、総理官邸や外務省を舞台に起きた未曾有の公金詐取事件と、それを掘り起こした刑事たちの日々を思い起こしてもらうためには、ノン・フィクションという形しか私には思いつかなかった。だから、登場する捜査員や告発者、容疑者、官邸や外務省の官僚たちの名前は、現職刑事一人を除いてすべて実名である。〉

     警視庁捜査二課。汚職や詐欺、横領、背任、選挙違反などの知能犯事件を担当する部署で、汚職の「汚」の部首から「サンズイ」と隠語で呼ばれる贈収賄事件を専門に摘発する刑事が多く集められています。二課刑事は〈サンズイは内側から体制をじわじわと蝕んでいく。それを摘むのがお前たちの仕事だ〉と教え込まれ、中才たち情報係は汚職などの情報を拾い集め、それを裏取りしてふるいにかけた後で、摘発部隊のナンバーなどに引き渡すという、重要だが光の当たらない黒子の役回りです。
     その中才警部補が外務省疑惑の端緒を掴むのは、情報収集で長い付き合いのあった元自民党総務会長の水野清からの一本の電話がきっかけだった。警視庁二課刑事の捜査がどう始まり、どんな経過をたどってゴールにたどりついたのかが明らかにされることは珍しい。しかも事件が終わってからそう日がたっていないとあれば、なおさらです。著者は捜査開始の第一歩をこんなふうに描きます。

    〈・・・・・・「ナカサイ」と呼ばれる男につながると、水野は、
    「あのな、けしからん話があるんだ」
     電話でいきなり話を始めた。
    「外務省にとんでもない役人がいるらしい。サミットの入札で談合があるんだそうだ。信頼できる人が私のところに相談に来てんだ。その人の話を聞いてもらいたいんだよ」
    「いいですよ、聞けというなら何なりと。私でよければね」
     電話の向こう側は、警視庁本部の四階にある捜査二課であった。
    「その人が言うにはね、外務省の役人が仕事を妨害して他所の会社に取らせちゃうんだそうだよ。キャリア官僚も手出しができないやり手がいて、そいつらと業者がつるんでいるらしい。外務省に掛け合ったが埒が明かんのだよ。何とかしてくれって言うんだ。近々来れるかね」
    「センセイの事務所ですか。いつでもいいですよ」〉

     時は1999年(平成11年)10月。電話から数日たった10月中旬、中才は水野事務所を訪ね、そこで小柄な老人〈廣瀬日出雄〉を紹介された。いつものように興味津々で同席している事務所の主、水野清が二人の顔を交互に見て言った。

    〈「この人は誠実な人ですよ。途中で放り投げることはしませんから、廣瀬さん、安心してお話ししてください」(中略)
    「うちの日成グループに、近代商事という会社があります。もともとは知人から頼まれて引き受けた会社で、実務はそこの番頭たちに任せていたので、私は相談役という形を取っています。
     その近代商事では、外務省に事務機器を納入したり、印刷物を引き受けたりしてきました。仕事は競争入札ですし、以前と違ってそれほど大きな儲けもないので、他の業者ともうまくやってきました。ところが昨年、近代商事から番頭格の人間が独立して新しい会社を興したあたりから、秩序が乱れるようになりました」
    「社員たちがお宅の会社から飛び出したんですね。ただ仕事は競争入札で取り合うんでしょう?」
     と中才は言った。
    「入札を仕切る役人たちがいるんですよ。その役人にうちにいた番頭たちも取り入って、受注しているらしいです」
    「おたくの仕事も奪われたわけですね」
    「…………」(中略)
     ある話に差し掛かったとき、聞き流しているように見えた中才が突然、聞き直した。話の途中で質問をするのは珍しいことだった。それは、納入業者が問題の役人にビール券やタクシーチケット(クーポン券)などを贈っているという証言に差し掛かったときだった。「それですが……どの業者もやっているんですか? おたくの会社も?」
    「これまではね。儀礼的な挨拶ですが、そうせざるを得ないんですよ」
     中才が金券の提供に強い興味を抱いたことは、廣瀬にもわかったようだった。受け取っている役人は誰ですか、と中才が勢い込んで尋ねたからである。
     廣瀬は一人の役人の名前を挙げた。〉

    〈廣瀬さん、また話を聞かせていただけますね。できれば現場の担当者もご紹介いただけると助かります〉廣瀬にそう告げて水野事務所を出た中才は、警視庁に戻ると、そのまま捜査二課長室の隣にある資料室――20畳ほどの小さな図書館に潜り込んだ。

    〈中才は資料室に誰もいないのをもう一度確認すると、外務省職員録や大蔵省印刷局編の職員録で外務省の項を開き、廣瀬が口にした官僚の名前を探した。ビール券やタクシーチケットをもらっているという役人の名前である。
     確かに、その男はいた。
    「外務省欧亜局西欧一課課長補佐 浅川明男」
     中才は備え付けのコピー機でその項を複写し、椅子に腰かけた。それからゆっくりと古い職員録を繰って浅川の経歴をさかのぼっていった。
     いいネタだ、と彼は思っていた。中才は廣瀬の言葉を反芻していた。彼は二つの疑惑を証言したのである。〉

     中才がひとりで進める情報収集は資料による裏付け、確認を経て次第に捜査の色彩を強めていきます。ほどなくして浅川明男の後任、松尾克俊・九州・沖縄サミット準備事務局次長の名前が浮かび上がり、「サンズイ」を目指す二課刑事たちの捜査が本格化していくのですが、最終的には松尾克俊による〈未曾有の公金詐取事件〉で決着したことは、先述の著者「あとがき」にあるとおりです。

     著者は、「ある警察官からのメール」を本作冒頭に置いています。
    〈僕が新任だった頃、ある係長が二・二六事件の将校を称え、「警察官もまた国家のために奉公することこそ、男子の本懐とすべし」という趣旨のことを言いました。
     その人はとても実直で僕の好きなタイプの人でしたが、僕はそのとき、この「急訴事案」に駆けつけ、反乱軍の兵士に射殺された警察官の話をし、警察官の本質はそこにあると反論しました。
     時代の状況がいかなるものであれ、治安を守るそのことこそ警察官の役割である、そしてそれに対する見返りなど微塵も期待しない、歴史上に無名の士としても残らない、「石礫(いしつぶて)」としてあったに過ぎない。僕は奉職しているかぎり密かにその覚悟だけはいつも持っていようと、思っています。〉

     そしてメールを送ってきた「ある警官」が著者の古い友人であることを明かした上で、書名を「石つぶて」とした理由を、「あとがき」でこう記します。
    〈友人は、本書に登場する中才宗義氏ら四人の元刑事と同じ世代に属している。この本をほぼ書き上げたとき、公金詐取事件を巡って、一群の刑事が霞が関に投じた一石や刑事たちの存在自体もまた、「石つぶて」と呼ぶにふさわしいと考えた。〉

     国民の目が届かない裏舞台で、政治家やその意向を忖度する役人たちが何をしているのか――盤石のはずだった体制に小さな亀裂が入り、なんだかとんでもないことが進行していたということがわかってきた。それが森友学園の問題であり、加計学園の問題です。本作の4人の刑事がみずから「石つぶて」となって霞ヶ関に投じた一石によって、役人が地位を利用して億単位の機密費(税金)を「領収書がいらないカネ」と言って湯水のように使っていたことが明らかになりました。犯罪として立件されたわけですが、その温床となった政官界の構造が完全に改められたわけではありません。それは森友、加計疑惑を見れば明らかです。前理事長夫妻の詐欺事件だけで終わらせていいわけがありません。
     出世を望まず、悪戦を生きる全国の無名の刑事たちは、そんな日本社会をどう見ているのか。彼らへの思いを込めて清武英利が書きあげた『石つぶて』は、日本社会の闇を照らしだしています。(2017/9/1)
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    投稿日:2017年09月01日