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  •  門田隆将著『尾根のかなたに 父と息子の日航機墜落事故』は、父や母、夫や妻、兄弟姉妹――最愛の、かけがえのない存在を突然の事故で喪った人たち、家族のその後、四半世紀をたどったノンフィクションの労作です。
     暑い一日が終わろうとしていた夕刻。ジャンボ機が消息を絶ったというニュースをテレビが伝えて、運命の暗転が始まりました。当時、週刊誌の編集をしていた私は、ちょうどお盆休みを控えた変則スケジュールで印刷所の出張校正室に入ったところで、ジャンボ機不明のニュースを知りました。前夜から徹夜で仕上げた記事の多くをジャンボ機墜落事故の記事に差し替える編集作業を編集部員総出で行ったことは忘れられません。
     満席のジャンボ機の乗客・乗員524人のうち520人が還らぬ人となり、奇跡の生存者は4人。
     本書は、
     棺のなかの母と対面した前田慎太郎さん(当時9歳、和歌山県。第二章「ふつう」が幸せ)
     当時40歳の父が事故機に乗り合わせた谷口篤志(あつし)さん(当時13歳、大阪府。第三章 遺書の重荷)
     ディズニーランドからの帰路に父、母、妹が犠牲となった小川領一さん(当時16歳、大阪府。第四章 父が残した機内写真)
     兵庫県歯科医師会の幹部だった父をなくした歯科医・河原忍さん(当時36歳、兵庫県。第五章 検視する側にまわって)
     以上の4人を中心に遺族たちのその後をたどり、父と息子たちの生と死を紡ぎ出していきます。

     たとえば、墜落寸前の機内で走り書きされた遺書が残された谷口篤志さん。事故のあった時、13歳だった篤志さんは2008年に結婚、経営コンサルタントとして働く一児の父親です。ボーイスカウト活動の熱心な指導者だった父と母、弟の4人家族の暮らしはあの8月12日を境に一変しました。
    〈えっ、これ何?
     それは、気分が悪くなった時に使う機内に備え付けの紙袋だった。その紙袋は、何かを入れて巻いてあった。半分は血でべっとりだ。巻かれていたのは免許証だ。
     なんで免許証をこんなところに入れてあるんだろう? そう思った時、眞知子の目が鉛筆で書かれた文字に吸い寄せられた。
    「まち子 子供よろしく 大阪 みのお 谷口正勝 6 30」
     簡潔なその言葉は、紙袋の底に走り書きされていた。その瞬間、眞知子は、
    「遺書やわ!」
     と、叫んでいた。
    「まち子 子供よろしく」――それは、まさしく夫から自分へのメッセージだった。
    「パパや・・・・・・」
     眞知子はこの時、初めてそう思った。この遺体は夫だ。間違いない。夫は死ぬ前に私にメッセージを残したのだ。〉

     すべての面で頼り切っていた夫が突然いなくなって、走り書きの遺書が残された。二人の子どもを託された妻。その日を境にまるで変わった母親に子供たちは戸惑います。何かにあると、母は篤志さんたちこう言ったという。

    〈「パパがこんな遺書を残してるのに、最後まで、あなたたちのことだけ心配してたのに、はずかしくないの!」
     それは絶対的な言葉だった。
     子どもたちにとって、父の遺書以上に大きいものはこの世に存在しなかった。それは、小さな誠にとっても絶対的なことだった。
    「仏壇の前に、連れていかれて、“恥ずかしくないの、お父さんに謝れ”って言われるのは、結構、長い間つづきましたよ」
     と、誠が言う。〉

     優しく、そして絶対的な存在だった「パパ」の死は、谷口家のすべてを狂わせていきます。しかし、兄の篤志さんにとっては辛かったのは、母がすぐ涙をこぼすことだった。

    〈立ち直れない母は、すぐに涙を流した。谷口家の生活自体が「涙が日常」になっていたのである。
    「母が泣くと、もう泣かないでくれ、と言いました。すると今度は、母がトイレで隠れて泣くようになりました」
     しかし、めそめそトイレで母が泣いていることが、やはり誠にはわかってしまったという。
    「それで結局、誠もめそめそ泣くんです。ある時、僕は母がトイレで隠れて泣いているところへ誠を連れていったんです。それで、“ほら、誠がまた泣いとるやん。もう泣かんといてくれ”とトイレの中にいる母に言いました。そうしたら、トイレの中から母が、いきなり“泣いてへんわい!”と、大声で叫んだんです。その“わい!”という部分が大きくて、それがなんとなくおかしかった。それで、思わず誠と二人で大爆笑したんです。泣いていた誠が大笑いしました。母も、トイレから出て来て、泣きながら笑いました。それは事故から一年くらい経った頃ですかねえ。心の底から笑ったのは、事故後、それが初めてでした。家の中は、そこから少しずつ、変わっていったのかもしれません」
     地獄だった家の中がやっと変わり始めたのは、それからのことである。〉

     死を覚悟した時に父が残した「遺書」は、残された家族にとって、大きな励みであると同時に人知れず背負った重荷だったと振りかえることができるようになるまでに、谷口家の3人が乗り越えなければならなかった試練は一言で語り尽くせるものではなかったと思います。
     本書に登場するほかの家族たちも同様です。人にはいえない苦労の数々が行間に埋まっています。極限を見た人間だけが発揮することができる強さと優しさが静かな感動をもたらします。四半世紀を経て、あらためて読み直す価値ある本です。
    (2013/7/12)
    • 参考になった 2
    投稿日:2013年07月12日
  • 「フリーター、家を買う。」「空飛ぶ広報室」「県庁おもてなし課」など数々のベストセラーを生み出す大人気作家、有川浩の代表作がコミックに!2008年にはアニメ化、2012年にはアニメ映画化、そして2013年、実写での映画化となにかと話題になった作品です。舞台は日本ではありますが、別の世界。“表現の自由”が規制され、読みたい本が読めない世界のお話。自伝を出すにあたり、「床屋」と掲載すれば、それは差別用語とみなされ、取締りの対象になり、出版できなくなる。そんな馬鹿な。と思いますが、現実の世界でも、年々、“表現の自由”に対する国の目は昔より厳しくなっているところをみると、いつかこの世界もそうなってしまうのでは?と恐ろしさを感じてしまいます。この作品のハマるところは、読者をそう思わせてしまうほどちゃんと構想を練られてストーリーが作られていることです。ただのフィクションとは考えず、一つの未来の可能性として考えながら読んでみてください。ちなみに、主人公が超ハイテンション爆走女性なので、あまり暗くならず、難しいことが苦手な人でも楽しんで読んでいただけると思います!
    • 参考になった 3
    投稿日:2013年07月12日
  • 70年代生まれの漫画好きのための物語
    70年代のため、と言ってももちろん話がわかる人には超絶に面白い。

    炎の転校生を読んだことがなくてもエヴァンゲリオンは観たことがある人や、
    エヴァンゲリオンは観たことがなくてもあだち充のみゆきを毎週読んでいた人や、
    漫画なんか興味ないけどアニメは大好きだぜとオネアミスの翼からナディア、グレンラガン辺りを観たことがある人なんかにオススメです。

    この物語はフィクションだけどノンフィクションでもあり、ノンフィクションだと思って読んでいくと主人公が誰なのかわかる。
    その本人であろう島本和彦はほんとにこういう感じの人で、現在もツイッターでそんなキャラのままやり取りしているのが見れる。
    今はそういう時代なので漫画家を近くに感じられるが、昔は本当に存在するのかすら確証がないじゃないか!とほんとに思ってたものである。
    それこそこの漫画のホノオくんのように妄想ばかりして生きていた時代を思い出して恥ずかしい。

    一応予備知識がない人にもオススメしたいけど、やっぱりおっさん共にオススメしたい漫画である。
    • 参考になった 10
    投稿日:2013年07月11日
  • 敵の将軍や名も無き兵士までもがかっこいい
    主人公や主要な登場人物がかっこよく描かれているマンガはたくさんあると思いますが、キングダムは主要な登場人物でない味方の将軍、敵の将軍、はては名前さえ出てこない兵士までもがかっこいいんです。特に私がお勧めするのが、12巻から16巻まで描かれている戦いで、数多くの名シーンがあり、必見だと思います。
    • 参考になった 18
    投稿日:2013年07月11日
  • ピアノに育てられた2人の少年の話
    ※ネタバレしてません※

    1巻1巻がとても短く感じるくらい、さくっと読めちゃう本。
    それなのに中身が薄いわけでもなく・・・。
    早く次、次の巻を!と思ってしまうストーリーでした。
    読む前は“芸術系の漫画にはありがちの、努力家と天才による確執とかのストーリー展開かな?”と思いきや、
    ひとりひとりの心情の描き方とか、師との出会い方とかが、
    とても魅力的な演出で、気づくとあっという間に22巻まで読んでしまいました。

    ほんわか雰囲気、葛藤、人間性、表現、夢、ピアノと自分。
    それがこの作品のキーワードです。
    • 参考になった 5
    投稿日:2013年07月10日
  • アシアナ航空にアリスが乗っていれば。
    いよいよ物語も佳境。ラスト前の感としては上々の盛り上がりです。
    • 参考になった 0
    投稿日:2013年07月10日
  • 匿名希望
    アニメ化
    7/11からアニメ放送開始ってことで楽しみです。
    • 参考になった 0
    投稿日:2013年07月10日
  • 匿名希望
    都市伝説もピンきり
    都市伝説を扱ったホラー漫画…と思って低俗霊デイドリームみたいな話かと思って期待したのですが…
    1つのテーマに絞って話が進むのかとおもいきや、複数の都市伝説がいっぺんに出てきてその設定が頭に入ってないとちょっと理解するのが難しかったです。
    じっくり読めばいいんですがネームが多めなのでつい飛ばしがちになり、気づくと話がよくわからなくなってしまってました。読み返しが必要ですね。※推理的な内容はあまりないです
    でも色々な都市伝説を知る事ができるので良いです。
    • 参考になった 1
    投稿日:2013年07月10日
  • 匿名希望
    ニヤニヤがとまらない!
    宮原くんがへんたいでいなければならない理由が実に可愛いらしくて見ているこっちがニヤニヤしっぱなしになります。へんたいとピュアの狭間をいく宮原くんと、かなでちゃんの今後が楽しみです!(1巻のみ読了)
    • 参考になった 2
    投稿日:2013年07月10日
  • 匿名希望
    懐かしい
    ありましたね、この作品
    女性に近づくと白髪になるんですっけ。
    • 参考になった 0
    投稿日:2013年07月10日
  • 匿名希望
    絵が下手だと思っていた
    下手だと思ってたのにそれが味を出して、凄惨な場面や巨人の不気味さが際立っている。
    アニメもクオリティ高いし、純粋に面白いと思う。
    新人で一発目(?)から大当たりする人は最近あまり見なかったので、漫画に対して目が肥えた人でも新鮮さが最大限に活かされている今作は面白いと思えるのではないか。
    • 参考になった 21
    投稿日:2013年07月09日
  • ネタバレあり
    中国風の歴史ロマン!
    世界観は三国志っぽいです。
    少女マンガなハズなのですが、色気もラブ要素が少ないです。
    跡目争いや国土拡大など、少女マンガでは珍しいぐらいの、政治ドラマです。

    亜姫は幼少時代不遇なお姫様でしたが、王としての素晴らしい才覚があったようで、本人の意思とは関係なく、巻が進むごとに歴史の渦に巻き込まれていっています。

    ところどころで登場する女王となった亜姫の回想が後悔している風なので、薄星との間に何か不幸な出来事が起こってしまうのだろうかと気になっています。
    亜姫と薄星には幸せになって欲しいです。

    続きが待ち遠しいです。
    • 参考になった 1
    投稿日:2013年07月09日
  • 刑務所から出所してきた受刑者を、住民にはそうとは言わず、ただ「新住民」として受け入れる――新たな国家プロジェクトのテストケースとなった魚深市。受け入れる「元受刑者」は11人。それぞれが強盗、殺人、放火、強姦、詐欺等々の凶悪犯罪に手を染めてきた人間です。彼らがそうした過去を持つ人間であることを知るのは、市内において市長以下3名のみ、「元受刑者」たちも、それぞれを知ることは無い――。この設定だけでゾクゾクしちゃいますね。原作は『がきデカ』等で知られ、現在は小説家の山上たつひこ。作画は『ぼのぼの』『sink』等、笑いであろうが物語であろうが“不条理”を描かせたら随一のいがらいしみきお。天才2人による夢の共作です。まだ何も起きていないにも関わらず、不穏さだけはこれでもかと伝わってくる1巻。ある伝統行事をきっかけに、その不穏さが形を持ちだす2巻。そして市長さえも知らなかった、本プロジェクトに関わるある事実が明かされる3巻……どの巻も読み終わると「ぶはっ!」と息を吐き出してしまうような、読んでいる間じゅう息を止めてしまうような、そんな緊張感を持つ作品です。
    • 参考になった 6
    投稿日:2013年07月09日
  • 作家、文芸評論家の丸谷才一(2012年没)は本書初版出版直後、「週刊文春」(1989年1月26日号)の書評で「比類ない青春の書」との賛辞を贈っています。「どう見ても愚行と失敗の記録であって、それゆえ文学的だ」という言葉に救われる思いがした、と著者の川本三郎さんは電子書籍の底本となった新装版(平凡社刊)巻末に寄せた「三つの時間 新装版刊行にあたって」に記しています。〈文章を書く生活を始めてから十五年以上になるがその間、私は主語をつねに「僕」ではなく「私」にしてきた。はじめのうちは無意識にそうしていたのだが途中から意識して「私」を使うようになった。「私」と「僕」の区別などたいした違いはないように思えるが、私にとってはなぜか「僕」は使ってはいけない(引用者注:書籍ではこの箇所「使ってはいけない」に傍点がうたれています)言葉に思えてならなかった。そのことをいま説明するのはとても難しい。あえていえば、私は「私」を使うことによって浮いた気分、軽やかな気持を禁止しよう、抑制しようとしてきたのかもしれない。「僕」を使えば言葉がハイ・キーになめらかになるところをあえてロー・キーの「私」を使うことで私は自分に枷をはめよう、自分を窮屈にしようとしてきた。表現者はふつう自分を自由にしようとするのに、私はその逆をしようとした。といってもなにか大仰な文章上のスタイルの変革を試みようとしたのでは決してない。ただ私には「私」を使うしか自分を表現する手だてはないと思い込み続けてきたのだ〉(本書「あとがき」より)1972年1月9日、「朝日ジャーナル」の記者だった川本三郎さんは、前年夏に朝霞基地で発生した自衛官刺殺事件の取材過程で起きた「証拠隠滅」行為によって埼玉県警に逮捕され、容疑事実を認めた段階で、朝日新聞社を解雇されました。東大法学部卒業、1969年4月に入社して「週刊朝日」を経て「朝日ジャーナル」編集部に在籍していた27歳のときでした。9月27日、浦和地裁で懲役10ヵ月、執行猶予2年の判決。控訴はせずに判決が確定した。川本さんが保釈されてから2週間ほどたったとき、決定的な事件が起きました。連合赤軍事件です。本書から引用します。
    〈あさま山荘での派手な銃撃戦で始まったこの事件はやがてリーダーたちの逮捕のあと、組織内部で凄惨な「総括」、殺人があったことが明らかになっていった。群馬県の山のなかから次々に遺体が発見されていった。おそらくこの時代、全共闘運動をはじめとする新左翼運動に何らかの形で関わった者でこの事件に衝撃を受けなかったものはいないだろう。「連帯」や「変革」といった夢の無残な終わりだった。自分たちが夢みたものが泥まみれになって解体していった、そして(おそらくは)誰もそれに対して批判すらできなかった。ただ自分たちの夢みたもの、信じようとした言葉がひとつひとつ死んでゆくのを黙って、呆然として、見つめるしかなかった、沈黙する以外になかった。そこからいつの日か再生できるのかどうか誰にもわからなかった〉川本三郎さんは60年代後半から1972年にかけての自らの「青春」を、十数年をへてようやく見つめ直し、文章化しました。それが本書『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』です。再び「あとがき」から引用します。〈私の事件は、ジャーナリズムの歴史のなかで見れば、60年代後半に大学を中心に生まれた新左翼運動が権力によって沈静化されていく過程で起きた、権力によるジャーナリズムへの介入ととらえることができるだろう。ただ私には72年の出来事をそんなふうに客観的にだけ語ることはできなかった。より個人の側に惹きつけてひとつのメモワールとして書きたかった。きわめて政治的な事件を心情的にとらえたかった。出来事というのはつねに個人の身に起こるときには、その個人の内面感情にそって起こるものだから。(中略)あの時代、新左翼運動に共感した企業内ジャーナリストが、過激派と呼ばれる突出した政治組織の行動を取材するとはどういうことだったのか〉〈私は犠牲者のように自分を描くこともできはしなかった。逮捕されたあと友人の名前を権力の前で口に出してしまったのだから。権力に一人で対抗することができなかったのだから。そのことの責めを私は明確に負わなければならないだろう。「もう疲れたから」「闘う気力がなくなっていたから」はエクスキューズにはならないだろう。私が「僕」というイノセントな主語をどうしても使えないひとつの理由はこの「負債」があるためでもある〉「連帯」という言葉が夢とともに声高に語られた時代――1969年1月の東大安田講堂封鎖解除から1970年11月の三島由紀夫割腹自決を経て、1972年の連合赤軍事件へ――死が身近に、たくさんあった「政治の季節」が終わっていきます。その春に大学を卒業して週刊誌編集者になった私も、川本さんのいう「夢みたもの、信じようとした言葉がひとつひとつ死んでゆくのを黙って、呆然として、見つめるしかなかった」一人です。川本さんは、本書のタイトルをボブ・ディランの曲からとったといっています。そのリフレインの詞「あのころの僕はいまより年をとっていた。いまの僕はあのころよりずっと若い」が好きだとも。そんな気持に後押しされた川本さんの「青春の書」。私たち同世代にとってはオンリーイエスタディなのですが、その本が、出来事のあったころにはまだ子どもだったり、まだ生まれていなかった若い世代の編集者や映画人たちによって支えられ、映画化されてきたという。電子書籍化の機会にさらに広範囲の若い世代の方々が手にとって、半世紀近く前の「熱い政治の季節」になにがあったのか、その一端を知っていただけることを願ってやみません。(2013/7/5)
    • 参考になった 2
    投稿日:2013年07月05日
  • 世界文化遺産に登録されてお祝いムード一色の富士山ですが、弾丸登山の危険を指摘する声も聞きます。山小屋等での睡眠をとらずに、夜通し歩き続けて登頂を目指すのだそうですが、高山病や落石発見の遅れなど危ういことばかりのようです。ヒマラヤ山脈の登山を舞台にした『K』の原作は『アストロ球団』で知られる遠崎史朗、作画は谷口ジローです。不可能だと思われる高難度の登山に挑戦する「K」を主人公にした読み切り集なのですが、この漫画の魅力は精緻で圧倒的なリアリスティックな画そのものです。鉄よりも固い氷壁や、逆層と呼ばれる手がかり・足がかりの置き場がまったくない絶壁を這いつくばるシーンを目にすると、まるで読者自身が絶体絶命の状況に置かれたような錯覚に陥り、息を呑んで肝を冷やすばかりです。そんな難攻不落のルートに果敢に挑戦するKですが、大自然の恐れを知らないわけではなく、逆に熟知しているからこそ登山に繰り出せるようです。ここ一番の登山の前には、Kは普段たくわえている髭をきれいにそり落として、家を後にします。その理由は、体を清めて死化粧をすることにあります。無謀とは対極的にある、熟慮を重ねて覚悟を背負った男だけが発する情熱をヒシヒシと感じる物語です。(2013/7/5)
    • 参考になった 0
    投稿日:2013年07月05日
  • 現在「アオハライド」を連載中の著者の前作がこの「ストロボエッジ(全10巻)」です。こちらも連続2度読みしました!面白いです!まず申し上げたいのは主人公の「仁菜子ちゃん」ですが……一言、ズルいです!!!もうね、かわいいんですよ。これは無理です、真似できません。持って生まれたもの。かわいすぎる。まあ天然と言うか一生懸命なんですよ。まったく私にはない要素でかわいくて憧れるというか、母のような気持ちになりました。ということで、本当にカッコイイ学校1人気のある「連くん」を好きになってしまうわけですが、そこから仁菜子ちゃんがどうこの”初恋”を自分なりに成就していくのか!?是非一度読んでみて欲しい作品です。そして間違いなく連くんは萌えれます。
    • 参考になった 3
    投稿日:2013年07月05日
  • 【人付き合いが苦手で】【出会いのきっかけがない】【なんか面倒くさい】などといった理由で、自分って意外と友達が少ないかも…なんて考えてしまう人、結構いるのではないでしょうか。近年はツイッターやフェイスブックといったSNSの発達により、自分が発信した情報の積極的な受け手の人数が如実にさらされてしまうので、そういったこともまた交友関係に関するネガティブな思考に拍車をかけている側面があるのかなと思います。なんか不思議な時代ですね。本作『僕は友達が少ない』に出てくる登場人物たちはみんな「自分には友達がいない」と悩んでいます。そんな彼らが友達を作るために立ち上げた部活動“隣人部”。そこでのふれ合いを通して、彼らは知らず知らずに連帯していきます。そんな彼らはいつの間にか「友達」になっていきます。数が少なくても、ちょっとクセのある面子だとしても、彼らは立派な友達同士です。【いつの間にか】【突然に】【ふとしたきっかけで】人はつながるんですね。そして彼らが大人になったとき、きっと誰よりも優しさの意味を知っているはずです。“隣人部”のメンバーの未来を少しだけ想像してしまいました。
    • 参考になった 0
    投稿日:2013年07月02日
  • 県警記者クラブのサブキャップの任にある入社2年目、全国紙横浜支局・二階康平記者がアポを取っていた取材時間に現れず、そのまま姿を消した。二階記者の行方を追うことになるのは、肌のあわない上司と衝突して横浜支局に都落ちとなった一匹狼の事件記者。著者・堂場瞬一自身、2012年末に退社するまで20年以上読売新聞記者だっただけに、社会部記者の人物造形、新聞社という組織の細部の描写が秀逸なのは、ある意味当然かもしれません。が、この作品はそれだけではなく、新聞記者の目からみた「警察」という組織の実態、警察官という存在を冷徹に描ききった警察小説としても出色の出来映えです。物語の舞台となっている神奈川県警といえば、女性被疑者への猥褻行為や後輩女性警察官に対するセクハラ、さらには事件のでっち上げなどの不祥事が連続して起こり、挙げ句の果てには「不祥事隠蔽マニュアル」と称する手引き書を部内配布していたという不祥事が露見、県警本部長が引責辞任するという前代未聞の事態を引き起こしたこともあるいわく付きの県警です。その神奈川県警記者クラブに詰める事件記者の失踪。しかも、近々「大きな記事」を書くと周囲に語っていた直後、取材約束をすっぽかしてそのまま消息を絶った――記者の身にいったい何が起きたのか。いうまでもなく、これは小説、フィクションですから、神奈川県警で実際に起きていることをそのまま描いているわけではありませんが、「不祥事の百貨店」とも揶揄される神奈川県警が舞台とあれば、読者の連想はいやでもかき立てられます。本社社会部から左遷された一匹狼・甲斐明人(かい・あきひと)が横浜支局に赴任したところで、失踪事件が発生。甲斐が失踪した記者の捜索にあたることになります。〈その夜、二階はとうとう掴まらなかった。翌日も、支局にも県警クラブにも顔を出さない。電話も相変わらずつながらなかった。「ちょっと部屋を見てきましょうか」昼前、甲斐は浜田に申し出た。「ああ?」夕刊用の原稿を処理していた浜田は、モニターを見据えたまま気のない返事をした。「いいよ、放っておけよ」「二日目ですよ? 念のためです」「だったら勝手にやっておいてくれ」浜田が、追い払うように手を振った。「どうせ暇なんだろうし」あんたは能力以上の仕事を抱え過ぎだ。いや、そもそも能力が低いんだ。口の中で文句を噛(か)み殺し、甲斐は支局を出た。支局員に目を配ることもできないなんて・・・・・・。一時間後、甲斐は、二階が失踪(しっそう)したと確信していた〉たった一人で二階記者の行方を追い始めた甲斐記者に神奈川県警内部から協力者・浅羽翔子刑事が現れ、事態は動き始めます。行方不明となっている二階記者が密着取材をして記事を書いたという。甲斐はその浅羽刑事に二階記者の人となりを教えて欲しいと申し出る。〈五段抜きのカラー写真で紹介された女性刑事は、少なくともこのサイズで紹介するだけの価値がある被写体だった。すっと背筋の伸びた長身を、体にぴったりと合ったグレイのパンツスーツに包んでいる。後ろで髪を縛っているので、ほっそりした綺麗(きれい)な顎の線が露(あらわ)になっていた。大きく、そして涼しげな目。少し肉感的な唇。写真を撮られ慣れているように、笑顔は自然だった〉甲斐の前に現れた28歳の巡査部長――浅羽翔子は”冷たい刑事“だった。記事に添えられたポートレイトでは感じ取れなかった、鋭い気配が彼女の周りに渦巻いていた。浅羽翔子は眼鏡(めがね)の奥から冷たい視線を甲斐に投げてきた。〈「警察に泣きついてきたわけですか」「こういうことは警察の仕事じゃないのかな」「普通の仕事の人なら、ね」翔子が腕を組んだ。「新聞記者が警察を頼るようになったらおしまいですよ」「俺も納税者なんだけど。あなたの給料はそこから出ていることをお忘れなく」「そういうことを言われて低姿勢になる人もいるかもしれませんけど、私は違いますから」〉内心の怒りを何とか抑え込んで、二階の人物像を問う甲斐に対して、当初「あなたの会社の人でしょう? 部外者の私に聴くのは、筋違いだと思いますけど」とにべもなかった浅羽翔子だが、甲斐の困り果てた様子に、ふいに口調を変えていった。「何か事情がありそうですね」刑事部屋を出て車に誘った――。甲斐の胸の奥では「真面目に捜査をしていないように見える県警」への疑念が大きくなっていきます。そこに飛び込んできた「刑事の自殺」の情報。しかも二階記者と接点があった刑事だった。〈翔子が階段のところで待ち構えていた。(中略)すり抜けて階段を下りようとしたが、翔子に腕を掴まれた。しばし目線が絡み合った後、甲斐は腕をふるって彼女の戒めから逃れた。「何が言いたい?」「(自殺した)時松さん、自宅療養なんかしていませんよ」「何だって?」「精神的に調子が悪かったのは事実ですけど、毎日ちゃんと出勤してました」「じゃあ、課長が嘘(うそ)をついたっていうのか」「そういうことになりますね」(中略)「それをどうして、俺に教えてくれるんですか」「それは・・・・・・」翔子の顔に、初めて見る戸惑いが浮かんだ。「ちょっと、外で会えませんか」〉二階記者失踪の背後に見え隠れする神奈川県警の黒い影。一匹狼の事件記者と28歳の女性刑事のコンビは、その影にどこまで迫れるのか。(2013/6/28)
    • 参考になった 2
    投稿日:2013年06月28日
  • これはただの少女マンガではありません。「こどものおもちゃ」というタイトル名で、小学生を対象とした雑誌「りぼん」に掲載されていたにも関わらず、ここまでディープな内容を繰り広げていくのかと、初めて読んだときは衝撃を覚えました。それから数年が経ち、改めて読んでみてもやはり内容の深さにショックは抜けません。今の日本の子供たちのマイナスな部分がたくさん描かれています。学級崩壊、いじめ、家庭内暴力、捨て子、恋愛…。それらすべてを小さな体で受け止めなくてはならない少年少女たちは何を感じ、どう成長していくのか。読み始めるとどんどんその疑問に引き込まれていきます。主人公の紗南がすごく前向きで、明るく楽しい性格なので、シリアスな内容の後でもどこか笑えるところも盛り込まれており、まったく息苦しくなく楽しんで読めるので、おすすめです!
    • 参考になった 3
    投稿日:2013年06月28日
  • 第49回(2003年度)小学館漫画賞少女向け部門受賞、2006年7月15日実写映画が公開され、2007年にはアニメ化されたハイテンションラブコメです!舞台はなんと大阪!バリバリの関西弁が作中繰り広げられ、芸人もびっくりなほど凸凹コンビがいい味出してます!出てくるキャラクターのほとんどが関西弁を話すという、少女マンガにはあまりない、ちゃんとした設定にまずテンションあがりました!よく大阪や京都が舞台のコミックは出ておりますが、みなさん標準語なんですよね。読者が日本中におられるのでしょうがないのはしょうがないんですが、それでもこのマンガは違います!関西弁です!ノリツッコミ満載、ギャグも満載!出てくるキャラクターたちはみんな愛らしい!珍しいバリバリ関西マンガ!関西人は必見です!
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    投稿日:2013年06月28日
  • 1~4部をすっ飛ばしていきなり5部を紹介するのには理由があります。当社の従業員が新婚旅行先に選んだ場所がイタリアだったことから、イタリアが舞台となっているこの作品を紹介しようと思ったことがきっかけです。彼女だけでなく、当社では結婚・出産が相次いでおり、人員増加の影響かどうかはわかりませんが、おめでたい話が続いております。この作品は主人公の「ジョルノ・ジョバーナ」がギャング集団へ入団してからの数日間を描いた作品です。数日間の話とは思えないほどの格闘の数、格闘におけるそれぞれのキャラクターの思考スピードの速さなど、アクション映画を観ている感覚で楽しめます。5部での好きな戦いはヴェネツィアへ向かう車の中で格闘が始まる「ジョルノ&ミスタVSギアッチョ」とコロッセオ付近が舞台となる「ジョルノ&ブチャラティ&ミスタVSチョコラータ&セッコ」これらの戦い以外でもイタリアの観光名所が舞台となっていますので、イタリア旅行のご予定のある方は行かれる前に読むと旅行での楽しみが増えるかと思います。(ちなみに、当社は人員増加に対応するため、2013年6月17日より本社を移転しております)
    • 参考になった 1
    投稿日:2013年06月28日
  • シリーズ遂に完結ッ! 完結ゥッッ! 思えば1stシリーズである『グラップラー刃牙』を初めて読んだのは小学生のころ。最大トーナメントのあまりの豪華さ――次から次へと味のあるキャラが現われ、そして負けていく、マンガではありますが、本当に贅沢なトーナメントに、読者として盛り上がりまくったものです。その後の『バキ』における最凶死刑囚や海皇、『範馬刃牙』でのゲバル、オリバ…綺羅星の如きキャラクターたちが繰り広げる戦いは、男子の「最強欲」に十分に答えてくれるものでした。そして行き着いた範馬勇次郎vs刃牙という、親子喧嘩であり、かつ地上最強を決める戦い。その衝撃のラストは思わず誰もが「!!!?」となってしまうこと請け合いです。男子たるもの一度は読むべしッ!
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    投稿日:2013年06月25日
  • 最近、やっと名作と言われる「天河」読破しました!ちなみに略して「天河」は「そらかわ」と読むそうです。「天赤(てんあか)」は間違った略だそうです。すみません。しかし、きっちりと2回連続読みさせていただくほど、はまりました!少女マンガの「全カッコイイ男性が主人公を好きになる」というお約束はもちろんのこと、現代人が古代に呼び寄せられ、そこであらゆる困難を乗り越えて、王妃に上り詰めていくさまや、民衆からも絶大に支持を得ていくところなどは、さまざまな「欲望」を満たしてくれる、まさに王道のマンガとなっております。そして古代ロマンはもちろん満載です。是非皆さんも「ユーリ」になって私と共にいい気分になっていただければなぁと思います!
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    投稿日:2013年06月21日
  •  最近、よく「限界集落」という言葉を耳にします。高齢化が進んでしまって社会的な共同生活が難しくなり、消滅に至りそうな集落のことを指すそうです。国そのものが超高齢化社会へとまっしぐらに進んでいるので、誰にとっても他人事ではないのかもしれません。ご紹介する『水域』は、ヒット作『蟲師』の作者として知られる漆原友紀の作品です。テーマとして「限界集落」そのものが描かれているわけではありませんが、村の存亡に関わる「ある出来事」が物語の鍵を握っているとても幻想的な漫画です。物語の発端は、主人公の女子高生・千波(ちなみ)が部活の練習中に倒れてしまった時に見た夢から始まります。その夢では、深山の村で生活するスミオという少年と年老いた彼の父親に出会うのですが、村には他に住人がいません。夢に登場する川や滝、茅葺の家の中…千波は訪れたことがないはずの村なのに、どこか懐かしさを感じます。以降、頻繁にスミオとその村の夢を見るようになります。実はこの村は千波の母親や祖母がかつて住んでいた故郷なのです。「ある出来事」によって村人はいなくなり、母親にとって村のことは心の澱のようになっていました。この漫画を読んでいて面白いのは、夢と現実が徐々に同期するようになって謎が解明していく展開と「ある出来事」を通して描かれる故郷へのそれぞれの想いや絆です。読後には、深く心地よい余韻に浸れました。(2013/6/21)
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    投稿日:2013年06月21日
  • 「親の顔が見たい」――子供が事件を起こした時、当の子供以上に厳しい言葉がその親に向かって投げつけられることが少なくありません。ときには「土下座してあやまれ」という言葉まで目に入ってくることもあります。
     そんな風潮にざらっとした違和感を抱いていたのですが、柄谷行人著『倫理21』は、「親の責任」を問う社会を一刀両断にしてみせます。柄谷行人はこう書いています。

    〈子供がやったことになぜ親が「責任」をとるのか。その場合、誰に対する責任なのか。それは「世間」といったものに対してです。罪を犯した子供はそれなりに処罰されますし、その親もそのことで十分に苦しみ、罰を受けている。被害者の親が怒りを禁じえないというのはわかりますが、なぜ「世間」が――現実にはジャーナリズムが――、その怒りを代弁するのでしょうか。もしその結果として、非難攻撃された親が自殺したとして、そのことに「世間」は責任をとるでしょうか。「世間」というのは曖昧模糊としたものです。はっきりした主体がない。誰かが親を追及するとすると、その人は自分はともかく、「世間が納得しない」からだというでしょう。〉

    「世間」の非難、追及のなかで、親が自殺に追い込まれるというのは、仮定の話ではなく、実際に起きた、痛ましい出来事です。1972年、銃撃戦の訓練のために山に入った連合赤軍メンバーが人質をとって長野県の「あさま山荘」に10日間にわたって立てこもった。銃撃戦によって警察官、民間人に死傷者がでる大事件となって、テレビ各局はほとんど一日中中継し、日本中がテレビの前に釘付けとなりました。そして逮捕された日本赤軍メンバーの父親が事件後に自殺しました。大手企業取締役の職にあったが、責任を取って辞職した父親もいました。
     柄谷行人はこう続けます。

    〈欧米にはキリスト教的道徳があり、それが個人主義の基盤になっていると、よくいわれます。しかし、別の意味で、儒教圏の中国や韓国にも道徳的機軸があり、それが逆説的に、一種の個人主義を可能にしています。日本にはそのようなものがない。そのかわりに、「世間」という、得体の知れないものが働いているのです。本居宣長(もとおりのりなが)は、道徳というようなものは中国から来たもので、いにしえの日本にはそんなものはなく、またその必要もなかったといいました。ある意味で、この指摘は正しい。日本人は、道徳というと、何となくけむたいような感じを受けます。戦後アメリカ化によって道徳観が壊れたというようなことをいう人がいますが、それは嘘です。しかし、道徳的規範がないということは、まったく自由で、共同体の規制がないということを意味するのではありません。なぜなら、規制は「世間」というものを通してなされるからであり、この「世間」の規制は極めて強く存続しています。〉

     連合赤軍事件から数年後に新聞で連載された円地文子(えんちふみこ)の『食卓のない家』(新潮文庫、2016年4月5日配信)という小説があります。息子が連合赤軍のような事件で逮捕された時、その親がどうするかという主題を扱った極めて重要な作品だと柄谷行人はいう。

    〈この作品では、会社の技術者で幹部である父親が、世間の非難にもかかわらず、辞職しない。もちろん、これはフィクションであって、実際にはモデルとなったと想われる一人の父親は辞職していますし、また、もう一人の父親は、自殺しています。だから、この作品は、実際のケースにもとづいているけれども、どこにもなかったような、もしかすると、この国では決して起こらないようなことを『思考実験』として描いているのです。〉

     円地作品中の「親たちは攻めよせて来る世間の攻勢に狼狽し、萎縮してひたすらに息子の非行に対して、陳謝しなければならなかった」「罪九族に及ぶ的な犯人を家族の中に包み込んでしまう倫理観がこういう場合知らず知らず翼を得たように羽ばたくのも日本人の本能なのであろう」という叙述を引用したうえで、柄谷行人はこう指摘しています。

    〈しかし、この父親だけは謝罪もしないし、辞職もしない。彼の考えはこういうものでしょう。子供が赤軍に行ったことを肯定するわけでもないし、また、それに関しては親自身に原因があるかも知れないと思う。しかし、世間に対して息子のやったことで責任をとる必要は何もない。もし息子が独立の人格でなく親に従属するものであるならば、親の責任があるかもしれない。しかし、そうではない。もし自分が辞めたならば、息子に自由がないとみなすことになる。息子がやったことに対しては、息子が責任をとればよい――〉

     非難の嵐の中にあって、この父親のような態度をとることは、日本においては大変な勇気と決断を必要とします。それは一つの闘争であり、円地文子はこの闘争を連合赤軍の闘争よりはるかに重要だと思っていたはずだと、柄谷はこの作品の重要性を強調しています。
    「世間」という得体の知れないものとどう向かいあうのか――に始まる、柄谷行人の思考は、「東京裁判でなぜ、天皇の戦争責任が問われなかったのか」に及んでいきます。現在の憲法改正論議にも関わる、すぐれて今日的問題です。時代の大きな曲がり角に立ついまこそ、戦後日本人のありようを問いつづけてきた批評家の視点とその論点に耳を傾けていただきたい。(2013/6/21/2017/3/8改訂)
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    投稿日:2013年06月21日