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  • 新しいヒーロー像が生まれましたね。ヒーローが大げさならば少女マンガでいうところの「いい男」です。主人公の剛田猛男はいわゆる「イケメン」ではありません。(※表紙参照)そして幼馴染が超イケメンの砂川で、たいてい好きになった子は砂川を好きになる……ということを、既に受け入れてしまっている男です。最近の流れからいうと、いい子に見えた子が実は裏があって的な「裏切られること」に慣れていて警戒しつつ読むのが常でした。なのでこの作品を読んだ時もすごく警戒していました。(特に猛男を好きだという超かわいい彼女)しかし・・・・それを逆に裏切ってもらいました。あまりに純粋な猛男と砂川と彼女なので、気が付いたら応援しているという…これが作家の意図だったらハマってしまった。今までにないストーリーというかキャラクター展開なので、いやな思いとかこれからしそうだな…と思わせて大丈夫でホッとするという、なんだかうまく表現できませんが「ほっこり安心」できる作品だなぁと思います。次こそはコイツが嫌なヤツなんでしょっ!と思ってもまたさらっとかわされる。そこが新しい!と感じた理由です。なんかいいですよ、ホント、面白いし。いやー、本当に猛男は器のどでかい男なんですよー、本物の「いい男」です☆
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    投稿日:2013年03月08日
  • ここ最近、家でヒマな時間があるとずっと読んでいますが、なかなか最新刊までたどり着かない! 180巻超(2013年3月現在)ともなると読み応えがハンパじゃないです。1巻から読んでいくと、時代の流れ、その時々の流行り廃りが如実に出ていて資料的な面白さもあり、どの年代の人が読んでも物語中に「自分と同世代の話題」を見つけることのできるマンガじゃないでしょうか。また、実はキャラクターも性格や設定がどんどん変わってるんですね。今でこそ両さんといえば身体を動かせばプロアスリート以上、ホビーの知識もマニアックな(勉強以外は)スーパーマンですが、初期は野球のルールは覚束ない、おもちゃも高価なものをゴミ同然の価格で売ってしまう等、かなりの差異があります。部長や中川たちも徐々に性格が変わっていて結構驚きでした。とにかく超長編なので持っておいて損はない作品ですよ!
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    投稿日:2013年03月05日
  • 野球ファンにとって「栄冠」といって思い出すのは、まず「栄冠は君に輝く」(作詞: 加賀大介 作曲: 古関裕而)のあの名曲ですね。高校球児が甲子園を目指す姿を描いた『砂の栄冠』(三田紀房)は、従来からの作品にありがちな「根性」や「努力」で勝利をもぎとる図式のストーリーとは大きく異なります。埼玉県の樫野高校野球部を舞台に、エースで4番の主人公・七嶋裕之があの手この手で甲子園を目指すわけですが、その手段に読み応えがあるのです。元々は図抜けた野球センスを持つ七嶋は、本来の素質を開花させながらいろんな手段でチームを引っ張るのですが、その手段の元となるのが1、000万円という大金です。「さわやかな汗」が売り物の高校野球にあって、大金を所持した七嶋がとる行動とは!? ここまで書くと荒唐無稽に思われがちですが、まったくそうではないのです。父母会やOB会と学校、生徒たちの構図や「高校野球は興行」として描くリアリティが素晴らしいのです。とりわけ、七嶋がある人物から伝授された甲子園で勝つための鉄則ともいうべき理論の数々は、三田の代表作『ドラゴン桜』を彷彿させるものがあります。ワクワクさせられる展開と甲子園必勝セオリーに目が離せません。続巻を待望するばかりです。(2013/3/1)
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    投稿日:2013年03月01日
  • 一見しただけだと「ふる~っ!」という言葉が聞こえてきそうな時代背景のマンガ…『焼けあとの元気くん』(北見けんいち)は戦後の東京が舞台です。ガレキや焼けあとがそこかしこに残るなか、ちゃんと家に住むことができる人はまだましで、古いバスを利用したり客車を改造して家にしてしまったりする人も。中には家族を失ってしまい、ゴザを片手に徘徊する人の姿も登場します。とにかく物資が乏しい時代ですが、主人公の大島元気たちは青空の下でめいっぱい走り回り、遊び疲れたら「腹へったー」と家に帰る毎日。まともな食糧事情ではないので、やたら「腹へったー」と口にします。進駐軍のジープが現れたら「チューインガム」「ハングリー」と車を追いかけるのは当たり前の光景。この漫画を読んでいて不思議なのは、「ないない尽くし」で生きていくだけで精一杯のはずなのに暗さを感じないこと。どんな状況のなかでも、希望を胸に抱いて前を向いて暮らす人々の姿に惹かれます。そして、大人になって生活に不自由することのない大島元気が振り返って吐く、「なにもなくても あの頃は よかった…」という言葉が印象的なのです。「あの頃」を知らない世代に残したい名作です。(2013/3/1)
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    投稿日:2013年03月01日
  • 私の手元に40年近く前に金子光晴さんからいただいた色紙があります。「すっぽんが 人を喰う 夜の 宴かな」 味のある筆文字に囲まれるように、3匹のすっぽんが描かれています。ここでご覧に入れられないのが残念ですが、見ようによっては女性の秘部のようでもある、金子光晴の遊び心をうかがわせる絵です。色紙の右上部には、「光晴戯筆」の文字。「週刊ポスト」の編集の仕事を始めて2年ほどたった1974年頃、金子光晴の連載に関わることがあり、そのときに書いてもらったものです。その連載――「金花黒薔薇艸紙」は1975年6月、金子光晴の死によって終了となって、後に集英社から単行本として刊行されました。そして、10年ほど前に小学館によって文庫化され、このほど電子化されて2月22日にリリースされたのが、本書『金子光晴 金花黒薔薇艸紙』です。連載中に金子さんが亡くなったわけですから、その頃ご家族は別として最も身近にいた桜井滋人さんによる聞き書きでしたが、文字通り最晩年のエッセイでした。桜井さん共々、葬儀の手伝いに駆けつけたことも、今となっては懐かしい想い出のひとつとなっています。それにしても40年も前の週刊誌連載が電子書籍になって蘇り、しかも順調な滑り出しのようです。この電子書籍によって若い世代の新しい読者が「金子光晴」を体験してくれるとすれば、40年前の元担当者としてこれ以上の喜びはありません。昭和初期を妻とともにアジアからヨーロッパを放浪して歩いた詩人・金子光晴。明治・大正・昭和を時代に迎合することなく生きた金子光晴は、身近な弟子を相手に、なさけない自分もありのままに、欲望も、すけべ心も、実感に忠実に、あけすけに、そしていい意味であまり考えることなく語ることに努めたようです。「昭和」という時代を生身で生きる金子光晴――その魅力、可笑しさに、あらためて脱帽です。暁星中学時代の下宿屋でクラスメートとのぞきをして見つかってしまった大騒動の話から、後年ののぞきにまつわる話に及んだ「尻の下の女」の章から引用します。〈白山や富士見町あたりの安待合でも、ちゃんと料金とって、特別なじみの客だけにはのぞかせたりね。これは正岡容(いずる)から聞いた話だから、真偽のほどは保証しかねるが、正岡がある日、白山の某待合へ寄ったら、今日はめったに見られない凄い見世物があるから、見ておいで、なんて女将がいうもんだから、何だろうと、これは隣の部屋からだが、襖の隙間からのぞいてみると、隣室で素っ裸んなって奮闘しておったのは、何と、今はなき永井荷風先生だったとかね、のぞきの世界にはいろんな伝説があるんですよ、うん、この話はあとで谷崎さん(潤一郎)に話したら、谷崎さんも荷風ならやりかねないなんていってましたからね。正岡はあるいは本当に見たのかもしれねぇ。・・・・・・〉文中の正岡容は金子光晴とは同世代の作家、落語・寄席研究家で、親しく付き合った人物。本書でも「演芸・演劇の世界じゃあちょいと名の通った男なんですよ。うん、いつか小沢昭一てえ人が、正岡容は師匠すじにあたるとかいってましたよ」と説明しているくらいですから、白山の待合で素っ裸の永井荷風をのぞいたという話、事実かもしれません。とまれ、金子光晴は「不立」「不立」といいつつも、女との逢瀬を求め、愉しみ、愉しませることに懸命だった。その最晩年エッセイのタイトルの意味というか由来を最後に引用しておきます。〈「あたしのものに、くらべたら、こんなもの、おならみたいなもんじゃないか」って、ド鳴って、ぱっと、トモさんの手から、その春画を、ひったくって、自分のしな物の前に置くとだ、「さあ、ごらん! どっちがバツグンか、よおくみくらべてごらん! 坊っちゃんもみてちょうだい!」てえから、ぼくもつい、そこ、見ちゃったんだけど、もう、たまげたの何のって、それはもうたしかに、おしずさんの威張るだけのことはあって、これはもう狂い咲きの牡丹のよう。色は薔薇色てえと、ちょいとわかりにくいんだけど、何てったらいいか、薔薇色に黒をまぶしてだナ、これに濃い紫をまぜ合わせて、メチャクチャに掻きまわしちまったみたいな色の、大小何十枚てえほどの花びらがだナ、あそこの部分に、ワッとひしめき集まって、ぱっくり開いちゃったみたいで・・・・・〉時代は大正、暁星中学時代の金子光晴が夏の材木座で目の当たりにした仰天の「黒薔薇」体験が、後年の週刊誌連載、そしてエッセイのタイトルになったのです。(2013/3/1)
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    投稿日:2013年03月01日
  • 超クール!でした、当時。今読み直しても「おもしろい…!」の一言につきます。少女マンガといえば、まあざっくりといえば恋愛なのですが(もちろんそれが良いのですが)、全然恋愛要素がなくて逆にびっくりして読み始めたら・・・はまっていたという感じでした。少女マンガという「枠」を超えた作品だと思います。すばらしい!!多くの人が名作と絶賛するだけの魅力があり、とにかくたくさんの人に読んでもらいたい!と思う作品です。主役の2人が魅力的なのはもちろんのこと、脇を固める登場人物も素晴らしく、そして何よりNYダウンタウンを舞台に、銃だクスリだ男娼だ、と「あれっ?少女マンガだよね??」という舞台設定がまずスゴイです。受験勉強中には手に取らないことをおすすめいたします。
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    投稿日:2013年03月01日
  • 最近ではゲーム機ではもちろんのこと、スマートフォンなどでもゲームを楽しむ人が増えているように思います。日進月歩のスピードで日々進化を続けているのだなと実感せずにはいられません。もちろんゲームを楽しむのもいいですが、電子書籍も忘れないでくださいね。ebookJapanではあらゆるジャンルの電子書籍を多数ご用意して皆様のご来店をお待ちしております。
    私はアーケードゲームが全盛だったころを経験してはいないのですが、それでも近所の駄菓子屋などの横には必ずと言っていいほどさまざまなゲームが置かれており、多くの人がそれらを楽しんでいる光景を見て育ちました。お金に余裕があるときに少しやってはみるのですが、上手な人のスコアには遠く及びません。上位にいるのはいつも同じ人。どの町にも本作の主人公・石野あらし的な人物がいたのではないでしょうか。ちなみに2013年6月2日まで明治大学米澤嘉博記念図書館で『すがやみつる展 ゲームセンターあらしとホビーマンガ』が開催中です。詳細はWeb Magazine KATANA 62号でも紹介していますので、こちらもどうぞ。
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    投稿日:2013年02月26日
  • 『ダイの大冒険』は、幼心の僕にとってバイブルでした。それは、全国のこども達が真似し、僕も友人の後頭部に痛打を与えた必殺技・アバンストラッシュやブラッディスクライド。弟子たちを護るために散ったアバンの生き様。極悪非道ながら悪の美学を見せつけたフレイザード。美しき格闘家でヒュンケルとポップの間で思い悩む少女マァムとそのおっぱいで。幼き頃からダイを見守っていたパプニカ王国の王女レオナとそのおっぱい……、……いや、ホントはおっぱいなんてどうでもいいですがね、一応書いておかければいけないと、僕の魂が叫ぶのです。ともかくなにもかもが子どもたちを惹きつけてやみませんでした。中でも一番惹きつけられたのは、ポップというキャラクターの存在です。『ダイの大冒険』は国民的RPG『ドラゴンクエスト』の世界を下敷きに描かれたアクションファンタジー。世界を滅ぼそうとする大魔王バーンを倒すため、数奇な運命の元に生まれた勇者・ダイが仲間たちと冒険をするという筋書き。ダイの仲間のひとりがポップという魔法使いの少年です。このポップは、ダイの兄弟子にあたるのですが、登場したてはとにかく酷い。人間が腐ってる。仲間を見捨てて逃げるは、逃げた罪悪感をごまかすために自分に都合のいい、言い訳をするわ。もう見てられない。そんなポップは、さまざまな人々の働きかけによって変わっていきます。ダイを見捨て、逃げ出したポップを小悪党・まぞっほが言います。「勇者とは勇気ある者ッ!! そして真の勇気とは打算なきものっ!!相手の強さによって出したりひっこめたりするのは本当の勇気じゃあないっ!!!」そして、胸に残った小さな勇気を振り絞り、ポップは強大な敵に立ち向かい、そこからポップは変わり始めていきます。(やさぐれているまぞっほにも、後半で思わぬ見せ場があるのが『ダイの大冒険』の素晴らしい所です)様々な因縁や血統、才能をもった他のキャラクターに比べ、ポップは普通の臆病な人間でした。戦わなければいけない理由もなく、逃げてばっかりだったポップは、長い物語の最後には、勇者・ダイの最も信頼できる存在へと成長していくのです。ゲームの『ドラゴンクエスト』の世界で“勇者”は、ただ一人、世界を救うこと運命づけられた、生まれながらに特別な存在でした。けれどこの『ダイの大冒険』において描かれた勇者は、なけなしの勇気で全て立ち向かっていった“臆病者”だったのです。
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    投稿日:2013年02月22日
  • 家族小説、なかでも「いい話」を書かせたら、重松清に並ぶ書き手はいないのではないか。「家族」というものの存在が希薄化し、人々が生きていくうえでの意味が見えにくくなっている時代にあって、否そういう時代だからこそ、重松清は「家族」を真正面から見つめ、悩み、時に苦しめあう「家族」を見つめて、家族の物語を紡ぎます。その眼差しはどこまでもやさしく、家族を信じる揺るぎない気持が読む者に静かな共感と感動をもたらします。今回紹介する『季節風 春』も、重松清の家族小説の秀作のひとつです。冬・春・夏・秋の季節をひとくくりとして、四季の移ろいを背景に「家族」――夫が、妻が、父が、母が、息子が、娘が直面した問題を素材に描かれた短篇集で、「春」には12篇が収録されています。巻頭の「めぐりびな」を始めどの作品も印象深いのですが、巻末に収録されている「ツバメ記念日」は、読み終えたとき、余韻にひたりながら「家族」を、そして「人生」をしみじみと思い返していました。〈由紀(ゆき)、誕生日おめでとう。こうしてあらたまって手紙を書くのは初めてだ〉という書き出しで始まる「ツバメ記念日」は、父親が近く結婚するひとり娘に宛てて書いた手紙の形で描かれています。妻は最初の総合職採用の女性社員。〈由紀がいるせいで。由紀のことさえなければ。どうして由紀を産んだのだろう。まだ言葉も覚えていないおまえの寝顔を見つめて、パパもママもため息交(ま)じりにつぶやいていた頃があった。季節はちょうどいまと同じ、五月の終わり。出産後一年間の育児休暇を十ヵ月で切り上げたママが仕事に復帰して間もない頃のことだ。ツバメ記念日の話をしよう。パパとママと、それから由紀にとって、なによりも大切な記念日の話をする〉妻は毎朝6時に起きて、7時前に家を出て、通勤ルートの途中にある保育園に子どもを預けて出社する。帰りは会社を定時の5時に出る。これが5時半になると、子どもを迎えに行くのが閉園時刻の6時ぎりぎりになってしまう。娘を抱いて混み合った電車に30分以上も揺られて、ようやく郊外のわが家に帰る。そこからすぐに晩ごはんをつくって、娘をお風呂に入れ、寝かしつけて、もう一度自分のためにお風呂に入り直しているうちに、気がつけば日付が変わっている。そんな生活が続いた5月末。娘が保育園で急な発熱。父親は日帰りで札幌出張だ。連絡を受けた妻は打ち合わせを中座して保育園に迎えに行き、小児科へ。風邪との診断で帰宅。娘の熱は夜8時をまわってようやく下がった。飛行機が遅れて、夫が帰宅したのは9時半。〈パパは玄関に立ちはだかって止めたのだ。ママに「行くな」と言ったのだ。大事な仕事を会社に残しているのはわかっているのに、「今夜は由紀と一緒にいてやってくれ」と言ったのだ。ママは「あなたがいるからいいじゃない」と言った。「お願い、そこ、どいて」だが、パパは譲(ゆず)らなかった。(中略)ママはため息をついて、ちらりと足下に目をやり、それからパパをあらためて見つめた。「だったら、悪いけど、離婚してくれない?」返す言葉を失ったパパに、つづけて言った。「由紀は、あなたに――」〉その瞬間、娘の眠る部屋から起き上がりこぼしの鈴が鳴る音がして、娘を見にいった二人は由紀が再び発熱していることを知る。40度近い。幼児用のスポーツドリンクを吸い飲みで一口飲ませたら、胃液と一緒に嘔吐(おうと)してしまった。もう仕事に戻るどころではない。二人は大あわてで、救急病院に連れて行った。熱性けいれんだった。タクシーで帰宅したときにはとっくに日付が変わっていた。母親は朝早くに重要な会議を控えていて、娘を見ながらその準備をするといい、会社を休むことにした夫は先に休んで、4時に交代することにした。朝の光で目をさました夫はあわてて時計を見て、もっとあわてて跳ね起きた。妻は寝室の机に突っ伏して眠っていた。壁の時計は8時半を回っていた。〈ママは思いのほか冷静だった。怒りもせず嘆きもせず、パパにやつあたりすることもなく、由紀が一晩中ぐっすり眠っていたのを確かめるとほっとして、落ち着いた口調で会社に電話をかけて、九時からの会議に出られないことを告げて、詫びて、必要なことを伝えて、もう一度詫びて、話を終えた。子どもが熱を出したから、という以外の理由はなにも言わず、言い訳もいっさいしなかった〉会社に向かった妻は、ホームのベンチで、一人泣いた。感情のままに「離婚」まで口にした。娘は夫に――と言いかけた、その先はどんな言葉だったのか。壊れる寸前にあった「家族」。そのとき、閑散としたホームで何が起きたのか。一人で泣いている妻に老夫婦が声をかけた。その視線の先にはツバメの巣――。心温まる重松清の世界。癒やしのエンディングです。(2013/2/22)
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    投稿日:2013年02月22日
  • これは衝撃を受けたマンガですね。今更ご紹介するまでもないと思いますが、何度も読み返せる作品で、そのたびに泣きますね。えっ?泣かないですか?音楽大学に通う主人公の野田恵(のだめ)と、同じ大学に通う超エリート音大生の千秋真一が様々な人と出会い成長していくクラシック音楽マンガなわけです。(超省略な説明ですみません)がっ!、とにかく読んだことのない方も面白いので是非読んでみてください!!「音楽」は、マンガで表現することが難しいと言われてきたテーマの一つです。しかしこれを打ち破り、音楽にあまり興味のないマンガ読みにも手を取らせたのが私は「のだめカンタービレ」だと思うのです。しかもクラシックとこれまた「世界が違うシリーズ」であまり接してこなかった人が多い中、非常に興味を持たせてくれた。音は聞こえてこないのにその感動が伝わってくる…。すごい作家だなぁと思います。この作品は音楽マンガの金字塔を打ち建てたといっても…いいでしょう!!芸術が爆発しています!もちろん急にピアノを弾こうと思っても無理でしたが、主人公の二人のキャラクターに憧れとうらやましさをきちんと持たせてもらいました。
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    投稿日:2013年02月22日
  • ここ最近、「ある一定のルールに則って進行し、ルール違反、もしくはゲーム/勝負に負けると死ぬ」というような“デス・ゲーム”作品が結構多くリリースされています。古くは『バトル・ロワイアル』から最近では『王様ゲーム』や『今際の国のアリス』がそうですかね。この『神さまの言うとおり』もそうした作品なのですが、5巻で第1部が終わり、次の巻からは同じ世界、同じ時間軸ですが主人公が変わって再スタートという展開になるようです。この手の作品では主要キャラ的な登場人物すらもあっさり死んでしまい驚くものですが、さすがに主人公が死ぬなんてことはありませんでした。しかし主人公が変わるとなるとそうはいかないでしょう。ここまで(単行本5巻分)見てきた主人公ですら例外ではないのかも? とドキドキです。次の巻が待ち遠しい…!
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    投稿日:2013年02月19日
  • 一時期、斜陽産業とよばれていた映画業界ですが、シネコンの普及等で盛り返しているようです。『デラシネマ』(星野泰視)は、「観客動員数 十億人 公開数も300本を超え」た昭和28年当時の映画会社を舞台にした物語。隆盛華やかな日映京都撮影所に入社した俳優の宮藤武晴と同じく助監督・風間俊一郎の2人の若者が主人公です。俳優といっても大部屋所属、助監督とは名ばかりのフォース助監督という駆け出しの2人なのですが、やる気十分、これからの映画界を背負って立つというくらいの気構えを持っています。キレイなセットの中、美麗な立ち回りでファンを夢中にさせる大スターを中心に映画が作られている状況にこの2人は挑むのです。それは、現実と見紛うばかりのセットの中で、誰も見たことのないリアルな大立ち回りをフィルムに収めるという願望です。この漫画を読んでいて面白いのは、壁にぶつかっても決して諦めない、映画にかける熱い情熱と志を持った若者の眩しい姿がそこにあることです。いやあ、映画って本当にいいもんですね!?(2013/2/15)
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    投稿日:2013年02月15日
  • 大人の階段を登っていた途中に、すかしてマンガなんて…えいっ!と捨ててしまった作品で、後から、ああっ!もう一回読みたい!惜しいことをした!と思っていた作品です。「バレエ」という私は全く触れてこなかった、「知らない世界に引き込んでくれたシリーズ」の一つです。ああ!なつかしすぎる。主人公の真澄(ますみ)はプリマを目指すあつーい女の子。はっきりいってこの漫画はスポコンです!「巨人の星」女の子verです。次々と『試練』がやってくるわけです。超辛いです。しかしながら、ひたむきに一つのことに夢中になり高みを目指すということはどんなテーマであろうと、何を人生で選ぼうと輝いているなぁと思ったのであります。
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    投稿日:2013年02月15日
  • 〈明け方になって急に家の裏口から夏芙蓉の甘いにおいが入り込んで来たので息苦しく、まるで花のにおいに息をとめられるように思ってオリュウノオバは目をさまし、仏壇の横にしつらえた台に乗せた夫の礼如さんの額に入った写真が微かに白く闇の中に浮きあがっているのをみて、尊い仏様のような人だった礼如さんと夫婦だった事が有り得ない幻だったような気がした。
     体をよこたえたままその礼如さんの写真を見て手を組んでオリュウノオバは「おおきに、有難うございます」と声にならない声でつぶやき、あらためて家に入ってくる夏芙蓉のにおいをかぎ、自分にも夏芙蓉のような白粉のにおいを立てていた若い時分があったのだと一人微笑んだ〉

     中上健次の最高傑作の一つに数えられる短篇連作『千年の愉楽』――巻頭作「半蔵の鳥」の書き出しです。
     オリュウノオバは、中上健次が描く物語世界の舞台「路地」――被差別部落を表象しています――に住みつづける、路地のただ一人の産婆。路地の親たちのあらかたはオリュウノオバがとりあげてきた。
     この路地、いわゆる被差別部落に生まれた男たちの生き様、死に様をオリュウノオバの「記憶」をたどる形で組み上げられた6篇の長大な物語で、1992年、肝臓癌のため46歳の若さで死去した中上健次がそのちょうど10年前に出版した連作集です。
     この『千年の愉楽』が没後20年を過ぎた今、中上ファンのみならず、出版界、読書人の間でホットな話題となっています。突然の交通事故で昨年急死した若松孝二監督が中上文学に挑んだ遺作『千年の愉楽』が近くロードショウ公開されるとあって、書店には映画のスチール写真によって構成されたカバーをかけられた文庫本が並べられ、ときならぬ中上ブームの予感が漂い始めています。
     映画でオリュウノオバを演じるのは、寺島しのぶ。同じ若松映画『キャタピラー』でベルリン国際映画祭銀熊賞(女優賞)を受賞した寺島しのぶが「オリュウノオバ」をどう演じるのか、「路地」に生まれた男たちを、高良健吾、高岡蒼佑らがどう演じるのか、中上文学は若松孝二の最後の映画でどう映像化されているのか。
    「半蔵の鳥」の半蔵、「六道の辻」の三好、「天狗の松」の文彦、「天人五衰」のオリエントの康、「ラブラタの綺譚」の新一郎、「カンナカムイの翼」の達男。いずれの男たちも思うがままに行動し、奔放な性を生きたあげくのはてに若死にしていきます。
     たとえば、「半蔵の鳥」にこんなくだりがあります。

    〈(半蔵は)女の帯をほどいて着物をむき、裸にした。女は情の強い質で紐で縛っても縄で縛っても半蔵が口に含ませた物を神経を逆なでするような音を立てみだらな姿で舐め、いつぞや仏壇からみつけた半蔵のものより太いろうそくを与えて自分で慰めさせても羞かしがる事もせず一心不乱に行い、一たび手足の束縛を解くと声を上げんばかりの勢いで半蔵に取りすがって、半蔵の体に馬乗りになってよがり声を出す。今度は上になってくれと言い、女の体の中心がめくれ上がり半蔵を体ごと呑み込んでしまうというように尻をつかみ、そのうち、半蔵から逃げようとする。時どき半蔵は女の騒ぎように鼻白み、他のおんなのほとんどがそうなように半蔵が腰を強くうちつけるなら遠く逃げ、逃げつづけているうちにもうそこから先が袋小路で行きどまりだというところに迷い込み、半蔵がふと浅く引くなら所在なくじりじりとこがれ、そうやっているうちに遊びに耐えきれず首にしがみつき、唇を胸に押しつけ身を固くし次々襲ってくる身震いのうちに半蔵が気を放つのを待つ方がよいと思う事があった〉

     半蔵は25歳であっけなく直情怪行な人生の幕を閉じます。
    〈二十五のその歳でいきなり絶頂で幕が引かれるように、女に手を出してそれを怨んだ男に背後から刺され、炎のように血を吹き出しながら走って路地のとば口まで来て、血のほとんど出てしまったために体が半分ほど縮み、これが輝くほどの男振りの半蔵かと疑われるほど醜く見える姿でまだ小さい子を二人残してこと切れた。九かさなりの九月九日。流れ出てしまったのは中本の血だった〉

    「路地」に生きる人々の「血」へのこだわり。生まれ育った紀州熊野の風土のなかではぐくまれた中上文学――文芸評論家の江藤淳は巻末の解説で「路地でのフィクションはフィクションではなく、人々の“生きた記憶”なのだ」と指摘していますが、まさに人々の“生きた記憶”が何であったかを問いつづけた中上健次が紡ぎ出した長大な物語に圧倒される思いです。
     最後に、電子書籍化の際に省かれる事の多い解説――吉本隆明、江藤淳による中上論が巻末にちゃんと収録されていることは、読者にとってはなによりうれしい、ということを記しておきます。(2013/2/15)
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    投稿日:2013年02月15日
  • 社会人になり、まとまったお金がもらえるようになってからの大きな買物のひとつにデジタル一眼レフカメラがあります。中級機の標準ズームのレンズキットでした。購入してからというもの出かける際には必ず持ち歩くようになりました。もちろん携帯性を考えればコンデジの方がよいのですが、やはりファインダーで見たままの風景を切り取ることができる一眼レフカメラの方が「写真を撮っている」ということをより深く実感できるような気がします。レンズが交換できるのも魅力ですね。もちろんレンズの購入にあたっては財布と相談しなければならないのですが。報道カメラマンの父を持つ少年が、父の弟子である義理の兄に教えを乞いながら、一人の人間として成長していく本作「ズーム・アップ」。1970年代後半から80年代にかけて連載された作品ですが、作中で紹介されている撮影技術等はカメラがデジタル化した現在でも非常に参考になります。むしろフィルムカメラが欲しくなるくらいです。それはそうと、2012年にコダックが破産法を申請したというニュースには衝撃を受けました。時代の流れを直視した感覚でした。
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    投稿日:2013年02月12日
  • 手塚治虫がトラウマです。まだ汚れも知らぬ小学生のころ、なにげに読んだ手塚治虫作品からたくさんのトラウマと言う名の衝撃を受けました。特に『火の鳥』は「復活編」「宇宙編」はじめ、心をえぐるような話が多く、いまだに「面白い」と思うより先に「恐怖」が思い出されます。そんな手塚治虫作品の中でも特に印象に残っているのが「ドオベルマン」という短編。 父が買ってきた手塚治虫の追悼記念号「朝日ジャーナル 手塚治虫の世界」というムックに再録されたこの「ドオベルマン」によって、小学生の僕は長年にわたって独りでトイレにいけなくなってしまったのです。ある夜、手塚治虫が外国人の絵描き・ドオベルマンと出会うところから物語がはじまります。ただのフーテンと思い、適当にあしらおうと思った手塚でしたが、人の心が読めるという彼のもつ不思議な力に興味を持ちます。ドオベルマンのアトリエにいった手塚は、そこで彼の作品を見ます。ある日突然、何者かの「描け」という啓示を受け、ガムシャラに書き始めたというドオベルマンの作品は子供の落書きのようなものばかり。動物とも鉱物ともいえない何かの絵がアトリエに何百枚とある。気になって何回も訪れていた手塚は、その絵がある一定の配列があることに気づきます。止まることのないドオベルマンの筆は一体何を描ききるのでしょうか…?というお話。ラスト、遠くの出来事がぐっと身近に引き寄せらたとき、ゾワゾワっとした恐怖を感じます。これがたったの32ページにまとめられているというのが、本当に驚嘆です。
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    投稿日:2013年02月08日
  • 大和和紀先生の「あさきゆめみし」で平安時代を勉強?したといっても過言ではないと思います!この物語は「源氏物語」を漫画化したもので、光源氏の生涯を描いた作品です。原作(古典/むずかしい)に、おもいっきり少女マンガ&恋愛要素を注ぎ込み、読みやすくかつ感情移入できるように作られた、とても素敵な物語になっています。主人公:光源氏のキャラクターもプレイボーイというよりは、「うーん…これだけ女がいてもしょうがないな」と思わせるキャラクターの作り方はさすが大和和紀!先生!まあとにかく切ない男と女の物語です。人間らしいです。しかし昔の人は恋をするのも本当に大変だったんだなぁ。何よりこの作品で多くの人に古典に興味を持たせることができたのは事実であり、作家の人物解釈のすばらしさが、これだけの長い間愛される作品になったのだと思います。是非!
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    投稿日:2013年02月08日
  • 著者は、ボストンの経営学修士のコースで学んだ友人の経験として、非常に興味深い話を紹介しています。友人がいつも出席していた「経営学」の講義。いつも決まって日本と日本企業を手厳しく批判する一人の「優秀な」白人学生がいたそうです。「日本人は猿真似ばかりする。自分でオリジナリティのあるものを生んだことがない」「日本企業は発明・発見に努力するのではなく、米国や欧州の企業が苦労して考案したアイデアなどをすぐに真似して似たような製品を安く作ることで利益をあげている」などなど一方的な言いがかりに近い文言ですが、これがアメリカ人にはうける。いくら無知から来るものとはいえ、繰り返し繰り返し言われると、日本人としてはめげてきます。そんな半年が過ぎたころのこと――友人が快哉を叫ぶ事件が起きました。少し長くなりますが、引用します。〈白人学生のいつもの日本と日本企業批判が始まった。しかしその日は、批判だけでなく「どんな企業が理想かといえば」と言って、彼が理想とする企業の名前を具体的に挙げたのである。「米国のメーカーのソニーを見ろ。つねに独創的な製品を市場に送り出しているし、アイデアも独自のもので、他社の真似などしない。こういう企業こそ、日本企業は見習い理想とすべきだ」その瞬間、友人はここぞとばかりに発言した。「ソニーは、日本の企業です。アメリカの企業ではありません」すると白人学生は、「日本人はウソまでつくのか」と声を荒げると、「なんてバカなことを言い出すのだ」と蔑(さげす)みに近い視線を投げつけてきたという。教室内に張り詰めた気分が流れ、沈黙が支配した。友人は、孤立した。その白人学生だけでなく、他の同級生たちも冷たい視線を友人に注いだからだ。誰もがソニーをアメリカの企業と信じているようであった。まもなく、担当教授が、口を開いた。「残念ですが、彼(友人)の言っていることは正しい。ソニーは、日本の企業です」〉海外に出て、まさかソニーに助けられることになるとは、海外ではソニーは特別な存在なのだ、おそらく自分と同じような経験、ソニーに救われた日本人は他にもたくさんいるんじゃないか――じつはソニーとはライバル関係にある家電メーカーに勤める友人はしみじみと語っていたそうです。「日本のソニー」、「日本国民のためのソニー」、つまり「僕らのソニー」。ここに他の日本企業とソニーの最大の違いがあるというわけです。そのソニー――「僕らのソニー」でいったい何がおきているのか、を明らかにしようというのが、本書執筆の目的だと筆者は明言しています。ソニー取材歴17年の筆者は、特別な存在だったソニーがフツウの会社へと落ちてゆく過程を冷静な目で検証していきます。第4代社長の岩間和夫急死後、二人の創業者、井深大、盛田昭夫から後を託された第5代社長・大賀典雄。社長の座を後進に譲って相談役に退いていた大賀が「ハワード(会長兼CEO)と中鉢(社長兼エレクトロニクスCEO)がここまでやるとは思わなかった」と怒りを露わにしたという秘話を発掘しています。〈ソニーは、二〇〇七年二月、本社を品川から港区港南の二十階建ての高層ビルに移す。しかし大賀氏には、新本社にソニー相談役としての部屋は与えられなかった。前本社の大賀氏の部屋の窓からは、ソニー創業の地「御殿山」の旧本社の建物が見える。その旧本社跡地を、ソニーは売却した。大賀氏の部屋の窓からは、旧本社の建物が壊されていく様子が一望できた。時折、大賀氏を前本社の相談役室に訪ねてくるOBや親しい人たちに対し、窓を開けて崩れゆく旧本社の建物を指さして「ハワードと中鉢が、ここまでやるとは思わなかった」と怒りを露わにしたという。御殿山の旧本社は大賀氏にとって、偉大な二人の創業者、井深大氏と盛田昭夫氏とともに苦労を分かち合って、町工場に毛が生えた程度に過ぎなかったソニーを世界企業に育て上げた忘れられない場所である。ソニーが抱える諸般の事情から売却しなければならなかったにせよ、日々取り壊され姿を変えていく「創業の地」を見せつけられる大賀氏の心中を察するにあまりあるものがある〉単なる感傷ではありません。日本を代表する企業になるという気概をもってニューヨーク五番街に日章旗を掲げて世界進出を果たした創業者たちの精神、スピリットの喪失の象徴とも捉えることができるのではないか。筆者は、いつからソニーは、これほどまでに功労者やOBをリスペクトする気持を失ってしまったのかと暗澹たる気持になったものだと記しています。「僕らのソニー」への挽歌というべき一冊です。(2013/2/8)
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    投稿日:2013年02月08日
  • 同棲8年目、結婚は……どうしようかなぁ? くらいの温度のカップルの、何でもない日常。それを1話の中で「男目線」「女目線」の両方から描くという一風変わった試みの作品です。男女の仲というのは長くなればなるほど甘えも出てきますし、男性はついつい「言わなくてもわかるだろう、通じてるだろう」なんて考えがち。で、その結果いろんな不和やすれ違いが…という事例はよく聞きます。ちょっとした出来事や何となく言ったつもりの言葉に対し、女性はどう思うのか? 男女の考え方、感じ方はこうも違うのかと感じ入ること請け合いです。絵もすっきり読みやすく、オススメです!
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    投稿日:2013年02月05日
  • 町工場の前を通るとき、思わず中をチラ見しませんか? 溶接や炉の激しい火花を目にすると、ちょっと胸が高鳴るんですが、町工場萌えというのでしょうか。そんな人をトリコにしそうな書名『とろける鉄工所』(野村宗弘)…いやあ、第1話から強烈です。溶接という仕事がいかにハードかを描いているのですが、光に目が焼けてしまって激痛で涙を流し続けたり、溶けた小さな鉄が背中や耳の中、安全靴の中に飛び込んできて毎日が火傷の日々!! 作者の実体験がベースになっているマンガなので、リアリティにあふれています。ガンガンに燃え尽きてしまいそうな作業が描かれていて、「萌え~」なんて甘っちょろいものではありません。そんなキツイ仕事の日々を描いたマンガなのですが、仕事を離れてホッとする休息の場面に心から癒されます。主人公の中堅工員・北さんと明るくて優しい奥さんの若夫婦やベテランの小島さんと親思いのさと子の父子家庭が作り出す暖かい家族関係が胸に染み入るのです。オンとオフの切り替えというか、日々に隠れた幸せを意識させてくれるのが、このマンガの醍醐味に思えました。ちなみに、巻末に収録されたセリフなしのおまけマンガも珠玉の作で、手抜きをしない作者の「ものづくりへのこだわり」を感じさせてくれるのです。(2013/2/1)
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    投稿日:2013年02月01日
  • 『新宿・夏の死』というタイトルに、船戸与一はどんな想いを託したのだろうか。収録短篇の一つ「夏の渦」に、こんな一節があります。〈ノリピーの通夜のまえに観ていたテレビでキャスターがコメントした、アジア経済はいま完全に冬の時代を迎えたのだと。あれと同じだ。喧噪(けんそう)と狂乱。馬鹿騒ぎに明け暮れたあたしたちの熱い夜が終わり、冷え冷えとした季節に入ったような気がする。この替え唄はノリピーの死そのものにたいしてではなく、そういう日々への挽歌なのだ。涙はそれを偲んで流れだしている。 おかまよどうぞ/やさしくしてね。/昨日の夜の/ちんぽが痒い。 あたしはなおもがなるように唄いつづけた。それにしても、熱い日々が終焉(しゅうえん)したいま何をどうすればいいのだろう? 舎弟(しゃでい)っこのところは跡継ぎがいね。舎弟(しゃでい)っこの葬儀屋、継いでけろ。ふいに昨日の義父の電話の声が聞こえたような気がした。ああ、結局、そういうことになるのだろう、実際の葬儀屋が何をするのかわからないが、ノリピーの顔をメイクしたときの経験ではべつに死化粧してやるのは嫌いじゃない。帰(け)って来(こ)、故郷(くに)さ帰って来。耳の中で勝手に宮城弁が響く。流れには逆らわないほうがいいだろう。ああ、馬鹿騒ぎの時代は終わったのだ。今度の芝居をやり遂げたら、バー・ミロを畳み、荷物を纏めて東北新幹線に乗ろう。あたしは溢れでて来る涙をゆっくりと右手で拭った〉海上自衛官に捨てられて一晩、カミュXOをがぶ飲みしたあげく、心臓マヒであっけなく死んでしまった仲間の遺体を千葉の実家に届けたおかまたちがトラックの荷台で、替え唄をがなりたてる。女性歌手が「あなたがかんだ、小指がいたい・・・・・・」とささやくように唄った甘ったるい恋唄の替え唄。一時期、二丁目のおかまが好んで唄ったという、その替え唄こそは、馬鹿騒ぎに明け暮れた熱い夜、喧噪と狂乱の日々への挽歌なのだ。船戸与一は時代の移ろいを、そしてその流れに翻弄されあえぐ、生身の人間を綴ります。変貌激しい新宿を舞台に繰り広げられる「死」をめぐる8つのストーリー。冒頭に収録されている「夏の黄昏」は、父と息子の物語。〈問え、敏明が(としあき)が疲れきった表情で山北(やまきた)の自宅を訪れたとき、なぜ何かあったのかと訊(き)いてやらなかったのかを〉という、いかにも船戸与一らしい、激しく強い書き出しで物語は始まります。丹沢山系の山間にある終の棲家で余生を猪狩りに熱中して過ごしていた男にもたされた一人息子の自死の報。いま、社会問題化している「追い出し部屋」における最期の日々を綴った息子の日記を前に男は何を想うのか。四十九日の法要を数日後に控えたある日、「遅い、一切が遅すぎる」という自身への憤怒を胸の奥底に秘めて男は新宿に向かう・・・・・・。週刊誌の仕事をしていた1970年代から80年代にかけて、新宿、なかでも区役所通り、職安通り、ゴールデン街のあたりに頻繁に通っていた時期がありました。ゴールデン街に行けば、必ず立ち寄ったあるバーには、誰かしら知った顔――作家だったり、ライターやライバル誌の気のおけない編集者だったり――がいて、時間を忘れて飲んだものです。船戸与一は、『新宿・夏の死』で、かつての「風林会館」前のたたずまいや、区役所通り、職安通りの様子を物語にうまく溶け込ませていますが、そんな情景さえもが新宿から足が遠のいた私にとっては「熱い日々」を記憶の中から呼び起こす手がかりとなってくれます。いっぽう、中国人の街と化した、いまの「新宿」。「国際都市」へと変貌を遂げてやまない新宿が舞台ですから、不良外国人の「清掃」を使命とする右翼組織や、コロンビアからやってきた売春婦やイラン人のドラッグ密売人など、時代性もたっぷり盛り込まれていて冒険エンタテイメントとしても面白く読ませる力作揃いです。とまれ、最初に紹介した「夏の渦」はかつての「馬鹿騒ぎと狂乱の日々」――誰もが生きることに一所懸命で、それこそまだ隠花植物視されていたおかまだっておかまなりの意地と矜持をもって生きていた熱い日々が新宿には確かにあったのだということが描かれていて読むものの胸を少し熱くします。そんな時代はもう戻ってこないのか――「夏の死」という言葉に「熱い日々の終焉」の意味をこめた船戸与一の想いを感じます。(2013/2/1)
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    投稿日:2013年02月01日
  • 17、13、8、6、4、4、5、13、2。この数字の羅列は何を意味しているでしょう?この数字は「課長」「部長」「取締役」「常務」「ヤング」「ヤング主任」「専務」「社長」「係長」と役職名(タイトル名)を変えて現在も連載中の「島耕作」のタイトル別の冊数です。「課長島耕作」は日本がバブル経済で賑わっていた時を舞台とした作品で、銀座での豪遊、アメリカ企業の大型買収、社内での権力闘争など、現在のデフレ状態の日本経済ではお目にかからないであろうイベントが描かれています。作者の弘兼憲史先生はマンガ家になる前に大手電機メーカーに勤務されており、その時体験されたことも参考にされているので、会社員の私にとっては良質なビジネス書に値する作品です。あと、コンスタントに出てくるお色気シーンも楽しみの1つです。(2013/2/1)
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    投稿日:2013年02月01日
  • 油断していたら思いっきり泣ける漫画に遭遇してしまった。それもそうとは知らずに手に取ったら・・そういうことってありませんか?絶対にオススメの一冊です。人前で号泣してみました。この土田世紀の「雲出づるところ」はお互いに深い心の傷を抱えながらも、引き合うようにして出会った主人公の十一(じゅういち)と出水(いずみ)の物語である。私はこの作品を読んだ時に、自分がもし十一と出水と出会ったならば、作品に出てくる第三者のように憐れんで見てしまうのだろう…と、自分の汚い部分や浅はかさをを十分に理解してしまった。人を理解するのは本当に難しい。しかし二人は幸せだったのだと思う。せめて自分の近くにいる人のことは大切にしようと改めて思えた作品だった。土田世紀の巻末のコメントがまた非常に素晴らしい。「他者の孤独の輪郭をやわらかくたどってみることが『愛する』ということ」(2013/2/1)
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    投稿日:2013年02月01日
  • 私がまだ小さかったころ、父の運転するバイクのタンデムシートにまたがりツーリングに行ったことがありました。行き先は千葉の銚子の方だったと思いますが、当時の私はバイクのスピード感に対する恐怖で、一日中ガチガチに緊張し、あまり楽しかったという記憶がありません。その当時、父の乗っていたバイクはホンダのXL250。今回紹介する『風を抜け』に登場するバイクと同じ、オフロードタイプのマシンでした。舞う土ぼこりや跳ねる泥、風の圧力などを実際に体で感じている錯覚を覚えるくらいに緻密に描写されているレースシーンも素晴らしいのですが、心震える印象的なセリフが各所に散りばめられており、個人的にはそれが嬉しかったです。「世界で1番速いヤツを、2番目にしちまいな!」いつか言ってみたいし、言われてもみたいですよね。タンデムシートが恐かった私も大人になり、昨年には大型自動二輪の免許を取得しました。いろいろと夢がふくらんでいる今日このごろ、馴染みのバイク屋さんにリトルカブを修理してもらっているのを待つ間に、この原稿を書きました。(2013/1/29)
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    投稿日:2013年01月29日
  • 格闘漫画は昔から変わらず人気のあるジャンルです。主人公とライバルが肉体と精神をガチでぶつけあうというシンプルなパターンからは、数々の名作・名シーンが生まれました。このジャンルは歴史は古く、作品も多いですから、90年代以降になると、ただ闘うだけではなく、テーマにしろ描写にしろ、特色のある作品が増えてきたように感じます。この『エアマスター』の特色がなにかといえば、それは「過剰な熱血」と「とんでもない“勢い”」です。壁にぶつかり、新体操の夢を諦めた女子高生・マキが、ストリートファイトを通じて、自分のなかに眠る「エアマスター」という“怪物”を覚醒させるというのが、物語の本線です。このマキの前に立ちふさがるのは、個性的というにはあまりに強烈なキャラクターたち。たとえば北枝金次郎。地元では負け知らずで、黒正義誠意連合を率いる金次郎も、アクの強い強敵たちに連敗。自分を見失い、謎のヒーロー「シズナマン」に改造されてしまいます。そんな金次郎も、物語の終盤で本来の自分を取り戻し、雄叫びをあげます。はじめは小さな「おおおお…」という叫びも、最後にはみたことのない大きさ(の文字)になり、その絶叫とともに最強の敵に立ち向かっていく。14ページにわたり150文字以上の「おおおお…」がつづくシーンを、そこだけ見たら「なんじゃこりゃ」と思うかもしれません。ただ、1巻から続けて読み、北枝金次郎というキャラクター…いや“人間”を知っている読者なら、絶対に必要なシーンだとわかります。150文字以上の「おおおおおおお…」を絶叫する、これが北枝金次郎だと。クセのあるマンガだと思います。全く合わないと言う人がいるのも分かります。ただ、魂が共鳴するような体験を一度味わえば、読み返すたびに何度でも、異常な勢いと熱量が蘇るのです。どんなに落ち込んでいても「エアマスター」を読み始めるだけであの「おおおおおおおお…」が条件反射のようによみがえる、そんな一撃必中なカンフル剤のような作品です。(2013/1/25)
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    投稿日:2013年01月25日