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  • ラズウェル細木さんのマンガを読むときは時間と場所に注意しなければいけない。なぜなら、どの作品も読むと猛烈に食欲(酒欲)が湧きあがってくるからだ。断言してもいいけれど、『酒のほそ道』を読めば間違いなく飲みたくなるし、酒のつまみを食べたくなる。で、この『う』。話は全部うなぎにまつわるもの。ページをめくってもめくっても、出てくるのはうなぎ。うなぎ。うなぎ。読んでるだけでかば焼きのあの、タレが炭に落ちてじゅわっとなるあの香りが感じられてきてもう狂おしいほど。こんな作品を夜中に読もうものなら大変なことに。こんなに人の欲求をかきたてるマンガ、そうそう無いでしょう。
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    投稿日:2013年03月19日
  • ロードバイクに乗る人の姿を見かけることがよくあります。一時的な自転車ブームかと思いましたが、人気は定着したようです。でも、ママチャリとは違ってちょっと奥が深い世界のようで、興味を持っても入りにくいと思っている人もいるのではないでしょうか。可愛らしいタイトル『のりりん』(鬼頭莫宏)は、ロードバイクの魅力をあらゆる角度から描いた作品です。自転車マンガというと、「熱い勝負」が欠かせない要素として取り上げられますが、このマンガは主人公の青年・マリコが初めてロードに接し、その魅力にはまるところから丁寧に描かれています。どちらかいうと自転車が嫌いのマリコなのですが、ロードバイクに乗って「世界が一変」し、「日常とは別の世界」に入って「体中の細胞が活性化」して、ロードバイクの素晴らしさに目覚めていきます。マリコは割とどこにでもいそうな平凡なタイプの男性なので、感情移入もしやすく、ロードバイクの気持ちよさが伝わってきます。そして、このマンガの面白いところは、自転車選びやテクニックからマナーまで、ロードの基本が作中に自然にちりばめられているので、実用書としても使えそうな点です。このマンガの影響で、本当にロードを始める人もいるのではないでしょうか。私もウズウズしている一人です。(2013/3/15)
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    投稿日:2013年03月15日
  • 2000枚の応募写真の選考にあたるなど、本書編集に協力者として深くかかわった作家・椎名誠さんは、巻末に東北への思いをこめて「うろたえながら」と題する文章をよせています。〈善し悪しはわからない。ただしかし、喜びや悲しみや残酷さなどすべての感情を含めて、そこに流れていた「時間」が止まっている。そのことに気づき、わたしはいくらか狼狽してしまったようであった。この本に収められている夥(おびただ)しい写真は、すべてひとつの時間で静止している。それは写真ごとにそれぞれが異なった時間ではあるけれど、本来流れている筈の時間が止められてしまった風景や人々の笑顔、あるいは風に揺れているだろう花や、うねりに揺れているだろう海は、この本のなかで永久に静止している。もうそこには「ゆっくり流れている時間」というものすらない。なぜなら、それそのものがもうそこに無かったりするからだ。それがやるせない〉私たちの日常は、流れる時間のなかにあります。その「時間」を止めてしまう写真の力。東北の人々から寄せられた写真はすべてひとつの時間で静止しています。「流れている筈の時間が止められてしまった写真」を見続けていて、自身が流れる時間の中にいるという事実に思いいたった椎名さんはいささか気恥ずかしく、うろたえてしまったと打ち明けています。3.11から2年の時を迎えたいま、写真というものの力がいかんなく発揮された、この写真集が出版されたことを、そして写真集が電子書籍になったことを拍手で迎えたいと思う。企画立ち上げのきっかけは、2004年の中越地震の際、新潟県山古志村の被災前の美しい風景を撮り続けてきたアマチュア写真家・中條均紀さんの作品をもとに出版された復興応援写真集『山古志村ふたたび』でした。同じように、写真集を出版してその収益を復興に役立てることができないか。こうした思いからスタートした企画が、田中角栄から国境地帯まで幅広い取材活動を続けてきたフォトジャーナリスト・山本皓一さんの協力を得て、より多くの人々が撮った東北の写真を集めるために投稿作品を募集するというプロジェクトに発展し、さらに椎名誠さんの参加もあって、震災から1年たった2012年3月に『東日本大震災 復興応援写真集 3.11以前 美しい東北を永遠に残そう』と題する写真集に結実しました。ページ数99、2000枚を超える応募写真から、自身で写真もよく撮る椎名誠さん、山本皓一さん、小学館写真室の太田真三さんの3人によって選び出された160枚の写真が収録されました。「失われた風景」「美しき故郷」「忘れえぬ思い出」の3部に分類整理されてはいますが、どの写真にも共通しているのは「時間」が止まっているということです。巻頭6ページと7ページの見開きには岩手県陸前高田市の市街と青く広がる広田湾のワイド写真が収められています。海岸沿いの高田松原も、2003年7月の撮影時には、訪れる人々の目をやさしく癒やしてくれていました(撮影:渡辺雅史)。66ページには、3.11のちょうど1年前、福島県双葉郡浪江町権現堂で撮られた幼稚園児のお花見遠足光景。川沿いの土手に植えられた桜並木の下を家族とともにゆく園児たちの黄色い帽子と満開の桜色のコントラストが印象的な、記憶に残る写真です(撮影:半谷善宏)。故郷の市街と湾を見下ろす高台からの光景も、土手の桜並木と黄色い帽子の鮮やかさも、印象的であればあるだけ、それが3.11以前であることに思いがいきつき、そこで「時間」が止まっていることに気がつきます。椎名誠さんは、〈何という悲しく悔しく怒りと狼狽(ろうばい)に満ちた写真の群れなのだろう〉と先の文章を書き始めているのですが、ここに収録されている160枚もの「時間が静止した写真」は、私たちが3.11を境にもはや戻ることのできないところへ来てしまったことを突きつけているのではないでしょうか。もはや「写真」のところへは戻れない。これらの写真が永遠なのは、そういう意味なのではないか。福島第一原発に近く、多くの町民が今なお避難生活を余儀なくされている浪江町で、震災のわずか1年前に記録されていた「幸せの風景」。それは3.11を境に一変してしまいました。東北は被災前と被災後とで一変してしまいました。しかし、変わってしまったのは東北だけではありません。春の桜を楽しんでいた家族たちが生きている現在は、じつは私たちが生きている今にそのまま重なるのだということを、本書『3.11以前』は教えています。3.11後のフクシマの状況は、彼らだけの問題ではない、私たちの問題でもあるのだ――160枚の写真は静かに、しかし強く訴えているのです。(2013/3/15)
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    投稿日:2013年03月15日
  • 前の会社の編集部にいたとき、隣の同僚の机はいつもものすごくきれいだった(男性40才代)。何でも紙が嫌いとのこと。しかしその彼が唯一机に並べていたのがこの「自虐の詩」だった。「俺のバイブル」と言っていたこの作品。初めは「…??」でした。何?どこがいいの?ただの男の身勝手欲望マンガじゃなくて?(まあ笑えるのですが)と思ったのですが。。。最後・・・泣きましたねぇ。感動しました。そしてすっごく考えさせられました。人生の過ごし方ってなんでしょう?幸せってなんでしょう?モードに突入しました。かなり世界に入ってしまったので、映画化されていたものも速攻見ました。(監督:堤幸彦/出演:中谷美紀・阿部寛) これだけの名作だと映画は危険な香りがしたのですが、映画もこれまたなかなか良かったです。とにかく、最後までまずは読んでみてください!それまでは耐えてw。女性コミック担当なのにすみません。しかし女性も是非。
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    投稿日:2013年03月15日
  • 景気、だんだん良くなっていくんでしょうか。年末の衆議院議員選挙で自民党政権が復活してからというもの、株価は上がり、円安も進み、なんとなく上り調子な印象をみなさんも感じていると思います。私が学生だったころの日本経済は、大手金融機関の破綻や国有化、日本を代表する企業の人員削減や事業の縮小など「失われた10年」の真っただ中でした。アベノミクス。なんか近鉄のターミナルを思わせるネーミングですね。レーガノミクス、サッチャリズムのように歴史にその名を残せるのか注目です。本作「マンダム親子」の主人公・マンダム金田氏は、あらゆるマンガの登場人物のなかでも有数のお金持ちとして十指に数えられる資産家です。家のなかには無限に広がるお札の砂漠があり、庭を掘ればお札が温泉のごとく吹き出す……。ビル・ゲイツもバフェットもマンダム金田氏の前では裸足で逃げだすことでしょう。不景気なんてどこ吹く風ですね。マンダム金田氏のライバル・金持太郎氏の股間に付いているネコがかわいいので、そこにも注目です。(2013/3/5)
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    投稿日:2013年03月12日
  • ドラマ化も映画化もされた『鈴木先生』の連載中から今でも、先輩と飲む度に鈴木先生の教育論を「鈴木メソード」と呼んで、あーでもないこーでもないと盛り上がっています。先生が主人公の漫画は枚挙にいとまがないですが、その中でも『鈴木先生』は異色だったからです。これまでの先生漫画は、生徒が非行→先生が説教→改心というパターンや、生徒がヤクザと援交→先生がヤクザを殴る→改心という、ざっくりとしたイメージがありました。生徒に対する“愛”を叩きこめばなんでも治るというアナログ電化製品に対するかのような発想、たいへんおおらかな時代でしたね。けれど、『鈴木先生』は違います。「いくら強く言われても、自分で納得していないことを人は修正できない」という当たり前だけど難しい現実に鈴木先生は挑戦します。生徒本人が納得し、自分自身でよく考え、行動できるようになることが目標なのは、現実と変わりませんが、そこに至る物語は険しいものばかり。物語の始めでは生徒一人が相手だったのが、やがて保護者も交えてのものになり、最後には学校全体へと鈴木先生の“教育”の場は広がっていきます。鈴木先生は加害者、被害者、保護者、同僚の先生という考え方の違う人々が、思うままに自分の考えを述べる中で、流れを作って教育をするという離れ業をするのです。注目を集めるためにときに声を荒げることもしますし、生徒にわざと殴られることもしますが、それも手段でしか無い。情動的な行動すらも全てコントロールしながら、生徒指導という複数の勢力が拮抗し、リアルタイムに変化する戦場で、鈴木先生は最善手を探し続けるのです。面白いのは、鈴木先生に教えられ、自分で考えることが出来るようになった生徒たちは「鈴木メソード」の尖兵として、その後の鈴木先生の“戦い”の重要な役割をになっていくようになることです。つまりミニ鈴木先生として、他の生徒を誘導するのです。この感化された生徒の役割によって、鈴木先生は学校全体を巻き込むような大きな舞台でも戦うことができるようになるのですが、はたして教育と洗脳の違いとは何なのか…考えさせられます。『鈴木先生』には他にも謎や考察すべき点がたくさんあります。鈴木先生の評判が上がるごろに壊れていってしまう周囲の先生…。鈴木先生お気に入りの小川という生徒の存在…。「鈴木裁判」と“鈴木先生”の完成などなど、読む度に新しいことに気づき、疑問がわきます。今の私の疑問は『「鈴木メソード」から、鈴木先生の想像を上回る生徒が誕生するのだろうか』というもの。まだまだ呑み屋で盛り上がれそうです。
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    投稿日:2013年03月08日
  • 春一番がふいて、3月2日、プロ野球のペナントレースに先駆けて、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の熱戦の火ぶたがきって落とされました。山本浩二監督率いる日本代表、侍ジャパンは初戦ブラジルにかろうじて逆転勝利。先発したエース、田中将大(楽天)が初回に1点を失うなど、3月20日の決勝を目指す侍ジャパンの暗雲漂うスタートを目の当たりにして即座に脳裡をよぎった本があります。スポーツジャーナリスト二宮清純の『天才たちのプロ野球』です。二宮は、田中将大についてこう書き始めています。〈この日も立ち上がりに乱れた。主力選手が並ぶ相手打線に初回に3本のヒットを浴び、四球もからんで3失点。2回、3回と無失点で切り抜けただけに、出だしの不安が余計にクローズアップされた。'11年2月15日、キャンプ地である沖縄・久米島での紅白戦。「打たれたことで逆に収穫があった」。東北楽天のマー君こと田中将大(まさひろ)は冷静な口調で言った〉田中将大の立ち上がりの悪さは歴然としています。――初回・11点、2回・1点、3回・8点、4回・8点、5回・3点、6回・4点 7回・6点、8回・5点、9回1点。2ケタ台の失点は初回だけです。ピッチャーにとって初回と初球は永遠の課題であるとよく言われますが、日本のエースとしてステップアップを目指す田中将大にとって、この課題は避けては通れません。二宮はこう続けます。〈初回にまとめて3点も取られて、いったい何が「収穫」だったのか。淡々とマー君は言った。「ブルペンではできるだけ力みが出ないように投げていた。そのせいか立ち上がり、腕の振りが鈍かった。それが失点の原因だったと思います。そのことに気づき、2回以降は意識的に腕の振りを強くした。マウンドでの感覚をはっきりと取り戻すことができました」だが、先のデータを突きつけると、一瞬、表情が険しくなった。「初回にこれだけ失点してちゃいけませんよね。初回を3人で終わらせれば、こちらの攻撃のリズムも出てくる。初回については十分、意識しているつもりですが、逆に意識しすぎているのかもしれない・・・・・・〉本書紙版が刊行されたのは2012年4月ですが、もともとは2010年から2012年にかけて「週刊現代」に連載されたコラム記事です。この田中将大についての記事も2011年のキャンプ中のものですが、二宮清純は2013年のWBCの田中将大を見通していたかのようです。エースとして期待される田中将大ですが、開幕直前の強化試合に2回先発しながら2回とも初回に失点をして、不安視する声が高まっていました。それでも山本監督は不動の右腕エースとして初戦の先発に送り出したのですが、やはり初回、格下のブラジルに1点を献上して、不調を印象づけてしまった。しかし、この立ち上がりの悪さを2年前に指摘した二宮は同じ記事の中で、田中将大のもっとも田中将大らしいところをこう記しています。〈スイッチが入る――。マー君のピッチングについて聞くと、多くの関係者が異口同音にそう答える。たとえば現在の女房役・嶋基宏(もとひろ)は、こんな具合だ。「彼はランナーが得点圏にいくとワンギア入るんです。それまでは8割の力で投げていたのが、急に10になる」そこでマー君の投手成績を調べてみると被打率の悪さに対して防御率のいいピッチャーであることがわかった。より具体的に述べよう。'10年の彼の被打率はリーグワースト3位の2割7分なのに対し、防御率2.50はリーグ3位(いずれも規定投球回以上)なのだ。文字通り、彼はランナーを背負った段階で、スイッチをオフからオンに切り換えるのである。何やらカラータイマーが点滅し始めてから本領発揮するウルトラマンのようである。「本当はランナーを出さなければいいだけの話なんですけどね」マー君はそう言ってクスッと笑った〉ピンチにたってこそ、真価を発揮するという投手。二宮は田中将大論をこう締めくくります。〈まさしく快刀乱麻。スイッチが入った時のマー君は手がつけられない。ランナーを背負えば背負うほど、追い込まれれば追い込まれるほど、本領を発揮する修羅場の力自慢。(中略)'11年、マー君は立ち上がりに失点する悪癖を克服した。初回の失点はわずかに3。無難な立ち上がりがピッチングに安定感をもたらしていた。そして19勝を挙げ、“宣言”通り沢村賞を獲得した〉こんな若者となら組んでみたいと思う、年下のパートナーとして、これほど頼もしい男は他にはいない――これ以上はない、田中将大へのオマージュを知れば、そして、田中と並ぶ侍ジャパン、もう一人の右腕、前田健太(広島)、主砲・中田翔(日本ハム)ら、同書に登場する18人のプレイヤーたちの知られざる魅力を知れば、2013のプロ野球がまったく違った色、光景に見えてくるかもしれません。ちなみに18人のうち、巨人の選手は村田修一ひとりだけです。(2013/3/8)
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    投稿日:2013年03月08日
  • 新しいヒーロー像が生まれましたね。ヒーローが大げさならば少女マンガでいうところの「いい男」です。主人公の剛田猛男はいわゆる「イケメン」ではありません。(※表紙参照)そして幼馴染が超イケメンの砂川で、たいてい好きになった子は砂川を好きになる……ということを、既に受け入れてしまっている男です。最近の流れからいうと、いい子に見えた子が実は裏があって的な「裏切られること」に慣れていて警戒しつつ読むのが常でした。なのでこの作品を読んだ時もすごく警戒していました。(特に猛男を好きだという超かわいい彼女)しかし・・・・それを逆に裏切ってもらいました。あまりに純粋な猛男と砂川と彼女なので、気が付いたら応援しているという…これが作家の意図だったらハマってしまった。今までにないストーリーというかキャラクター展開なので、いやな思いとかこれからしそうだな…と思わせて大丈夫でホッとするという、なんだかうまく表現できませんが「ほっこり安心」できる作品だなぁと思います。次こそはコイツが嫌なヤツなんでしょっ!と思ってもまたさらっとかわされる。そこが新しい!と感じた理由です。なんかいいですよ、ホント、面白いし。いやー、本当に猛男は器のどでかい男なんですよー、本物の「いい男」です☆
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    投稿日:2013年03月08日
  • ここ最近、家でヒマな時間があるとずっと読んでいますが、なかなか最新刊までたどり着かない! 180巻超(2013年3月現在)ともなると読み応えがハンパじゃないです。1巻から読んでいくと、時代の流れ、その時々の流行り廃りが如実に出ていて資料的な面白さもあり、どの年代の人が読んでも物語中に「自分と同世代の話題」を見つけることのできるマンガじゃないでしょうか。また、実はキャラクターも性格や設定がどんどん変わってるんですね。今でこそ両さんといえば身体を動かせばプロアスリート以上、ホビーの知識もマニアックな(勉強以外は)スーパーマンですが、初期は野球のルールは覚束ない、おもちゃも高価なものをゴミ同然の価格で売ってしまう等、かなりの差異があります。部長や中川たちも徐々に性格が変わっていて結構驚きでした。とにかく超長編なので持っておいて損はない作品ですよ!
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    投稿日:2013年03月05日
  • 野球ファンにとって「栄冠」といって思い出すのは、まず「栄冠は君に輝く」(作詞: 加賀大介 作曲: 古関裕而)のあの名曲ですね。高校球児が甲子園を目指す姿を描いた『砂の栄冠』(三田紀房)は、従来からの作品にありがちな「根性」や「努力」で勝利をもぎとる図式のストーリーとは大きく異なります。埼玉県の樫野高校野球部を舞台に、エースで4番の主人公・七嶋裕之があの手この手で甲子園を目指すわけですが、その手段に読み応えがあるのです。元々は図抜けた野球センスを持つ七嶋は、本来の素質を開花させながらいろんな手段でチームを引っ張るのですが、その手段の元となるのが1、000万円という大金です。「さわやかな汗」が売り物の高校野球にあって、大金を所持した七嶋がとる行動とは!? ここまで書くと荒唐無稽に思われがちですが、まったくそうではないのです。父母会やOB会と学校、生徒たちの構図や「高校野球は興行」として描くリアリティが素晴らしいのです。とりわけ、七嶋がある人物から伝授された甲子園で勝つための鉄則ともいうべき理論の数々は、三田の代表作『ドラゴン桜』を彷彿させるものがあります。ワクワクさせられる展開と甲子園必勝セオリーに目が離せません。続巻を待望するばかりです。(2013/3/1)
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    投稿日:2013年03月01日
  • 一見しただけだと「ふる~っ!」という言葉が聞こえてきそうな時代背景のマンガ…『焼けあとの元気くん』(北見けんいち)は戦後の東京が舞台です。ガレキや焼けあとがそこかしこに残るなか、ちゃんと家に住むことができる人はまだましで、古いバスを利用したり客車を改造して家にしてしまったりする人も。中には家族を失ってしまい、ゴザを片手に徘徊する人の姿も登場します。とにかく物資が乏しい時代ですが、主人公の大島元気たちは青空の下でめいっぱい走り回り、遊び疲れたら「腹へったー」と家に帰る毎日。まともな食糧事情ではないので、やたら「腹へったー」と口にします。進駐軍のジープが現れたら「チューインガム」「ハングリー」と車を追いかけるのは当たり前の光景。この漫画を読んでいて不思議なのは、「ないない尽くし」で生きていくだけで精一杯のはずなのに暗さを感じないこと。どんな状況のなかでも、希望を胸に抱いて前を向いて暮らす人々の姿に惹かれます。そして、大人になって生活に不自由することのない大島元気が振り返って吐く、「なにもなくても あの頃は よかった…」という言葉が印象的なのです。「あの頃」を知らない世代に残したい名作です。(2013/3/1)
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    投稿日:2013年03月01日
  • 私の手元に40年近く前に金子光晴さんからいただいた色紙があります。「すっぽんが 人を喰う 夜の 宴かな」 味のある筆文字に囲まれるように、3匹のすっぽんが描かれています。ここでご覧に入れられないのが残念ですが、見ようによっては女性の秘部のようでもある、金子光晴の遊び心をうかがわせる絵です。色紙の右上部には、「光晴戯筆」の文字。「週刊ポスト」の編集の仕事を始めて2年ほどたった1974年頃、金子光晴の連載に関わることがあり、そのときに書いてもらったものです。その連載――「金花黒薔薇艸紙」は1975年6月、金子光晴の死によって終了となって、後に集英社から単行本として刊行されました。そして、10年ほど前に小学館によって文庫化され、このほど電子化されて2月22日にリリースされたのが、本書『金子光晴 金花黒薔薇艸紙』です。連載中に金子さんが亡くなったわけですから、その頃ご家族は別として最も身近にいた桜井滋人さんによる聞き書きでしたが、文字通り最晩年のエッセイでした。桜井さん共々、葬儀の手伝いに駆けつけたことも、今となっては懐かしい想い出のひとつとなっています。それにしても40年も前の週刊誌連載が電子書籍になって蘇り、しかも順調な滑り出しのようです。この電子書籍によって若い世代の新しい読者が「金子光晴」を体験してくれるとすれば、40年前の元担当者としてこれ以上の喜びはありません。昭和初期を妻とともにアジアからヨーロッパを放浪して歩いた詩人・金子光晴。明治・大正・昭和を時代に迎合することなく生きた金子光晴は、身近な弟子を相手に、なさけない自分もありのままに、欲望も、すけべ心も、実感に忠実に、あけすけに、そしていい意味であまり考えることなく語ることに努めたようです。「昭和」という時代を生身で生きる金子光晴――その魅力、可笑しさに、あらためて脱帽です。暁星中学時代の下宿屋でクラスメートとのぞきをして見つかってしまった大騒動の話から、後年ののぞきにまつわる話に及んだ「尻の下の女」の章から引用します。〈白山や富士見町あたりの安待合でも、ちゃんと料金とって、特別なじみの客だけにはのぞかせたりね。これは正岡容(いずる)から聞いた話だから、真偽のほどは保証しかねるが、正岡がある日、白山の某待合へ寄ったら、今日はめったに見られない凄い見世物があるから、見ておいで、なんて女将がいうもんだから、何だろうと、これは隣の部屋からだが、襖の隙間からのぞいてみると、隣室で素っ裸んなって奮闘しておったのは、何と、今はなき永井荷風先生だったとかね、のぞきの世界にはいろんな伝説があるんですよ、うん、この話はあとで谷崎さん(潤一郎)に話したら、谷崎さんも荷風ならやりかねないなんていってましたからね。正岡はあるいは本当に見たのかもしれねぇ。・・・・・・〉文中の正岡容は金子光晴とは同世代の作家、落語・寄席研究家で、親しく付き合った人物。本書でも「演芸・演劇の世界じゃあちょいと名の通った男なんですよ。うん、いつか小沢昭一てえ人が、正岡容は師匠すじにあたるとかいってましたよ」と説明しているくらいですから、白山の待合で素っ裸の永井荷風をのぞいたという話、事実かもしれません。とまれ、金子光晴は「不立」「不立」といいつつも、女との逢瀬を求め、愉しみ、愉しませることに懸命だった。その最晩年エッセイのタイトルの意味というか由来を最後に引用しておきます。〈「あたしのものに、くらべたら、こんなもの、おならみたいなもんじゃないか」って、ド鳴って、ぱっと、トモさんの手から、その春画を、ひったくって、自分のしな物の前に置くとだ、「さあ、ごらん! どっちがバツグンか、よおくみくらべてごらん! 坊っちゃんもみてちょうだい!」てえから、ぼくもつい、そこ、見ちゃったんだけど、もう、たまげたの何のって、それはもうたしかに、おしずさんの威張るだけのことはあって、これはもう狂い咲きの牡丹のよう。色は薔薇色てえと、ちょいとわかりにくいんだけど、何てったらいいか、薔薇色に黒をまぶしてだナ、これに濃い紫をまぜ合わせて、メチャクチャに掻きまわしちまったみたいな色の、大小何十枚てえほどの花びらがだナ、あそこの部分に、ワッとひしめき集まって、ぱっくり開いちゃったみたいで・・・・・〉時代は大正、暁星中学時代の金子光晴が夏の材木座で目の当たりにした仰天の「黒薔薇」体験が、後年の週刊誌連載、そしてエッセイのタイトルになったのです。(2013/3/1)
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    投稿日:2013年03月01日
  • 超クール!でした、当時。今読み直しても「おもしろい…!」の一言につきます。少女マンガといえば、まあざっくりといえば恋愛なのですが(もちろんそれが良いのですが)、全然恋愛要素がなくて逆にびっくりして読み始めたら・・・はまっていたという感じでした。少女マンガという「枠」を超えた作品だと思います。すばらしい!!多くの人が名作と絶賛するだけの魅力があり、とにかくたくさんの人に読んでもらいたい!と思う作品です。主役の2人が魅力的なのはもちろんのこと、脇を固める登場人物も素晴らしく、そして何よりNYダウンタウンを舞台に、銃だクスリだ男娼だ、と「あれっ?少女マンガだよね??」という舞台設定がまずスゴイです。受験勉強中には手に取らないことをおすすめいたします。
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    投稿日:2013年03月01日
  • 最近ではゲーム機ではもちろんのこと、スマートフォンなどでもゲームを楽しむ人が増えているように思います。日進月歩のスピードで日々進化を続けているのだなと実感せずにはいられません。もちろんゲームを楽しむのもいいですが、電子書籍も忘れないでくださいね。ebookJapanではあらゆるジャンルの電子書籍を多数ご用意して皆様のご来店をお待ちしております。
    私はアーケードゲームが全盛だったころを経験してはいないのですが、それでも近所の駄菓子屋などの横には必ずと言っていいほどさまざまなゲームが置かれており、多くの人がそれらを楽しんでいる光景を見て育ちました。お金に余裕があるときに少しやってはみるのですが、上手な人のスコアには遠く及びません。上位にいるのはいつも同じ人。どの町にも本作の主人公・石野あらし的な人物がいたのではないでしょうか。ちなみに2013年6月2日まで明治大学米澤嘉博記念図書館で『すがやみつる展 ゲームセンターあらしとホビーマンガ』が開催中です。詳細はWeb Magazine KATANA 62号でも紹介していますので、こちらもどうぞ。
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    投稿日:2013年02月26日
  • 『ダイの大冒険』は、幼心の僕にとってバイブルでした。それは、全国のこども達が真似し、僕も友人の後頭部に痛打を与えた必殺技・アバンストラッシュやブラッディスクライド。弟子たちを護るために散ったアバンの生き様。極悪非道ながら悪の美学を見せつけたフレイザード。美しき格闘家でヒュンケルとポップの間で思い悩む少女マァムとそのおっぱいで。幼き頃からダイを見守っていたパプニカ王国の王女レオナとそのおっぱい……、……いや、ホントはおっぱいなんてどうでもいいですがね、一応書いておかければいけないと、僕の魂が叫ぶのです。ともかくなにもかもが子どもたちを惹きつけてやみませんでした。中でも一番惹きつけられたのは、ポップというキャラクターの存在です。『ダイの大冒険』は国民的RPG『ドラゴンクエスト』の世界を下敷きに描かれたアクションファンタジー。世界を滅ぼそうとする大魔王バーンを倒すため、数奇な運命の元に生まれた勇者・ダイが仲間たちと冒険をするという筋書き。ダイの仲間のひとりがポップという魔法使いの少年です。このポップは、ダイの兄弟子にあたるのですが、登場したてはとにかく酷い。人間が腐ってる。仲間を見捨てて逃げるは、逃げた罪悪感をごまかすために自分に都合のいい、言い訳をするわ。もう見てられない。そんなポップは、さまざまな人々の働きかけによって変わっていきます。ダイを見捨て、逃げ出したポップを小悪党・まぞっほが言います。「勇者とは勇気ある者ッ!! そして真の勇気とは打算なきものっ!!相手の強さによって出したりひっこめたりするのは本当の勇気じゃあないっ!!!」そして、胸に残った小さな勇気を振り絞り、ポップは強大な敵に立ち向かい、そこからポップは変わり始めていきます。(やさぐれているまぞっほにも、後半で思わぬ見せ場があるのが『ダイの大冒険』の素晴らしい所です)様々な因縁や血統、才能をもった他のキャラクターに比べ、ポップは普通の臆病な人間でした。戦わなければいけない理由もなく、逃げてばっかりだったポップは、長い物語の最後には、勇者・ダイの最も信頼できる存在へと成長していくのです。ゲームの『ドラゴンクエスト』の世界で“勇者”は、ただ一人、世界を救うこと運命づけられた、生まれながらに特別な存在でした。けれどこの『ダイの大冒険』において描かれた勇者は、なけなしの勇気で全て立ち向かっていった“臆病者”だったのです。
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    投稿日:2013年02月22日
  • 家族小説、なかでも「いい話」を書かせたら、重松清に並ぶ書き手はいないのではないか。「家族」というものの存在が希薄化し、人々が生きていくうえでの意味が見えにくくなっている時代にあって、否そういう時代だからこそ、重松清は「家族」を真正面から見つめ、悩み、時に苦しめあう「家族」を見つめて、家族の物語を紡ぎます。その眼差しはどこまでもやさしく、家族を信じる揺るぎない気持が読む者に静かな共感と感動をもたらします。今回紹介する『季節風 春』も、重松清の家族小説の秀作のひとつです。冬・春・夏・秋の季節をひとくくりとして、四季の移ろいを背景に「家族」――夫が、妻が、父が、母が、息子が、娘が直面した問題を素材に描かれた短篇集で、「春」には12篇が収録されています。巻頭の「めぐりびな」を始めどの作品も印象深いのですが、巻末に収録されている「ツバメ記念日」は、読み終えたとき、余韻にひたりながら「家族」を、そして「人生」をしみじみと思い返していました。〈由紀(ゆき)、誕生日おめでとう。こうしてあらたまって手紙を書くのは初めてだ〉という書き出しで始まる「ツバメ記念日」は、父親が近く結婚するひとり娘に宛てて書いた手紙の形で描かれています。妻は最初の総合職採用の女性社員。〈由紀がいるせいで。由紀のことさえなければ。どうして由紀を産んだのだろう。まだ言葉も覚えていないおまえの寝顔を見つめて、パパもママもため息交(ま)じりにつぶやいていた頃があった。季節はちょうどいまと同じ、五月の終わり。出産後一年間の育児休暇を十ヵ月で切り上げたママが仕事に復帰して間もない頃のことだ。ツバメ記念日の話をしよう。パパとママと、それから由紀にとって、なによりも大切な記念日の話をする〉妻は毎朝6時に起きて、7時前に家を出て、通勤ルートの途中にある保育園に子どもを預けて出社する。帰りは会社を定時の5時に出る。これが5時半になると、子どもを迎えに行くのが閉園時刻の6時ぎりぎりになってしまう。娘を抱いて混み合った電車に30分以上も揺られて、ようやく郊外のわが家に帰る。そこからすぐに晩ごはんをつくって、娘をお風呂に入れ、寝かしつけて、もう一度自分のためにお風呂に入り直しているうちに、気がつけば日付が変わっている。そんな生活が続いた5月末。娘が保育園で急な発熱。父親は日帰りで札幌出張だ。連絡を受けた妻は打ち合わせを中座して保育園に迎えに行き、小児科へ。風邪との診断で帰宅。娘の熱は夜8時をまわってようやく下がった。飛行機が遅れて、夫が帰宅したのは9時半。〈パパは玄関に立ちはだかって止めたのだ。ママに「行くな」と言ったのだ。大事な仕事を会社に残しているのはわかっているのに、「今夜は由紀と一緒にいてやってくれ」と言ったのだ。ママは「あなたがいるからいいじゃない」と言った。「お願い、そこ、どいて」だが、パパは譲(ゆず)らなかった。(中略)ママはため息をついて、ちらりと足下に目をやり、それからパパをあらためて見つめた。「だったら、悪いけど、離婚してくれない?」返す言葉を失ったパパに、つづけて言った。「由紀は、あなたに――」〉その瞬間、娘の眠る部屋から起き上がりこぼしの鈴が鳴る音がして、娘を見にいった二人は由紀が再び発熱していることを知る。40度近い。幼児用のスポーツドリンクを吸い飲みで一口飲ませたら、胃液と一緒に嘔吐(おうと)してしまった。もう仕事に戻るどころではない。二人は大あわてで、救急病院に連れて行った。熱性けいれんだった。タクシーで帰宅したときにはとっくに日付が変わっていた。母親は朝早くに重要な会議を控えていて、娘を見ながらその準備をするといい、会社を休むことにした夫は先に休んで、4時に交代することにした。朝の光で目をさました夫はあわてて時計を見て、もっとあわてて跳ね起きた。妻は寝室の机に突っ伏して眠っていた。壁の時計は8時半を回っていた。〈ママは思いのほか冷静だった。怒りもせず嘆きもせず、パパにやつあたりすることもなく、由紀が一晩中ぐっすり眠っていたのを確かめるとほっとして、落ち着いた口調で会社に電話をかけて、九時からの会議に出られないことを告げて、詫びて、必要なことを伝えて、もう一度詫びて、話を終えた。子どもが熱を出したから、という以外の理由はなにも言わず、言い訳もいっさいしなかった〉会社に向かった妻は、ホームのベンチで、一人泣いた。感情のままに「離婚」まで口にした。娘は夫に――と言いかけた、その先はどんな言葉だったのか。壊れる寸前にあった「家族」。そのとき、閑散としたホームで何が起きたのか。一人で泣いている妻に老夫婦が声をかけた。その視線の先にはツバメの巣――。心温まる重松清の世界。癒やしのエンディングです。(2013/2/22)
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    投稿日:2013年02月22日
  • これは衝撃を受けたマンガですね。今更ご紹介するまでもないと思いますが、何度も読み返せる作品で、そのたびに泣きますね。えっ?泣かないですか?音楽大学に通う主人公の野田恵(のだめ)と、同じ大学に通う超エリート音大生の千秋真一が様々な人と出会い成長していくクラシック音楽マンガなわけです。(超省略な説明ですみません)がっ!、とにかく読んだことのない方も面白いので是非読んでみてください!!「音楽」は、マンガで表現することが難しいと言われてきたテーマの一つです。しかしこれを打ち破り、音楽にあまり興味のないマンガ読みにも手を取らせたのが私は「のだめカンタービレ」だと思うのです。しかもクラシックとこれまた「世界が違うシリーズ」であまり接してこなかった人が多い中、非常に興味を持たせてくれた。音は聞こえてこないのにその感動が伝わってくる…。すごい作家だなぁと思います。この作品は音楽マンガの金字塔を打ち建てたといっても…いいでしょう!!芸術が爆発しています!もちろん急にピアノを弾こうと思っても無理でしたが、主人公の二人のキャラクターに憧れとうらやましさをきちんと持たせてもらいました。
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    投稿日:2013年02月22日
  • ここ最近、「ある一定のルールに則って進行し、ルール違反、もしくはゲーム/勝負に負けると死ぬ」というような“デス・ゲーム”作品が結構多くリリースされています。古くは『バトル・ロワイアル』から最近では『王様ゲーム』や『今際の国のアリス』がそうですかね。この『神さまの言うとおり』もそうした作品なのですが、5巻で第1部が終わり、次の巻からは同じ世界、同じ時間軸ですが主人公が変わって再スタートという展開になるようです。この手の作品では主要キャラ的な登場人物すらもあっさり死んでしまい驚くものですが、さすがに主人公が死ぬなんてことはありませんでした。しかし主人公が変わるとなるとそうはいかないでしょう。ここまで(単行本5巻分)見てきた主人公ですら例外ではないのかも? とドキドキです。次の巻が待ち遠しい…!
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    投稿日:2013年02月19日
  • 一時期、斜陽産業とよばれていた映画業界ですが、シネコンの普及等で盛り返しているようです。『デラシネマ』(星野泰視)は、「観客動員数 十億人 公開数も300本を超え」た昭和28年当時の映画会社を舞台にした物語。隆盛華やかな日映京都撮影所に入社した俳優の宮藤武晴と同じく助監督・風間俊一郎の2人の若者が主人公です。俳優といっても大部屋所属、助監督とは名ばかりのフォース助監督という駆け出しの2人なのですが、やる気十分、これからの映画界を背負って立つというくらいの気構えを持っています。キレイなセットの中、美麗な立ち回りでファンを夢中にさせる大スターを中心に映画が作られている状況にこの2人は挑むのです。それは、現実と見紛うばかりのセットの中で、誰も見たことのないリアルな大立ち回りをフィルムに収めるという願望です。この漫画を読んでいて面白いのは、壁にぶつかっても決して諦めない、映画にかける熱い情熱と志を持った若者の眩しい姿がそこにあることです。いやあ、映画って本当にいいもんですね!?(2013/2/15)
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    投稿日:2013年02月15日
  • 大人の階段を登っていた途中に、すかしてマンガなんて…えいっ!と捨ててしまった作品で、後から、ああっ!もう一回読みたい!惜しいことをした!と思っていた作品です。「バレエ」という私は全く触れてこなかった、「知らない世界に引き込んでくれたシリーズ」の一つです。ああ!なつかしすぎる。主人公の真澄(ますみ)はプリマを目指すあつーい女の子。はっきりいってこの漫画はスポコンです!「巨人の星」女の子verです。次々と『試練』がやってくるわけです。超辛いです。しかしながら、ひたむきに一つのことに夢中になり高みを目指すということはどんなテーマであろうと、何を人生で選ぼうと輝いているなぁと思ったのであります。
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    投稿日:2013年02月15日
  • 〈明け方になって急に家の裏口から夏芙蓉の甘いにおいが入り込んで来たので息苦しく、まるで花のにおいに息をとめられるように思ってオリュウノオバは目をさまし、仏壇の横にしつらえた台に乗せた夫の礼如さんの額に入った写真が微かに白く闇の中に浮きあがっているのをみて、尊い仏様のような人だった礼如さんと夫婦だった事が有り得ない幻だったような気がした。
     体をよこたえたままその礼如さんの写真を見て手を組んでオリュウノオバは「おおきに、有難うございます」と声にならない声でつぶやき、あらためて家に入ってくる夏芙蓉のにおいをかぎ、自分にも夏芙蓉のような白粉のにおいを立てていた若い時分があったのだと一人微笑んだ〉

     中上健次の最高傑作の一つに数えられる短篇連作『千年の愉楽』――巻頭作「半蔵の鳥」の書き出しです。
     オリュウノオバは、中上健次が描く物語世界の舞台「路地」――被差別部落を表象しています――に住みつづける、路地のただ一人の産婆。路地の親たちのあらかたはオリュウノオバがとりあげてきた。
     この路地、いわゆる被差別部落に生まれた男たちの生き様、死に様をオリュウノオバの「記憶」をたどる形で組み上げられた6篇の長大な物語で、1992年、肝臓癌のため46歳の若さで死去した中上健次がそのちょうど10年前に出版した連作集です。
     この『千年の愉楽』が没後20年を過ぎた今、中上ファンのみならず、出版界、読書人の間でホットな話題となっています。突然の交通事故で昨年急死した若松孝二監督が中上文学に挑んだ遺作『千年の愉楽』が近くロードショウ公開されるとあって、書店には映画のスチール写真によって構成されたカバーをかけられた文庫本が並べられ、ときならぬ中上ブームの予感が漂い始めています。
     映画でオリュウノオバを演じるのは、寺島しのぶ。同じ若松映画『キャタピラー』でベルリン国際映画祭銀熊賞(女優賞)を受賞した寺島しのぶが「オリュウノオバ」をどう演じるのか、「路地」に生まれた男たちを、高良健吾、高岡蒼佑らがどう演じるのか、中上文学は若松孝二の最後の映画でどう映像化されているのか。
    「半蔵の鳥」の半蔵、「六道の辻」の三好、「天狗の松」の文彦、「天人五衰」のオリエントの康、「ラブラタの綺譚」の新一郎、「カンナカムイの翼」の達男。いずれの男たちも思うがままに行動し、奔放な性を生きたあげくのはてに若死にしていきます。
     たとえば、「半蔵の鳥」にこんなくだりがあります。

    〈(半蔵は)女の帯をほどいて着物をむき、裸にした。女は情の強い質で紐で縛っても縄で縛っても半蔵が口に含ませた物を神経を逆なでするような音を立てみだらな姿で舐め、いつぞや仏壇からみつけた半蔵のものより太いろうそくを与えて自分で慰めさせても羞かしがる事もせず一心不乱に行い、一たび手足の束縛を解くと声を上げんばかりの勢いで半蔵に取りすがって、半蔵の体に馬乗りになってよがり声を出す。今度は上になってくれと言い、女の体の中心がめくれ上がり半蔵を体ごと呑み込んでしまうというように尻をつかみ、そのうち、半蔵から逃げようとする。時どき半蔵は女の騒ぎように鼻白み、他のおんなのほとんどがそうなように半蔵が腰を強くうちつけるなら遠く逃げ、逃げつづけているうちにもうそこから先が袋小路で行きどまりだというところに迷い込み、半蔵がふと浅く引くなら所在なくじりじりとこがれ、そうやっているうちに遊びに耐えきれず首にしがみつき、唇を胸に押しつけ身を固くし次々襲ってくる身震いのうちに半蔵が気を放つのを待つ方がよいと思う事があった〉

     半蔵は25歳であっけなく直情怪行な人生の幕を閉じます。
    〈二十五のその歳でいきなり絶頂で幕が引かれるように、女に手を出してそれを怨んだ男に背後から刺され、炎のように血を吹き出しながら走って路地のとば口まで来て、血のほとんど出てしまったために体が半分ほど縮み、これが輝くほどの男振りの半蔵かと疑われるほど醜く見える姿でまだ小さい子を二人残してこと切れた。九かさなりの九月九日。流れ出てしまったのは中本の血だった〉

    「路地」に生きる人々の「血」へのこだわり。生まれ育った紀州熊野の風土のなかではぐくまれた中上文学――文芸評論家の江藤淳は巻末の解説で「路地でのフィクションはフィクションではなく、人々の“生きた記憶”なのだ」と指摘していますが、まさに人々の“生きた記憶”が何であったかを問いつづけた中上健次が紡ぎ出した長大な物語に圧倒される思いです。
     最後に、電子書籍化の際に省かれる事の多い解説――吉本隆明、江藤淳による中上論が巻末にちゃんと収録されていることは、読者にとってはなによりうれしい、ということを記しておきます。(2013/2/15)
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    投稿日:2013年02月15日
  • 社会人になり、まとまったお金がもらえるようになってからの大きな買物のひとつにデジタル一眼レフカメラがあります。中級機の標準ズームのレンズキットでした。購入してからというもの出かける際には必ず持ち歩くようになりました。もちろん携帯性を考えればコンデジの方がよいのですが、やはりファインダーで見たままの風景を切り取ることができる一眼レフカメラの方が「写真を撮っている」ということをより深く実感できるような気がします。レンズが交換できるのも魅力ですね。もちろんレンズの購入にあたっては財布と相談しなければならないのですが。報道カメラマンの父を持つ少年が、父の弟子である義理の兄に教えを乞いながら、一人の人間として成長していく本作「ズーム・アップ」。1970年代後半から80年代にかけて連載された作品ですが、作中で紹介されている撮影技術等はカメラがデジタル化した現在でも非常に参考になります。むしろフィルムカメラが欲しくなるくらいです。それはそうと、2012年にコダックが破産法を申請したというニュースには衝撃を受けました。時代の流れを直視した感覚でした。
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    投稿日:2013年02月12日
  • 手塚治虫がトラウマです。まだ汚れも知らぬ小学生のころ、なにげに読んだ手塚治虫作品からたくさんのトラウマと言う名の衝撃を受けました。特に『火の鳥』は「復活編」「宇宙編」はじめ、心をえぐるような話が多く、いまだに「面白い」と思うより先に「恐怖」が思い出されます。そんな手塚治虫作品の中でも特に印象に残っているのが「ドオベルマン」という短編。 父が買ってきた手塚治虫の追悼記念号「朝日ジャーナル 手塚治虫の世界」というムックに再録されたこの「ドオベルマン」によって、小学生の僕は長年にわたって独りでトイレにいけなくなってしまったのです。ある夜、手塚治虫が外国人の絵描き・ドオベルマンと出会うところから物語がはじまります。ただのフーテンと思い、適当にあしらおうと思った手塚でしたが、人の心が読めるという彼のもつ不思議な力に興味を持ちます。ドオベルマンのアトリエにいった手塚は、そこで彼の作品を見ます。ある日突然、何者かの「描け」という啓示を受け、ガムシャラに書き始めたというドオベルマンの作品は子供の落書きのようなものばかり。動物とも鉱物ともいえない何かの絵がアトリエに何百枚とある。気になって何回も訪れていた手塚は、その絵がある一定の配列があることに気づきます。止まることのないドオベルマンの筆は一体何を描ききるのでしょうか…?というお話。ラスト、遠くの出来事がぐっと身近に引き寄せらたとき、ゾワゾワっとした恐怖を感じます。これがたったの32ページにまとめられているというのが、本当に驚嘆です。
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    投稿日:2013年02月08日
  • 大和和紀先生の「あさきゆめみし」で平安時代を勉強?したといっても過言ではないと思います!この物語は「源氏物語」を漫画化したもので、光源氏の生涯を描いた作品です。原作(古典/むずかしい)に、おもいっきり少女マンガ&恋愛要素を注ぎ込み、読みやすくかつ感情移入できるように作られた、とても素敵な物語になっています。主人公:光源氏のキャラクターもプレイボーイというよりは、「うーん…これだけ女がいてもしょうがないな」と思わせるキャラクターの作り方はさすが大和和紀!先生!まあとにかく切ない男と女の物語です。人間らしいです。しかし昔の人は恋をするのも本当に大変だったんだなぁ。何よりこの作品で多くの人に古典に興味を持たせることができたのは事実であり、作家の人物解釈のすばらしさが、これだけの長い間愛される作品になったのだと思います。是非!
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    投稿日:2013年02月08日
  • 著者は、ボストンの経営学修士のコースで学んだ友人の経験として、非常に興味深い話を紹介しています。友人がいつも出席していた「経営学」の講義。いつも決まって日本と日本企業を手厳しく批判する一人の「優秀な」白人学生がいたそうです。「日本人は猿真似ばかりする。自分でオリジナリティのあるものを生んだことがない」「日本企業は発明・発見に努力するのではなく、米国や欧州の企業が苦労して考案したアイデアなどをすぐに真似して似たような製品を安く作ることで利益をあげている」などなど一方的な言いがかりに近い文言ですが、これがアメリカ人にはうける。いくら無知から来るものとはいえ、繰り返し繰り返し言われると、日本人としてはめげてきます。そんな半年が過ぎたころのこと――友人が快哉を叫ぶ事件が起きました。少し長くなりますが、引用します。〈白人学生のいつもの日本と日本企業批判が始まった。しかしその日は、批判だけでなく「どんな企業が理想かといえば」と言って、彼が理想とする企業の名前を具体的に挙げたのである。「米国のメーカーのソニーを見ろ。つねに独創的な製品を市場に送り出しているし、アイデアも独自のもので、他社の真似などしない。こういう企業こそ、日本企業は見習い理想とすべきだ」その瞬間、友人はここぞとばかりに発言した。「ソニーは、日本の企業です。アメリカの企業ではありません」すると白人学生は、「日本人はウソまでつくのか」と声を荒げると、「なんてバカなことを言い出すのだ」と蔑(さげす)みに近い視線を投げつけてきたという。教室内に張り詰めた気分が流れ、沈黙が支配した。友人は、孤立した。その白人学生だけでなく、他の同級生たちも冷たい視線を友人に注いだからだ。誰もがソニーをアメリカの企業と信じているようであった。まもなく、担当教授が、口を開いた。「残念ですが、彼(友人)の言っていることは正しい。ソニーは、日本の企業です」〉海外に出て、まさかソニーに助けられることになるとは、海外ではソニーは特別な存在なのだ、おそらく自分と同じような経験、ソニーに救われた日本人は他にもたくさんいるんじゃないか――じつはソニーとはライバル関係にある家電メーカーに勤める友人はしみじみと語っていたそうです。「日本のソニー」、「日本国民のためのソニー」、つまり「僕らのソニー」。ここに他の日本企業とソニーの最大の違いがあるというわけです。そのソニー――「僕らのソニー」でいったい何がおきているのか、を明らかにしようというのが、本書執筆の目的だと筆者は明言しています。ソニー取材歴17年の筆者は、特別な存在だったソニーがフツウの会社へと落ちてゆく過程を冷静な目で検証していきます。第4代社長の岩間和夫急死後、二人の創業者、井深大、盛田昭夫から後を託された第5代社長・大賀典雄。社長の座を後進に譲って相談役に退いていた大賀が「ハワード(会長兼CEO)と中鉢(社長兼エレクトロニクスCEO)がここまでやるとは思わなかった」と怒りを露わにしたという秘話を発掘しています。〈ソニーは、二〇〇七年二月、本社を品川から港区港南の二十階建ての高層ビルに移す。しかし大賀氏には、新本社にソニー相談役としての部屋は与えられなかった。前本社の大賀氏の部屋の窓からは、ソニー創業の地「御殿山」の旧本社の建物が見える。その旧本社跡地を、ソニーは売却した。大賀氏の部屋の窓からは、旧本社の建物が壊されていく様子が一望できた。時折、大賀氏を前本社の相談役室に訪ねてくるOBや親しい人たちに対し、窓を開けて崩れゆく旧本社の建物を指さして「ハワードと中鉢が、ここまでやるとは思わなかった」と怒りを露わにしたという。御殿山の旧本社は大賀氏にとって、偉大な二人の創業者、井深大氏と盛田昭夫氏とともに苦労を分かち合って、町工場に毛が生えた程度に過ぎなかったソニーを世界企業に育て上げた忘れられない場所である。ソニーが抱える諸般の事情から売却しなければならなかったにせよ、日々取り壊され姿を変えていく「創業の地」を見せつけられる大賀氏の心中を察するにあまりあるものがある〉単なる感傷ではありません。日本を代表する企業になるという気概をもってニューヨーク五番街に日章旗を掲げて世界進出を果たした創業者たちの精神、スピリットの喪失の象徴とも捉えることができるのではないか。筆者は、いつからソニーは、これほどまでに功労者やOBをリスペクトする気持を失ってしまったのかと暗澹たる気持になったものだと記しています。「僕らのソニー」への挽歌というべき一冊です。(2013/2/8)
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    投稿日:2013年02月08日