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6576~6600件/11505件 を表示

  • 匿名希望
    ネタバレあり
    まだ続きます。
    2巻待ってました!これまでに1巻を何度読み返したことか。
    おかげで、バンドメンバー皆の血液型がバラバラだったり、名前が春夏秋冬になっているのに春樹だけ春生まれじゃないことに気付いたり、
    ストーリーとは別のところでも楽しんでました♪
    血液型に関しては自分の思い描くそれぞれの性格に添っていて素晴らしいです。
    特に秋彦のA型っぽくないけど実はいちばんまわりを見ている。そんな感じがきちんと見て取れます。

    バンドと真冬の過去・友情・恋が描かれています。
    真冬が過去をどう乗り越えて行くのか見届けたい。
    夏×冬の恋を全力で応援したくなります。

    一方、春×秋も気になる。
    秋彦がプレイボーイすぎてヤバい!
    筋肉質で男らしい骨格もたまりません。一番気になる人物です。
    1巻の家族構成にチラッと書かれていたけど、同居人のインパクトありすぎでしょ~。
    春樹の片想いが報われますように。

    ライブシーンは鳥肌モノ!
    真冬の歌い出し~過去の回想シーン~演奏終わりのキス
    この流れ、最高でした!
    ぶっきらぼうだけどやるときはやる男らしい攻が好きなので、
    あのちょっと乱暴な感じのキスはヤバかった!

    3巻も楽しみにしてます。
    続きが気になってしまう方は完結してからの購入をおすすめします☆
    • 参考になった 10
    投稿日:2016年02月26日
  • 匿名希望
    面白そう
    好きな作家さんなので購入しました。
    絵もきれいで色っぽく、キャラもいいので続きが楽しみです。
    • 参考になった 1
    投稿日:2016年02月26日
  • 匿名希望
    ネタバレあり
    こじらせてます。8年間も。
    「誤算のハート」に登場する烏童の兄、隆之の話。
    そちらにはほとんど烏童兄の出番はないので読まなくてもギリギリ支障はないですが、
    烏童と三城のその後の話がコンテンツに含まれている為、
    できれば順番通り「誤算のハート」を読んでからのほうが良いかと思われます。


    烏童兄の性格を自分なりにまとめると、
    今までに多くの人を振り回し、自分が世界で一番不幸だと思っていて、幸せな人に八つ当たり=最低な男。

    「誤算のハート」であんな行動をとったのは、この性格に起因するものだったのか。納得。
    8年間こじらせている恋、確かにつらいだろうけどけど世界で一番不幸ではないでしょうに。
    しかも思考回路がなかなかの乙女でめんどくさい。
    バスケのゴールを狙うシーンなんてまさに。
    これ入ったらどうとかって男子も普通に考えるものなのかな。
    ただあのシーンは後で清竹がしっかりゴールを決めるところがサラっと描かれていることに作者様のセンスを感じた。
    間接的に兄の8年間分の想いを清竹が受け取ったようなそんなニュアンスを勝手に感じてしまった。
    とにかく烏童兄の性格が個人的に苦手なんだけど、ほんとに苦手なのに・・・


    この話が好きなんです。


    苦手だったのに愛しい。
    自分から終わらせられないからと泣いたり、いざ終わりそうになると体育座りで「いやです」って・・・
    最高に萌えた!最低な性格を大幅に上回る萌えが彼にはあった!

    そんなギャップにやられたのは伝わってくるけど、
    清竹が烏童兄を想う気持ちをもっと見たかった。
    清竹視点で過去のエピソードとかあったら急接近したのも納得できたかも。
    庇護欲が強いのか烏童兄がそうさせているのか、今後の二人がまだまだ気になる感じのハッピーエンド。
    ハッピーエンドではあるけど最後にタイトルが意味を持ってほろ苦い余韻が残る。
    綺麗な言葉で締めたいのに、させてくれない。
    両想いになっても相変わらずウジウジとネガティブですか!(笑)
    人を好きになると臆病になるので気持ちはわかるけど。
    そんな烏童兄の最終ジャッジは、めんどくさいけどものすごく可愛い人。かな♪


    「誤算のハート」の二人

    三城の黒髪・眼鏡姿が!
    そして今回も烏童兄、弟に殴られる(笑)当然だ!
    烏童弟の男前っぷりは健在!


    評価はなんだかんだ「誤算のハート」含む★5で!
    • 参考になった 7
    投稿日:2016年02月26日
  • ネタバレあり
    誤算のハートの烏堂兄のお話です
    あ〜烏堂兄、ズルイですね〜
    誤算のハートではいじわるでひねくれキャラがこんな訳ありだったとは。一途でひたむきでとても可愛いんです。高校の時からの片思いの相手、清竹とのお話です。清武くん烏堂兄より大きくなってくれてありがとうって感じです。
    ただもう少し清武の心の動きが表現されてても良いかな?
    そうでなくてもとても良かったです
    • 参考になった 0
    投稿日:2016年02月26日
  • ネタバレあり
    煮え切らないなぁ~
    これが須貝さんのオリジナルだったら、
    「えーっ! どうしちゃったのーっ!?」
    と驚きの作品でしたが、
    「オリジナルじゃないなら、まぁ、仕方ないか」
    という、感想です。

    どうせ三人でするなら、もっと激しい方がいいのでは?
    と思うくらい中途半端な感じですw

    それが無理なら、クラウド様も含めて
    いっそのこと4人で、とか。それは行きすぎかw

    とにかく、三人で仲良くな展開と結末なのですが、
    なんちゅうか、煮え切らないのです。
    • 参考になった 2
    投稿日:2016年02月26日
  • 匿名希望
    ネタバレあり
    男前
    性格が男前な受と、金持ちニートなちゃらんぽらん兄弟が攻。
    結構女装描写があるので苦手な方はいるかも知れません。
    しかし基本的にアップテンポなラブコメなので、わたしはクスッと笑いながら読めました。
    絵も可愛い系で読みやすい。

    主人公が金持ちニート兄弟を更生させることができるのか、今後がとても気になります!
    男前受が翻弄されつつ男前を発揮するのが好きな方にオススメです。
    • 参考になった 3
    投稿日:2016年02月26日
  • 匿名希望
    ネタバレあり
    序盤だけど
    まだまだ序盤だけど、出てくるキャラみんな魅力的です!
    攻も硬派に見せかけて受へのやましい気持ちを爆発させるとこなんかは、とても萌えました!
    後半でまさかの展開でしたが、似ている彼も性格がだいぶ違えどやはりイイ男。

    次の配信が楽しみです!

    しかし表紙のアップの彼は誰なのかしら・・・?ドキドキ
    (わたしが鈍いだけだったらすみません;;;)
    • 参考になった 4
    投稿日:2016年02月26日
  • 匿名希望
    ネタバレあり
    可愛い
    主人公も受の子も可愛いです!!
    絵からして可愛く、とても読みやすい。
    1話のみの印象ですとヘタレ×純朴なのかな?

    三角関係に発展しそうな、とても気になるところで終わっているので続きが待ち遠しいです!
    • 参考になった 2
    投稿日:2016年02月26日
  •  2016年(平成28年)冬。覚せい剤所持の容疑で逮捕されて以降、新聞や雑誌に氾濫した元プロ野球選手・清原和博の写真は、年月の経過が人をこうも変えてしまうこともあるという人生の残酷さを示して余りあるものでした。
    「40歳を過ぎた人間は自分の顔に責任を持たなければならない」――第16代アメリカ大統領リンカーンが遺した名言です。考え方、意識の在りようなど人の内面はその表情や顔つき、目つきに顕れるというわけです。清原和博の「顔」は、その荒んだ内面をそのままうつしているように見えました。

     1986年(昭和61年)春。PL学園を卒業、西武ライオンズに入団した清原和博のルーキーイヤー。スポーツ・ノンフィクションの名手・山際淳司は、けた外れの新人とマウンドで対峙した甲子園出場校やライバル球団の投手たちなど清原和博と交錯した選手たちへの取材を積み重ねて、一冊の作品を世に送り出しました。『ルーキー』(角川文庫、2016年2月19日配信)。
     山際淳司は、ルーキーイヤーを新人王で飾った清原和博の物語を、その頃パリーグを代表する投手だった山田久志(阪急)の決め球「シンカー」をめぐって起きた、とっておきのエピソードから始めます。

    〈ホームランは、バックスクリーンの右に突きささった。
     センターを守っていた阪急ブレーブスの熊野輝光は、その打球を追ってフェンスぎわまで走り、そして見送った。ふり向くと、背番号〈3〉をつけた男が跳びはねるようにダイヤモンドをまわっていた。セカンドベースを蹴り、三塁へ。そこでコーチに背を叩かれホームベースへ。レオのマークのマスコット人形を受けとり、それを左腕にかかえると軽快な足どりで一塁側ダグアウト前へ走った。そこにナインが待ち受けている。
     ダグアウトのベンチにどっかと腰をおろすと、ナインが声をかけてくる。よう飛んだな。一直線にバックスクリーンだ。打ったのは何だ?
     真っすぐか?
     ちょっと変化したようにも見えたけどな。
    「シンカーじゃないですか」
     かれは答えた。
    「外角寄りの、シンカーだと思います」
     シンカーか、そうかシンカーを打ったのか──。そう聞くと、周囲は深くうなずかざるをえない。
     マウンドにいるのは山田久志である。(後略)〉

     清原と山田が初めて対戦したのは、開幕間もない4月12日、満員の西宮球場。9回表、清原はピンチヒッターで打席に立った。1死、ランナー1塁、3塁。2-2から2球ファウルで粘った清原に対し、山田が投じた7球目はシンカーだった。清原のバットはボールの上っ面を叩き、内野ゴロ、併殺。
     5月に入ってスターティングメンバーに常時、顔を連ねるようになった清原和博と山田久志の二度目の対戦――5月22日、西武球場。1打席目、初対戦と同じく併殺打に打ち取られていた清原は、第2打席、カウント2-1からの4球目をバックスクリーンの右に突き刺し、打ったのは「シンカー」と語ります。
     新人の発言を伝え聞いた百戦錬磨のベテラン投手はどう出るか? このあたりの駆け引きを超えた選手同士の機微が面白い。山際淳司はこう描きます。

    〈それはシーズン五本目のホームランであり、清原にとってはこれから何百本と打っていくであろうホームランのなかの、ワン・オブ・ゼムでしかない。
     打たれた山田も、被本塁打はすでに四〇〇本を超えている。その一本一本にこだわってはいられない。
     しかし、そのホームランがお互いに、記憶に残るホームランであることは間違いない。
    「シンカーを打ったといっているのか?」
     山田が聞きかえした。
     ゲームが終わると山田はダグアウト裏にひきあげてきた。敗戦投手だった。九回を投げきったものの、4失点。ライオンズは先発の渡辺久信から郭泰源へと継ぎ、4─2のスコアで逃げきった。山田は清原に対して、ホームランを打たれたあとピッチャーゴロ、センターフライに打ち取り、打ちこまれることはなかった。が、四回に清原の打ったホームランが勝利打点になった。清原にしてみればプロ入り後、初の勝利打点である。
     山田は清原への一投に関して質問を浴びせかけられることになった。
    「あれは真っすぐや」
     と、山田はいった。
     間を置いて、こうもいった。「あれがシンカーに見えるようじゃまだ本物とはいえないな。ちゃんと球が見えていないんだよ」
     投げたほうは速球だといい、打ったほうはシンカーだといっている。〉

     こういう喰いちがいは、よくあることだ。ベテランバッターは、わざと打った球種を間違えていうことがある。フォークボールを打ったのにあれはカーブだったといってみたり、シュートを打ったのにあれは真っすぐの球だったといってみたりする。それを翌日のスポーツ紙で見た相手バッテリーが、あいつは球がよく見えていないなと思ってくれればいいのだ。狙って打ったホームランではなく、偶然、当たったホームランだと思ってくれれば、次のゲームでの攻めも甘くなる。逆に、ピッチャーがちがったことをいうこともある。球種を正直に話さなければいけないというものでもない……山際淳司はこう続けた上で、山田久志の〝ホンネ〟をこう明かしています。

    〈「あの場面でいうと、こっちがちょっといい格好しようとした。それが裏目に出たね」
     いい格好をしようとした?
    「全部、真っすぐで勝負しようと思った。変化球なんか使わずにね、全部、ストレート。だからあの、四球目もストレートですよ」
     たとえていえば、こういうことだ。一方が素手で構えている。他方が手に武器を持っているとする。それを持ちつづけたほうが有利ではあるのだが、あえてそれを捨ててみたくなる。山田が、「いい格好をしたくなった」というのは、そういうことだ。
     それまでに二度、清原を内野ゴロ併殺に打ちとっている。ランナーがいたせいでもある。
     ところがホームランを打たれたときは一死で、無走者。小細工、かけひきなしの勝負ができる。
     そこでこの、超一流投手は「いい格好」をしたくなってしまったのだ。〉

     山田久志がどれほど清原をいいバッターだと思っていたかがわかります。ついこの間まで高校野球をやっていたのに、いきなりプロ野球の公式戦に出てきた。それにしてはバッターボックスで落ち着いている。他の選手とは一味も二味もちがう。そういうルーキーだからこそ、同じ土俵に立って投げてみたくなった、正面から直球勝負したくなったというわけです。
     球界を代表する一流投手にそこまでの思いを抱かせたルーキー。そして、その渾身の力を込めた〝直球〟をバックスクリーン右側に打ち返したルーキー。
     大投手が「いい格好をしたくなった」ルーキーがその年残した記録は、126試合に出場。打数404。安打123。ホームラン31本。塁打236。打点78。盗塁6。四死球60。三振109。打率3割4厘4毛。打率はベストテンの8位にランクされるものでした。そして、ほぼ満票で、パリーグの新人王に選ばれました。

     清原和博がつけた背番号は〈3〉。背番号3といえば、長嶋茂雄ですが、長嶋が清原のことを語るときに必ず、話のマクラにつけるエピソードがあると、山際淳司はこう綴っています。

    〈それは、初めてあの長島が、あの清原に会ったときのことだ。
    「あの清原クンがぼくにいうわけですよ。背番号3というと、これまで長島さんのことだったんですが、これからはぼくが背番号3と呼ばれることになります。よろしく。清原クンが会うなりそういうんですよ。これはもうたいへんな自信ですよ」
     それくらいの自信をもってプロ球界に入ってくる選手がいることはたのもしいことだと、長島さんはつづけるのだが、内心、びくっとしたことだろうと思う。まして、他球団で背番号3をつけている選手はなおさらのことである。〉

     背番号〈3〉の選手として長嶋茂雄は歴代74番目あたり、清原は126人目だそうです。
    「あの」という連体詞を使って説明できる人物は多くはありません。そのなかの一人、長嶋茂雄は病に倒れた後、ますます「いい顔」になってきたように思います。ルーキーの頃、清原和博も「いい顔」をしていました。ルーキーが放つ輝きは、その時代をともに戦った多くの選手たちの記憶に刻み込まれていきました。一級のノンフィクションライターが、一人のルーキーと、野球というゲームを通じてすれちがった人々の側から「ルーキー」を描いてみようという意欲的な試み。ルーキー清原和博とは何だったのかを描いた作品は、そのまま20世紀後半の野球を語る傑作として今も色褪せることなく読み継がれています。
     本書あとがきに、「野球は夏のスポーツだ」という印象的な一行があります。
     私たちは今、強い日差しの照りつけるグランドに育まれた「ルーキー」を待ち焦がれています。(2016/2/26)
    • 参考になった 3
    投稿日:2016年02月26日
  • 匿名希望
    ネタバレあり
    買ってよかった
    他の方も書いていらっしゃる通り、お祖父さんたちの話が切なくて泣けました。過激な描写がひとつもないのもよかったです。
    • 参考になった 3
    投稿日:2016年02月25日
  • 匿名希望
    ネタバレあり
    いろんな愛にあふれた作品
    ピアノ(音楽)への愛、友愛、親子愛、師弟愛にあふれていて心が温かくなります。
    人はひとりで生きているわけではない。誰かを想う気持ちが人を優しくし、強くもする。
    文字にしてしまうと当たり前のような気がしますが、そんなことを改めて気付かさせてくれます。

    この物語は、一ノ瀬海の話であると同時に、阿字野壮介の話であり、雨宮修平の話でもあると思います。
    海の魅力は読み進めて行くだけで十二分に伝わると思いますので割愛します。
    是非後者二人にも注目して読んでいただきたいです。

    阿字野の不幸な事故。
    出来ていたことが出来なくなることの辛さは才能があっただけに、はかり知れないものがあります。
    海にとって阿字野はかけがえのない存在となりますが、海に出逢ってからの阿字野の軌跡を辿ると、阿字野にとっての海はそれ以上の存在となっていたように思えます。

    海と出逢ってしまったことで苦悩や葛藤が絶えない雨宮。そのせいか、ついつい感情移入してしまいます。
    決して才能がないわけではなく彼もまた素晴らしいピアニストなのに、周りが凄すぎるせいで身近に感じてしまうのかもしれません。
    ショパンコンクール中に覚醒したときは、海と同じくらい雨宮のことも大切に描かれていることが伝わって来て心が震えました。
    忘れてならないのはアダムスキの存在。雨宮の殻を破ってあげられたのは彼だからこそであって、
    海にはできない役割を果たしてくれたわけです。
    それにしても、あの状況で雨宮を想いやる会話ができるなんて、
    純粋に凄いと思うし、アダムスキの人としての大きさ、優しさで胸がいっぱいになってしまいました。
    良い人過ぎるよ・・・。

    さてさて、なんと言ってもこの作品は、絵で魅せてくれます!
    ショパンコンクールで海がピアノを弾くシーンは圧巻で、いつの間にか涙があふれていました。
    漫画を読み感動して泣いたのは本当に久しビリですよ。勘弁してください><
    25巻ラスト、最大の盛り上がりをみせてくれたので最終巻では余韻を楽しむ感じかなと思っていたら、
    良い意味で大きく裏切られ、素敵な素敵なサプライズが待っていました!
    (この展開は全く予想できなかったので私にとってはサプライズでした)
    これ以上の結末はないと思います!

    振り返ってみれば、1巻から最終巻までずーーっとおもしろかった!
    これから何度も何度も読み返す作品だと思います。
    感動と休載しつつも完結させてくださり、本当にありがとうございました!
    • 参考になった 0
    投稿日:2016年02月25日
  • 匿名希望
    人の死なないミステリです。
    文科省のヒラ職員、水鏡瑞希が今回は「世界的大発明」の不正の真相を暴く、シリーズ第2段。相手は昔の友達で、いまやリケジョの星。昔の出来事も関わってきて、なかなか真相が見えてきません。何回もくじけそうになるけど、頑張ってたどり着いた真相とは?前作を読んでなくても、独立した話なので、全然大丈夫です。他の作品とは、また違った魅力のあるヒロインの活躍を是非読んでみて下さい。
    • 参考になった 3
    投稿日:2016年02月24日
  • 匿名希望
    買う必要なかった
    せっかく面白いのに、最後が無理矢理終わらせた感じで、残念でした。
    絵も可愛いくて好きなのに、それだけに残念。
    え、結局なんだったのって感じ。
    • 参考になった 2
    投稿日:2016年02月24日
  • 三国志
     読書家ではない。沢山の本を読んだか、と言われるとあまり自信はなく、過去「読書が趣味です」と表明したこともない。そんな自分が「この1冊!」として書物を紹介するのはすごく恥ずかしいのだが、自分の生き方に影響を与えた本を敢えて1冊挙げるならば、間違いなく『吉川英治三国志』だろうと思う。そしてそれは間違いなく今の仕事に就く理由の一つになっている。
     この本は8巻あるのだが、なぜか通して8回読んだ記憶がある。好きな作家、好きな本は山ほどあるが、これだけ読んだ本というのはあまり記憶がない。先日実家でその本を探したのだが、本が背から壊れてしまっていたらしく、買いなおしたピカピカした装丁のものが並べられていた。当時のものは版画っぽい表紙イラストが付いていたもので(間違えていたらごめんなさい)3歳上の兄が読んだものをすぐに奪って食事の時も横に置いていた。
     最初に読んだのは確か中学2年生の時で、読書感想文を提出したら当時の担任の先生が、「五味くんはこういう本が好きなの?」と何度も聞かれたので覚えている。授業中も読んでいてよく注意された。
     世の中に自称他称問わず「三国志好き」「三国志オタク」はあふれていて、自分は別にそういう種類の人間ではなく、大人になってから逆に「へー、三国志って人気あるんだ?」と思ったくらいで、今となってはメインのキャラクターの名前、大まかなストーリーくらいしかすぐには思い出せないが、改めて振り返ってみると自分の生き方に一番影響を与えた本という確信がなぜかある。
     それは「信義」という言葉が今も自分の中でとても強い意味を持つ特別なものだから、なのかもしれないし、未だに「強くあること」「曲げないこと」というという言葉に惹かれ続ける理由となっているのかもしれないが、残念ながらもはや分からない。

     中学2年生の夏休みの最後の日、食べた夕食は思い出せない。

    (2015.04.01)
    投稿日:2016年02月24日
  • 狂骨の夢
     もう絶対絶対、私は榎木津さんと結婚するんだと思っていました。

     高校1年生の時でしょうか。よく本の貸し借りをする友人から「これ面白いよ!」と手渡されたのは、やけに分厚い1冊でした。タイトルは『姑獲鳥の夏』。恐ろしげな表紙と中身の想像できないタイトルにびくびくしつつ、ページを開くと、あとはもう一瞬です。な、な、なんて面白いものを貸してくれたの!!

     古書店店主で陰陽師(!)の「京極堂」こと中禅寺秋彦、その友人の小説家・関口巽と、かつてふたりの先輩だった「薔薇十字探偵社」の私立探偵・榎木津礼二郎……。きらきらしい魅力的な登場人物と、「憑物落し」で奇妙な事件を解決していくストーリーに夢中になりました。

    「この世には不思議なことなど何もないのだよ、関口君」

     とうとうと流れていく京極堂の語りに読み入り、関口君の優しさに感じ入って、美男! 富豪! な榎木津さんのハイなおしゃべりに、もう夢中。次は? 次の話は?? と、必死に読み進めたのを覚えています。映画も観たなぁ……、京極堂役の堤真一さん、かっこよかったなぁ……。

     衝撃的な出会いをした「百鬼夜行シリーズ」、その3作目が『狂骨の夢』です。関口君の友人・ひょうひょうとし過ぎて「瓢箪鯰」と呼ばれている伊佐間一成が、道に迷い、女に助けられるところから始まります。耳にまとわりつく潮騒、殺人を告白する妖しげな美女、生き返る死体……。段々と明らかになり繋がっていく事件のキーワードは「髑髏」。ウッ、怖い、ウッ、でも面白い、アァ、でも「怖い」……、と悶えながら読みました。

    『狂骨の夢』には、「邪法として貶められた」仏教の一流派が出てきます。それまであまり関心のなかった宗教というものが、ぐっと気になりだしたのはこの本を読んでから。人の心を動かす宗教とは、一生をかけて学ぶ教義とはいったいどんなものだろう、と興味が高まるにつれて、大学の学科も自然と決まっていきました。

     東洋の宗教について勉強した大学時代はとても楽しかったので、『狂骨の夢』には大感謝です。ただ、そんな学科に行っても、勉強をしても、京極堂や関口君、榎木津さんのような人には出会えませんでしたが……(おかしいなぁ)。

     シリーズを読んで、「不思議」と言ってしまう前に、物ごとの裏にある人の気持ちや事実はないか探してみよう、と思うことができました。そして自信あふれる男性への憧れもまた、手に入れてしまいました。大好きなのは榎木津さんですが、出てくる男性それぞれがとってもかっこいいのです。

    「あなたの人生を変えた本は?」ときかれたら、真っ先に挙げたい1冊です。

    (2014.07.15)
    投稿日:2016年02月24日
  • 古典落語
     子供の頃に愛読していたのは主に父の勤める某社の絵本たちでした。読んで大きくなりました。大きくなってからは、家の本棚に並ぶ雑多な本を漁って読んでいました。編集者という仕事は家に本を溜め込むもので、父の仕事のものか趣味のものかよくわからない本がごちゃごちゃと家のあちこちにあったのです。

     ところが、本があることが当たり前すぎて有り難みがなかったのか、乱読しては内容をすぐ忘れるという有り様。いまだにそんな調子なので、出版社に勤める人間としていかがなものか、と時々落ち込みます……。ともあれ、幸運にも、いまも多くの時間を当たり前のように本のそばで過ごしています。

     数年前、思いがけず学術文庫の編集部に異動になり、本の内容もろくに覚えられない私につとまるのかと日々不安な気持ちでいたときのこと。資料を探して会社の図書館をうろうろしていると、古い講談社文庫がならぶ棚にこの本を見つけました。実家の本棚にあった、なつかしい青緑の表紙。

     収録されているお目当ての作品を見つけると、ページは繰らずにまず記憶をたどりました。まだ言えるかな……と暗唱してみたのは登場人物の名前です。

     小学生か中学生のころ、どうしてかは思い出せませんが、「寿限無」のあの名前を覚えようと思い立ち、文庫本をにぎりしめ、やけに集中して暗記したのでした。改めて見てみると、名前にしては長いというだけで、さして長くもないし、なんの役にも立ちませんが、覚えたてのころは親に自慢げに聞かせていたような記憶があります(どうせなら「寿限無」をまるまる覚えたらよかったのに!)。

     この一篇をきっかけに、私は落語にはまり、落研に入り、寄席に通うように……は全くならなかったのですが、これが落語との出会いであったことは確かです。そして、懐かしい思い出にひたった数日後、この講談社文庫版の『古典落語』が、編み直されて学術文庫に収録されていることに気づきます。編集部の書棚を見てみたら、濃紺の背表紙の粋なデザインに着替えた『古典落語』が。見た目こそ違えど、慣れない土地で古い知り合いに出会ったような、ほっとした気持ちになりました。

     この本は、どこかでまた私の前にひょいと顔を出すかもしれません。そのときの自分はどこで何をしているのか、そのときの自分にとってどんな本になっているのか、何気ない一冊にもそういう楽しみがあるなと思います。

     ちなみに、名前以外はうろ覚えだったので読み返してみたところ、寿限無寿限無五劫のすりきれ海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝るところに住むところやぶらこうじのぶらこうじパイポパイポパイポのシューリンガンシューリンガンのグーリンダイグーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長助ちゃんは、名字が「杉田」だったという新たな発見がありました。名前すら、きちんと覚えていなかったとは……。

     ついでに見つけてしまった誤植の話もしたいところですが、「あんまり名前が長いから、原稿用紙が埋まっちゃった」。

    (2014.04.01)
    投稿日:2016年02月24日
  • 成功する男のファッションの秘訣60 9割の人が間違ったスーツを着ている
    入社して22年も経つといろんな人にお世話になる反面、一度も話すこともないままの方もいる。

    この本の担当編集で出版部長でもある彼女(すみません、先輩にむかって…)とは、編集者と営業という立場で、お互い3つの編集部、3つの営業部署に異動を繰り返しつつその度に、お仕事をさせていただく不思議な縁がある。その上、一時期は護国寺の駅のホームで2~3日に一度は偶然逢ったりするものだから、生まれ変わってどちらかが男性だったら結婚する約束なんかをしてみたりした。

    そしてその後、講談社が新刊全点電子化を目指し始めた2012年に、お料理、美容、ファッションなどの実用書を出版している彼女の出版部の電子書籍営業担当となった。

    電子書籍化の許諾を、著者お一人ずつにとっていただき配信点数は徐々に増やしている中、外資の大手電子書店が日本でオープンラッシュを迎え、同じ部署の仲間が担当する出版部からは、小説や新書などで電子のヒット作がいくつか出始めた。けれど、なかなか彼女の部署の作品が講談社電子書籍の売り上げ上位に入らない。黙々と許諾をとっていただいているにも関わらず…。

    ダイエット本やお料理本の特集を提案したり、なんだかんだやってはみるが芳しい結果が出ないまま1年が経ってしまった。

    そんな頃、とある電子書店さんが1冊しか紹介しないコーナーを作ったとプレゼンにいらした。これは!と彼女のところに飛んでいき、電子書籍で売れそうな作品選びを一緒にしていただいた。男性向けの作品で、電子で買いたい!という読者がいる作品。

    女性は電子書籍でティーンズラブやボーイズラブものや官能小説をよく買っているけれど、それに比べてお料理などの見目麗しい本は紙の方が圧倒的に売れる。女性は、“お店で買う、本棚におく、なんなら捨てるときにも、他人に見られるのが恥ずかしい”作品を電子で買っている。

    その点、男性は普通の小説やビジネス書など、書店にいく暇がなかったり、持ち歩くのに重かったりという理由で電子書籍を購入する傾向がある。でも、男性だって、恥ずかしいから電子で買うがあるに違いない!とこの作品を選んだ。

    紙でも重版がかかっている作品ではあるけれど、まだまだお洒落に興味があっても本を買うのは恥ずかしいなと、電子だったら買ってくれる読者がいるはずと。

    結果、デイリーではあるものの、その電子書店さんで扱っている約10万点の作品での総合ランキング2位を獲得。その月の講談社全電子書籍での売り上げでも2位を獲得することが出来、やっと、彼女といっしょに「すごいね!」と喜べた。

    それからまた時間はあっという間に経ち、そろそろ1年。次の企画を練らなければと焦る日々。

    (2014.08.15)
    投稿日:2016年02月24日
  • 凍りのくじら
    ♪~タラララララ タラララララ タラララララ タラララ

     幼いころの私は毎週金曜日午後7時に流れるこのメロディを心待ちにしていました。希望あふれる軽快なメロディとともに、目の前に大好きな「ドラえもん」が現れるのですから。

     ドラえもんは物心がついたころから現在にいたるまで、ずっと変わらずに大好きな存在です。丸みを帯びたフォルムに味わいのあるしゃがれた声(大山のぶ代さん世代です)、そして母親のような包容力に少年っぽいどじでおちゃめな面も持ち合わせていて……ドラえもんの魅力は挙げきれません。クリスマスが来るたび、サンタクロースに「ドラちゃんがほしい!」と頼む幼い私に、きっと両親は手を焼いていたと思います。でも実のところ、いい大人になった今でもサンタクロースに頼みたいくらいに切実な願いだったのですが。

     日常のあらゆる場面でこのひみつ道具があったらなぁと夢想してしまうのは、おそらくドラえもん好きのあるあるネタだと思います。遅刻しそうなときには「どこでもドア」がほしいなぁ、好きな人に告白するときには「ムードもりあげ楽団」でロマンチックなムードをつくってほしいなぁ、出版社に勤める今では「本の味の素」(これをふりかけた本は、どんなものでもおもしろくなってしまうのです)を世界中の本にふりかけたいなぁ……なんて、ついつい妄想してしまうものです。『凍りのくじら』の主人公理帆子ちゃんも、私と同じようにあれこれとひみつ道具を欲しがっていました。

     どうやらドラえもんを題材にした作品があるらしいという情報を耳にして、すぐに手に取ったのが辻村深月さんの『凍りのくじら』でした。藤子・F・不二雄先生を敬愛し、ドラえもんをこよなく愛する女子高生・理帆子ちゃんが主人公で、各章のタイトルにはひみつ道具の名前がつけられています。ドラえもんファンの辻村深月さんにしか書けない、愛を感じる作品です。そして不思議なことに、この作品を読んでいると「ドラえもんが生きている!」という感覚があるのです。辻村深月さんの愛のパワーなのでしょうか? 空想でしかないはずのひみつ道具も現実味を帯びてきて、テレビ画面で動いているドラえもんを見ているよりもよっぽど近くに感じるのです。

     以前、友人が「毎年読みたくなる一冊がある」と言って、とっておきの本を紹介してくれたとき、とてもうらやましくなった覚えがあります。当時の私は、すてきな本や感動する本を挙げることはできても、何度も読みたくなる本を見つけられないでいたからです。でも私にとって『凍りのくじら』との出会いは特別なものとなりました。ドラえもんに会いに、これからまた何度も何度もこの作品を読むことになると思います。

    (2014.06.15)
    投稿日:2016年02月24日
  • ルヴォワールシリーズ
     これは小説に限ったことではありませんが、シリーズものの魅力のひとつに、続刊をリアルタイムで追いかける楽しみというものがあります。

     本書『河原町ルヴォワール』は、作者の『丸太町ルヴォワール』『烏丸ルヴォワール』『今出川ルヴォワール』に続く「ルヴォワール」シリーズの第四作であり、シリーズ完結作でもあります。「丸太町」だとか「河原町」だとか、タイトルの前半部分は京都の通りの名称です(丸太町通、河原町通など)。

     シリーズの概要をざっと説明すると、現代の京都を舞台にした本格法廷ミステリ群像劇です(勝手にそう呼んでいます)。物語の中核にあるのは、平安時代より京都で連綿と続く「双龍会」という私設裁判制度。この地で起こった殺人の疑惑のある事件はこの「双龍会」にかけられ、そこで黄龍師(いわゆる検事役)と青龍師(いわゆる弁護士役)による推理合戦の供物となります。この「双龍会」の面白いところは、最終的に下される裁定が必ずしも真実である必要がないことです。虚構に虚構を上塗りし、その果てに聴衆をもっとも巧く騙せた者が裁判を制するという、コンゲーム的な側面も大きな魅力なのです。

     私がこのシリーズを初めて手に取ったのは高校三年生の時でした。ちょうど第一作『丸太町ルヴォワール』が発売された二〇〇九年のことです。模試を受けに京都を訪れた休日、京都タワーの三階の書店で手に取ったのが発端です。その夜、家に帰って、寝る前に軽く読書……とページをめくったのが最後、気づけば全てを読み終わっていて、東の空は橙色。寝ることも忘れて、ただただ無心にページをめくる幸福な時間でした。

     私は京都の大学に進みました。もちろん、「双龍会」は実在しませんでした。何故か、『丸太町ルヴォワール』のような美しい恋の物語も、自分の周辺には見当たりませんでした(本当に何故なのか)。

     大学二年の時、『烏丸ルヴォワール』が出ました。大人になりたい人たちが、大人になれない物語でした。だんだん大学の授業をサボるようになりました。夜を徹して遊ぶことが増えました。

     大学三年の時、『今出川ルヴォワール』が出ました。「双龍会」そっちのけで賭博バトルに興じる一級エンターテイメントでした。私は今まで遊んでばかりいて、考えないようにしていた単位の問題に直面して頭を抱えていました。

     そして、大学四年の時。

     気づけば私の大学生活も終わろうとしていました。来年度からは東京暮らしです。卒業式を間近に控えた大学四年の三月、『河原町ルヴォワール』が出ました。運命の分岐、人生の選択肢、未来の可能性、そういったテーマを宿した本格ミステリでした。そして、再びの恋の物語でもありました。卒業式の前日のこと、読み終わったのは朝でした。それは高校生の時と同じように、幸福な時間でした。

     私の大学生活は「ルヴォワール」シリーズとともにありました。その新刊を読める喜びや、その完結に立ち会えた感動が、記憶のなかに息づいています。大学生活の最後を分かち合った『河原町ルヴォワール』は、私にとってかけがえのない一冊です。

     もちろん、大学生活を共有していなくたって絶品の本シリーズ。「丸太町」から「河原町」にいたる四部作、ぜひぜひ、ご堪能ください。

    (2004.06.15)
    投稿日:2016年02月24日
  • わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か
     仕事上の悩みやトラブルがあると、ふつうは上司に相談するとか、意見を聞きに行きますよね。でも、気の弱い私の場合、「そんなことでいちいち来るな!」なんて追い返されたりすると、その後、なかなか相談に行けなくなってしまうたちなんです。
     とはいえ、自分だけではいよいよ解決できなくなり、なんとか覚悟を決めて再び上司のもとを訪ねると、「そんな大事なこと、なんでもっと早く相談に来なかったんだ!」ってこっぴどく叱られるという──こんな経験、ありませんか?
    「いちいち相談に来るな」と言っていたはずの上司が、「なんで相談に来なかったんだ」と怒り出す理不尽……。著者の平田オリザさんによりますと、こうした二つの矛盾したコマンドが強制されている状態を心理学用語で「ダブルバインド(二重拘束)」といい、そのような環境に長く置かれると、人は「操られ感」や「自分が自分でない感覚」を感じるようになるそうです。

     企業による新卒採用の現場も、完全に「ダブルバインド」の状態に陥っていると、平田さんは指摘しています。多くの日本企業は、就活生に対し、「異なる文化や価値観を持った人にもきちんと自分の主張を伝え、説得し、そして妥協点を見出せる」異文化理解能力を期待する一方、「上司の意図を察して機敏に行動する」「会議の空気を読んで反対意見は言わない」という同調圧力も、同時に要求しているからです。平田さんはいいます。
    「何より始末に悪いのは、ふたつのコミュニケーション能力を求めている企業側が、その矛盾に気がついていない点です」

     ダブルバインドは、何も企業内に限られた話ではありません。
     わが子に対して「身体だけ丈夫ならいい」と言っておきながら、差し出された通信簿を見て、つい「なんだ、この成績は!?」と怒ってしまったことはありませんか。妻から「夕飯、何がいい?」と聞かれ、「何でもいい」と答えておきながら、(帰宅後、お昼に外で食べたものと同じ料理が出てきて)つい不機嫌になってしまったこととか……。家庭内でもダブルバインドは十分起こりうるわけで、親と子どもだけでなく、夫と妻も、あるいは冒頭の理不尽エピソードでいえば上司も部下も、これからは「わかりあう」「話が通じる」ことに重点を置くのではなく、そもそも「わかりあえない」「話が通じない」ことを前提に、コミュニケーションについて考えるべきではないか。なによりも、こうした「ダブルバインド」の状況が社会全体を覆っているがために、いまの日本の内向きな雰囲気やイヤ~な閉塞感につながっているのではないか―。劇作家として、教育者として、平田さんがかねて抱いていた疑問をもとに、本書は書き進められています。

     そんな中、生来、口数が少なく、口べたなことをコンプレックスとして感じ続け、ざっくばらんな酒席以外の場では「コミュ障(コミュニケーション障害)」を自覚している私にとって、ずいぶんと気持ちが楽になった箇所が本書にはありましたので、以下、ご紹介いたします。

    〈日本では、コミュニケーション能力を先天的で決定的な個人の資質、あるいは本人の努力など、人格にかかわる深刻なものと捉える傾向があり、それが問題を無用に複雑化していると私は感じている。世間でコミュニケーション能力と呼ばれるものの大半は、スキルやマナーの問題と捉えて解決できる。だとすればそれは、教育可能な事柄となる。そう考えていけば、「理科の苦手な子」「音楽の苦手な子」と同じレベルで、「コミュニケーションの苦手な子」という捉え方もできるはずだ〉

     要するに、理科の授業が多少苦手だからといって、その子の人格に問題があるとは誰も思わないように、もしくは、音楽が多少苦手な子なら、きちんとした指導を受ければカスタネットをリズムよく叩け、縦笛もちゃんと吹けるようになるように、コミュニケーション教育もまた、同様だというのです。

    〈口べたな子どもが、人格に問題があるわけでもない。だから、そういう子どもは、あと少しだけ、はっきりとモノが言えるようにしてあげればいい。コミュニケーション教育に、過度な期待をしてはならない。その程度のものだ。その程度のものであることが重要だ〉

     いかがでしょう? 40歳前の私がいまさら教育を受け直すことはかないませんが、少なくとも、「難しいもの」「自分には無理」と捉えていたコミュニケーション能力に対する懼れが、うすまるのではないでしょうか。

     最後に、念のため申し添えますと、この『わかりあえないことから』を読んでも、ロジカル・シンキングやクリティカル・シンキングといったものは身につきませんし、グローバル・コミュニケーションスキルを磨くこともできません。

     しかし、従来のいわゆる自己啓発本とは異なる、コミュニケーションの本質を根本から問い直した本書は、「いま、本当に必要なこと」が知りえる必読の一冊です。

    (2015.03.01)
    投稿日:2016年02月24日
  • ザ・流行作家
     私には、一度も小説を書いたことがないのに、小説家志望と自称していた時期がありました。アイデアのメモは一生懸命に作るのに、いざメモが完成してしまうと、もうそれで満足してしまって、原稿用紙にもパソコンにも向かわずに、また次の小説のアイデアを練る。そんなことを繰り返していました。この次には、もっと何かすごいアイデアを思いついて、歴史に名を残すような作品が作れるのではないか。そうすれば、自分が生きた証のようなものを残せるかもしれない。そんな中学生のような自意識過剰にとりつかれていたのです。

     この本に登場する流行作家、川上宗薫と笹沢佐保は、驚異的なスピードと仕事量で、娯楽小説の全盛期を担った二人です。絶頂期は月産千枚。パソコンもワープロも無い時代に、手書きと口述筆記でこれだけの作品を生み出したということには、驚きを禁じえません。私は、二人の小説を好んで読んだ世代ではありません。名前を知っている程度だったので、この本を読んで初めて、二人がどのような作家だったか知ったのです。笹沢佐保など、あの「木枯し紋次郎」原作者だということすら知りませんでした。

     そして、私は何よりもそこにグッとくるのです。二人は、現在ではほとんど知る人ぞ知る作家になりつつあります。二人の主戦場は主に小説雑誌。つまり、二人が活躍していた当時を知らなければ、二人の名前も知る術も無いのです。山口瞳は「流行作家は書かなければいけない。書き続けなければいけない」と語りました。命尽きて、書き続けることもできなくなった二人は、過去の作家になってしまったのです。

     私はむしろ、その生きざまにダンディズムを感じます。生きている間は命を削って書きつづけ、亡くなった後は静かにその名は表舞台から去って行く。これこそが流行作家の格好良さでしょう。

     結局のところ、私は今、小説家になることはなく、出版社に入ることになりました。歴史に名を残すようなことはできないかもしれませんが、一つのことを死に物狂いでやれば、格好良く消え去ることはできるはず。そんなことを、この本に教えてもらったような気がしています。

    (2014.08.01)
    投稿日:2016年02月24日
  • 怪盗クイーンシリーズ
    「千裕」という名前の漢字は「有り余るほどの余裕を持つ」という意味だと思っています(実際に両親がそう思って付けたかは別ですが)。名前に恥じぬよう、常に余裕を持った人生を送りたいのですが、現実はそうとはいかないものです。ギリギリなんてかっこ悪い、と思ってはいるのですが、気が付くとギリギリ虫はいつも私の後ろに迫っています。自分自身がそんな調子なので、ゆとりがあって優雅に振る舞える人にとてもあこがれを持っています。

     私にとって、その「優雅な人」の代表が怪盗クイーンです。

     ぬけるように白い肌、灰色の瞳、銀色に近い白い髪、白い口紅で色を消した唇──中性的な出で立ちでギリシャ彫刻のような美貌を持つクイーンの職業は怪盗。ですが、クイーンが目指すのは、お宝目当ての盗みではなく、彼(彼女?)の美意識を満足させる獲物を華麗に頂戴することなのです。巨大飛行船でワインを飲みつつフランス語で会話をするクイーン。その生活は隅から隅まで「怪盗の美学」を満足させるものです。美意識の赴くままに悠々自適に、クイーンみたいに華麗に生きたい!来世生まれ変わるならクイーンのように、とりあえず現世では来世に向けてフランス語の勉強とワインの勉強でも……そんなことを日々考えて過ごしています。

     私のあこがれの先輩とも呼べる、素敵な怪盗に出会ったのは小学校の高学年のころ。「そろそろ子ども向けの本は卒業しなきゃなぁ。」と思っていた時期でした。しかし、「怪盗」という言葉にひかれて、ついこの本を手に取ったのでした。

     ページをめくるとはやみねかおる先生の「赤い夢」の世界が広がり、私はそのままそこの住人に。そして、「まだまだこんな面白い作品があるなら子どもの本も読み続けたい!」と考えを改めました。あまりに面白かったので父と母にも本を勧めると、二人とも夢中になって読んでくれました。児童書を楽しそうに読む大人を見ながら、本に年齢制限は存在しないことを実感しました。大人も子どもも、本の世界では関係ありません。

     久しぶりに読み返してみると、クイーンの仕事上のパートナーであるジョーカー君について「年齢は二十歳前後だろう」と書いてあることに気付きました。かっこいいお兄さんだと思っていたジョーカーが年下になってしまったなんて。時の流れを感じます。しかし、読み進めるとやはり、クイーンへのあこがれが再び心に湧きあがりました。まるで小学生の私に戻ったように。読めばいつでも童心に戻れる、私の原点ともいえる一冊です。

    (2014.06.01)
    投稿日:2016年02月24日
  • 新装版 海も暮れきる
     たぶん多くの人と同じで、国語の教科書でこの句に出会いました。 五七五でも五七五七七でもない一行の所感、もはや独り言にしか見えない、これはなんなのか。わからない。自由律俳句と説明されたところで、やっぱりわからない。
     なんなんだ、わからないなあ、という感慨が強烈で、以来その句と作者の名前は、記憶のすみに残っていたのでした。

     名家に生まれ一流大学を出て一流会社に入りと立身出世道まっしぐら。しかし酒で身を持ち崩し、すべてを投げ捨てる。仮住まいを繰り返し、瀬戸内海の小さな島に行き着くも持病の結核が悪化、八ヵ月のうちに一生を終える。
    大正時代の俳人・尾崎放哉。その最後の八ヵ月を書いたのが『海も暮れきる』です。

     心情や病状の変化を別にすれば、全編を通して放哉の行動に大きな変化はありません。金銭や食物を知人に無心する手紙を書き、節食に徹しようとしてはつい贅沢し、よくしてくれる人に心中で感謝し、酒を飲んで暴言を吐いては後悔する。望んで独居しているのにたまの友人の訪問は手土産含めて諸手を挙げて歓迎し、見るからに人恋しそうな句を詠む。

     島に来て日の浅いうち、生活の不安から泥酔したあと、夜の海辺で島の子らに出会うという場面があります。「どうせ生きていても仕方のない境遇で、酔いつぶれて海に身を沈めた」い、と彼らに駄賃をやり、小舟を出させる放哉。しかし、「海に身を投じようという気持が何度も湧いたが、濁った意識の中で子供たちを驚かせてはならぬと自らに言いきかせていた。これほど従順に従ってくれた子供たちに、刺戟をあたえるようなことはしたくなかった」と、自死をあきらめる。

     この場面に限らず、一貫して描かれる、決断を迫られた時に、利己的にも利他的にも、真っ当にも破滅にも踏み切れない性質。その人間らしさに、いっぺんにひかれてしまいました。

     もちろんこの本は、帯にもあるように、あくまでも小説です。しかし、読んでいるとついそれを忘れてしまうのは、やはり綿密な取材の成果なのでしょう。作者の吉村昭さんは実際に島に赴き、放哉と交流した同時代人たちの回想を基にこの本を書いています。挿話が、織りこまれる書簡や句の引用と矛盾せず遜色なく、放哉の人柄を伝えてきて、八ヵ月を追体験するような気持ちになるのはそのためなのでしょうか。

     尾崎放哉、という記憶にある名前と、故郷の島が舞台になっているという理由からこの1冊を手に取ったのは大学四年生の休暇中です。そんな軽い気持ちで手を出したのに、その夏はこの本と『尾崎放哉随筆集』ばかり読んだような。そして、終の棲家になった南郷庵を訪れるに至りました。訪問時には障子が閉め切られており、題に引かれた句のようには海は見えませんでしたが、蝉の声が物凄かった。「蝉の声が空間を密度濃く占めていて、庵が滝壺にでもあるようだった」というこの本の一文を思い返し、初秋にここを訪れたという吉村昭さんばかりか、尾崎放哉も同じ蝉の声を聴いたかもしれないと、楽しいモウソウにひたっておりました。

     ところで、先述の『尾崎放哉随筆集』は講談社文芸文庫から出ています。随筆集と銘打ちながら書簡や句も併録された盛り沢山な内容ですので、そちらもおすすめです。

    (2014.05.01)
    投稿日:2016年02月24日
  • 新装版 墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便
    大学3年の夏、帰省先の実家のリビング。夜7時に何気なくつけたテレビの向こうにその一報を読み上げるアナウンサーがいた。「羽田発伊丹行のJAL123便が消息を絶った」と。その後、同機が群馬県の御巣鷹山の尾根に墜落していたことが判明、乗員乗客524名がほぼ絶望と報じられたが、翌朝からの捜索で航空機史上最多の520名の犠牲者を出しながらも奇跡的に生存者が4名も帰還したことでニュース性が高い事故だった。そして、それからの報道によって忘れえない事故と記憶することになった。

    当時のマスコミは、事故発生時から先を争って現場取材に赴き、その凄惨さを修正なしで晒し続けた。事故原因の追究、矛先が曲がった状態で追及される責任者探しなど、その当時の報道内容や取材方法については、商業主義最優先の報道の在り方も含めてメディアにとって、いろんな意味で教訓を残した“墜落”事故だった。

    本書は、この事故の身元確認の責任者であった群馬県の刑事官が、犠牲者520名の身元確認が終了するまでの127日間を綴ったノンフィクション作品です。私は文庫化された後、事故から20年近く経って邂逅した作品でした。

    事故発生から、修羅場の中で行われた身元確認作業、そして合同荼毘までを時系列に映像的な状況説明とともに情緒的にもならずに淡々と書き上げている。それは著者の職業的な経験から得た術なのかもしれないが、文章に無駄と遠回しな言い回しもないその表現が、結果としてリアリティを持つものだと感心した。これには、担当編集者の存在も大きく関与したことだろうと推測できる。

    「墜落遺体」。このタイトルにある航空機事故での遺体の損壊度は、想像する以上に悲惨である。そのほとんどは、挫滅、離断したもので、なかには墜落の衝撃で三つ目になった遺体もあったとある。それは何百Gの衝撃力で頭部の中に他人の頭部がめり込んだ結果だそうだ。また泥や油にまみれたもの、ジェット燃料の炎に晒され炭化したものも多かったとある。これらの記述については、本書で確認いただきたい。

    このような無慈悲なまでの遺体の惨状を記しながらも、遺体をその肉親、家族に“帰す”ために、心身ともに極限まで酷使しつつ、その一念で作業に従事した数多くの人たちを描きつくしている。最後まで職責をまっとうした著者をはじめとした関係者たちの姿が尊く、またその根底にある日本人の宗教観、仏教思想を改めて認識することになる。

    急峻で酸鼻極める墜落現場にとどまり続け、遺体回収に従事する自衛隊。原形をとどめない遺体を検屍のために清拭し、親族に引き渡す前に生前の面影を宿すことを願いつつ遺体の頬に自身のファンデーションを塗る日本赤十字社の看護婦(当時)、看護学生たち。検屍作業を昼夜問わず続ける警察官。身元確認作業を続ける医師、歯科医。そして加害者としての立場で遺族の世話係のために派遣されてきた日本航空の社員たち。著者が修羅場の中で、目撃した遺された人たちが背負った深い悲しみ、後悔、怒り、絶望に付き添うことを余儀なくされた多くの人々の善意が胸を熱くする。

    2011.3.11の震災の時もそうだが、人は平和な日常の中では認識することはないが、このような事故、事件によってしか日々の有難みを認識できなくなっているような気がする。

    (2014.08.15)
    投稿日:2016年02月24日
  • 麦の海に沈む果実
     女の子にモテたい! そう思った高校生の私は、ミステリアス系男子になることを決意しました。自分のことを必要以上に話さず、尋ねられても「秘密♪」(音符重要)と濁してみたり、むだに微笑みとウィンク♥(ハート重要)を使ってみたり……(思い返すとすさまじく気持ち悪い)。ミステリアス作戦が成功したかはさておき、当時の私にとって「モテたい」の行き着く先はなぜか「ミステリアス」だったのです。

     そんな私が、ミステリアスな物語である『麦の海に沈む果実』にのめり込んだのは当然すぎるほど当然のことでした。社会から隔絶された学園を舞台に起こる殺人事件。さまざまなバックグラウンドを持つ生徒たち。降霊会を行う女装家の校長先生。図書室から消えたいわくつきの本。そのどれもが私をわくわくさせ、不思議な世界へと連れて行ってくれたのです。わぉ、ミステリアス!

     なかでも、登場人物たちの謎めいた雰囲気は私を惹きつけてやみませんでした。作中において学園の生徒は三種類に分類されます。将来有望で音楽やスポーツを得意とし学園の指導力を求めて入学した「養成所」組、富裕層が自分の子供に上品さを身につけさせたくて入学させた「ゆりかご」組、そして望まれない子として生まれ学園という監獄に捨てられた「墓場」組。それぞれが違う何かを抱える彼らは、お互いに干渉しすぎることなく絶妙な距離感で接します。家系がわからないようにファーストネームで呼び合い、出自は尋ねず、まるで茶番のような友達関係を築く姿に私は惹かれたのです。

     一見すると滑稽かもしれませんが、よく考えてみてください。自分の抱えている闇を見せずに笑顔でいる、という以上の強さがあるでしょうか。人間、誰しも何かを抱えて生きています。家庭のいざこざだったり、うまくいかない友人関係だったり、将来への漠然とした不満だったり、ほかにもたくさん。それらを周りに感じさせずに生きていくことがどれだけ大変なことか。作中の彼らはそれを平然と実行していました。

     ミステリアスとはつまり、強さではないかと思うのです。自分の弱さを見せず誰を頼ることもなく、いつだって笑顔を振りまける人間はとてつもなく強い人間です。『麦の海に沈む果実』を読み終えてミステリアスに憧れる理由がようやくわかりました。ミステリアスの奥に潜む強さに憧れていたのです。私がとったミステリアス作戦のなんと馬鹿ばかしいことでしょう。本当の強さは張りぼてのミステリアスでは表現できないのですから。

     これからの人生、つらいこともたくさんあると思います。そんなときにミステリアスに振る舞って、強くいられる人でありたいです。そうすれば、冒頭の目標もおのずと達成できるかもしれません。

    (2015.08.01)
    投稿日:2016年02月24日