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  • 成功する男のファッションの秘訣60 9割の人が間違ったスーツを着ている
    入社して22年も経つといろんな人にお世話になる反面、一度も話すこともないままの方もいる。

    この本の担当編集で出版部長でもある彼女(すみません、先輩にむかって…)とは、編集者と営業という立場で、お互い3つの編集部、3つの営業部署に異動を繰り返しつつその度に、お仕事をさせていただく不思議な縁がある。その上、一時期は護国寺の駅のホームで2~3日に一度は偶然逢ったりするものだから、生まれ変わってどちらかが男性だったら結婚する約束なんかをしてみたりした。

    そしてその後、講談社が新刊全点電子化を目指し始めた2012年に、お料理、美容、ファッションなどの実用書を出版している彼女の出版部の電子書籍営業担当となった。

    電子書籍化の許諾を、著者お一人ずつにとっていただき配信点数は徐々に増やしている中、外資の大手電子書店が日本でオープンラッシュを迎え、同じ部署の仲間が担当する出版部からは、小説や新書などで電子のヒット作がいくつか出始めた。けれど、なかなか彼女の部署の作品が講談社電子書籍の売り上げ上位に入らない。黙々と許諾をとっていただいているにも関わらず…。

    ダイエット本やお料理本の特集を提案したり、なんだかんだやってはみるが芳しい結果が出ないまま1年が経ってしまった。

    そんな頃、とある電子書店さんが1冊しか紹介しないコーナーを作ったとプレゼンにいらした。これは!と彼女のところに飛んでいき、電子書籍で売れそうな作品選びを一緒にしていただいた。男性向けの作品で、電子で買いたい!という読者がいる作品。

    女性は電子書籍でティーンズラブやボーイズラブものや官能小説をよく買っているけれど、それに比べてお料理などの見目麗しい本は紙の方が圧倒的に売れる。女性は、“お店で買う、本棚におく、なんなら捨てるときにも、他人に見られるのが恥ずかしい”作品を電子で買っている。

    その点、男性は普通の小説やビジネス書など、書店にいく暇がなかったり、持ち歩くのに重かったりという理由で電子書籍を購入する傾向がある。でも、男性だって、恥ずかしいから電子で買うがあるに違いない!とこの作品を選んだ。

    紙でも重版がかかっている作品ではあるけれど、まだまだお洒落に興味があっても本を買うのは恥ずかしいなと、電子だったら買ってくれる読者がいるはずと。

    結果、デイリーではあるものの、その電子書店さんで扱っている約10万点の作品での総合ランキング2位を獲得。その月の講談社全電子書籍での売り上げでも2位を獲得することが出来、やっと、彼女といっしょに「すごいね!」と喜べた。

    それからまた時間はあっという間に経ち、そろそろ1年。次の企画を練らなければと焦る日々。

    (2014.08.15)
    投稿日:2016年02月24日
  • ザ・流行作家
     私には、一度も小説を書いたことがないのに、小説家志望と自称していた時期がありました。アイデアのメモは一生懸命に作るのに、いざメモが完成してしまうと、もうそれで満足してしまって、原稿用紙にもパソコンにも向かわずに、また次の小説のアイデアを練る。そんなことを繰り返していました。この次には、もっと何かすごいアイデアを思いついて、歴史に名を残すような作品が作れるのではないか。そうすれば、自分が生きた証のようなものを残せるかもしれない。そんな中学生のような自意識過剰にとりつかれていたのです。

     この本に登場する流行作家、川上宗薫と笹沢佐保は、驚異的なスピードと仕事量で、娯楽小説の全盛期を担った二人です。絶頂期は月産千枚。パソコンもワープロも無い時代に、手書きと口述筆記でこれだけの作品を生み出したということには、驚きを禁じえません。私は、二人の小説を好んで読んだ世代ではありません。名前を知っている程度だったので、この本を読んで初めて、二人がどのような作家だったか知ったのです。笹沢佐保など、あの「木枯し紋次郎」原作者だということすら知りませんでした。

     そして、私は何よりもそこにグッとくるのです。二人は、現在ではほとんど知る人ぞ知る作家になりつつあります。二人の主戦場は主に小説雑誌。つまり、二人が活躍していた当時を知らなければ、二人の名前も知る術も無いのです。山口瞳は「流行作家は書かなければいけない。書き続けなければいけない」と語りました。命尽きて、書き続けることもできなくなった二人は、過去の作家になってしまったのです。

     私はむしろ、その生きざまにダンディズムを感じます。生きている間は命を削って書きつづけ、亡くなった後は静かにその名は表舞台から去って行く。これこそが流行作家の格好良さでしょう。

     結局のところ、私は今、小説家になることはなく、出版社に入ることになりました。歴史に名を残すようなことはできないかもしれませんが、一つのことを死に物狂いでやれば、格好良く消え去ることはできるはず。そんなことを、この本に教えてもらったような気がしています。

    (2014.08.01)
    投稿日:2016年02月24日
  • 狂骨の夢
     もう絶対絶対、私は榎木津さんと結婚するんだと思っていました。

     高校1年生の時でしょうか。よく本の貸し借りをする友人から「これ面白いよ!」と手渡されたのは、やけに分厚い1冊でした。タイトルは『姑獲鳥の夏』。恐ろしげな表紙と中身の想像できないタイトルにびくびくしつつ、ページを開くと、あとはもう一瞬です。な、な、なんて面白いものを貸してくれたの!!

     古書店店主で陰陽師(!)の「京極堂」こと中禅寺秋彦、その友人の小説家・関口巽と、かつてふたりの先輩だった「薔薇十字探偵社」の私立探偵・榎木津礼二郎……。きらきらしい魅力的な登場人物と、「憑物落し」で奇妙な事件を解決していくストーリーに夢中になりました。

    「この世には不思議なことなど何もないのだよ、関口君」

     とうとうと流れていく京極堂の語りに読み入り、関口君の優しさに感じ入って、美男! 富豪! な榎木津さんのハイなおしゃべりに、もう夢中。次は? 次の話は?? と、必死に読み進めたのを覚えています。映画も観たなぁ……、京極堂役の堤真一さん、かっこよかったなぁ……。

     衝撃的な出会いをした「百鬼夜行シリーズ」、その3作目が『狂骨の夢』です。関口君の友人・ひょうひょうとし過ぎて「瓢箪鯰」と呼ばれている伊佐間一成が、道に迷い、女に助けられるところから始まります。耳にまとわりつく潮騒、殺人を告白する妖しげな美女、生き返る死体……。段々と明らかになり繋がっていく事件のキーワードは「髑髏」。ウッ、怖い、ウッ、でも面白い、アァ、でも「怖い」……、と悶えながら読みました。

    『狂骨の夢』には、「邪法として貶められた」仏教の一流派が出てきます。それまであまり関心のなかった宗教というものが、ぐっと気になりだしたのはこの本を読んでから。人の心を動かす宗教とは、一生をかけて学ぶ教義とはいったいどんなものだろう、と興味が高まるにつれて、大学の学科も自然と決まっていきました。

     東洋の宗教について勉強した大学時代はとても楽しかったので、『狂骨の夢』には大感謝です。ただ、そんな学科に行っても、勉強をしても、京極堂や関口君、榎木津さんのような人には出会えませんでしたが……(おかしいなぁ)。

     シリーズを読んで、「不思議」と言ってしまう前に、物ごとの裏にある人の気持ちや事実はないか探してみよう、と思うことができました。そして自信あふれる男性への憧れもまた、手に入れてしまいました。大好きなのは榎木津さんですが、出てくる男性それぞれがとってもかっこいいのです。

    「あなたの人生を変えた本は?」ときかれたら、真っ先に挙げたい1冊です。

    (2014.07.15)
    投稿日:2016年02月24日
  • 凍りのくじら
    ♪~タラララララ タラララララ タラララララ タラララ

     幼いころの私は毎週金曜日午後7時に流れるこのメロディを心待ちにしていました。希望あふれる軽快なメロディとともに、目の前に大好きな「ドラえもん」が現れるのですから。

     ドラえもんは物心がついたころから現在にいたるまで、ずっと変わらずに大好きな存在です。丸みを帯びたフォルムに味わいのあるしゃがれた声(大山のぶ代さん世代です)、そして母親のような包容力に少年っぽいどじでおちゃめな面も持ち合わせていて……ドラえもんの魅力は挙げきれません。クリスマスが来るたび、サンタクロースに「ドラちゃんがほしい!」と頼む幼い私に、きっと両親は手を焼いていたと思います。でも実のところ、いい大人になった今でもサンタクロースに頼みたいくらいに切実な願いだったのですが。

     日常のあらゆる場面でこのひみつ道具があったらなぁと夢想してしまうのは、おそらくドラえもん好きのあるあるネタだと思います。遅刻しそうなときには「どこでもドア」がほしいなぁ、好きな人に告白するときには「ムードもりあげ楽団」でロマンチックなムードをつくってほしいなぁ、出版社に勤める今では「本の味の素」(これをふりかけた本は、どんなものでもおもしろくなってしまうのです)を世界中の本にふりかけたいなぁ……なんて、ついつい妄想してしまうものです。『凍りのくじら』の主人公理帆子ちゃんも、私と同じようにあれこれとひみつ道具を欲しがっていました。

     どうやらドラえもんを題材にした作品があるらしいという情報を耳にして、すぐに手に取ったのが辻村深月さんの『凍りのくじら』でした。藤子・F・不二雄先生を敬愛し、ドラえもんをこよなく愛する女子高生・理帆子ちゃんが主人公で、各章のタイトルにはひみつ道具の名前がつけられています。ドラえもんファンの辻村深月さんにしか書けない、愛を感じる作品です。そして不思議なことに、この作品を読んでいると「ドラえもんが生きている!」という感覚があるのです。辻村深月さんの愛のパワーなのでしょうか? 空想でしかないはずのひみつ道具も現実味を帯びてきて、テレビ画面で動いているドラえもんを見ているよりもよっぽど近くに感じるのです。

     以前、友人が「毎年読みたくなる一冊がある」と言って、とっておきの本を紹介してくれたとき、とてもうらやましくなった覚えがあります。当時の私は、すてきな本や感動する本を挙げることはできても、何度も読みたくなる本を見つけられないでいたからです。でも私にとって『凍りのくじら』との出会いは特別なものとなりました。ドラえもんに会いに、これからまた何度も何度もこの作品を読むことになると思います。

    (2014.06.15)
    投稿日:2016年02月24日
  • 神聖ローマ帝国
     神聖ローマ帝国。

     こんな格好いい名前の国が実在して、しかも世界史の教科書に載っている。まるでゲームの世界みたいとなんだか嬉しくなった高校生のあのころをよく覚えています。しかし、いったいこの国はどんな存在だったのか。教科書を読んでも、よくわかりませんでした。

     なにが「神聖」で、なにが「ローマ」なのか。そもそも「神聖ローマ帝国って何なのだ?」という質問に、この本は答えてくれます。本書では、この謎の帝国が西暦962年に誕生してから、1648年のウェストファリア条約で「死亡」し、1806年にナポレオンによって「埋葬」されるまで、現在のドイツを中心としたその歴史をたどります。

     高校2年生のときにこの本を読んで、初めて歴史の面白さに目覚めたことを覚えています。人物に焦点があてられ、実在した皇帝や教皇たちが生き生きとしたキャラクターとして描かれており、まるでマンガを読んでいるときのようにわくわくしながら読み進めていったものでした。教科書を読んでも分からなかった、歴史上の人物たちの性格と生き様が伝わってきます。

     たとえば、中世ヨーロッパ白眉の名場面「カノッサの屈辱」の舞台裏。それは皇帝と教皇の血みどろの権力争いでした。あろうことか不倫スキャンダルの噂を流して教皇を攻撃する皇帝ハインリヒ4世。一方で、貧農の出から教皇まで成り上がった教皇グレゴリウス7世は、教会がヨーロッパを支配するためにあらゆる手を使って皇帝から権力を奪おうとします。ここに、かつて妹と弟をハインリヒ4世の父に殺され、皇帝への憎悪に燃えるトスカーナ伯領の女領主マチルデが加わり……。

     どろどろとした人間模様のなかで繰り広げられる権力闘争は、どういうわけかやたらと面白く感じられます。人間の欲望や感情が、剥きだしになって現れているからでしょうか。こんなやりとりが、約千年の神聖ローマ帝国の歴史のなかでは、何度も繰り返されています。「教皇による破門など糞食らえ!」と大言した皇帝フリードリヒ2世。皇帝権力の強大化を目指すも、部下の裏切りであっけなく夢破れた皇帝カール5世などなど。これが面白くないわけがありません。

     そんな泥沼の争いを続けた結果、この帝国はやがて力を失います。1648年のウェストファリア条約で帝国としての権限をほとんど失って名前だけの国家となり、実質的にはこれで「死亡」することになります。そしてついに1806年、ナポレオンの手によって完全に解体され、いわば「埋葬」されることになるのです。

     この本は高校生の私でも読めるくらい、非常に分かりやすく書かれています。結局、高校2年生のときだけで3回も読み返して、登場人物の名前はほとんどすべて覚えてしまいました。おかげで、世界史のテストではかなり楽をさせてもらったものでした。

     神聖ローマ帝国の歴史をたどるなかで、ヨーロッパ全体の歴史の流れも見えてきます。小難しいことは抜きにして楽しめるこの本。歴史は苦手……という人にこそ、ぜひ読んでほしい一冊です。

    (2014.06.15)
    投稿日:2016年02月24日
  • ルヴォワールシリーズ
     これは小説に限ったことではありませんが、シリーズものの魅力のひとつに、続刊をリアルタイムで追いかける楽しみというものがあります。

     本書『河原町ルヴォワール』は、作者の『丸太町ルヴォワール』『烏丸ルヴォワール』『今出川ルヴォワール』に続く「ルヴォワール」シリーズの第四作であり、シリーズ完結作でもあります。「丸太町」だとか「河原町」だとか、タイトルの前半部分は京都の通りの名称です(丸太町通、河原町通など)。

     シリーズの概要をざっと説明すると、現代の京都を舞台にした本格法廷ミステリ群像劇です(勝手にそう呼んでいます)。物語の中核にあるのは、平安時代より京都で連綿と続く「双龍会」という私設裁判制度。この地で起こった殺人の疑惑のある事件はこの「双龍会」にかけられ、そこで黄龍師(いわゆる検事役)と青龍師(いわゆる弁護士役)による推理合戦の供物となります。この「双龍会」の面白いところは、最終的に下される裁定が必ずしも真実である必要がないことです。虚構に虚構を上塗りし、その果てに聴衆をもっとも巧く騙せた者が裁判を制するという、コンゲーム的な側面も大きな魅力なのです。

     私がこのシリーズを初めて手に取ったのは高校三年生の時でした。ちょうど第一作『丸太町ルヴォワール』が発売された二〇〇九年のことです。模試を受けに京都を訪れた休日、京都タワーの三階の書店で手に取ったのが発端です。その夜、家に帰って、寝る前に軽く読書……とページをめくったのが最後、気づけば全てを読み終わっていて、東の空は橙色。寝ることも忘れて、ただただ無心にページをめくる幸福な時間でした。

     私は京都の大学に進みました。もちろん、「双龍会」は実在しませんでした。何故か、『丸太町ルヴォワール』のような美しい恋の物語も、自分の周辺には見当たりませんでした(本当に何故なのか)。

     大学二年の時、『烏丸ルヴォワール』が出ました。大人になりたい人たちが、大人になれない物語でした。だんだん大学の授業をサボるようになりました。夜を徹して遊ぶことが増えました。

     大学三年の時、『今出川ルヴォワール』が出ました。「双龍会」そっちのけで賭博バトルに興じる一級エンターテイメントでした。私は今まで遊んでばかりいて、考えないようにしていた単位の問題に直面して頭を抱えていました。

     そして、大学四年の時。

     気づけば私の大学生活も終わろうとしていました。来年度からは東京暮らしです。卒業式を間近に控えた大学四年の三月、『河原町ルヴォワール』が出ました。運命の分岐、人生の選択肢、未来の可能性、そういったテーマを宿した本格ミステリでした。そして、再びの恋の物語でもありました。卒業式の前日のこと、読み終わったのは朝でした。それは高校生の時と同じように、幸福な時間でした。

     私の大学生活は「ルヴォワール」シリーズとともにありました。その新刊を読める喜びや、その完結に立ち会えた感動が、記憶のなかに息づいています。大学生活の最後を分かち合った『河原町ルヴォワール』は、私にとってかけがえのない一冊です。

     もちろん、大学生活を共有していなくたって絶品の本シリーズ。「丸太町」から「河原町」にいたる四部作、ぜひぜひ、ご堪能ください。

    (2004.06.15)
    投稿日:2016年02月24日
  • 怪盗クイーンシリーズ
    「千裕」という名前の漢字は「有り余るほどの余裕を持つ」という意味だと思っています(実際に両親がそう思って付けたかは別ですが)。名前に恥じぬよう、常に余裕を持った人生を送りたいのですが、現実はそうとはいかないものです。ギリギリなんてかっこ悪い、と思ってはいるのですが、気が付くとギリギリ虫はいつも私の後ろに迫っています。自分自身がそんな調子なので、ゆとりがあって優雅に振る舞える人にとてもあこがれを持っています。

     私にとって、その「優雅な人」の代表が怪盗クイーンです。

     ぬけるように白い肌、灰色の瞳、銀色に近い白い髪、白い口紅で色を消した唇──中性的な出で立ちでギリシャ彫刻のような美貌を持つクイーンの職業は怪盗。ですが、クイーンが目指すのは、お宝目当ての盗みではなく、彼(彼女?)の美意識を満足させる獲物を華麗に頂戴することなのです。巨大飛行船でワインを飲みつつフランス語で会話をするクイーン。その生活は隅から隅まで「怪盗の美学」を満足させるものです。美意識の赴くままに悠々自適に、クイーンみたいに華麗に生きたい!来世生まれ変わるならクイーンのように、とりあえず現世では来世に向けてフランス語の勉強とワインの勉強でも……そんなことを日々考えて過ごしています。

     私のあこがれの先輩とも呼べる、素敵な怪盗に出会ったのは小学校の高学年のころ。「そろそろ子ども向けの本は卒業しなきゃなぁ。」と思っていた時期でした。しかし、「怪盗」という言葉にひかれて、ついこの本を手に取ったのでした。

     ページをめくるとはやみねかおる先生の「赤い夢」の世界が広がり、私はそのままそこの住人に。そして、「まだまだこんな面白い作品があるなら子どもの本も読み続けたい!」と考えを改めました。あまりに面白かったので父と母にも本を勧めると、二人とも夢中になって読んでくれました。児童書を楽しそうに読む大人を見ながら、本に年齢制限は存在しないことを実感しました。大人も子どもも、本の世界では関係ありません。

     久しぶりに読み返してみると、クイーンの仕事上のパートナーであるジョーカー君について「年齢は二十歳前後だろう」と書いてあることに気付きました。かっこいいお兄さんだと思っていたジョーカーが年下になってしまったなんて。時の流れを感じます。しかし、読み進めるとやはり、クイーンへのあこがれが再び心に湧きあがりました。まるで小学生の私に戻ったように。読めばいつでも童心に戻れる、私の原点ともいえる一冊です。

    (2014.06.01)
    投稿日:2016年02月24日
  • 原発ホワイトアウト
     刊行前のこと、「『三本の矢』を超える作品ができました!」と担当編集者から原稿をもらった瞬間は、今でも鮮明に覚えている。原稿に目を通しつつ、『三本の矢』を知らない私は即購入して、すぐ読んだ。(*『三本の矢』(早川書房 1998年4月刊)は現在、絶版となっている。昭和金融恐慌をモデルとした経済小説で、当時、現役のキャリア官僚が書いた経済小説として話題を呼んだ。上下巻合わせて累計20万部近くまで売れた。)両作品、新人作家とは思えない巧妙な構成となっており、文章も大変上手く、驚愕をした。

     東京大学法学部卒業。国家公務員I種試験合格。現在、霞が関の省庁に勤務。
     今回、私が取り上げた『原発ホワイトアウト』に記載されたプロフィールは、上記の情報のみだ。著者名は、若杉冽。本書は、限りなく事実に基づいて書かれた現役のキャリア官僚による告発ノンフィクションノベルである。刊行直後から「省庁内で犯人探し」が始まるなど話題を呼び、無名の著者としては異例の発売1ヶ月あまりで5万部を超え、瞬く間に10万部、そして現在は11刷19万部を突破し、ロングセラーのヒット書目となった。テレビ、新聞、雑誌とマスコミ各社から取材が相次ぎ、書店からの注文も殺到。政治家や様々な業界関係者が、ブログやSNSなどで取り上げたほか、読者からの反応も大変多く(*Amazonにおいては、2014/5/13時点で、181件のレビューが書かれている)老若男女すべての方に読まれ、「映像化してほしい!」など様々な声をいただいた。
     『原発ホワイトアウト』は、省庁や政治家、電力会社における既得権益の癒着構造を見事に描いており、原発の利権を巡る「モンスターシステム」の仕組みを暴いている。本書を読めば、原発問題をはじめ、現在、日本国家が抱えている数々の問題点が明らかになっていく。この作品の登場人物の名前が、実在する人物に近しい名前であることも、よりリアリティを感じさせる要因となっている。どの人物であるかは、ぜひ本書を読み、一考していただきたい。また本書が刊行されてから若杉氏は、原発問題以外にも、特定秘密保護法など、多岐にわたり言及されている。今後の活躍に目が離せない。
     原発問題は天災か、それとも人災だったのか。2011年の震災から早3年が経ち、「脱原発」から「原発再稼働」の動きが出てきている。本書は、著者が権力の中枢に属しながら、「権力」と真っ向から対峙し、戦った渾身の一作であり、日本国民であれば、誰しもが一読すべき本である。この本は、日本の未来に対して、警告しているのだ。「原発は、また必ず爆発する」と。
    (2014.05.15)
    投稿日:2016年02月24日
  • 新装版 海も暮れきる
     たぶん多くの人と同じで、国語の教科書でこの句に出会いました。 五七五でも五七五七七でもない一行の所感、もはや独り言にしか見えない、これはなんなのか。わからない。自由律俳句と説明されたところで、やっぱりわからない。
     なんなんだ、わからないなあ、という感慨が強烈で、以来その句と作者の名前は、記憶のすみに残っていたのでした。

     名家に生まれ一流大学を出て一流会社に入りと立身出世道まっしぐら。しかし酒で身を持ち崩し、すべてを投げ捨てる。仮住まいを繰り返し、瀬戸内海の小さな島に行き着くも持病の結核が悪化、八ヵ月のうちに一生を終える。
    大正時代の俳人・尾崎放哉。その最後の八ヵ月を書いたのが『海も暮れきる』です。

     心情や病状の変化を別にすれば、全編を通して放哉の行動に大きな変化はありません。金銭や食物を知人に無心する手紙を書き、節食に徹しようとしてはつい贅沢し、よくしてくれる人に心中で感謝し、酒を飲んで暴言を吐いては後悔する。望んで独居しているのにたまの友人の訪問は手土産含めて諸手を挙げて歓迎し、見るからに人恋しそうな句を詠む。

     島に来て日の浅いうち、生活の不安から泥酔したあと、夜の海辺で島の子らに出会うという場面があります。「どうせ生きていても仕方のない境遇で、酔いつぶれて海に身を沈めた」い、と彼らに駄賃をやり、小舟を出させる放哉。しかし、「海に身を投じようという気持が何度も湧いたが、濁った意識の中で子供たちを驚かせてはならぬと自らに言いきかせていた。これほど従順に従ってくれた子供たちに、刺戟をあたえるようなことはしたくなかった」と、自死をあきらめる。

     この場面に限らず、一貫して描かれる、決断を迫られた時に、利己的にも利他的にも、真っ当にも破滅にも踏み切れない性質。その人間らしさに、いっぺんにひかれてしまいました。

     もちろんこの本は、帯にもあるように、あくまでも小説です。しかし、読んでいるとついそれを忘れてしまうのは、やはり綿密な取材の成果なのでしょう。作者の吉村昭さんは実際に島に赴き、放哉と交流した同時代人たちの回想を基にこの本を書いています。挿話が、織りこまれる書簡や句の引用と矛盾せず遜色なく、放哉の人柄を伝えてきて、八ヵ月を追体験するような気持ちになるのはそのためなのでしょうか。

     尾崎放哉、という記憶にある名前と、故郷の島が舞台になっているという理由からこの1冊を手に取ったのは大学四年生の休暇中です。そんな軽い気持ちで手を出したのに、その夏はこの本と『尾崎放哉随筆集』ばかり読んだような。そして、終の棲家になった南郷庵を訪れるに至りました。訪問時には障子が閉め切られており、題に引かれた句のようには海は見えませんでしたが、蝉の声が物凄かった。「蝉の声が空間を密度濃く占めていて、庵が滝壺にでもあるようだった」というこの本の一文を思い返し、初秋にここを訪れたという吉村昭さんばかりか、尾崎放哉も同じ蝉の声を聴いたかもしれないと、楽しいモウソウにひたっておりました。

     ところで、先述の『尾崎放哉随筆集』は講談社文芸文庫から出ています。随筆集と銘打ちながら書簡や句も併録された盛り沢山な内容ですので、そちらもおすすめです。

    (2014.05.01)
    投稿日:2016年02月24日
  • 鞄の中身
     たぶん吉行氏の著書は、小説、随筆、対談集、コラムの類いに至るまですべて読破してきたと思います。読み始めたのは‘60年代後半、大学入学後まもなくでした。作品の主題の多くは「大人の男女」のアレヤコレヤ、しかも「性」を取り扱ったもの。20歳前の若輩が、よくもまあ、これら大人びた本を読もうとしたものだ、と、65歳にもなった今の自分は、昔のことがとてつもなく恥ずかしい。がしかし、妙に懐かしいのです。

     そんな学生時代の読書歴を経て、講談社に入社して数年後に自社から刊行された短編集『鞄の中身』は、それを読了した時の自分の感懐までもよく覚えています。

     今は、同タイトルで講談社文芸文庫に収められていますが、実は最初の単行本とは内容が若干異なっています。『鞄の中身』より以前に出た別の短編集とシャッフルされて、ラインアップの違う作品集に。現在手に入るのは文芸文庫版だと思うので、そちらに沿って内容を紹介します。
    (電子書籍でも読めます。)

     表題作『鞄の中身』は、作中の“私”が、自分の死体を鞄に詰め込んで街中をさまよう、という悪夢を綴ったもの。また、『風呂焚く男』は、自分の“過去”を払拭しようと、下着の山を薪がわりにして苦闘する男の話。『子供の領分』では、仲のよい少年同士に潜む残酷な、しかし切ない“悪意”を描きだしています。

     そのほか、今は空き家になっている家に、飼っていた猫だけがひっそりと暮らしている話(『家屋について』)や、口説きそこなった女性のことを、十数年後に突然思い出し、あのとき分からなかったそのひとの心の傷に思い至る話(『廃墟の眺め』)、大人の秘め事に翻弄された子供時代が、口ずさんだ童謡とともに鮮やかによみがえる話(『白い半靴』)、等々。

     吉行氏は、20年ほど前に鬼籍に入られました。その文学については、我が社でかつて大活躍され、氏と親交も深かった先輩編集者の方々を差し置いて、偉そうに語る資格が私にあるとは到底思えません。

     しかしこのような、日常の些事を切り取った、しかも奇妙な味わいの小説に、20代の若造がどうして惹かれたのか。そのことなら、今の私は説明がつきます。だから、それについてのみ、書かせてもらいます。

     いわゆる団塊世代に属する私は、学生時代、荒れたキャンパスの中にいました。と言っても、積極的に“闘争”に参加する同輩には背を向けて、一貫して、頑なに“軟派学生”でした。(そういう意気込み自体が、実はほんものの“軟派”とは程遠い、ただのカッコツケなんですが。)大昔のことゆえ遠慮なく言わせてもらえば、とにかく、潤んだ目付きで遠くを見遣りながら、声高に、平和や愛や、タタカイについて語る彼らのことを、本気で嫌悪しました。「人々のために」と言いながら、その上目遣いの、ねっとりした眼差しに潜んでいる「自己愛」の強さに辟易しました。あくまで個人的な、偏った感情ですが。

     なぜ、そんな思いに駆られたのかは面映ゆいので省略します。しかし、吉行氏の作品に出会った時、「大きな声で語られることより、もっと大切なことは日常の小声の中にある」というようなことに思い至り、以来、片っぱしから、その作品の数々に耽溺しました。それらは騒々しい周りの大声を、完璧に遮断してくれました。社会人になってからも読み続け、今の私の、精神の(大袈裟ですね!)骨格部分を形成してくれたようにも思います。

     編集者生活を長年やってきましたが、偉そうに言わせてもらえば「読者の心の中の、芥子粒のようなディテールも見逃さないこと」は、実はとても大切なわけで、その意味でも、氏の作品群は、私の唯一絶対の、座右の書です。

    (2014.04.15)
    投稿日:2016年02月24日
  • 古典落語
     子供の頃に愛読していたのは主に父の勤める某社の絵本たちでした。読んで大きくなりました。大きくなってからは、家の本棚に並ぶ雑多な本を漁って読んでいました。編集者という仕事は家に本を溜め込むもので、父の仕事のものか趣味のものかよくわからない本がごちゃごちゃと家のあちこちにあったのです。

     ところが、本があることが当たり前すぎて有り難みがなかったのか、乱読しては内容をすぐ忘れるという有り様。いまだにそんな調子なので、出版社に勤める人間としていかがなものか、と時々落ち込みます……。ともあれ、幸運にも、いまも多くの時間を当たり前のように本のそばで過ごしています。

     数年前、思いがけず学術文庫の編集部に異動になり、本の内容もろくに覚えられない私につとまるのかと日々不安な気持ちでいたときのこと。資料を探して会社の図書館をうろうろしていると、古い講談社文庫がならぶ棚にこの本を見つけました。実家の本棚にあった、なつかしい青緑の表紙。

     収録されているお目当ての作品を見つけると、ページは繰らずにまず記憶をたどりました。まだ言えるかな……と暗唱してみたのは登場人物の名前です。

     小学生か中学生のころ、どうしてかは思い出せませんが、「寿限無」のあの名前を覚えようと思い立ち、文庫本をにぎりしめ、やけに集中して暗記したのでした。改めて見てみると、名前にしては長いというだけで、さして長くもないし、なんの役にも立ちませんが、覚えたてのころは親に自慢げに聞かせていたような記憶があります(どうせなら「寿限無」をまるまる覚えたらよかったのに!)。

     この一篇をきっかけに、私は落語にはまり、落研に入り、寄席に通うように……は全くならなかったのですが、これが落語との出会いであったことは確かです。そして、懐かしい思い出にひたった数日後、この講談社文庫版の『古典落語』が、編み直されて学術文庫に収録されていることに気づきます。編集部の書棚を見てみたら、濃紺の背表紙の粋なデザインに着替えた『古典落語』が。見た目こそ違えど、慣れない土地で古い知り合いに出会ったような、ほっとした気持ちになりました。

     この本は、どこかでまた私の前にひょいと顔を出すかもしれません。そのときの自分はどこで何をしているのか、そのときの自分にとってどんな本になっているのか、何気ない一冊にもそういう楽しみがあるなと思います。

     ちなみに、名前以外はうろ覚えだったので読み返してみたところ、寿限無寿限無五劫のすりきれ海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝るところに住むところやぶらこうじのぶらこうじパイポパイポパイポのシューリンガンシューリンガンのグーリンダイグーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長助ちゃんは、名字が「杉田」だったという新たな発見がありました。名前すら、きちんと覚えていなかったとは……。

     ついでに見つけてしまった誤植の話もしたいところですが、「あんまり名前が長いから、原稿用紙が埋まっちゃった」。

    (2014.04.01)
    投稿日:2016年02月24日
  • 法月綸太郎ミステリー塾
    ミステリー評論の効用 ミステリーが大好きで、たくさん読んでいる人でも、ミステリーの評論まで読む人は少ないでしょう。
     評論というと、どうしても堅苦しく、難解で、ややこしい印象があります。入口が閉ざされている感じがするので、読者も増えない。読者が限られてくると、ますます評論はマニアックになり、狭く深い穴を掘っていく。そんな悪循環に陥りがちです。評論の危機です(大げさかな?)。

     そういう危機を軽やかに乗り越えているのが、法月綸太郎さんのミステリー評論です。
     平易で読みやすく、わかりやすくて、しかも卓見に満ちている。
     これまで『謎解きが終ったら 法月綸太郎ミステリー論集』、『名探偵はなぜ時代から逃れられないのか 法月綸太郎ミステリー塾 日本編』、『複雑な殺人芸術 法月綸太郎ミステリー塾 海外編』と評論集3冊を愛読してきました。さらに4冊目『盤面の敵はどこへ行ったか 法月綸太郎ミステリー塾 疾風編』が昨年(2013年)末に出たのは、うれしい限りです。(以下、『謎終』『名逃』『複殺』『盤敵』と略。) 「この1冊!」では最新刊の『盤敵』を挙げておきますが、4冊すべてオススメです。
     もちろん全冊、弊社より刊行。「評論集・冬の時代にやるじゃないか、講談社」と自社自賛してしまいます。
     しかも電子書籍でも読めます。ますますやるじゃないですか、講談社!

     優れたミステリー評論には2つの特徴があると思います。
     まず、読み手が評論の対象となるミステリーをすでに読んでいる場合、「こういう読み方(解釈)があったのか!」と驚き、感心させ、「新しい楽しみ方がわかった。読み直してみよう」という、再読誘発力を持っている。
     次に、読み手が評論の対象となるミステリーを未読の場合は、「面白そうだ、読んでみたい」、「(文庫などの解説では)買おう!」という、作品ガイドにして読書(購入)欲求をかき立てる力を持っている。
     つまり、優れたミステリー評論には必ず作品に回帰させる力があるのです。

     法月さんの評論の場合、前者の例ですと、まず「挑発する皮膚──島田荘司論」(『名逃』収録)を推します。
    「肌ざわり」というキーワードで、島田荘司作品を読み解いていく、スリリングな快感!
     この評論そのものが「謎を解き明かすミステリー」として成立している、法月さんの傑作です。
     後者の例ですと、パッと浮かぶのは「アメリカ本格の『台風の目』」(『盤敵』収録)。
     ジャック・カーリーの『毒蛇の園』の文庫解説として書かれたテキストですが、この作品のどこが面白さのポイントなのか、(まだそれほど知られていない)カーリーという作家のどこが魅力なのか、存分に語りつつ、余白を残していて、読書欲求をそそります。
     私はこの解説がきっかけで、カーリーを読み始めました。そして実際、面白かった!

     ちなみに法月さんの解説の難点といえば、あまりに行き届いているために、解説を読んだだけで満足してしまう場合があることでしょうか。
    「ロバート・トゥーイのおかしなおかしなおかしな世界」(『盤敵』収録)というマイナーな短編作家の解説が、その一例です。作家と作品が丹念に紹介され、とりわけ各短編のさわりが絶妙に語られます。そのさわりだけで堪能できちゃう。
     ワタクシ、結局、トゥーイの短編集『物しか書けなかった物書き』は購入しましたが、未だ読んでいません。ごめんなさい。

     ここから先はマニアックな話になってしまいますが、法月さんといえば、やはりエラリー・クイーン。(どういうことかは説明すると長くなるので省略します。)当然ながら、クイーンをめぐる論考も読み応え十分です。
     代表的なものは「初期クイーン論」、「一九三二年の傑作群をめぐって」(どちらも『複殺』収録)ですが、『盤敵』では肩の力がすっと抜けて、より平明なクイーン論が5編読めます。
     この5編は法月さんのミステリー評論の白眉ではないでしょうか。
     ミステリーの歴史を踏まえながら、アメリカの社会史や映画史をからめて作品を捉え直し、新たな発見を提示する。
     その流れに澱みはなく、するりと読者は飲み込んでしまう。飲み込んでから、今までにない鮮烈な味わいにびっくりし、唸る。
     この「思いがけない発見に膝を打つ」」という点は、法月さんが敬服する故・瀬戸川猛資さんの評論を想起させます。まさに読んで面白い評論なのです。

    『盤敵』には、私がもっとも敬愛するミステリー作家・都筑道夫先生に関する論考も収録されています。
     私が高校時代に最初に読んだミステリー評論が、都筑先生の『黄色い部屋はいかに改装されたか?』でした。何度も読み返し、ミステリーの読み方のみならず、物事に対する価値観にまで大きな影響を受けました。
     我が聖典ともいうべきこの評論の増補版が先年刊行された際に、法月さんが寄せた解説が、私のようなディープな都筑ファンでも瞠目するしかないほど素晴らしい内容で、とりわけ最後の一行の見事さに目を見張りました。
     これほどフィニッシング・ストロークが決まった評論は読んだことがない、と言ったら褒めすぎでしょうか。
    (もちろん初めて都筑先生の評論を読む人にとっても、理解しやすく示唆に富んでいる解説であるのは言うまでもありません。)

     このように、法月さんのミステリー評論はたくさんの愉悦を味わせてくれるのですが、私にとっては別のレベルでも大きな意味を持っています。
     以前、あるトラブルに巻き込まれ、精神的にとことん追い詰められた時期がありました。
     さまざまな方々に心配をかけ、先が見えないゆえのプレッシャーがのしかかり、自分も周囲も感情が沸騰し、騒然とした日々を過ごしました。

     気持ちがちぎれそうな毎日、トラブル処理のわずかな合間に、私は『名探偵はなぜ時代から逃れられないか』を少しずつ読み返すのを日課にしていました。そう、なぜか無性に読みたくなったのです。
     読むたびに法月さんの理知的な文章がすうっと胸に染み込み、揺さぶられ振り回されていた自分の心を、なんとかつなぎ止めることができました。
     変な話ですが、この時ほど、ミステリー評論の効用を感じたことはありません。

     ミステリー、とりわけ本格ミステリーは「不可解な謎を理知の力で解き明かす」のを主眼としています。
     現実の世界は混沌としていて不分明で不可解です。それを人間の理知で解明してしまう本格ミステリーの世界は、一種の理想郷でしょう。
     ミステリーの評論は、そのユートピアに、さらなる理知をもって臨んだ、いわば理知の塊というべきテキストです。
     現実の世界の、不条理で感情的な嵐に直面し、吹き飛ばされそうになった時、自分をぎりぎり支えてくれた理知の杖。それが法月さんの評論だったのです。

     最後にもうひとつだけ。
     法月さんには20年近く前、私が『金田一少年の事件簿』の担当をしていた時にお会いしたことがあります。実は講談社文庫『小説版 金田一少年の事件簿1 オペラ座館・新たなる殺人』(絶版)の巻末で、法月さんと原作者の天樹征丸さんが対談しているのです。(現在入手できる講談社漫画文庫版、および電子書籍では残念ながらカットされています。)
     法月さんはとても丁寧に接してくださり、本格ミステリー作家の立場から『金田一少年の事件簿』の面白さを認めてくださいました。それがどれだけ救いになったか。
     その意味でも、私にとって法月綸太郎さんは恩人なのです。

    (2014.02.01)
    投稿日:2016年02月24日
  • 匿名希望
    真面目のなせる爆笑ネタ
    一口にカルチャーギャップ作品なんですが、人柄や国籍にのせて軽妙に笑えます。
    日本人でソレやったらブン殴るぞコイツってな話もありますが、皆さん大まじめで間違えたり突っ込んだり。
    (怪我のお見舞いに鉢植えどころか仏花が出てきたり)

    知らないから出来るとかそう言うのでもなく、純真な探求心のなせる挙動の数々は笑いながらも声援めいたモノを抱いてしまう。
    ソレがみんなで集まりだして更に脱線極まりなくなったり。

    言語の原典を探るため時々話が古代に飛びますが、そこに出てくるキャラのほうがどっちかと言うと壊れ気味。
    ブチ切れにどや顔でむしろこっちのほうが今風。
    挙げ句けっこう原典もイイカゲンなモノだったり。

    題材は国語ですが、人柄を描いた面白い作品です。
    • 参考になった 2
    投稿日:2016年02月23日
  • 期待外れでした
    アプリの内容が詳しく記載されていると思い購入しましたが、10分ほどで完読できる内容です。期待外れでした。紙媒体で立ち読みしたら購入しなかったでしょう。
    • 参考になった 2
    投稿日:2016年02月22日
  • 最高でした
    最初絵が苦手かなーと敬遠していたのですが、とってもとっても良作品でした。
    ほのぼのでピュアな二人に癒やしを貰いました。
    がっつりとしたエロはないので物足りない方もいるかもしれませんが、純情ピュアほのぼのが好きな方には最高の作品になるでしょう。

    「同級生」は単作で読めますが、「卒業生-冬-」と「卒業生-春-」は話しが続いていますので、一緒に買うのをオススメします(三冊まとめ買いがいいのは言うまでもありませんが)
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    投稿日:2016年02月22日
  • 匿名希望
    ネタバレあり
    将棋好きには物足りないかも
    将棋マンガはいくつか読みましたが、他の将棋マンガに比べて、三月のライオンは将棋をさしている場面が少なく将棋マンガ好きには物足りないかもしれません。
    しかし絵は可愛いですし主人公を取り巻く人間模様や心の機微は丁寧に描かれているので、青春マンガとしては楽しめます。
    絵柄も内容も少女マンガっぽいと思うのですが、夫や義弟もハマっていたので男性にもウケるようです。
    ただ、どうも登場人物たちに現実味がなくファンタジーだなと感じるので評価は辛めにしました。
    • 参考になった 0
    投稿日:2016年02月22日
  • 黒い羊の仮説
    世間的に立派な家庭からある確率で生まれてくる凶悪犯罪者(黒い羊)。
    黒い羊になるには家庭環境といった後天的な要素に加え、遺伝という先天的な要素も
    重要だとする仮説。
    発端はペンションで働く青年の失踪である。彼は少年期に自分の家族を皆殺しにする事件を起こして世間を騒がせた。特殊な人物の失踪ということで広域捜査専門のSROに捜索要請が為された。立派な家庭に咲いてしまった徒花のような青年をSRO室長の山根は黒い羊に例える。
    黒い羊の話を聞いたSROメンバーの針谷は自分も黒い羊なのではないかと思い悩む。幼い頃より優等生の兄と比較され家族の中で浮いた存在の自分。犯人射殺経験があり、そのことで家族に迷惑をかけ足を引っ張っている自分。針谷家に流れる血脈の負の因子が自分のなかで発現してしまったのではないかという不安。
    犯人は次々に殺人を犯し殺した人物に成りすましながら本懐を遂げようとする。犯人がただのシリアルキラーではなく、犯人なりの根源的なテーマに根ざした心理や動機があり、それを的確に見抜いたのは針谷だった。
    シリーズ4作目となる本作は主人公格として針谷に焦点が当てられていて、彼の存在なしに事件の本質に辿り着くことは不可能だった。そして新たな業を背負うことになる針谷に救いの日が来るのか今後気になるところだ。
    SROの宿敵であるモンスター型シリアルキラー近藤房子のエピソードも添えられており、再び彼女との対決も近いと予感させるものになっている。
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    投稿日:2016年02月21日
  • 匿名希望
    ネタバレあり
    愛しい者
    私的感想では純愛だと思いました。酷く虐げられる所もあるのでロマンスの用なお綺麗なラブラブ甘々ではありません。が、ラブラブ甘々で切ないけど幸せです。
    鬼とは。
    丸木先生の作品の中で一番大好きです
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    投稿日:2016年02月21日
  • 匿名希望
    ネタバレあり
    精神医療の現場をなめすぎでは?
    2巻を読んで仰天しました。精神疾患とその治癒を描くならもう少し正確に調査が必要では?潔癖性でも愛があれば乗り越えられるなんて嘘もいいところで実際はパートナーがいても性行為ができず苦しんでる人がいる中、いきなりそれを強引に乗り越えるなんて…ファンタジーとしてなら許されるのでしょうか。
    • 参考になった 1
    投稿日:2016年02月20日
  • 匿名希望
    内容は面白いです
    ただ、脱字だらけです
    これ、チェックしてないんですかね?
    読みにくいので内容に集中出来ません
    残念です
    • 参考になった 5
    投稿日:2016年02月20日
  • 匿名希望
    ネタバレあり
    買っとるやんけ!
    物買っとるやんけ!ミニマムちゃうやんけ!ズコーーーーーー
    • 参考になった 0
    投稿日:2016年02月19日
  • 匿名希望
    ネタバレあり
    解説詐欺
    タイトルと解説が完全に嘘。次々種付けってあるけど最初のおさわりは何人かに手を出すけどその後は一人だけ。
    • 参考になった 1
    投稿日:2016年02月19日
  •  田中角栄という政治家がいた。
     1918年(大正7年)新潟県(現在の柏崎市)生まれ。1947年(昭和22年)4月、29歳で第23回総選挙に当選。10年後の1957年(昭和32年)7月、第一次岸改造内閣で郵政大臣に就任。この時、角栄39歳、戦後初めての30代大臣の誕生だった。続く1962年(昭和37年)7月、第二次池田内閣で大蔵大臣就任。在任中の1965年(昭和40年)5月、証券不況下、取り付けが殺到した山一証券に対する「無制限・無担保」の日銀特融を断行し、辣腕ぶりを発揮。直後の6月、自民党幹事長に就任。1971年(昭和46年)7月、第三次佐藤改造内閣で通産大臣となり、10月に日米繊維交渉決着。そして1972年(昭和47年)7月、佐藤(栄作)長期政権の後継を争う自民党総裁選で福田赳夫を破り、7月6日内閣総理大臣に指名。私はこの年に大学を卒業して出版社の小学館に入社。「週刊ポスト」編集部に配属されましたが、高等小学校卒業ながら総理大臣にまで登り詰めた54歳の田中角栄が「今太閤」ともてはやされ、総裁選直前に発表された著著「日本列島改造論」がベストセラーとなっていた刺激的な時代でした。
     総理大臣就任から2か月余りの1972年9月、田中角栄は盟友の外務大臣・大平正芳を伴って北京を訪問。毛沢東、周恩来との歴史的会談に臨み、日中国交正常化を成し遂げます。まさに時代の顔となった田中角栄の絶頂期でした。
     田中角栄の時代はしかし、思いがけないところから暗転していきます。日中国交正常化から2年、1974年(昭和49年)10月のことです。月刊誌「文藝春秋」(昭和49年11月号)に発表された、立花隆「田中角栄研究――その金脈と人脈」と児玉隆也「寂しき越山会の女王」の2篇のレポートがきっかけとなって、外国人記者クラブにおけるレクチャー会見を経て、田中角栄は翌11月に内閣総辞職表明に追い込まれます。
     総理辞任の1974年12月9日から2か月余り、年がかわった1975年2月ロッキード事件が発覚。そして7月27日――田中角栄は東京地検特捜部によって逮捕されます。この日早朝、東京・目白の田中邸の門前に黒塗りの車が停まったとき、報道陣の姿はなく、そこにいたのは私一人でした。しばらくして開かれた門から出て来た黒塗りの車の後部座席中央に両側から挟まれるようにして座る田中角栄の顔が見えました。「前首相の逮捕」。暑い一日の始まりでした。もともと汗かきで知られる田中角栄の汗ばんだかに見える表情は、いまも鮮明な記憶として私の脳裡に残っています。角栄58歳の転落でした。
     とまれ、逮捕・起訴された田中角栄は法廷闘争を展開する一方、田中軍団の数にものをいわせて政権を裏で操る闇将軍として君臨を続けますが、竹下登の離反をきっかけに力をそがれていきます。ポスト田中への野望を明らかにした竹下登による創世会設立のわずか20日後、1985年(昭和60年)2月27日、田中角栄は脳梗塞に倒れ緊急入院。徐々に政治の表舞台から退場していくことになります。そして1993年(平成5年)12月16日、死去。75歳でした――。

     田中角栄の凄さとはなにか。金権体質を始めとする角栄的なるものを徹底批判して自民党内「反田中」の急先鋒だったのが石原慎太郎です。その石原慎太郎が、仇敵・田中角栄の起伏に富んだ人生を描いたノンフィクション・ノベル『天才』が話題を呼んでいます。出版元の幻冬舎によれば、書き下ろしで2016年1月20日に出版された紙書籍は版を重ね、20万部を突破したとのこと。同時発売の電子書籍も好調で、今年の注目作のひとつとなっています。
     田中角栄を描き、論じた本は多い。そのなかにあって、本書は「俺」――田中角栄自身の視点ですべてが語られていくという、かつてない作品です。石原慎太郎はこれまでにも「他者」を一人称で語る小説を書いていますが(『生還』『再生』、いずれも未電子化)、この一人称の手法を生かして田中角栄という人間に挑んだのが本書『天才』です。田中角栄が何を見て、どう思っていたのか、どうしたかったのかを「俺」という一人称で語ることによって、その語られざる心情を浮かび上がらせることに成功しています。

     こんな一節があります。総理在任中の参議院選挙とそれに続いて問題化した文藝春秋のレポートに関して、角栄はどう考えていたのか。少し長くなりますか、引用します。

    〈それから間もなく行われた参議院選挙には俺としても懸命な梃子入れをして勝利した。その時は党としては未曽有の公認料として一人三千万円を手渡したものだ。それにプラスしてあと一息と思われる候補は俺の事務所に呼んでさらに嵩上げした援助をしてやった。それがどう癇にさわったのか、あの石原が主導して青嵐会の連中が金権政治を唱えて反発してきた。
     我が派の長老の木村武雄たちが怒って彼を告訴し裁判沙汰となった。これは取り消しとなったが、続いてジャーナリストの立花隆と児玉隆也が「文藝春秋」に俺を非難する論文を載せた。
     これには往生させられた。特に児玉の「淋しき越山会の女王」という俺の秘書と愛人を兼ねている佐藤昭のことを暴いた文章は、俺たちのプライバシーに踏み込んだえげつないもので、立花のものよりもこちらの方が世間の耳目を集めることになった。
     揚げ句に我が派の参院議員たちが動揺し、馬鹿なことに彼女を議会の委員会に参考人として呼ぶことに同意してしまったのだ。それが一層の評判になり、俺たちの娘の敦子がリストカットを繰り返し、飛び降り自殺未遂までして、愕然とさせられた。
     それを眺めて、俺は即座に血を分けた子供を救うために総理の座を投げ出すことに決めたのだ。はるか昔、妻との間に出来た長男を僅か五歳で失った時のショックを思い出してもいた。あの後、折節にあの子がまだ生きていたならと何度思ったことだろうか。
     その辛さに比べれば総理の座なんぞ軽いものだと切に思った。それが俺の本性だとわざわざ自分にいい聞かせるまでのことでもなかった。(中略)
     しかし何よりも辛かったのは、同じ屋根の下に暮らしている娘の眞紀子(引用者注:後に衆議院議員、外務大臣)が他の誰よりも辛く俺に当たってきたことだった。結婚して出来た可愛い孫からも俺を遠ざける始末で、家にいてもいたたまれぬ思いだった。〉

     参議院選挙の公認料に一人三千万円を手渡したという。それを批判した石原も登場してくる政治の舞台裏話にも興味はつきませんが、秘書であり愛人であった佐藤昭が生んだ娘・佐藤敦子(引用者注:佐藤あつ子名による著書『昭 田中角栄と生きた女』がある)への思い、同じ屋根の下に暮らす娘・真紀子への思い……人間・角栄の知られざるストーリーが面白い。
     田中角栄には佐藤昭の他にもう一人、愛人がいました。神楽坂の芸者だった辻和子で、三人の子どもをもうけています。石原慎太郎は「俺」に辻家との関わりをこんなふうに語らせています。

    〈俺はまぎれもなく妻を愛した。その間にもうけた娘もいろいろ手こずりながらも愛した。その孫も愛した。その他にもいろいろ関わりながら愛した女たちもあった。佐藤昭と、昔あの懐かしい神楽坂で出会って結ばれた辻和子やその子供たちも。(中略)
     佐藤はあの気性だから俺と離れてもなんとか自分の才覚でやっていけるだろう。しかし辻和子との間には三人の子供がいたのだった。その内の一人、真佐と名づけた女の子は生まれて一年もたたぬうちに亡くなってしまったが、長男の京と次男の祐は立派に育ってくれていた。
     しかし彼等二人の男の子たちには俺に知れぬ彼等なりの苦労があったはずだ。俺はそれをほとんど無視というか知って知らぬふりで通してきた。(中略)
    (母が角栄の二号であることを知って反抗的になった京が)突然アメリカに行って好きな音楽の勉強をするといい出したのでそれは許してやった。しかし結果としてそれが良かったようだ。向こうで一人で暮らしている間に男としての自覚がいろいろ出来たようで、弟の祐に宛てた手紙で、俺と彼等の母親との本当の関わりについて知ったらしい弟を励ましてくれていたそうな。
     彼女からそう知らされて俺は俺なりの期待で京の帰国を心待ちにしていたものだった。だから彼女には彼の帰国が知れたらすぐに報せるようにいっておいた。その連絡を受けて駆けつけた俺を、彼女の家族は総出で玄関で迎えてくれたものだった。家に上がるなり俺は前と様子の変わった京を抱き締め、「お前の祐に宛てた手紙のことをお母さんから聞かされて俺は本当に嬉しかった。お前がそんなに悩んでいたなんて少しも知らなくて、お前には辛く当たったこともあったが、本当にすまなかった。許してくれよ」
     いいながら俺は声に出して泣いていた。彼も俺を抱き締め返し泣いてくれたのだった。
     そんなことをこの今になって思い出して何になるのだろうかとつくづく思う。
     そう思いながらこの今はしきりに彼らに会いたいと思う。思うがとても出来はしない。いま俺の周りには正規の家族以外に誰もいはしない。昔の子分たちも秘書もいはしない。誰もいない。この俺以外には誰もだ。〉

     病に倒れた晩年――かつては千客万来だった目白の屋敷で孤独な日々をおくる角栄の姿が目に浮かびます。
     田中角栄ほど毀誉褒貶の激しかった政治家はいません。参院選に臨む議員に一人3000万円を配ったと堂々と言ってのけ、ロッキードの5億円もあちこち手を尽くして選挙のために用意した300億という金のなかのたったの5億で、佐藤昭がてきぱきさばいたに違いないと、その由来など気にもとめていなかったという角栄。石油メジャーに頼らない独自の資源外交がアメリカという虎の尾を踏んだためにロッキード事件が仕組まれたと信ずる角栄……。
    「反田中」の急先鋒だった石原慎太郎が一人称で描く田中角栄の真実。〝妻の出産直前、留守宅に女性タレントを一泊させたゲス不倫議員〟や〝50万円入りの封筒を内ポケットに入れたとの証言を否定しておきながら、結局辞任した大臣〟は、どう読むのでしょうか。(2016/2/19)
    • 参考になった 4
    投稿日:2016年02月19日
  • 「敵がいない」のではなく、「敵をつくらない」企業へ
    「無敵の経営」とは、向かうところ敵なしの強い経営という意味ではなく、戦わず、敵をつくらず、むしろ取引先、社員、顧客など関係者がみな味方になって、その企業やお店を繁栄させてくれる経営のことである。そのためには、経営者が善意に満ち、人間性に目覚め、「利」よりも「信」を求め続け、ひたすら相手の利益を優先する生き方をする必要がある。本書は、「信」を選んだことで業績が好転した経営者たちの実例も数多く取り上げながら、「敵に勝つ」経営から「無敵の経営」への転換の重要性を優しく説いている。
    書籍ダイジェストサービス「SERENDIP」詳細はこちら
    投稿日:2016年02月19日
  • 一見滑稽に思える行動で結果を出すのはなぜか?
    イタリアでは、予定表や打ち合わせ通りに物事が運ぶことは稀で、不測の事態が起こることのほうが普通である。しかし、それでも結果が出るのはなぜなのか? それは、どんな不測の事態が起こってもイタリア人は諦めずに、最後になんとかする能力があるからだ。計画通りに物事を進める日本人からすると、彼らの行動様式は一見滑稽に思えるかもしれない。だがそこからは、日本人にとっても、日々の仕事が少し楽になるヒントをたくさん見出すことができる。本書は、イタリアと日本でワインと食について執筆活動を行っている著者が、その活動の3分の1をイタリアで行う中で学んだイタリア人の特性や、イタリア流仕事術の特徴などを紹介している。
    書籍ダイジェストサービス「SERENDIP」詳細はこちら
    投稿日:2016年02月19日