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芥川賞・直木賞 受賞作 2017年本屋大賞 三田誠広の小説教室

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  • 日常からただちょっと離れたくなったときに
     どこかに連れていってほしいな、と、ふと浮かび上がるときに読んだら素敵なんじゃないかな、とおすすめする本です。
     それは、連れていってくれる誰かの手のぬくもりがほしいからでもなく、旅行ガイドで観たことのない土地を知りたいからでもなく、日常からただちょっと離れたいだけ、なとき。
     東京の広告代理店を辞め、故郷に戻った青年・カザマが、心の中でドライに描写する、雪深い寂れたダンスホールが自慢の温泉宿の人々と日常。宿の従業員としてカザマが毎朝作る温泉卵。硫黄のにおいを纏わせながら、カザマはアナーキーにその日常を淡々と繰り返す。
     そこに宿泊客として、過去と未来がたびたび混濁する老嬢・ミツコがやってきます。
     ミツコのこともドライに観ているはずのカザマが、ミツコから目が離せなくなる。そして二夜に渡るダンスパーティー。2泊3日くらいの話。
     ミツコが小さく語るブエノスアイレスに、カザマの感情が揺り起こされ、タンゴとして昇華されていく姿は、体が日常にあっても、素敵な場所にいなくても、意識が旅できることを教えてくれる。
     ロマンティックな台詞、華やかな舞台は、この作品では、過ぎ去った記憶、寂れた日常に変換されまくっているのだけれども、読みすすむうちに、自分のなかの日常が、ロマンティックめいた感情や華やいだものに、ひととき、還元されていく作品です。

     私がこの本に出会ったのは、社交ダンスをしていた母のすすめ。
     当時は寂れた温泉宿や、ときにグロテスクな描写に、若い自分が反応してアタマがぐるぐるし、さらに併録の『屋上』の壊れた意識にこころの片隅をさざめかせられ、味わう余裕がまったくなかった。すすめた母も、萩原朔太郎の娘でダンスを愛した萩原葉子さんのエッセイなども愛読していたので、この作品もそんな文脈だろうと思い手に取ったけれど、アナーキーな筆致に予想を裏切られたようだった。けれど、私にすすめたのは、読む前に予想したのとは違っていたけれど面白かったわよ、と。
     ぐるぐるさせられはしたけれど、どこか清々しい読後感だったことは覚えています。
     時は経ち、私の『ブエノスアイレス午前零時』は幾度となく処分の機会にさらされたけれど、これを書くにあたって真っ先に思い浮かんだタイトルだった。本も探してみたら、叙情を排したかのような幾何学模様の美しい装丁の単行本とともに、本棚の奥にあった。
     1998年、第119回芥川賞受賞作品。格差社会や下流老人という言葉もまだ一般的ではなく、リスペクトという言葉も外国語のままだった当時にこの作品が生まれたのは、キャッチーだからでもアンチテーゼがあったからでもない、ピュアな混濁から生まれたと思っている。
     ちょっとどこかにいきたいな。自分の中のカザマが硫黄のにおいを漂わせてきたら、『ブエノスアイレス午前零時』を読んでほしい。記憶の中のきらめきを、ミツコがそっとえぐり出してくれるはず。
    投稿日:2016年05月27日
  •  マインドコントロール下にあった家族が殺し合った北九州監禁殺害事件を覚えていますか。事件の発覚は、2002年3月。凄惨な虐待の末7人の命が失われた――6人が殺害され、1人は傷害致死とされた事件――2011年12月最高裁で松永太被告に死刑、内縁の妻緒方純子被告に無期懲役の判決が下され、確定しています。
     2017年現在、松永被告に対する死刑は執行されていませんが、妻とその家族を監禁状態に置いて虐待を繰り返し、家族同士の殺し合いに追い込み死体処理まで行わせたという、犯罪史上稀に見る凶悪・猟奇殺人事件です。この事件をモデルに、あるいはこの事件に想を得て多くの作品が生み出されてきました。
     電子書籍が配信されている作品だけでも、新堂冬樹の小説『殺し合う家族』(徳間書店、2013年3月22日配信)、真鍋昌平の人気マンガ『闇金ウシジマくん』の「洗脳くん編」(小学館、第26巻・第27巻・第28巻、2013年8月5日~2014年2月24日配信)、真梨幸子の小説『インタビュー・イン・セル 殺人鬼フジコの真実』(徳間書店、2015年10月2日配信)、福岡地裁小倉支部で行われた裁判の大半を傍聴した豊田正義のノンフィクション作品『消された一家―北九州・連続監禁殺人事件―』(新潮社、2014年6月20日配信)がありますが、4月に文庫化されつい最近配信が始まった誉田哲也の渾身作『ケモノの城』(双葉社、2017年6月2日配信)が文庫本ベストセラーランキングの上位に名を連ね、いま話題となっています。

    『ストロベリーナイト』(光文社、2013年3月29日配信)に始まる姫川玲子シリーズで警察機構内部を緻密な描写で描き、もうひとつの人気作「武士道」シリーズ(第一作『武士道シックスティーン』文藝春秋、2013年3月22日配信)で剣道女子の青春を爽やかに、そして熱く描いてみせた誉田哲也が『ケモノの城』で挑んだのは、人間はどこまで人間でなくなることが可能なのかという極北のテーマです。そして北九州小倉で起きた遺体なき大量殺人事件をモデルに、想像力でその“現実”のはるか先まで行く作品世界を築く。であれば、タイトルは『ケモノの城』以外にない――。

    〈人が人を殺す気持ちなんて、それまでは真剣に考えたこともなかった。〉
     誉田哲也の衝撃作は、主人公の辰吾(しんご)のモノローグ(独白)風の述懐で始まります。
    〈むろん男だから、取っ組み合いの喧嘩(けんか)の一つや二つはしたことがある。でも、顔が変形するほどの殴り合いはしたことがなかったし、ましてや刃物や鉄パイプといった凶器は手にしたこともなかった。喧嘩に負ければ、あんちくしょう、くらいは思った。ぶっ殺してやる。その程度の悪態はついたかもしれない。でも決して本気ではなかった。学校で、職場で、血だらけの相手を目の前にして呆然(ぼうぜん〉とする自分。そのイメージは、容易(たやす)く刑務所に収監される自分のそれへと繋(つな)がった。そして溜め息をつき、一人苦笑いするのだ。
     馬鹿馬鹿しい。ほんのいっときの怒りのために、人生を丸ごと棒に振るなんて、あり得ない──。
     そうやってたいていの人間は、殺意なんて現実味のないものはクシャクシャに丸めて、窓から放り投げてしまうのだと思う。ニュースや新聞で知る殺人事件とは、ある特殊な状況が作り出した不幸な偶然であり、日本の全人口からすればその割合はごくごく小さく、非常に限られた、極めて稀(まれ)なケースなのだと思ってきた。実際、それも間違いではないのだろうし、自分はそういったものに関わることなく一生を終えるのだろうと、漠然と考えてきた。〉
     と続けられたあと、次の1行で締めくくられます。
    〈たぶん。あの男と、出会うまでは。〉

     辰吾は東京西部にある町田の自動車修理工場で働く29歳の板金工。少し前から5歳年下、24歳になる聖子(せいこ)と同棲を始めました。2人のアパートがある町田市木曽東は町田駅周辺の繁華街に出るのにバスで20分ほどかかる辺鄙(へんぴ)な住宅街ですが、町田街道沿いにある辰吾が勤める自動車修理工場には自転車で通えるし、聖子が働くファミレスにも近い。架空地名ではなく、実在する地名です。

    「ちょっといく?」同僚の仕事帰りの一杯の誘いを聖子が待っているからと断った辰吾がアパートに戻ったとき、辰吾と聖子だけのはずのダイニングテーブルに男がいる。ずんぐりとした体型。茶色いニット帽をかぶり、茶色いジャンパーを着ている。口の周りを覆った無精ヒゲ。男が黙々と食っているのは、どうやらチャーハンのようだ。握りがオレンジ色のスプーンも、聖子と二人で選んで買ってきた、辰吾がいつも使っているもの……料理好きの聖子とのことを考え考え帰ってきた辰吾には思いもよらない男の出現。しかも小汚い、ホームレスみたいなオッサンだ。どうして部屋に上げるんだ。なんでメシなんか食わしてんだ。これっていわゆる、間男か? そこに帰ってきちゃった俺って、一体──。
    〈涙が出そうだった。怒り、悲しみ、嫉妬、欲望、劣情、殺意、失意、絶望。あらゆるネガティブな感情が腹の底から湧き上がり、口から噴出しそうだった。
     聖子がフライパンをコンロに置き、火を止める。
    「なんか、急にごめんね」
     あたし、この人と暮らすから、とか、そういうことか。
    「うちのお父ちゃん。東京に出てきたっていうから、だったらうちにくればって、連れてきたの」
    「……は?」
     それが、男と辰吾の、出会いだった。〉

     聖子が「実の父」と説明する男が突然現れたこの夜、辰吾と聖子の世界にもはや元には戻れない変化が始まるのですが、辰吾はそのことをまだ知りません。
     一方、7月8日15時12分、若い女性から身柄保護を求める110番通報があって、虐待事件が発覚。警視庁町田警察署の捜査が始まります。
     後に香田麻耶、17歳と判明する通報者の体には長い期間にわたって虐待が繰り返されてきたと思われる跡が歴然と残っていた。
    〈顔や腕に痣が複数あり、よく見ると、サンダルから出ている足の指には爪が一枚もなかった。そればかりか、右足の中指と薬指、左足の親指と中指は火傷を負っており、治療が不完全だったのか半ば癒着してもいた。〉
    〈全身に様々な傷があり、足だけでなく他にも火傷を複数ヶ所負っている。しかも、まだ新しい傷とすでに完治している古い傷とが混在していることから、かなりの長期間、虐待あるいは拷問に近い行為を受けていたものと推察される。栄養状態もかなり悪く、とりあえず点滴を打つということだった。またTシャツとジャージ以外に着衣はなく、ブラジャーやショーツといった下着類は身に着けていなかった・・・・・・〉

     香田麻耶への聴取から、暴行を加えたのは「ヨシオというオジサン」と「アツコさん」、町田市木曽西五丁目のマンション、サンコート町田403号が暴行の現場であることが判明。捜査員がマンションのチャイムを鳴らすと、女の声で応答があり、やがて玄関に女が顔を出した。
    〈このときすでに、麻耶の聴取を担当した女性捜査員は気づいていたという。彼女もまた、暴行を受けていたのだろうと。麻耶と同様の痣が顔面にあり、動作が緩慢で受け答えも鈍い。上衣は男物と思しきワイシャツ、下衣はジーパンだったが、いずれも薄汚れており、髪もしばらくブラシを通していないのだろう、ぼさぼさでみすぼらしかった。最も印象的だったのは、扉に掛けていた手。赤くボロボロに爛(ただ)れ、まるで腐敗しかけた死体のようだったという。
     しかし、それよりも異様だったのは臭いだ。生ゴミが腐ったような臭いと、それを無理やり誤魔化そうとするような刺激臭。その両方をいっぺんに嗅ぎ、捜査員たちは瞬時に鼻呼吸をやめたという。〉

     403号室の内部は異様だった――すべての部屋の出入り口、開口部には南京錠が仕掛けられており、自由に行き来できなくしてあった。窓という窓は暗幕のようなもので覆われ、塞がれていた。そして、浴室は床から壁から浴槽から、一面ルミノール反応で真っ青になった。これだけの血液が付着したのだから、相当量の出血があったことは間違いない。麻耶がいかなる暴行を受けようと、これだけの出血をしたならばすでに命はあるまい。ということは、浴室の壁や床を汚した血は、麻耶以外の誰かのものと考えることができる。しかもその誰かは、すでにこの世のものではない可能性が高い。

     マル被(被疑者)のアツコもマル害(被害者)の香田麻耶も多くを語らなかったが、まず麻耶が児童養護施設に向かう車の中で、急に〈お父さんは、あの二人に殺されました〉と語り始め、次いでアツコも〈香田さんは、私たちが、殺しました──。〉と供述。
     少女に対する虐待、傷害から殺人事件へ――町田署に特別捜査本部が設置され、マル被の取調官を引き継ぐ警視庁捜査第一課殺人犯捜査第二係の統括主任である木和田栄一(きわだ・えいいち)は、それまでの調書と捜査報告書を2時間かけて読み込んで、首を傾げてしまった。なんなんだ、この事件は──。
    〈木和田が気になったのは、浴室の広範囲にわたるルミノール反応だ。
    「浴室のこれからすると、靖之(引用者注:麻耶の父、マンションの借り主)の遺体は、ここで解体された可能性が高いですね」〉

     麻耶、アツコの体に残る火傷の跡が、罰として与えられた通電によるものだったことが徐々に明らかとなっていきます。性器に直接通電することもあったという。
     サンコート町田403号で何があったのか。梅木ヨシオとはなにもので、どこへ消えたのか。辰吾は、聖子の実父とされる男がアパートから近いサンコート町田403号を密かに見張っているところを、さらに夜になってマンションに入っていくところをも目撃します。いったい、なんのために? 辰吾の内部に渦巻く疑念。そして、聞き込みを続ける捜査員が「横内辰吾」の名前を掴んできた・・・・・・。
     一枚一枚ベールを剥がすように、凄惨な遺体なき大量殺人事件の全貌が明かされていくクライマックス。想像を超えた物語の結末――。
     聖子の実父、中本三郎(なかもと・さぶろう)が辰吾に語った言葉が、ずしりと胸に残ります。
    〈愛の大きい小さい、多い少ないは当然あるでしょう。でも完全にゼロというのは、通常は考えられない。考えられないですが、でも現実にはあるんです。いるんです、そういう人間が……それがどういう状態か、お分かりになりますか〉
    〈人間社会というジャングルで、人間を獲物にして、自分だけが生き残ればいいと考えている。そういう奴は確実にいるんです。……奴らは、人間の皮をかぶったケモノです。だが悲しいかな、人間社会がそれを認識していない〉(2017/6/23)
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    投稿日:2017年06月23日