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  • わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か
     仕事上の悩みやトラブルがあると、ふつうは上司に相談するとか、意見を聞きに行きますよね。でも、気の弱い私の場合、「そんなことでいちいち来るな!」なんて追い返されたりすると、その後、なかなか相談に行けなくなってしまうたちなんです。
     とはいえ、自分だけではいよいよ解決できなくなり、なんとか覚悟を決めて再び上司のもとを訪ねると、「そんな大事なこと、なんでもっと早く相談に来なかったんだ!」ってこっぴどく叱られるという──こんな経験、ありませんか?
    「いちいち相談に来るな」と言っていたはずの上司が、「なんで相談に来なかったんだ」と怒り出す理不尽……。著者の平田オリザさんによりますと、こうした二つの矛盾したコマンドが強制されている状態を心理学用語で「ダブルバインド(二重拘束)」といい、そのような環境に長く置かれると、人は「操られ感」や「自分が自分でない感覚」を感じるようになるそうです。

     企業による新卒採用の現場も、完全に「ダブルバインド」の状態に陥っていると、平田さんは指摘しています。多くの日本企業は、就活生に対し、「異なる文化や価値観を持った人にもきちんと自分の主張を伝え、説得し、そして妥協点を見出せる」異文化理解能力を期待する一方、「上司の意図を察して機敏に行動する」「会議の空気を読んで反対意見は言わない」という同調圧力も、同時に要求しているからです。平田さんはいいます。
    「何より始末に悪いのは、ふたつのコミュニケーション能力を求めている企業側が、その矛盾に気がついていない点です」

     ダブルバインドは、何も企業内に限られた話ではありません。
     わが子に対して「身体だけ丈夫ならいい」と言っておきながら、差し出された通信簿を見て、つい「なんだ、この成績は!?」と怒ってしまったことはありませんか。妻から「夕飯、何がいい?」と聞かれ、「何でもいい」と答えておきながら、(帰宅後、お昼に外で食べたものと同じ料理が出てきて)つい不機嫌になってしまったこととか……。家庭内でもダブルバインドは十分起こりうるわけで、親と子どもだけでなく、夫と妻も、あるいは冒頭の理不尽エピソードでいえば上司も部下も、これからは「わかりあう」「話が通じる」ことに重点を置くのではなく、そもそも「わかりあえない」「話が通じない」ことを前提に、コミュニケーションについて考えるべきではないか。なによりも、こうした「ダブルバインド」の状況が社会全体を覆っているがために、いまの日本の内向きな雰囲気やイヤ~な閉塞感につながっているのではないか―。劇作家として、教育者として、平田さんがかねて抱いていた疑問をもとに、本書は書き進められています。

     そんな中、生来、口数が少なく、口べたなことをコンプレックスとして感じ続け、ざっくばらんな酒席以外の場では「コミュ障(コミュニケーション障害)」を自覚している私にとって、ずいぶんと気持ちが楽になった箇所が本書にはありましたので、以下、ご紹介いたします。

    〈日本では、コミュニケーション能力を先天的で決定的な個人の資質、あるいは本人の努力など、人格にかかわる深刻なものと捉える傾向があり、それが問題を無用に複雑化していると私は感じている。世間でコミュニケーション能力と呼ばれるものの大半は、スキルやマナーの問題と捉えて解決できる。だとすればそれは、教育可能な事柄となる。そう考えていけば、「理科の苦手な子」「音楽の苦手な子」と同じレベルで、「コミュニケーションの苦手な子」という捉え方もできるはずだ〉

     要するに、理科の授業が多少苦手だからといって、その子の人格に問題があるとは誰も思わないように、もしくは、音楽が多少苦手な子なら、きちんとした指導を受ければカスタネットをリズムよく叩け、縦笛もちゃんと吹けるようになるように、コミュニケーション教育もまた、同様だというのです。

    〈口べたな子どもが、人格に問題があるわけでもない。だから、そういう子どもは、あと少しだけ、はっきりとモノが言えるようにしてあげればいい。コミュニケーション教育に、過度な期待をしてはならない。その程度のものだ。その程度のものであることが重要だ〉

     いかがでしょう? 40歳前の私がいまさら教育を受け直すことはかないませんが、少なくとも、「難しいもの」「自分には無理」と捉えていたコミュニケーション能力に対する懼れが、うすまるのではないでしょうか。

     最後に、念のため申し添えますと、この『わかりあえないことから』を読んでも、ロジカル・シンキングやクリティカル・シンキングといったものは身につきませんし、グローバル・コミュニケーションスキルを磨くこともできません。

     しかし、従来のいわゆる自己啓発本とは異なる、コミュニケーションの本質を根本から問い直した本書は、「いま、本当に必要なこと」が知りえる必読の一冊です。

    (2015.03.01)
    投稿日:2016年02月24日
  •  最後はなぜかうまくいくイタリア人――では、われら日本人はどうなのだろう?
     過去30年にわたってイタリア人と濃密な時間を共有してきた日本人が、それこそボコボコにされながら身につけた、イタリア式生き方の知恵を凝縮した一冊――『最後はなぜかうまくいくイタリア人』(日本経済新聞出版、2015年10月30日配信)が、「イタリア人ってどうなっているの?」とか「これでいいのか、日本人」などの身近な疑問から「最高の人生とは?」といった“哲学的”問題まで、ワイワイ、ガヤガヤ…いつでもどこでも愉しげなイタリア人、その対極にいるかのような日本人を独特のセンスで論じていて、面白い。

     著者の宮嶋勲さんは、1959年生まれ。京都出身、22歳まではイタリアとはまったく縁がなかったそうですが、東京大学経済学部卒業後、1983年から1989年までローマの新聞社に勤務。以来30年にわたってイタリアと仕事をし、現在は、ワインと食についての執筆活動を中心に1年の3分の2を日本で、3分の1をイタリアで過ごすという、日伊の架け橋的存在です。2014年、イタリア文化への貢献に対し、“イタリアの星勲章”コンメンダトーレ章をイタリア大統領より授与されています。

     その宮嶋さんが描く「最後はなぜかうまくいくイタリア人」の性(さが)は、「おや、まあ、へー」の連続で、われら日本人にはとうてい真似できない(でも、ちょっといいな、うらやましいなと内心思ったりする)スローな流儀です。目次はさながら、イタリア流生活の知恵を集めた格言集です。〈仕事は「労働」ではなく、「人生」である〉とフツーに考えているのがイタリア人ですから、仕事に生かせる知恵もたっぷり並んでいます。特に目についた“格言”を以下に列記します。
    ・アポの時間は、努力目標と考える。
    ・いつでも仕事し、いつでもサボる。
    ・いつでも重視すべきは、“成り行き”。
    ・役割にこだわらず、「なんでも屋」になる。
    ・人生――好きなことだけ楽しみ、嫌いなことは先延ばす。
    ・有意義な一日は、「脱線」により生まれる。
    ・目標達成ではなく、その過程を楽しむ。
    ・短所は直さない、長所は大事にする。

     日本で「成り行き任せ」といえば、圧倒的に負のイメージです。例えば「デジタル大辞泉」(小学館:ジャパンナレッジ収載)には〈成(り)行き任せでは自分に合う仕事は見つからない〉と、「成り行き任せになどしていたら、人生大失敗だぞ」「もっとしっかりしなきゃダメじゃないか」と叱られているような用例が載っているほどです。
     しかし所変わってイタリアでは、価値は大逆転――“成り行き”が大事にされ、成功の秘訣になります。イタリア流の“成り行き”の考え方を、宮嶋さんはこんなふうに説明しています。

    〈イタリア人は先の計画を立てることが苦手である。とくに24時間以上先の予定は立てたがらない。いまを生きること、精一杯楽しむことに夢中になるタイプなので、その事案が終わるまでは、先のことを考える精神的余裕がないのかもしれない。
     もちろん仕事だと予定なしというわけにはいかないので予定は立てるのだが、可能な限り曖昧さを保とうとする。「明後日の10時に打ち合わせをしましょう」という代わりに、「明後日の午前中に会いましょう」という範囲にとどめておきたがるのである。
     どうせすぐに時間を決めなければならないのだから、最初からさっさと決めておけば二度手間にならなくて済むと私などは考えるのだが、どうも直前までフリーハンドでいたいらしい。日本人的几帳面(きちょうめん)さに縛られている私はどうしても落ち着かなくて、「何時にするの?」としつこくプレッシャーをかけて嫌がられている。そんなときのイタリア人の答えはいつも、「Vediamo(様子を見よう)」である。とことん縛られるのが嫌なようだ。〉

     そんなイタリア人がビジネスで日本に来ると、対応する日本人との間で生じるギャップは半端ではない。著者が実際に参加したワイン生産者と一緒に、彼/彼女が造るワインを飲みながら食事を楽しむ「ワインメーカーズ・ディナー」と呼ばれるイベントの例ですが、日本側は開場から締めの挨拶まで、どのタイミングで、誰が、何を行うか、綿密な分刻みのスケジュールを用意して打合せに臨みます。
     ――しかしその打合せの間、イタリア人のワイン生産者たちは真剣に聞いているふりはしているものの、心ここにあらずといった様子が見え見えだという。イタリア人の考え方の根っこにあるのは、「お客様が遅れるかもしれないし、どんな雰囲気になるかわからないのに、細かいことを決めても意味がない」というものなのだ。
     宮嶋さんが続けます。

    〈イタリアのように、不確定要素が常に破格に多い社会に暮らしていると、緻密(ちみつ)な計画を立てることはあまり意味がない。開始時刻にしても、そもそもイタリアでは、ほとんどの場合何時に始まるかわからないのである。だから、すべてはその場で対応していくしかない。「お客様が全然集まっていない。これだと30分は開始が遅れる。その間はアペリティフタイムにして、私たちが適当に話をしておきます。終了時刻を遅らせることはできないので、最初のあいさつは短くしましょう」といった具合である。
     子どものころから常にこのような予想不可能状況の中で生きてきたイタリア人は、その場で臨機応変に対応する能力には抜群に優れている。イタリアでは前もって準備してもあまり意味がないし、それよりも、白紙状態でいて、その場その場で対応するほうが賢明なのだ。〉

     そのようなトレーニングをあまり積んでいない日本人は、臨機応変対応能力ではイタリア人に劣るので、イタリア社会では出遅れがちになる。だから逆に、「こんな予定も立てられないような国はダメだ」と怒り、自分を慰めるしかないことが多い――宮嶋さんはこう、日本人を観察するのですが、目標(計画)と過程(脱線)についても、イタリア人と日本人の間には大きなギャップがあり、しかもそれはどうやら“成り行き”の問題と同根らしい。なにしろ、第2章の扉にもあるように、「好きなことだけを楽しみ、嫌いなことは先延ばす」ことを“最高の人生哲学”だと考えているイタリア人です。計画(予定)度外視の「寄り道」をイタリア人ほど好きな人はいません。それに対して、われら日本人は物心つく頃から、「寄り道をしてはいけません」と言われ続けて育ちます。

     毎年8月の初めに、その年のワインの最終評価を決める重要な試飲会が、4日間にわたってトスカーナで開かれます。著者がイタリア人の友人Aと二人で、その試飲会の前日、トスカーナに向かうときのエピソードです。著者と友人Aがローマを車で出発したのは昼の12時。前日の夜は試飲会参加メンバーが集まって夕食を共にしながら打合せをすることになっており、二人は11時にローマを発つ予定だったが、当日の朝、友人Aが妻とちょっとしたことで喧嘩となり、1時間遅れての出発となった。
     それでもAは「道中ゆっくり昼食をとっても18時にはホテルに着くから、20時の夕食にはまったく問題なく間に合う」と言い訳。「それならどうして初めから12時出発としなかったのか」と突っ込みたくなるのを我慢して笑顔でローマを後にしたのですが、それからが計画、予定の変更で大変なことになります。まず海水浴客による渋滞に巻き込まれ、13時半ころになると、美味しいレストランを探そうとAが言い出す。一度レストランに座ったら、最低2時間かかるのがイタリアだ。グルメの旅ではなく、トスカーナに夕食前に着くことが、目的なのだからバルで軽く済まそうと主張するが、Aは「レストランの主人に軽くしてもらうように頼むから大丈夫」と譲らない。
     結局、前菜、プリモ、メインと3皿、しっかり食べて店を出たのが、15時半過ぎ。まっすぐトスカーナに向かったところで、時間的には厳しいところですが、あろうことかAは、「いま飲んだワインの生産者が近くにいる。寄っていこう。直売もある」と言い出した。議論をしてもしょうがないので、ワイナリーに立ち寄ることに。新しいワイナリーを発見したことはうれしいし、意味ある寄り道だが、ワイナリーを出たのはもう17時近かった。日頃慎重な運転をするAが猛スピードで突っ走り、結局40分遅れで目的地に着いた。イタリア人の常で、他のメンバーも予想通り遅れてきたので、結局は遅刻にもならなかった。これがイタリアなのだ。

    〈・・・・・・考えてみれば、最後は焦ったし、無謀な運転で怖い思いもしたが、おかげで新しいレストランを知ったし、美味しいランチを楽しんだ。興味深いワイナリーも発見したし、これは職業的にも有益であった。相次いだ寄り道、脱線のおかげで、ある意味とても有意義な一日だったのだ。〉

     脱線し寄り道をするからこそ、有意義な一日、そして人生があると信じるイタリア人。そういえば、マルチェッロ・マストロヤンニ、ソフィア・ローレン主演の「ひまわり」――地平線にまで及ぶ一面のひまわりが映し出されたエンディングが鮮烈な印象を残した名画(1970年公開)ですが、マストロヤンニ演ずる出征兵士アントニオは終戦後もソ連の地に留まり、帰りを待ちわびるソフィア・ローレン(妻ジョヴァンナ)のことをさっぱり忘れて、いまここにある幸せを謳歌してしまう。ここにイタリア人の典型的な寄り道気質を見たと著者は綴り、日本人との違いをこう結びます。

    〈日本では、子どものころから脱線や寄り道はよくないことだと教えられて育つ。小学校でもすこしでもわき道に逸れる生徒がいると、「いまは何をする時間ですか?」と本来の道に戻るよう先生に叱られたものだ。下校時には先生が「寄り道をしないで、まっすぐ家に帰りなさい」とプレッシャーをかけた。下校時の寄り道ほど楽しい経験はないにもかかわらずだ。
     その結果私たちは、目的遂行能力は高いが、その過程を楽しむことができない、というよりも、それを楽しむことに罪の意識を持つようになってしまったような気がする。
     本来の目的を忘れて寄り道に熱中する。しばしばそこから非常に面白い経験や発想が生まれる。イタリア人は、事務遂行能力は低いが、発想とアイデアは抜群だと讃えられる。そのような卓越した思い付きは、彼らの得意技である寄り道や脱線から生まれているのかもしれない。〉

     ファッションは言うに及ばず、革製品でも家具、車でも、オリジナリティに満ち満ちた一級品を生み出すイタリア人の秘密。1979年のウオークマン以降、真に独創的な製品を世界に発信することなく輝きを失って久しい日本のなぜ? 大好きなイタリアとわが日本――それぞれの光と影を、愛情たっぷりに鳥瞰した好著です。(2017/2/10)
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    投稿日:2017年02月10日