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  • 鞄の中身
     たぶん吉行氏の著書は、小説、随筆、対談集、コラムの類いに至るまですべて読破してきたと思います。読み始めたのは‘60年代後半、大学入学後まもなくでした。作品の主題の多くは「大人の男女」のアレヤコレヤ、しかも「性」を取り扱ったもの。20歳前の若輩が、よくもまあ、これら大人びた本を読もうとしたものだ、と、65歳にもなった今の自分は、昔のことがとてつもなく恥ずかしい。がしかし、妙に懐かしいのです。

     そんな学生時代の読書歴を経て、講談社に入社して数年後に自社から刊行された短編集『鞄の中身』は、それを読了した時の自分の感懐までもよく覚えています。

     今は、同タイトルで講談社文芸文庫に収められていますが、実は最初の単行本とは内容が若干異なっています。『鞄の中身』より以前に出た別の短編集とシャッフルされて、ラインアップの違う作品集に。現在手に入るのは文芸文庫版だと思うので、そちらに沿って内容を紹介します。
    (電子書籍でも読めます。)

     表題作『鞄の中身』は、作中の“私”が、自分の死体を鞄に詰め込んで街中をさまよう、という悪夢を綴ったもの。また、『風呂焚く男』は、自分の“過去”を払拭しようと、下着の山を薪がわりにして苦闘する男の話。『子供の領分』では、仲のよい少年同士に潜む残酷な、しかし切ない“悪意”を描きだしています。

     そのほか、今は空き家になっている家に、飼っていた猫だけがひっそりと暮らしている話(『家屋について』)や、口説きそこなった女性のことを、十数年後に突然思い出し、あのとき分からなかったそのひとの心の傷に思い至る話(『廃墟の眺め』)、大人の秘め事に翻弄された子供時代が、口ずさんだ童謡とともに鮮やかによみがえる話(『白い半靴』)、等々。

     吉行氏は、20年ほど前に鬼籍に入られました。その文学については、我が社でかつて大活躍され、氏と親交も深かった先輩編集者の方々を差し置いて、偉そうに語る資格が私にあるとは到底思えません。

     しかしこのような、日常の些事を切り取った、しかも奇妙な味わいの小説に、20代の若造がどうして惹かれたのか。そのことなら、今の私は説明がつきます。だから、それについてのみ、書かせてもらいます。

     いわゆる団塊世代に属する私は、学生時代、荒れたキャンパスの中にいました。と言っても、積極的に“闘争”に参加する同輩には背を向けて、一貫して、頑なに“軟派学生”でした。(そういう意気込み自体が、実はほんものの“軟派”とは程遠い、ただのカッコツケなんですが。)大昔のことゆえ遠慮なく言わせてもらえば、とにかく、潤んだ目付きで遠くを見遣りながら、声高に、平和や愛や、タタカイについて語る彼らのことを、本気で嫌悪しました。「人々のために」と言いながら、その上目遣いの、ねっとりした眼差しに潜んでいる「自己愛」の強さに辟易しました。あくまで個人的な、偏った感情ですが。

     なぜ、そんな思いに駆られたのかは面映ゆいので省略します。しかし、吉行氏の作品に出会った時、「大きな声で語られることより、もっと大切なことは日常の小声の中にある」というようなことに思い至り、以来、片っぱしから、その作品の数々に耽溺しました。それらは騒々しい周りの大声を、完璧に遮断してくれました。社会人になってからも読み続け、今の私の、精神の(大袈裟ですね!)骨格部分を形成してくれたようにも思います。

     編集者生活を長年やってきましたが、偉そうに言わせてもらえば「読者の心の中の、芥子粒のようなディテールも見逃さないこと」は、実はとても大切なわけで、その意味でも、氏の作品群は、私の唯一絶対の、座右の書です。

    (2014.04.15)
    投稿日:2016年02月24日
  •  2011年の文庫刊行から5年たった昨年夏、突然売れ出した本がある。ちくま文庫の『とりつくしま』、著者は歌人・作家の東直子さんです。日経新聞(1月4日付け朝刊)によれば、昨年8月までの5年間で約1万部だったのが、11月には累計11万部を突破。3か月で10万部増刷は異例ですが、突如売れ始めたのには理由がありました。9月に付け替えた新しいオビが起爆剤となったのだ。
     オビにいったい何が書かれているのでしょうか。
     最初に目につくのは、オビの右半分のスペースを占めるピンクがかった赤い円のなかにある「大好きな人に今すぐ会いたくなる本 NO.1!」のコピー。活字ではなく、ごく普通の手書き文字です。その下に「読後、最初に思い浮かんだ顔があなたの一番大切な人です」とあります。なんだか胸に刺さって気になる殺し文句だ。そして裏表紙側には再び手作り感のある手書き文字で「やさしさに包まれながら号泣していました」と大きくあります。「とりつくしま」というタイトルだけでは本の内容がなかなか読者に伝わらなかったのですが、それを明確に伝えるコピーの入った白地のオビが同じ白色地に妖精が飛ぶカバーデザインにマッチして、派手な色合いが多い平台の中にあってシンプルな色使いでかえって目立っていました。
     わたしも、このオビに引き込まれて本書をその場で購入した一人です。”オビ買い”した本ですが、持ち帰って中を開いたら、もうとまりません。一晩、一気読みでした。

    「とりつくしま」って、なんだろう? 辞書には「取(と)り付(つ)く島」と書き、その意味は「頼りとしてすがるところ。取り付き所。多く、あとに打消しの表現を伴って用いる」とあり、使い方の例として「つっけんどんで―もない」があげられています。以上は、「ジャパンナレッジ」収載の「デジタル大辞泉」(小学館)から引きましたが、補説として〈文化庁が発表した平成24年度「国語に関する世論調査」では、本来の言い方とされる「取り付く島がない」を使う人が47.8パーセント、本来の言い方ではない「取り付く暇(ひま)がない」を使う人が41.6パーセントという結果が出ている〉とありますから、「とりつくしま」は現代では日常的に使う人がどんどん減ってきている「絶滅危惧語」になっているのかもしれません。その言葉をあえて書名として用いた東直子さんは、その意味するところをこんな風に描きます。〈ざわざわしている。まわりがよく見えない。でも、まわりにたくさん、いる。なにかいる。とても、いる。ざわざわしている。〉という書き出しで始まる巻頭収録の「ロージン」から引用します。

    〈私は、身体のなくなった「自分」を、空気にそよがせて、ざわざわから遠く離れようとした。
     とたん、なにかにつかまった。
     「ちょっと待ってください」
     「とりしまり」の文字が見えた。しまった、とりしまられたの、私。
     まあいいや。もう、こわいものはなにもないはず。
     「私は、なにをとりしまられるんでしょうか」挑むように訊いた。
     「とりしまるって、あなた、これをよく読んでくださいよ」
     白いてのひらが、ひらひらと文字の前で揺れた。文字をよく読むと、こう書いてあった。
     『とりつくしま係』。
     「あら。とりしまり係じゃなかったの。でも、とりつくしま係?」
     「そうです、私はとりつくしま係」
     とりつくしま係は、のっぺりとした白い顔に黒い穴を薄く開きながら、そう答えた。
     「私は、とりつくしまの希望を聞いてあげているのです。あなた、とりつくしまを探しているでしょう?」
     「とりつくしま?」
     「そう、とりつくしま。私は“係”ですから、一目で、とりつくしまを探している人が分かります。あなたは、とりつくものを探している気配をおおいに出しています。あなたが、その気配を出しているうちは、この世にあるなにかのモノにとりつくことができるのです」
     「この世のモノ?」
     「そう、なんでもいいんですよ。思いついたモノを言ってごらんなさい。モノになって、もう一度、この世を体験することができるのです。あなたは、それを望んでいるはずです。ただし、生きているモノはダメですよ。生きているモノには魂の先住民がいますからね。まあ、無理にとは言いませんが」
     とりつくしま係は、話し終えると、穴を閉じた。〉

     治らない病気で40代で人生を終えた母親は〈もし、「とりつくしま」があるなら・・・・・・陽一のそばに、もう少しだけいてやりたい。見守ってあげたい。まだ、十四歳なんだから〉と思って、野球の投手が使うロージンを「とりつくしま」に選びます。ロージンバッグの中の白い粉。消耗品です。中身が半分以上飛び散ったら、「とりつくしま」ではなくなってしまいます。その瞬間、この世から完全に消えてしまうのだ。二度と何かにとりつくことはできない。ほんの少しだけ、そう中学校最後の軟式野球の公式戦を見届けられるくらいに、一緒にいられれば――14歳の一人息子を残して逝った母の想いが胸に響きます。

    「陽一 ロージン 軟式野球 公式戦」の文字が光に透けて見える半透明の契約書にゆっくり息を吹きかけながら、小さくなっていくのを感じていた「私」。気がついたら炎天下の土の上にいた。指が迫ってきた。
    〈あっ、と思った次の瞬間、陽一のてのひらの上にいた。陽一が、もう一つのてのひらを重ねてきた。
     ぽんぽん。
     私は、空気に少し飛び散った。〉

     こうして始まった「私」と息子の夏の一日。リードして迎えた最終回、ツーアウト満塁。打たれたらサヨナラ負けの場面で強打者を迎えて「私」を手にとった息子が、気持ちを集中するように目を閉じて、勢いよく「私」をてのひらに打ちつけた、その瞬間、「私」は思いきり空中にはじけて、夏の一日は突然終わるのです。

    〈夏空の光の向こうに、ゆくね。〉

     ゆっくりと心に染み入ってくるようなラストの一行。著者は文庫版あとがきに〈ほとんどの話を、ラストシーンの一言を思いついてから書きはじめました。最後の言葉は、書く、というより最初に自分の胸に、響いた、のです。〉と綴っています。
     東直子さんがラストシーンの一言を思いついて紡がれた11の物語の、11の「とりつくしま」。「ピッチャーの息子を見守るため、ロージンバッグの中の白い粉になった母」に続く10の「とりつくしま」は以下のとおりです。
    ・夫のお気に入り、トリケラトプスのイラスト入りのマグカップになった妻
    ・いつも遊んでいた大好きな、青いジャングルジムになった男の子
    ・高校生の時に始めて出会って以来、敬愛する書道の先生の白檀の扇子になった女性
    ・ひそかに見ていた図書館司書の名札になった老人
    ・殺したいほど憎いと思ったときもあった。でも、愛してた。だから母の補聴器になった娘
    ・濃い青いインクで妻が綴る日記になった夫
    ・最後の大きな買い物だったマッサージ器になった父親
    ・憧れの先輩とつき合っている先輩女生徒のリップクリームになった少女
    ・孫にねだられた中古のカメラになった祖母
    ・髪の毛を一本、裏庭のびわの樹の下に埋めて欲しいという一人娘

     水彩画のような、透明感の漂うラストの一行で終わる11の美しい物語。一瞬の情景に永遠の想いを詠むのが短歌だとすれば、東直子さんが紡いだ11編の物語もまた、人の永遠の想いを詠んだ”歌”なのだ。
     文庫版が刊行されたのは3.11(東日本大震災)から2か月たった2011年5月。電子書籍版の配信が始まったのが2013年5月10日。昨年9月にオビの新装がなって俄に動きだし、増刷を重ねるロングセラーとなりました。オビ買いした私は一晩で一気読みしたと書きましたが、じつはすごくもったいない読み方をしてしまったとの後悔の気持ちが残りました。年末から正月休みを通して、今度は電子書籍版を――一夜一話、11人の想いに寄り添うようにして、ゆっくり再読しました。そして人知れず家族や近しい人に思いを馳せました。大切な人に再会した死者たちの気持――どんなことを呼びかけたいと願うのかを歌人作家が一人称で描いた短編集。せつなく、いま最も胸に響く11の物語です。(2017/1/13)
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    投稿日:2017年01月13日
  • 絶対に平日の夜から読み始めてはいけない
    貴志祐介作品の中でオススメはと聞かれると、ミステリー系では『青の炎』一択ですが、ホラー系では『黒い家』と甲乙つけがたいのが本作です。『黒い家』がサイコ・ホラーの一大傑作ならば、本作『クリムゾンの迷宮』はサスペンス・ホラーの金字塔として推したいと思います。
    ひとつ注意を。絶対に、平日の夜から読み始めないでください。途中で止められなくなって、翌日は確実に睡眠不足になります。
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    投稿日:2017年01月17日