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  • 週別日別

  • 日常からただちょっと離れたくなったときに
     どこかに連れていってほしいな、と、ふと浮かび上がるときに読んだら素敵なんじゃないかな、とおすすめする本です。
     それは、連れていってくれる誰かの手のぬくもりがほしいからでもなく、旅行ガイドで観たことのない土地を知りたいからでもなく、日常からただちょっと離れたいだけ、なとき。
     東京の広告代理店を辞め、故郷に戻った青年・カザマが、心の中でドライに描写する、雪深い寂れたダンスホールが自慢の温泉宿の人々と日常。宿の従業員としてカザマが毎朝作る温泉卵。硫黄のにおいを纏わせながら、カザマはアナーキーにその日常を淡々と繰り返す。
     そこに宿泊客として、過去と未来がたびたび混濁する老嬢・ミツコがやってきます。
     ミツコのこともドライに観ているはずのカザマが、ミツコから目が離せなくなる。そして二夜に渡るダンスパーティー。2泊3日くらいの話。
     ミツコが小さく語るブエノスアイレスに、カザマの感情が揺り起こされ、タンゴとして昇華されていく姿は、体が日常にあっても、素敵な場所にいなくても、意識が旅できることを教えてくれる。
     ロマンティックな台詞、華やかな舞台は、この作品では、過ぎ去った記憶、寂れた日常に変換されまくっているのだけれども、読みすすむうちに、自分のなかの日常が、ロマンティックめいた感情や華やいだものに、ひととき、還元されていく作品です。

     私がこの本に出会ったのは、社交ダンスをしていた母のすすめ。
     当時は寂れた温泉宿や、ときにグロテスクな描写に、若い自分が反応してアタマがぐるぐるし、さらに併録の『屋上』の壊れた意識にこころの片隅をさざめかせられ、味わう余裕がまったくなかった。すすめた母も、萩原朔太郎の娘でダンスを愛した萩原葉子さんのエッセイなども愛読していたので、この作品もそんな文脈だろうと思い手に取ったけれど、アナーキーな筆致に予想を裏切られたようだった。けれど、私にすすめたのは、読む前に予想したのとは違っていたけれど面白かったわよ、と。
     ぐるぐるさせられはしたけれど、どこか清々しい読後感だったことは覚えています。
     時は経ち、私の『ブエノスアイレス午前零時』は幾度となく処分の機会にさらされたけれど、これを書くにあたって真っ先に思い浮かんだタイトルだった。本も探してみたら、叙情を排したかのような幾何学模様の美しい装丁の単行本とともに、本棚の奥にあった。
     1998年、第119回芥川賞受賞作品。格差社会や下流老人という言葉もまだ一般的ではなく、リスペクトという言葉も外国語のままだった当時にこの作品が生まれたのは、キャッチーだからでもアンチテーゼがあったからでもない、ピュアな混濁から生まれたと思っている。
     ちょっとどこかにいきたいな。自分の中のカザマが硫黄のにおいを漂わせてきたら、『ブエノスアイレス午前零時』を読んでほしい。記憶の中のきらめきを、ミツコがそっとえぐり出してくれるはず。
    投稿日:2016年05月27日
  •  2月初旬、東京都文京区の小日向台地を歩いた。小石川生まれの永井荷風が『日和下駄 一名 東京散策記』(講談社文芸文庫、2013年11月22日配信)で「茗荷谷の小径」と呼んだ崖下の道(現在はその頭上を高架となった地下鉄が走っています)から切支丹坂を登っていくと、静かな住宅街の一角にひっそりと立つ、小さな石碑がある。
    「都旧跡 切支丹屋敷跡」
     と刻まれた石碑の後ろに立つパネルに、「正保三年(1646年)に宗門改役井上筑後守政重下屋敷に建てられた転びバテレンの収容所」があった場所であることが説明されています。

     とぼとぼと老宣教師ののぼりくる
     春の暮れがたの切支丹坂

     明治後期から昭和前期にかけての歌人・金子薫園が切支丹坂を詠んだ一首です。坂上の切支丹屋敷最初の入牢者となったのは、シチリア生まれのイタリア人、ジュゼッペ・キアラ神父。岡本三右衛門の名と妻を与えられ、貞亨2年(1685年)、84歳で没するまで切支丹屋敷で幽閉生活をおくった。

     遠藤周作は、このジュゼッペ・キアラ神父をモデルに『沈黙』(新潮文庫、2014年6月20日配信)を書いた。アカデミー賞受賞のマーティン・スコセッシ監督により映画化。2017年1月21日に公開され、文庫本が書店に平積みされる話題作となっていますが、そもそも、この作品が刊行されたのは1966年(昭和41年)。箱入りのハードカバーで、書き下ろしだったと記憶していますが、15年たった1981年(昭和56年)に文庫化され、以来版を重ね続け2月中旬書店に並ぶ本の奥付には2017年(平成29年)1月30日63刷とありました。1月末に購入、いま私の手元にある本は1月20日62刷ですから、どんどん重版されている様子がうかがえます。遠藤周作没後20年余りたった今も、『沈黙』は生きて、読み継がれているのです。
     そういえば、切支丹屋敷跡周辺を歩いた時、映画人気の影響でしょうか、崖の多い小日向台、小石川台を“ブラタモリ”する幾人もの男女と出会いました。台湾から来たというファミリーもいました。

     小日向の切支丹屋敷で40年近くを過ごしたギアラ神父はシチリア出身でしたが、遠藤周作は、出身地をポルトガルに置き換えた主人公、セバスチャン・ロドリゴ司祭があえて選択した過酷な人生――キリシタン禁制下の長崎に潜入、日本人信徒に加えられる拷問、そして悲惨な殉教に「神はなぜ、沈黙するのか」と苦悩しつつ、ついに捕らえられて江戸に幽閉された“棄教伴天連(バテレン)”の凄絶な人生を描ききった。

     物語の終盤、ロドリゴが江戸移送を言い渡されるシーン――。
     市民に対する踏絵が始まる正月4日、風はないが空はどんよりと曇り、寒さもかなりきびしい日だった。突然の呼び出しを受けたロドリゴは通辞が運ばせてきた駕籠(かご)で奉行所へ。鉄の手あぶり一つ置いた座敷に、井上筑後守は端坐(たんざ)していた。跫音(あしおと)をきくと、耳の大きな顔をむけて司祭をじっと見つめた。頬と唇のあたりに微笑がうかんだが、眼は少しも笑ってはいなかった。

    〈「めでたいの」と筑後守はしずかに言った。
     転んでから、彼が奉行に対面するのは始めてだった。しかし、今の彼にはこの男にもう屈辱感を感じなかった。自分が闘ったのは筑後守を中心とする日本人ではなかった。自分が闘ったのは自分自身の信仰にたいしてだったと次第にわかってきたのだ。しかし、そのことを筑後守は決して理解はしないだろう。
    「久しぶりであったな」手あぶりに両手をさしのべ筑後守はうなずくと、「すっかり長崎になじまれたであろうが」
     奉行は司祭に、なにか不自由なものはないか、不自由なものがあれば遠慮なく奉行所に申し出るがいいとも言った。奉行が、自分が転んだことを話題にしないように努めているのがよくわかる。それが思いやりからなのか、それとも勝者の自信から出ているのか、伏せた眼を時々あげて司祭は相手の顔を窺(うかが)う。だが表情のない老人の顔からは何もわからない。
    「一カ月たてば江戸に参り、住まうがよい。パードレ(引用者注:神父、司祭)のため邸も用意してある。もと余が住んでいた小日向(こびなた)町の邸(やしき)だが」
     筑後守は意識してか、パードレという言葉を使ったが、この言葉は司祭の皮膚を鋭く刺した。
    「それにな、日本に生涯おられる以上、今後日本名を名のられるがよかろう。幸い、死んだ男で岡田三右衛門(おかださんえもん)と申すものがあった。江戸に来られたら、そのままこの名をつけるがよい」
     この言葉も奉行は手あぶりの上で両手をこすりながら一気に言った。
    「死んだその男には女房がある。パードレもいつまでも一人では不便であろうゆえ、その女房をもらわれるかな」
     司祭はこれらの言葉をうつむいて聞いていた。まぶたの裏に傾斜が想(おも)いうかぶ。その傾斜を今、自分はどこまでも滑っていく。反抗しても断っても、もう駄目である。日本人の名を名のるのはともかく、その妻をめとらされるとは思ってもいなかった。
    「どうかな」
    「よろしゅうございます」〉

     ロドリゴ改め、岡田三右衛門。日本名と妻を与えられて江戸の切支丹屋敷で生涯を終えることになるロドリゴが、フランシス・ガルペとホアンテ・サンタ・マルタとともにインド艦隊に乗りこみ、日本を目指してポルトガルのタヨ河口から出発したのは1638年3月25日。神学校で机を並べた3人の若い司祭たちは、なぜ過酷な弾圧政策をとる日本への潜入を企てるに至ったのか。

    〈ローマ教会に一つの報告がもたらされた。ポルトガルのイエズス会が日本に派遣していたクリストヴァン・フェレイラ教父が長崎で「穴吊(あなづ)り」の拷問(ごうもん)をうけ、棄教を誓ったというのである。この教父は日本にいること二十数年、地区長という最高の重職にあり、司祭と信徒を統率してきた長老である。〉

     遠藤周作は、『沈黙』をこう書き始めています。
     迫害下に潜伏しながら、次々と逮捕され処刑されてゆく信徒や仲間の司祭たちの模様を克明に書き送ってきていたフェレイラ教父が教会を裏切るはずがない、報告は異教徒のオランダ人か日本人が作ったものか、誤報と考える者が多かった。ロドリゴたち3人も、自分たちの恩師だったフェレイラが華々しい殉教をとげたのならばともかく、異教徒の前に犬のように屈従したとはどうしても信じられなかった。

    〈日本のどこかに今、あのフェレイラ師が生きている。碧い澄んだ眼とやわらかな光をたたえたフェレイラ師の顔が日本人たちの拷問でどう変ったかとロドリゴたちは考えた。しかし屈辱に歪んだ表情をその顔の上に重ねることは、彼にはどうしてもできない。フェレイラ師が神を棄て、あの優しさを棄てたとは信じられない。ロドリゴとその仲間とは、日本にどうしてもたどりつきその存在と運命とを確かめたかった。〉

     ポルトガルを出航して4か月後の7月25日に喜望峰を回り、東インドへ。ポルトガル領インドの首府ゴアに着いたのは10月9日のことだった。そこで島原の乱、ポルトガル船の渡航禁止を知らされた3人は翌年5月1日、絶望的な気持で澳門(マカオ)までたどりついた。
     ロドリゴたちはその地で、フェレイラ教父からの文が1633年を最後に途絶えたことを知らされます。いったい師に何があったのか・・・・・・ジャンク船を手に入れたロドリゴとガルペは、マラリアに倒れたマルタを澳門に残して、日本への密航を実行します。
     ジャンクには、ひとりの日本人が一緒に乗りこみました。長崎にちかい肥前地方の漁夫で、島原の内乱の前に海を漂流していた時、ポルトガル船に助けられて澳門まで来たという。ロドリゴが生まれて初めて会った日本人――年齢は28、9歳ぐらい、襤褸(ぼろ)をまとった男の名はキチジロー。酔っているくせに、ずるそうな眼をしていた。映画では窪塚洋介が好演したキチジローは、ロドリゴにとって銀30枚でキリストを売ったユダのような存在、己の信仰を映す鏡のような存在と言えばいいでしょうか。

     キチジローを道案内に日本に潜入したロドリゴに運命の瞬間が訪れます。ガルペと別れ山中をゆくロドリゴ。途中、キチジローと遭遇してしばらくたった時――。
    〈・・・・・・白い石の上を蜥蜴がふたたび這いまわり、林の中で喘(あえ)ぐように初蝉(はつぜみ)の声が聞え、草いきれの臭いが、白い石の上を漂ってきました。そして私は、我々の今、歩いてきた方角に、数人の者の跫音(あしおと)をききました。叢の中から、もう彼等の姿は、こちらを向いて、足早に歩いてきました。
    「パードレ。ゆるしてつかわさい」キチジローは、地面に跪いたまま泣くように叫びました。「わしは弱か。わしはモキチやイチゾウんごたっ強か者(もん)にはなりきりまっせん」
     男たちの腕が私の体を掴み、地面から立たせました。その一人が幾つかの小さな銀を、まだ跪いているキチジローの鼻先に蔑むように投げつけました。〉

     波うちぎわに立てられた十字架に組んだ2本の木に踏絵を拒絶した信徒をくくりつけ、潮の満ち引きにより身も心も疲れ果てて息をひきとるまで2日でも3日でも待つという水磔(すいたく)に処せられたモキチとイチゾウの殉教をロドリゴはつい数日前に目撃しています。〈こんなにみじめで、こんなに辛い〉日本人の殉教だった。そして、それから始まる井上筑後守との闘いは、フェレイラ教父を棄教に追い込んだ「穴吊り」の拷問以上に辛(つら)く、人の心を揺さぶる苛烈なものだった。

     40数年前、ハードカバーの『沈黙』を手にした――全共闘運動の時代だった。一度は信じた変革の運動を続けるか離れるかの問題に直面した若者たち(私もそのひとりでした)が「転向」という問題意識から『沈黙』を読みました。「棄教」や「転ぶ」というテーマを自らの問題として問い直そうとしたのです。
     それからほぼ半世紀の時が過ぎ去り、『沈黙』を再読した。「なぜ神は沈黙するのか」を問い、人間の勁(つよ)さと弱さを見つめるという重いテーマを据えながらも、その重き問いが苦悩し喘(あえ)ぐ人間の物語にきれいに消化され、真実魅力ある一級のエンターテインメント作品として読み継がれてきたことに改めて感じ入りました。スコセッシ監督は初めて読んだ日から28年もの間、映画化を温めてきたという。遠藤周作、永遠の傑作です。(2017/2/24)
    • 参考になった 1
    投稿日:2017年02月24日
  • カラスによる大量殺戮ーーそこには絶望しかない
    『火の獣』と並び、アニマルハザード・ホラーを書かせたら白土勉氏の右に出る者はないのではと唸ってしまった作品です。
    殺人術を仕込まれたカラスが徒党を組んで人間を襲い始める話ですが、東京があっという間に壊滅するのではないか?という勢いで血なまぐさい大量殺戮が行われていきます。しかも鳥なので殺し方・・・いや、「食べ方」の描写がまた吐きそうなほどエグい。眼球を一瞬でつまみ出したり、くちばしで肉という肉を執拗につついたり・・・。そして知能犯でもある。
    これほど「絶望」が次から次へと読む者を襲うサスペンスもそうそうないでしょう。凄いです。
    • 参考になった 0
    投稿日:2017年02月22日