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藤子不二雄Ⓐ新刊配信記念 スペシャルインタビュー!!

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話題沸騰!!
『藤子不二雄Ⓐ&西原理恵子の人生ことわざ面白”漫”辞典』
藤子不二雄Ⓐ先生・独占インタビュー

『藤子不二雄Ⓐ&西原理恵子の人生ことわざ面白”漫”辞典』が誕生した経緯を話す藤子不二雄Ⓐ先生
『藤子不二雄Ⓐ&西原理恵子の人生ことわざ面白”漫”辞典』が誕生した経緯を話す藤子不二雄Ⓐ先生

西原さんとは一緒に酒ばっかり飲んでました

――まず、藤子不二雄Ⓐ先生と西原理恵子先生というのは、意外な組み合わせだと思うのですが、『藤子不二雄Ⓐ&西原理恵子の人生ことわざ面白”漫”辞典』はどういうきっかけで誕生したのでしょうか。

 西原さんとは、10年ほど前に酒場で知り合ってね。初めは漫画家とは知らなくて、一緒に酒ばっかり飲んでいて。漫画の話なんかしたことがないんですよ。西原さんもボクのこと、どの程度知っているかわからないけど(笑)
 その頃、この連載を企画していたので、自分で書いた文章に自分でイラストを描いても、あたりまえだから、西原さんに頼めば面白いかなと思ってアプローチしたんです。

――本書では、Ⓐ先生がことわざをテーマに、自らの人生を語った文章に、西原さんがイラストをつけるという形になっています。互いの文章やイラストに影響は受けておられるんでしょうか。

 それは全く受けてないです。
 ボクの文章と西原さんの絵が全くバラバラだというところが組み合わせとして非常に面白いと思うんだよね(笑)

――この本の中には、西原さんとの対談も収録されていますが。

 初めて二人ともシラフで対談したんですよ(笑)。
 西原さん、シラフだと変にマジメなんだね。お互いに調子狂っちゃって。

『藤子不二雄Ⓐ&西原理恵子の人生ことわざ面白”漫”辞典』より。 1ページ 『藤子不二雄Ⓐ&西原理恵子の人生ことわざ面白”漫”辞典』より。2ページ
まるでⒶ先生自らの足跡を凝縮したかのようなことわざの数々とエピソードには、人生を生きるヒントが凝縮している。それに対して、西原理恵子先生の辛口フレーズにも目を見張る。

『藤子不二雄Ⓐ&西原理恵子の人生ことわざ面白”漫”辞典』より。
©藤子不二雄Ⓐ・西原理恵子/小学館

人生の決めた三つの出会い

――本書の中では藤子・F・不二雄先生との出会いと別れを語っておられますが、やはり藤本先生との出会いは大きなものでしたか

 やっぱり人との出会いというのが、人間にとって一番大事だと思うのですが、相棒の藤本君との出会いは、ボクにとって人生の最初にして最後のものでした。

 ボクが生まれたのは、富山県の氷見で600年続いた禅寺なんですが、戦争中の小学5年生の時、住職である親父が、亡くなった。朝、元気に家を出たのに、法事を終えて立ち上がったら、上にあった釣鐘に頭を打って即死してしまったんです。父が亡くなって、新しい住職が来るので、ボクらは寺を出なくてはいけなくなった。
高岡市に引っ越して、転校した小学校に藤本君がいた。
 だから、親父が死ななかったら、絶対に漫画家になっていなかったし、ボクに会わなかったら藤本君も漫画家になっていなかったのではないかと思うんですよね
 こんなこと言っちゃなんだけど親父が死んだおかげで、人生が変わって、藤本君と出会った。2人で漫画家を目指すようになった。
 それから手塚先生との出会い。
 ボク、最初は映画監督に憧れていたんだけど、藤本君と手塚治虫先生の『新宝島』という作品を読んで「これは紙で描かれた映画だ」と思って、2人で漫画に没頭した。
 これは後でわかったことだけど、さいとう・たかを氏も、石森(石ノ森)章太郎氏も赤塚不二夫氏も、松本零士氏も、みんな手塚先生の漫画を読んで、漫画の世界に入ってきた。それほど革命的な作品だったわけです。
 さらにトキワ荘のメンバーと出会い。
 この三つの出会いがボクの人生を決定づけたと思います。

『まんが道』『愛…しりそめし頃に…』ファンも必読、トキワ荘時代エピソード

――本書には、「ことわざ」を通じて、先生のこれまでの人生を語っていますので、『まんが道』や『愛…しりそめし頃に…』のファンはより楽しめる本になっていますね

 トキワ荘にボクらの兄貴分で「テラさん」(寺田ヒロオ)という先輩がいてね。
 テラさんの部屋にみんな集まって、昼間からテラさんの部屋で酒を飲んでいました。
 「チューダー」といってね、サイダーを入れて、そこに焼酎を垂らして、それを飲んでいた。
 ほとんど映画の話。みんな映画が好きでね。
 トキワ荘には最初に手塚先生がいらっしゃって、テラさんが入って、手塚先生と入れ替わりに藤本君とボクが入った。テラさんと3人で、新人ばかりのグループを作ろうと。「新漫画党」という名前を付けた。
 つのだじろう氏も、新宿から毎日、スクーターに乗ってトキワ荘に通って来ていたんだけど、ある時「『新漫画党』に期待して入ったのに、誰も漫画の話をしない! 堕落している! 映画の話と、女の話ばっかりだ!」って、怒って、巻紙に挑戦状みたいなものを書いて持ってきた。
 それに対応したのが藤本君で、「漫画家が漫画の話をしたらダメなんだ。それは自分自身で勉強することで、みんなで話し合うもんじゃない。映画の話とか余計な話が、漫画の勉強になる。そういう遊びがなきゃいけないんだ」って。それからはつのだ氏も改心してね、お酒は飲むは、一緒に遊ぶはで(笑)。

――赤塚先生もお酒をたくさん飲まれている印象でしたが…。

 当時、赤塚不二夫氏は一滴も飲めなかった。酒を飲めるのはテラさんとボクくらいで。
 あの頃は、ストーリー漫画が全盛で。赤塚氏は、ギャグ漫画を描きたいんだけど、描かせてもらえなくて、悩んでいて。石森氏の手伝いを赤塚氏がやったり、共同炊事場でいつも、ご飯を用意したりしてるわけです。
 ボクは「なんか赤塚氏は石森氏の女房みたいだね」なんて言ってたんだけど、ある時「俺、もう漫画家やめて、キャバレーのボーイになる」って言い出したんですよ。
 それで、テラさんに相談に行ったら、テラさんが「ちょっと待ちなさい」って、後ろのタンスの引き出しから、現金で3万円を赤塚氏に渡して、「これがあるうちはトキワ荘にいろ、それでも漫画家が無理だったらキャバレーでもどこへでも行けばいい」と言ったんです。
 ラーメン一杯30円の時代ですから、大金です。
 赤塚氏は、その半年後にチャンスが来てバーッと売れましたが、後でよく赤塚氏は「あの時のテラさんのおかげで漫画家になれた。あれがなければ俺はキャバレー王になっていた」って話していましたよ(笑)。
 ボクらも、石森氏もテラさんに助けられた。テラさんがいなければ、ボクたちは全滅状態だったんです。本当にすごい人でね。
 でも、テラさんは、あまりにも真面目すぎた。アクション漫画でピストルを撃ったり、刀で切ったり、そういうのが大嫌いで。自分が認めないのはわかるんですが、すごいのは出版社に行って、自分が描いている雑誌の編集長に、「これとこれとこれは子供に害毒を与えるからやめさせろ、無理なら自分が辞める」と言って連載みんな下りちゃったんです。
 漫画家をやめて、引きこもって、家族とも会わないような生活を送って、亡くなられてしまったんです。テラさんのことを考えると胸が痛いんですよ。
 石森氏のお姉さんなんかも本当に可愛い人でしたね。「姉が田舎から出てくる」っていうので、「石森のお姉ちゃんじゃなー」と全然期待してなかったら(笑)、本当に綺麗な人でね。トキワ荘のマドンナみたいな感じ。
 いつもボクの部屋に来て、ボクは文学青年だったので、小説とかの本が山のようにあって、それを借りに来るんです。
 必ず「弟は大丈夫でしょうか」と言うから、「ボクらがダメでも石森氏は絶対大丈夫だから」というと、「そうですか」と言って安心して。
 綺麗な人だったけど、透き通るような人で、影が薄いというか…病身で、結核だったんですね。トキワ荘には1年間いたのかな。亡くなられて、石森氏が悲しがってね。
 だから彼が書く女性は全部お姉さんをモデルにしているんじゃないかと思う。どこか薄幸な感じのね。

『「愛…しりそめし頃に…」』には、石ノ森章太郎先生の姉がトキワ荘を去ってゆくシーンが描かれている。
『「愛…しりそめし頃に…」』には、石ノ森章太郎先生の姉がトキワ荘を去ってゆくシーンが描かれている。

©藤子不二雄Ⓐ/小学館

人間が出てこないと漫画じゃない

――先生がお元気でいらっしゃるのは、やはり人と会ってお話するのが大きいのでしょうか?

 それは大きいですね。ボクは大勢でギャーギャー騒ぎながら飲むのが好きなんです。
 漫画家というのは、自分の世界に引きこもるタイプの人が多くて、ボクみたいにオープンにいろんな人とつきあったりするようなタイプは、あまりいないんだけど…。
 ボクは趣味がわりと広くて、ゴルフは好きですし、酒も飲みますから、いろんな人たちと付き合っているうちに、なぜかそういうキャラになっちゃった。
 というのも、いろんな人と意図的につきあうようにしているんです。
 漫画家は描くのにものすごい労力を必要とするので、人付き合いが少なくなりがちなんですが、ボクはたまたま高校を卒業後、新聞社に入社したんです。取材を通じていろんな人と知り合いになって、付き合ううちに「いろんな人間がいるなあ。人間というのは面白いなあ」と思うようになりました。
 漫画というのは、きれいな景色をいくら描いても、面白い漫画にはならない。いろんな人間、変わったところを描くのが「漫画」なわけで、やっぱり「人間」が出てこないと漫画にはならないんですよ。その点、僕はいろいろな人とつきあってきたのがタメになったと思う。

――Ⓐ先生のお元気の秘訣はなんでしょうか。

 ボクの故郷の氷見というところは、魚のブリで有名なんですが、うちはお寺だったから、魚も肉も食べたことがなくて。東京に出てきて、手塚先生に「うな重」をごちそうになった時、動物性の栄養入れたことないから、体がびっくりして鼻血がバーッと出てきた(笑)。
 僕らは若い頃から締切に追われてほとんど寝たことがないほど頑張ってきました。その疲れが歳になるとドーンと出るんです。
でも僕が、この歳までこうやって元気で来たのは、食べ物のおかげなんだと思うんですよね。近頃は時々焼鳥や焼肉をこっそり食べたりしてますけどね(笑)。

――最後に、Ⓐ先生に本書のおすすめポイントをお伺いしたいと思いますが…。

 連載は「ビッグコミック」の増刊号だから、1年に4回か5回しかなくて。単行本になるのに10年かかりました。編集部から「面白い本」ができたっていうんで、見たら本当にいい本になっていて、ビックリ仰天してしまった。
 西原さんのイラストと僕の文章のミスマッチが予想外の効果が出ていて、僕も何回も笑いました(笑)。

――ぜひ、続巻も出ることを期待しています! その時は、また、面白いお話をお聞かせください! ありがとうございました!

(構成・山科清春)

藤子 不二雄Ⓐ

藤子 不二雄Ⓐ

1934年、富山県氷見郡氷見町(現・氷見市)出身。藤本弘(藤子・F・不二雄)とともに藤子不二雄としてコンビを組み、作品を発表。代表作に『笑ゥせぇるすまん』『まんが道』『少年時代』『忍者ハットリくん』『怪物くん』ほか多数。

©藤子不二雄Ⓐ/小学館

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