書籍の詳細

父が亡くなり困窮する南條家の美しき三姉妹──演劇に熱をあげ浪費ばかりする長女・圭子、聖母のような清らかさと娼婦のエロスを備えた次女・新子、蠱惑(こわく)的魅力で男を翻弄する「ベビー・エロ」の三女・美和子。生計を助けるため家庭教師となった新子は、妻子ある雇い主と心を通わせてしまう。夏の軽井沢、メーヴェリンや資生堂の化粧品、銀座のデパートやバー……昭和初期の風俗を巧みに取り入れ、波瀾に満ちた愛の行方を描いた、テレビドラマ化話題作!

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貞操問答のレビュー一覧

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  • 文藝春秋創設者であり、芥川賞、直木賞を設立するなど、日本の出版史に大きな足跡を残した菊池寛。第二次世界大戦後の1948年(昭和23年)に死去するまでに、作家として『父帰る』『恩讐の彼方に』『忠直卿行状記』『真珠夫人』などの小説を数多く残し、「昭和の文豪」の一人に数えられています。本書『貞操問答』は、読みやすい通俗小説の形をとってはいますが、東京山の手に暮らす「南條家」を通して昭和初期の世相、人々の生活感覚や価値観がジャーナリストでもあった菊池寛らしい感性で巧みに描かれていて興味は尽きません。とくに時代が大きく変わっているようであっても、人の営みというものは実はあまり変わることなく続いているのだということが行間から浮かび上がってくるところが時代を超えて多くの人に読み継がれている理由ではないでしょうか。その意味で、この読みものはけっして古くなってはいません。いまの時代、私たちの生活感、琴線に重なり、共鳴するものがしっかりあるのです。ストーリーは南條家の美人3姉妹と軽井沢に別荘をもつ資産家の前川夫妻との関わりを軸に展開していきます。父が亡くなった後、母と3人の姉妹は経済的な問題に直面しているが、その状況をちゃんと認識しているのは次女の新子だけで、新子は一家の生活の安定をはかろうと知人の紹介で前川家の家庭教師の職を得て、夏休みに入った前川家の軽井沢の別荘に赴きます。しかし、教え子である二人の子ども以上にその父親である前川準之助に気に入られた新子は、逆に高慢な前川夫人には嫌われ、さらには夫との仲を疑われて東京に帰されてしまいます。この事件が物語の始まりになるわけですが、菊池寛の独特な言い回しが随所に出てきます。その一つが「権女」という言葉です。出てくるのは一箇所だけ。こんな具合です。〈妻が、やかましい権女(けんじょ)であればあるほど、その眼を忍んで、含みのある青い色のうすものに、絹麻の名古屋帯を結んだスラリと伸びた、しかし、どことなく頼りなげな新子と、二尺と離れず歩いていることが・・・・・・準之助氏にとって、何か恐ろしい何かすばらしい冒険のような気がして悲調を帯びた彼の恋心を深めるのであった〉ここで使われている「権女」――ケンジョ。実は日本最大の国語辞典である『日本国語大辞典』にも載っていません。見出し語として収録されていないばかりか、主だった国語辞典、百科事典を全文検索で探しても出てきません。昭和初期の辞典にはあったという可能性はゼロではありませんが、おそらく菊池寛の造語、現代風(いまふう)に言えば、「感字」ではないでしょうか。数行前に「病的にわがままな夫人」という言い方で夫人を形容していますが、前川家において夫人がどんな立場にあるのか、また夫との関係がどうなっているのか、「権女」の一言で小気味よくズバリ言い尽くしています。もう一つ、思わず笑ってしまった言い回しがあります。自らが「すぐに出ていけ」とばかりに軽井沢から追い立てた新子を夫が助けているという疑いをもった夫人が新子のいる銀座のバーを突然訪ねた時のことです。〈来てみるまでは、夫人もかほどまでに、新子に対する良人(おっと)の心づかいが、行き届いているとは思っていなかった。階下を見て驚き、二階に上がってみて、新子の私室(プライヴエト)らしい小部屋を見て、驚いた。すべては、小ぢんまりとしていたが、季節の飯蛸(いいだこ)のように、充実している。階段を上がるときに電話が引かれているのも見逃さなかった〉夫が隠してきた「女」のところに妻が乗り込んでいくという修羅場なのですが、そこで「すべては、小ぢんまりとしていたが、季節の飯蛸(いいだこ)のように、充実している」です。大蛸をそのまま小さくしたようなミニチュア版の飯蛸――どこかユーモラスな、その姿形を思い起こしてしまいました。緊張の中の“笑い”ですが、この“笑い”を誘う表現はこんなにまで夫の世話を受けていては、どんなに面詰しようとも、相手はグウの音も出まいと思って心が躍っていく権女の秘めた思いを表しているかのようです。書名の「貞操問答」を引き起こすのは、二組の男女の間で交わされる「接吻」です。昭和初期の性文化を率直に映しているわけですが、それを演じる男と女、その人間模様はそのまま、現代(いま)に通じています。電子書籍になって復活した昭和の文豪を愉しんでください。(2012/10/12)
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    投稿日:2012年10月12日