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最後の晩餐のレビュー一覧
- 開高健が58歳の若さで亡くなって早いものでもう21年の月日が流れました。今回紹介する『最後の晩餐』が出版されたのは亡くなるちょうど10年前の1979年。前年にはブラジル・アマゾン川を舞台とする釣り紀行『オーパ!』を出版するなど脂の乗った40代後半の仕事です。なかでも、「天子の食卓」と題した章は、開高健とその周辺の文士たちの素の顔がそのまま見えてくるようで、必読です。安岡章太郎、阿川弘之、三浦朱門(と夫人の曽野綾子)が邱永漢夫妻から中華料理をご馳走になったときのことを縷々思い出しながら書いているのですが、そこで開陳される蘊蓄、レシピ、こつ、会話の粋・・・・・・贅を尽くした料理でもあり、最高のB級グルメをたっぷり味わったような感じでもあり、とにかく面白い。当時、邱永漢さんが顧問を務めていた食品会社が「チキンラーメン」(インスタントラーメン第1号)を開発していた。邱永漢さんはそれをもって三浦朱門夫妻を訪ね、夫妻にラーメンを試食してもらった。いくらぐらいなら手を出せるかな、と聞くので、そうだな40円かなと答えるや邱永漢さんは何も説明せずに帰っていったそうです。三浦朱門は「邱永漢はかぜにのってやってきて、かぜにのって去っていった」と回顧したそうです。このラーメンが後に大ヒット商品になるのはご存知の通りです。ともあれ、開高健、三浦朱門、阿川弘之の文士3人が、邱永漢さんが渋谷に開店した中華料理の店「天厨菜館」で一晩、邱永漢夫妻と食事を愉しんだときのことを書いたのが「天子の食卓」です。まさに賢者の知恵を凝縮したような料理と酒が供されるのですが、なんといっても仕上げの「菠菜炒飯」です。開高健はこう書いています。「ホーレン草を油炒めして水分をとってから微塵切りにして、白飯といっしょに炒めただけのヤキメシであるが、まことにほのぼのと淡く、そして気品高かった。みんなヤキメシをバカにしているけれど、米飯をまんべんなく炒めてかるくふわふわに仕上げるのは、じつは容易でないし、そのことをわきまえて実践しているコックとなると、全東京にかりに一千人のコックがいたとしても、五人かそこらがわきまえているくらいだろうかと私は思う」。蛇足ですが、私もかつて邱永漢さんと一緒に天厨菜館に行ったことがありますが、菠菜炒飯は店の名物となっていて、本当に美味かった。(2010/10/8)
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投稿日:2010年10月08日 -