書籍の詳細

明治四十年東京を西に去ること三里、一反五畝の土地に、壁は落ち放題、雨戸は反り屋根藁は半腐り、ちょっと降ると室内にも黄色い雨が降るばかりか、ときに青大将が落ちてくる草葺の家。井戸をさらえ、肥桶を担ぐ「美的百姓」の始まりである。作者の前をよぎる人々、武蔵野の風物を骨太な筆でとらえた随想集。

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みみずのたはことのレビュー一覧

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  • 著者名の徳冨健次郎は「不如帰」などの著作で知られる徳冨蘆花の本名。明治の終わり頃に、東京の青山高樹町から武蔵野・千歳村(現在の世田谷・芦花公園近辺)に一家で移り住んだ蘆花が、村での暮らしぶりを書きとめたエッセイ集が本書(上下2巻)。随筆ですが、文中では蘆花自身を「彼」としています。蘆花の終の棲家となった千歳村は三里東に東京という位置にあって、京王線は工事中でまだ走っていません。三里はおおよそ12キロ。蘆花は時折歩いて人口200万の東京に出かけたようですが、晴耕雨読というか、彼の言葉によれば「美的百姓」――趣味の百姓として、甘藷(さつま)や南瓜(とうなす)、胡瓜(きゅうり)、馬鈴薯(じゃがいも)などをつくる日々をおくったようです。「生年四十にして初めて大地に脚を立てて人間の生活をなし始めた」と書く、いま流行(はやり)の「田舎暮らし」の先駆者で、季節のうつろいを細やかな目で観察しています。上巻136ページから引用します。「6月初旬は、小学校も臨時農繁休(のうはんきゅう)をする。猫の手でも使いたい時だ。子供一人、ドウして中々馬鹿にはならぬ。初旬には最早(もう)蚕(かいこ)が上がるのだ。(中略)空ではまだ雲雀が根気よく鳴いている。村の木立の中では、何時の間にか栗の花が咲いて居る。田圃の小川では、葭切(よしきり)が口やかましく終日騒いで居る。杜鵑(ほととぎす)が啼いて行く夜もある。梟が(ふくろう)が鳴く日もある。蛍がでる。蝉が鳴く。蛙が出る・・・・・野菜につく虫は限もない。皆生命(いのち)だ」今の東京からは想像もつかない千歳村の情景はまだまだ続きます。田植え、養蚕の季節には小学校が臨時休校となり、鳥や虫など生物が出す音が終日鳴り止まない。100年たらずの間に、私たちは何を失い、何を得たのでしょうか。(2010/06/11)
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    投稿日:2010年06月11日