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「時代」と「言葉」に生命をかけた歌謡界の巨星が残した最後のメッセージ。晩年6年間のエッセイをまとめる。移りゆく時代を思い、歌謡曲に託した人間の真の生き方に触れる感動の72篇。

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昭和と歌謡曲と日本人のレビュー一覧

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  •  イーブックジャパンのオフィスから歩いて5分ほど、駿河台の明治大学「阿久悠記念館」に、稀代の作詞家の直筆原稿を見に行った。
     阿久悠が遺した歌詞[うた]は、昭和の記憶とともにある。都はるみ「北の宿から」、沢田研二「勝手にしやがれ」、ピンク・レディー「UFO」、ペドロ&カプリシャス「ジョニィへの伝言」、尾崎紀世彦「また逢う日まで」、八代亜紀「雨の慕情」などが即座に思い浮かぶ。阿久悠は5000曲を越える歌詞を特製の400字詰め原稿用紙に愛用する黒のぺんてるサインペンを使って手書きした。少し右肩上がりの男っぽい文字だ。
     阿久悠生誕80年、没後10年だった2017年11月末に『昭和と歌謡曲と日本人』が出版され、先頃配信が始まった。紙書籍の帯には、「時代を見つめ、人を愛し、言葉を慈しんだ歌謡界の巨星、最後のメッセージ!」とある。2001年から2007年にかけて、東京新聞、スポーツニッポンに連載したコラムを集めたもので、阿久悠の最新作であり、おそらく最後の著作となるエッセイ集だ。

     こんな一節があります。「第三章 愛しい人間の愛しいいとなみ」の「昭和の詩」から引用します。

    〈昭和が見直されている。ブームといってもいい。そして、一口にレトロという感覚で片付けられないものが、このひそやかな復活には含まれている。何かというと、人間がいて物があり、人間が生きるためにシステムがあったという、人間主役の時代が、まさしく、昭和であったからである。(中略)
     昭和といっても戦前ではない。やはり昭和三十年代、ぼく流にいうと最後の楽園の時代のことである。飢餓からの脱出に希望が持て始め、生きることにいくらかの向上心をプラスするようになっていた時である。
     いい生活を夢みているが、それは金満とはほど遠いものであって、身の丈に合った幸福サイズをささやかに描き始めた、愛しい人間の愛しいいとなみが満ちた昭和である。東京でいえば、オリンピックが開かれた昭和三十九年以前のこと、地下鉄はまだ二本だけ、その代わり都内を網の目のように都電が走り、渋滞という言葉は日常ではまだなかった。〉

     東京オリンピックの1964年(昭和39年)以前の時代は、1955年(昭和30年)に大学生となって東京に出た阿久悠が、明治大学を卒業して広告代理店・宣弘社に就職。テレビCMの仕事のかたわら、同僚であり、生涯の友となる上村一夫(後に漫画家、イラストレーターとして活躍)と組んで雑誌に劇画の連載を始め、放送作家として脚本を書き始めた時期にほぼ重なります。ザ・モップス(リードボーカル・鈴木ヒロミツ)「朝まで待てない」を書いて作詞家本格デビューしたのは1967年(昭和42年)です。それは〈豊かな日本〉が幕開けした時代で、風俗や文化が花開き、主張し、女性たちは過去の因襲と決別するかのように大胆なミニスカートで闊歩し、そして、テケテケテケとエレキギターが時代の風のように鳴っていた、と阿久悠は綴る。
     そんな〈豊かな日本〉を作詞家として駆け抜けた阿久悠。〈昭和の貧から富への懸け橋の時代〉を「昭和の詩」のタイトルで描いた。

     昭和の詩
     町には暗がりがあった
     だから家の灯が見えた
     人は港を探す船のように
     迷い迷い家へ帰った
     妻がいて 子らがいて
     いたわり示す言葉が迎えた
     昭和 そんな 人の時代

     人間は健気で、慎ましやかで、品性を大切にし、しかも、自分のことをよく知り、社会の中で上手に存在したいと、懸命に常識を守っていた。いい生活を夢みているが、それは金満とはほど遠いものであって、身の丈に合った幸福サイズをささやかに描き始めた、愛しい人間の愛しいいとなみが満ちた昭和の町には暗がりがあった。だから家の灯が見えたと、阿久悠は書くのだ。

     いま、私たち──日本人に〈家の灯〉は見えているのだろうか。
     時代に吹く風を独特の感性で読みとって言葉を紡いだ阿久悠が遺した次の一文が、胸に刺さります。

    〈さて、ぼくらは一体何をどこで忘れて来たか。それをずっと考えている。ぼくらという書き方をしているが、ぼくの周辺の人たちの意味ではなく、日本人のことである。
     ここ何年間かの社会の不条理に満ちた空気を感じる度に、これはもの凄く大切なものを、実にいいかげんな気持ちで忘れて来てしまったせいだと思っている。
     つまり、日本人が日本人をどこかに忘れて来たということだ。
     今の世、人が人らしくない。心ない人があまりに多過ぎる。かつても悪人がおり、犯罪も数多く起こったが、それらにも痛みを感じた。今はそれがない。おぞましさと不可解さだけを感じる。それはきっと、あるべき姿の共通イメージを失ったことによる。
     かつて貧しく、ささやかで、つつましやかであった時には、やさしさや美しさがあった。転べば手を貸すし、よろめけば抱きかかえもし、順番も譲るし、道もあけるし、そんなことは日常の光景として見られた。
     貧しさがいいと思ったわけではない。豊かになりたいとは思ったが、それは自分の歩幅に合ったスピードでの一歩一歩の前進だった。そこには健気(けなげ)な姿があった。
     ぼくら日本人が忘れたものは、普通の人間の健気さであるかもしれない。一途な思いであるかもしれない。
     健気とか一途とかが普通の人間のエネルギーであることを、何かの催眠術によって忘れさせられたのかもしれない。催眠作用だから、こんなに豊かになっても不機嫌で、エネルギーがないのである。
     いつ、どこで忘れたか。日本人が愛おしく思えてならない時代はどこか。〉

     稀代の作詞家の私たち日本人への最後のメッセージに、向き合っていただきたい。そうして、健気で、一途だった時代を私たちの共通の記憶として思い出してみたいと思う。

     最後に、阿久悠と高校野球の関わりに触れておきます。2018年のプロ野球の注目点のひとつに「怪物松坂大輔投手の復活」があります。米メジャーリーグから日本へ復帰、肩の手術、勝利はおろか登板さえままならない3年間を経て、今シーズン中日に移り、復活できるかどうかに注目が集まっています。阿久悠は1979年から2006年まで夏の高校野球大会の全試合を観戦し、一日一試合を詩に詠んだ。そのすべてをまとめた労作『甲子園の詩 敗れざる君たちへ』(幻戯書房)がイーブックジャパンで2015年10月30日より配信されています。1998年(平成10年)8月22日──決勝のマウンドには、横浜高校・松坂大輔投手がいた。京都成章を相手にノーヒット・ノーランをやってのけた。この日、阿久悠は「怪物の夏」と題して、若者たちを讃えた(一部抜粋)。

     あくまでもやさしい顔をし
     しなやかな体をし
     平凡をよそおいながら
     しかし
     圧倒的な非凡であった
     力もあった 技もあった
     タフネスもあった
     もちろん闘志もあった
     それなのに
     ギラギラと誇示しないのが
     新しい怪物の凄さであった
     横浜高校 松坂大輔投手
     この夏は彼とともにあった
     それは同時に
     彼を信じ彼とともに戦った
     仲間たちとともにあったことであり
     彼を標的にし彼にぶつかった
     対戦相手とともにあったことでもある
     決勝戦は静かだった
     五万五千の大観衆がいながら
     どよめきが固っていた
     そして あろうことか彼は
     ノーヒット・ノーランで幕を閉めた
     怪物の夏であった

     風流をやせがまんの別の呼び方と考えた作詞家は、『昭和と歌謡曲と日本人』に〈わが家の冷房装置を全廃し、タラリと汗をかきながら、高校野球の日々の詩を書いている〉と記しています。「怪物の夏」もそんな中から生まれたのかもしれません。
     とまれ、四季があることの意味を受けとめて、健気に、一途に生きる。そんな生き方を、日本人が取り戻すための、阿久悠からの最後の贈り物だ。(2018/3/9)
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    投稿日:2018年03月09日