書籍の詳細

高等小学校卒ながら類まれな金銭感覚と人心掌握術を武器に年若くして政界の要職を歴任。ついには日本列島改造論を引っ提げて総理大臣にまで伸し上がった田中角栄。「今太閤」「庶民宰相」と称され、国民の絶大な支持を得た男の知られざる素顔とは? 田中の金権政治を批判する急先鋒であった著者が、万感の思いを込めて描く希代の政治家の生涯。

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  •  田中角栄という政治家がいた。
     1918年(大正7年)新潟県(現在の柏崎市)生まれ。1947年(昭和22年)4月、29歳で第23回総選挙に当選。10年後の1957年(昭和32年)7月、第一次岸改造内閣で郵政大臣に就任。この時、角栄39歳、戦後初めての30代大臣の誕生だった。
     続く1962年(昭和37年)7月、第二次池田内閣で大蔵大臣就任。在任中の1965年(昭和40年)5月、証券不況下、取り付けが殺到した山一証券に対する「無制限・無担保」の日銀特融を断行し、辣腕ぶりを発揮。
     直後の6月、自民党幹事長に就任。1971年(昭和46年)7月、第三次佐藤改造内閣で通産大臣となり、10月に日米繊維交渉決着。
     そして1972年(昭和47年)7月、佐藤(栄作)長期政権の後継を争う自民党総裁選で福田赳夫を破り、7月6日内閣総理大臣に指名。
     私はこの年に大学を卒業して出版社の小学館に入社。「週刊ポスト」編集部に配属されましたが、高等小学校卒業ながら総理大臣にまで登り詰めた54歳の田中角栄が「今太閤」ともてはやされ、総裁選直前に発表された著著「日本列島改造論」がベストセラーとなっていた刺激的な時代でした。

     総理大臣就任から2か月余りの1972年9月、田中角栄は盟友の外務大臣・大平正芳を伴って北京を訪問。毛沢東、周恩来との歴史的会談に臨み、日中国交正常化を成し遂げます。まさに時代の顔となった田中角栄の絶頂期でした。
     田中角栄の時代はしかし、思いがけないところから暗転していきます。日中国交正常化から2年、1974年(昭和49年)10月のことです。月刊誌「文藝春秋」(昭和49年11月号)に発表された、立花隆「田中角栄研究――その金脈と人脈」と児玉隆也「寂しき越山会の女王」の2篇のレポートがきっかけとなって、外国人記者クラブにおけるレクチャー会見を経て、田中角栄は翌11月に内閣総辞職表明に追い込まれます。
     総理辞任の1974年12月9日から2か月余り、年がかわった1975年2月ロッキード事件が発覚。そして7月27日――田中角栄は東京地検特捜部によって逮捕されます。この日早朝、東京・目白の田中邸の門前に黒塗りの車が停まったとき、報道陣の姿はなく、そこにいたのは私一人でした。しばらくして開かれた門から出て来た黒塗りの車の後部座席中央に両側から挟まれるようにして座る田中角栄の顔が見えました。
    「前首相の逮捕」。暑い一日の始まりでした。もともと汗かきで知られる田中角栄の汗ばんだかに見える表情は、いまも鮮明な記憶として私の脳裡に残っています。角栄58歳の転落でした。
     とまれ、逮捕・起訴された田中角栄は法廷闘争を展開する一方、田中軍団の数にものをいわせて政権を裏で操る闇将軍として君臨を続けますが、竹下登の離反をきっかけに力をそがれていきます。
     ポスト田中への野望を明らかにした竹下登による創世会設立のわずか20日後、1985年(昭和60年)2月27日、田中角栄は脳梗塞に倒れ緊急入院。徐々に政治の表舞台から退場していくことになります。
     そして1993年(平成5年)12月16日、死去。75歳でした――。

     田中角栄の凄さとはなにか。
     金権体質を始めとする角栄的なるものを徹底批判して自民党内「反田中」の急先鋒だったのが石原慎太郎です。その石原慎太郎が、仇敵・田中角栄の起伏に富んだ人生を描いたノンフィクション・ノベル『天才』が話題を呼んでいます。出版元の幻冬舎によれば、書き下ろしで2016年1月20日に出版された紙書籍は版を重ね、20万部を突破したとのこと。同時発売の電子書籍も好調で、今年の注目作のひとつとなっています。
     田中角栄を描き、論じた本は多い。そのなかにあって、本書は「俺」――田中角栄自身の視点ですべてが語られていくという、かつてない作品です。石原慎太郎はこれまでにも「他者」を一人称で語る小説『生還』(新潮文庫、2016年4月5日配信)と『再生』(未電子化)を書いていますが、この一人称の手法を生かして田中角栄という人間に挑んだのが本書『天才』です。田中角栄が何を見て、どう思っていたのか、どうしたかったのかを「俺」という一人称で語ることによって、その語られざる心情を浮かび上がらせることに成功しています。

     こんな一節があります。総理在任中の参議院選挙とそれに続いて問題化した文藝春秋のレポートに関して、角栄はどう考えていたのか。少し長くなりますか、引用します。

    〈それから間もなく行われた参議院選挙には俺としても懸命な梃子入れをして勝利した。その時は党としては未曽有の公認料として一人三千万円を手渡したものだ。それにプラスしてあと一息と思われる候補は俺の事務所に呼んでさらに嵩上げした援助をしてやった。それがどう癇にさわったのか、あの石原が主導して青嵐会の連中が金権政治を唱えて反発してきた。
     我が派の長老の木村武雄たちが怒って彼を告訴し裁判沙汰となった。これは取り消しとなったが、続いてジャーナリストの立花隆と児玉隆也が「文藝春秋」に俺を非難する論文を載せた。
     これには往生させられた。特に児玉の「淋しき越山会の女王」という俺の秘書と愛人を兼ねている佐藤昭のことを暴いた文章は、俺たちのプライバシーに踏み込んだえげつないもので、立花のものよりもこちらの方が世間の耳目を集めることになった。
     揚げ句に我が派の参院議員たちが動揺し、馬鹿なことに彼女を議会の委員会に参考人として呼ぶことに同意してしまったのだ。それが一層の評判になり、俺たちの娘の敦子がリストカットを繰り返し、飛び降り自殺未遂までして、愕然とさせられた。
     それを眺めて、俺は即座に血を分けた子供を救うために総理の座を投げ出すことに決めたのだ。はるか昔、妻との間に出来た長男を僅か五歳で失った時のショックを思い出してもいた。あの後、折節にあの子がまだ生きていたならと何度思ったことだろうか。
     その辛さに比べれば総理の座なんぞ軽いものだと切に思った。それが俺の本性だとわざわざ自分にいい聞かせるまでのことでもなかった。(中略)
     しかし何よりも辛かったのは、同じ屋根の下に暮らしている娘の眞紀子(引用者注:後に衆議院議員、外務大臣)が他の誰よりも辛く俺に当たってきたことだった。結婚して出来た可愛い孫からも俺を遠ざける始末で、家にいてもいたたまれぬ思いだった。〉

     参議院選挙の公認料に一人三千万円を手渡したという。それを批判した石原も登場してくる政治の舞台裏話にも興味はつきませんが、秘書であり愛人であった佐藤昭が生んだ娘・佐藤敦子(引用者注:佐藤あつ子名による著書『昭 田中角栄と生きた女』がある)への思い、同じ屋根の下に暮らす娘・真紀子への思い……人間・角栄の知られざるストーリーが面白い。
     田中角栄には佐藤昭の他にもう一人、愛人がいました。神楽坂の芸者だった辻和子で、三人の子どもをもうけています。石原慎太郎は「俺」に辻家との関わりをこんなふうに語らせています。

    〈俺はまぎれもなく妻を愛した。その間にもうけた娘もいろいろ手こずりながらも愛した。その孫も愛した。その他にもいろいろ関わりながら愛した女たちもあった。佐藤昭と、昔あの懐かしい神楽坂で出会って結ばれた辻和子やその子供たちも。(中略)
     佐藤はあの気性だから俺と離れてもなんとか自分の才覚でやっていけるだろう。しかし辻和子との間には三人の子供がいたのだった。その内の一人、真佐と名づけた女の子は生まれて一年もたたぬうちに亡くなってしまったが、長男の京と次男の祐は立派に育ってくれていた。
     しかし彼等二人の男の子たちには俺に知れぬ彼等なりの苦労があったはずだ。俺はそれをほとんど無視というか知って知らぬふりで通してきた。(中略)
    (母が角栄の二号であることを知って反抗的になった京が)突然アメリカに行って好きな音楽の勉強をするといい出したのでそれは許してやった。しかし結果としてそれが良かったようだ。向こうで一人で暮らしている間に男としての自覚がいろいろ出来たようで、弟の祐に宛てた手紙で、俺と彼等の母親との本当の関わりについて知ったらしい弟を励ましてくれていたそうな。
     彼女からそう知らされて俺は俺なりの期待で京の帰国を心待ちにしていたものだった。だから彼女には彼の帰国が知れたらすぐに報せるようにいっておいた。その連絡を受けて駆けつけた俺を、彼女の家族は総出で玄関で迎えてくれたものだった。家に上がるなり俺は前と様子の変わった京を抱き締め、「お前の祐に宛てた手紙のことをお母さんから聞かされて俺は本当に嬉しかった。お前がそんなに悩んでいたなんて少しも知らなくて、お前には辛く当たったこともあったが、本当にすまなかった。許してくれよ」
     いいながら俺は声に出して泣いていた。彼も俺を抱き締め返し泣いてくれたのだった。
     そんなことをこの今になって思い出して何になるのだろうかとつくづく思う。
     そう思いながらこの今はしきりに彼らに会いたいと思う。思うがとても出来はしない。いま俺の周りには正規の家族以外に誰もいはしない。昔の子分たちも秘書もいはしない。誰もいない。この俺以外には誰もだ。〉

     病に倒れた晩年――かつては千客万来だった目白の屋敷で孤独な日々をおくる角栄の姿が目に浮かびます。
     田中角栄ほど毀誉褒貶の激しかった政治家はいません。参院選に臨む議員に一人3000万円を配ったと堂々と言ってのけ、ロッキードの5億円もあちこち手を尽くして選挙のために用意した300億という金のなかのたったの5億で、佐藤昭がてきぱきさばいたに違いないと、その由来など気にもとめていなかったという角栄。石油メジャーに頼らない独自の資源外交がアメリカという虎の尾を踏んだためにロッキード事件が仕組まれたと信ずる角栄……。
    「反田中」の急先鋒だった石原慎太郎が一人称で描く田中角栄の真実。妻の出産直前、留守宅に女性タレントを一泊させたゲス不倫議員や50万円入りの封筒を内ポケットに入れたとの証言を否定しておきながら、結局辞任した大臣は、どう読むのでしょうか。
     *2018年1月23日に幻冬舎文庫版が配信され、いっそう買い求めやすくなりました。
    (2016/2/19・2018/1/23補筆)
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    投稿日:2016年02月19日