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犬森祥子の職業は「見守り屋」だ。営業時間は夜から朝まで。ワケありの客から依頼が入ると、人やペットなど、とにかく頼まれたものを寝ずの番で見守る。そんな祥子の唯一の贅沢は、仕事を終えた後の晩酌ならぬ「ランチ酒」。孤独を抱えて生きる客に思いを馳せ、離れて暮らす娘の幸せを願いながら、つかの間、最高のランチと酒に癒される……。今日も昼どき、最高のランチと至福の一杯! 心を癒し、胃袋を刺激する絶品小説。

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ランチ酒のレビュー一覧

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  •  酒に合うか合わぬか──犬森祥子がランチの店を選ぶ基準です。
     バツイチ、アラサーのひとり暮らし。職業「見守り屋」。お年寄り、子ども、場合によってはペットまで、夜通し、寝ずに見守り、話し相手や聞き役になるのが仕事で、営業時間は夜から朝まで。愛する娘は別れた夫、祖父母のもとに引き取られ、月に一度会えることになってはいるが、確かではない。
     待つ人のいない部屋に帰る前に立ち寄る街で居心地のいい店を探りあて、おいしい料理とうまい酒に癒やされる──夜勤明けのランチ酒がもたらす至福の瞬間。食・酒に対するヒロインのひたすらな思いが行間に漂う異色のグルメ小説の誕生だ。
     タワーマンションが建ち並ぶ町にあるセレブなレストランは出てきません。社用接待や会社経費で行く高級店も出てきません。夜通し働いて解放された昼間にひとりで飲む酒に似合う街──は、武蔵小山(肉丼)であり、十条(肉骨茶=バクテー)、新丸子(サイコロステーキ)だ。中目黒(ラムチーズバーガー)、不動前(うな重)、中野坂上(オムライス)、大阪からは阿倍野(刺身定食)が、千葉の房総半島(海鮮丼)も登場。どこも気取ったレストランとは対極にある、うれしいランチが綴られている。ホントに旨そうで、名前こそ出てはいませんが、実在するという店を探して行きたくなる。たとえばこんな具合だ。「第一章」ならぬ、〈第一酒 武蔵小山 肉丼〉から引用します。

    〈「いらっしゃい」
     正午前、開店そうそうの店は、祥子が一番乗りだった。
     カウンターにはマスター、その奥さんらしい中年女性と若い女性の三人。カウンター席に案内される。一番端の、よい場所に陣取った。
     壁のメニューを見る。
     肉系メニューが充実している店だが、鯖(さば)焼きなどの定食もちゃんとある。
    「あの、この肉丼のお肉は」
    「牛肉です。うちの看板メニューです」
     中年女性が明るく答えてくれた。
    「じゃあ、それ。ご飯少な目にしてください」
     とりあえず食べ物だけ頼んで、様子を見ることにした。
     カウンター席が多いが、小さなテーブル席も二つある。
     どことなく、バーやスナック風の造り。以前はそういう店だったのかもしれない。
     カウンターの上に、プラスチックの小型のメニューを見つける。伊佐美(いさみ)、しきね、黒伊佐錦(くろいさにしき)……芋焼酎(いもじょうちゅう)の名前がずらりと並んでいた。
     よっしっ。祥子は思わず、カウンターの下で小さくガッツポーズをした。
     牛肉の丼ならビールも合うだろうが、そして、ビールも大好きだが、ここはがっつり肉に芋焼酎を合わせたい。
     伊佐美、しきねなどもいい。でも、せっかくなので冒険して、初めての味を試そうか。
    「すみません。この蕃薯考(ばんしょこう)というの、ロックでいただけますか」
     蕃薯考の下には「江戸時代の文献を元に再現」と説明書きがあった。なんと、心惹(ひ)かれるコピーか。
    「あ、ええ」
     ちょっと意外そうな顔をしながら、でも、すぐにうなずいて、用意してくれた。〉

     夜の仕事をしている犬森祥子にとって、ランチは一日の最後の食事となる。朝食はほとんど食べず、仕事前に少しつまんで、仕事後にランチをがっつりとる、一日二食が基本だ。ならば酒を飲んで、リラックスしてから家に帰り、眠りにつきたい。
     そんな時に「えー、お酒飲まれるんですかあ」なんて、聞き返されたくない。大人なんだから、平日の昼間に酒を飲むこともある。そいうことがわかっている店かどうか、もランチ酒の店を選ぶ大事なポイントだ。

    〈「あら、ちょっと入れすぎちゃった」
     つぶやくママと目が合って、自然、微笑(ほほえ)み合う。
     ことん、とカウンターの上にガラスのグラスが置かれた。小ぶりのグラスに「入れすぎちゃった」たっぷりの焼酎。透明感のある、角のとれた氷が使われていて、窓から射す光にきらきら輝いている。
     ああ。
     口に含んで、祥子は思わずため息をついた。
     芋の香りが強い、骨太の焼酎である。どのあたりに江戸を感じさせるのかはわからなかったが、素朴と言えば素朴と言えるかもしれない。〉

     製造元のホームページによれば、度数25度。薩摩(鹿児島)のとっておきの芋焼酎が目の前にあるような気分になってきます。そして、オーダーした肉丼です。

    〈「今、丼(どんぶり)、できますからね」
     先に、味噌(みそ)汁と小皿が運ばれてきた。皿には、ぽっちりの香の物、のりの佃煮(つくだに)、小さな冷や奴(やっこ)が盛られている。
    ──これは、つまみにありがたい。
     薄味の佃煮をなめながら飲んでいるところに、肉丼がやってきた。
    ──はわわわわ。
     声を出さないように、必死で抑えた。
     花開いている。薄切りの牛肉が丼の上に隙間(すきま)なく敷き詰められて、薔薇(ばら)のように花開いている。その上に、がりりと黒コショウがたっぷり。
     美しい。こんな美しい丼は初めて見た。
    「ご飯、少な目にしておきましたからね」
     これなら、白米と一緒に食べるだけでなく、酒のつまみにも十分なりそうだ。そのぐらい、肉が多い。
     牛肉といっても、ピンク色のローストビーフ丼的なものではない。薔薇色のタタキだった。
     まずは真ん中の黒コショウのたっぷりかかった一切れを口に入れ、芋焼酎を飲む。
    「ああ」
     今度はたまらず、声をもらしてしまった。
    ──褒めてやりたい。ここに決めた十数分前の自分を、力いっぱい抱きしめたい。〉

     しっかりと噛みごたえのあるタタキは、肉のうまさをダイレクトに感じさせる。そして、それがまた、焼酎によく合う。ビールでもいいけど、軽い酒だと受け止められなかったかもしれないなあ──と感じつつ祥子が再び丼に向かいます。おいしいものをさらにおいしく食べる方法、そしてそれがもたらすささやかな幸福感がこまやかに描かれていきます。

    〈祥子は次に、端の肉を注意深くよけた。肉の下にはキャベツの千切りが薄く敷いてある。それとご飯を箸でつまんで肉でくるんだ。
    ──肉の味が薄い分、たれに味がついているんだ。
     その甘めのたれも肉とご飯に合っていい。
     もう一口、肉でご飯をくるんで口に入れると、今度は焼酎を飲む。
    ──これもまたよし。〉

     店のママの声のかけ方が絶妙で、つい「今度は伊佐美をやはりロックで」と注文した祥子。サラリーマンが次々にやってきては肉丼を食べていくランチタイムにランチ酒を味わいながらもずっと気になっていたのは、昨夜から朝まで一緒だった横井華絵(よこい・はなえ)ちゃんのこと。

    〈しょうちゃんでよかった。
     昨夜、急に連絡が来て、新宿(しんじゅく)の託児所に迎えに行くと、三歳の横井華絵ちゃんは眠そうにそう言った。
     二十四時間営業の託児所の保育士たちも、もう祥子とは顔見知りで「よかったねえ。華ちゃん、祥ちゃん迎えに来てくれたよ」と抱いている彼女に声をかけた。
    「少し熱っっぽくて、夕飯を戻しちゃったの。子供用の風邪シロップだけ飲ませてあります」
     抱きとめた華絵ちゃんは熱くて軽くて、そして、責任は重かった。〉

     華絵ちゃんの母親は託児所の近くのキャバクラに勤めている。シングルマザーだが、その事情を聞いたことはない。ただ、熱があったり、ぐずったり、どうしても託児所に預けられなくて、他の誰にも頼めない時だけ、祥子の同級生の亀山太一(かめやま・たいち)が経営する「中野(なかの)お助け本舗」に連絡が来る。
     亀山の指示を受けた祥子は、新宿から華絵を抱いてタクシーに乗り、少し離れたところにある高層マンションまで連れて帰るのだ。場所は目黒区と品川区の境目あたり。何度か横井家に行ったことがあって、そこにはほとんど食べ物が置かれていないことを知っている祥子は、途中、コンビニの前でタクシーを止めてもらい、華絵を抱いて入った。スポーツ飲料とみかんゼリー、バニラアイス、レトルトのおかゆを買った。

    〈高層マンションの上層階の部屋に行き、預かっている鍵を使ってドアを開けた。子供部屋の小さなベッドに運んで横にさせると、寝かしつけるまでもなく華絵は眠ってしまった。祥子はその部屋の片隅に、壁を背にして座った。
     椅子はない。読書用の持ち運びできる電灯を持ってきていた。どんな場所でも待っている間、本を読めるように。〉

     本もいい、スマホもいい。しかし、絶対に寝るな。一晩中、起きていろ。社長の亀山から繰り返し、繰り返し言われていることだ。それが、祥子の仕事──深夜の見守り屋だ。

    〈「しょうちゃん?」
     暗闇から、小さな声が聞こえてきた。
    「華ちゃん?」
    「しょうちゃん、いる?」
    「ここにいるよ」
     すぐに華絵のベッドの横にひざまずいた。彼女はつぶらな瞳をこちらに向けている。
    「よかった」
    「なんか食べる? 飲む?」
     華絵は首を横に振ったが、祥子は彼女の身体を少し抱き起して、スポーツ飲料を飲ませてやった。
    「これでよくなるよ。ちゃんと飲んだら汗をかいて、朝になっておしっこしたら、熱が下がる」
     華絵ちゃんは少し笑った。
    「しょうちゃんはいいね」
    「どうして」
     肩まで毛布を掛けてやりながら聞いた。
    「いつも起きてるから。はなちゃんのママは寝ているよ。はなちゃんとたくじちょから帰ってからずっと」
    「ママはお仕事で疲れているからね」
     安心したように、すぐに寝入ってしまった華絵の顔を見ながら、亀山がにやりと笑った顔が見えた気がして、祥子は首を振る。〉

    「少しでも環境のいいところに住まわせたくて」と、仕事場に近い新宿区内ではなく、今の高層マンションに引っ越したという華絵ちゃんの母親。ちぐはぐだけど、必死の愛情をいつも感じた。だから、時にぶっきらぼうな態度を取られても、祥子は華絵の母親が好きだった。いつもより少し早めに帰ってきた母親と交代して、華絵ちゃんが起きるのを待たずに家を出たのだ。

     深夜、都会の片隅で繰り広げられる人間ドラマ。バツイチ、アラサー。愛する娘と離れてひとり暮らしの見守り屋が、行く先々でワケありの人と出会い、心を通わせていく。そして、夜勤明けにひとり浸るランチ酒の至福。かけがえのない時が刻まれていく短編集──連作短編として話が少し前後することもありますが、気に入った街、気になるランチメニューから読んでいくのも面白いかもしれません。(2018/2/2)
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    投稿日:2018年02月02日