書籍の詳細

「日本一不幸なサラリーマン」が奮闘する『走らなあかん、夜明けまで』『涙はふくな、凍るまで』人気シリーズ最新作。食品会社のサラリーマン・坂田勇吉は新商品を宣伝するため、東京下町の老人会に通っていた。老人たちやボランティアの咲子の心もつかんでいた彼に、健康枕のセールス指導のバイトが持ちかけられる。打合せ会場に着いた坂田の目の前には、刺殺体が。ヤクザがらみの厄介な事態に巻きこまれた坂田に危険が迫る!

まだユーザーレビューはありません。最初のレビューを書いてみませんか?

語りつづけろ、届くまでのレビュー一覧

絞込み条件
  • レビュアー絞込み
表示形式
  • 表示件数
  • 表示順
  •  大沢在昌の人気作『語りつづけろ、届くまで』の講談社文庫版がようやく、2017年11月3日に配信されました。底本の紙書籍が文庫化されたのは2016年2月で、定価は820円(税別)。ここで思わぬ問題が発生しました。紙書籍なら820円で手に入るようになった作品が、電子書籍だと1,143円(税別)出さなければ読めない――紙書籍と電書の“価格逆転”です。この関係がほぼ1年半以上続いたのですから、やっぱり「ようやく」と言うべきなのです。
     もともとは2012年4月25日発行の単行本を底本に電子化され、同年7月13日にリリースされました。人気ベストセラー作家の最新作が紙版発行から2か月ちょっとで電子書籍で読めるようになる時代が到来していることを実感したものです。しかも紙版の定価1,600円(税別)に対し、電子書籍版の価格は1,143円(税別)。電子書籍が457円安くなっていました。紙・電子同時発売がトレンドになっていましたし、早く、安く本が読めるようになると期待が膨らみました。しかし、紙・電子同時の条件が欠けると、価格の逆転が起きることがわかってきました。それが1か月、2か月のレベルであればまだしも、1年を超え、2年を上回るとなると、電子書籍の魅力は薄れていきます。紙書籍よりも高くても、電書を選ぶ人はそうそういません。この問題は、講談社に限らず、多くの出版社で発生しています。本書の場合、価格の逆転は2017年11月3日に文庫版の電書が紙書籍と同じ820円(税別)で配信されてようやく解消されたわけですが、このように紙書籍と電書リリースの間にタイムラグが生じる場合には電書の価格を下げるなどの工夫をできないものか。電書の課題のひとつです。
     さて、価格が下がり電書としての魅力が回復した『語りつづけろ、届くまで』の内容です。映画化もされたシリーズ第1作『走らなあかん、夜明けまで』(講談社、2012年11月24日配信)、第2作『涙はふくな、凍るまで』(講談社、2012年1月24日配信)同様、主人公の菓子メーカー宣伝課に勤めるサラリーマン坂田勇吉がどういうわけか、暴力団がらみの犯罪に巻き込まれていき、にっちもさっちもいかない状況に追い込まれていくという展開。
     大沢在昌といえば、何といっても「新宿鮫」シリーズです。大沢在昌は『新宿鮫』で日本推理作家協会賞と吉川英治文学新人賞をダブル受賞、さらに『無間人形 新宿鮫4』(光文社、2014年5月16日配信)で直木賞を受賞しています。キャリアでありながら警察内部の抗争に巻き込まれて「はぐれ状態」になり、新宿署の刑事として単独行動する鮫島警部を主人公に展開される緊迫シーンに魅せられている大沢在昌ファンにとっては、サラリーマン坂田勇吉の物語は少し趣がちがった印象を持つかもしれません。
     物語の展開テンポも幾分ゆっくりしている感じです。なにしろ、坂田勇吉は、名前こそ勇ましいけれど、ケンカをしたことなどないし、宣伝課員として東京下町の老人会に参加している好青年です。新商品のセンベイの草の根宣伝が目的ですが、仕事を越えてボランティア活動に精を出しています。
     そのサカタには密かな楽しみがあります。ボランティアの一人で、言葉は悪く化粧気はないけれども、老人たちに優しいサッコこと小川咲子の存在です。サカタはサッコが気になってしょうがないのです。そんなサカタに健康枕販売のセールスマン教育の講師をやってもらえないかという話が持ち込まれる。若者にしては老人とのコミュニケーションが巧みだというのがその理由。サッコの冷ややかな視線が気になりつつも人の良さ、優柔不断な性格から断り切れずに、打ち合わせの場所に出向いたサカタは、誰もいない部屋で死体を発見する。殺人事件に巻き込まれていくサカタの緊張のシーンです。

    〈足が止まった。
     教壇の上におかれたテーブルの向こうから二本の脚が見えたからだ。黒っぽいスラックスに先の尖った茶色い革靴をはいている。
     誰かが横たわっている。
    「あのう――」
     声をかけた。玉井(引用者注:講師のバイトを持ちかけた男〉が横になって寝ているのだろうか。
     返事はない。
     さらに前に進んだ。左を下に、横を向いて寝ている男の姿が目に入った。玉井ではない。玉井より小柄で、髪型も異なる。
    「嘘だろ」
     思わず声がでた。横たわっている男は黒っぽいスーツを着ていたが、その下から黒い染みが教壇に広がっているのが見えたからだった。心臓がいきなりふくれあがり、全身でドクンドクンと脈を打った。〉
     新宿鮫とは違う雰囲気、キャラクターといいましたが、そこは大沢在昌です。緊迫シーンの描き方はうまい。徐々に事態が明らかになっていくにつれてサカタの緊張が増していき、そして頂点に達していく。死体を目の当たりにしたサカタは、がらんとした「教室」のなかにいるのは、自分と死んだ男の二人だけという状況に驚愕しつつも、どこか醒めたところがあります。
     追い込まれたサカタが発揮する土壇場のチカラ、強さ。ここが鮫島警部とは異なる、サラリーマン坂田勇吉の魅力かもしれません。
    〈坂田さんには、何か極道(ごくどう)をひきよせる磁石のようなものが備わっているのかもしれませんね〉
     冗談めかして言う担当刑事。しかしその目は笑っていない。死体となって発見された男が暴力団の構成員だったとあっては、もはやその状況から逃げることはできません。
     極道がからむ事態は二転三転し、生命の危機にすら直面していきます。極道犯罪に巻き込まれたサカタの命運は? 人に媚びることを嫌って不器用な生き方を選ぶ、愛すべきサッコとの恋はどうなる?
     新宿鮫シリーズとはひと味もふた味も違った、大沢在昌の新しい世界をお楽しみください。(2012/7/13、2017/11/3改訂)
    • 参考になった 1
    投稿日:2012年07月13日