書籍の詳細

尊敬していた人物からの、思いもよらない行為。しかし、その事実を証明するにはーー密室、社会の受け入れ態勢、差し止められた逮捕状。あらゆるところに“ブラックボックス”があった。司法がこれを裁けないなら、何かを変えなければならない。レイプ被害にあったジャーナリストが、自ら被害者を取り巻く現状に迫る、圧倒的ノンフィクション。「この本を読んで、あなたにも想像してほしい。いつ、どこで、私に起こったことが、あなたに、あるいはあなたの大切な人に降りかかってくるか、だれにも予測はできないのだ。」(「はじめに」より)

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Black Boxのレビュー一覧

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  •  なぜ、司法はこれを裁けないのか?
     当事者の男女二人だけの密室――一流ホテルの部屋で行われた性行為をめぐって、女性が「レイプ事件」として被害届と告訴状を出した。相談を受けた所轄の高輪署の担当捜査員は当初、〈疑わしいだけで証拠が無ければ、罪には問えない〉とこの種の事件の難しさを繰り返していたが、2か月間の捜査の末に逮捕状請求にこぎつけ、裁判所もそれを許可した。
     そして――ワシントンから帰国する男の予定を掴んだ捜査員が、逮捕状を手に成田空港へ。そこで男の到着を待っていたところに緊急連絡が入り、男性の逮捕が取り止めとなった。その4日前の6月4日――担当捜査員は被害者の女性に電話で〈八日の月曜日にアメリカから帰国します。入国してきたところを空港で逮捕する事になりました〉と伝えてきていた。逮捕に向けて準備万端整っていたはずだった。
     いったい、何があったのか。不可解な逮捕取り止めの状況について、被害者の伊藤詩織さんが紙・電子同時に緊急出版した問題の書『Black Box(ブラックボックス)』(文藝春秋、2017年10月18日配信)にこうあります。

    〈・・・逮捕予定の当日に、A氏(引用者注:高輪署の担当捜査員)から連絡が来た。もちろん逮捕の連絡だろうと思い、電話に出ると、A氏はとても暗い声で私の名前を呼んだ。
    「伊藤さん、実は、逮捕できませんでした。逮捕の準備はできておりました。私も行く気でした、しかし、その寸前で待ったがかかりました。私の力不足で、本当にごめんなさい。また私はこの担当から外されることになりました。後任が決まるまでは私の上司の〇〇に連絡して下さい」(中略)
    「検察が逮捕状の請求を認め、裁判所が許可したんですよね? 一度決めた事を何故そんな簡単に覆せるのですか?」
     すると、驚くべき答えが返ってきた。
    「ストップを掛けたのは警視庁のトップです」
     そんなはずが無い。なぜ、事件の司令塔である検察の決めた動きを、捜査機関の警察が止めることができるのだろうか?
    「そんなことってあるんですか? 警察が止めるなんて?」
     するとA氏は、
    「稀にあるケースですね。本当に稀です」
     とにかく質問をくり返す私に対し、
    「この件に関しては新しい担当者がまた説明するので。それから私の電話番号は変わるかもしれませんが、帰国された際は、きちんとお会いしてお話ししたいと思っています」
     携帯電話の番号が変わる? A氏はどうなるのだろうか?
    「Aさんは大丈夫なんですか?」
    「クビになるような事はしていないので、大丈夫だと思います」〉

    〈納得いかない〉と繰り返す著者に対して、〈私もです〉と同意したA氏は〈自分の目で山口氏を確認しようと、目の前を通過するところを見届けた〉とまで言ったという。
     不可解な事態は警視庁だけではありません。東京地検の担当M検事もまた、逮捕にストップがかかった当日に担当から外れていた。

     逮捕にストップがかかった2015年6月8日から2か月ほど遡った4月3日、「事件」は起きました。
    「準強姦罪」で告発された男性は、当時、TBSワシントン支局長だったジャーナリスト・山口敬之氏。ニューヨークの大学でジャーナリズムを学んで帰国していた著者は、ニューヨーク時代アルバイト先のピアノバーで知り合った山口氏にメールを送った(2015年3月25日)。

    〈以前山口さんが、ワシントン支局であればいつでもインターンにおいでよといってくださったのですが、まだ有効ですか?笑
    現在絶賛就活中なのですが、もしも現在空いているポジションなどがあったら教えていただきたいです。〉

     山口氏からはその日のうちに以下の返信が届いた。

    〈「インターンなら即採用だよ。
    プロデューサー(有給)でも、詩織ちゃんが本気なら真剣に検討します。ぜひ連絡下さい!〉

     4月3日。詩織さんは一時帰国した山口氏と恵比寿で待ち合わせ、山口氏行きつけの寿司屋などで食事をし、酒を飲んだ。飲食途中から記憶を失った詩織さんが覚醒したのは、ホテルのベッドの上だった。

    〈目を覚ましたのは、激しい痛みを感じたためだった。薄いカーテンが引かれた部屋のベッドの上で、何か重いものにのしかかられていた。
     頭はぼうっとしていたが、二日酔いのような重苦しい感覚はまったくなかった。下腹部に感じた裂けるような痛みと、目の前に飛び込んできた光景で、何をされているのかわかった。気づいた時のことは、思い出したくもない。目覚めたばかりの、記憶もなく現状認識もできない一瞬でさえ、ありえない、あってはならない相手だった。〉

     あってはならない相手の、あってはならない行為のこれ以上の詳細はここでは触れません。
    〈What a fuck are you doing!(何するつもりなの!)〉罵倒の言葉を投げつけてホテルを出た詩織さん。彼女はボロボロになりながらも、自らの身に起こった「あってはならない行為」に対する闘いを始めます。
     レイプ犯罪にあったとき、どうすればいいのかわからないまま、妊娠の可能性が気になって産婦人科には行った。モーニングアフターピルをもらいたかったからだ。しかし、そこでレイプ事件に必要な検査――血液検査やDNA採取――は受けられなかった。著者は、自らの経験に基づいて医療機関にレイプキットを備えておくことの重要性を訴えています。スウェーデンの先進的取り組みを現地取材した報告は、日本の現状を考えると示唆に富むものとなっています。

     さて、「事件」に戻ります。証拠採取はできませんでしたが、「デートレイプドラッグ」使用を確認できなかったことを別とすれば、著者の「事件」の場合そのこと自体は捜査の決定的な壁にはなりませんでした。強姦事件(および準強姦事件=主に意識の無い人に対するレイプ犯罪)の大きな争点は
    (1)行為があったか
    (2)合意があったか
     の2点です。この事件の場合、訴えられた山口氏も行為があったことは否定していません(妊娠の可能性を気にする著者に対して、山口氏は〈(妊娠の可能性はないとメールしたのは)精子の活動が著しく低調だという病気〉だからと返信している)。したがって問題は両者の間に性行為について合意があったのかどうかに絞られます。

    〈「行為」があった証拠が完全に揃っていたとしても、警察で「一緒に部屋に入っただけで合意だ」と言われ、起訴されないことすらある。
     私の事件の場合、私が引きずられるようにしてホテルに入ったのは、ビデオを見てもらえればわかると思うが、その後、部屋の中である程度の時間が経っている。
     その間、合意したのか、しないのか?
     密室の中で起こったことは第三者にはわからない、と繰り返し指摘された。検事はこれを「ブラックボックス」と呼んでいた。
     しかし、意識の無い状態で部屋に引きずり込まれた人が、その後、どう「合意」するのだろうか? こんなことを克明に証明しなければならないなら、それは法律の方がおかしいと思う。〉

     一旦、逮捕状が出されながら、執行寸前のところでストップがかかったことは先述の通りです。「事件」は警視庁捜査一課に引き継がれますが、結局証拠不十分で不起訴処分が確定します。逮捕状の執行が取り止めとなった2015年6月8日から約1年後、2016年7月22日のことです。その直前、東京地検の担当検事が著者にこう語ったという。

    〈担当のK検事と二度目に面会したのは、二〇一六年七月半ばのことだった。検事との話に、目新しい展開はなかった。検事は最後にこう言った。
    「この事件は、山口氏が本当に悪いと思います。こんなことをやって、しかも既婚で、社会的にそれなりの組織にいながら、それを逆手にとってあなたの夢につけこんだのですから。それだけでも十分に被害に値するし、絶対に許せない男だと思う。
     あなたとメールのやりとりもあって、すでに弁護士もつけて構えている。検察側としては、有罪にできるよう考えたけれど、証拠関係は難しいというのが率直なところです。ある意味とんでもない男です。こういうことに手馴れている。他にもやっているのではないかと思います」
     そして彼は、日本には準強姦罪という罪状はあるが、実際にはなかなか被疑者を裁けない、と、現行法の持つ矛盾を、長い時間かけて語った。〉

     残された最後の手段――著者は検察審査会への申し立てを行い、同時に顔と名前を明かして司法記者クラブで記者会見を開いた。2017年5月29日のことです。
     逮捕状の執行が突然止められた事実。その判断を下したのが当時、警視庁刑事部長だった中村格氏であったこと。中村氏は菅義偉官房長官の秘書官として辣腕を振るい、安倍官邸から重用されてきた。そして、訴えられている山口氏もまた、政権中枢に食い込んで『総理』(幻冬舎、2017年4月11日配信)を出版するほど安倍晋三首相周辺と親密な関係にあるらしい・・・・・・著者の「事件」は、森友・加計学園疑惑をめぐって官僚の過剰なまでの忖度などが問われていた安倍官邸で起きた同根の問題ではないかと波紋を広げました。中村刑事部長の指示によって逮捕が取り止めとなったのは、そうした政治的な力学が働いたのではないか、というわけです。
     疑惑が深まるなかで、2017年9月22日に検察審査会が出した結論は「不起訴相当」でした。幾重ものブラックボックスが性犯罪被害者の切実な訴えに立ちはだかっているのです。

    〈今までは出来る女みたいだったのに、今は困った子どもみたいで可愛いね〉

     下着を返して欲しいと言ったら「お土産に頂戴」と言われ、力が抜けて膝に力が入らず、座り込んでしまった際に、山口氏に言われた言葉だそうです。
     なぜ、司法はこれを裁けないのか。(2017/11/3)
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    投稿日:2017年11月03日