書籍の詳細

第二次世界大戦の米軍の沖縄上陸作戦で家族すべてを失い、魂(マブイ)を落としてしまった知花煉。一時の成功を収めるも米軍のお尋ね者となり、ボリビアへと逃亡するが、そこも楽園ではなかった。移民たちに与えられた土地は未開拓で、伝染病で息絶える者もいた。沖縄からも忘れ去られてしまう中、数々の試練を乗り越え、自分を取り戻そうとする煉。一方、マブイであるもう一人の煉はチェ・ゲバラに出会い恋に落ちてしまう……。果たして煉の魂の行方は? 『テンペスト』『シャングリ・ラ』の著者が20年の構想を経て描破した最高傑作!

まだユーザーレビューはありません。最初のレビューを書いてみませんか?

ヒストリアのレビュー一覧

絞込み条件
  • レビュアー絞込み
表示形式
  • 表示件数
  • 表示順
  •  1945年3月、太平洋戦争末期の沖縄本島。米軍の容赦ない空爆、艦砲射撃が開始され、そして4月1日上陸してからは火炎放射器が兵士ばかりか住民を追い回し、焼いた。家族をすべて失い、一人生き残った少女――占領下の沖縄からボリビアに渡り、激動の時代を逞しく生き抜いた知花煉(ちばな・れん)の一代記『ヒストリア』(角川書店、2017年8月25日配信)。1970年沖縄・那覇に生まれ、石垣島で育った気鋭作家、池上永一が20年前から温めてきた〈オキナワ〉の物語だ。
     ヒロイン知花煉の述懐を綴る、こんな一節がある。

    〈生きるか死ぬかの瀬戸際に追い詰められるまで、同時に家族、友人、知人が皆殺しにされるまで、戦争がどういうものなのか、ピンときていなかった。両親は誰かに憎まれて殺されたわけじゃない。友達も何ひとつ悪いことをしていなかった。それなのにある日、爆弾が落ちてきて、骨も歯も残らないほど粉砕された。極悪人の処刑でもここまでしないだろうというほどに。恐ろしいのは、アメリカ軍は私たち住民をまったく憎んでいなかったということだ。人は憎悪がなくても悪魔になれる。それが戦争というものだった。〉(「第十三章 私の魂の還る場所」より)

     米軍上陸前夜の空襲が始まり、〈最初の一発が女の叫び声のような音をたてて大地に炸裂し〉その衝撃で知花煉は〈自分の意志とは裏腹に大地を転が〉り、〈天と地が泥濘んでいるような曖昧な空間を木の葉のように舞〉い、マブイ(魂)を喪失した。普通なら肉体も失って〈死〉を迎えるはずですが、しかし肉体は存続し、知花煉が二人になった。マブイは地球の反対側のボリビアに飛ばされた。不発弾に守られるようにして横たわっていて覚醒し、〈長い死に際〉を生きることになった知花煉は沖縄戦の過酷な現実のなかに放り込まれ、100日間逃げまどう。「第一章 私の長い死に際」より引用します。

    〈私は敵を見た瞬間に殺されてしまう立場だった。敵と遭遇しないことこそ生き延びる唯一の道だった。この敵とはアメリカ兵はもちろん、日本兵も含まれる。銃を持った兵隊は全員が敵だった。〉
    〈もはや人の道に悖(もと)る連中だった。お国のためだと言って米を略奪する。水場を独占する。逃げ場の壕を奪う。泣いても喚(わめ)いても無駄だった。私が芋を両手で抱えている時のことだ。三日ぶりの食糧でやっと手に入れたものなのに、兵隊は恐ろしい顔をして、
    「いざとなったらこれで死ね」
     と手榴弾と交換させられた。私の命は手榴弾と同じだといわんばかりの口調だった。戦況は内側に日本軍というもうひとつの敵を内包し複雑になっていた。アメリカ兵は嫌いだが、日本兵は恐ろしかった。
    「せめて空腹を紛らわすお水だけでもください……」
    「貴様、なんだその目は!」
     私は眼鏡の日本兵が振りかざした銃床で殴られ泥のなかに突っ伏した。〉

     玉砕が迫る中で、この眼鏡の日本兵は奇形の芋虫にしか見えない陰茎を目の前に突きつけ、煉を自らのおぞましい性欲のはけ口にさえした。沖縄住民、とくに老人や子どもは、戦場の生態系のなかで最底辺に属していた。

     1945年6月23日。沖縄戦は終結した。夥しい屍体と、それと同じくらいの瀕死の生存者と、圧倒的な絶望。そんな占領下沖縄の戦後を知花煉は逞しく生きる。嘉手納飛行場近くのコザ市(現・沖縄市)の一角でアメリカ製品の横流しを請け負う商売を営み、後に初代琉球列島高等弁務官となるジェームズ・E・ムーア陸軍中将の知遇を得るが、ちょっとした手違いから米陸軍CIC(Counter Intelligence Corps 対敵諜報部隊)に追われる身に。そして、肉体を持つ知花煉も偽造パスポートを手に入れ白い移民船『チサダネ』号に潜り込みボリビアに渡ります。アフリカ最南端の喜望峰(きぼうほう)を回って大西洋に入り、ブラジルのサントスまで50日間の船旅です。
    〈煉、待ってるよ〉
     沖縄を離れる間際、知花煉の頭に響いた声。地球の裏側のマブイ(魂)が誘っているのだろうか。
     沖縄から遠く離れた南米ボリビアの地。二人になった知花煉――肉体を持つ「私」とマブイの「わたし」の物語が並行していく。入植地に入った知花煉は、大洪水や疾病による挫折を味わいながらも未開の地を切り開き、コロニア・オキナワを築きあげる。
     そしてもうひとりの知花煉がゲバラと出会い恋に落ちていき、物語は一気に戦後の裏面史を織り込んだスケールの大きな展開へと動き始めます。

    〈すっきりとした面持ちの青年が、まるで旧友との再会を懐かしむような顔で近づいてくるではないか。私は反射的に身を強張らせたが、青年の笑みは確信に満ちていく。
    「間違いないポデローサ号だ。懐かしい。おお神よ、一体なぜポデローサ号がボリビアにあるんだ!?」
     上流階級の服装をした青年のスペイン語のイントネーションから、アルゼンチン人だと思われる。〉

     知花煉の愛車、ミヤラビ号はその青年が手放したものを再生したバイクだった。意気投合してラパスまで一緒に行くことになった二人。ラパスまでの道のりは日を跨ぐ。この夜、二人はコチャバンバというボリビア第三の都市で休むことにした。亜熱帯のサンタクルスとは異なり、コチャバンバは高山性の気候に変わる。

    〈「レンのベッドはここ」
     エルネストは私の腕を引っ張り、全身で受け止めた。子供っぽい振る舞いだが、お見事でもある。
    「私は行きずりの関係は嫌よ」
    「ぼくだって嫌だよ」
     私たちは同時に唇を重ねた。すぐに私たちは全身に火がついたように昂(たかぶ)った。コチャバンバの夜の寒さなんてもう問題ではなくなった。私たちの肌は汗でぴったりとくっついてしまった。私は初めてなりふり構わない夜を過ごした。(中略)
     私はエルネストに恋をした。彼のまたの名をチェ・ゲバラという。〉(「第四章 風の中の初恋」より)

     世界は米国とソ連の冷戦の時代。ボリビアでは武装蜂起して政権を奪取した民族革命運動党(MNR)によるボリビア革命(1952年~1964年)が始まっていました。
     知花煉はボリビアで3人の“仲間”を得ます。
    ・カルロス・イノウエ………沖縄の血を引くボリビアの日系三世。機械の修理を得意とする。
    ・セザール・イノウエ………カルロスの兄。カルメンの熱烈なファン。
    ・カルメン……………………女子プロレスラー。ボリビアの国民的英雄。バット・プレスが必殺技。
     ひとつの肉体を巡ってぶつかり合い乗っ取りをはかる二人の知花煉の戦い。米陸軍が使っていた大型輸送機を手に入れ空賊として南米中を飛び回る煉と3人の仲間の大胆かつ危機一髪の連続シーン。沖縄の基地から盗み出されたメースB(中距離巡航ミサイル)の核弾頭を米ソ核危機(1962年)さなかのキューバに持ち込みカストロに渡そうと画策する〈わたし〉。キューバには恋人のゲバラがいる。そしてカストロの手に渡る前に核弾頭を〈欲望と本能の赴くままに動く野獣〉から奪い返そうとキューバに向かう〈私〉の息詰まる攻防。そして結婚と清香(さやか)の誕生。最愛の娘の誘拐と奪還。夫の死。

     およそ400字詰め原稿用紙2400枚、紙書籍629ページの長編エンターテイメント。それにしても、なぜ、ボリビアなのか。著者はあるインタビューでこう語っています。

    「発端は僕が二十七歳の時、帰省中に、NHK沖縄放送局制作の情報番組をたまたま見たんです。
     子どもたちが三線を弾いていて、どこか離島の学校かな、と見るともなしに見ていたら、インタビューに応えて喋る子どもたちの言葉が、古い沖縄の、祖父やその上の世代が喋っていたきれいな首里方言で、『えっ?』と思って、集中しようと意識を向けると「以上ボリビアからでした」と終わってしまった。
    『いまのがボリビアかあ』と頭に刷り込まれて、僕らの世代が聞くことはできるけれど、喋ることはできない言葉を喋る子どもたち。ウチナーグチの舌下音も声調も完璧で、これはどういうことなんだろう、もっと知りたいなと思ったんですよ。ボリビア移民について詳しく知っていそうな研究者に聞きに行くと、いい反応をしてもらえない。はっきりとは言わないんだけど『やめとけ』『彼らのことはそっとしておいてやれ』というニュアンスです。
     そうなるとさらに知りたくなるじゃないですか。自分なりに調べていくと、戦後の沖縄で、多くのボリビア移民が海を渡っていた。まるでパラダイスに行くかのように移民を勧める、移民局の資料も残っていました。
     沖縄では、ブラジルとかハワイに移民した親戚がいるのは割と普通のことです。けれど、戦後の、基地をつくるために農地の強制収容とセットで行われたボリビア移民のことは、忘れた、もしくはなかったことのようにされていた。当時の沖縄の論調というのは、自分たちは真っ白な被害者なんですよ。生きるうえで加害に与した部分もあるのに、そういう歴史は隠蔽してしまっている。そういう複雑な感情が、ボリビア移民に対してはあるんだと思う」(KADOKAWA発の文芸情報サイト「カドブン」より)

     そうした背景の中で、ボリビア移民だけが日本的なアイデンティティ-を死守しているという。
    「ブラジルもペルーもアルゼンチンもチリも、すべて同化の道を選んで日本語をすてているんだけど、ボリビアは違っていた。コロニア・オキナワでは、第一言語を日本語にして、スペイン語は中学を卒業してから学び始めるんです」(同)

    「沖縄の返還なくして戦後は終わらない」沖縄返還(1972年)時の首相で、安倍晋三首相の大叔父、佐藤栄作氏が残した言葉です。
     沖縄が日本に復帰するというニュースを聞いたヒロインの知花煉は、娘の清香(さやか)とともに沖縄に行くことを決意する。

    〈その夜、私はまた戦争の夢を見た。
    ──煉、早く沖縄に来て。私、苦しいよ。
     私は覚悟を決めて目を覚ました。この悪夢を断ち切らない限り、私の戦争は決して終わらない。そのために沖縄に戻るのだ。〉

     ボリビアでボリビア人として生きていくために、コロニアル・オキナワでボリビア人として死ぬために、やっておかなければならないことがある。固い決意を胸に飛行機を乗り継いで沖縄の地に降り立った知花煉。
     沖縄本島中部。煉の村があった場所には[CAMP HANSEN]のプレートが掲げられていた。村は立ち入りできない基地の中だ。頭の中に響く彼女の声――。
    〈──煉、私はここよ! ここにいるわ!〉

     胸の奥底から絞り出したようなヒロイン知花煉の内なる声、
    〈現在も、私の戦争は終わっていない。〉
     この一行で物語は終わります。

     今もそこにある〈戦争〉――ウチナーンチュ(沖縄人)に寄り添う作家の揺るぎない思いがこの巨編〈終わりなき戦争の物語〉を貫き、読み応えのある作品にしています。(2017/10/20)
    • 参考になった 2
    投稿日:2017年10月20日