ツボ押しの達人

630円 (税別)

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放談社週刊ミライ編集部の望来は、かつて指一本で勇名を馳せた達人を取材しに山に入る。人の尊厳を一瞬で奪う筆舌に尽くしがたい凄技を操る達人から、望来は技の手ほどきを受けることに。そこへ編集長刺傷の報が。ヤクザの逆恨みか、それとも…!? 事件解決に乗り出す望来はもう、かつてのひ弱な記者ではなかった!

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放談社週刊ミライ編集部の望来は、かつて指一本で勇名を馳せた達人を取材しに山に入る。人の尊厳を一瞬で奪う筆舌に尽くしがたい凄技を操る達人から、望来は技の手ほどきを受けることに。そこへ編集長刺傷の報が。ヤクザの逆恨みか、それとも…!? 事件解決に乗り出す望来はもう、かつてのひ弱な記者ではなかった!

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 主人公は、中根望来(なかね・みく)。中学・高校を桜の園(さくらのその)女学院で過ごし、そのままエスカレーターで桜の園女子大に進学。少女時代に親しんだ物語の世界、それを作り出す側――編集者として文学に関わりたくて、高校生の頃から出版社への就職を希望していた望来。だから憧れの放談社(ほうだんしゃ)に入社できたときは、夢が叶った喜びで胸が一杯になった。講談社文庫のための書き下ろし作品『ツボ押しの達人』(講談社、2017年8月11日配信)の舞台が〈業界最大手の放談社〉。この遊び心が、室積光作品の魅力のひとつだ。
 新入社員研修を終えた望来が配属されたのは「週刊ミライ」編集部。全く予想外の事態で、お嬢さん育ちの望来はいきなりのハードスケジュールに目を回すことになります。朝早くから取材で表を歩き回り、夜遅くまで原稿を書く。週のうち最低一日は徹夜になる。まず必要なのはセンスより体力――想像していた人生とはあまりにかけ離れた毎日が始まった。
 週刊ミライに配属されて一年間で一気に老けた。気のせいではない。肩こりがひどく、便秘になって肌はくすんできている。就寝前のひと時、鏡の中の自分をじっくり見て――(二十四の女の顔じゃないね)自嘲的というより呆れている感じだ。

 そんな望来を呼びつけた編集長の水田達貴(みずた・たつき)が〈達人の取材してこい〉と言い渡して、物語が動き出します。

〈「達人……ですか?」
 問い返した望来の胸元に分厚いファイルが突きつけられた。
「まずは都内で取材だ。出張はそれからだな」
 出張? 寝不足が続いていま一つ頭が回転しない。質問は止(や)めておいてとりあえず自分のデスクに戻った。
 戸惑うばかりだ。まず部会もプラン会議もすっ飛ばして、編集長から直接仕事の指示というのが異例だ。
(私、何かやらかしたっけ?)
 自問してみるがペナルティを受ける覚えはない。第一、それならそのことに対する説教とセットになってしかるべきだ。〉

 渡されたファイルにあった「達人」は、山本俊之(やまもと・としゆき)。先輩記者笠山孝介(かさやま・こうすけ)の説明によれば、無差別大量殺人を計画していた神の真理教団をたった一人で壊滅させた老人だ。望来はその頃小学校低学年。最初名前を見たときにはピンとこなかったが、変身ヒーロー物のストーリーを彷彿とさせる事件は、過去の世相を回想するテレビ番組があれば、必ず取り上げられる話題で、〈それならわかります〉と一応納得しかけた望来ですが、笠山がふと漏らした一言にカチンときた。

〈「この取材は疎開だな」
「疎開?」
「ああ、戦場から一旦退避。山本俊之って人は確かどこかの山奥で暮らしているはずだ。そこに出張して、ほとぼりが冷めるまで帰って来るな、ってことじゃないかな」〉

 週刊ミライは振り込め詐欺とヤミ金融のバックに暴力団の市川組がいると睨んで取材班を組んで長期取材を続けており、望来もこの市川組取材班の助っ人として、ヤミ金融の事務所に融資の申し込みに行くなど、たびたびオトリ役を務めた。若い女性なら疑われないという理由での動員だったが、それがバレた――〈週刊誌の記者と思われていればまだしもだ。警察か探偵の関係者と疑われているなら命の危ない話〉だから、〈疎開、戦場から一旦退避〉これが先輩記者の絵解きだった。納得のいかない望来はファイルを手に再び編集長のデスクへ――。

〈「これ、疎開なんですか?」
「何だ? 藪から棒に」
 水田は他の原稿に目を落としたままで応える。質問の答えになっていない。ファイルを編集長席に置いて望来は声を張った。
「もし、市川組の取材の件で、私の身を案じてのことなら、この仕事は他の方にお願いします」
 ここで水田は顔を上げた。その目を真っ直ぐ見て、望来は続けた。
「取材先が反社会的集団であれば、命の危険もあるかもしれません。だからと言って、私だけ逃げ出せとおっしゃるなら承服できません」
 腹が立っていた。自分で望んで飛び込んだ週刊誌の世界ではない。だが、今はへこたれずに頑張っている自負と矜持がある。ここで女だからという理由で特別扱いされたなら、頑張ってきた甲斐がない。
「中根はやっぱりお嬢様だな」
 水田は椅子の背もたれに体を預けて言った。いつもよりいささか柔らかい口調だ。
「どういうことでしょう?」
 望来は今、そのお嬢様扱いが我慢ならなくて抗議しているのだ。
「編集長の俺が行けと言ってるんだ。敵前逃亡でも何でもない。素直に従え。グズグズ口答えするのはお嬢様の所業だ」
 これには言い返す言葉が見つからず、望来は黙るしかなかった。
「確かに、かつて我が社の記者で暴漢に襲われて重傷を負った者がいた。犯人は結局捕まらず、真相は闇の中だ。そんな事例があるからといって、取材でもう一歩突っ込むのを止めれば、それは敗北だ。ジャーナリズムのな。暴力にペンが屈してはならない。だがな、これはお嬢様が一人で挑む戦いではない。チームで戦うんだ。戦い続けるために中根は俺の指示通り動け」
 ふだんからつっけんどんな物言いで、仕事の鬼としか見えない水田編集長は、温情を見せるときにも愛想がない。それがこの人の筋の通し方なのだ。
 望来は無言で感動していた。そのまま一礼して席に戻ると、
「何だ? 威勢良かったわりにはあっさり撤退したな」
 笠山に小声でからかわれた。〉

 振り込め詐欺、ヤミ金融事件でも、有名人の覚醒剤事件でも必ずと言っていいほど名前の挙がる暴力団市川組。そしてこの反社会的組織との黒い関係が取り沙汰される大物政治家。社会悪に長期取材で挑む放談社の週刊ミライ編集部。“お嬢様”と言われてはいても、中根望来は暴力に屈することを拒否する正義の集団の一員だ。

 改めて“達人”に関するファイルを開く望来。
〈「山本俊之。一九一九年九月六日生まれ」
(というと今は八十七歳? 違う、九十七歳だ)
 確かに記憶の中のニュース映像でもこの人は老人の姿だ。あのとき望来自身が子どもだったことを思えば、この高齢も不思議ではない。
「東京出身。東京府立六中→六高→東京帝国大学法学部」
(へえ、秀才だ。戦前の帝国大出なんて超エリート)
「戦後は検察官として働き、昭和三十三年退職。岡山県に移住。現在に至る」〉

 簡単なプロフィールのほかは、達人80歳の時の新聞記事のコピーの束――神の真理教団を壊滅させた勧善懲悪のヒーロー扱いした記事に目を通し、達人の動画をネット検索した。何度再生しても意味のわからない動画に困惑する望来。

〈どう考えても映っている人物の動きが合理的に説明できないのだ。
(なぜ倒れる?)
 モニターの中では、達人にかかっていく複数の人間が束になって倒されている。その理由がわからない。
 達人と呼ばれているのは、見た目は特別体力があるとは思えない小柄な老人だ。その老人が舞うように動くと、屈強な大男が見事に飛ばされていく。技を持っていると説明されても、動画の中で展開しているのは超常現象としてしか理解されないものだ。
(これは楽しみかも)
 望来は今回の仕事に個人的興味を持ち始めていた。〉

 身に迫る危険から逃れることも兼ねて岡山の賢人岳にやってきた中根望来を、山本俊之たちは温かく迎え入れます。とくに、達人の孫娘、加藤寛奈(かんな)夫人とは、偶然、同じ桜の園女学院の先輩後輩だったこともあって、すぐにうち解けた。大自然の中で裸になった心地よさからか、一緒に入った露天風呂で寛奈夫人が重大な秘密を口にした。民権(みんけん)党幹事長だった野玉逸郎(のだま・いつろう)の突然の引退劇に話が及んだ時だった。野玉逸郎は、地盤を譲った息子の真太郎(しんたろう)が議員になった後も真太郎が所属する「みんな幸せ党」を陰で牛耳っている“政界のドン”で、週刊ミライが取材を進めている市川組との関係が取り沙汰されている。週刊誌記者望来も興味津々だ。

〈──なんで息子に跡目を譲ってドンなんてやってるんでしょう? 体調不良で辞めたわりには元気ですよね。
「それはあの有名な事件があったからでしょう……野玉逸郎園遊会おもらし事件」
 そうだった。どういうものか新聞テレビでははっきりと報道されなかったが、野玉逸郎は春の園遊会で失禁事件を起こして議員辞職に至ったのだ。
「まあ、あれは私が犯人のテロだけど」
 寛奈夫人が重大な秘密を口にした。
 ──え? するとあれは例の最強の技で?
「そう。まあお祖父ちゃんと駕吾原さん(引用者注:達人の同居人。元野玉逸郎秘書)の無念をあれで晴らしたというかな。だって駕吾原さんはすべての罪を背負って刑務所に入ってたんだよ」〉

 望来の質問にある「例の最強の技」とは? 6歳の時に古武術「昇突き流柔術」を習い始めた達人山本俊之が体得した技のうち、最強と呼ばれるは、究極のツボ押し「尊厳崩し」。〈その技をかけられたものは、本人の意思に関係なく「おもらし」をしてしまう。それも小さい方と大きい方の両方……。〉やられた方は命を落とさなくとも人間としての尊厳を失う。どんな権威もガラガラと崩れ去るのだ。ラスボス神の真理教祖、鼎丸瑠璃(かなえまる・るり)もこの技によって信者たちから見捨てられた。政治家も教祖も「おもらし」一発ですべて吹っ飛んで終わりだ。
 せっかく、達人を取材するのだから、護身術にこの痛快な技を身につけることは出来ないものか。中学に入ってすぐに細くきれいな足で走るのが速そうな雰囲気なのに、実際は遅かったところから「ドンカモ(鈍足のカモシカ)」のあだ名を頂戴した望来ですが、少しは強くなって帰りたいと心の奥底で思っていた。

 翌日曜日の午後。午前中に達人のインタビュー取材をした望来は、寛奈とマルコ(クロアチア系ドイツ人の若手陶芸家、マルコ・コバチェビッチ)の稽古を見に行くという達人に見学を申し出た。
 そして昇月流柔術――ツボ押しを初体験。マルコに肩を軽くたたかれただけなのに、腰が抜けて、芝生の上に横座りになってしまった。そして寛奈夫人がマルコに同じ技をかけるのを間近に見て、ようやく自分が何をされたのかを理解した望来に寛奈夫人が〈挑戦してみましょうか〉と声をかけた。

〈「言葉で説明すると、力を抜いて。腕を脱力させて相手の肩を真上から叩く」
 なるほど、言葉としては理解した。望来は右腕から力を抜いて、マルコとすれ違う瞬間、掌をその肩に叩きつけた。
「ウワー」
 歓声を上げたのは二人の少年(引用者注:陶芸家・加藤雄三氏と寛奈夫人の息子たち)だった。おとなたちは固まっている。
 望来が振り返ると、マルコがものの見事にひっくり返っていた。(中略)
「あの脱力の要領が一回でわかる人はなかなかいないよね?」
 寛奈夫人が達人に確かめた。
「うん。なかなかおらんのう。これまでは寛奈ぐらいのものか」
 達人はしばし考えていたが、「もう一度。もう一度やってみんさい。今度は二人続けて」
 そう望来に促すと、雄三氏とマルコに二メートルほど間隔を置いて立つように命じた。「ではもう一度脱力して打つ」
 寛奈夫人の声がかかると同時に、望来は歩き始めた。雄三氏、マルコと続けて打つ。
 二人とも倒れた。〉

 運動音痴を自認していた「ドンカモ」の望来に何が起きたのか。達人が天才寛奈以来と認めた望来の才能はどこまで開花していくのか。
 望来が東京を離れた後、反社会的組織市川組との対峙が続く「週刊ミライ」編集部は、一層切迫した事態に追い込まれていきます。
 そして――編集長刺傷の報を受けて東京に戻る望来。必殺シリーズを彷彿させる痛快活劇展開はここでは書きません。本書の一気読みで堪能してください。
 達人の達人たる所以を描いた一節を紹介して、この稿を閉じます。

〈「寂しさは幸せな心境じゃ。中根さんのご両親はご健在か?」
「はい、おかげさまで」
「じゃが、いつかお別れの日は来る」
「そうですね」
「そのときは悲しいぞ」
「はい、そうだと思います」
「じゃが、悲しみはいずれ癒える日もくる。次に寂しさがやってくる。この寂しさは癒えることはない。一生続く。寂しさは自分がその人を想い続けている証なんじゃ。な、幸せじゃろう?」
「そう考えるとそうですね」
 達人は祠を見た。望来もつられて見た。たくさんの木札。たくさんの寂しさ。
 若い望来には想像もつかない寂しさ。それがこの達人の人生の中にある。
 そう思う望来の心の中を見透かしたように達人は言った。
「さよならだけが人生じゃ」〉

 木札には訃報の届いた人々の名前が書かれてある。ひとつの木札に、ひとつの人生。
 薄っぺらで情けない人物が放つ負のオーラから解放されて救われるのは望来だけではありません。室積光の文に接した私たちも、描かれる人間の深みにいつしか引き込まれ癒やされていくのです。誰がどう見ても「嘘」とわかることを恥じることなく国会や記者会見で言ってのける政治家が君臨する時代のツボを的確に押すパロディの批判力に拍手です。
「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく」井上ひさしさんが残した言葉を思い出します。
 達人山本俊之デビューの第1作『達人 山を下る』、第2作 『達人の弟子 海を渡る』(ともに中公文庫、2013年7月5日配信)も読みたくなった。(2017/8/18)
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