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「民主か独裁か、これが唯一最大の争点である」――1960年6月4日付「図書新聞」に掲載された竹内好の渾身のメッセージ。5月19日に日米安保新条約を衆議院で強行採決し、自然成立を狙って参議院における採決を回避する岸信介政権の独裁に対し、国民の主権奪回の意思表示を呼びかけた伝説の記事が電子書籍になって甦りました。6月15日、国会デモに参加していた東大生・樺美智子さんの圧死、6月19日新条約自然成立直後の6月23日、岸信介内閣は退陣表明に追い込まれました。竹内好の独裁政治批判は、半世紀の時を超えて、岸信介元首相の孫である安倍晋三首相の“一強政治”を撃つ――。

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民主か独裁かのレビュー一覧

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  •  1960年5月19日深夜、衆議院日米安全保障条約等特別委員会で新条約案が強行採決され、翌20日に衆院本会議を通過しました。安倍晋三首相の祖父、岸信介首相(当時)率いる内閣と自民党は右翼団体、博徒、暴力団を公設秘書として国会内に入れ、座り込んだ社会党議員をごぼう抜きにして採決を強行したのです。敗戦から15年、サンフランシスコ平和条約(独立)から9年。戦争、占領時代の影が残っている時代だったとしても、時の首相が「政財界の黒幕」と呼ばれた児玉誉士夫、1976年(昭和51年)にロッキード事件が発覚、ロッキード社の秘密代理人を務めていたことが露呈したが、それまで隠然たる力を誇っていたフィクサーを頼って右翼・暴力団員を国会内に引き入れたというのですから驚きです。岸内閣への抗議として自民党からも石橋湛山、河野一郎、三木武夫、松村謙三といった有力者が翌日の本会議を欠席、あるいは棄権しましたが、強行採決に抗議する国民の声はさらに広がり、30万人を超す市民が連日「安保反対」「岸内閣退陣」を求めて国会を取り囲んだ。

     国論が二分される緊迫した状況が続くなかで、その記事は発表された。6月4日付け図書新聞一面。「民主か独裁か」と題する論稿です。強行採決の5月19日から約2週間たっていましたが、原稿末尾には〈5月31日夕〉と記され、このままでは6月19日に新条約が自然成立してしまうというスケジュールを意識してギリギリのタイミングで発せられた国民への緊急メッセージでした。
     筆者の竹内好(たけうち・よしみ)は、1910年(明治43年)長野県生まれの中国文学者。1931年(昭和6年)東京帝大文学部支那学科に入学。在学中に後に作家となる武田泰淳らと「中国文学研究会」を結成し、「中国文学月報」を創刊。1943年(昭和18年)召集により陸軍二等兵として中国大陸へ出兵。1945年(昭和20年)終戦を中国大陸で迎え、復員。60年安保の時、東京都立大学教授を務めていたが、岸内閣の強行採決に抗議して辞職した。この時発表したのが「民主か独裁か」の記事です。

    〈当面の状況判断〉というサブ見出しの下、筆者自身が〈いかなる個人および集団によって利用されるのもいとわない。この稿に関しては私は著作権を放棄する〉とした「民主か独裁か」は、競合紙「日本読書新聞」を初め、学生新聞などにも続々と掲載されました。そして原稿発表から11日後の6月15日――市民33万人が国会周辺を埋め尽くし、国会への突入を図る全学連と警察が衝突。東大生・樺美智子さんが死んだ。6月19日に新条約は参議院における審議・議決を経ることなく自然成立しますが、6月23日には岸首相がついに退陣を表明。そして7月15日に岸内閣総辞職、池田勇人が首相に就任し、新しい時代が始まりました。
     戦後日本が大きな岐路に立つなかで発表され、岸内閣の政治手法に疑問を感じた多くの国民、市民の強い支持を得た竹内好の「民主か独裁か」。時代を変えた論稿として記憶されることになった、この伝説の記事が復刻され、2017年8月4日、電子書籍『民主か独裁か』の配信が始まりました(イーブックイニシアティブジャパン、無料)。

     岸内閣による強行採決とその直後の政治状況に対する竹内好の判断にぶれはまったくありません。渾身の、そして真っ直ぐな訴えはこうです。
    〈三 民主か独裁か、これが唯一最大の争点である。民主でないものは独裁であり、独裁でないものは民主である。中間はありえない。この唯一の争点に向っての態度決定が必要である。そこに安保問題をからませてはならない。安保に賛成するものと反対するものとが論争することは無益である。論争は、独裁を倒してからやればよい。今は、独裁を倒すために全国民が力を結集すべきである。
    四 安保から独裁制がうまれた。時間の順序はそうである。しかし論理は逆である。この論理は五月十九日が決定した。〉

     5月19日「安保新条約強行採決」を境にすべてが転換したとする認識から出発して、〈民主か独裁か、これが唯一最大の争点である。民主でないものは独裁であり、独裁でないものは民主である。中間はありえない〉と断じ、そうであれば〈安保に賛成するものと反対するものとが論争することは無益である。論争は、独裁を倒してからやればよい〉と説いたのです。
     このあと、〈5月19日の意味転換〉をとらえることに失敗した既成政治勢力――社会党、共産党、総評それぞれに言及した竹内好は、それら既成の政治勢力に頼ることなく、〈民主か独裁か〉を唯一、最大の争点として国民、市民が結集する道筋を示していきます。

     ラジカル(根源的)にして現実的。岸信介の政治を徹底批判して〈民主か独裁か〉を迫った竹内好の言葉が、ほぼ半世紀後の2017年の現在にそのまま通じるように感じるのは、ひとり私だけでしょうか。奇しくも時代は、岸信介の孫、安倍晋三首相の治下にあります。
     2012年12月に2度目の首相の座に返り咲いて以来、“安倍一強”と言われ、強行採決あり審議回避ありの思い通りの政治を行ってきた安倍晋三首相。森友学園、加計学園問題によりそれまで高位安定してきた支持率が30%前後の危機ゾーンまで急落したあげく、7月の都議選で惨敗を喫し、「国民の声に謙虚に耳を傾ける」と表明はしましたが、森友問題をめぐる国会審議で「資料を破棄した」と言い続けた財務官僚を国税庁長官に取り立てた上、慣例となっている長官としての記者会見は開かないというのですから、実際の政治姿勢は変わってはいないと見えます。一事が万事、やりたい放題の“独裁政治”はどこも変わっていないという批判が高まるのも当然でしょう。
     そして――こうした安倍政治を追及する立場の野党がまた、どうにも腰が据わっていないというか、はっきりしないのが2017年現在の政治状況です。例えば野党勢力の中心となる民進党の原発政策はその象徴でしょう。「原発再稼働」を既定路線とする安倍内閣に対して、「原発ゼロ」を前面にだして対立軸を「脱原発か原発依存か」と明確にすべきにもかかわらず、最大の支持母体である連合、その傘下の電力総連に気兼ねして「原発ゼロ」の政策目標をすっきりと打ち立てることが出来ずに右往左往しているのです。2016年10月の新潟県知事選で「原発再稼働を認めない」米山候補支持で一本化できずに「自主投票」に逃げたお粗末さを、竹内好が見たらなんと言うでしょうか。

    「民主か独裁か」の記事は、1980年(昭和55年)に刊行が始まった『竹内好全集』(筑摩書房、全17巻)の『第九巻 不服従の遺産 一九六〇年代』に収められました。第九巻タイトルの「不服従の遺産」は〈父の思いがこもった表題だった〉と故・竹内好氏長女の竹内裕子氏からお聞きしました。しかし全集はすでに絶版で、古書は高価です。竹内裕子氏が若い読者に手に取ってもらえたらと電子書籍制作を快く受け入れてくれた結果、配信が実現しました。全集巻末の飯倉照平氏による解題も竹内裕子氏の協力で本書にも収録されています。

     法政大学の山口二郎教授は、東京新聞の「本音のコラム」に、
    「この一週間の国会審議を見て、日本の議会政治の崩壊は最終段階に入ったと痛感した。一九六〇年安保の時、中国文学者、竹内好は民主か独裁かという戦いだと喝破した。岸信介の孫が議会政治を壊そうとしている今、私は文明か野蛮かの戦いだと訴えたい」
     と書きました(2017年6月11日付朝刊)。
     竹内好が〈民主か独裁か〉と迫り、30万人を超える人々が国会を包囲するなかで、岸信介首相は「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつも通りである。私には『声なき声』が聞こえる」と語った後、退陣に追い込まれました。それから半世紀――先の都議選投票日前日、岸元首相の孫、安倍首相は「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と声を張り上げ、批判の嵐の中で支持率が急落、内閣改造で事態の打開を図ろうしています。
     それにしても、「声なき声」の岸信介元首相と「こんな人たち」の安倍晋三首相が重なり合って見えてきます。繰り返しますが、この二人の首相――祖父と孫――を泉下の竹内好はどんな風に見ているのか、聞いてみたい。(2017/8/25)
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    投稿日:2017年08月25日