書籍の詳細

「暑かったから、博徒の妻に」なって以来、“罵倒観音”と言われつつも、年齢を重ねた後の拠り所は、結局互いに耐え抜いた夫婦だけ。「どこまでいっても、あ~夫婦」。ついに、極秘にしていた夫のことをつまびらかに。加えて、子、嫁、父母、姑といった個性溢れる家族のこと、人生を悲喜こもごもに彩った忘れえぬイタリア男たちを語ったお蔵出しエッセイ。イタリア語会議通訳にして名エッセイストの著者による抱腹絶倒の人生劇場。

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シモネッタのどこまでいっても男と女のレビュー一覧

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  •  とりあえず、この文章を読んでいただきたい。血統書つきの2匹の豆柴――ハナ子とコスモのお見合いの顛末についての文です。

    〈二日目の夜半、ハナ子の甲高い鳴き声が響き渡った。急ぎ駆けつけて合体中の二匹のあられもない姿を発見したTさん、おおいに嘆いた。「うちの箱入り娘のハナ子が、あんなはしたないよがり声を出すなんて! 英語でビッチ(めす犬)を『淫(みだ)らなあばずれ』という悪態に使うわけが初めてわかりましたわ」
     一回の交尾から生まれたのは、三匹のサン・オブ・ア・ビッチ(あばずれの息子=くそったれ)。お見合いの立会い人として、そのうちの一匹をわが家で貰い受けることになった。小次郎(こじろう)と名付けた子犬は、生後三ヵ月のとき、目黒(めぐろ)の豪邸から専用戸建住宅(犬小屋)を持参金代わりに持ち、練馬(ねりま)のしもた屋にやって来た。(中略)
     たった一夜の過ちから生まれた小次郎、血統書つきの両親のやんごとない血筋のせいか、年頃になっても一切発情する気配を見せない。高校生のころ飼っていた雑種犬のボッケリーニとは大違いだ。イタリア人の名前を付けたのが災いしたのか、ボッケ(略称)は、発情期に入ると、毎夜近隣に響きわたるかん高い声で遠吠えをしていた。放っておくといつまでも吠え続ける。仕方なく私が眠い目をこすりながら必殺性欲処理人を務めていた。それを思うと、発情しないだけでなく、外で会うメス犬にもまったく関心を示さない小次郎は実にありがたい。
     こうして筋金入りの堅物ぶりを確認して三年目、小次郎に晴れて田丸の姓を与えたと思ったら、入れ替わりにわが家の嫡男(ちゃくなん)が発情期に突入してしまった。
     小次郎とは違い、こちらは正真正銘の雑種。見事に「野生の証明」をしてくれた。本物の「あばずれ」の子は飼い犬ではなく、わが息子だったのだ。〉

     雌犬を指す英語の”bitch”(ビッチ)といえば、わがままな女、みだらな女、さらにはあばずれ、ばいたという具合に女性を蔑むときに使われます。そこから”son of a bitch”(サン・オブ・ア・ビッチ=あばずれの息子)は、げす、ろくでなし、むかつく奴、ならず者、悪党といった男に対する最大級の侮蔑の言葉となっています。そんな俗語を巧みに操り、「野生の照明」をしてくれたわが家の嫡男を本物の「あばずれの息子」と書く。つまりは、「あばずれ」はその母である自分自身ということになるわけで、超正直。ユーモアたっぷり、軽妙な筆致で読ませます。
     高校生時代に飼っていたボッケが発情期に入ると彼の遠吠えの声が毎夜近隣中に響き渡る。それを放っておくわけにもいかず仕方なく必殺性欲処理人を務めた――下ネタをこうまであっけらかんと書くこの文章の作者は、イタリア語会議通訳の田丸公美子さん。ロシア語翻訳者、通訳、作家として多くの著作を残した、親友米原万里さん(故人)から譲られた「シモネッタ(下ネタの女王)」の自称で広く知られるエッセイストでもある。この文章の初出は、2010年から2013年にかけて「小説現代」に連載された「シモネッタの家族情話」。「オール読物」掲載の一編を加えて『シモネッタのどこまでいっても男と女』のタイトルで単行本となって世に出たのが、2014年4月。そして2017年4月に文庫化され、5月12日に電子書籍の配信が始まった。

    『目からハム』(朝日新聞出版、2012年11月24日配信)、『シモネッタのデカメロン イタリア的恋愛のススメ』『パーネ・アモーレ イタリア語通訳奮闘記』(ともに文藝春秋、2013年3月22日配信)、『シモネッタの男と女 イタリア式恋愛力』(文藝春秋、2013年4月12日配信)、『シモネッタの本能三昧 イタリア紀行』(講談社、2014年2月28日配信)――本書には先行した上掲の本とは大きく異なる部分があります。言語や異文化を語り、なが靴の形をした半島に暮らす人々の人間模様を綴ってきたシモネッタが今回書き綴ったのは、自らの半生――ヨーモアが衣まとって人生を歩いてきたような〈自伝まがい〉の本なのだ。著者があとがきにこう記しています。
    〈フォーマルな席に半裸で座っているかのような居心地の悪さばかりが増してくる。〉
    〈自らの生きざまを反省する我が人生の始末書だ。若さゆえの愚行の数々に、読み返すたびに赤面している。〉

     週刊誌、とくに女性週刊誌の世界では、「他人の不幸は蜜の味」という発想が根強い。田丸さんの〈自伝まがい〉が不幸=蜜の味というわけではけっしてありませんが、ユーモラスに語られる“愚行の数々”はやっぱり面白い、抱腹絶倒だ。そもそも田丸さんはなぜ、〈自伝まがい〉を書くに至ったのか。そのいきさつから、本書は始まります。

    〈わが友、米原万里(よねはらまり)の魅力は、群を抜いた明晰(めいせき)な頭脳と歯に衣(きぬ)着せぬ毒舌にあった。彼女は男性には特に厳しく、「あの人頭悪い」と一刀両断に切り捨て、返す刀で私を糾弾(きゅうだん)していた。「あなたは男に甘すぎるのよ!」
     そんな彼女が、ある日私に尋ねてきた。
    「ねえ、シモネッタはなんであんな人と結婚したの?」
     彼女が、「あの人」ではなく「あんな人」と言った意図を即座に理解した私は、やや投げやりに答えた。
    「暑かったからよ」
     ロシアには、なんであんな旦那と一緒になったのかと聞かれた妻が、「寒かったからよ」と答える小咄(こばなし)がある。私の答えはそれをもじったものだったのだが、笑いのつぼを逃さない万里らしく、大笑いしてくれ、それ以上追及はしてこなかった。〉

     ただその理由――「暑かったからよ」が小咄ではなくほぼ事実であるのが、我ながら情けない、こう続けた田丸さんは東京外国語大学を卒業、イタリア語通訳として働き始めた1974年に遡って、「暑さ」と「あんな人との結婚」の関係を明かします。異常な酷暑に見舞われた東京で、風呂もないアパート暮らしの女性に起きた、日本の一般家庭にクーラーが普及する前の出来事。〈私にとって長編悲劇の幕開け〉となった出来事のこれ以上のいきさつはぜひ本書にお進みいただきたい。

     主人公シモネッタの〈長編悲劇〉、笑いのつぼが随所に仕込まれています。例えば、発情期に入ってすぐ23歳で早々と結婚するという息子と嫁、そして姑の結婚前夜のエピソード。
    〈嫁は、一歳上の才色兼備な女性で、どうみても息子より頭が良い。愚息は、そんな彼女からコクられたという果報者なのだが、実はとんでもない危険分子でもある。幼い頃から滅法、美人に弱いのだ。
     相思相愛の女の子がいた三歳のある日、保育園の連絡ノートに次のような記述があった。「今日もゆかりちゃんと仲睦まじく遊んでいるので尋ねました。『ユウタ君は大きくなったらゆかりちゃんと結婚するの?』。彼は即座に答えました。『ううん、この子とは遊ぶだけ。だって結婚すると、他の子とは遊べなくなるでしょ』。先生たち爆笑でした」
     結婚前、皆で食事をしているとき、あの名言が私の脳裏に蘇(よみが)ってきた。改めて披露したあと、寂しさ半分、ため息をついて彼に言った。「お前、わずか三歳であんな分別があったのに、なんでこんなに早く結婚するの?」
     このときも息子より先に、嫁から見事な牽制球が飛んで来た。
    「さすがユウタくんね! 『結婚したら他の女の子と遊んじゃいけない』って、三歳のときからわかってたのね。えらいわ!」
     息子よ、お前がかなう相手ではない。おとなしく尻に敷かれているほうが身のためだ。女は常に男より役者が上なのだ。〉

     シモネッタ自身の「男と女」のエピソードも紹介しておきます。高校時代に飼っていた雄犬の発情期には彼の性欲処理人を仕方なく務めたことについて「イタリア人の名前をつけたのが災いしたのか」とあることは前述の通りです。愛すべきイタリア男の習性を物語る意味深長な言葉なのですが、その思いはこんなところからきているのかもしれません。通訳業を始めて間もない頃の一夜の経験です。

    〈夜八時過ぎ、部屋に戻るためにエレベーターを降りたときだった。人気のない廊下の陰からフランコが出てきて、いきなり私を抱きしめてキスをしてきた。口がふさがれているせいもあるが、あまりのショックで声も出ない。フランコは、早く私の部屋へ行きたいとはやる気持ちを抑え、きちんとシャワーを浴びたのだろう。着替えた体からはほのかなオードトワレの香りも漂ってくる。
     彼の手が私の胸をまさぐったとき、突然我に返った私に強い怒りが湧いてきた。ふくらみを力任せにつかむ手に一切の優しさがなく痛みしか感じない。彼が力で押す自分本位なセックスをすることは、それだけで十分理解できた。私は思い切り彼を突き飛ばすと「やめてください。私にはそんなつもりはありません」と言い、バッグから指輪の包みを取り出し彼に押し付けた。「お返しします」。今度は彼が当惑した。「そんなつもりで贈ったんじゃない」。私も必死で言い返す。「私にはフィアンセもいますし、まだ処女です。既婚のあなたとそんな関係になることはできません」。そのころのイタリアは、離婚法がやっと成立したばかり、離婚のハードルはかなり高い。結婚と処女というご印籠(いんろう)を掲げられると、頭脳明晰(めいせき)な彼も返す言葉もなく、無言で立ちつくしている。
     相手が窮地に陥ると、そこをついて完膚なきまでに打ちのめすということができないのが日本人だ。それに、はっきり「あなたが好きではない」と言えず、処女であることを理由にしたのも一生の不覚だった。だがその理由が奏功したのか、彼は態度を紳士的なものに変え、私に懇願した。「小倉から三日後に帰ってくる。帰国便を遅らせるから、あともう一度君と逢いたい。それだけだ。何もしないって約束するよ。だから君も、もう一度逢うって約束して!」。〉

     経験豊かな38歳のイタリア人と22歳のおぼこの関係は、このあとフランコの妻、娘たちも一緒に過ごすイタリアへの旅、田丸さんの結婚・出産を経て、月に1度の手紙――情熱的なラブレターが届く関係が16年も続くことになります。主導権は最後まで田丸さんが握った――〈一切のハンディが認められない恋のゲームでは、常に愛しているほうが負ける〉のだという。

     最後に付け加えておきたいことが一つあります。本書を〈人生の始末書〉と位置づける田丸さんは、母の多津子(たずこ)さんの被爆体験に正面から向き合っているのです。21歳の誕生日を迎えた1945年8月6日の朝、広島――爆心地から900メートル、秒速440メートルの爆風は木造の歯科医院兼住宅を瞬時に倒壊させた。多津子さんは瓦礫の下から救い出されたが、その朝、爆心から数メートルの戸外で建物疎開作業を行っていた妹の久子さんは行方不明となった。妹の姿を求めて被爆直後の街を巡り歩く多津子さんと母親が見た光景を誇張なく伝える作者の文章――3章 波瀾万丈な父母の人生「八月六日の誕生日プレゼント」は、安倍一強政権が唐突に憲法改正を言い立て、それに向かってやみくもに走り出した今は特に、読むに値する。(2017/6/30)
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    投稿日:2017年06月30日