書籍の詳細

17年間で都合6度、目標削減数8万人のリストラを進めたソニー。その時、無辜(むこ)の会社員はどう生きたか。元海外営業マンは「公園居酒屋」で団結し、エンジニアはリストラ部屋でもモノ作りを続け、現場の女性は徹底的に抗った。そして、多くがソニーDNAを新たな場所で芽吹かせようと散っていった。リストラ部屋の人々がすべて実名で語る。嘆くな、前を向け、と。『しんがり』で感動を呼んだ著者の最新作を早くも文庫化!

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奪われざるもの SONY「リストラ部屋」で見た夢のレビュー一覧

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  •  SONYが輝きを失い始めたのはいつ頃のことだったか。
     トヨタや松下電器(現パナソニック)とはちがった意味で、ホンダとともに技術志向の“ベンチャー企業”として第2次世界大戦後の産業社会をリードしてきたソニーが、製品開発でアップルやサムソンなどに後れを取るようになり、ブランド力にも翳りが見えてきています。
     かつて私の自宅の中はソニー製品によって占められていました。週刊誌の仕事で使用する録音機は、カッパブックスと同じサイズという宣伝コピーで登場したカセットレコーダー以来、ソニー製品を幾世代も使い続けてきましたが、いまはオリンパスのICレコーダーに替わっています。テレビもかつてはトリニトロンでしたが、いまはシャープ製の液晶テレビに替わっています。唯一残っているソニー製品はオーディオ機器。「年代物」というほどの高級機ではありませんが、カセットプレイヤーが組み込まれた時代遅れのステレオで、いまや実際に使うのはLPを聴く時だけです。

     いったいSONYに何が起きているのでしょうか。日本の家庭から急速に姿を消していったことがSONY凋落の原因なのか、内部崩壊が始まったことの結果としてソニー製品が市場競争力を急速に失い、日本の家庭から姿を消し始めたのか。
     前著『しんがり 山一証券 最後の12人』(講談社、2015年8月28日配信)で2014年講談社ノンフィクション賞を受賞したジャーナリスト・清武英利(元読売新聞記者)は、吹き荒れるリストラの側面から切りこんでSONYでいま、何が起きているのかを追究。ソニー内部に1980年代半ばに設けられた部屋――「キャリア開発室」といったもっともらしい名前を冠せられた――の存在を掴んだ清武英利は、その部屋に押し込められた社員たちの肉声証言をもとに、「リストラ部屋」に初めて光をあてました。これがあのソニーなのか、と誰もが思わざるをえない過酷な実態を描き出したノンフィクションの傑作――2015年4月、紙版・電子版同時発売された『切り捨てSONY リストラ部屋は何を奪ったか』で、改題のうえ文庫化したのが本書『奪われざるもの SONY「リストラ部屋」で見た夢』(講談社、2017年4月14日配信)です。
     井深大、盛田昭夫は戦後の焼け跡に東京通信工業を創業したとき、設立趣意書に〈真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設〉と謳いました。著者によれば、「社員が仕事をすることに喜びを感じ、楽しくて仕方がないような活気ある職場作り」を目指したということです。「出るクイは伸ばせ」という創業者たちの考え方を大事にし、時代を超えて言い伝えてきたソニーが創業から半世紀を経て陥ったリストラの現実――。

    〈茜色(あかねいろ)の夕空が薄墨色(うすずみいろ)に暮れ始めると、目黒川に近い公園の人影は少しずつ闇になじんでいく。三方を低い雑居ビルに囲まれたその公園は、一方だけが目黒川沿いに開けていて、それがベンチで酒盛りをする男たちにひと時の解放感を与えていた。2006年のことである。
     ここは東京都品川区北品川5丁目。御殿山にあったソニー本社から歩いて7、8分のところだ。本社の前から西へ下ってJR五反田駅東口に至る八ツ山通りは「ソニー通り」と呼ばれている。公園は、社員たちが通るソニー通りから路地に入っていて、もう住宅街に近かった。街の喧騒(けんそう)は聞こえない。
     昏(くら)い公園にはトイレとベンチが2つ。丸い木製テーブルが付いたベンチでは毎月、背広の男たちが酒宴を開いていた。〉

     男たちは、ソニーのキャリア開発室――通称「リストラ部屋」の面々。毎月、本社近くのコンビニで缶ビールやカップ酒、つまみを買って、午後6時ごろに公園に集まるのが恒例となっています。初めは屋台か安い居酒屋に集まろうという話もあったが、「俺たち、キャリア部屋にいるわけだし、給料も減ってるからね。お金は使えないから公園でやろうよ……」「小遣いも減らされちゃったですしね」「そうそう。店を飲み歩く立場でもないしな」という会話の末、目黒川の花見や暑気払いを理由に公園に集まったのが始まりで、やがてその公園は仲間たちが帰宅時に息抜きや情報交換をする場になっていった。ソニーのリストラ部屋のメンバーたちだけの居酒屋「目黒川」です。

    〈常連は50代が2人、30代が1人、そして40代が1人。その四十男がソニー海外営業本部課長だった斎藤博司である。
     彼のリストラ部屋は、ソニー13号館という不吉な数字を冠したビルにあった。正確には「御殿山テクノロジーセンター13号館」という。
     周囲は緑が薄く、中層の似たようなオフィスビルだらけだ。それも白かベージュ色に塗られた外壁の建物が多いから、初めての者はたいてい路地の曲がり角に立ってうろうろと探し回っている。ソニーは成長するにつれて周辺の賃貸ビルを借り上げ、社員でもソニーのビルの数がいくつあるのかよくわからなくなっていた。13号館は存在すら知られていないビルの一つだ。某メーカーから借りたビルらしいが、館内はどこか暗い印象があった。「病院跡を改装したらしいよ」という噂が立ち、薄気味悪いという女子社員もいた。〉
     斎藤が通った部屋は40人ほどの収容能力がありましたが、実際に在籍していたのは20人ほどで、大半が終日語学の勉強をしたり、ネットサーフィンや新聞・雑誌を読んで過ごしていたという。
    〈この部屋で斎藤は業界情報や経済資料を集めたり、過去の営業情報をまとめたりして、「ハッサン通信」と名付けたメールで社内に定期的に流していた。
     そうでもしていないと、気が狂いそうだったのだ。会社に期待されず、やることがないことほど苦しいことはない。〉

     入社9年目にはドバイに駐在して、年間700億円の売上げに貢献した斎藤がリストラ部屋に送られるきっかけとなったのは、ハワード・ストリンガーが会長兼CEOに就任して始めた社内からの意見公募に応募したことでした。斎藤はストリンガー宛てに英語と日本語で意見を書いたのですが、会長室からは何の音沙汰もなかった。意見を募った以上、「検討する」とか「拝読する」くらいの返事はするべきじゃないかと考えた斎藤は上司の本部長宛に「もしストリンガー会長にお話を聞いていただけるならば参上したい」という趣旨のメールを送りますが、これが本部長の逆鱗に触れた。「偉そうな口をきくな。お前は何様だ」というわけで、人事部に呼び出されて厳しく叱責されます。「出るクイ」は伸ばすどころか、打たれてしまったというわけです。やる気は失せ、会社に行くのが面倒になった。やがて朝、布団から起き上がることもできなくなり、休職と復職を3度繰り返した。管理職失格の烙印が押された。
    「君はいったん、キャリア室で体を治したほうがいい」上司から社内休職が命じられ、リストラ部屋へ通う日々が始まりました。斎藤は居酒屋「目黒川」の常連メンバーとなった。

    〈結局、斎藤は9ヵ月間、「リストラ部屋」にいた。会社を辞めたのは、人事部長にこう言われたからだ。
    「外部の人間とお前は話をさせられない。国内営業も無理だ。内職というか、数字をいじるぐらいしかさせられない」
     そのころ、知人から「ソニーで吹きだまってるんだったら、ウチで営業や貿易実務をやらないか」と声をかけられた。体を壊してようやく、家族や人の温かさに気づき始めていた。
     ――あのまま働いていたらいずれ過労死していたに違いない。そして、イエスマンのヒラメ上司たちに迎合する人生しかなかった。
     そう見切ると、不思議に元気が出た。
     斎藤は2007年春から「ハッサン・マーケティング・コンサルティング」を起業しながら、外資系企業で働いている(引用者注:「ハッサン」とは中東を担当していた時に代理店オーナーが斎藤につけてくれたミドルネームで、斎藤の愛称になっていた)。年収もソニー時代の水準に戻った。海外を飛び回る一方で、2人の息子のコーチ業にも忙しい。いまは小学生の二男とサッカーに夢中だ。
     彼と公園居酒屋「目黒川」のリーダーは2007年3月末に一緒に辞めた。キャリア開発室のメンバー12人が公園ではなく、本当の居酒屋で送別会を開いてくれた。
    「転職してうまくいったら、私たちを雇って!」
    「任せたわよ」
     リストラ部屋の女性たちが言った。
     その時に、「目黒川」のメンバーが言った言葉は忘れない。
    「お互いに心機一転頑張りましょう。おっと、頑張りすぎちゃいけないんだ」〉

    「ここに登場するソニーの人々は、リストラ部屋に収容された社員を含めてすべて実在の人物である。リストラ部屋の元住人には全員実名記載をお許しいただいた」――著者はあとがきにこう記しています。覚悟のうえでの、そしてなによりソニーを愛すればこその証言だったのだろう。
     最後に、文庫化に際して書名を『奪われざるもの』とした著者の思いを紹介しておきます。
    〈「よく頑張れるねえ」。ソニーを見限った男性がテクノ社に出向させられた女子社員に声をかけたら、こうやり返されたという。
    「私たちは追い出し部屋でリストラに耐えてきたんですよ。みんな苦労体験者ですから人間関係も良いんです。『SONYのゾンビ』と言われていますが、頑張りますよ」
     どんなリストラでも奪えないものが心にあるということだ。この本を文庫化するにあたって、『切り捨てSONY』から、『奪われざるもの』に改題した所以(ゆえん)である〉(「文庫版のためのあとがき」より)
     苦境の中で誇りを持って生きようとする会社人の再生の物語です。(2015/4/17,2017/4/26改訂)
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    投稿日:2015年04月17日