書籍の詳細

漱石は明治三十二、三年から大正五年の死の年まで断続的に日記やメモを書き残しており、それは全集版で八百ページを超す大部のものである。そのうちからここにはイギリス留学の日記、修善寺大患時の日記、明治の終焉時の日記など、漱石の生涯の節目となった時期の日記七篇を収録。行文から人間漱石の内奥の声が響いてくる。

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漱石日記のレビュー一覧

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  • 「皇后陛下・皇太子殿下喫烟(煙の異体字)せらる。しかして我らは禁烟也。これは陛下・殿下の方で我ら臣民に対して遠慮ありて然(しか)るべし。もし自身喫烟を差支(さしつかえ)なしと思わば臣民にも同等の自由を許さるべし。何人か烟草(タバコ)を烟管(キセル)に詰めて奉ったり、火を着けて差上げるは見ていても片腹痛き事なり。(中略)烟草に火をつけ、烟管に詰める事が健康の人に取ってどれほどの労力なりや。かかる愚(ぐ)なる事に人を使う所を臣民の見ている前で憚(はばか)らずせらるるは見苦しき事なり。直言して止めらるるように取計いたきものなり。(中略)帝国の臣民、陛下・殿下を口にすれば馬鹿叮嚀な言葉さえ用いれば済むと思えり」――少し長くなりましたが、これは『漱石日記』(岩波文庫)の一節です(「明治終焉の日記 明治四十五年六月十日より大正元年八月一日まで 189ページより引用)。日記の日付は6月10日で、翌月末の7月30日に明治天皇が死去して翌31日に改元されて大正が始まりましたから、明治の終わりを迎えつつある時に、漱石が天皇制をどう見ていたか、興味深いものがあります。行啓能を見に行った折、陛下・殿下の態度は謹慎にして敬愛に値するが、居並ぶ陪覧の臣民はまことに無識無礼なり、と前置きした上で、自分たちだけ喫煙をして平気な皇族を叱りつけ、その皇族に火を着けてやる臣民の姿を嘆いています。ヴィクトリア女王の葬儀の行列やそれに続けて行われたエドワード7世の戴冠式の行列を気軽に自由な気持ちで見物(参加)していたイギリス国民の姿をイギリス留学中に目のあたりにしてきた漱石の目には、皇室のあり方、天皇と国民の関係が問題を多く含んでいて危ういものと映ったようです。「片腹痛い」と言葉も漱石らしく実に辛辣で、宮内省の役人たちはこうしたことにも気がつかないのかと厳しく叱責しています。明治33年(1900年)のロンドン留学時代から、大正5年(1916年)の晩年まで、漱石が書き残した日記を編集した一冊には、20世紀初頭の日本の姿が見事に活写されていて、読む者をあきさせません。(2010/12/.3)
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    投稿日:2010年12月03日