書籍の詳細

母方の祖父・岸信介を慕う安倍晋三首相には、もう一つの系譜がある。反戦の政治家として軍部と闘った父方の祖父・寛、その跡を継ぎ若くして政治の道に入った父・晋太郎だ。彼らの足跡から「3代目」の空虚さを照らすアエラ連載に大幅加筆。

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  • 〈2018年度から使用される道徳教科書。「パン屋」が「和菓子屋」に変更された? 国や郷土を愛する態度が足りないから? あほか、と思った人が多いはず。〉
     東京新聞2017年3月29日付朝刊「本音のコラム」をこう書き始めた文芸評論家の斎藤美奈子さん。和菓子は遣唐使が持ち帰った中国の菓子にルーツを持つことなどを指摘したうえで、次のように続けます。
    〈問題は文科省の検定基準だろう。道徳教育について、文科省は四つの視点に基づく二十二項目を掲げている。ここには「感謝」「礼儀」「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」などとともに「規則の尊重」「勤労、公共の精神」「家族愛、家庭生活の充実」などが含まれる。人権についての規定はなし。個人の権利は教えない。差別問題にもふれない。全体に従順で主張しない子を求めている印象だ。
     教科書だけでなく、これを基準に子どもたちの道徳観に点数をつけるのだ。〉

    「道徳教育」の名の下に子どもたちに何を求めているのか、どういう子どもが望ましいか――文科省が考えていることが透けて見えてきませんか。そしてこれは、「憲法、教育基本法に反しない限り」と条件をつけてはいるものの「教育勅語」を教材として使用することを否定しないという答弁書を閣議決定(3月31日)した安倍政権の姿勢に先取り的かつ忠実に寄り添うものと言っていいでしょう。幼稚園児に教育勅語を唱和させていた森友学園も、その幼稚園で行われていた“愛国教育”を「優れた道徳教育を基として、日本人としての誇りを持つ、芯の通った子どもを育てます」と手放しで誉め称え、計画されていた小学校の名誉校長を引き受けていた安倍昭恵総理夫人も、一度は国会で「私の考え方に非常に共鳴している方」と籠池泰典氏を肯定した安倍晋三総理――いまでは掌を返すように「非常にしつこい人」と突き放しているのですが――も、みんな根っこは同じなのです。森友学園が安倍流の道徳教育に先行した“モデル”だったと見れば、その異様性がくっきりと浮かびあがってきます。
     となれば、問題は「安倍晋三」とは何者なのかだろう。改憲への強い意欲を語り、「美しい国」と呼ぶ「古き良き日本」への憧憬を色濃く滲ませる、東京で生まれ育った世襲政治家。そのタカ派ぶりは、いったいどこから来ているのか。

     ここに一冊の本がある。青木理(あおき・おさむ)著『安倍三代』(朝日新聞出版、2017年3月7日配信)――共同通信出身の著者が、2015年8月から2016年5月にかけて「AERA」に断続的に連載した原稿を土台に、大幅な追加取材と加筆・修正作業をほどこしたうえで完成したルポルタージュ作品です。
     タイトルに「安倍三代」とあるように、現総理晋三の父、安倍晋太郎(あべ・しんたろう)も、晋太郎の父、つまり晋三の父方の祖父、安倍寛(あべ・かん)も政治家であり、晋三は三世の世襲政治家であることはよく知られているとおりです。学生時代の友人によれば、晋三は自己紹介の時、「安倍晋太郎の息子」ではなく、母方の祖父の名を挙げて「岸信介の孫です」と言っていたという。父方の祖父の名を口にすることはほとんどありません。
     先の大戦下、無謀な戦争に突き進んだ軍部に抗った寛、その息子であり、首相まであと一歩というところで病に倒れた晋太郎は、筋金入りの反骨政治家だった父を終生誇りにしていたという。安倍家の語られざる男系のルーツである安倍寛は、政治思想的にも、政治手法の面でも、政治的な立ち居振る舞いの面でも、現政権とはおそらく真逆の地平に立っていた。
     安倍家に連なる3人の政治家の人間像を子細に追跡することによって、現政権のありようを浮かびあがらせることができるのではないか。そう考えて、著者と取材協力者として共同作業を行った記者たちは安倍三代の選挙区である山口県を歩き、安倍寛、晋太郎のゆかりの人々を訪ね回り、晋三支援者の本音に耳を傾けた。晋三が小学校・中学・高校・大学の16年間通った成蹊学園の同窓生、教員関係者を訪ね、学園生活の思い出から政治思想に至るまでを語り合った。その中で寛と晋太郎については、彼らの政治家としての熱き思いやエネルギーを感じ取れる証言やエピソードが聞けたのに対し、晋三については成蹊時代、神戸製鋼所時代を通じて、取材を進めれば進めるほど“何もない”ことがわかってきて、脱力したという。引用します。

    〈しかし、晋三は違った。成育過程や青年期を知る人々にいくら取材を積み重ねても、特筆すべきエピソードらしいエピソードが出てこない。悲しいまでに凡庸で、なんの変哲もない。善でもなければ、強烈な悪でもない。取材をしていて魅力も感じなければ、ワクワクもしない。取材するほどに募るのは逆に落胆ばかり。正直言って、「ノンフィクションの華」とされる人物評伝にふさわしい取材対象、題材ではまったくなかった。(中略)
     さて、晋三は1979(昭和54)年春、留学先(引用者注:「留学」について疑惑報道が出て、経歴から削除)の米西海岸から帰国すると、神戸製鋼所に入社した。はっきり言えば、明らかな“コネ入社”だった。それが言い過ぎだというなら、“政略入社”であったと言い換えてもいい。神戸製鋼所で晋三の直属の上司となり、のちに同社の副社長にも就いた矢野信治(73〉に話を聞くと、当時を忌憚なく振り返ってくれた。
    「彼(晋三)は要領が良くて、腰も軽かったから職場にも馴染んだし、結構一生懸命にやる子だったから、みんなに好かれていましたよ。ただ、率直に言って“政略入社”ですからね。当時の製鉄会社は、神戸製鋼に限らず、政治関係の“政略入社”が多かったんですよ」
     一度も受験を経験しないまま計16年を成蹊学園で過ごした晋三は、大半の者にとっては人生の重大岐路となる就職時にも荒波にさらされず、敷かれたレールの上に淡々と乗って社会人になった。そうして置かれた場所で見せたのも、残念ながら「凡庸だがみんなに好かれる“いい子”」の姿のみだった。〉

     神戸製鋼所の矢部元副社長が大笑いしながら語ったエピソード――若き安倍晋三の姿を紹介しておきます。

    〈「こっちはもう、毎晩酒を飲むようなタイプだから、胃の調子がいっつも悪いわけですよ。で、医者からは『酒を飲むんだったら、夕方に牛乳を飲みなさい。胃の粘膜をカバーするから』と言われましてね。その牛乳を晋三くんに買いに行かせていたんです(笑)」
     矢野が課長を務めていた鋼板輸出課は当時、神戸製鋼所東京本社ビルの6階にあった。牛乳を売っているスタンドがあるのは同じビルの2階。晋三はイヤな顔ひとつせず命令に従い、夕方になると矢野の牛乳を買うために6階から2階のスタンドまで走った。そのうちに矢野が小銭を手にチャラチャラと音をさせるだけでサッと駆けより、いそいそと牛乳を買ってきてくれるようにまでなった。矢野の思い出話を続ける。
    「それがあとで上にバレて、僕はコテンパンに怒られましたけどね(笑)」
    ──突飛な質問ですが、もし晋三さんが普通の新入社員として神戸製鋼所に入っていたら、どこまで出世したと思いますか。
    「専務とか役員クラスにまでいけるかどうかはともかく、部長クラス以上にはなったんじゃないですか。最大の要素は真面目で、敵をつくらない。これは(サラリーマン社会で)大きいですよね。僕なんかは、叩かれたら叩き返すっていうような感じでしたが、(晋三は)新世代ですから。人づきあいの勘が良くて、要領が良くて真面目で、敵をつくらない。だからみんなに好かれていましたよ。そう、まるで子犬みたいだったなぁ……」〉

     凡庸だが真面目で要領がよく、みなにかわいがられていた子犬──そんな印象を上司に残した三世(確たる政治信念を持つことなく育ったおぼっちゃん)が為政者として政治の頂点に君臨し、戦後営々と積み重ねてきた“この国のかたち”を変えようとしている。著者は、そこがなによりも不気味だという。
     いったい、安倍晋三に何が起きたのか。矢野氏など何人かが、筋金入りのライト(右派)になっていったのは政界入り後のこと、つまり子犬が狼の子と群れているうち、まるで狼のようになってしまったという見方を語っています。しかし、それだけで説明がつくのか。

     著者のインタビューに応じた昭恵夫人の
    〈主人は、政治家にならなければ、映画監督になりたかったという人なんです。映像の中の主人公をイメージして、自分だったらこうするっていうのを、いつも考えているんです。だから私は、主人は安倍晋三という日本国の総理大臣を、ある意味では演じているところがあるのかなと思っています〉
     という発言がむしろ「安倍晋三のなぜ」を解くカギになるのではないか。

     父晋太郎の異父弟、西村正雄(日本興業銀行元頭取)は死の間際に甥の晋三に手紙を書き、「悲惨な戦争に至った史実を学べ」と訴えた。第1次安倍政権成立前夜のことです。そして安倍晋三が愛する母校、成蹊大学の宇野重昭元学長は涙を浮かべつつ心底からの諫言を放った――「周囲に感化された後づけの皮相な思想らしきものに憑かれ、国を誤った方向に向かわせないでほしい」 4月6日、宇野元学長の死去が報じられました。本書著者のインタビューに応じた元学長の発言は、教え子への“遺言”となった。
     宇野元学長の応接間の机の上に数日前の新聞の切り抜きが大切そうに置かれていました。人気作家・桐野夏生の近著『バラカ』(集英社、2016年2月26日配信)の出版広告だった。聞けば宇野ゼミ生だった桐野夏生とはいまも師弟として連絡を取り合っているという。『バラカ』は東日本大震災と福島第一原発の凄惨な事故に想を得たディストピア小説で、安倍晋三より3年先輩にあたる桐野夏生について語る時、宇野元学長が初めて自慢げに微笑んだとあるのが、印象的です。

     ただ一人の弟として晋太郎の最後の日々をみとった叔父・西村正雄が雑誌論文を残して、総理の座につこうとする甥に晋太郎に代わって伝えたかったこと、母校の最高の碩学が切々と語った教え子への言葉。二人は至極まっとうな、言ってみれば健全な保守リベラルの立場に立つ存在です。私たちは、この二人の諫言を通して、安倍晋三が葬り去ったものの大きさを知ることになります。(2017/4/7)
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    投稿日:2017年04月07日