書籍の詳細

日本新報の新聞記者・南康祐は、会社にとって不利益な情報を握る危険人物であるとみなされ、編集局から社長室へと異動させられる。その頃、新聞社に未来はないと判断し、外資系IT企業・AMCへの「身売り」工作を始めていた社長の小寺が急死する。九州に左遷されていた新里が急遽社長に就任することとなり、売却交渉を引き継ぐが、労働組合から会社OBまで、多方面から徹底的な反発を受ける。危機に瀕した大手新聞社が行き着いた結末とは――。外資系企業との買収劇や社内抗争を通して、メディアの存在意義を問う。『警察回りの夏』『蛮政の秋』に続く、「メディア三部作」完結編!

まだユーザーレビューはありません。最初のレビューを書いてみませんか?

社長室の冬(メディア三部作)のレビュー一覧

絞込み条件
  • レビュアー絞込み
表示形式
  • 表示件数
  • 表示順
  •  読売新聞がおかしい。
     憲法記念日の5月3日――安倍首相は日本会議の集会向けに「2020年までに憲法を改正、9条1項(戦争放棄)、2項(戦力不保持)はそのまま残したうえで自衛隊の存在を明記」と提案するビデオメッセージを寄せ、その真意を国会で問われて(8日)、「そうとう詳しく読売新聞(首相インタビュー)に書いてあるので、熟読いただいて」と答弁。“一強安倍首相”にとって国会は何なのか丸見え、その意味では面白いともいえる問題答弁だったのですが、当の読売新聞が翌9日の社説に「各党は、生産的な改正論議をしてもらいたい」とまるっきりの上から目線で書いたのには、のけぞりました。

     歯に衣着せない評論で人気の斎藤美奈子さんがさっそく5月10日、東京新聞「本音のコラム」(毎週水曜日担当)で読売新聞を“さすが腰巾着”と評していました。「腰巾着」――「新明解国語辞典」(三省堂)には、もともと腰に下げる巾着をさした言葉で、そこから「頼りになる人のそばをいつも離れない者の意や、胡麻(ゴマ)をすったり べったり依存したりする者」の意味をもつようになったとありますが、読売新聞の“腰巾着”ぶりをうかがわせる記事はこれだけではありませんでした。

     5月22日朝刊社会面に「前川前次官出会い系バー通い」の見出しが踊りました。「文科省在職中、平日夜」のサブ見出し、9段抜き、「どうして今頃?」の疑問符がつく、内容以上に目立つ記事でした。「総理のご意向」「官邸の最高レベルがいっている」などの記述があった加計(かけ)学園の獣医学部新設を巡る内部文書の存在が朝日新聞の報道によって明らかとなった時、菅官房長官は即座にこの内部文書を「怪文書」と斬り捨てました。それに対して前川前次官が「文科省内にあったのは事実、まちがいない」ときっぱり証言したのは5月25日。読売の異例のスキャンダル記事にはこの衝撃証言に先立って前次官を貶(おとし)め、証言の信用性、影響力を前もって低下させることを意図した官邸サイドのリークがあったのではないかという見方が拡がっています。本来、緊張感を持って時の政権と対峙すべき新聞が政権中枢に寄り添うように記事を書く。しかもそれが日本最大の新聞なのだ。もしそれが本当だったとしたら、ジャーナリズムの死というほかありません。



     最高権力者の行動と政治・行政の公正性を巡る疑惑が噴出する中で、報道機関のあり方が厳しく問われています。そんな時代状況を捉えた長篇小説が話題になっています。WOWOW連続ドラマ原作、堂場瞬一著『社長室の冬』(集英社、2017年1月13日配信)です。

     読売新聞社会部記者の経験を持つ著者は、アメリカの新興IT企業と日本の老舗新聞社との間の買収交渉を通して、メディアの劣化、新聞と政治家との関係、そして報道機関の存在意義を突き詰めていきます。

     物語の舞台は、130年の歴史を持つ日本新報。今なお部数300万部を維持する老舗の大手新聞ですが、経営悪化を打開する最終手段としてアメリカの新興ネットメディア、AMCに身売りを持ちかけて交渉を進めていた社長が心筋梗塞で急死。前社長の指名で後任社長の座に就いた新里明(にいざと・あきら)、社会部記者あがりの社長室員・南康祐(みなみ・こうすけ)、交渉窓口であるAMCの日本法人AMCジャパン社長の青井聡太が主な登場人物。この3人に、親の代までは日本新報の社主だった、個人筆頭株主・長澤英昭(ながさわ・えいしょう、日新美術館館長)、そして政権を握る民自党政調会長・三池高志(みいけ・たかし)が絡んで物語は展開します。ちなみに、かつて日本新報外報部記者だった青井に異動を通告したのが新里外報部長で、それがきっかけとなって青井は日本新報を退社。その二人が巡り巡って買収交渉で火花を散らしているというわけです。また南は社会部記者時代に老獪な政治家である三池にしてやられて誤報を打つという苦い経験をしています。



     AMCジャパンに転じた青井が三池に対する執念を日本新報社長室の南を相手に語るシーンがあります。報道にたずさわる者への著者のまなざしがうかがえる、力のこもった一節です。「第三部 混沌の中で」より一部を引用します。



    〈「三池のスキャンダルが欲しい。そのネタを、君からもらえるんじゃないかと思ったんだが、どうだろう」

     南は無言で首を横に振った。無理……できることだったら、自分でとっくにやっている。

    「そうか、仕方ないな」青井が伝票を掴み上げた。南が手を出す暇もなかった。「まあ、君の助けがなくても、私は絶対に三池の尻尾を掴む。だいたい、君の助けがなくても、私は絶対に三池の尻尾を掴む。だいたい、三池のような人間が好き勝手できる世の中は、間違っている。こんなことがまかり通ったら、民主主義は崩壊するだろう。この社会を守るためにも、ふざけた政治家は必ず血祭りに上げる。一罰百戒で、他の政治家もビビらせてやるよ。本来、マスコミの役目はそういうことじゃないのか? 恰好つけるわけじゃないが、マスコミが民主主義の番人というのは、本当だ。少なくとも私はそう信じている」〉



    〈三池のような人間が好き勝手できる世の中は、間違っている〉〈この社会を守るためにも、ふざけた政治家は必ず血祭りに上げる〉思わず、「三池」の2文字を別の2文字に読み替え妙に納得してしまったのですが、それにしても主人公の青井に〈マスコミが民主主義の番人というのは、本当だ。少なくとも私はそう信じている〉と語らせている堂場瞬一の眼には「加計学園問題」を巡る古巣読売新聞の報道はどんなふうに映っているのでしょうか。

     かつて読売には大阪社会部長、黒田清さん(故人)がいました。毎年夏に「黒田軍団」と呼ばれた社会部記者たちによる手作りの「戦争展」を続け、反権力を貫いた伝説の記者でした。現在の読売新聞にその伝統は残念ながら受け継がれてはいないようです。



     少し脱線しました。話を作品に戻します。ネットニュースへの全面移行を買収の条件とするAMCに対し、紙の新聞の発行にこだわる日本新報のぎりぎりの交渉が続く中、民自党の三池の暗躍が始まります。報道機関を保守政治家がどう見ているのか――じつに興味深いくだりがあります。



    〈三池はにわかに心配になった。今や新聞は、日本の言論界──そもそもそんなものがあるかどうか分からないが──の中心から滑り落ちているとはいえ、倒産という事態にでもなれば、影響は小さくない。少なくとも戦後、日本で全国紙が倒産したケースはないのだ。三池にとって新聞は敵のようなものだが、なくなれば状況は変わってくるだろう。政治家側が、ますますマスコミをコントロールしやすくなる──それこそ三池の望む世界なのに、何故か不安だった。

     新報には、救いの手を差し伸べるべきかもしれない。ここで恩を売っておけば、今後のコントロールはさらに容易になるだろう。衰えたりとはいえ、新報は未だに三百万部の部数を誇る大新聞だ。そういうメディアを自分の思う通りに動かせれば、何がしかのメリットはあるだろう。

     三池は頭の中で、素早くシナリオを練り上げた。〉



     マスコミをコントロールしようという思惑からAMCによる日本新報買収をつぶしにかかる政治家と、その動きを封じるために政治家の尻尾を掴もうとするネットメディアのせめぎ合いから予想外の結末が待つクライマックスへ。青井は三池を血祭りにあげることができるのか? 老獪な三池はどう出るのか?

     ネット時代の新聞というメディアの劣化を捉え、その先に待つ新聞企業の未来を暗示する堂場瞬一メディア三部作。完結編『社長室の冬』に連なる一作目『警察(サツ)回りの夏』(集英社、2014年12月5日配信)――主人公の南康祐は日本新報甲府支局で6回目の夏を迎え、幼い姉妹殺害事件を追う――と、二作目『蛮政の秋』(集英社、2016年3月4日配信)――甲府支局から本社にあがった南康祐は社会部遊軍。IT企業が民自党議員に配った献金リストがメールで送られてきた。その中に三池高志の名があった――の2冊もあわせてお読みください。(2017/6/2)

    • 参考になった 2
    投稿日:2017年06月02日