著:湊かなえ

文藝春秋

ジャンル:文芸

546円 (税別)

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eBookJapan発売日:2016年09月02日

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 湊かなえの『望郷』(文藝春秋、2016年9月2日配信)は、瀬戸内海に浮かぶ白綱島(しらつなじま)を舞台に描かれる6つの物語からなる短編集です。作品は皆ミステリーに分類されていますが、「事件」の解明にあたる刑事や警察官、探偵が登場してくる作品はひとつもありません。
 かつては船しか中国地方(本土)と行き来する手段がなかった島ですが、O市と吊り橋で結ばれるようになって変化の波が徐々に島内にも押し寄せてきます。そんな時代に外の世界に生きる道を求めて島を出る人、出ることがかなわず島に残った人、島こそ自らの人生の地と思い定めた人……自らの故郷である因島をモデルに湊かなえが紡ぐ白綱島の物語には、ある共通項があります。『望郷』収録の短編はどれも、他人(ひと)には――家族であっても、いや家族だからこそ、明かしてはならない〝秘密〟を抱えることになった人が物語の軸となっています。この〝秘密〟があるからこそミステリーなのですが、〝秘密〟を心の裡に抱え込んで生きる人の謎が明らかとなっていった時、主人公の人生の本当の意味が瞬時にわかり、胸の裡にジワリと温かいものがあることを知るのです。

 第65回(2012年)日本推理作家協会賞(短編部門)を受賞した「海の星」(初出「オール読物」2011年4月号「望郷 海の星」を受賞後に改題)――主人公は島を出て、東京で妻と長男と暮らす浜崎洋平。小学校6年の時、父の浜崎秀夫が失踪。それからは母と二人で父が戻るのを待ち続けた。
 浜崎洋平は仕事から帰宅すると、息子が寝たあとに妻からハガキを渡された。送り主は真野美咲(みさき)、白網島の同級生だった。

〈ご無沙汰しています。お元気ですか?
 浜崎くんの住所は島本(しまもと)くんから教えてもらいました。実は来週、仕事の関係で(小学校の教員をしています)上京するのですが、一度お会いすることはできませんか?
 お父さんのことでどうしてもお伝えしたいことがあるので、ほんの少しでもいいから、お時間を作ってもらえると有り難いです。ご連絡、お待ちしています。(中略)
 妻は携帯のメールを勝手にチェックするようなタイプではないが、正月でもないのに届いた女性からのハガキには興味を持ち、文面を読んだようだ。
「昔の彼女とか」
 さぐるように聞いてくる。送り主にそういう気持ちがあるならば、封書にするか、島本からメールアドレスを聞き出すだろう。
「高校時代の同級生だよ。彼女より、彼女のお父さんと親しい……いや、ちょっと関わる時期があったんだ」
「それで、お父さんのことで、って書いてあるのね」
 妻は納得するように頷いた。どうやら、かなり気にしていたようだ。島での生活に関しては、父が失踪し、母と二人で貧乏暮らしをしていたことを、流す程度にしか話したことがない。語るようなことは何もないと思っていたからだが、彼女の方は、聞きたいが「失踪」という言葉に遠慮していたのかもしれない。〉

 浜崎秀夫が失踪したのは、洋平が小学6年生の秋だった。夕飯の後、九時前頃に、ちょっと煙草を買ってくると言って歩いて出て行ったまま、夜が更けても、朝になっても、帰ってこなかった。その日のうちに警察に届けたが、それらしい事故の報告もない。タバコを買いに出た父が通ったと思われるコースを母と二人で歩く日課が始まり、父の特徴を書いたポスターを町中にはったが、父が戻ってくることはなかった。
 そんな時、洋平は美咲の父――「ダミ声のおっさん」と出会います。

〈──あーあ、こんなちっこいアジ釣りやがって。
 突然、背後から声がして振り向くと、クーラーボックスを肩からかけたおっさんがバケツの中をのぞき、あきれたような顔をしていた。私はムッとして黙ったまま海の方へ向き直り、再び釣り糸を垂らした。すると、おっさんは、
 ──こんなちっこい魚、何匹食っても腹にたまんねえだろ。海に戻してもうちっと大きくなったのを釣り戻せ。
 そう言って、バケツを持ち上げ、海に向かってひっくり返したのだ。
 ──何すんだよ。
 腹の底からむかついた。お遊びではなく、夕飯のおかずがかかっているのだから。しかし、子どもが大声をあげたからといってひるむようなおっさんではなかった。
 ──悪い悪い。お詫びにこれをやろう。
 悪びれる様子もなくそう言ってクーラーボックスを開け、中の魚を私のバケツにあふれるほど入れた。まるまる太った、長さ二十センチはあるアジだった。
 ──フライにしても、刺身にしてもうまいぞ。
 ──でも、こんなに……。
 プライドは傷付けられたが、いらないと言い切ってしまう勇気もなかった。小アジを五匹捨てられたのだから、二匹はもらってもいいだろう、などとみみっちい計算をしていたはずだ。
 ──家族みんなで食べりゃいい。じいちゃんばあちゃんは一緒に住んでるのか?
 ──いいえ。
 ──じゃあ、兄弟は?
 ──いいえ。
 ──でもまあ、冷凍もできるし、干したり、身をほぐしてでんぶにするって手もあるな。遠慮せずに持って帰れ。
 ──はあ……。
 私よりも三倍は大きな声で言われると、従うしかできず、私はそそくさと帰り支度をして、山盛りのアジが入ったバケツを持ち、礼も言わず、逃げるように帰った。
 それが、おっさん、真野幸作(こうさく)との出会いだ。〉

 翌週も釣りをしていると、おっさんはやってきた。クーラーボックスから取り出したのは、大きなあおりイカ。家に寄ってさばいてくれることになり、自然、母とも会った。真野幸作は毎週のように魚や真野の娘が作ったクッキーを手土産に浜崎母子を訪れるようになります。
 しかし洋平が中学3年の秋、真野幸作との関わりは突然、終わります。父親の失踪から3年の時が経っていた。

 真野美咲は「お父さんのことでどうしても伝えたいことがある」とハガキに書いてきたが、今さらあのおっさんのことで何を伝えたいというのだろう……洋平はいぶかりながらも待ち合わせのホテルのティーラウンジで美咲を待ちます。二十年ぶりに会った美咲は「おっさん」のことではなく、洋平の父について語り始めます――。

 日本推理作家協会賞選考委員のひとり、北村薫氏は選評で「名人の技」と最高級の賛辞を贈っています。
「『望郷、海の星』が群を抜いていた。父は生きているのか死んでいるのか、真野の行為の意味。こういったことが全て最後に解かれる。そこから、人々の姿が納得の行く形で浮かび上がって来る。鮮やかな逆転がありながら、小説の効果のための意外性のため無理に組み立てられた物語ではない。これは、非常に難しいことだ。筋の運びを支える魚料理などの扱いもいい。
 怪しい電話や、父の派手な服装、クッキー――などといったところまでが、周到な伏線になっている。真野が以前、あることのため、妻の死に目に会えなかった――などと一言触れるあたりも巧みだ。ほとんど名人の技である」

 別れの日――真野幸作は洋平に「海の星」を作り出してみせます。
〈──見とけよ、洋平。一瞬だからな。
 おっさんはそう言うと、真っ暗な海面に向かってバケツの海水をぶちまけた。
 青く、青く、青く光る。
 それまで見たこともない、透明な青い輝きが海面にキラキラと浮かび、一瞬で消えた。
 海の星。
 なぜ、こんな現象が起きるのか……。
 ──じゃあな。〉

 おっさんの後ろ姿がいつもの空き地ではなく、真っ暗な桟橋に消えていき、その日、いつものように車ではなく、おっさんが自分の船で来ていたことを知った。中学生の洋平の胸に残った「なぜ?」……そして25年の時を経て、その意味が明かされるラストシーン。

 この「海の星」に加えて「みかんの花」「雲の糸」の三作がテレビドラマ化で話題になっていますが、静かな共感に体中が満たされていくような読後感は、『望郷』収録作品すべてに共通します。
 中でも、「光の航路」。初出が「オール読物」2012年10月号と収録作品中最も新しく、巻末に収録されている「光の航路」は、少年時代に中学校教師だった父親から一度だけ殴られたことがあり、今もそのことに納得できずにいる小学校教師の物語。父へのわだかまりの発端となった出来事の当事者――ひどいいじめにあった中学生時代に父に救われて、中学校の教員になったという父の教え子を通して、父との距離を埋め、いじめに直面する教え子に伝えるべき「言葉」を発見する。
 さびれゆく造船所。最後の進水式。栄光の時代の賑わい。狭い島故のいじめの詳細……島内の暮らしのディテールがきちんと描かれて、出色の作品だ。(2016/9/30)
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